2010年2月21日日曜日

天の故郷


ヘブライ人への手紙11・13~16

「この人たちは皆、信仰を抱いて死にました。約束されたものを手に入れませんでしたが、はるかにそれを見て喜びの声をあげ、自分たちが地上ではよそ者であり、仮住まいの者であることを公に言い表したのです。このように言う人たちは、自分が故郷を探し求めていることを明らかに表しているのです。もし出て来た土地のことを思っていたのなら、戻るのに良い機会もあったかもしれません。ところが、実際は、彼らは更にまさった故郷、すなわち天の故郷を熱望していたのです。だから、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいません。神は、彼らのために都を準備されていたからです。」

梅原知英子さんと私は、親子ほど歳が離れた関係でしたし、教会のメンバーと牧師との関係という以外の何ものでもありません。しかし、それでも何か本当に深い心のつながりを感じる方だったと、いま改めて思い返すことができます。

他の方とは違う、というようなことを申し上げたいのではありません。牧師はえこひいきしません。ただ、いつも心配していました。家が教会から遠かったので、通うのに苦労がおありではないかという思いが常にありました。毎週のように「遠くから通ってくださってありがとうございます」と言いたくなりました。しかし、梅原さんは「いいのよ」とおっしゃいました。「私は電車に乗り慣れているから気にしないでいいのよ。通い慣れている教会が一番いいのよ」と言ってくださいました。「そんなふうに言っていただいてありがとうございます」と、また言いたくなる。そんなにペコペコしなくてもいいのに、と思っておられる様子も伝わってくるのですが、私の気持ちはそういうものでした。

毎週日曜日に教会に通うということは実際には非常に苦労の多いことなのだということを、私は知っているつもりです。これは私が幼い頃から感じてきたことですし、牧師となった今でも分かります。私は今でも毎週教会に通っているのです。牧師は説教するためだけに教会に来ているわけではありません。みんなで一緒に賛美歌を歌いますし、みんなで祈りますし、みんなで奉仕しています。しかし、私の家(牧師館)は近いので、遠くから来てくださっている方々には申し訳ない気持ちになるのです。

ですから梅原さんとの思い出の中に一番多くあるのは、ペコペコ頭を下げる私に「いいのよ、いいのよ」と梅原さんが慰めてくださる場面です。お話しできたのは、せいぜい礼拝が終わってお帰りになるときの一言、二言でした。やっとゆっくり話せるようになったのは、入院先の病院へのお見舞いのときです。

入退院を始められてからの梅原さんは本当に尊敬すべき方でした。ご家族の方から教えていただくかぎり、御自分の病状をはっきりとご存じであった面と、必ずしもそうでなかった面とがあられたようですが、ほとんどすべての覚悟ができておられたと、私には見えました。自分の死という問題と、まさに真剣に向き合っておられました。

そして、私が最も重く受けとめたことは、梅原さんが最後の最後まで「日曜日の教会の礼拝に出席したい」という願いを持ち続けておられたことです。誤解がないようにしておきたいのですが、私は「牧師だから」こういうことを言うのではありません。クリスチャンたる者は、どんなに重い病気にかかっても、自分の体を引きずってでも日曜日は必ず教会に来るべきであると、そのような考え方が私にはできません。私は今年で伝道生活20周年になりますが、いまだかつて一度として教会の方々にそういう言い方をしたことがありません。「義務だ、責任だ」という点から教会の方々に何かを強いたいとは思いません。この点は、どうか勘弁してください。私にそういう言い方をさせようとしても無理であると諦めてください。

ですから、どうか、そのようなことを抜きにして聞いていただきたいのです。「毎週日曜日に教会に通う」というその願いは、梅原さん自身にとって最も大切なことなのだと理解できたので、それは素晴らしいことだと私は感じたのです。

「神は信じるが教会には通わないというのは、音楽は聴くがコンサートには行かないというのと同じである」と言った人がいます。私はこの言葉が好きで、ことあるごとに思い起こします。教会に通うということは、勉強をしに来ることとは違います。教会に何十年通っても、何かの資格や免状をもらえるわけではありません。教会でもらえるのは、日曜学校の皆勤賞くらいです。しかし、日曜学校にも卒業証書はありません。教会は誰も卒業しないのです。人生の最後も、卒業式ではありません。

もし、「教会に来ても何ももらえないし、ここで得られるものは何もない」という不満を感じている人がいるのだとしたら、その不満は、物やお金や賞状をもらえないことではないのだと思うのです。わたしたちが教会に期待するのはそのようなことではないと思うのです。

しかし、ここから先は、言葉でうまく説明することのできない次元に入っていきます。わたしたちは「教会に通う」とは何なのかを、うまく説明することができません。毎週教会に通いながらその意味を説明できないだなんて、おかしなことではあるのですが、そういうものだとしか言えません。

しかし、それでも、強いてたとえるとしたら、それは、わたしたちが「自分の家に帰ること」の意味を問われたときに、うまく答えられるだろうかという問題に似ているかもしれません。子どもたちが学校から家に帰ってきたとき、「どうして帰ってきたの?」と、そんな馬鹿なことを尋ねる親がいるでしょうか。そもそも「なぜ私は自分の家に帰らなければならないのか」と、そんなことを考える子どもがいるでしょうか。「自分の家に帰ること」に、理由が必要でしょうか。

梅原さんが最後まで抱き続けられた思いはそのようなものであったに違いありません。そして今、梅原さんは神が備えてくださった都としての「天の故郷」(16節)におられます。その場所は、わたしたちの信仰によりますと、教会とそっくりのところなのです。そこには、神さまがおられ、神の御言葉と賛美の歌が響きわたり、永遠の喜びと平安が豊かにあふれているのです!

(2010年2月21日、梅原知英子姉記念会、松戸小金原教会)