2009年5月16日土曜日

自作パソコンのすすめ

パソコンが壊れて(<~を壊してみて)改めて思うことは、メーカー品のパソコンを使うのはもうやめた、ということです。



メーカー品のパソコンの「セコさ」については、何台かバラした経験があるので、ほぼ確信をもって言えます。とくに典型的にソニーのVAIOには、「素人に中身をいじくらせてなるものか」というたぐいの企業防衛思想が徹底している様子で、自分で直そうとする人間を妨害する仕掛けが至るところに散りばめられています。



より具体的に言えば、至るところで金属とプラスチックが絶妙に噛み合わせてあって、素人が中身を見ようとして蓋を開けようとしても、プラスチック部分を破壊しないかぎり侵入できないようになっています。つまり、自分で蓋を開けると、確実に「破損品」になる仕掛けです。



また、詳しくは分かりませんが、OSやアプリケーションなども自分ではいじくれないように、いろいろと仕掛けを潜ませているように感じられます。あるところ以上に進もうとすると「素人お断り」とシャットアウトされるようなところがあります。



そういうことが分かってきましたので、私はもう、これからは「自作パソコン」一筋で生きることにしようと思うに至りました。



パソコンにトラブルはつきものなのですから、トラブルが起きたときに自分で直せる仕組みを作っておかないかぎり、企業のボッタクリに遭うだけです。



今や、パソコンなんてプラモデルを作るのよりも簡単ですから。



客観的に見ればガラクタ置き場なので

パソコンクラッシュの件で、バックアップをしていたのかとご心配くださった方が複数おられますので、追記の必要を感じました。



松戸小金原教会の公的文書類(週報、月報など)や中会関係のデータにつきましては教会のパソコンのほうに記録していますし、すでに終了した説教や講演などの原稿につきましては基本的にすべてブログにアップしてきましたので、このあたりのことは全く問題ありません。

つまり、このたびの自損事故によってたとえすべてのデータが消失したとしても、何らかの責任問題のようなことへと発展する可能性はゼロです。このあたりのことはご安心(?)ください。

私にとっての大問題は、まだ表に出していない、書きかけの原稿とか、日本語になりつつある訳稿のたぐいの行方です。

こういうのが私の場合、山ほどあります。たぶんそれは私だけの特殊事情ではなく、多くの牧師たちも似たような事情ではないでしょうか。

善く言えば、それを磨けばもしかしたら光り輝く宝石になるかもしれない(ならないかもしれない)原石を掘り出していく石切り場のような場所、それが私のノートパソコンです。

悪く言えば(というか事実をそのまま言えば)ガラクタ置き場であり、ゴミの山です。

ですから、一つの考え方からすれば、「消えたのではない。最初から無かったのだ」と思えば済むようなものでもあるわけです。

それは、言ってみれば、私の思索のプロセスを断片的に(しかし私なりに精密な検証をしながら)書き留めているだけのものですので、いずれにせよ私の死後には不要になるものです。

気楽といえば気楽。こんなに呑気なことを言っていてよいのだろうかと思わなくはありません。



ちなみにこの文章は長男のパソコンを借りて書いています。これは本体2万円とちょっとの費用で私が自作したデスクトップパソコンですが、性能はびっくりするほど優れています(「Intel Atom プロセッサを使用したMini-ITX機です」と書けば、分かる人には分かっていただけるでしょう)。



もしノートパソコン(VAIO)本体の修復が不可能と判明した場合は、同じようなのをもう一台、自作しようかと思っています。部品を揃えさえすれば、組み立てそのものは一時間足らずで終了します。



2009年5月15日金曜日

日記「ついに犠牲者(人ではないので同情無用)」

要点を申せば、私のノートパソコンVAIOが、ill in bedです。

いびきかいてねています。というのはウソで、ぶっ壊れてしまいました(ぶっ壊してしまったのは私です)。昨日の朝のことです。

その前の夜に松戸小金原教会で行われた東関東中会伝道委員会のとき、手元にノートパソコンを置きました。

委員会終了時刻が午後9時半すぎ。遅い夕食をお腹におさめたのは午後11時半すぎ。布団にもぐったのがいつだったかは憶えていません。

これが悪かったのだと深く反省していることは、とにかくひどく疲れたので、ノートパソコンを伝道委員会終了後もそのまま置きっぱなしだったことです。

で、その翌朝(それが昨日の朝)、午前10時半からその同じ部屋で祈祷会が行われるため、前の夜から置きっぱなしだったそれを片付けようとしたとき、「あ!」と手からすべり落ち、約1メートル下の床に落下。フローリングのすぐ下はコンクリートという固い床に激突。鈍い音が聞こえました。

その瞬間は、まさにスローモーション。ノートパソコンは開いたまま、横向きに落ちていきました。それが置かれていた事務机をはさんで私が立っているのとは反対側のほうに落ちたので、机より下は私の視野の外。視界から消えていくとき、オカルトには全く興味がない私の前で、そいつのモニターに悲しそうな人の顔が現われ、私に「さようなら」と別れを告げた気がしました。私の顔が一瞬映ったのかもしれません。

その後は松本零士的な音がするは(いわゆるドテポキグシャというやつですね)、DVDのディスクドライブは「バキョッ!」と上向きに飛び出るは、モニターのフレームは歪んで外れるは、ネジ類のいくつかは飛び散るは、43年間の人生が走馬灯のように脳裏をかけめぐるは。

手を滑らしてしまった原因は分かっております。3週間くらい前から右の肩・腕・手首あたりに激痛があり、また右手の人差し指に強い痺れまであって、現在整形外科に通っており、毎日痛み止めの薬や筋弛緩剤などを大量に(医師に言われたとおりに)服用しております。その右手でパソコンを持ってしまいました。握る手にうまく力が入りませんでした。

本日修理に出したところ、最悪の場合、データレスキューもままならず、本体は廃棄となるかもしれないことが判明しました。私にとっては結構高い買い物だったので二年ローンで購入し、先月やっと払い終わってほっとした矢先の惨事。

データレスキューだけで3万5千円なり。結果の判明は来週の木曜日です。店員さんからは「全部取り出せるかどうかは分かりません。一つも取り出せなかった場合は3万円をお返しします。5千円はハードディスク調査費です」と言われましたが、「お金など返していただかなくて結構ですから、データを助けてください。汗と涙の結晶なんです!」と半泣き状態でお願いしました(半泣き状態はウソ。セリフはほぼ事実)。

この文章をしたためているパソコンは教会の執事室用のものを借用しています。パソコンそのものは、昨年12月のオランダ旅行のために「壊れてもいいようなもの」としてヤフオクで1万円で落札したものも持っていますが、あまりにも遅くて重いものですし、何よりデータが入っていない「空箱」です。空箱がいくらあっても、仕事という観点からいえば、何の役にも立ちません。

今夜もひとり、自分にむかって弱音ばかり吐いております。この文章を入力している最中も、人差し指の痺れがひどく、思うように打つことができません。

おい、人差し指くん、ちゃんと仕事してくださいな。このクソ忙しいときに痺れてんじゃねえよ。

パソコンは買い替えりゃ済むけど(高いけど)、キミはお金じゃ買えないんだから。


2009年5月11日月曜日

リフォームド / プロテスタント ウェブライブラリー

他に思いつきませんでしたので、かなり大げさな表現になってしまいました。実態を表しえているかどうかは不明です。私が管理している二つのウェブドメイン(reformed.jpとprotestant.jp)のもとにあるすべてのブログの「トップページ」を作りました。そのトップページに「リフォームド / プロテスタント ウェブライブラリー」(Reformed / Protestant Web Library)と命名しました。以下の四つのアドレス(URL)のいずれからでもアクセスできるように設定しました。表示内容は同じです。無料のブログサービスを利用していますので広告がついてしまいますが、さほど気にならない程度です。



http://reformed.jp/
http://www.reformed.jp/
http://protestant.jp/
http://www.protestant.jp/



ひそかに願っていることは、「リフォームド / プロテスタント ウェブライブラリー」のアドレス(URL)を「ホームページ」(※ブラウザを立ち上げたときに最初に表示されるページ)としてご利用いただけるようになることです。



私は長らく、プロバイダ会社のホームページを自分のブラウザの「ホームページ」にしてきましたが、それがだんだん嫌になってきました。読みたくも知りたくもないようなありとあらゆる情報がわんさか詰め込まれ、「読め!知れ!」と押しつけてくるからです。パソコンにスイッチを入れるときのほとんどは「さあこれから仕事だ」という場面なのですから、そういうときに、気が散って仕方がないような画面はなるべく見たくないものです。しかし、「自作トップページ」みたいなのが毎回立ち上がるのも何となく恥ずかしい(マニア的すぎるというか)。



パソコンにスイッチを入れてブラウザを立ち上げるとまず最初に開くページは、できるだけ公共性があって、なおかつ心の落ち着くものが良い。そのような思いを込めて作った「リフォームド / プロテスタント ウェブライブラリー」です。



「このページをホームページにする」ためには(Internet Explorer 8の場合):



コマンドバーの「ツール(O)」→「インターネットオプション(O)」→「全般」タブの「ホームページ」の空白に上記四つのアドレスのいずれかを記入する→「OK」ボタンを押す。



2009年5月10日日曜日

ここで本物の礼拝をささげよう


ヨハネによる福音書4・16~30

「イエスが、『行って、あなたの夫を呼んで来なさい』と言われると、女は答えて、『わたしには夫はいません』と言った。イエスは言われた。『「夫はいません」とは、まさにそのとおりだ。あなたには五人の夫がいたが、今連れ添っているのは夫ではない。あなたは、ありのままを言ったわけだ。』女は言った。『主よ、あなたは預言者だとお見受けします。わたしどもの先祖はこの山で礼拝しましたが、あなたがたは、礼拝すべき場所はエルサレムにあると言っています。』イエスは言われた。『婦人よ、わたしを信じなさい。あなたがたが、この山でもエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る。あなたがたは知らないものを礼拝しているが、わたしたちは知っているものを礼拝している。救いはユダヤ人から来るからだ。しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。なぜなら、父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ。神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない。』女が言った。『わたしは、キリストと呼ばれるメシアが来られることは知っています。その方が来られるとき、わたしたちに一切のことを知らせてくださいます。』イエスは言われた。『それは、あなたと話をしているこのわたしである。』ちょうどそのとき、弟子たちが帰って来て、イエスが女の人と話をしておられるのに驚いた。しかし、『何か御用ですか』とか、『何をこの人と話しておられるのですか』と言う者はいなかった。女は、水がめをそこに置いたまま町に行き、人々に言った。『さあ、見に来てください。わたしが行ったことをすべて、言い当てた人がいます。もしかしたら、この方がメシアかもしれません。』人々は町を出て、イエスのもとへやって来た。」

今日お話ししますのは先週の続きです。イエスさまはエルサレム方面からガリラヤ地方へと行く道の途中に通るシカルという町で立ち往生なさいました。なぜ「立ち往生」なのかと言いますと、「座っておられた」のは真昼の炎天下、喉が渇き、体が動かなくなられた可能性があるからです。一種の脱水症状のような状態になっておられたかもしれません。

そこでイエスさまがなさったことは、井戸に水を汲みに来ていた女性に「水を飲ませてください」と願われることでした。ところが、です。この女性は「はい、分かりました」と二つ返事では了解してくれなかったというのが先週の個所に記されていたことです。

このたび私はイエスさまと女性のやりとりを何度も読み直してみました。それでやっと分かって来たことは、このやりとりは口喧嘩であるということです。女性は明らかに腹を立てています。イエスさまのほうも火に油を注ぐようなことをおっしゃっています。最も悪いパターンです。

「ユダヤ人のあなたがサマリアの女のわたしに、どうして水を飲ませてほしいと頼むのですか」(9節)という女性の問いかけの意図は、イエスさまの申し出をやんわりと断ることです。「あなたに飲ませる水はありません」と言っているのです。

それに対してイエスさまがおっしゃっていること(10節)は、頭を下げてお願いするのは本来ならばあなたのほうですということです。普通の耳で聞けば冗談か脅しのどちらかです。もしこれを(水戸黄門の声で)笑いながら言えば冗談になりますが、(助さん格さんの声で)「ひかえおろう。このわたしを誰と心得る」と言えば脅しです。

女性は「主よ、あなたはくむ物をお持ちでない」(11節)と言っています。子どもでも、遠足の日には水筒ぐらい持っていくでしょう。イエスさまは水筒も持たずに旅をしておられたのでしょうか。もしそうだとしたら致命的な準備不足です。あまりにも子どもじみています。そのような人をこのわたしがなぜ助けなければならないかという思いも、女性のうちにあったかもしれません。

「あなたは、わたしたちの父ヤコブよりも偉いのですか。ヤコブがこの井戸をわたしたちに与え、彼自身も、その子供や家畜も、この水から水を飲んだのです」(12節)という言葉に至っては、彼女はほとんど激怒しています。彼女が言いたいことは、あなたはこの井戸を馬鹿にしているのですかということです。

イエスさまは「この水を飲む者はだれでもまた渇く。しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない」(13~14節)とおっしゃいました。その言葉に彼女は腹を立てているのです。何百年、何千年という歴史を通してこの町の人々を養い育んできた水を供給してきたこの井戸をあなたは馬鹿にするのですか。この井戸を最初に掘り当てた偉大な人ヤコブよりもあなたは偉いのですか。そこまで言うなら、あなたも今すぐ別の井戸を掘ってみなさいと。

これこそが「主よ、渇くことがないように、また、ここにくみに来なくてもいいように、その水をください」(15節)という彼女の言葉の意図です。この言葉はイエスさまへの従順を表しているのではありません。全く逆です。この井戸に来なくてもいいように別の井戸をあなたが今すぐ掘ってください。やれるものならやってみなさいと言っているのです。ほとんど喧嘩腰で、最大限の皮肉ないし嫌味を言っているのです。

そして、このやりとりが、今日の個所につながっていきます。

イエスさまは、「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい」と言われました。イエスさまがなぜこのようにおっしゃったのかが、これまではよく分かりませんでした。しかし、これはどうやら口喧嘩であるということがこのたびやっと分かりましたので、夫を呼んで来なさいとおっしゃった意味は何かがようやく分かりました。あなたとわたしがこれ以上言い合っていてもらちがあかないので、話の分かる人を呼んで来なさいという意味です。責任者を呼んで来なさいということです。そのように理解すれば、話がスムーズに流れていくでしょう。

ところが、女性の返事は「わたしには夫はいません」というものでした。それは嘘ではなく事実でした。ただし、単純ではなく複雑なものでした。そうであることをイエスさまが見抜かれました。「『「わたしには夫はいません」とは、まさにそのとおりだ。あなたには五人の夫がいたが、今連れ添っているのは夫ではない』」(17~18節)。

ここでしばしば出される疑問は、イエスさまがなぜ、この女性に五人の夫がいたという事実をご存じだったのかというものです。解決策は大きく分けて三つあります。第一は、イエスさまは神の御子なのだから何でもご存じだったに違いない。第二は、イエスさまはこのシカルの町に初めて来られたわけではなく、何度も来られていたので、女性の事情くらいはあらかじめ町の人々から聞いておられたに違いない。第三は、「五人の夫」は比喩であり、サマリアにある神さまや宗教の数のようなことだったに違いない、です。

私はこの三つともあまりすんなりとは受け入れることができませんが、強いてひとつ選ぶとしたら、第一の見方を選びます。イエスさまは神の御子なのだから何でもご存じだったに違いない。

しかし、このイエスさまのお言葉の中で重要な点は、彼女の夫がかつて何人いたというその数をずばり当てることがおできになったということではないと思います。重要な点はそこではありません。重要なことは「あなたには複数の結婚経験があり、しかも、今連れ添っているのは夫ではない」という点です。

この点がどのような意味で重要なのかということを今ここで私が詳しく説明し始めますと、いろいろと差しさわりが出てくることを覚悟しなければなりません。今の時代の中では単純な家庭環境の中にいる人のほうが少ないと言えます。複雑な家庭環境の中にいる人々のほうが多い。そのような人々を不愉快にさせるようなことを言いたくありません。

しかし、です。かなり公平な目で見ようとしても、結婚を複数回繰り返し今連れ添っているのは夫ではないというこの女性の姿を思い浮かべながら、「このような生き方も彼女の人生だから、他人からとやかく言われる筋合いにない」というようなことだけ言って済ませるわけには行かないものも感じます。

もちろん女性だけの責任にすることはできません。男性の責任も重大です。しかし、どちらが悪いという話は、たいてい水掛け論に陥ります。そして今ここで問題になっているのは、この女性の問題です。彼女の側にも問題があったということです。そのことをイエスさまは「あなたには五人の夫がいたが、今連れ添っているのは夫ではない」と言われていることの中で、はっきりと指摘しておられるのです。

イエスさまが指摘しておられるのは、それはあなたの問題だということです。結婚を繰り返すこと、今連れ添っている人とは結婚していないことが良いことなのか悪いことなのか、失敗なのか成功なのか、幸せなのか不幸せなのかという話に直接結びつけることを私はしたくありません。そういうことを私に聞かないでください。答えることができません。

しかし一つだけ言っておきたいことがあります。それは、イエスさまが彼女のいわゆる私生活の問題を指摘なさった直前にイエスさまが「この水を飲む者はだれでもまた渇く」とおっしゃったことは、決して無関係ではありえないということです。おそらくこれは別に我が家だけの問題ではなく、おそらくすべての家庭、すべての夫婦にも当てはまることだと思います。わたしたちの家庭そのものは、夫婦の関係そのものは、毎日井戸から水を汲みあげなければ、すぐにでも渇いてしまうような関係なのだということです。しばらく放ったらかしておいても大丈夫、というようなものではありえないのです。

だからこそ、毎日毎日、渇きを覚えるたびに、一人の相手のために、同じ家族のために、水を汲んでこなければならない。それが本来のあり方です。

しかし、この女性がたどって来た道はそれとは違っていたようです。その責任が彼女の側にあったのかそれとも男性側にあったという点はともかく、彼女の生き方は「今の相手に渇きを覚えたら、次の相手を探す」というようなあり方だったのではないでしょうか。ここにこの女性の問題があるのだと、イエスさまは指摘されたのです。

時間が無くなって来ましたので、話を先に進めます。女性は、イエスさまの鋭い指摘に触れて、この方は「預言者」であると考えました。うんと俗っぽく言えば、この人は宗教関係者であると。要するに牧師のような仕事をしている人だと分かりました。そのことが分かった彼女は、ここで話題をくるりと宗教のはなしに切り替えます。「わたしどもの先祖はこの山で礼拝しましたが、あなたがたは、礼拝すべき場所はエルサレムにあると言っています。」

この言い方もまだ、先ほどからの口喧嘩が続いている状態のものだと思ってください。サマリア人とユダヤ人の違いを説明しようとしているのですから。あなたがたの総本山はエルサレム神殿ですよね、わたしたちはゲリジム山ですよと。

しかし、この場面でイエスさまがものすごく重要な言葉をお語りになります。「婦人よ、わたしを信じなさい。あなたがたが、この山でもエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る」(21節)。「しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である」(23節)。

イエスさまがおっしゃっているのは、次のことです。ユダヤ人とサマリア人の違いなど問題にならない新しい場所で新しい礼拝が始まる。今ここでそれが始まるのだということです。地理的な場所そのものは問題ではありません。エルサレム神殿で行われなければ、ゲリジム山で行われなければ、それは「本物の礼拝」ではないというような話は、今日で終わりである。今あなたの目の前にいるこのわたし、救い主イエス・キリストがいるところならどこでも、本物の礼拝をささげることができるのだ。

「わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る」(14節)と言われたことは、水の話ではなく、これは礼拝の話であるということが、彼女にだんだん分かって来たのです。神の御言葉を告げる説教、賛美と祈り。それが行われるのが礼拝です。礼拝こそが、わたしたちに永遠の命を与える永遠の泉なのです。

(2009年5月10日、松戸小金原教会主日礼拝)

もちろんそれは容易なことではありえない

しかし、私は決してそれを容易なことと考えているわけではありません。



今に始まったことではないと思いますが、43年ほど生きてきた者がこの国に見てきた比較的新しい動きは、「どんなものであれ一つの『キャラ』(キャラクター)としてとりあえず受け入れ、殺しもしないが生かしもしないで泳がせ、ギャグかお笑いのネタでありうるかぎりにおいて限定つきの役割を果たさせ、稼げなくなった時点で表舞台から引きおろし、市井に戻す」というような《政策》でしょう。「デブキャラ」然り、「大食いキャラ」然り、「毛薄キャラ」然りです。



キリスト者に対する表立った弾圧のようなものは、もはや無いかもしれない。しかし我々はいわば「クリ(クリスチャン)キャラ」扱いです。私などはさしずめ「牧師キャラ」扱いでしょうか。



あるいは、たとえばもしファン・ルーラーの本が本格的に日本で出版される日が来ても、当面は「いろものキャラ」扱いでしょう。「喜びの神学」とか言っているかぎりにおいては、ある程度面白がってくれる。しかしファン・ルーラーその人は「いろもの」扱いなどで済ませられるような存在ではありません。歴史的過去と同時代の世界的巨匠たちを相手に、実に堂々と闘い抜いた人なのです。そのあたりの事情と迫力を我々が日本の社会と教会にどのように伝えるべきかも、悩みどころです。



もちろん!新規チャレンジャーが最初から十分かつ正当な評価を受けられると望んではならないことは分かっているつもりです。たとえサブカル扱いされようと、独自キャラ扱いされようと、全く無視されたり抹殺されたりするよりはまし、という《政治的》判断もありうると思います。



しかし、忸怩たる思いというか、我慢比べというか、どうにも表現しがたい疲労感があることは否定できません。まさに気力との戦い、自分との戦いです。



2009年5月8日金曜日

どうしたら道は開けるか(7)

当時の感覚を言葉にしていえば(どう表現しても誤解を避けることはできそうもありませんが)、次のような感じになります。



「私が信じていることを学校の教師や友人の前で口に出しても絶対に理解してもらえないことは、分かっている。けんかと暴力は大嫌いだし、トラブルに巻き込まれたくないから、黙っていよう。それに、私が教会に通っているということを口にしたばかりに、『なんだ。アーメン、ソーメン、冷ソーメンかよ』とか相手に言わせてしまうのは、そういうことを言っているその人々に神を冒涜させてしまうことになるので、かわいそうだ。しかし私の神が私を応援してくれている。私自身は少しも揺らぐこともぶれることもない。とはいえ、こちらとしては、いつまでも黙っているのも不本意だ。私の心の声、『キリスト者の声』(vox christiani)をどうしたら公の場で自由に述べることができるようになるのか。それを知りたい。」



私が「どうしたら道は開けるか」だ「ブレイクスルー」だ言っていることのすべては今書きとめたばかりの少年時代に抱いた問いの答えの求め方は何なのかにかかっているということに、気づかされます。一般化していえば「信教の自由の要求」です。要するに私は、ほとんど40年前から、同じ一つの問いの前でうろついたままなのだということです。



ここで本当は「愕然と」すべき場面かもしれませんが(おまえの精神年齢は低すぎるという事実を突き付けられたわけですから)、わりと「平然と」しています。事の真相からいえば、たとえばもしこの私が「マイノリティ」でない者になり、良い意味でメジャー化(?)する日には、古い日本はもはや形を失い、ほとんど「革命的」と言いうるほどの変容を遂げているはずです。



なぜなら、私自身は揺らぐこともぶれることもありませんから。



私は動きはしません。もし動くとしたら、この国のほうです。



どうしたら道は開けるか(6)

たしか5歳のときです(1970年!)。私の目の前を聖餐のパンと杯が通過していく。まるで逃げていくとんぼを追いかけるかのような目でそれを見た日のことを、今でもまざまざと思い起こすことができます。「おい、こら、おれを無視するな!おれは毎週教会に通っているのだし、この聖書の神を信じることはやぶさかではないと思っている。そのおれに、この集団のメンバーである以外の何でありうると言わせたいのか」という感覚を抱きました。



もちろん当時はまだこのような説明表現を用いることができませんでしたが、とにかく非常にむかっ腹が立ちました(あの小さなパンそれ自体が欲しかったわけではありません)。そして居ても立ってもいられなくなって牧師のところに行き、もしかしたら相当強い抗議めいた口調で(内心の意図は間違いなく「抗議」でした)「洗礼というのを受けさせてください」と申し出、小学校入学前のクリスマス(1971年12月26日)に洗礼を受けました。



しかし、言うまでもないことですが、当時の私に「キリスト教が何であるか」を十分な意味で理解できるはずはない。実感としては、この私は「教会」なるもののメンバーであるということだけであって、それ以上でもそれ以下でもありませんでした。自分の所属する「教会」とは何なのかを言葉で説明することはできません。しかし、「教会」とは何なのかということは、感覚的実体としてははっきり分かっていました。ラテン語表現で言い直せば、教会の壁(muros ecclesiae)の「外」(extra)と「内」(intra)の違いが肌感覚のレベルで分かる。しかし、このようなことは別に、私の特殊能力のようなものではありえず、この国でキリスト者の家庭に生まれ育った人々の多くが知っている感覚なのだと思います。



しかし、です。少年時代の私がまさに肌感覚レベルで理解していたことは、「教会」はこの国の中で「マイノリティ」であるということでした。そして「教会」は、その中にいるかぎりにおいてはとても居心地の良い場所でした。良い意味での矜持をもつことができました。教会の「人間関係」に居心地の良さを感じたことはありませんでした(たぶん一度も)。牧師の説教は、むしろ居たたまれない気持ちにさせられるものでした(説明省略)。



どうしたら道は開けるか(5)

「どうしたら道は開けるか」と書いてきましたが、自分の中ではだんだん馬鹿らしくなってきたところもあって困っています。「道は開いていない」などとは実は少しも感じていないもう一人の私がいたりしますし、ブレイクスルーの手段はインターネットであるなどと実は全く思っていない私がいたりする。



私が受けたと自称する「底値教育」は(もちろんこの表現は100%冗談ですが)事実ですし、「教団離脱者」であることも「普通の牧師」であることも事実です。しかしそのすべては間違いなく自分の強い意思で選んだものでした。これまでの自分を振り返ってみて改めて気づかされることは、私が歩んできた道のすべては誰かに決めてもらったものではないと言えるということです。



しかしそうは言いましても、自分では決めることができない要素も、人生には当然あります。たとえば、「1965年に生まれたこと」などは典型的なそれです(この文脈では「昭和40年」と言いたい)。



戦後20年。日本の歴史の中の「古いもの」と「新しいもの」が渾然としていた時代でした(自宅の前の道に初めてアスファルトがひかれたときのことを記憶しています)。その中で「古い日本」にとってはまさしく《対極》の位置に立つ空間・時間・思想・行動をもつ集団の中にどうやらこの私は所属しているらしいと、もちろんそのような説明表現を用いてではありませんでしたが、感づいたのは、まだ幼い頃のことでした。



2009年5月5日火曜日

どうしたら道が開けるか(4)

さて、ひどくネガティヴなことを書き連ねて来ましたが、私自身は絶望しているわけではないということも書いておきます。ブレイクスルーの鍵は、やはりインターネットではないでしょうか。つい最近、茂木健一郎氏の「ブログ論」みたいなのを読み、ちょっとした興奮を覚えました。



ここ(↓)で読めます。



前編 http://celeb.cocolog-nifty.com/interview/2007/03/post_4ad8.html



後編 http://celeb.cocolog-nifty.com/interview/2007/03/post_c73c.html



これを読むまで知らずにいたために吃驚仰天したことは、「え?茂木氏ほどの人がブログなんてやってたの?」ということでした。この驚きの意味はお察しのとおり、この方、語ったり書いたりする言葉のすべてが有料化しうるほどの有名人であるのに、無料で読める文章を公開しちゃったりしてたんだー(へえ)ということです。



なかでも、「そーそー」と肯きながら読んだ茂木氏の言葉は、「そんなに甘いもんじゃないですよ、ブログというものは」 とか「読者を獲得するプロセスというものは、すごく長い時間がかかるわけです」というあたり。



私の当面の(「当面の」です)目標は、要するに、どうしたら日本語版『ファン・ルーラー著作集』を出版できるかです。



(1)そのために、まずは「ファン・ルーラー」の名前を売ること。すなわち、「んな人、知らん」と言わせないほど、ファン・ルーラーを日本の中で有名人にすること。



(2)それと同時に、「ファン・ルーラーの訳者」として立候補してきた「関口 康」を信頼していただくこと。すなわち、「底値教育」を受けてきた「教団離脱者」でもある「普通の牧師」の私のしている仕事に対して「こいつの訳なら金を払ってやってもいいかな」と思ってもらえるようになること。



以上の二点を達成するためにブログが役に立つのではないかと、私は茂木氏のブログ論を読む前から考えてきました。そして、この方の文章を読んで、我が意を得たりと満足感を味わっているところです。



ただし、ここで問題が二つ。第一は、現在の日本のキリスト教出版社が茂木氏のような発想を受け入れてくださるかどうかです。第二は、私がブログにこれまで書いてきたことは「信頼を得ること」にとっては逆効果なことばかりだったかもしれないよーということです。



今の私が考えはじめていることは、まず最初にブログ版『ファン・ルーラー著作集』(もちろん無料公開)を仕上げ、それを多くの方々に「立ち読み」していただいた後、それを本にして有料で売るという、いわゆる「ブログ本」の方式です。しかし、このやり方が神学書に通用するものかどうかは全く未知数です。



それでも、たしか渡辺信夫先生の『プロテスタント教理史』(キリスト新聞社、2006年)は、ブログではなかったはずですがどこかの教会のホームページで公開されていた文章をまとめたものだと聞いたことがあります。



つまり、前例はあるということです。しかし冒険的要素が強いやり方であることは認めます。渡辺信夫先生との決定的な違いは、「ファン・ルーラー」は(そしてもちろん「関口 康」も)日本では依然として「だれそれ?」な存在である、ということにあるのですから。