2015年6月7日日曜日

「今どんな気持ち?」という問いかけに応えて

昨夜助けてもらったキットカット
アキバアキバ言うが私が大学生だった30年前(ついこないだ)は純粋に電気部品屋街だった。東京湾岸はただの海辺で、レインボーブリッジもお台場も高層ビルもなかった。大工事を敢行した人たちの努力を否定する意図で書くのではないが、わずか30年のイリュージョンを見ているだけかもしれないのだ。

私はイリュージョンにめっぽう弱い。目先の美しさや贅沢さにほぼ騙されてしまう。「騙されている」とかなり強引に認識しようとしている自己内抵抗勢力感は、むなしくも捨てがたいあわれな矜持のようなものではないかと思うので、無理に字にしないほうがいいくらいだが、それでもまあお許しいただこう。

数学が得意で「理系」選択者だった中学・高校の友人たちは、30年前の日本(岡山だが)でも、すでにかなりブリリアントな存在ではあった。彼らの何人かの「設計」した建物が今の東京湾岸(ベイエリア)をキラキラ飾っているようだ。皆さまのご活躍をお祈りしております。で、だから、へ、どうしたの。

建物に騙されるな、キラキラにだまされるな、イリュージョンはイリュージョンだ、永遠・永久に続くものではない。「絶対大丈夫」と言われた分厚いコンクリートもぶっこわれたではないか。それを見ただろ(テレビだけど)見ただろ(テレビだけど)見ただろ(テレビだけど)。いいかげん気づけよと自戒。

もう先々週か。5月30日(土)の小笠原諸島沖M8.5(!!)地震は首都圏の家庭をユランユランさせただけで終わってくれたが、それでも高層ビル系で「エレベータ内閉じ込められ事象」が多発した。さぞかし眺めがいい東京湾岸の「ちょーこーそービル」に今後も永住したい方々がおられるのだろうか。

勿論すべて人の生き方だ。どうぞご自由に。「低い地」に住んでいる我々は、それなりの生き方をさせてもらっとるわ。こちらもこちらで自由にさせてもらうんで、一切干渉せんでくれ。でも、こちらはこちらでけっこうおもしろいぞ。何万もする酒とか飲んだことないし、宴会三昧とかやったことないけどな。

ユダの裏切り

日本キリスト改革派松戸小金原教会 礼拝堂

マルコによる福音書14・10~21

「十二人の一人イスカリオテのユダは、イエスを引き渡そうとして、祭司長たちのところへ出かけて行った。彼らはそれを聞いて喜び、金を与える約束をした。そこでユダは、どうすれば折よくイエスを引き渡せるかとねらっていた。除酵祭の第一日、すなわち過越の小羊を屠る日、弟子たちがイエスに、『過越の食事をなさるのに、どこへ行って用意いたしましょうか』と言った。そこで、イエスは次のように言って、二人の弟子を使いに出された。『都へ行きなさい。すると、水がめを運んでいる男に出会う。その人について行きなさい。その人が入って行く家の主人にはこう言いなさい。「先生が、『弟子たちと一緒に過越の食事をするわたしの部屋はどこか』と言っています。」すると、席が整って用意のできた二階の広間を見せてくれるから、そこにわたしたちのために準備をしておきなさい。』弟子たちは出かけて都に行ってみると、イエスが言われたとおりだったので、過越の食事を準備した。夕方になると、イエスは十二人と一緒にそこへ行かれた。一同が席に着いて食事をしているとき、イエスは言われた。『はっきり言っておくが、あなたがたのうちの一人で、わたしと一緒に食事をしている者が、わたしを裏切ろうとしている。』弟子たちは心を痛めて、『まさかわたしのことでは』と代わる代わる言い始めた。イエスは言われた。『十二人のうちの一人で、わたしと一緒に鉢に食べ物を浸している者がそれだ。人の子は、聖書に書いてあるとおりに、去って行く。だが、人の子を裏切るその者は不幸だ。生まれなかった方が、その者のためによかった。』」

今日の個所に登場する中心人物は、イエスさまの十二人の弟子の一人のイスカリオテのユダです。ユダがイエスさまを裏切ったことはあまりにも有名です。聖書を読んだことがない人でも知っている話です。ユダといえば裏切り者、裏切り者といえばユダ。それくらいよく知られています。

ユダがしたのは、祭司長、律法学者、長老と呼ばれる人々と手を組み、協力することでした。彼が実際にしたのは、イエスさまを捕まえるために捜している人たちにイエスさまの居場所を教えるために、その人々が遣わした兵隊たちを先導してイエスさまがおられる場所まで連れて行くことでした。

その裏切りによってユダが得たのはお金でした。マタイ福音書によると、祭司長たちに金銭を要求したのはユダ自身でした。「そのとき、十二人の一人で、イスカリオテのユダという者が、祭司長たちのところへ行き、『あの男をあなたたちに引き渡せば、幾らくれますか』と言った」(マタイ26:14-15)。

ユダに対する祭司長たちの答えも、マタイ福音書に書かれています。「そこで、彼らは銀貨30枚を支払うことにした」(マタイ26:15)。なぜ銀貨30枚なのかは聖書に記されていませんが、当時の奴隷一人分の値段が銀貨30枚だったと言われます。理由はおそらくそれであると思われます。

しかし、銀貨30枚にどれくらいの価値があったのかははっきりとは分かりません。ある説明によれば今の100万円くらいだそうです。ユダとしては、ある程度まとまったお金であると言えそうです。しかし、視点を換えて言えば、祭司長たちはイエスさまに100万円の値札を付けたということです。

そして、ここで重要なのは、その具体的な金額を決めたのは祭司長たちであって、ユダが要求した金額ではなかったという点です。もしユダが「銀貨30枚をください」と要求したのであれば、イエスさまの命の値段を決めたのはユダ自身であったことになりますが、そうではありませんでした。

しかし、このときユダがある程度まとまったお金を欲しがっていたということは否定できません。そのことはヨハネ福音書を読めば分かります。先週わたしたちがマルコ福音書で学んだ、イエスさまにナルドの香油を注ぎかけた女性の話が、ヨハネ福音書12章にも記されています。その中に、なんとユダが登場します。

ヨハネは、イエスさまにナルドの香油を注ぎかけた女性がマリアだったことを明らかにしています。このマリアはベタニアに住むマルタの妹、ラザロの姉でした。そして、そのマリアに「なぜこの香油を300デナリオンで売って貧しい人々に施さなかったのか」と言ったのがイスカリオテのユダでした。

そして、ヨハネは次のように記しています。「彼がこう言ったのは、貧しい人々のことを心にかけていたからではない。彼は盗人であって、金入れを預かっていながら、その中身をごまかしていたからである」(ヨハネ12:6)。これで分かるのは、ユダは金入れを預かる会計担当者だったということです。

しかし先週学んだ個所に記されているのは、「この香油は300デナリオン以上に売って、貧しい人々に施すことができたのに」と言ったのは「そこにいた人の何人か」(14:4)であり、ユダ一人が言ったことのようには記されていません。ですからわたしたちは、両方を合わせて考える必要があります。

それはつまり、ナルドの香油をイエスさまに注ぎかけた女性を非難した「何人かの人たち」の中にユダが含まれていたということです。先週私が申し上げたのは、彼女を責めた人々の言い分にも一理あるということでした。しかし、ユダは別です。彼にはやましいことがあったのです。

ユダは弟子たちから預かっている金入れの中身をごまかしていました。その帳尻を合わせるためにお金が必要でした。彼がごまかしていた金額は分かりません。もしかしたら300デナリオン(約300万円?)だったかもしれません。銀貨30枚(約100万円?)では足りなかった可能性があります。

ですから、ここで考えられるのは、ユダが、不正が発覚しないようにするために帳尻を合わせようとしていたということです。そのために、「ナルドの香油を売ればよかった」と言ってみた。しかし、それは失敗した。それでついにイエスさまを売ることにしたということです。

おそらくユダは、イエスさまがいなくなってくれれば、いやもっとはっきり言えば死んでくれれば、自分がしている不正のすべては有耶無耶になるだろうというようなことを考えていたのです。なんと浅ましい。なんと卑劣。弁護の余地がありません。

しかし、彼がごまかして開けてしまった会計上の穴が、イエスさまを売ることで得た銀貨30枚程度で埋まるものだったかどうかは分かりません。その穴はもっと大きいものだったのではないかと私は思います。結局ユダは、最後は自分で自分の命を絶ちます。彼が犯した不正のすべては藪の中です。

お金が人を狂わせる。それはいつの時代でも同じです。しかし、決して誤解すべきでないことは、すべての会計担当者が不正を犯すわけではないということです。忠実で良心的な人はたくさんいます。

そしてわたしたちが忘れてはならないのは、ユダを十二人の一人に選んだのはイエスさまであるということです。彼に会計の仕事を任せたのもイエスさまです。そのことは聖書には記されていませんが、そうだとしか考えようがありません。任命権者はイエスさまです。最終責任者はイエスさまです。

その意味では、もしユダが、自分の犯した不正をイエスさまに正直に打ち明け、その罪を深く悔い改めることができたとすれば、イエスさまはユダを必ず赦してくださったに違いないのです。あなたを弟子に選んだのも、お金を預けたのも、その責任は私にあるということを認めてくださり、一緒に解決策を探してくださったに違いありません。

しかし、それがユダにはできませんでした。最悪の道を選びました。イエスさまを銀貨30枚で売り渡しました。ユダが祭司長たちとそのような打ち合わせや約束をしている現場を、イエスさまが目撃なさったわけではありません。しかし、イエスさまはユダの心を見抜かれました。イエスさまの目は節穴ではありませんでした。

それは「除酵祭の第一日、すなわち過越の小羊を屠る日」のことでした。弟子たちがイエスさまに「過越の食事をなさるのに、どこへ行って用意しましょうか」(12節)と言いました。すると、イエスさまはかなり細かく具体的な指示を出されました。弟子たちが行ってみると、ある建物のある部屋にその準備が整っていました。

そのような部屋があることをなぜイエスさまがご存じだったのかは記されていませんが、理由を想像するのは難しいことではありません。イエスさまがエルサレムに来られたのは初めてではありません。幼い頃から両親と共に毎年のように行かれていました。イエスさまはエルサレムをよくご存じだったのです。

それにイエスさまは、何の計画もなしに、行き当たりばったりで、エルサレムまで来られたわけではありません。むしろ綿密な計画をもって来られました。神殿の境内の商人たちを追い出したことも、急に不愉快になって、怒りに任せて当たり散らしたわけではありません。すべては計画どおりでした。

そのように考えれば、過越の食事の席が整っている部屋があるということをイエスさまが弟子たちに教え、我々のために食事の準備しなさいとお命じになったことは、それほど不思議なことではないし、驚くべきことでもありません。

そしてイエスさまと弟子たちがその部屋に行き、過越の食事が始まりました。その席でイエスさまがユダの裏切りをはっきり指摘されました。「はっきり言っておくが、あなたがたのうちの一人で、わたしと一緒に食事をしている者が、わたしを裏切ろうとしている」(18節)。それはユダのことでした。

弟子たちは心を痛めて、「まさかわたしのことでは」と口々に言いました。すると、イエスさまは「十二人のうちの一人で、わたしと一緒に鉢に食べ物を浸している者がそれだ」(20節)と言われました。今いちばん近くにいる、少なくとも外見上は最も親しい関係にあるように見えるこの人が裏切る、と。

そしてイエスさまは続けて言われました。「人の子は、聖書に書いてあるとおりに、去って行く。だが、人の子を裏切るその者は不幸だ。生まれなかった方が、その者のためによかった」(21節)。このようにイエスさまが言われたことの意味は、御自分の死もまた計画どおりであるということです。

ただしそれは聖書に書いてある計画です。神の計画です。神はメシアを世にお遣わしになりました。そして神は、メシアを十字架につけることによって、全人類の罪の贖いを行われました。そのような神の人類救済計画を実行するために、メシアであるイエスさまがエルサレムに来られたのです。

そのことをイエスさまははっきりと自覚しておられました。ですから、イエスさまにとってユダの裏切りは、父なる神御自身の計画の中で定められたことであると信じておられました。それは考えれば考えるほど凄まじい話なのですが、イエスさまはユダの存在と彼の裏切りを間違いなくそのようにご覧になっていました。

ですから、イエスさまの最後の言葉は、ユダへの呪いではなく、むしろ憐れみです。神の人類救済計画の中でメシアが十字架につけられるために弟子の一人がメシアを裏切る。その不幸で残念な役割を与えられたユダは、イエスさまの目からご覧になれば、憐れみの対象以外の何ものでもありません。

これとは別の道はなかったのでしょうか。だれもメシアを裏切らない、ユダのような不幸な存在が登場しなくて済む、もっと明るくてみんなが幸せになれるような道はなかったのでしょうか。それは今さら問うても仕方がないことかもしれません。その問いに神は沈黙されたままです。

(2015年6月7日、松戸小金原教会主日礼拝)

2015年6月5日金曜日

パソコン修理の「真の」理由

ブートのたびにカラー画面が出るマザーを使うのは初めてだ
一昨日マザーボードとCPUを交換して蘇生させたパソコン用のDDR3メモリが本日届いた。代金引換で4,998円。マザーとCPUと合算で15,702円。これで5年はもつ。年3,140円なら安い。マザーは「ミリタリークラス」(ブート画面がカラー)、CPU(セレロンデュアルコア)は爆速。

ただし、誤解されたくないので一点釈明させていただく。仕事そっちのけでパソコンいじりに興じていたつもりはない。「お時間がおありなのね」とか思われたくない。すべて正反対だ。たしかに私の「仕事」ではないが、死んでいた仕事道具を蘇生し、使えるようにした点は、ぜひ評価してもらいたいものだ。

私の仕事にどのように役立つのか。ひとことでいえば、現時点では避けることができない「家事と仕事の両立」のためパソコン修理が必要だった。「両立」の必要がなければ修理も必要なかった。そもそも「仕事」がないなら私にパソコンは要らない。引退と同時にネットを引退すると、かねてから言っている。

家事の大変さというのは、基本毎日しなければならないことにある。そんな当たり前のことでも、しなくては気づきもしない。「昨日こんなことをした」では済まない。同じことを今日もする、明日もする、毎日する。時間や負担感の比率でいえば「家事の合間に仕事をする」という順序であって、逆ではない。

でも、そんなことを言えば「おまえの仕事は片手間か」と言い出されることもある。それだけは言われたくない。片手間ででっちあげた仕事は、いまだかつてない。だけど、まず自分が生きなければ仕事はできない。せめて自分の家族を養い、必要な教育を与えなくては人様の助けになるようなことはできない。

ただ、今いる状況に固有の問題もあった。私の住居(「牧師館」と呼ばれる建物)と教会の建物が20メートルほど離れているため(車道を挟んだ斜向い)、家事と仕事の両立をするにしても、両方を同時進行させることが難しい。家事は牧師館、仕事は教会。これの同時進行をどうするかが私の課題であった。

その課題の唯一の解決策が結局インターネットだった。パソコンは「通信機」だ。通信「も」できるという次元はとっくに超えている。教会宛の連絡(とくにメールとビデオ通話)を(家事中の)牧師館でも同じように受け取るために、牧師館パソコンが私には必要だった。このたび修理したパソコンがそれだ。

そういう事情なので、私にとって「パソコン修理」は「家事」のカテゴリーに属することであるということを、ぜひご理解いただきたいと願っている。それは私の「仕事」ではないが、「趣味」でも「マニア」でもない。このたび蘇生した「牧師館パソコン」は家事と仕事を両立させるための最強の道具なのだ。

さてさて、こんなことを書いているうちに洗濯終了を知らせるアラームが鳴る。はいはい了解。これから物干し。そのあと食器を洗ってから教会の書斎に戻る。そこから先は、悪いが私の自由にさせてもらう。教会の書斎でしかできないことがある。家事の片手間では決して書けない言葉がある。それも事実だ。

2015年6月3日水曜日

フィリピの信徒への手紙の学び 09

松戸小金原教会の祈祷会は毎週水曜日午前10時30分から12時までです
PDF版はここをクリックしてください

フィリピの信徒への手紙2・25~30

関口 康

今日の個所にパウロが詳しく書いているのは、エパフロディトのことです。男性です。年齢は不明ですが、想像できるのは若い人です。この手紙をパウロが書いているとき、エパフロディトはパウロのそばにいます。彼の姿をすぐ近くに見ながら、この手紙を書いているのかもしれません。

しかし、この人をパウロはフィリピ教会のみんなのもとに帰さなければならないと考えています。パウロの側から言えば、淋しいけれどエパフロディトとはそろそろお別れしなければならないという思いでしょう。エパフロディトはフィリピ教会の会員だからです。パウロを助ける役目を果たすためにフィリピ教会から送り出された人でした。そしてその役目を立派に果たしました。その彼をパウロとしてはいつまでも自分のところに引きとめておくべきではなく、フィリピ教会にお返しする責任があると考えているのです。

しかしまた、この話にはもう少し複雑な事情があります。エパフロディトはパウロを助けるためにフィリピ教会から送り出され、その任務を遂行する中で「ひん死の重病」にかかってしまいました。何の病気であったのかは記されていません。しかし、高い可能性として考えられるのは、その病気はエパフロディトが担った役割と関係していたということです。もしそうであるならばエパフロディトがかかった病気は何だったのかを考えるとき問うべきことは、彼はパウロのためにどんなことをしたのだろうかということです。

ヒントはこの手紙の中に二個所あります。第一は「彼は…あなたがたの使者として、わたしの窮乏のとき奉仕者となってくれました」(2・25)です。第二は「わたしはあらゆるものを受け取っており、豊かになっています。そちらからの贈り物をエパフロディトから受け取って満ち足りています。それは香ばしい香りであり、神が喜んで受けてくださるいけにえです」(4・18)です。

これでエパフロディトの果たした務めの内容が、ほぼ分かります。要するに、彼はパウロが伝道のためのお金や物資に行き詰ったとき、フィリピ教会のみんなから献金や献品を集め、それをパウロのもとまで持ち運ぶ仕事をしたのです。現実の教会においては非常に大切なことです。しかし気になることは、その働きがなぜエパフロディトをひん死の状態に追いやってしまったのかということです。

いつ病気にかかったのかという点で考えられることは、献金や献品をフィリピ教会で募るときではなさそうですので、その次の段階の、それをパウロのもとまで持ち運んでいるときであろうということです。それはとても長くてつらい旅だったのではないでしょうか。教会で預かった大切な献げものを抱えて、重い荷物をもって、海越え、山越え。体を張って盗賊から守り抜く。自分自身の不注意で落としたり無くしたりすることがないように常に緊張し続けている。

しかし、わたしたちが見過ごしてはならないのは、エパフロディトが果たしたその仕事の意義です。「教会も結局お金か」というような言われ方があるとしたら困惑するばかりですが、お金は大切です。昔も今も。伝道そのものがストップしてしまいます。どのような素晴らしいヴィジョンがあり、立派な計画があろうと何一つ実現しません。パウロの場合は、もし資金が途絶えてしまったら、伝道旅行は中断を余儀なくされたでしょうし、元いた場所に帰ることさえできなくなったでしょう。そのことをフィリピ教会の人々は十分理解し、何とかしてパウロを助けるために、彼らの力と思いを集めて、それをエパフロディトに託したのです。

そのことを熟知しているエパフロディトとしても、「わたしに奉仕することであなたがたのできない分を果たそうとした」とパウロが書いているとおり、まさに教会の委託と期待を一身に背負いつつ、自分に託された使命はイエス・キリストの教会の宣教を支えるために重要なものであるという自覚とプライドをもって、その仕事に熱心に取り組んだに違いないのです。

ところが、そのエパフロディトが、ひん死の病気になりました。そして、その情報がフィリピ教会の人々に伝えられました。そのことにエパフロディト自身が苦しんだのだと思います。私を信頼し、活躍を期待してくれた教会のみんなに申し訳ないという思いがあったでしょう。しかしまた、大切な任務を彼に託した人々の側からすれば、旅先で彼が病気にかかったという話を完全には信用しない人もいたに違いありません。大げさに言っているだけではないかと考える人もいたでしょう。あるいは「パウロに渡す」と言いながら横領したのではないかと疑われる可能性も。エパフロディトとしては、教会の人々からそのようなことを思われたり言われたりすることは責任上当然のことでもあるだけに(他人のお金を預かるとはそういうことです)、病気そのものよりもつらかったに違いないのです。

ですから、このように考えていきますと、今日の個所にパウロが書いていることの意図がだんだん分かってきます。パウロがエパフロディトの病状の重さについて「ひん死の重病」と書き、「死ぬほどの目にあった」と書いて同じ言葉を繰り返しています。このように書いてパウロが力説していることは「フィリピ教会の皆さん!エパフロディトは本当に病気にかかったのです!」ということです。

皆さん、彼を信頼してください。疑わないでください。彼についてあなたがたが聞いていることは、虚偽でも誇張でもありません。エパフロディトはあなたがたのところにいたときと変わらぬ忠実さをもって、自分に託された使命を立派に果たしました。彼のおかげで、あなたがたの献げものはわたしのもとに届きました。それによってイエス・キリストの福音は今なお力強く前進しています。

このようにパウロは、エパフロディトの潔白を証明するために、事実と真実をもって弁護しているのです。それこそが今日の個所におけるパウロの意図であると理解することができるのです。

私が考えさせられたことをいくつか列記します。第一は、パウロのような力強い弁護人を得ることができたエパフロディトは幸せであるということです。他人のお金を預かって管理する仕事をする人は、あらゆる疑惑や憶測、さらに中傷誹謗に至るまでを受けることが避けがたいからです。

第二は、わたしたちは、どんなことであれ、誰かがしていることや言ったことが真実であるか虚偽であるかを、どこかで聞いたような噂話や憶測のようなもので判断してはならないということです。

第三は、フィリピ教会の人々の前でエパフロディトの潔白を主張し、弁護するパウロのような人になれる人は幸いであるということです。

この個所の読み方として重要なことは、パウロが書いている「再会の喜び」の中身は、かつて教会員だった人と久しぶりに会うことができてああ嬉しい、というようなこととは全く違うことであるということです。何度も申し上げるようですが、この個所を読むときの大前提は、エパフロディトとは教会の人々のお金を預かってパウロのもとまで運ぶ仕事をした人であるということです。彼は教会の重大な責任を託された人でした。その信頼関係の歯車がおかしい状態になった。そのことをどのように解決するのかというテーマが裏側に隠されているのがこの個所です。

その解決策は単純です。真実を知っている人がきちんと弁護することです。また中立の立場にある審判者も必要です。もしどこかに弁護できない事実があるのなら、それを率直に示すことです。本人の反論や弁明の機会も確保されるべきです。そのようにして本人が説明責任を果たすことこそが重要です。それが教会にふさわしい解決策です。

(2015年6月3日、松戸小金原教会祈祷会)

2015年6月2日火曜日

「組織神学 白熱教室」が始まりました

昨夜からトータルで12時間以上かかりましたが、Windows更新がようやく終わりました。死んだパソコンをよみがえらせる作業は完了。プログラムは最小構成ですが、これで十分。洗濯物を干し終えましたので、これから午後の会議等に出かけます。
パソコンの修理が完了しました
今日の午後は東関東中会の教師会でした。開会礼拝では小林義信先生のよく分かる力強い説教で大いに鼓舞されました。小林先生ありがとうございます!
東関東中会教師会 開会礼拝(於 日本キリスト改革派湖北台教会)
東関東中会教師会は今日から新しい学びを開始しました。神戸改革派神学校前校長の市川康則先生の『改革派教義学 第6巻 教会論』(一麦出版社、2014年)を市川先生のご指導のもと読み始めました。「組織神学 白熱教室」です。東関東中会が熱い!
東関東中会教師会 勉強会(於 日本キリスト改革派湖北台教会)

パソコンを修理しました

マザーボードはmsi H81M-P33にしました
CPUはIntel Celeron G1840にしました

月曜の午後はパソコン修理。Vistaで買ったCore2Duo機が死んだのでマザーボードとCPUの取り替え。両方で税込10,704円。メモリが古いのは使えないと分かり、書斎の自作機からDDR3メモリを引っこ抜いて差しました。プラモです。

最低限の出費でと思い、Core2Duoはまだ生きているので、Core2Duoを差せるマザーボードをネットで探してみたのですが、古すぎて希少価値があるからか中古バルク品でも高いし、すぐ壊れても無駄になると悟り、思い切ってマザーボードもCPUも新品にしました。合計税込10,704円。

マザーボードはmsi H81M-P33にしました。ブートのたびに「ミリタリークラス4」(英語で)というカラー画面が出てくるので、それを見るたびに「品質は信頼するけど戦争反対!」と叫んでいます。税別4,612円(PC DEPO通販価格)。
http://jp.msi.com/product/mb/H81MP33.html

CPUはIntel Celeron G1840 (2M Cache, 2.80 GHz) にしました。税別4,800円(PCDEPO通販価格)。
http://ark.intel.com/ja/products/80800/Intel-Celeron-Processor-G1840-2M-Cache-2_80-GHz

これを書いている間も、修理したパソコンはWindowsが最新版になるまで自動アップデートしている最中。3ケタのアップデート件数があり、まずWindows7を7sp1にして、それからさらに、という流れなので時間がかかっています。いくつか更新に失敗して、またやり直しというのもあるし。

このパソコンは、これまでも自分で直しました。単純なつくりで、マザーボード、CPU、ハードディスク、CDROMドライブ、電源ボックスしかありません。電源ボックスは数年前に交換、ハードディスクは最近交換。それでも死にましたので、マザーボードが焼き切れたとしか言いようがない状態でした。

2015年5月28日木曜日

2015年5月28日

そして今日もひとりでお買い物。妻は宿直。


閉口箇所

教会で「世間」は学べます
学業のみ卒えて牧師になる者たちは「世間を知らない人たち」だと、教会の中で、たいていの場合ネガティヴに評価する向きがある。言わんとすることが分からないわけではないが、困惑は相当ある。私の話ではない。会議のような場所で一般論としてこういうことを平然と述べる人がいるので、閉口してきた。

そういう評価が教会に根強くあることを熟知する牧師志願者の中に、なかばその批判をかわすためのエクスキューズ目的で「何年か」回り道して、牧師になる人がいると思う。それが悪いわけではない。でも、気にはなる。「教会の外」を指す「世間」というのは、そんな「何年か」ごときで分かるものなのか。

学校もそうだ。高卒で神学部に入学し、卒業してすぐ牧師になれば、なるほど「つぶし」はきかない。このご時世、別の仕事をしながらでないと牧師を続けるのが難しいことも事実。その事情を熟知する人が「何年か」回り道する。だけど、そんな「何年か」ごときの副専攻できく「つぶし」が足しになるのか。

他人の生き方をとやかく言いたいわけではない。ただ、教会の中でも十分すぎるほど「世間」は学べるのだが、とは言いたい。他のどこよりタテ社会だったり、他のどこより手に負えない修羅場だったりする場合があるし、他のどこより慎重さを要する場合もある。それに、情報源に事欠くことは今はもうない。

しかし、そういうことよりもっと気になるのはやはり、そんな「何年か」ごときのエクスキューズ回り道で分かるような「世間」なのかという問題のほうだ。「何十年か」の人もいるだろうが、人生には年限がある。はっきり言うと語弊が出るが、「残り数年」で分かるような「教会」なのかと言いたくもなる。

「なめてる」「なめてない」というような低次元の話にはしたくない。言いたいことは、ひとつだけだ。教会で「世間」は十分学べる。神学部「しか」出ていないとか、牧師「しか」したことないとか、自分で言ったり人に言われたりするのは自由だが、現実はそんなに単純ではないのだが、と言いたいだけだ。

2015年5月27日水曜日

終末論的にユスラウメを味わいました

今日一日のハイライトをまとめました。緊迫のドキュメント。

今日は祈祷会終了後、ユスラウメをいただきました。私は初めてでしたが、さくらんぼのようで美味しかったです。

ユスラウメを食べたのは私は初めてでした
おひるは、BIGチキンカツ弁当をいただきました。「デイリーヤマザキ松戸小金原店」で買いました。美味しかったです。阿藤店長、ごちそうさまでした。

BIGチキンカツ弁当を食べました
午後は教会月報『まきば』と教会カレンダーの印刷作業でした。私は原稿を書いただけです。編集・印刷・紙折り・配布は、すべて教会の方々がしてくださいます。

教会月報と教会カレンダーができました

以下は『まきば』の巻頭言「今月の言葉」の全文です。

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松戸小金原教会月報『まきば』第420号(2015年5月31日発行)

巻頭言「今月の言葉」

「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。父だけがご存じである。気をつけて、目を覚ましていなさい。」
(マルコによる福音書13:32)

牧師 関口 康

イエス・キリストが再び来てくださり、神が世界を完成してくださる終末がいつであるかは誰も知りません。「何年何月何日が終末です」というデマに惑わされてはいけません。

それがいつであるかが分からないことがわたしたちの人生に緊張をもたらします。だからこそ、イエスさまは繰り返し「目を覚ましていなさい」と教えておられます。

しかし、わたしたちは、目を覚まして、緊張して、何をすればよいのでしょうか。「心配で夜も眠れません」「緊張しすぎて何もできません」ということになっては困ります。当たり前の日常生活を、神と教会に励まされながら、地味に地道にコツコツと営むことが大切です。

ある教会の牧師(故人)のおくさまから伺った話です。まだ若かった先生が在職中に亡くなりました。その数日前に、子どもさんが亡くなりました。二人の家族を続けて失いました。失意の中で何日も寝込んでしまったそうです。無理もないことです。

しかし、ある日、ふと我に返ったそうです。「洗濯をしなくちゃ。ごはん作らなくちゃ」。その思いで立ち直ることができました、と教えてくださいました。

日常生活は、ふだんはただひたすら面倒なだけかもしれません。しかし、失意の中にあるときは、日常生活こそが人を救います。

2015年5月26日火曜日

自伝を書く年齢ではないが

しつこいようだが学生時代はこういう車に乗っていた
実を言うと、ひとり暮らしをしたことがほとんどない。厳密に言えば、過去まもなく50年の人生で、1年だけある。大学生だった婚約者の卒業を待つ1年だった。私は四国、妻は東京。当時ネットがなく、電話は高いので、連絡に苦労した記憶だけが残っている。でも、いま書いているのは、別の話題である。

高校からストレートで東京神学大学に入学した。生後から高卒までの18年間は実家で過ごし、東京神学大学の6年間(大学院まで)は学生寮で過ごし、1年だけひとり暮らしの後、結婚して来年で25年になる。18+6+1+25=50。計算は合っている。子ども二人。いま大学生の男子と高校生の女子。

まだ過去を振り返って懐かしむ年齢に達していないという自覚くらいはあるのでウカツなことを書いて地雷を踏まないように気をつける所存だが、幸せだったかどうかを問われれば、「もちろん私は幸せだった」と照れながら当然のように答える。しかし妻子にはいろいろと辛い思いをさせてきた。申し訳ない。

facebookのプロフィールを書くと「住んだことがある場所」を自動的に表示してくれる。合計9個所。岡山県岡山市(出身地)→東京都三鷹市→高知県高知市→高知県南国市(ここで結婚)→福岡県北九州市→兵庫県神戸市→山梨県甲府市→山梨県甲斐市→千葉県松戸市(現在地)。引っ越しは疲れる。

これからどうなるかは分からない。古い考えなのかどうなのか、伝道者は神の召しに応えてどこでも行けるように固定資産を持たないほうがいいと信じてきたので、そういうものは全くない。地方教会の牧会が長く、大学や神学校の図書館が遠かったので、本だけは自前で抱えてきた。重いものは、それだけだ。

来年で結婚25年。最初の15年間は、家事というものをすべて妻に押し付けてきた。本当に申し訳ないことをしてしまっていた。その後、自分でもするようになり、子どもの弁当作りをした年もある。今では、だいたい何でもできるようになった。公共料金の支払いなどもすべて私がする。億劫でなくなった。

幼児の頃から運動が苦手で走るのが遅い。球技は特にひどく、前にまっすぐボールを投げることさえいまだにできない。幼稚園児の私についてのイラストだったはずだが、亡き伯母から「ずっとひとりで黙って本を読んでいるような子だった」と言われたことがある。当時の記憶はないが、さもありなんと思う。

はっきり分かるのは、私はうさぎではありえないということだ。ならば亀か。それも分からない。ゆっくりのろのろ歩いて来たことだけはたしかだ。シャーペン以上重いものを持ったことがないと豪語していた。今はシャーペンさえ持たず、指先でカチカチ音を鳴らしているだけ。絵に描いたような無芸大食だ。

ここで話が終わるほうが面白い気がするので、ここで終わることにする。