2015年6月23日火曜日

ターボ脳が欲しい

関口壱号機(赤)のデスクトップ
ターボっていうのがあったじゃないですか。今もあるのかどうか知らないけど。私、ターボ車、乗ってましたよ。1Q80年代後半、バブル絶頂期の東京のど真ん中で赤いシルビア1800ZSE-Xターボ。乗ってました乗ってました。いい車でした。今でも思い出すたびにちょっと涙出るほど最愛車でした。

あのターボを我々の脳みそにくっつけたい。あれって単純化していえば排ガスを利用してエンジンをブーストするんですよね。いや、もう、とにかくすごかったです。アクセル踏んだ次の瞬間、ピュンですからね。バックミラーに映っていたはずの後続車が一瞬で消える。ターボこそ加速装置の名にふさわしい。

排ガス利用っていうところが泣けるじゃないですか。要らないものを利用するという、ある意味で究極のエコ。だけど、それで爆走となれば、エコでもなんでもなくなるわけだけど。排気口からチャリンチャリンお金が落ちていく音が聞こえるようでした。燃費は最悪、金食い虫の悪い子シルビアちゃんでした。

いや、だけど、今書きたいのは車の話では全くなくて、脳みその話。「人類よ、もっと勉強せよ」の話。そのために脳みそにターボがあるといいなと思いました。「不要かもしれない大量に流れこんで出ていく無駄情報を利用して真に価値ある知識を増幅できるようにする」ような脳内加速装置があるといいな。

最近しきりに考えていることは、「ネットで発言し続ける凡人」と「ネットでは無言の偉人」のどちらがいいかだなんて、問うこと自体が無駄すぎるほど、前者「発言し続ける凡人」のほうが偉大である、というようなことです。ネット界にいったん足を踏み入れると溺れる。だけどそこであえて発言し続ける。

ネット内の言ってしまえば無駄すぎる情報世界の中に字を書いて、自分の小ささに一憂し、大きな溜息の「排ガス」で次の脳みそタービンを回せるようになったら「ターボ脳」です。そういうあり方を今の私は絶賛します。これから変化するかどうかはともかく、「今の」私は、そういうのが理想だと考えます。

学校で教えられたこと、各界の権威者の発言・書き物、常識や定説、上司から手渡されたマニュアルなど。そういうものの範囲内でいい子にして、おとなしく従っていれば金もらえるんだろという発想が悪いとは言わないし、思わない。だけど、そういうノルマ脳のタービンを「排ガス」でぶん回す必要がある。

ネットで失敗するとでかい。だけど、取り戻すのもネット使えばいい。ネットの人は、基本「指先動かしてるだけ」だから、ほとんど後腐れない。根に持たない。すぐ忘れる。そういう笑える人が多いので(私もそうよ)、ネットでの失敗なんか、ぜんぜん恐れる必要ないと思いますよ。すぐ取り戻せるからね。

「これ以上のことを考えたり、言ったりすることはタブー」とか、もうないと思うんです。だれがどう思うかが気になるので、これ以上のことは書けない。そういうふうに思うのは各自の感覚なのでそれ以上のことを強いることは誰にもできないわけだけど。身近な友人は失うかもしれないけど、それが何なのよ。

長くなったのでやめますが、「ターボ脳」に私は憧れます。そこで考えることをやめるなよ。もうひとふんばり考えてみろよ。人の批判をすることも、悪口言うことも、どうぞご自由に。そこに戸は立てられません。だけど、それも思考停止の一種ではないかと自分を疑ってみることも大切だと思うんですよね。

具体的に何かあって書いているのではなく、なんとなくぼんやり思い浮かんだことを忘れないうちに書きとめました。「特 定 の だ れ か へ の 当 て こ す り」(ゴゴゴゴ、ガラガラドカーン←カミナリの音)とかではないので、どちらさまもどうかご安心くださいますようお願いいたします。