長男の高校の入学式がいよいよ明日に迫りました。この期に及んで親として最後に(?)何かしてやれることはないかと考えた結果、一冊の国語辞典を買ってやることにしました。それで、つい先ほどまで近所の書店まで出かけていたのですが、いろんな種類があって迷ったものの、まずはオーソドックスなもののほうが良いだろうと、『岩波 国語辞典 第七版』(岩波書店)に決めました。辞書の数は多ければ多いだけ言葉の微妙なニュアンスを読み分けられる根拠を得られるに違いないということは私なりに理解しているつもりですが、他の出版社のものは彼自身が苦労して買えばよいわけで、親が何から何までお膳立てすべきではないだろうと、ぐっと我慢した次第です。
辞書が決まったことで当初の目的は果たしたのですが、ついでにもう一冊と(これが誘惑なんだ)何かを買おうと見回したところ、書店入口に近い位置の平積みコーナーに、勝間和代さんたちの自己啓発系の本の隣に、『超訳 ニーチェの言葉』というタイトルの、黒光りする装丁の本が積み上げられていました。「へえ、面白そうだ」と数秒立ち読みした後、あまり迷うことなく、これを買うことにしました。
帰宅後、1時間ほどで全部読みました。何か書きたくなりましたので、Amazonのカスタマーレビューに以下の一文を載せておきました。タイトルは「わが子に読ませます」です。
『超訳 ニーチェの言葉』フリードリヒ・ニーチェ著、白取春彦編訳、ディスカヴァー・トゥエンティワン、2010年
わが子に読ませます
By 関口 康
カバーフラップにも書いてあったが、ニーチェは「牧師の子」である。だからどうしたと、取り立てて何かを言いたいわけではないが、わたし評者が牧師なので、うちの息子はニーチェと立場的に同じということになる。本書を初めて手にとり数ページをめくったとき、「ああ、これを息子に読ませよう」と思った。ヘイセイ生まれの長男とニーチェは150歳も離れているし、日本人とドイツ人の違いもあるが、牧師館(Pastorat)の中で生まれ育った先輩の言葉を、後輩がどう読むかを知りたいと思う。たぶんかなり共感しながら読むだろう。いや何、わたし自身がすっかり魅了されてしまった。白取氏の「超訳」にすっかり幻惑されているだけかもしれないが、とにかく本書(白取超訳)は名著だと思った。聖書の隣に並べて置くのは(いろいろ言われそうで)マズいかもしれないが、せめてルターやカルヴァンの本よりも目立つ所に置いておきたい本ではある。