2015年7月12日日曜日

御言葉を宣べ伝えなさい

東関東中会講壇交換で船橋高根教会で説教させていただきました
テモテへの手紙二1・1~5

「神の御前で、そして、生きている者と死んだ者を裁くために来られるキリスト・イエスの御前で、その出現とその御国とを思いつつ、厳かに命じます。御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。とがめ、戒め、励ましなさい。忍耐強く、十分に教えるのです。だれも健全な教えを聞こうとしない時が来ます。そのとき、人々は自分に都合の良いことを聞こうと、好き勝手に教師たちを寄せ集め、真理から耳を背け、作り話の方にそれて行くようになります。しかしあなたは、どんな場合にも身を慎み、苦しみを耐え忍び、福音宣教者の仕事に励み、自分の務めを果たしなさい。」

今日は東関東中会の講壇交換でお邪魔しています。松戸小金原教会の関口です。船橋高根教会の礼拝で説教させていただくのは初めてです。松戸に来て12年目。東関東中会ができて9年目。12年で12教会を回りました。最後が船橋高根教会です。やっと辿り着きました。今日はよろしくお願いいたします。

先ほど司式者に朗読していただきました聖書の個所に記されているのは、わたしたちに対する神の命令です。他人ごとではありません。それは「御言葉を宣べ伝えなさい」(2節)ということです。ただし、「御言葉」の「御」は日本語的な丁寧語です。原文に「御」という字が付いているわけではありません。

原文には単純に「言葉」(ロゴス)と書かれているだけです。つまり「言葉を宣べ伝えなさい」です。しかし、「宣べ伝える」というのも日常的に使うことはほとんどない教会独特の言葉づかいです。原文で使われている言葉に最も近い日本語は「知らせる」です。あるいは「告知する」というようなことです。

説教を行う場所の問題は、ここでは取り上げられていません。しかし最も考えられるのは、日曜日ごとに教会に集まって行われる礼拝の中です。礼拝の中で聖書に基づいて説教を行うことが「御言葉を宣べ伝えること」です。それだけに限定することはできませんが、かなり多くの部分を占めていると言えます。

その礼拝の中で行う説教を指して「御言葉を宣べ伝えること」という表現で言われるようになったものと思われます。日本語的な丁寧語などを取り除いて言い直せば「言葉を知らせること」です。もっと雑な言い方をすれば「しゃべること」。口を開いて言葉を発することです。黙っていないことでもあります。

それを「折が良くても悪くても励みなさい」(2節)とパウロがテモテに命じています。それは同時にわたしたちに対する神の命令です。「折が良くても悪くても」というのは、原文をそのまま日本語に置き換えただけです。しかし、これが何を意味するのかを理解するのはとても難しいことのように思えます。

なんとなく分かるのは、ここに書かれていることの趣旨は、「折が良いときは御言葉を宣べ伝えることに積極的だが、折が悪いときは御言葉を宣べ伝えることに消極的であるような態度」を戒めることに違いないだろうということです。しかし、その場合の「折」とは何でしょうか。これの特定が難しいのです。

それと、先ほど申し上げたとおり、「御言葉を宣べ伝えること」は、日曜日ごとに教会に集まって行われる礼拝の説教を指している可能性が高いです。限定はできませんが。しかし、もしそうだとすると「折」とは何でしょうか。「説教しやすい日曜日」と「説教しにくい日曜日」があるということでしょうか。

そのような意味で書かれている可能性は十分あります。しかし、「説教しやすい日曜日」とは何でしょうか。「説教しにくい日曜日」とは何でしょうか。それは説教者の気分や体調の話でしょうか。良い気分で、良い体調なら、良い説教ができる。しかし、気分がすぐれなかろうと、体調が悪かろうと説教しろ。

「折が良くても悪くても励みなさい」とは、そういう意味でしょうか。面白い解釈ではあると思いますが、それだけではないような気がします。それでは、説教を聴く側の人たちの気分や体調の話でしょうか。今日はごきげんが悪い人たちが大勢集まっている。体調がすぐれず、体を引きずってきた人ばかりだ。

そういう人たちが大勢集まっている日曜日は「説教しにくい日曜日」だ。その日は「折が悪い」。皆うなだれ、苦虫を噛みつぶした顔で我慢して座っている。そのような人々の前でも、お構いなしに説教しろ。それが「折が良くても悪くても励みなさい」という意味であると、そのように考えてよいでしょうか。

それも一案ではあると思いますが、そのようなことだけではないような気がします。もう少し広い意味ではないでしょうか。先週は「説教しやすい日曜日」だったが、今週は「説教しにくい日曜日」である。そういうことはありうると思いますが、まるで気分次第です。風に吹き回されている枯れ葉のようです。

そういうことよりも「折」とはもう少し広い意味の「時代」を指していると考えるほうがよいかもしれません。聖書に基づく説教を積極的に受け容れる気運が高まっている時代があるが、そうでない時代もある。しかし、逆風が吹いている時代であっても、説教をやめてはならない。これなら納得できそうです。

しかし気になることがあります。先ほどから私は、この個所に書かれている「御言葉を宣べ伝えること」は、日曜日ごとに教会で行われる礼拝の中での説教を指していると、やや限定的なことを申し上げています。それ以外の可能性を否定する意図はありません。日曜日以外にも説教することは可能だからです。

しかし、そうなりますとものすごく気になることがあります。日曜日の礼拝に集まる人々の中にも説教を受け容れない人々が含まれている可能性があるというような考え方をしなければならないのかということです。日曜日の礼拝に集まる方の中には、求道者や新来者もおられます。しかし、多くは教会員です。

そうなりますと、ここに書かれている「折が悪くても(御言葉を宣べ伝えることに)励みなさい」の意味は、教会の中に説教に対して否定的な人が混ざっている可能性があること、その人々から吹いて来る逆風を感じたとしても説教しろ、というようなことを意味していると考えなくてはならないのでしょうか。

実はそのとおりです。明らかにそのような意味で書かれています。「とがめ、戒め、励ましなさい。忍耐強く、十分に教えるのです」(2節)と書かれていることの趣旨も同じです。教会の中に聖書とその説教に反対する人々がいる。そのような人々をとがめなさい、戒めなさい、励ましなさいということです。

続きにとても厳しい言葉が記されています。「だれも健全な教えを聞こうとしない時が来ます。そのとき、人々は自分に都合の良いことを聞こうと、好き勝手に教師たちを寄せ集め、真理から耳を背け、作り話の方にそれて行くようになります」(3-4節)。この「時」と「折」が同じ言葉(カイロス)です。

「だれも健全な教えを聞こうとしない時」の「だれも」は、明らかに、教会の人々です。「人々は自分に都合の良いことを聞こうと、好き勝手に教師を寄せ集め」の「人々」も教会です。「真理から耳を背け、作り話の方にそれて行く」のも教会です。教会がこのようになってしまう時が来ると言われています。

しかし、このように言われると私は反発したくなります。「なんてことを言うのか、ひどすぎる。苦労して教会に来ても文句しか言われない。わたしたちのうちのだれが健全な教えを聞こうとしていないのか。誰なのか名前を挙げてはっきり言ってください。当てこすりはやめてください」と言いたくなります。

しかし、そのような反発を感じてしまうことこそが、わたしたちに仕掛けられた罠かもしれません。教会もまた、聖書の真理から離れていく誘惑の中にある。そのことをわたしたちは率直に認めましょう。この個所には教会にとって愉快でない言葉が書かれています。しかし、良薬はしばしば口に苦いものです。

しかし、明るい話もしておきます。わたしたちは、自分にとって都合の悪い話を素直に受け容れることができるほど寛容ではないし、忍耐強くもない、弱さをもった人間です。面白い話、楽しい話のほうがありがたいに決まっています。耳障りの悪い話を聞き続けると心身が壊れます。それも否定できません。

説教は拷問ではありません。教会は牢獄ではありません。教会に行くたびに嫌なことばかり言われ、不断に批判的なことばかり聞き続ければ、神経が破壊されてしまいます。そのあたりの配慮は必要です。大切なことは健全な教えを聞くことです。真理を聞くことです。その点がクリアされていればいいのです。

東関東中会はどうだろうかと考えさせられました。「自分に都合の良いことを聞こうと、好き勝手に教師たちを寄せ集め」られた結果の東関東中会でしょうか。そのようであってはいけないと、東関東中会の教師たちは考えています。健全な教えを語ること、真理を語ることに熱心な教師たちが集まっています。

しかし、説教は教師だけで成り立つ働きではありません。「御言葉を宣べ伝えなさい」という命令は、教師だけではなく、教会全体に与えられた命令として受けとめるべきです。説教は、それを聴く人がいなければ、独り言です。言葉はコミュニケーションにおいて成り立つものです。一方通行ではありません。

「しかし、あなたは、どんな場合にも身を慎み、苦しみを耐え忍び、福音宣教者の仕事に励み、自分の務めを果たしなさい」(5節)。これも教師だけの話にしてしまってはなりません。教師だけが身を慎み、教師だけが苦しみを耐え忍び、教師だけが福音宣教者の仕事に励むのでしょうか。それは不健全です。

しかし、ここから先は役割分担です。苦労を押し付けあっても意味がありません。互いに協力しましょう。教師と教会が一致協力して御言葉を宣べ伝えましょう。私はまた12年後に船橋高根教会で説教させていただきます。そのときにまたお会いしましょう。その日までどうかお元気でお過ごしくださいませ。

(2015年7月12日、船橋高根教会主日礼拝、東関東中会講壇交換)

2015年7月11日土曜日

まもなくネット生活19周年

この平和がいつまでも続きますように
大昔に卒業した中学の定員が気になって調べた。2015年募集180人、2年前(2013年)200人。うち内部生(小学校から)2015年100人、2013年120人。私は内部生ではなかった。それって入試難易度高いほうだったってことじゃんと卒業後34年も経ってから気づく。抽選だけどね。

金曜ロードショー「おおかみこどもの雨と雪」を観て涙しながら、高校生が買ってきてくれた美味しいチーズケーキを堪能する。この平和がいつまでも続きますように。

来月ネット生活19周年を迎える。実感してきたのは、facebookを始めるまでは何を書いても誰からも何も言われなかったということだ。メーリングリストとブログ。たまに会う人に「読んでるよ」と好意的な言葉をかけてもらうことはあった。読んだ上で無言の人は、たいてい腹を立てていたらしい。

しかし、facebookも本当のところは分からない。「高速いいね」の方々は、内容を読んでいるわけではない感がかなり伝わってくる。同じようなことを私もしているときがあるので、文句を言っているのではない。ただ、親しい間柄の人の場合は、「読まずにいいね」は押してもらいたくない気もする。

「読まずにいいね」は一種の社交辞令かもしれない。「社交じれいーね」だな。相手との関係をとりあえずつないどこう、という。かつての年賀状みたいなものか。そういうのが悪いとは思わない。社交辞令も使えないだなんてガキだよと、おっさん的なことを言い放っておこう。社交じれいーね、いいね。笑。

にしても、返信が遅いとかの理由として「ネットを見るヒマがなかった」という言い方をする人がいまだに年配者に多い。いまだに、それ言われたり書かれたりするたびにがっかりする。「ネットはヒマな人のすること、ネットはヒマな人のすること、ネットはヒマな人のすること...」と脳内でリフレイン。

ネット生活19周年。何の意味があったかは分からない。何の意味もなかったことは分かる。評価を求めて始めたことではない。言いたいことがあっただけだ。すべてメモでもあり、下書きでもある。なのでネットに書いたことだけをもとに叩かれても困る。叩くなら論文のほうを(読んでから)叩いてほしい。

ツイッターで「リツイート、お気に入りは同意にあらず」と断っている方は多いが、facebookも「いいね、シェアは同意にあらず」の人はおられる。当然のことだろう。試験委員のような「いいね」も、かえってどうかと思うわけで。「採点いいね」。きみの記事はレベルC。D以下は落第。かなわん。

2015年7月9日木曜日

風前の灯


今日の午前中考えたことを、もう一つ書き残しておこう。

ネットで散見する言葉に八つ当たりしたいわけではない。しかし、かなり繰り返し見かけるのは「私はキリスト教を信じているのではなく、キリストを信じている」という言い分だ。見かけるたびに思うのは、「という信じ方ないし教え方をするタイプのキリスト教を信じておられるのだな」ということだ。

「教会には行ったことがある。だが、やめた。あのようなところには二度と行かない。いろいろ嫌な目に遭った。しかし、私は神とキリストを自分の心で信じている。それで十分だ。教会なる団体は私には不要だ」とおっしゃる方はあまりにも多い。そのような言葉を見たり聴いたりするたびに、耳も心も痛い。

ふざけているわけではないが、たとえば「教会」を「ケーキ屋」に置き換えたらどうだろう。「ケーキ屋には行ったことがある。だが、やめた。あのようなところには二度と行かない。いろいろ嫌な目に遭った。しかし、私はすべてのケーキを自分で作る。それで十分だ。ケーキ屋なる団体は私には不要だ」。

あるいは「理容室」はどうだろう。「理容室には行ったことがある。だが、やめた。あのようなところには二度と行かない。いろいろ嫌な目に遭った。しかし、私は自分の髪は自分で切る。それで十分だ。理容室なる団体は私には不要だ」。おそらく実はあまり違和感ない文章になっていると思うのは私だけか。

「教会」を「ケーキ屋」や「理容室」に言い換えてみていることに、ケーキ屋さんや理容室の方々、それらのお店に行く人/行かない人に対する揶揄やからかいの意図は全くない。むしろ逆で、よく似ているところがあると思いながら書いている。すぐ思い浮かぶ、かなり共通している要素が実際にあると思う。

「教会」と「ケーキ屋」と「理容室」の共通点としてすぐ思い浮かぶのは、「そのようなことはすべて自分でできる。それで十分事足りる。なのであなたがたは要らない。少なくともそんな団体は要らない」と言われれば、「なるほどそうかもしれませんね」と立ち去るしかない存在かもしれないということだ。

しかし...と、このあたりで話を終わるのがいつもの私のやり方なので、今回もそうする。キキーッ。「あれ?もう着いちゃった。もっともっともーっと話を聞きたかったけど、続きはまたね。ヒゲの隊長さん」「ははっ、お手柔らかに」「シーユー!」みたいな、とても嫌な終わり方だ。いつも申し訳ない。

「を信じる-人々の-団体」の必要性

胃薬の必要性

「を信じる-人々の-団体」というクッションがあるからこそ、うまくいけば主観性-人間性-一般性が出てきて、人にやさしいものになるはずだ。でも「うまくいけば…はずだ」とへんちくりんな断り書きをしなくてはならないのは、クッションの価値が正しく評価されないことが少なくないと思えるからだ。

人へのやさしさなんか要らないと言われてしまうことがあるのかもしれない。でもそうなると脅迫・恐喝のたぐいに近づく。「を信じる-人々の-団体」が正しく機能すれば、それはむしろ阻止できる。阻止できない原因は「団体」が存在すること自体ではなく、「団体」が本来の機能を果たせていないからだ。

「を信じる-人々の-団体」は苦手なのでそういうのを介さない直接的な関係のほうが気楽だという向きがある(少なくない)のは、全く理解できないとは思わないが、そこであとひとふんばりをお願いしたいところだ。主観性-人間性-一般性を「不純」とする潔癖感覚から離脱する必要があるかもしれない。

というようなことを今朝考えた。毎日よく眠れるので、朝だけはとりあえず調子いい。あと数時間もすれば「ああもう疲れた」という感覚に悩まされ始めるのだが。主観性-人間性-一般性は、たしかに疲れる。でもこの疲れこそが、「原液のままで飲むと胃がやける」ものを飲み干すためのクッションになる。

主観性-人間性-一般性は疲れる。しかし、その疲れが「原液のままで飲むと胃がやける」ものを飲み干すためのクッションになるとは、どういうことか。疲れを自覚している人は、一気飲みはしないし、できない。チビチビやる。無理やり一気に決着つけなくてはならない場合でも、せめて胃薬くらいは飲む。

芸術家、ないし芸術家タイプの人(揶揄の意図はない)は、何日も眠らず、何ヶ月も一日も休まず、ひとつの作品を造り上げたりする。文筆家然り、プログラマー然り。強靭な心身の持ち主なら、それやってもすぐ次の作品に着手できるかもしれない。しかし、そうでない人は、一つ仕上がるとしばらく倒れる。

そういう「一気」の集中力なしには、いかなる芸術も完成しない、かもしれない。だけど、そのような「一気」のやり方は人の心身を著しく壊す。そして、悪く行けば、その作品も一発屋で終わる。あとが続かない。それでいいのかと心配になる。「余計なお世話だ」と反発されるかもしれないが、あえて言う。

ファン・ルーラーの神学は日本ではいまだにほとんど評価されていない。その理由が私は分かる。この神学者は「を信じる-人々の-団体」の持つ主観性-人間性-一般性の価値と必要性を擁護し続けるからだ。それが彼の「聖霊論」の趣旨だ。彼の「聖霊論」は人間くさい。それが不純だと思われるのだろう。

しかし私はファン・ルーラーの人間くさい「聖霊論」を擁護する。それは「を信じる-人々の-団体」の価値と必要性を擁護する必要を痛感するからだ。最初からファン・ルーラーの神学を知っていたわけではない。彼の神学が「を信じる-人々の-団体」を擁護する神学だと分かったから支持することにした。

2015年7月8日水曜日

フィリピの信徒への手紙の学び 11

松戸小金原教会の祈祷会は毎週水曜日午前10時30分から12時までです

PDF版はここをクリックしてください

フィリピの信徒への手紙3・12~16

関口 康

この個所にパウロが書いているのは一つのことです。私パウロはまだゴールにたどり着いていないと言っています。走っている最中である。何ひとつ諦めないで、投げ出さないで、走り続けている。一等賞はもらっていないが、最下位でもない。決着はついていない。勝敗は決していない。

書かれていること自体は、パウロの人生を彼自身がそのようにとらえていたことを表わすものです。それは彼の人生観であり、自己理解です。人生とはレースである。スタートがあり、ゴールがある。その間をひたすら走り続けるのが我々の人生である。少なくとも私パウロは自分の存在をそのようなものとしてとらえていると言いたいのです。

人生の時間の長さは人それぞれです。客観的・時間的な意味で短かったと言わざるをえない人生もあり、他の人と比べて長かったと言いうる人生もあります。どちらのほうがよいと一概に言えない面もあります。人間的な言い方をすればイエスさまは「短命」でした。レースには短距離走も長距離走もあります。重要なことはスタートからゴールまで走り切ることです。すべての道を自分なりの力を尽くして走り終えることができたと自分で思えるなら、それでよいのです。

「既にそれを得たというわけではなく」(12節)の「それ」が指している内容が10節から11節までに書かれています。「わたしはキリストとその復活の力とを知り、その苦しみにあずかって、その死の姿にあやかりながら、何とかして死者の中からの復活に達したいのです」。

これは明らかにパウロの人生の究極目標です。しかし、それをパウロは遠慮がちに「何とかして…したい」と書いています。そのあとのパウロも遠慮がちです。「だから、わたしたちの中で完全な者はだれでも、このように考えるべきです。しかし、あなたがたに何か別の考えがあるなら、神はそのことをも明らかにしてくださいます」(15節)と書いています。

「このように考えるべき」(15節)の「このように」に、パウロがここまで書いて来たこと、とくに10節以下に記されている「わたし」の人生の目標の内容のすべてが含まれています。パウロの意図は明らかに、「わたし」の目標は「わたしたちの中で完全な者」のすべてにとっての目標でもあるべきであるということです。しかし、パウロはあなたがたには「わたし」とは「別の考え」もあるかもしれませんと続けます。私の確信をあなたがたに強制するつもりはありません。みなさん各自のご判断にお任せしますと言い出し始めるのです。

しかしパウロは、どれほど遠慮がちに書いているときでも、自分の信じていることに確信を持っていないわけではありません。すべてのキリスト者のみならず地上に生きる全人類が目標とすべきことはこれであると確信するものを持っています。それは四点あります。

第一は「キリストとその復活の力を知ること」です。

第二は「キリストの苦しみに与ること」です。

第三は「キリストの死の姿にあやかること」です。

第四は「何とかして死者からの復活に達すること」です。

これだけでは、ほとんど意味が分からないでしょう。しかし、ある程度までなら理解できそうなのは、第二と第三かもしれません。「苦しみ」と「死」は全人類の共通する事実であり、体験だからです。苦しんだことがない人はひとりもいませんし、死ぬことがないという人はひとりもいません。

しかしまた、書かれていることをじっくり読めば、パウロが書いていることは、わたしたちが各自の人生の中で体験するのと全く同じ意味の単なる苦しみや単なる死の話ではないように思えてきます。なぜなら、ここでパウロが書いているのは「キリストの苦しみ」だからであり、「キリストの死の姿」のことだからです。

「キリスト」とは歴史上に実在した人物です。パウロはこの方を真の救い主として信じています。その救い主であるお方が地上の人生において深く味わい続けた苦しみが「キリストの苦しみ」です。そして、この方が多くの人々の前にさらされた十字架上の死の姿が「キリストの死の姿」です。このキリストの苦しみに私も与る。このキリストの死の姿に私もあやかる。それが私の、そして私たちの人生の目標なのだと、パウロは語ろうとしています。

「与る」の意味は「参加すること」です。参加するとは、英語でパーティシペイト(participate)と言います。その意味は、パート(part)になること、役割を分担することです。全体の中の一部分を構成する要素になるということです。

このことがパウロの言葉にもそのまま当てはまります。キリストの苦しみにわたしたちが与るとは、誤解を恐れず言えば「キリストの苦しみの一部をわたしたち自身が受け持つこと」です。

もちろん、わたしたちはキリストではありませんので、キリストが味わわれたのと等しい苦しみをわたしたちが味わうことはできないし、そこまでのことはわたしたちに求められていません。

しかし、キリストの苦しみの一部分でも分け与えていただき、それを受け取り、味わうことを、わたしたちの光栄とし、誇りとし、喜びとする。それが「キリストの苦しみに与ること」の意味です。これは難しい話ではありません。キリストが苦しまれた理由をわたしたちは知っているからです。

父なる神の御心に忠実であり続けることにおいて、赦しがたい人類の罪を赦すことにおいて、助けを求める人々のもとを訪ね、力を尽くして助けることにおいて、わたしたちの救い主イエス・キリストは苦しまれました。「キリストの苦しみ」の内容は、イエス・キリストが現実社会の中で働いてくださり、世と人のために最善を尽くしてくださったことと決して無関係ではありません。

キリストは十分な意味で「労働」してくださった方です。そしてわたしたちもその意味での労働者です。教会の中で/教会を通して、さまざまな奉仕を行うことにおいて苦労があり、疲労があります。わたしたちが、教会の中で/教会を通して味わう苦労や疲労は、歴史の中で活躍されたわたしたちの救い主イエス・キリストから受け継いだものです。

たとえば、わたしたちが聖書を読んで理解すること、聖書に描かれているイエス・キリストが地上でなさったのと全く同じことを真似してみること(イミタチオ・クリスチ、キリストのまねび)だけでも一苦労です。

イエスさまは、安息日ごとに会堂で説教されました。多くの人の相談に乗り、悩みを聞き、問題を解決してくださいました。信仰に反対する人々と戦われました。集会を開くこと、団体を運営すること。それらすべてのことをイエスさまがなさいました。

それを今、わたしたちもしています。それらの苦労や努力も、十分な意味で「キリストの苦しみに与ること」です。教会活動に参加することによって、それが十分可能です。

しかしまた、それは単に、教会の中で/教会を通して、ということだけに限定すべきものではありません。教会の外へと出て行くこと、社会の中でキリスト者として生きること、奉仕すること、このこともまた、わたしたちにとっては多くの苦労を味わうことですが、やりがいのあることです。

(2015年7月8日、松戸小金原教会祈祷会)

2015年7月2日木曜日

戦争反対

文章とは関係ありません
「海が好きだから海が見える町に住みたい」と思っていたが、今はそうでもない。「都会の夜景が好きだから都会の夜景が見える高層マンションに住んでみたい」と思ったこともあるが、今はそうでもない。「お互いの顔を見ながら話せる通信機が欲しい」と思っていたが、手に入った今、あまり使っていない。

違憲状態選挙で選ばれた違憲状態議員あふれる違憲状態国会で、憲法学者の圧倒多数が違憲判定している違憲状態法案を「数の力」で可決しても違憲状態のままだが、それで戦地に行かされた若者の中に戦死者が出たら誰が責任とるのか。国葬にするとか言い出すかもしれないが「違憲状態国葬」とは何なのか。

フライングの誹りを免れそうにないが、今の政府の暴走を止められないなら「日本の戦後復興」を考えざるをえないのかという悲壮感が私の中にないとは言えない。また負けるだろうし、国民は地獄の底に落とされる。ダレトク戦争なわけで。戦中食とか食べたことないなあ。いざとなれば食べれるんだろうか。

他地域との「差」を言いたいのではないが、今「首都圏」に住んでいて感じることは、日本防衛軍(リネーム後の自衛隊)が「参戦」するや否や、いつ何が落ちてくるか、いつ何が炸裂し多大な死傷者が出るか、不安でたまらないということだ。最寄りの電車や地下鉄はかつて某教団にサリンをまかれた路線だ。

衆参議員会館と国会議事堂をつないでいるのは、地下奥深い通路。デモ隊がどれほど声を張り上げても聞こえない。大きなデモが行われている日に実際に通らせていただいて確認したことがあるので当てずっぽうではない。デモ隊もこの声が議員たちに聞こえているわけではないことくらい分かっているはずだ。

でも、もう無視しないほうがいい。私の中学時代の友人がかの文化芸術懇話会にいたようでヒットラーユーゲントなどと誹られている。誹るほうが悪いのではない。誹られるようなことをしている側の人々が悪い。友人の出世を我がことのように喜んでいた頃もなくはない。でも今は恥ずかしいとしか思えない。

天下国家を論じる場も力も知識も私にはない。法律も政治も経済も分からない。だけど人間として何が正しいか何が間違っているかは、少しは分かる。ひとりで考えているだけでなく、大勢の人と共に考えている。その結論として今の政府は「アウト」だ。政界をお去りいただき、若者がこの国を作りなおそう。

昼食は「サイコロステーキ丼」を作って、在宅研究日の大学生と2人で食べました。サイコロステーキはマルエツ4割引き大安売り。こんな美味しいの食べてたら戦中食に切り替えるのは無理だ。戦争反対。

2015年7月1日水曜日

私もカール・バルトの本を30年は読み続けてきました

私の書斎の「カール・バルトコレクション」です
いやべつにいいんですが、つい先ほどネットで面白い記事を見つけました。関口康批判です。おお、ついに、叩かれてナンボのアイドル並みになったか。まあ、でも、私だけでなく、他の人たちのこともぶっ叩いておられるようですから、少し安心しました。反論の意思はありません。白旗あげます。まいった。

ご自分のブログで、ものすごい長文で私を名指しで批判してくださった方は、全く存じ上げません。ネットから垣間見えるのは、キリスト新聞社から『全キリスト教、最後の宗教改革者カール・バルト』(2013年)という本を自費出版した人で、1947年生まれ(今年69)の人だということくらいです。

よく分かりませんが、カール・バルトのことをほんの少しでも批判的に言うと、この方のターゲットになってしまうようです。ロックオンされる。まあ、つまりは、バルトを「愛しちゃっている」というところだと思いますね。それはそれで私はぜんぜん構わないし、恩師への尊敬の念は尊いものだと思うので。

恩師の悪口を言うやつはゼッタイ許せん的な何かでもお感じになったのでしょう。まあでも、バルトの「存在」とバルトの「論理」は区別できなくちゃ逆に困ると思うんですけどね。私はバルトの「存在」をけなしたことはないですよ。少なくとも高いお金払ってバルトのほとんどの著作を買って持っています。

「読めば分かる」ということを言われるなら、同じ言葉をファン・ルーラーに関してお返ししたいです。「ファン・ルーラー読んでくださいね」と言いたいです。私がバルトの神学を理解できていないという批判は甘んじて受けますが、ファン・ルーラーはバルトを徹底的に読んだ人ですからね。もーなんだか。

上の写真は私の書斎の本棚の一部ですが、写っている「すべて」がカール・バルト「の」(of)または「についての」(about)の本です。ジャスト30年かかってやっとこれだけ集めました。買うだけならだれでもできると言われればそれまでですが。

バルトのことで思い出しました。ちょうど30年前です。学生寮で仲良くしていただいた先輩の修士論文の手書きの清書をお手伝いしたことがあります。テーマがカール・バルトに関することでした。また、その先輩の紹介で、吉永正義先生訳『カール・バルト著作集』の清書のお手伝いをしたことがあります。

私が清書のお手伝いをした『カール・バルト著作集』(新教出版社)は、第5巻「倫理学論文集」です。どの論文だったかまでは覚えていませんが、複数の論文でした。原稿の受け渡しついでに、吉永正義先生のお宅で行われていたバルト翻訳会にも何度かお邪魔しました。すべてちょうど30年前のことです。

1998年から2004年まで山梨県の教会の牧師をしていましたが、最後の2年間くらい、山梨市在住の日本基督教団隠退牧師のお宅で開かれていたカール・バルト研究会に出席させていただきました。また今は休会中ですが、私が呼びかけ人になってグループビデオ通話でカール・バルト研究会をしています。

しかし、なるほど私は「カール・バルト研究者」のような者では全くありませんし、むしろバルトの神学に対して過去30年にわたって疑問を感じ続けてきた者です。その意味では、私はたしかに、バルトに対する「愛」において、バルト研究に専念しておられる方の足元にも及びません。全く敬服いたします。

2015年6月30日火曜日

プリーズ・ウェイト

ゴジラ視線で見た東京(たぶん)
昨夜は重要な会議があったが、体調が思わしくなかったので、事前に連絡してお詫びしつつ欠席させていただいた。血圧が異様に高く、強い派生症状があった。血圧計の写真を添付した欠席届を送り、電話した。じっとしていればさほど問題はなかったのだが、会場まで無事にたどり着ける自信を持てなかった。

ご心配やらいろいろいただいてしまうと申し訳ないと思っているので、自分の不調をネットに書くことがほとんどない私であるが、お許しいただきたい。血圧上昇の原因は分かっているので、それが取り除かれれば復調する。単純な算数の問題だ。引き算するか、足し算するかの違いだけ。ご心配には及ばない。

めしはうまいし、よく眠れる。病院はかかっていない。それがダメだと言われるが、だって医者きらいなんだもん。それでも最近レントゲンとエコーでお腹見てもらったが異常なし。あとは売薬の頭痛薬と胃薬だけ。頭痛薬が続くと血圧が上がる。逆も然り。頭痛薬を減らせられる状況になれば、血圧は下がる。

しかし、頭痛薬はくせものだと感じる。最近ストレス耐性が弱くなった気がする。神経が前より細くなったというか。ついさっきも信号待ちしていたときに横をゆっくり走り抜けた救急車のサイレンの音が神経に障る。目をつぶって歯を食いしばって去りゆくのを待つ感じ。こんなこと前にはなかったと思うが。

話は突然飛躍する。私は前々から書いてきた。何年か前に若くして亡くなられた翻訳者/翻訳研究者の山岡洋一さん(『翻訳とは何か』著者)が改めて惜しいと思う今日このごろだ。今の状況にこそ必要な存在だったと思う。「翻訳」という独特の観点から日本の社会や教育の本質と課題を考え抜いておられた。

山岡先生によれば日本は明治政府以来、国策として「翻訳」を重んじてきた。選抜されたトップエリートの学生と学者に国が与えた仕事は「翻訳」だった。それによって日本人は、たとえまだ完全でないとしてもとにかく自分の母語で世界の名著を読めるし、日本語で世界水準の教育を受けられるようになった。

しかし、日本以外のアジアやアフリカの国は、日本ほど「翻訳」を重んじてこなかった。だから、それらの国ではトップエリートというほどでなくても最終学校歴を欧米の大学に求める人が多い。このあたりは山岡洋一さんが書いていたことか私の読み込みか、少し怪しいが、趣旨はこういうことだったと思う。

べつに私は負け惜しみを言っているわけではないつもりだが、山岡洋一さんの「翻訳」についての考えに強く感銘を受けた。ちょうどその頃だったはずだが、日本のテレビでハーバード白熱教室なる番組が始まり、サンデル教授の講義に接する機会を得た。そして山岡さんの考えが当たっていることが分かった。

サンデル教授とハーバードの学生たちのやりとりを聞いていて思ったことは、これ現地に行かなくてもできるよなということだった。プラトンやアリストテレス、カントやヘーゲルのような古典的な哲学書は日本語版が完備されている。あれを読めばいい。それで「サンデル超え」できる(いやそりゃ無理だ)。

もちろん日本語にはほとんど「翻訳」されたことがない学問分野はいまだにいくらでもあるので、源泉の地で学ぶことの意味を否定する意図は皆無だ。また、純粋かつ単純にハクをつけるためという目的もありだと思う。しかし、日本は「翻訳文化」を国策として選択してきた。そこに、他国との違いさえある。

私が言いたいことは、日本の大学は世界大学ランキングなど気にしなくていいと思うということに尽きる。プラトン、アリストテレス、カント、ヘーゲル、あと聖書、アウグスティヌス、ルター、カルヴァン、ウェスレー、バルトその他を日本語で十分読みうる。これ読んで理解できればサンデル教室と同格だ。

悪い意味の「対米従属」の片棒を担ぐ人々のプライドの根拠が現地の人とツーカーだということであるとしたら(本人たちに聞いたわけではないので想像の域を超えないが)、人脈力においては現地に行ったことがない者たちは彼らにたしかに敵わない。しかし、学術レベルの差まで言われると反発したくなる。

ああ、またちょっと血圧が上がってきたようだ。深呼吸、はふう。気忙しく働いておられる方々には申し訳ないことだが、今日はパソコンの前から離れて休ませていただくほうが良さそうだ。際限なき長寿を求めているわけではないが、しなければならないことがあと少しだけ残っている。プリーズ・ウェイト。

2015年6月23日火曜日

ターボ脳が欲しい

関口壱号機(赤)のデスクトップ
ターボっていうのがあったじゃないですか。今もあるのかどうか知らないけど。私、ターボ車、乗ってましたよ。1Q80年代後半、バブル絶頂期の東京のど真ん中で赤いシルビア1800ZSE-Xターボ。乗ってました乗ってました。いい車でした。今でも思い出すたびにちょっと涙出るほど最愛車でした。

あのターボを我々の脳みそにくっつけたい。あれって単純化していえば排ガスを利用してエンジンをブーストするんですよね。いや、もう、とにかくすごかったです。アクセル踏んだ次の瞬間、ピュンですからね。バックミラーに映っていたはずの後続車が一瞬で消える。ターボこそ加速装置の名にふさわしい。

排ガス利用っていうところが泣けるじゃないですか。要らないものを利用するという、ある意味で究極のエコ。だけど、それで爆走となれば、エコでもなんでもなくなるわけだけど。排気口からチャリンチャリンお金が落ちていく音が聞こえるようでした。燃費は最悪、金食い虫の悪い子シルビアちゃんでした。

いや、だけど、今書きたいのは車の話では全くなくて、脳みその話。「人類よ、もっと勉強せよ」の話。そのために脳みそにターボがあるといいなと思いました。「不要かもしれない大量に流れこんで出ていく無駄情報を利用して真に価値ある知識を増幅できるようにする」ような脳内加速装置があるといいな。

最近しきりに考えていることは、「ネットで発言し続ける凡人」と「ネットでは無言の偉人」のどちらがいいかだなんて、問うこと自体が無駄すぎるほど、前者「発言し続ける凡人」のほうが偉大である、というようなことです。ネット界にいったん足を踏み入れると溺れる。だけどそこであえて発言し続ける。

ネット内の言ってしまえば無駄すぎる情報世界の中に字を書いて、自分の小ささに一憂し、大きな溜息の「排ガス」で次の脳みそタービンを回せるようになったら「ターボ脳」です。そういうあり方を今の私は絶賛します。これから変化するかどうかはともかく、「今の」私は、そういうのが理想だと考えます。

学校で教えられたこと、各界の権威者の発言・書き物、常識や定説、上司から手渡されたマニュアルなど。そういうものの範囲内でいい子にして、おとなしく従っていれば金もらえるんだろという発想が悪いとは言わないし、思わない。だけど、そういうノルマ脳のタービンを「排ガス」でぶん回す必要がある。

ネットで失敗するとでかい。だけど、取り戻すのもネット使えばいい。ネットの人は、基本「指先動かしてるだけ」だから、ほとんど後腐れない。根に持たない。すぐ忘れる。そういう笑える人が多いので(私もそうよ)、ネットでの失敗なんか、ぜんぜん恐れる必要ないと思いますよ。すぐ取り戻せるからね。

「これ以上のことを考えたり、言ったりすることはタブー」とか、もうないと思うんです。だれがどう思うかが気になるので、これ以上のことは書けない。そういうふうに思うのは各自の感覚なのでそれ以上のことを強いることは誰にもできないわけだけど。身近な友人は失うかもしれないけど、それが何なのよ。

長くなったのでやめますが、「ターボ脳」に私は憧れます。そこで考えることをやめるなよ。もうひとふんばり考えてみろよ。人の批判をすることも、悪口言うことも、どうぞご自由に。そこに戸は立てられません。だけど、それも思考停止の一種ではないかと自分を疑ってみることも大切だと思うんですよね。

具体的に何かあって書いているのではなく、なんとなくぼんやり思い浮かんだことを忘れないうちに書きとめました。「特 定 の だ れ か へ の 当 て こ す り」(ゴゴゴゴ、ガラガラドカーン←カミナリの音)とかではないので、どちらさまもどうかご安心くださいますようお願いいたします。

来年が楽しみだ


2007年にオランダで刊行が始まった新訂版『ファン・ルーラー著作集』(dr. A. A. van Ruler Verzameld Werk)は第1巻(2007年)、第2巻(2008年)、第3巻(2009年)、第4巻(2分冊、2011年)が発売されたが、それ以降はストップしている。

しかし、朗報だ。なぜか第5巻をスキップして、第6巻が来年2016年出版。第5巻は「教会、終末」(De kerk en de laatste dingen)、第6巻は「文化、社会、政治、教育」(Cultuur, samenleving, politiek, onderwijs)だ。

しかも、ビッグニュース。来年出版される第6巻(文化、社会、政治、教育)は、第4巻(キリスト、聖霊、救済)同様、2分冊になるらしい。そして、スキップされる第5巻(教会、終末)は、なんと3分冊だという。第4巻発売の2011年から4年も待たされて、じれったかったが、3分冊なら大満足だ。

この勢いで行けば、新訂版『ファン・ルーラー著作集』が全巻完結する日には、ページ数においてカール・バルト『教会教義学』(約9千ページ)はおそらく軽く超える。有史以来のキリスト教教義学者の著作集として、規模において最大級のものになる可能性が出てきたと言えるのではないか。快挙の一言だ。

そういうわけで、来年(2016年)は、日本キリスト改革派教会創立70周年、東関東中会設立10周年、新訂版『ファン・ルーラー著作集』第6巻(2分冊)「文化、社会、政治、教育」の出版年だ。私は50(まだ49)だ。来年が楽しみであることは間違いないのだが、簡単にはたどり着けそうにない。

以上、ファン・ルーラー研究会の業務連絡でした。

(注意:研究会は昨年10月に解散しました。)