2010年4月16日金曜日

説教は説教者の意見表明の場でもある

誤解を避けるために付言しますと、私が二十数年来反発してきたことは「説教からの“人間的なるもの”の強制排除ないし禁止」という点だけです。

世代の問題がかかわるのかどうかは分かりませんが、ある人々は「私は・・・と思います」という言い回しを説教の中から一切締め出そうとし、常に「です」と言い切るべきであると主張してきました。「説教とは説教者の意見表明の場ではない」とか何とか言って、です。

しかし、それはとても不自然なことであり、無理があります。説教の根拠である聖書テキストは「我々にとっては」(pro nobis)何ら一義的ではないからです。

何ら一義的でない聖書テキストを解釈しながら、それがあたかも一義的に理解しうるものであるかのように自信たっぷりに「です」とだけ言い切る説教者たちは、私に言わせていただくと、要するにハッタリをきかせているだけなのです。

私は(かつても今も)この種のハッタリオヤジたちに嫌気がさした(または「さしている」)だけのことであり、それ以外の何も意図していません。

2010年4月15日木曜日

説教における神と人間の関係をめぐる問題群

今から二十数年前のことです。それは私が東京神学大学で学んでいた時期から日本基督教団の教師として働いていた時期にかけての頃ですが、当時繰り返し耳にした言葉の一つが、次のような言葉でした。



「説教者よ、あなたがたは神の邪魔をしてはならない。説教者自身は、神の言葉を取り次ぐ者として、通りよき管(とおりよきくだ)となり、空の器(からのうつわ)にならねばならない。ともかく、説教の中から“人間的なるもの”を徹底的に取り除かなければならない」。



そして、「説教からの“人間的なるもの”の除去」の例として、



・説教の中で説教者は「思います」とか「感じます」などと決して言ってはならない、とか、



・そもそも説教の中で「私は」と言ってもならない、とか、



・自分の証しのような話を一切持ち込んではならない、とか、



・道徳的な話をすべきでない、とか、



・政治や社会の話も、文学の話も一切持ち込むべきではない、など。



私はそういう話を聞くたびに、非常に違和感を覚えたものでした。はっきり言えば馬鹿らしくて聞いていられませんでした。「神学教師たちよ、牧師たちよ、あなたたち自身は『人間』ではないのか」と、問い返したくなるばかりでした。



それ以来、私の問いはますます深まり、今日に至っています。



最近流行のツイッターも140字のコミュニケーションです。ツイッターは私も試してみていますので悪口を言うつもりはありませんが、キャッチーな短いフレーズが蔓延する「独り言ブツブツつぶやき社会」(※)になってきたようです。



(※)ただし、稿を改めて言いたいことですが、私は最近「独り言の積極的意義」(positive significance of monologizing)を強調して語ってみたいと思うようになりました。



その中で、説教は、説教者は、どうあるべきかと考えさせられています。



「聖書はこう言っている。私はこう思う。でも、別の人はこう考えている。結論は、こうかもしれないが、ああかもしれない」と、ああでもない、こうでもないと、いろいろ苦悩し、思索し続ける説教が、あってもよいのではないか。



「結論だけ聞きたい人」は、イマドキ、教会なんか来ませんよ、と思っています。



2010年4月12日月曜日

批判のルール

他人を批判することについては、私なりのルールのようなものを持っています。こういうルールを持っている人間がいるというのは、特に珍しいことではないと思っています。多くの人が考えていそうことを、私も考えているだけです。

第一は、もし私が批判する相手がいるとしたら、それは常に「男性」であるということです。

第二は、必ず「何らかの責任的な職務に就いている人」であるということです。

第三は、(書き直しや言い直しが容易でない)紙媒体の文筆活動によって自分の思想内容を広く公表しており、その面で一定の評価を得ている、いわゆる(広義の)「公人」であるということです。

他方、

私は、「女性」と、「職に就いていない人」と、「私人」と、「(紙媒体に書かない)ブロガー氏たち」のことは、決して批判しません。

これらの人々を差別しているつもりはありませんが、批判はしません。無視しているわけでも読んでいないわけでもありませんが、どれほど違和感を抱いても、黙って読みます。何も言いません。


2010年4月9日金曜日

牧師たちよ、教会はあなたの私物ではありえないことをもっと自覚せよ

牧師が交代するたびに教会の方針がすっかり変わってしまうというのは、本当に躓きに満ちたことであり、教会にとって有害無益であると、私は考えています。それは――途中の議論を省いて言えば――要するに「牧師による教会の私物化」を意味します。



牧師たちよ、教会はあなたの私物ではありえないことをもっと自覚せよ。



このことは私の「信仰告白」に属する事柄であり、自分自身が牧師であることの召命意識に直接かかわる問題でもあり、言葉にするまでもなく当たり前のことに属する内容でもあるのですが、黙っているだけでは理解されない場合がありますので、事あるごとに表明しておきます。



ごく最近のことですが、別の教会(どこの教会かは分かりません)の方から「私の教会では伝統的に、葬式の中で弔辞を行っていました。しかし、現在の牧師に交代して以来、弔辞が禁じられるようになりました。牧師は『葬式は礼拝なので弔辞を行ってはならない』と強引に自分の言い分を通すばかりです。どうしたらよいでしょうか」(大意)というお尋ねをいただきました。



この質問への答えとして、満足していただけるかどうかは分かりませんでしたが、私は次のようにお答えしました。



私は、自分が赴任した教会が伝統的に行ってきたやり方を、基本的に踏襲します。



もしその教会の葬儀で伝統的に弔辞が行われていたとしたら、弔辞を行うことを妨げるように働きかけたりしません。



もしその教会の葬儀で伝統的に弔辞が行われていなかったとしたら、弔辞を行うことを奨励したりはしません。



いずれにせよ、「強引に自分の言い分を通す」というような方法を決して採りません。



葬儀の中で弔辞を行うかどうかについての聖書的根拠があるかどうかについて、私は「無い」と見ています。



聖書の観点から言えば、それは「どちらでもよいこと」に属することです。



根拠がもしあるとしたら、聖書ではなく、むしろ伝統であり、慣習です。



ただ、私にとってけしからんと思うことは、上記のとおり「牧師が(教会の伝統や慣習に著しく反する仕方で)強引に自分の言い分を通すこと」です。



その牧師が主張していることは、おそらくは、その牧師自身の出身教会のやり方であるというだけのことであったり、神学生時代に影響を受けた教師の受け売りだったりするに過ぎません。



つまり、私の申し上げたいことは、その牧師の主張のほうにも、大した根拠など無いということです。



貴方様は教会の役員でいらっしゃるのでしょうか、違うでしょうか。



もし役員でいらっしゃる場合は、「牧師が強引に自分の言い分を通すこと」を阻止なさるべきです。徹底的に話し合って、一致点ないし妥協点を見出されるべきです。



もし役員ではないという場合は、役員会に相談なさってください。その際、私の名前を出してくださっても構いません。



重要なことは、教会は牧師の私物ではないということです。牧師たちは、自分の仕えている教会のことを「自分の思いのままになる」と思った瞬間に、失格者となります。



2010年4月7日水曜日

『超訳 ニーチェの言葉』について

長男の高校の入学式がいよいよ明日に迫りました。この期に及んで親として最後に(?)何かしてやれることはないかと考えた結果、一冊の国語辞典を買ってやることにしました。それで、つい先ほどまで近所の書店まで出かけていたのですが、いろんな種類があって迷ったものの、まずはオーソドックスなもののほうが良いだろうと、『岩波 国語辞典 第七版』(岩波書店)に決めました。辞書の数は多ければ多いだけ言葉の微妙なニュアンスを読み分けられる根拠を得られるに違いないということは私なりに理解しているつもりですが、他の出版社のものは彼自身が苦労して買えばよいわけで、親が何から何までお膳立てすべきではないだろうと、ぐっと我慢した次第です。



辞書が決まったことで当初の目的は果たしたのですが、ついでにもう一冊と(これが誘惑なんだ)何かを買おうと見回したところ、書店入口に近い位置の平積みコーナーに、勝間和代さんたちの自己啓発系の本の隣に、『超訳 ニーチェの言葉』というタイトルの、黒光りする装丁の本が積み上げられていました。「へえ、面白そうだ」と数秒立ち読みした後、あまり迷うことなく、これを買うことにしました。



帰宅後、1時間ほどで全部読みました。何か書きたくなりましたので、Amazonのカスタマーレビューに以下の一文を載せておきました。タイトルは「わが子に読ませます」です。



『超訳 ニーチェの言葉』フリードリヒ・ニーチェ著、白取春彦編訳、ディスカヴァー・トゥエンティワン、2010年



わが子に読ませます



By 関口 康



カバーフラップにも書いてあったが、ニーチェは「牧師の子」である。だからどうしたと、取り立てて何かを言いたいわけではないが、わたし評者が牧師なので、うちの息子はニーチェと立場的に同じということになる。本書を初めて手にとり数ページをめくったとき、「ああ、これを息子に読ませよう」と思った。ヘイセイ生まれの長男とニーチェは150歳も離れているし、日本人とドイツ人の違いもあるが、牧師館(Pastorat)の中で生まれ育った先輩の言葉を、後輩がどう読むかを知りたいと思う。たぶんかなり共感しながら読むだろう。いや何、わたし自身がすっかり魅了されてしまった。白取氏の「超訳」にすっかり幻惑されているだけかもしれないが、とにかく本書(白取超訳)は名著だと思った。聖書の隣に並べて置くのは(いろいろ言われそうで)マズいかもしれないが、せめてルターやカルヴァンの本よりも目立つ所に置いておきたい本ではある。



2010年4月1日木曜日

書評 渡辺信夫著『カルヴァンの教会論』増補改訂版(2010年)

関口 康

「これこそが神学だ。」読了直後そう思った。晒す必要もない恥ではあるが、評者は大した読書家でも蔵書家でもない。渡辺信夫氏については、カルヴァン『キリスト教綱要』とニーゼル『カルヴァンの神学』の各日本語版訳者であられる他、数点の「小さな」著訳書を物してこられた方であると思い込んできた。『カルヴァンの教会論』(改革社、初版1976年)が渡辺氏の「主著」であるということを、このたび「増補改訂版」の帯を見て初めて知った。これほど分厚い書物とは全く知らなかった。初版には触ったこともない(ある古書店ではかなり高額で取り引きされているようだ)。しかし開き直ったことを言わせていただけば、評者とよく似た思いを抱いた方々は少なくないのではないか。非礼をお詫びしつつあえて字にすれば「埋もれた名著」。それが本書だと思う。

翻訳ではなく初めから日本語で考え抜いて書かれたものゆえに読みやすく筋が通っている。評者などが断片的に学んできたような知識が見事なまでに美しく整理されている。硬質の語調には半可通な読者を寄せつけない凄味がないわけではないが、学術的には国際水準を保ちつつ日本の信徒に語りかける努力をしておられるところは絶賛に値する。「『カルヴァンの教会論』と題しているが、これは私の教会論でもある」(325ページ)と明言しておられるように、著者のスタンスには確固たるものがある。この価値ある一書を21世紀の日本の教会と神学の真ん中に復活させてくださった渡辺氏と一麦出版社に感謝する。

ところで、評者はどこに「これこそが神学だ」と感じたかを申し上げたい。この思いは(必要以上の)称賛ではなかったし批判でもなかった。「神学とはかくあるべし」ではなかったし、「神学とは所詮このようなものだ」でもなかった。この微妙なニュアンスには説明が必要である。

言いにくいことであるが、おそらく著者はこの「増補改訂版」をもってしても本書に満足しておられないはずだ。その思いが端々から伝わってくる。本論は全20章で構成されているが、第2章から第6章までと第8章はいずれも梗概のみで終わっている。もっと詳論なさりたかったのではないか。増補改訂版のあとがきに「初版を書き始める際の最も強い動機」として武藤一雄氏や久山康氏から学位論文を書くようにとの懇篤な勧めをお受けになったときの思い出が縷々つづられている。渡辺氏は「自分は牧師のつとめに召された者である。学位はこのつとめにとって無関係と思う」という意味の返事をなさったが、熱心な勧めは已まなかったため、「その勧めに従うことになった」とある。このような経緯で書き始められたのが本書であるというわけだ。ところが本書のどこにも「これは学位論文である」とは記されていない。口幅ったい言い方であるが、要するにこれは「未完成の学位論文」ではないか。そのように明言されてはいないが、「察して頂けると思う」(331ページ)とある。

この場面で「神学の途上性」とか「断片性」とか「旅人性」というような議論を持ち出すのは、かえって失礼だろう。再録された第一版あとがきに正直な思いが吐露されている。「牧師が研究をすることには社会的には何の評価も援助もないから、心ある牧師たちは自己の生活を切り詰めることによって辛うじて研究費を捻出する。私もそのような牧師の一人であった。このことを今では幸いであると思う。なぜなら、教会に密着して生きることによって、教会というものが深く理解できたし、民間の研究者として、権力や時流から自由な立場でものを考えることができたからである」(324ページ)。

「これこそが神学だ」と私は思った。牧師でなくても神学はできる。牧師でないほうが完成できそうな作品も確かにある。しかし「教会に密着して生きること」なしに「教会を神学的に論じること」が可能だろうか。答えは否である。「神学すること」自体が不可能である。この事実を教えていただける本書を多くの人々に推薦したい。渡辺氏が据えた土台の上にレンガを積み上げて巨大なゴシック建築を完成させるのは誰なのか。それを知りたくて、うずうずしている。

(一麦出版社)

(書評、『本のひろば』2010年4月号、財団法人キリスト教文書センター、28-29頁)

2010年3月21日日曜日

松戸小金原教会の新しい宣教方針について

教会設立30周年以後の展望と課題を踏まえて



関口 康



PDF版はここをクリックしてください



はじめに



わたしたちは、2002年1月に小会で採択した「松戸小金原教会 21世紀初頭の宣教方針」を毎年の定期会員総会のたびに確認してきました。しかし8年前と現在とでは教会内外の状況が変わってきており、方針のより現状に適った軌道への修正が求められてきていること、また何よりも21世紀になって既に10年が経過し、「21世紀初頭」と呼びうる時期が終わりを迎えようとしていることなどから、わたしたちは新しい宣教方針の必要性を感じるようになりました。



そこで今年度内に三回予定している教会勉強会の共通テーマを「松戸小金原教会の新しい宣教方針について」に決めさせていただきました。私が願っていることは、三回の教会勉強会での学びや協議を経たうえで来年1月に開催する定期会員総会までに新しい宣教方針の原案を確定したいということです。そのために皆様にご協力いただきたく願っております。



とはいえ、私は、8年前に採択された現行の宣教方針には何一つ誤りはなく、ほとんど修正の余地がないほどの完璧さをもっていると考えています。ですから、「新しい」宣教方針を考えましょうと言いましても、実際には言葉遣いが変わっただけで、ほとんど同じことを繰り返しているにすぎないものになるだろうと予想しています。革命的な変化などは全く考えていません。わたしたちの教派の名称に革命(revolution)ではなく改革(reformation)という字があることは重要です。変えていくべき点があるとしても、革命的に根こそぎ変えてしまうのではなくて、従来の慣習を重んじつつ、徐々に改革していきます。それがわたしたちの教会の基本姿勢なのです。



さて最初にお願いしたいことがあります。副題を「教会設立30周年以後の展望と課題を踏まえて」としましたとおり、今日の話は未来志向で進めていきたいと願っております。しかし皆さんの中には「自分の10年後のことなど考えることができません。元気でいられるかどうかさえ」とおっしゃる方がきっとおられるであろうということは、私にはよく分かっています。しかし今日だけはそのような(暗い)話は、どうかお控えいただき、松戸小金原教会の将来についての夢を共に描いていただきたいです。そして、逆の言い方をお許しいただくと、松戸小金原教会を10年後にも、20年後、30年後、100年後にも「のこす」ためにはどうしたらよいのかについて知恵をお借りしたいと願ってもいます。



1、「教会形成の理念」の見直しについて



現行の宣教方針の「1、教会形成の理念」には次のように書かれています。



「(1)聖書に基づく正統的な信仰告白に立ち、宗教改革の歴史を正しく継承する改革派教会の形成と進展を目指す。
(2)主として北千葉地域に宣教の使命を覚え、近隣改革派教会と密接な連携のもとに伝道の責任を果たす。
(3)時が良くても悪くても、一貫した宣教の姿勢をとり、改革派教会として旗幟を鮮明にする。
(4)カルビニズムの諸原理に則り、社会的・文化的分野にも正しく適応し、キリスト教的土壌を豊かにする。」



ほとんど完璧です。私にはこれ以上のことは書けそうもありません。強いて付け加えることがあるとしたら、これらの理念が持っている言葉の響きはやや抽象的であるということくらいでしょうか。具体性に乏しいとまでは申しませんが、具体性の度合いと抽象性の度合いとを比較してみると、後者のほうが若干強く出ているというくらいです。



しかしまた、改めて読み返してみますと意外なことにも気付かされます。それは(1)から(4)までに繰り返されている言葉があるということです。それは「改革派教会」です。(4)に「改革派教会」という字は出てきませんが、「カルビニズムの諸原理」は事実上同じ意味です。この同じ言葉の反復の意味内容は明らかです。現行の教会形成の理念は、最初から最後まで、結局のところ、「改革派教会になること」という一点をひたすら目指すものだったということです。



しかし、どうでしょうか、この点は現時点においては十分に達成されていると私は信じています。現在の松戸小金原教会は「改革派教会」以外の何かでありうるでしょうか。だれがどこから見ても、わたしたちは「改革派教会」ではないでしょうか。



実際、現行の宣教方針の「1、教会形成の理念」の(1)から(4)までは成就しています。項目ごとに見ていきますと、(1)については礼拝や祈祷会や諸集会における改革派信仰の学びや長老制度の実践等において、(2)については2006年7月の東関東中会設立において、(3)については毎年の特別伝道集会の実施等において、(4)については各自の日常的実践において、わたしたちが「改革派教会になること」は成就しています。その意味では、「改革派教会」以外の何ものでもないわたしたちがこれからも「改革派教会になること」という一点を繰り返して言うだけでは、物足りないでしょう。見直す余地はこのあたりにあると言えそうです。



2、「目標」の見直しについて



現行の宣教方針の「2、目標」には「100人教会を目指して」とあり、その説明は次のとおりです。



「教会が自立し、対外的にも貢献し得る教会として発展すること。そのための目途として現住陪餐会員100人程度の教会を目指し、礼拝・教育・伝道・奉仕の各分野で教会員の成長をはかり、新会堂を宣教の拠点として十分に活用する。」



ひょっとしたら、ここに掲げられた会員数についての具体的な数値目標こそが、わたしたちを大いに悩ませ、一喜一憂の原因になってきたかもしれません。志を高く持つことは決して間違ってはいませんが、目標を達成できないことにただ苦しみ、「なぜ達成できないのか」についての原因究明や責任追究ばかりを考え始めてしまうとしたら、数値目標を立てること自体を断念するか、あるいは数値の下方修正を行う必要があるかもしれません。



この件に関しては2007年11月定期小会・執事会で一度、検討したことがあります。そのとき申し上げたことは、「百名教会になること」と「アットホームな教会であること」とは反比例するところがあるということでした。しかし、そうなりますと松戸小金原教会がこれまで持っていた魅力を失ってしまう危険があるため、もし目指すとしたら「アットホームな百人教会」であるということでした。またもう一つ述べた点は、私の知るかぎり、日本キリスト改革派教会においても、他の教団・教派においても、「百人教会」を実現しているところはほとんどの場合、歴代牧師のうちどなたかの在任期間が長かった(20年または30年以上に及ぶ)ということであり、頻繁に牧師が交代する教会が100人を超えている例は皆無に等しいということでした。つまり、この目標の実現には(あまり使いたくない表現ですが)「牧師のカリスマ性」に頼るところが大きいと言わざるをえないということでした。



このことについて私は澤谷牧師とかつて個人的に語り合ったことがあります。そしてそのとき苦笑しながら一致した意見は「わたしたち(澤谷牧師と私)には、そういうもの(カリスマ性なるもの)はないよねえ」という点でした。もちろん、このことは「ないよねえ」で済ましてよいものなのか、これから努力して(?)その種のものを身につけていくべきなのかは、判断に迷うところです。



3、「目標達成の方策」の見直しについて



現行の宣教方針の「3、目標達成の方策」には次のように書かれています。



「(1)上記の理念・目標は中期計画(20世紀内)に引き続いてそのまま踏襲する。
(2)中期計画(20世紀内)の総括を入念に行い、達成できなかったものについて、その要因を検討し、今後の達成を目指す。
(3)教会形成理念の(2)は、東関東中会と連携を密にして、協力することを当面の目標とする。
(4)教会形成理念の(4)は、新会堂を活用して地域に開かれた活動、特に日曜学校や週日の利用(例:おはなしのへやや、各種サークル活動)を積極的に推進する。
(5)今までの会堂委員会は、教会運営組織に位置づけられた委員会(部)とし、その業務は教会施設全般を統括するものとする。
(6)教会の伝道の主要な窓口は日曜の礼拝である。伝道委員会は、特に主の日の活動に力を入れるようにする。
(7)教会運営組織は、とりあえず次の概念で実施し、今後更に改善を加えていく。(以下略)
(8)教会員の教会活動への積極的参加。(以下略)」



このうち(1)と(3)と(5)と(6)と(7)と(8)に関しては、すでに実施済みの項目であると思います。また(4)についても、「おはなしのへや」は休止中ながら、「チャペルコンサート」や「教会バザー」などを挙げることができます。つまり現時点で未着手の課題は(2)の「中期計画(20世紀内)の総括と未達成目標の要因検討」だけであるというのが私の見方です。



しかし、繰り返しますが、教会形成の理念としての「改革派教会になること」については、すでに十分に達成していると思います。そのため現時点で達成していないのは「(現住陪餐会員)100人教会になること」だけです。



とはいえ上記のとおり、私自身にも、また小会・執事会の内部にも、この数値目標を維持し続けるべきかどうかという点に、いくらか迷いや戸惑いがあります。未達成目標の要因を検討していくことは重要です。また「教会が自立し、対外的にも貢献し得る教会として発展すること」については全く異論の余地がありません。しかしどうしても考慮せざるをえないのは、日本社会全体の「少子高齢化」(いわゆる逆ピラミッド型社会)の傾向と、一昨年に起こった「百年に一度」と言われる世界不況が、わたしたちの教会にも確実に影響しているということです。そのことを勘案することなく、具体的な数値目標を掲げ続けることが、結果的に、未達成の犯人探しのようなことになってしまうとしたら、有害無益であるとさえ言わざるをえません。



しかしまた、わたしたちにとって譲ることができないのは「改革派教会になること」です。この点の大幅な路線変更をすることによって会員数を増やし、経済力をつけていくという道を選ぶことは、わたしたちにはできません。そういうことをしますと、わたしたちの教会本来の魅力を失うばかりか、教会存立の理由そのものを揺るがせにしてしまいかねません。



4、教会設立30周年以後の展望と課題



さて、そろそろ「新しい宣教方針」の具体像を描いていかなくてはなりません。その場合踏まえるべきことは「教会設立30周年以後の展望と課題」です。以下の諸点を挙げることができます。



いわゆる“うつわ”(建物)の問題としては、2000年に建設した現在の会堂を維持・管理すること、そして(私からは言いにくいことですが)築40年を超えている牧師館をどうするかが今後の課題です。



しかし、もっと重要な問題は、言うまでもなく“なかみ”(人間)の問題です。わたしたちは現在の「少子高齢化」と「世界不況」の中で「改革派教会になること」と「100人教会になること」を同時に実現していくという課題に、どのように取り組んでいくべきでしょうか。当然「世代交代」ということも視野に入ってくるでしょう。



前者(改革派教会になること)は譲ることができませんが、後者(100人教会になること)については再検討の余地がありそうです。「現在の牧師がカリスマ性を体得するか、それともカリスマ性をもつ牧師を新たに迎えさえすれば、すべて解決する問題である」ということであれば、この話は最初から考え直さなければなりません。



5、新しい宣教方針の骨子(試案)



最後に、私が思い描いている新しい宣教方針の骨子を提示しておきます。



Ⅰ 人が育つ教会
(主日礼拝を中心とする信徒教育の充実、年齢や性別を越えた交わりの確立)



Ⅱ 喜び歌う教会
(礼拝賛美を中心とする教会音楽の充実、聖歌隊、チャペルコンサートなど)



Ⅲ 助け合う教会
(少子高齢化と世界不況の中でお互いの弱さを理解し、担い合えるようになる)



Ⅳ 世にある教会
(会堂を用いての地域活動に加え、地域社会の中に積極的に入っていくこと)



(松戸小金原教会2010年第一回教会勉強会、2010年3月21日)



2010年3月7日日曜日

世界不況の中での高校受験を体験して思うこと

このところブログを全く更新できませんでした。



その理由は私だけが知っています。人生と仕事をサボっていたわけではなく、「すべて終わるまでは決して書くべきでないこと」に必死で取り組んでいました。



種明かしをすれば、長男が高校受験でした。同年齢の子どもさんをお持ちの方々にはご理解いただけると思いますが、今年は「激戦」の一言でした。長男自身からは終始鬱陶(うっとう)しそうな目で見られていましたが、まるでステージママ(パパですが)のごとく、舞台袖から固唾を呑んで見守るばかりでした。



「激戦」となった原因はいろんな人が分析中ですが、ともかく明白なことは一昨年に始まった世界不況の影響です。公立単願者が激増しました。「公立高校無料化」の政策が突然打ち立てられたことの影響も当然ありました。家庭の経済事情との関係で「ゼッタイ公立」と厳命された子どもたちは安全の上に安全を期する必要がありました。そのため多くの子どもたちが一つないし二つ以上ランクを下げて受験せざるをえませんでした。それでも長男の中学校などでは、進路指導の教師から保護者全員に「今年は公立単願は非常に危険なので、私立を必ず一校以上併願してください」と強く勧められる事態でした。ランクを下げての受験を潔しとしない子どもたちは、自分(や塾)の願いと親や学校の願いとの板挟みの中で激しく苦しんだはずです。何年も前から(「民主党政権」など影も形も見えていなかった頃から)高い目標をめざして努力してきた子どもたちの立場からすれば、状況の変化(オトナの都合)を理由にランクを下げ(させられ)ること自体に大きな挫折感が伴わないはずがないわけですから。



長男が受験した公立高校は、志願者数が昨年比でプラス216名(!?)という驚異的な数字となり、県内最大の上げ幅でした。受験倍率も、特色化選抜3.19倍(昨年2.60倍)、一般選抜1.97倍(昨年1.57倍)でした。六年前(2004年4月)に県外から松戸市に引っ越してきたばかりの者には知る由もないことでしたが、ここしばらく人気や進学実績等が低迷していた同校は昨年あたりから(「リーマン・ショック以後」と断定してよさそうです)「人気校」としての復活を遂げたと、もっぱらの噂です。もっとも、わが家の場合は「自転車で通える公立高校」という条件を言い渡していただけなのですが。



「不況によって復活した」などと直接的もしくは短絡的に関連づけますと、同校関係者の方々には失礼に当たるかもしれません。しかし、言うまでもないことですが、「志願者数や受験倍率が激増した」ということは裏返せば「不合格者数も激増した」ということでもあるわけで、つまり、合格した子どもたちのほうも必ずしも手放しで(自分の結果さえ良ければよいという調子で)喜んでいるわけではないということでもあるのです。多くの親友たちの痛みを知る機会にもなりました。



その意味では、同校が「不況によって復活した」ということが事実であるとするならば、「不況の痛みの中にいる人々の心を深く理解することができ、かつ現代日本の社会問題に真剣に取り組むことができる人材を輩出する学校」になってほしいと願っています。



教会も同じであると考えています。不況の只中で「どこ吹く風」と言わんばかりに超然とした態度をとり続けるような教会はたぶん「教会」ではないのです。少なくとも「改革派」教会ではないと私は思う。特に(私自身を含む)子育て中の若い牧師たちは、見るからに草臥(くたび)れ果てているくらいで、ちょうどよいのです。



2010年2月28日日曜日

希望なき人々のように嘆き悲しむな


テサロニケの信徒への手紙一4・13~14

「兄弟たち、既に眠りについた人たちについては、希望を持たないほかの人々のように嘆き悲しまないために、ぜひ次のことを知っておいてほしい。イエスが死んで復活されたと、わたしたちは信じています。神は同じように、イエスを信じて眠りについた人たちをも、イエスと一緒に導き出してくださいます。」

この個所にパウロが書いていることを一言でいいますと「人間は死んだらどうなるのか」ということです。わたしたちの死後の定めは何なのかということです。

そのことについてパウロが述べていることは、彼自身の信仰に基づく見解です。「信仰に過ぎない」という言い方も成り立つかもしれませんが、パウロにとって信仰とは彼自身の命そのものでしたので、パウロの全存在をかけた確信として述べていると言うほうがよいでしょう。

イエス・キリストは、十字架につけられて三日目に復活されました。そのイエス・キリストと同じように、神はイエスを信じて眠りについた人々をも復活させてくださるのです。そして、この場合の復活とは文字通りの「復活」です。地上の世界に再び戻ってくることです。

わたしたちは死んでも、どこかに消えてなくなるわけではありません。このわたしの存在が別のだれかの存在へと置き換えられるわけでもありません。このわたしは、このわたしとして地上に再び戻ってくるのです。

そのことが、我々にとっては二千年前に起こったイエス・キリストの復活と本質的に同一かつ同等の出来事として起こるのです。これがパウロの信仰であり、代々のキリスト教会の信仰なのです。

「人間は死んだらどうなるのか」という問いは、教会に通っているような人たちだけではなく、誰でも必ず抱くものです。その意味でこれは普遍的な問いであると言えます。小さな子どもであるうちに考え始め、大人になってからも考え続ける問いです。来る日も来る日も寝ても覚めてもそのことを悩み続けているというようなことは無いと思いますが、何らかのきっかけがあるとまた考え始めてしまう、そのような問いであると思います。

この問いに対する教会の答えは、今日の個所に書かれているパウロの言葉に尽きるのです。しかし私は、パウロの答えは質問者の意図にかなうものではないだろうと思っています。「わたしたちは死んだらどうなるか」という質問に対して「わたしたちは復活するのだ」と答えているわけですが、質問者が本当に聞きたいことはそのような答えではないはずだからです。

質問者が聞きたいことは、いわゆる「あの世」はどうなっているのかということでしょう。質問の前提にあるのは、死んだ人はもう二度と戻ってこない、決して戻ってこないという確信です。だからこそ「あちらの」世界の様子はどうなっているのかということばかりに関心があるのです。

しかし、パウロはその問いにきちんと答えていませんし、彼には答える気がありません。パウロはその意味での「あの世」の存在を否定しているわけではありませんが、そのようなことには実は全く関心を持っていません。パウロはこちらの世界に再び戻ってくることができる日が来るということしか考えていません。百歩譲って「あちらの世界」などというものがあるとしても、そこに行きっ放しなどということは考えもしない。早く帰ってくること、地上の人生を再獲得すること、そのことだけがパウロの願いであり、信仰でもあったのです。

そもそも「死後の定め」とは何でしょうか。誰かが、そこに行って見たことがあるのでしょうか。いわゆる「臨死体験」についての書物を、私は全く読んだことがありません。申し訳ありませんが、そういうことに全く関心がありません。

牧師がこういうことを言うと驚かれてしまうかもしれませんが、そもそも私は死後の定めとか死後の世界というようなものに全く興味がありません。そのようなものはどこにも存在しませんと言いたいわけではないのですが、関心を持つことができないのです。はっきり言って、どうでもいい。この点で私はパウロと同じであると信じています。

もちろん人は必ず死にます。私は牧師として何人もの方を看取ってきました。死の生々しい現実を知っています。そのような者ですので、死をオブラートで包んだり美辞麗句で飾ったりするつもりは全くありません。しかし、私は希望を捨てているわけではありません。キリスト教的な意味での希望の根拠とは何でしょうか。それは「復活」であるとパウロは述べているのです。それは、わたしたちが「イエス・キリストと同じように」復活することなのです。それ以外の意味はありえないのです。

聖書には、復活されたときのイエスさまの体がどういうものであったかが記されています。わきには槍で突かれた跡が残っていた。手足には十字架上にはりつけにされたときの釘の跡が残っていた。つまり、十字架にかけられたときのままの恥辱に満ちた姿で、イエスさまは復活されたのです。

この点も、わたしたちも同じなのです。ただし、この話をしはじめると嫌われることが多いので、ちょっと話しにくくなります。多くの人は、やはり、復活のときは前よりも美しくなりたいようです。しかし、私はそのようには信じていません。もし今私が死んだら、復活するときには太った関口牧師として復活するのだと信じています。先月の半ばからダイエットを再開しましたが、少し痩せたときに私が死んだら、復活するときは少し痩せた関口牧師として復活するのだと信じています。

何もわざわざそのような信じ方をしなくても、もう少し都合のよい信じ方をしてもよいのかもしれません。しかし、私は、自分にとっての最後の最後の姿のままで復活させていただけると信じることができるときに、深い意義と慰めを感じるのです。

なぜなら、そのように信じるとき、わたしたちは、自分自身の最後の最後の姿を本当の意味で受け入れることができるようになります。もしわたしたちが復活させていただけるときに、人生の最後の最後の姿とは別様のものへとに置き換えられてしまうのだとしたら、神御自身によって私の人生の最後の姿を否定されるのと同じであると私は思います。私は人生の中でどのようなことに悩んできたのかを否定されてしまう。あの苦しみぬいた日々を否定されてしまう。わたしがわたしであり、わたし以外の何ものでもなかったということの証しをすべて否定されてしまう。そのような気がしてならないのです。

聖書が教える復活とは、とても単純な話です。とにかく、このわたしが再び戻ってくるということ、ただそれだけです。しかしその内容は、考えれば考えるほど愉快な話なのです。

パウロはこのことを「希望を持たないほかの人々のように嘆き悲しまないために」書いたと言っています。このように言うことでパウロは異教徒を侮蔑しているわけではありません。しかし「希望をもたない人々」とは「“復活の”希望を持たない人々」のことを指しています。それは「復活など絶対にありえない」ということに揺るがぬ確信を持ってしまっている人々です。

しかし、わたしたちの死後の定めがどうなるかは、まだ誰にも分かりません。誰にも分からないことについて「復活しない」ということのほうに確信を持つくらいなら、「復活する」ということのほうに確信を持ってもよいではありませんか。どちらに確信を持つことができるかで、わたしたちの生き方が変わってくるのです。少なくとも「死後の世界」などということに関心を持つ必要が無くなります。そして、復活を信じることが、わたしたちの悲しみや寂しさを和らげ、心の傷をいやし、真に慰める力になるのです。

(2010年2月28日、松戸小金原教会主日夕拝)

2010年2月21日日曜日

天の故郷


ヘブライ人への手紙11・13~16

「この人たちは皆、信仰を抱いて死にました。約束されたものを手に入れませんでしたが、はるかにそれを見て喜びの声をあげ、自分たちが地上ではよそ者であり、仮住まいの者であることを公に言い表したのです。このように言う人たちは、自分が故郷を探し求めていることを明らかに表しているのです。もし出て来た土地のことを思っていたのなら、戻るのに良い機会もあったかもしれません。ところが、実際は、彼らは更にまさった故郷、すなわち天の故郷を熱望していたのです。だから、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいません。神は、彼らのために都を準備されていたからです。」

梅原知英子さんと私は、親子ほど歳が離れた関係でしたし、教会のメンバーと牧師との関係という以外の何ものでもありません。しかし、それでも何か本当に深い心のつながりを感じる方だったと、いま改めて思い返すことができます。

他の方とは違う、というようなことを申し上げたいのではありません。牧師はえこひいきしません。ただ、いつも心配していました。家が教会から遠かったので、通うのに苦労がおありではないかという思いが常にありました。毎週のように「遠くから通ってくださってありがとうございます」と言いたくなりました。しかし、梅原さんは「いいのよ」とおっしゃいました。「私は電車に乗り慣れているから気にしないでいいのよ。通い慣れている教会が一番いいのよ」と言ってくださいました。「そんなふうに言っていただいてありがとうございます」と、また言いたくなる。そんなにペコペコしなくてもいいのに、と思っておられる様子も伝わってくるのですが、私の気持ちはそういうものでした。

毎週日曜日に教会に通うということは実際には非常に苦労の多いことなのだということを、私は知っているつもりです。これは私が幼い頃から感じてきたことですし、牧師となった今でも分かります。私は今でも毎週教会に通っているのです。牧師は説教するためだけに教会に来ているわけではありません。みんなで一緒に賛美歌を歌いますし、みんなで祈りますし、みんなで奉仕しています。しかし、私の家(牧師館)は近いので、遠くから来てくださっている方々には申し訳ない気持ちになるのです。

ですから梅原さんとの思い出の中に一番多くあるのは、ペコペコ頭を下げる私に「いいのよ、いいのよ」と梅原さんが慰めてくださる場面です。お話しできたのは、せいぜい礼拝が終わってお帰りになるときの一言、二言でした。やっとゆっくり話せるようになったのは、入院先の病院へのお見舞いのときです。

入退院を始められてからの梅原さんは本当に尊敬すべき方でした。ご家族の方から教えていただくかぎり、御自分の病状をはっきりとご存じであった面と、必ずしもそうでなかった面とがあられたようですが、ほとんどすべての覚悟ができておられたと、私には見えました。自分の死という問題と、まさに真剣に向き合っておられました。

そして、私が最も重く受けとめたことは、梅原さんが最後の最後まで「日曜日の教会の礼拝に出席したい」という願いを持ち続けておられたことです。誤解がないようにしておきたいのですが、私は「牧師だから」こういうことを言うのではありません。クリスチャンたる者は、どんなに重い病気にかかっても、自分の体を引きずってでも日曜日は必ず教会に来るべきであると、そのような考え方が私にはできません。私は今年で伝道生活20周年になりますが、いまだかつて一度として教会の方々にそういう言い方をしたことがありません。「義務だ、責任だ」という点から教会の方々に何かを強いたいとは思いません。この点は、どうか勘弁してください。私にそういう言い方をさせようとしても無理であると諦めてください。

ですから、どうか、そのようなことを抜きにして聞いていただきたいのです。「毎週日曜日に教会に通う」というその願いは、梅原さん自身にとって最も大切なことなのだと理解できたので、それは素晴らしいことだと私は感じたのです。

「神は信じるが教会には通わないというのは、音楽は聴くがコンサートには行かないというのと同じである」と言った人がいます。私はこの言葉が好きで、ことあるごとに思い起こします。教会に通うということは、勉強をしに来ることとは違います。教会に何十年通っても、何かの資格や免状をもらえるわけではありません。教会でもらえるのは、日曜学校の皆勤賞くらいです。しかし、日曜学校にも卒業証書はありません。教会は誰も卒業しないのです。人生の最後も、卒業式ではありません。

もし、「教会に来ても何ももらえないし、ここで得られるものは何もない」という不満を感じている人がいるのだとしたら、その不満は、物やお金や賞状をもらえないことではないのだと思うのです。わたしたちが教会に期待するのはそのようなことではないと思うのです。

しかし、ここから先は、言葉でうまく説明することのできない次元に入っていきます。わたしたちは「教会に通う」とは何なのかを、うまく説明することができません。毎週教会に通いながらその意味を説明できないだなんて、おかしなことではあるのですが、そういうものだとしか言えません。

しかし、それでも、強いてたとえるとしたら、それは、わたしたちが「自分の家に帰ること」の意味を問われたときに、うまく答えられるだろうかという問題に似ているかもしれません。子どもたちが学校から家に帰ってきたとき、「どうして帰ってきたの?」と、そんな馬鹿なことを尋ねる親がいるでしょうか。そもそも「なぜ私は自分の家に帰らなければならないのか」と、そんなことを考える子どもがいるでしょうか。「自分の家に帰ること」に、理由が必要でしょうか。

梅原さんが最後まで抱き続けられた思いはそのようなものであったに違いありません。そして今、梅原さんは神が備えてくださった都としての「天の故郷」(16節)におられます。その場所は、わたしたちの信仰によりますと、教会とそっくりのところなのです。そこには、神さまがおられ、神の御言葉と賛美の歌が響きわたり、永遠の喜びと平安が豊かにあふれているのです!

(2010年2月21日、梅原知英子姉記念会、松戸小金原教会)