2010年12月6日月曜日
強い意志をもたなければ身がもたないネット
私のセッティングも悪いのですが、クラウド的なコンピュータの使い方を開始し、特にウェブメールを使うようになって以来、(途中の説明は省略します)どうしてもいくつかのいわゆる「ポータルサイト」(プロバイダ会社や検索エンジン会社のトップページの場合が多い)を開かざるをえず、そこに出てくるニュースはじめ、いろいろな情報を目にせざるをえなくなりました。
私の目的は、ただメールが届いているかどうか、ただそれだけ、本当にただそれだけをチェックしたいだけなのです。しかし、そこに至るまでの途中のプロセスの部分で、やれAKBがどうした、やれ尖閣ビデオがどうした、やれ海老蔵がどうしたと、やたら気が散る。迂回が起こりやすい。なかなか本来の目的に到達しない。
もちろん、「ポータルサイト」上の情報といっても、そこに出てくるのは各記事のタイトルだけですので、そのリンクをクリックしなければいいだけのことだと言ってしまえば、それまでです。しかし、情報提供者側の思惑としては何とかして開いてもらいたいのでしょうから、開かせよう、開かせようという思い余った扇情的な表現がどんどんエスカレートしていく傾向にありますので、見ているほうもつい引き寄せられ、引きずられそうになります。
そういうものを見てはいけない、関心を持ってはいけないと言いたいわけではないのです。何を見ようが、何を開こうが、その人の自由であり、自己責任です。また、ついでにいえば、いろいろな情報を知ること自体、見ること自体が「罪」であるわけではありません。知りうることは、知ったらよいのです。知るべきことを知らないことのほうが、よほど罪深い場合だってあります。
だから、あとはひたすら時間や体力との戦いです。もう一つは、お金はゼッタイ使わないというくらいの覚悟をすること。ネット上で課金されるものには近づかないこと。そこから先は地獄だ、くらいに思いこんでちょうどいいくらいです。
時間に関しては、この仕事を終わらせるためにあとどれくらいの時間が必要なので、その途中でどれくらいの無駄な時間を費やすことが許されていて、いま開いて見ているその情報への関心に費やす時間がどれくらいで、差し引きしてみて要するにそのような別の事柄に時間を費やしても最初に終わらせようとした仕事を約束どおりに(自分自身との約束を含む)終わらせることができそうかどうか・・・というようなタイムマネージメントを(ぼんやりしたようなものであってもいいので)しながらでないと、まさに「蟻地獄」の中にどんどん引きずり込まれていくような感覚があります。
体力に関しては、「休肝日」という表現が思い起こされます。この言葉の意味を知らない人は、もういないでしょう。「休ネット日」は、たぶん間違いなく必要であるはずです。私はこのことについて何の科学的根拠も知りませんが、ネットから脳神経系が受けるダメージは、アルコールから肝臓等が受けるダメージに匹敵するような気がしてなりません。
しかし、我々の「休ネット日」は、いつでしょうか。それは、パソコンのスイッチを入れない日のことではありません。携帯電話がネットにつながっているなら、携帯電話を持っている時点で、その日は「活ネット日」です。
2010年12月4日土曜日
「伝道」が「平和集会」を必然化する(再掲)
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■ 「伝道」が「平和集会」を必然化する
関口 康
再び東関東中会の話をさせていただきます。2009年2月11日(水)に「第一回東関東中会平和の集い」を行います。2006年7月に日本キリスト改革派教会の第六の中会として誕生したわたしたちの中会が初めて独自で企画する、画期的で記念すべき平和集会です。講師は袴田康裕先生、主題は「平和についての教会的一致のために~ウェストミンスター信条をもつ教会として~」です。会場は船橋高根教会、主催は東関東中会伝道委員会です。
中会伝道委員会が平和集会を企画すること。このことは東関東中会の中では当然のこととして受けとめられています。しかし、読者各位の中には、いまだに(「いまだに」です)このこと――中会の「伝道」委員会が「平和集会」というような社会的な問題に主体的・積極的に取り組むこと――に違和感を覚える方がおられるかもしれません。消極的な意見に接するたびに少なからず残念に思います。とはいえ、物事のイロハから説明することも「伝道」には避けがたいことですので、ため息をつくばかりで沈黙をもって受け流すような態度は、わたしたちには相応しくないでしょう。
単純なところから申せば、「わたしたちは誰に伝道しているのでしょうか」という問いをお考えいただけば自ずから答えが見えてくるでしょう。通常の理解では、すでにキリスト者である人々に対してわたしたちは「伝道」はしません。それはいまだにキリスト者ではない人々に対して行うことです。そう、教会の伝道の目的は(やや大上段にふりかぶって言えば)「人類と国家をキリスト教化すること」です。
「伝道」を使命とする教会の存在理由もまた然りです。わたしたちが願っていることは、今まで一度も教会の建物や交わりの中に足を踏み入れたことがなかったような人々を教会の中に招き、教会の教えや雰囲気、さらに伝統や文化の内容を理解していただき、それらに良い意味で「馴染んでいただくこと」です。小池正良引退教師のお言葉をお借りすれば「伝道とは異文化間コミュニケーションでもある」のです。
別の文化からわたしたちの文化(改革派的キリスト教文化)へと入ってくる人々がある種の違和感を覚えるのは、当然のことです。しかし、だからこそ、時間をかけて馴染んでいただく必要があります。教会の役割は、その人々の前で言葉を尽くして説明し、理解を求めることです。
しかし、そうは言いましても、この「馴染んでいただくこと」や「理解を求めること」が決して簡単なことでも単純なことでもないということを、わたしたちは体験的に知っています。もしそれが簡単で単純なことであるならば、日本伝道はもっとスムーズに進んできたでしょうし、今のような沈滞ムードに悩むこともなかったでしょう。そこで生まれてくる問いが「教会はもっと敷居を低くすべきではないか。社会問題などを持ち出してその判断を迫るようなことをするから教会に人が集まらないのではないか」というものであることも、わたしたちは知っています。ジレンマがあることは否定できません。
たしかに言えることは、人々が教会に求めるものは多様であるということです。ある人は教会に「地上の現実を越えた安らぎ」を求めますし、他の人は「地上の現実を生き抜く勇気」を求めます。しかし、です。ここから先がわたしたちの真骨頂です。問うべきことは「改革派教会」の選択肢は何かです。
それは、疑いなく後者です。わたしたちが教会に求めるべきは「地上の現実を生き抜く勇気」です。わたしたちは、天地万物を「はなはだ良きもの」(創世記1・13)として創造された神と、わたしたちを罪の中から救い出してくださる神は、同一の方であると信じています。その意味は、わたしたちをとりまく地上の現実がたとえ罪と悪に染まりきったものであると感じるものだとしても、「この世界は神が創造されたものである」という一点の真理ゆえに、神を信じる者たちは地上の世界に固く留まり続けるべきであり、かつこの世の中に満ち満ちている罪と悪の問題に正面から真剣に向き合うべきであるということです。創造者なる神への信仰が、わたしたちにこの世の中で生き抜くこと(地上の現実から逃避しないこと!)を強く要請すると共に、わたしたちのなすべきことを自覚させるのです。
「平和の問題」(そしてその裏側にある「戦争の問題」)は、この世界における罪や悪の問題のうちでも最も典型的で顕著なものです。この問題を扱うことが「伝道」に直結するのです。逆から言い直せば、「伝道」が「平和集会」を必然化するのだということです。
なるほど、ある国は「偽証してはならない」という神の戒めに逆らって立っているかもしれませんが、だからといって、神を信じる者たちがその国を徹底的に打ちたたくことにおいて「殺してはならない」という神の戒めに逆らうことが単純に許されてよいわけではありません。また、新約聖書の真理に立つ人々は「殺人を犯した人は必ず殺されなければならない」というようなことをストレートに語ることはできません。すべては複雑怪奇な問題です。しかし難しいことには近寄らないというのでは「それは逃避ではないのか」とのそしりを免れないでしょう。わたしたちが選ぶべきは判断中止による逃避でしょうか、それとも・・・どうすべきでしょうか。
もちろん、教会になしうることは、ごく僅かです。日本の教会は国民の少数派であり、その中の「改革派教会」はなおさらです。わたしたちの命すべてを投げ出したところで、大きなアクションを起こす力にはならないかもしれません。しかし、それが何でしょう。あきらめること、絶望することこそ、わたしたちが犯しうる大罪です。「できやしない」という声を聞いて立ち止まるくらいならば、わたしたちは、どんなに小さくても何かを行い続けるべきです。
私はつい最近、中部中会の『日曜学校教案誌』の小学生向け教案例に、「戦争しなければならない理由」を主張する人々の言葉に説得されそうになったときには「戦争してはならない理由」を一生懸命探して、それを大きな声で伝えましょうねと書きました。「みんなが賛成してくれるかどうかは分かりません。でも、皆さんの言葉に賛成してくれる人たちは必ず見つかります。その人々とぜひ協力してください」とも書きました。
これは、子どもたちだけに言いたいことではなく、すべての人に言わなければならないことです。勇気をもって、声を大にして!
2010年12月2日木曜日
まだ間に合うかもしれない
日本キリスト改革派教会ではお馴染みのアメリカ人神学者ルイス・ベルコフ(Louis Berkof [1873-1957])について調べる必要が生じましたので、Wikipediaの「ルイス・ベルコフ」を開いてみましたところ、そこに書いてあったことが(これまでの執筆者がたには失礼ながら)ほとんど内容の無いものであり、間違った記載も多かったので、かなり書き加えてしまいました。
それで、私は今日そのことを実は初めて認識したのですが、ベルコフがカルヴィン神学校の教授として初めて教義学の担当者になったのは、なんと彼が53歳(?!)のときだったようです。
年齢の話をしますといろんな方面に差し障りが出てくるかもしれませんが、でも、私はやはり驚きを隠すことができません。
今でも世界中で読み継がれ、その輝きを失っていない、あの名著『組織神学』(最初のタイトルは『改革派教義学』)の著者であるあのベルコフが、53歳まで教義学の担当者でなかったとは。
ベルコフのカルヴィン神学校教授としての最初の担当は聖書学であったということはカルヴィン神学校のホームページに記されていることです。それはずっと前に見たおぼえがあります。しかし、私がうっかり見落としていたのは、彼が聖書学を担当した期間です。ごく数年の短い間だけだったに違いないと、勝手に思い込んでいました。
ところが、それはなんと20年間でした。ベルコフが53歳になった1926年にやっと教義学の担当者となり、その仕事を71歳になる1944年までの18年間続けました。彼の神学校教授としての在任期間はトータルで38年間ですが、そのうちの半分以上は聖書学に携わっていたというわけです。
こういう事情ですから、もし仮に「ルイス・ベルコフは教義学者だったのか、それとも聖書学者だったのか」という問いを立てることができるとすれば、もしかしたら彼は後者、つまり「聖書学者」と称されるべき存在なのかもしれません。教義学者としてよりも、聖書学者としてのキャリアのほうが二年も長かったのですから。それが分かって、びっくり仰天した次第です。私一人が知らなかっただけかもしれませんが。
しかし、いちばん驚いたのは、今書いたことではなく、上に書いた点でした。彼が53歳まで教義学の担当者でなかった件。
そういえば、カール・バルトが『教会教義学』第一巻第一分冊を出版したのは1932年ですから、彼はすでに46歳だったはずです。ちなみに、私はいま(いまだに)45歳です。あ、いま、不覚にも「・・・ぼくも間に合うかもしれない」と思ってしまったじゃないですか!
私は、神学校のような場所ではいまだかつて一度も教えたことがありません。そういう場所や立場に興味を持ったことが全くありませんし、たぶんそういう仕事(とくに学内行政のような仕事)には全く向いていませんので、別に「教えてみたい」わけではありません。しかし、何らかの仕方での「教義学」の執筆ということについては、20台の頃から、かなり強い関心を抱いてきました。それで最初に取り組んだのが、ファン・ルーラーの翻訳でした。
もし私に何らかの「教義学」を書くことが許される日が来たら、それは日本の教会のほとんどの人が読んだことがないような新しいものでなければ意味が無い。でも、それは私の仕事ではないかもしれない。私はファン・ルーラーの翻訳だけで、しかもその途中で、ほんのわずかな断片だけを遺すだけで、人生が終わりになるかもしれないし、たぶんそうだろう。もしそうであるならば、私はファンルーラーだけに専念すればよいかもしれない。誰かにそれを読んでいただいて、その人に「教義学」を書いてもらうほうがよいかもしれない。
こんなことを縷々考えながらこの10年ほどを過ごしてきましたが、私はまだ、(えへへ)45歳です。ベルコフが組織神学の教授になる53歳まで、あと8年も残っているではありませんか。
こういうちょっとしたことで人は元気になるものです。最近、気が重い仕事が重なり、げっそりしていました。すでに53歳を過ぎている方々を落ち込ませるつもりはありませんが、「まだ間に合うかもしれない」という思いは、我々の人生にとって、元気に生きるために、(たとえ間に合わなくても)大事なものです。
「夢をあきらめるな!」と受験予備校のCMのような言葉づかいは、牧師のセリフとしてはどうかなあと疑問に思わないでもありません。しかし、自分の夢に何らかの(どんな小さなことでも)根拠を見出して、自分を鼓舞しながら生きることの意味が、このところ少しずつ分かりはじめたような気がしています。
2010年11月28日日曜日
なぜ私にキリストが必要か
ローマの信徒への手紙8・1~8
「従って、今や、キリスト・イエスに結ばれている者は、罪に定められることはありません。キリスト・イエスによって命をもたらす霊の法則が、罪と死との法則からあなたを解放したからです。肉の弱さのために律法がなしえなかったことを、神はしてくださったのです。つまり、罪を取り除くために御子を罪深い肉と同じ姿でこの世に送り、その肉において罪を罪として処断されたのです。それは、肉ではなく霊に従って歩むわたしたちの内に、律法の要求が満たされるためでした。肉に従って歩む者は、肉に属することを考え、霊に従って歩む者は、霊に属することを考えます。肉の思いは死であり、霊の思いは命と平和であります。なぜなら、肉の思いに従う者は、神に敵対しており、神の律法に従っていないからです。従いえないのです。肉の支配下にある者は神に喜ばれるはずがありません。」
今年のアドベントを、なんだか感慨無量で迎えることができました。今年もいろいろありました。もう忘れておられるかもしれませんが、そもそも今年はわたしたち松戸小金原教会の30周年でした。記念誌を発行したり記念礼拝をおこなったりしました。夏には会堂の外装工事がありました。T長老の大きな手術もありました。KさんやH長老も入院され、その後、退院されました。
いま挙げているのは、教会としての三つ、四つくらいの出来事です。わたしたちのそれぞれの個人としての出来事には、もちろんもっともっとたくさんのことがありました。しかし、次から次へと、いろんなことがあったのに、わたしたちはもう忘れてしまっているかもしれません。それは、わたしたちが忘れっぽいからではありません。すべてのことを神に感謝しているからです。神さまがすべてのことをしてくださったと信じることができたので、すっかり安心しているのです。もちろん苦しいこともありました。しかし神がわたしたちに苦しみに耐える力、苦しみを乗り越える力を与えてくださいました。今なお苦しみの中にある方がおられるでしょう。しかし、神がその方の心に希望と喜びを与えてくださり、今の苦しみを何とか乗り越えることができるように励ましてくださっています。だから、わたしたちは、悪い意味で引きずっているものは、何もありません。すべてが解決し、安心して、今ここに立つことができているような気がします。
「喉元過ぎれば熱さを忘れる」は、もっぱら悪い意味だけで用いられる諺であるようです。しかしわたしたちには、忘れてもよい苦しみもあるのだと思います。何もかも憶えていなくてはいけないのでしょうか。良いことや楽しいことならば、憶えていればいい。しかし、悪いことや苦しかったことまでいつまでも憶えていなくてもよいのです。どんどん忘れてください。忘れても構わないのです。
しかし、もちろんこんなことを私がいくら言いましても、皆さんは憶えておられることはいつまでも憶えておられるでしょう。だからこそ私は安心して「どうぞどんどん忘れてください」と言えます。私がこう言ったから皆さんが忘れるわけではないからです。私のせいにはしないでください。しかし良いことだけ、楽しいことだけを、どうぞ憶えていてください。悪いことや苦しいことは、どんどん忘れてください。そうすることがわたしたちに許されているし、そうすべきでもあるのです。
このように言いますと、開き直ったことを言っているというふうに思われてしまうかもしれません。そういう面も全く無いとは言えませんが、そういうことよりも、私が考えていることは、人間の心や体には限界があるということです。神さまがわたしたちを限界ある存在に造ってくださったのです。わたしたちの心や体はまるで、その中に入る分量が決まっている容れ物のようなものなのです。中に入ってくるものがある程度の量を超えると、溢れ出してしまうのです。それとも、わたしたちの脳は無限の大きさをしているのでしょうか。わたしたちの体は無限の力を持っているのでしょうか。そのようなことはありえない。すべての人に限界があるのです。
だからこそ「忘れてください」と言っているのです。どのみち限界があるわたしたちの心と体なのですから、悪いことや苦しいことばかりで一杯にしなくてもよい。外に出せるものは、どんどん出したらよいのです。もちろん、わたしたちには「忘れなさい」などと言われても忘れられないことが、体脂肪のようにたくさん詰まっているでしょう。しかし、だからこそわたしたちは、心のダイエットに真剣に取り組まなければならないのです。余分なものは、すっかり外に出してしまうことが必要なのです。
今日は何の話なのかが分からなくなりそうなので、そろそろ本題に入ります。今日の主題は「なぜ私にキリストが必要か」です。もちろんわたしたちはキリストが必要だと信じています。だからこそキリスト教を信じているし、教会に通っています。今さら問うほどのことではないかもしれません。しかし、今日考えたいことはその理由です。「なぜ」必要かです。あるいは、その事情についての説明です。だらだらやるつもりはありません。ワンポイントに絞ります。ここを押さえておいてほしいという一つの点だけをお話しいたします。
それが、今まで前段としてお話ししてきたことに、実は全部関係しています。いちばん大切な点は、わたしたちの心や体は限界ある容れ物のような存在であるということです。その中には良いものだけではなく、悪いものもたくさん詰まっているのですが、この容れ物自体にどのみち限界がありますので、悪いものは外に出してしまえばよいし、良いものだけが残るようにしたらよいのです。そうすることがわたしたちに許されていますし、そうしなければならないのです。
何を外に出すべきなのでしょうか。それが今日の聖書の個所に使徒パウロが書いている「肉の思い」(6節)です。「肉の思いは死であり、霊の思いは命と平和であります」(同上節)と記されています。「肉の思いに従う者は、神に敵対しており、神の律法に従っていないからです」(7節)とも記されています。ここで「肉の思い」の意味は「神に敵対する思い」です。つまり罪です。罪とは、神に敵対することです。神に背を向けることであり、神を憎むことであり、神の御心に反する生き方をすることです。それはわたしたちには許されていないことです。神に敵対する思いとしての罪はわたしたちの外側に出してしまわなければなりません。もしわたしたちが心のダイエットに取り組むとするならば、わたしたちの「罪」をわたしたちの存在の外側へと絞り出してしまわなければならないのです。
しかし、その次にすぐ出てくる問題は、それがわたしたちに可能かどうかです。「絞り出しなさい」などと言われてもなかなか出て行かないのが、わたしたちの罪です。ですから、わたしたちの心にはいつまでも葛藤が残ります。わたしたちの心の中に葛藤が残り続けること自体をパウロが責めているわけではありません。彼の中にも罪は残っています。「肉の思い」が残っています。しかし、それだけではなく、彼の心の中には「霊の思い」もあるのです。「霊の思いは命と平和であります」と記されています。「平和」の意味は「神との平和」です。それは「神に敵対すること」の反対です。敵対の反対は和解です。つまり、「平和」とは「神との関係が敵対関係ではなく、和解されている関係である」ということです。それは、神さまと私が仲良くなることです。神が私を心から喜び楽しんでくださることであり、私もまた神を喜び楽しむことです。神と私が仲良く一緒に遊ぶことです。
それは、わたしたちには可能なことです。神がわたしたちにそれを可能にしてくださったのです。神がわたしたちに何を可能にしてくださったのでしょうか。神に敵対する思い、神を憎む思いだけではなく、神を喜ぶ思いを持つことを可能にしてくださったのです。
それが、今日の個所に「キリスト・イエスによって命をもたらす霊の法則が、罪と死との法則からあなたを解放したからです」(2節)と記されていることの意味です。書かれていることの表現自体は難しいものですが、言われている意味は比較的単純です。パウロが言おうとしていることは、わたしたちの心と体との中に「霊」と「罪」が共存しているということです。しかし、ただ共存しているというだけではなく、「霊」あるいは「霊の法則」が、「罪」あるいは「罪と死との法則」よりもいわば分量的に勝っているということです。「霊」と「罪」が綱引きして、「霊」が勝利したのです。
そしてここで思い起こしていただきたいことが、わたしたちの心と体は、限界がある容れ物のような存在であるということです。無限の大きさを持っているわけではありません。「霊」が溢れるほどに豊かにわたしたちの存在を満たすならば、わたしたちの中で「罪」の占める割合は小さくなっていくのです。これは、わたしたちが小学校で勉強する足し算、引き算のようなものです。あるいは理科の時間で勉強する、ビーカーの中の濁った水のうえに澄んだ水を注いでいくと水全体がだんだん澄んでいくことにも似ています。ビーカーの容量の限界を超えた水は、外側にどんどん溢れて行くからです。もちろん、そのようにしても、どこまでいっても、完全な真水にはなりません。しかし全体としての濁りはどんどん薄まっていきます。そういうことが、わたしたちの心と体にも確かに起こるのです。
いま私は「霊」「霊」と言っていますが、ここでパウロが書いている「霊」の意味は、どう読んでも聖霊のことです。聖霊とは、わたしたちの存在の外側から内側へと注ぎこまれる存在であり、わたしたちの内側に宿ってくださる、あるいは住み込んでくださる存在であり、それは端的に神さまのことです。それは神の霊であり、キリストの霊でもあり、聖霊なる神のことです。「霊の思い」(6節)とは、聖霊なる神の思いであり、神のお考えであり、神のご意志、すなわち神の御心のことです。その意味での「霊」すなわち聖霊なる神のご存在が、わたしたちの心と体の中で「罪」と共存しているのです。しかし、聖霊なる神のご存在がわたしたちの存在の中で満ち溢れるならば、罪の占める割合は小さくなるのです。罪によって濁った心は、聖霊が注ぎ込まれることによって、だんだん澄んでいくのです。
たった今、私は「聖霊とは神の霊であり、キリストの霊でもある」と言いました。その意味を説明する時間はもうありませんが、一言でいえば、聖霊とは父なる神がイエス・キリストにおいてわたしたちに御自身の御心を伝える手段であるということです。その神の御心の具体的な内容は、「罪を取り除くために御子を罪深い肉と同じ姿でこの世に送り」(3節)というものです。「御子」はキリストです。つまり、パウロが書いているのは、神がキリストを「この世に送った」理由ないし目的です。それは「罪を取り除くため」であるというのです。
神がキリストを世に遣わされた目的は罪を取り除くことです。ただし、「取り除く」と言っても完全に無くなるわけではありません。いわば薄まること、または薄めることです。濁りきって飲めない水ではなく、なんとか飲める程度の水にすることです。私と神との関係が敵対関係であることをやめて和解されたものになり、仲良くなることです。神が私を喜び楽しんでくださり、私も神を喜び楽しむことができるようになることです。そのために、神は御子をこの世に送ってくださったのです。
なぜ私にはキリストが必要なのか。その答えは、「私が神を喜ぶことができるようになるため」です。私の心に「喜び」を増し加えてくださるために、キリストはお生まれになったのです。
(2010年11月28日、松戸小金原教会主日礼拝)
2010年11月27日土曜日
神学とは日本語である
それは他でいう「教区」とか「教団」の仕事のようなものです、といえば、一般的には少しは分かりやすくなるでしょう。牧師には、通常自分がそこに住んでいる場所としての「教会」の仕事もありますが、複数の「教会」が地域ごとに集まって作る包括的な組織としての「中会」や「大会」の仕事もあるのです。
いま書いた意味での「教会」の仕事をすると牧師は元気になりますが、「中会」や「大会」の仕事をするとぐったり疲れます。理由もだいたい分かります。中会や大会の仕事の大部分は「会議」だからです。
私は何が苦手かといって、とにかく会議が苦手なのです。だから疲れる。一日の終わりの疲労感が明らかに違います。
中会も、大会も、疲れるから大っ嫌いだぁ。あんなこと、好きでやってるわけじゃねぇんだよぉ。
��とか書くと、「会議軽視だ」とか言われて罷免された法務大臣のように、私もやられますかね)。
と、私がこういう愚痴をこぼしているときは、たいてい、「ボクはぁ、本当はぁ、ファン・ルーラーのオランダ語テキストをぉ、読みたいと思っているのにぃ、ちっとも読むことができないのはぁ、中会や大会のせいであってぇ、ボクのせいではないんですよぉ」と言い訳したりお詫びしたりしなければならないと思っているときです。
ファン・ルーラーを翻訳するための、まとまった時間が欲しいです。欲しいです。欲しいです。
しかし、教会の牧師ですから、教会の仕事を最優先することは当たり前のことです。しかし、私は「中会」や「大会」の仕事もしなくてはなりません。私は今、東関東中会の伝道委員会の責任者です。その者は、自分自身で伝道もしなくてはなりませんが、「伝道とは何か」を中会レベルで考える仕事もしなければなりませんし、「伝道とは何か」を中会レベルで考える仕事の場を作り出す仕事(講演会や研修会などの準備の仕事)もしなければなりません。
つい最近、ある方に書き送ったメールの中に「教会の牧師たちにとって、神学の季節は短いものです」と書きました。
日本キリスト改革派教会の場合、定期大会が年一回あり、定期中会が年二回あり、臨時の会議も複数回あります。しかし、そのような大きな会議の場を成り立たせるための(議案を構築していくための)委員会活動は年がら年中おこなっていまして、大きな会議が近づけば近づくほど集中力が求められ、疲労度が増します。他の仕事をすべて後回しにしてでも全くかかりきりにならなくては完成しないような緻密さを要求される仕事ばかりです。
ですから、大きな会議がおこなわれる前後の期間は「神学どころでなくなってしまう」という、私がいちばん嫌いな言い方をしなければならなくなるのが実情です。一年のうちから大会や中会の大きな会議が行なわれる前後の期間を除いていって、最後に残るのが、その牧師の「神学の季節」です。(ややこしいことを書きましたが、分かりました?)
この意味での「神学の季節」は、中会や大会での責任が重くなればなるほど、短くなっていきます。今の私は、たぶん一年の四分の一(3ヶ月)くらいが残っていれば、いいほうです。10年前は「たっぷり神学できた」のですが、今は違います。
しかし、神学は手を抜いてはなりません。はっきり言いますが、神学の大部分は翻訳です。そして翻訳は手を抜くと読者も訳者も地獄を見ます。時間をかけない翻訳ほど悲惨なものはありません。つまり「時間をかけない神学ほど悲惨なものはない」のです。
そして、私が最も重要なことだと思っているのは、このブログではお馴染みの翻訳理論家の山岡洋一氏の受け売りなのですが、「翻訳は日本語である」という点です。
翻訳の目標は「こなれた訳」ではありません。翻訳の目標は「日本語であるものにすること」です。それが日本語でなければ翻訳ではないのです。その訳者自身の頭の中で原文の意味を(その言語の文法に基づいて)百パーセント理解できていたとしても、翻訳された文章が日本語としては支離滅裂であるならば、「それは翻訳ではない」と判定せざるをえないのです。
だから大変です。山岡先生の受け売りですが、文学作品に出てくる登場人物のセリフとしてのI love you.の翻訳は「私はあなたを愛しています」ではありません。「私はあなたを愛しています」という言葉を日常生活で使う日本人を私は寡聞にして知りません。「私はあなたを愛しています」と、このとおりの言葉でプロポーズをした(された)人がいるでしょうか。臭いセリフであるという以前に、また「こなれた訳」であるかどうかという以前に、それは「日本語ではない」のです。
「原文のニュアンスを残しながらこなれた日本語に近づけていく」という離れ業を考える人がいますが、その努力は尊重するとしても、そのような努力を経て仕上げられた文章は、おそらく「日本語ではない」ので、つまりそれは「翻訳ではない」のです。
私がめざしている「翻訳」も、山岡洋一先生がおっしゃる意味での「翻訳」ですので、だから大変です。時間がかかります。
私にとっては「日本語でなければ神学ではない」のです。翻訳なき神学は存在しないからです。
つまり、「神学とは日本語」なのです。
2010年11月23日火曜日
しかし私は「カルヴァン主義者」です
「日々新しい言葉を語らなければならない」と信じている私は、その一方で、相当確かな意味で「カルヴァンとウェストミンスター信仰規準に固執している」者でもあります。要するに、私は「カルヴァン主義者」であると自覚しています。この枠組みの中には「創造から神の国まで」のすべてを論じる場(locus)が備えられているのですから、この枠組みに「固執」するときにこそ、この世界のすべてを自由かつ大胆に論じつくすことができるのです。
勘違いしている人たちは、この枠組みには広大な視野があるということを理解できず、狭く小さく切り取った何かだと思い込んでいるのです。
事実として、カルヴァンとウェストミンスター信仰規準が示した枠組みは「三位一体論的・聖霊論的視座」であり、それこそが、私が力を込めて取り組んできたファン・ルーラーの神学との親和性をも示す「歴史的改革派神学」の枠組みそのものなのであって、この枠組みを我々が守ることによってこそ悪い意味での「キリスト一元主義」、すなわち、まるで神は「子なる神」としてしか存在しえないかのような粗末で乱暴な議論、の狭さに陥らないための防波堤を得ることができるのです。
また、私がこだわっている「病床聖餐反対論」の根拠もウェストミンスター信仰規準への固執あってこそです。私は、病床聖餐を実際におこなっている人のことをとやかく言いたいのではなく、「私はおこなわない」と言っているだけなのですが、「なんじは病床聖餐をおこなわねばならない(must)」と強要されるときには、全面的に反対の態度をとります。とくに現在進行中の牧師不足の時代にあって、そうでなくても数少ない教師たちが(多大な時間が割かれる)病床聖餐のために「振り回される」ことは有害無益です。
いずれにせよ、私は、もし日本キリスト改革派教会が「カルヴァンとウェストミンスター信仰規準に固執すること」をやめるならば、教派存立の根拠を失うだろうと考えています。そのことを「カルヴァンが嫌った」かどうかは私にはあまり関係ないことです。「カルヴァンに愛されたい」とは思いませんので。
ところで、今日(火曜日)は、東関東中会の2010年度第二回定期会です。午前中におこなわれる付帯役員懇談会で「これからの中会形成 ~東関東中会伝道の緊急課題~」というテーマで、私が発題する予定です。その原稿が、つい先ほどやっとできあがりました。しんどいなあ・・・。
BAVINCK, Herman [1854-1921] (ヘルマン・バーフィンク)
カンペン神学校卒業後、ライデン大学神学部において1880年に神学博士号を取得した。学位論文のタイトルは「ツヴィングリの倫理学」(De Ethiek van Ulrich Zwingli)であった。フリースランドにあるフラネカーの教会にわずか一年間ながら牧師として仕えた後、1882年から1902年までカンペン神学校で教えた。
カンペンで教えている間にオランダ改革派教会(国教会系)の大分裂が起こった。バーフィンクはアブラハム・カイパー(Abraham Kuyper [1837-1920])をリーダーとする新しいオランダ改革派教会(Gereformeede Kerken in Nederlands)に移籍した。そして1902年から1921年に亡くなるまで、アムステルダム自由大学神学部におけるカイパーの後任者として、組織神学の教授であった。
政治への関心も強く、キリスト者たちの声を国会に届ける議員として活躍した。なかでも、1905年から1907年までは「反革命党」の(暫定)党首であり、また1911年には上院議長を務めた。
バーフィンクの詳細な伝記は、ここをクリックしてください。
バーフィンクの主著『改革派教義学』(Gereformeerde Dogmatiek)全四巻のオランダ語版全文が、ウェブ上に公開されています。
第一巻(1895年)
第二巻(1897年)
第三巻(1898年)
第四巻(1901年)
ENDEREN, Johannes van [1923-2004] (ヨハンネス・ファン・ヘンデレン)
ヨハンネス・ファン・ヘンデレンは、1923年4月13日、ハウダ(ゴーダ)に生まれた。
アペルドールンキリスト改革派神学大学(現「アペルドールン神学大学」)を卒業後、ユトレヒト大学で神学博士号を取得した。ユトレヒトにおける専攻は教理史であり、ヘルマヌス・ヴィトジウスについての学位論文を書いた。その後、ズットフェン教会に牧師として仕えた。そして、1954年から1993年までアペルドールンキリスト改革派神学大学の組織神学教授を務めた。
主要著作(年代順)
『信仰告白と神学』(Confessie en theologie - Kampen 1975)
『信仰と教会の連続性』(De continuiteit van geloof en kerk - Kampen 1977)
『契約と選び』(Verbond en verkiezing - Kampen 1983)
『賜物としての義認』(Gerechtigheid als geschenk. Gedachten over de rechtvaardiging door het geloof - Kampen 1988)
『改革派教義学概説』(Beknopte Gereformeerde dogmatiek (met W.H. Velema) - Kampen 1992)
『御言葉の規範に従って』(Naar de norm van het Woord - Kampen 1993)
『新しい天と新しい地』(De nieuwe hemel en de nieuwe aarde - Kampen 1994)
『教理史入門』(Orientatie in de dogmageschiedenis - Zoetermeer 1996)
『教義から頌栄へ』(Van doxa tot doxologie. In: Onthullende woorden. Opstellen aangeboden aan prof dr J. de Vuyst - Leiden 1997)
『ブルンナーと教会』(Brunner en de kerk. In: Om de Kerk. Opstellen aangeboden aan prof dr W. van't Spijker - Leiden 1997)
NOORDMANS, Oepke [1871-1956] (ウプケ・ノールトマンス)
1937年5月17日(聖霊降臨節第二主日)の青年礼拝での説教
関口 康訳
「キリスト・イエスによって命をもたらす霊の法則が、罪と死との法則からあなたを解放したからです」 (ローマの信徒への手紙8・2)
「同様に、霊も弱いわたしたちを助けてくださいます」(ローマの信徒への手紙8・26)
ペンテコステ(聖霊降臨日)は、お祝いの日です。
この日、わたしたちは、キリストはわたしたちをお見捨てになられたわけではない、ということを思い起こします。キリストは、わたしたちを助けに来てくださいます。
聖霊は、わたしたちをあらゆる真理へと導く助け主であり(ヨハネ16・13)、わたしたちが悲しんでいるときに励ましてくださる慰め主です。聖霊は、弱いわたしたちを助けてくださるのです。
主イエスは地上に来てくださいました。これが福音です。そして、天に昇られました。これが福音の終わりです。
今、わたしたちの助け、わたしたちの慰めは、どこに残っているのでしょうか。
それを知るのは、わたしたちがペンテコステをお祝いするときです。
わたしたちは、主イエスなしで、この地上に生きているわけではありません。主イエスは、わたしたちを孤児のままでおかれません(ヨハネ14・18)。それが喜びの知らせ、すなわち福音なのです。
わたしたちは、ここで、この世界の上で、ありとあらゆる力によって、丸裸のさらしものにされています。これでわたしが申し上げたいことは、主イエスは助け主として、わたしたちに福音を教えてくださるべきお方である、ということです。
主イエスは、わたしたちの目が見えないとき、見えるようにしてくださいます。
足が動かないとき、歩けるようにしてくださいます。
重い病のとき、きよめてくださいます。
悪の力にとらわれているとき、助け出してくださいます。
わたしたちが死ぬとき、よみがえらせてくださいます。
こうして、わたしたちは、今や何とか、最悪の人間と呼ばれなくて済んでいます。わたしたちが罪深い者であるとき、主イエスは、そこから救い出してくださいます。
主イエスは、そのことを、御自身の聖霊を通して行なってくださるのです。
わたしたちは、自分の頭で考えていることだけが起こりうることだ、と思い込むべきではありません。わたしたちの心の中に、別の考えが訪れることがありえます。
孤独の内に生きている人であっても、見捨てられてはいません。その人は、いかに生きるべきかを学ぶべきです。
人生は神の作品です。しかし、そうだと言い張るだけでは、まだ駄目です。そのことが、聖霊を通して、人に教えられなければなりません。
そのとき、わたしたちの命は、永遠の命になります。それが実現しないのであれば、そのとき、わたしたち人間は死んでいるのと同じです。無間の死を味わっているのと同じです。
それは、もっと古びてしまうことであり、もっと悪くなってしまうことです。それは、もっと悲惨になること、もっと醜くなることです。
そのような人生は、最も憂鬱な苦役です。そのようなことをさせるために、神は人間をお造りになったのではありません。ひとは、聖霊を受け取らなくてはなりません。そうでなければ、その人は、完成された人間とはいえません。
聖霊を受け取っていないとき、その人は、生きているのではなく、死んでいるのです。罪の赦しを与える聖霊だけが、わたしたちを、からだのよみがえりと永遠の命に、生かしめるのです。
聖霊は、今、地上に来られています。誰かがイエス・キリストを信じているなら、その人は聖霊を受け取っているのです。信仰とは、より高く、より新鮮な空気の中で呼吸することなのです。「目を上げ、心を高くあげよう!」 (賛美歌の歌詞)。
今や、聖霊がわたしたちに信じさせてくださることは、どのような事柄でしょうか。
わたしたちは、教会のメンバーとして、洗礼を受け、あるいは主の晩餐に与ることを許されている者として、使徒信条を持っています。
「われは、父なる神、イエス・キリスト、聖霊を信ず」と告白します。わたしたちは、まさに存在する何者かであるひとりの神を信じているだけではありません。そのようなことは、異教徒でも行っていることです。異教徒は、そのような神を探し求めています(使徒言行録17・27参照)。
わたしたちは、それ以上のお方を信じています。わたしたちの父なる創造者は、天地万物の創造者です。聖書によれば、主イエスは我らの贖い主です。これが福音です。
ペンテコステの聖霊は、わたしたちの慰め主です。これが使徒の働きです。
このようにして、わたしたちは、神を知るのです。聖霊は、そのことに基づいて、わたしたちに確信を与えてくださるのです。
第一に、主イエスのよみがえりがあります。もしキリストがよみがえられなかったとしたら、宣教は無駄であり、あなたの信仰も無駄になります(コリント一15・14)。
そこから聖霊が確信を与えてくださいます。ペトロはペンテコステの祝いの場で説教を行いました。聖霊は力強い論拠をお用いになります。それは、しばしば、確信の殻を叩き割る、あらゆる非日常的な論拠なのです。
そうです、あなたは、人生をとおして、永遠に向かって行かなくてはなりません。あなたは、両手・両足・五感を持つだけで、他は何にもないような人間ではありません。それらは、獣でも持っているものです。
あなたは、他のものを身につけなければなりません。あなたはキリスト教会のメンバーです。第二のアダムとしてのキリストは、あなたの先祖です。
聖霊は、あなたの弱さを助けに来てくださいます。そのとき人生は栄えるのです。霊の結ぶ実は、愛、忍耐、寛容、親切、信仰、柔和、節制(ガラテヤ5・22)。聖霊の賜物を持たない者は、落伍者です。
しかし、その人は、それらの賜物を、聖霊をとおして与えられていないわけではありません。聖霊の賜物は、他の被造物にではなく、まさに人間に与えられるものです。
信仰者も一人の人間です。希望、そして愛。聖霊の賜物に欠けているならば、枯れ果ててしまうのです。
BARTH, Karl [1886-1968] (カール・バルト)
カール・バルト[Karl Barth 1886-1968]は、スイス生まれのプロテスタント神学者。
父は、スイス改革派教会教師でベルン大学神学部教授のフリッツ・バルト。
カールは、ベルン大学神学部卒業後、ベルリン大学、テュービンゲン大学、マールブルク大学に留学。
教師候補者の資格を得て、ジュネーヴのドイツ語改革派教会副牧師に就職。
教師として任職された後、ザーフェンヴィル改革派教会牧師に就職。
ザーフェンヴィルでスイス社会民主党に入党。労働組合を支援し、工場経営者たちと対立。教会内で牧師排斥運動が起こる。
その後は教会の牧師としてではなく、大学教員としてゲッティンゲン大学(アメリカ長老教会の寄付に基づく改革派神学講座担当教授)、ミュンスター大学、ボン大学、バーゼル大学の各神学部で教鞭をふるい、弁証法神学運動、「ドイツ教会闘争」の理論的指導者となる。
バルトの書斎から生まれる著作の数々が、20世紀の神学的状況をリードし続けた(仕事中の写真)。
なかでも、多く版を重ねた主著『ローマの信徒への手紙注解』 (Der Römerbrief)と、9千ページ以上に及ぶ大著『教会教義学』 (Die Kirchliche Dogmatik) 全4巻(14分冊)は、あまりにも有名。また、「バルメン神学宣言」の執筆を担当した。
[オランダ改革派神学との関係]
オランダ改革派教会、とくにNederlandse Hervormde Kerk(国教会系)とGereformeerde Kerken in Nederlands(総会派系)の二大教団は、それぞれの内部で、バルト神学の受容をめぐって分裂した。
バルトの存命中、オランダにおいてバルト神学を強く支持したことで国際的に有名になった改革派教義学者は、国教会系(NHK)では、Th. L. ハイチェマ(フローニンゲン大学教授)とK. H. ミスコッテ(ライデン大学教授)である。
また総会派系(GKN)の教義学者G. C. ベルカウワー(アムステルダム自由大学教授)は、最初はバルトを批判する側に身を置いていたが、次第にバルト擁護の立場へとスタンスを変えていったことで知られる。
ファン・ルーラーは、フローニンゲン大学神学部在学中、ハイチェマ教授の下で教義学を学ぶうちに、いったんは「純血のバルト主義者」(本人談)となるが、在学中にバルト批判に転じ、その後は、オランダで最も有力なバルト批判者の一人に数えられるまでになった。