2010年12月6日月曜日

強い意志をもたなければ身がもたないネット

どう言ったらいいのか、インターネットはさながら蟻地獄のようなものです。あるいは、台風か大洪水か大地震。

私のセッティングも悪いのですが、クラウド的なコンピュータの使い方を開始し、特にウェブメールを使うようになって以来、(途中の説明は省略します)どうしてもいくつかのいわゆる「ポータルサイト」(プロバイダ会社や検索エンジン会社のトップページの場合が多い)を開かざるをえず、そこに出てくるニュースはじめ、いろいろな情報を目にせざるをえなくなりました。

私の目的は、ただメールが届いているかどうか、ただそれだけ、本当にただそれだけをチェックしたいだけなのです。しかし、そこに至るまでの途中のプロセスの部分で、やれAKBがどうした、やれ尖閣ビデオがどうした、やれ海老蔵がどうしたと、やたら気が散る。迂回が起こりやすい。なかなか本来の目的に到達しない。

もちろん、「ポータルサイト」上の情報といっても、そこに出てくるのは各記事のタイトルだけですので、そのリンクをクリックしなければいいだけのことだと言ってしまえば、それまでです。しかし、情報提供者側の思惑としては何とかして開いてもらいたいのでしょうから、開かせよう、開かせようという思い余った扇情的な表現がどんどんエスカレートしていく傾向にありますので、見ているほうもつい引き寄せられ、引きずられそうになります。

そういうものを見てはいけない、関心を持ってはいけないと言いたいわけではないのです。何を見ようが、何を開こうが、その人の自由であり、自己責任です。また、ついでにいえば、いろいろな情報を知ること自体、見ること自体が「罪」であるわけではありません。知りうることは、知ったらよいのです。知るべきことを知らないことのほうが、よほど罪深い場合だってあります。

だから、あとはひたすら時間や体力との戦いです。もう一つは、お金はゼッタイ使わないというくらいの覚悟をすること。ネット上で課金されるものには近づかないこと。そこから先は地獄だ、くらいに思いこんでちょうどいいくらいです。

時間に関しては、この仕事を終わらせるためにあとどれくらいの時間が必要なので、その途中でどれくらいの無駄な時間を費やすことが許されていて、いま開いて見ているその情報への関心に費やす時間がどれくらいで、差し引きしてみて要するにそのような別の事柄に時間を費やしても最初に終わらせようとした仕事を約束どおりに(自分自身との約束を含む)終わらせることができそうかどうか・・・というようなタイムマネージメントを(ぼんやりしたようなものであってもいいので)しながらでないと、まさに「蟻地獄」の中にどんどん引きずり込まれていくような感覚があります。

体力に関しては、「休肝日」という表現が思い起こされます。この言葉の意味を知らない人は、もういないでしょう。「休ネット日」は、たぶん間違いなく必要であるはずです。私はこのことについて何の科学的根拠も知りませんが、ネットから脳神経系が受けるダメージは、アルコールから肝臓等が受けるダメージに匹敵するような気がしてなりません。

しかし、我々の「休ネット日」は、いつでしょうか。それは、パソコンのスイッチを入れない日のことではありません。携帯電話がネットにつながっているなら、携帯電話を持っている時点で、その日は「活ネット日」です。