2009年4月7日火曜日

「教会に通わない神学者」の『教会的な教義学』(10)

「第二ラウンド」の意味が誤解されそうだと分かりましたので付言しておきます。

「第二ラウンド」とは日本基督教団の創立(三十余派の旧教派の合同)そのものの是非であると、そのように表現することも全く不可能であるとは言えません。しかしそうなりますと、それはもっぱら日本基督教団の外部からの第三者的な論評であるということで処理されてしまい、そのような無責任な言葉は傾聴に値しないという一言で片づけられてしまいます。

しかし、私自身は、その種の(教団の外からの第三者的な)論評は、はっきり言って嫌いです。あまり良いたとえではありませんが、「できちゃった婚」で生まれちゃった子どもに向かって「できちゃうべきではなかった」とか「生まれちゃうべきではなかった」とか言うのに似ています。そのような言い草を私は(自分なりの定義をしながら)「原理主義」と呼んでいます。

現実に生じている事実から目を背け、「そもそも、こうあるべきだった」とか「あのとき、ああすべきでなかった」などと語る。それは言っても意味のないことですし、現に存在するものを否定しているのですから、事実上「死ね」と言っているのと同じことです。

従って、私自身は「第二ラウンド」という言葉をそのような意味で用いることはありませんし、また東神大関係者が用いる場合も、そのような意味ではありません。

それでは「第二ラウンド」とはどういう意味かと言いますと、合同教会としての日本基督教団の中の各個教会における旧教派的伝統というものを「生かす」(つまり「多様性尊重の道を選ぶ」)のか、それとも「殺す」(つまり「強制的同質化の道を選ぶ」)のかの戦いであるということです。

だれもが知っている事実は、たとえ日本基督教団であっても、各個教会の現実は(本人たちがどれほど否定しようとも)色濃く「教派主義的な何か」です。

同じ日本基督教団の中で、ある教会は「連続講解説教」をしている。ある教会は「ハイデルベルク信仰問答」で受洗準備会をしている。ある教会の洗礼式には「浸礼槽」が用いられる。ある教会の聖餐式は「恵みの座」に跪いて行う。ある教会は礼拝の中で「異言」を語る。

少なくとも1990年代の前半までの日本基督教団は、そのような多様性を尊重してきました。 ところが、その後の教団に大きな変化が起こりました(と私は受けとりました)。「強制的同質化」(Gleichschaltung)は言い過ぎかもしれませんが、「教団は合同教会なのだから」という分かりやすいが無内容の殺し文句をもって各個教会の「教派主義的なるもの」に対して弾圧的発言を繰り返す人々が台頭してきたのです。

2009年4月6日月曜日

「信徒のミカタ」ではないことに絶句

「次世代の教会をゲンキにする応援マガジン」なる『ミニストリー』(Ministry)が創刊されるとのこと、同慶の至りです。今日届いたキリスト新聞最新号の「全面広告」を拝見しました。



しかし最も大きな字で書かれたキャッチコピーに絶句。「牧師のミカタ、創刊。」



ウソかハッタリであっても「信徒のミカタ、創刊。」とは書かない(または「書けない」)ところに、ある独特のリアリズムを感じはしましたが、なるべくなら見たくなかった表現でしたね。



本音を思い切りぶちまけたい気持ちなら私にだってありますが、陽の下を堂々と歩きたいならパンツぐらい穿けよと言いたいところです。



「説教の塾」についても、そう。そこで営まれていることは立派であり、関わっている人々は立派であるとは思いますが、基本的なベクトルがちょうど正反対の方向を向いているような気がしてならないのです。



なぜ「牧師のミカタ」なのでしょうか。なぜ「説教の塾」なのでしょうか。牧師たちの自意識が過剰すぎるのではないでしょうか。「おれを忘れるな」(Niet te vergeten mij)を言いたがりすぎではないでしょうか。



あるいは、牧師たちがまるで被害者意識のようなものを持ちすぎているのではないでしょうか。癒されたがり、慰められたがりの傾向が強すぎるのではないでしょうか。



「教会に通わない神学者」の『教会的な教義学』(9)

小学校などの先生でも「勉強しない人」や「倫理的に問題ある人」、けっこういますよね。教え方がひどくて、モンスターペアレンツに突き上げられたりするダメ教師たち。この人々に対する文科省的な対応としては、従来的にはほとんどもっぱら「人事異動」で何とかしてきた。最近では「教員免許の定期更新」や「再研修制度」でしょうか。牧師の場合も、これに似たことを考えるとよいのかもしれません。

しかし、たとえば日本基督教団の場合は、各個教会の上に立つ上部政体であるべきところ(教団、教区、支区・分区)に今私が書いたような文科省的対応ができるほどの権限はありませんよね。「勉強しない牧師」であろうと「倫理的に問題ある牧師」であろうと「異端」であろうと、その人を辞めさせることや変わって(替わって)もらうことは誰にもできない。出て行ってもらいたければ私刑的つるしあげ(いわゆるリンチですね)でもするしかないし、それでも動かない場合は不満を持つ教会員の側が出ていくしかない。

しかし、その種の私刑的対応や離脱行為は「クリスチャンとしてどうよ?」という殺し文句で糾弾されることしばしばで、それをする側に(生涯消えない)罪悪感が残ったりする。どっちが悪いのか、わけわからなくなる。

はっきり言っておきますが、日本基督教団の教団は長老主義的な意味での「大会」ではあり(なり)えないし、教区や市区・分区は「中会」ではあり(なり)えません。そのことを過去68年の日本基督教団の歴史が証明していると思います。

だからこそ、日本基督教団の中で長老主義を重んじようとする人々は「連合長老会」を作ろうとします。その考えや意図はごもっともなものです。しかし、牧師の人事に関する事柄はきわめて法的な、しかも、宗教法人法的なものです。「連合長老会」は任意の団体ですので「宗教法人日本基督教団○○教会」にかかわりえません。

日本キリスト改革派教会も、日本キリスト教会も、そして日本基督教団の連合長老会も、不完全な長老主義しか実現できておらず、理想形には程遠いことは認めざるをえません。しかし、断言できることは、日本キリスト改革派教会と日本キリスト教会は、日本基督教団の連合長老会の方々に対して深い関心と同情を持ち続けているということです。

ですから私は、長老主義を重んじたいという願いから日本基督教団の連合長老会系の教会で主に仕える道をお選びになる方々のことは、お世辞でなく尊重してきたつもりです。

しかし、教団連長の諸教会が「宗教法人日本基督教団」の法規のもとに統治されている状態にとどまっておられるかぎり、日本キリスト改革派教会としても日本キリスト教会としても、法的・政治的な意味での公的なアクセスの取りようがないんです。一緒の勉強会くらいなら何年でも何十年でも続けられるんですけどね。

本当のところをいえば、日本キリスト改革派教会と日本キリスト教会と教団連合長老会との公的な「フェデレーション」を作りたいんです。これはかなり真面目な話です。しかし、そのためにはやはり、連長のみなさんが教団を飛び出す勇気を持っていただく他はないような気がしていますが、これはこんなところに書くことではないかもしれません。

問題は、連長の皆さんにとって「一緒にはできない」相手とは誰なのかです。20年くらい前の東京神学大学あたりで使われはじめたタームを持ち出すとしたら、いわゆる教団問題(事の本質から言えば「東神大紛争」)には「第一ラウンド」と「第二ラウンド」があるのです。

「第一ラウンド」は、1969年問題とも言われてきたものです。社会派とか何とか呼ばれた人々との戦いです。「無差別聖餐問題」などもこの文脈に属します。この戦いはすでに終わっているか、あるいはまもなく終わるでしょう。外面的には熾烈な戦いの様相を呈してきたことを私も体験的に知っていますが、事の本質としては他愛のない、神学的には児戯にすぎない戦いです。

「第二ラウンド」は、隠喩的ないし暗示的に1941年問題と言うべきです。合同教会としての教団のそもそもの本質を問う。「教団の中に旧教派伝統を(≠が)残し(≠残り)続けるべきか」を問う。「教団は合同教会なのだから」という殺し文句で旧教派伝統を弾圧する人々を容認しうるかという問題です。

私の見方を率直に言わせていただけば、連長の皆さんは今のままでは「第二ラウンド」の戦いには負けるだろうと思っています。これを戦わなければならないほどのモチベーションが見当たらない、またはきわめて低いんじゃないかと。

「第二ラウンド」は神学的にはあまりにも深刻なものなので、まさに決死の覚悟が必要ですが、外面的には「敬虔の衣をかぶった論敵たち」との戦いになりますので、本質が見えにくいし、後味が悪い。いつまでも引きずるイヤーな罪悪感が残ります。

2009年4月5日日曜日

イエス・キリストを十字架につけた人々の自己矛盾


ヨハネによる福音書19・13~16

「ピラトは、これらの言葉を聞くと、イエスを外に連れ出し、ヘブライ語でガバタ、すなわち『敷石』という場所で、裁判の席に着かせた。それは過越祭の準備の日の、正午ごろであった。ピラトがユダヤ人たちに、『見よ、あなたたちの王だ』と言うと、彼らは叫んだ。『殺せ。殺せ。十字架につけろ。』ピラトが、『あなたたちの王をわたしが十字架につけるのか』と言うと、祭司長たちは、『わたしたちには、皇帝のほかに王はありません』と答えた。そこで、ピラトは、十字架につけるために、イエスを彼らに引き渡した。こうして、彼らはイエスを引き取った。」

来週の日曜日がイースターです。わたしたちの救い主イエス・キリストは死者の中から復活されました。そのことを覚えて感謝すること、それがイースターにおいてわたしたちがなすべきことです。

しかしイースターの意義はそれだけではありません。イエス・キリストは真の神であると同時に真の人間でもあります。そのためイエス・キリストの復活は「死んだ人間の復活」であるとも語ることができます。聖書に教えられていることはイエスさまだけが復活するのであってわたしたち人間は復活しないということではありません。わたしたち人間自身もイエスさまと同じように復活するのです。そのことを信じて覚えることもイースターの意義なのです。召天者記念礼拝の目的は、故人を追悼することではなく、すべての死者の復活を覚えることにあるのです。

しかしこの話は、もちろんあまり単純なものではありません。イエス・キリストの復活にせよ、わたしたち人間の復活にせよ、それを信じる際に最初の大前提として理解すべきことは、復活させてくださるのは神であるということです。

復活を信じるとは復活させてくださる神を信じることです。「神は信じないが、復活は信じる」とか「永遠の命には興味があるが、神には興味がない」というような言い方は成り立たないのです。復活を信じる人は神を信じる必要があります。イースターにおいて信じられるべきは端的に神なのです。来週の日曜日に祝われるべきことは、イエスさまを復活させてくださったし、わたしたち人間をも復活させてくださるでありましょう神の恵みの偉大さなのです。

また、もう一つの大前提は、復活とはわたしたちの信仰であるということです。

イエス・キリストの復活については、それを自分の目で見たとか自分の手で触ったと証言している人々がいますので、信仰であるというよりは事実であると言うほうがよいかもしれません。しかし残念なことは、わたしたち自身はイエス・キリストの復活を自分の目で見ていないということです。また、わたしたちのうち誰一人として、だれかが復活する様子を見たことがあると言える人もいません。

わたしたちにできることは、イエスさまの復活を自分の目で見たとかイエスさまの復活の体を手で触った人々が書き遺した言葉を信じることだけです。そしてわたしたち人間自身の復活を信じることができるだけです。たとえば、復活の事実を「科学的に」証明するというようなことは、わたしたちにはできないことです。

ですから、ひどく冷めた言い方をお許しいただけば、復活は信仰以上のものではありません。しかし、信仰以下のものでもありません。そうであることのどこが悪いというのでしょうか。

わたしたちにとって大切なことは「何を信じるか」です。どんな人でも必ず、いろんなことを信じながら生きています。わたしたち人間は、信仰という要素を全く持たないでは生きていません。たとえば、今日、わたしたちの頭の上にミサイルが飛んでくるかもしれません。しかし飛んでこないかもしれません。それは「必ず」飛んでくるとか「絶対に」飛んでくるとか言いだすところに信仰の要素が入り込んでくるのです。「私は何も信じていない」と言い張る人もいますが、その人の話の中身をよくよく聞いてみると、至るところに信仰の要素が見当たるのです。

ですから、言い方はおかしいかもしれませんが、私がぜひお勧めしたいことは、どうせ信じるなら良いことを信じようではありませんかということです。わたしたちはどのみち何かを信じながら生きているのです。もしそうであるなら、暗いこと、悲惨なこと、最悪の結果を信じるのではなく、明るいこと、希望に満ちたこと、最善の結果を信じようではありませんか。

実際のわたしたちは、そんなこと信じなくてもよいようなことや信じるべきではないことをすっかり信じ込んで生きているようなところがあります。たとえば、わたしたちには「悪魔の存在を信じる」ということがありえます。しかし聖書的にいえば悪魔を「信じる」必要はありません。悪魔はわたしたちの信仰の対象ではないからです。わたしたちの信仰の対象は神だけなのです。

しかし、いま私が申し上げたような考え方は、多くの人々にとってはそれを手に入れるためにかなり苦労が必要なものであるということは分かっているつもりです。人間の心は放っておけば、どんどん悪いものをため込んでいくからです。悪いこと、暗いこと、後ろ向きなことばかりが焼き付いて離れない。早く忘れるほうがよいようなことが忘れられず、まるで澱のように心の中に沈澱していくのです。その行きつく先は心の病です。

しかし、繰り返し申せば、復活を信じるとは神を信じることです。死んだ人が復活することを信じるとは死の向こう側に希望を見出すということです。復活を信じるとはわたしたちの人生には絶望はないのだと確信をもって生きることです。どうせ信じるなら、このようなことを信じようではありませんか。この信仰がわたしたちを、絶望と憂鬱から救い出してくれるのです。

さて私はこれまで、イースターにおいてわたしたちが信じるべきことをお話ししてきました。けれどもイースターは来週です。今日はまだイースターではありません。これまでの話は、来週話すべきことだったかもしれません。しかしそれを今日お話ししたことにはもちろん意味があります。

今日お開きいただきました聖書の個所では、イエス・キリストはまだ復活しておられません。十字架にもかけられてもいません。ここに描かれているのは、十字架にかけられる前にポンティオ・ピラトのもとで行われた裁判の様子です。そして、まだ激しい苦しみの中におられるイエスさまのお姿です。

教会は伝統的にイエス・キリストは「わたしたちのために死んでくださった」と語ってきました。この言い方が間違っているわけではありません。しかし、聖書を読むかぎり、この出来事はどう見てもイエス・キリストは「殺された」と言わざるをえないことも事実です。イエス・キリストは「殺された」というこの表現は、たとえば、以前皆さんと共に長く学んだ使徒言行録の、とくに使徒ペトロの言葉の中に何度か出てきます。「わたしたちのために死んでくださった」イエスさまは「殺された」方でもあるのです。

この点でわたしたちが考えるべきこと、また避けて通れないことは、イエス・キリストの復活を信じることは、単純に「死んだ人の復活」ということにとどまらないということです。むしろそれは「殺された人の復活」であると言わなくてはなりません。そして同時に考えざるをえないことは、イエス・キリストを殺したのは誰なのかという問題です。

殺すとは殺人です。それは激しい罪です。伝統的にいえば、殺人の罪は死をもって処罰されるべきものです。先ほどは、イースターにおいて信じるべきことは「死んだ人の復活」であると申しました。それをわたしたちは「殺された人の復活」と呼び換えることもできます。しかしここに問題があります。それは、殺されたイエス・キリストを「殺した」人々は復活するのだろうかという問題です。

聖書的に正しい答えを言うなら、イエス・キリストを「殺した」人々も復活するのです。しかし同時にそれと同時に言わなければならないことは、イエス・キリストを殺すという自分自身の行為を「罪」であると認識することなく、したがって、自分の罪を反省したり悔い改めたりしないままで死んだ人は、殺人者である人のままで復活するのだということです。そして復活した後、その人は神の御前で審判を受け、イエス・キリストを殺した罪を厳しくとがめられ、断罪されて、永遠の死へと裁かれるのです。これこそが聖書の教えなのです。

このあたりで先週までお話ししてきたことが関係してきます。イエスさまがニコデモに向かって語った「地上のこと」とは、わたしたち人間は地上の人生の中で救い主イエス・キリストを信じて洗礼を受け、信仰生活を始めるべきことであると、私は繰り返し申しました。死んだ後に洗礼を受けることはできないし、信仰生活を始めることもできません。

復活とは、いわば、わたしたち人間が地上の人生の中で得たものを取り戻すことを意味しています。もしそうだとしたら、信仰をもって生きた人は信仰者として復活するのです。そしてそれと同時に、先ほども申し上げましたとおり、イエス・キリストを殺したことを反省も悔い改めもしなかった人は、殺人者として復活するのです。

地上の人生を終えて死ぬ人のすべてが、(背中に羽の生えた)天使になるわけではないのです。神によって復活させていただける人間は、すべて自動的に善人になるわけではありません。わたしたちは地上で生きたように死ぬのです。しかしそれだけではなく、わたしたちは地上で生きたように復活するのです。

ですから、ここで申し上げておくべきことは、復活そのものは(罪からの)救いでも解決でもないということです。復活が希望であると語ることができるのは、神を信じ、救い主イエス・キリストを信じている人々だけです。地上の人生の中で信仰を与えられ、罪から救われた人々にとってだけ、復活は希望であり、喜びなのです。信仰の無い人々にとっては、復活は裁きであり、断罪なのです。そのことを忘れることも無視することもできないのです。

今日開いていただいた個所に描かれているのはイエス・キリストを殺した人々の姿です。ローマの総督ポンティオ・ピラトと、その前に集まっていたユダヤ教団の指導者、そして彼らによって扇動された群衆たちの姿です。

ピラトは群衆たちの暴動を恐れて、自己保身のために自分の正義を曲げてユダヤ教団の指導者たちの思惑に乗ってしまいました。ここには、そのピラトの非常に弱く哀れな姿が描かれています。

群衆は、理性を失い、ただひたすら感情的に凶暴化した状態の中でイエス・キリストを殺すことをピラトに要求しました。「殺せ。殺せ。十字架につけろ」と大合唱している彼らの姿は、ひどく恐ろしいものです。彼らのうち一人でも、自分自身がイエスさまの立場に立ってみれば、どのような思いになるだろうかと考えてみたでしょうか。もしそのことを少しでも考えてみれば、このようなひどい言い方は決してできないだろうと思わずにいられません。

ユダヤ教団の指導者、とくにここに描かれているのは祭司長たちですが、彼らが言った言葉は「わたしたちには皇帝のほかに王はありません」です。しかし、ユダヤ人には彼ら自身の王がいました。また、当時のローマ皇帝が「王」と呼ばれているときの意味は「神」であるということをユダヤ人たちは知っていました。つまり、祭司長たちが言っていることは、事実上、「わたしたちにはローマ皇帝の他には神はいない」と言っているのと同じなのです。彼らはでたらめを語ったばかりか、まことの神を否定したのです。

人は生きたように死にます。また生きたように復活するのです。殺人者は殺人者として復活するのです。わたしたちはその人々の真似をしてはなりません。イエス・キリストを信じて、自分の罪を悔い改めて、洗礼を受けて、新しい人生を始めようではありませんか。

(2009年4月5日、松戸小金原教会主日礼拝)

2009年4月4日土曜日

「教会に通わない神学者」の『教会的な教義学』(7)

「牧師養成と教会と神学の関係」については、いちおう私なりの考えがあるといえばありますが、いまだかつて披瀝して批判を請うたことがありませんので、他の人たちとは一致しないかもしれません。十分に整理もできていません。

私の考えるところによれば、教会の牧師(=「牧会」をする人=「説教」だけしていればよいわけではない人)になるために必要なのは、重要な順として(1)実践力、(2)自活力(いろんな意味での)、(3)神学的論理、であると思います。

牧師の現実によく似ていると思われるのは、小学校や中学校や高等学校の先生たちの現実です。または幼稚園の先生と言うべきかもしれない。

求められるのは、要するに、キリスト教について何の知識もない人々に、イロハのイの字から・手取り足取り、教え聞かせる力がある人。 教会は宣教の最前線(アヴァンギャルド)なのですから。

小・中・高の先生は、通常「教科書を書く人」ではありません。「教科書を書く人」は、ダンゼン大学の先生たちでしょう。

というか、「教科書を書く仕事」に関心がある人たちは、小・中・高の先生になるべきではないと思います。大学の先生になるべきです。

こう書くのは、小・中・高の先生よりも大学の先生のほうが「上」だという意味ではありません。役割が違うと言っているだけです。「教科書を書く人」と「その教科書を用いて教える人」は分業すべきだと言っているだけです。

しかし、このたとえには明らかな限界があります。教会の場合は、牧師の視座から見た教会の現実を知らない人には、「牧師の教科書」は決して書くことができません。牧師をやったことがない人にそれは書けません。

事実、いわゆる一流の(改革派系)教義学者たちには皆、教会での牧会経験があります。20世紀の人でいえば、カール・バルト然り、ファン・ルーラー然り、ベルカウワー然り、ユルゲン・モルトマン然りです。

しかし、日本の大学の先生たちの中に、小・中・高の先生を体験してから大学の先生になるというコースを辿る人がどれくらいいるでしょうか。一人もいないとは思いませんが、私はそのような人を寡聞にして知りません。

ところが、牧師と神学者の関係は、いわばそのようなものです。

「神学の教科書を書く仕事」(神学者)は「その教科書を用いて教える仕事」(牧師)をしたことがある人でなければできません。

また、教会をサボってガリベンしなければ論文の一つも書けないような人の書いた教科書などお話しにもなりません。言語道断、唾棄すべきものです。

しかしまた、それと同時に、「教科書を書く仕事」と「教科書を教える仕事」は分業すべきでもあると、非常に矛盾したことも言わなくてはならないのです。


2009年4月3日金曜日

「教会に通わない神学者」の『教会的な教義学』(5)

改革派の神学者は、W. J. ファン・アッセルト先生の言葉を借りれば「カルヴァン主義者にならないかぎり、カルヴァンをラディカルに相対化できる」ところがあります。カルヴァンを批判しても改革派神学者のままでいることが可能です。

しかし、たとえば、いったん「ルター派」を名乗ってしまいますと、どうしてもルターという一人の歴史的人物から一歩も離れられなくなってしまいますよね。人の名前を付けた教会のすべてが悪いと言うつもりは私にはありませんが、キリスト教を極端に狭めてしまう危険性と隣り合わせにあるような気がしてなりません。

バルトの場合は、「バルト派教会」という教団があるわけではないし、バルト自身は「バルト主義者」を忌み嫌っていたということはよく知られていることではあります。

しかし、なぜでしょうか、私の知るかぎり、バルトを愛する人々の多くは強い排他性をもちはじめます。

というか基本が「上から目線」です。なんといっても「20世紀最大の神学者」のファンクラブですから。百歩譲ってバルトが「最大」であることを認めるとしても、バルトのファンたち自身は別に「最大」でも何でもないんですけどね。自分はバルトじゃないのに、まるで自分が「最大」であるかのようになっちゃう。どこかでとんでもない勘違いに陥っているんですね、きっと。

また、これはオランダの話ですが、20世紀のオランダ人でバルトの親友となり自らバルト主義者になったK. H. ミスコッテという人がいるのですが、この人が亡くなった後、彼の息子が出版した追悼論文集のタイトルが『ミスコッテを忘れるな』(Niet te vergeten Miskotte)っていうんです。

自分の父親の追悼論文集にどんなタイトルをつけようと遺族の勝手だと言われればそれまでですが、センスとしては最低だし、何となくみっともないと感じるのは私だけでしょうか。とくに、「忘れるな」とか実の息子さんから言われますと、私などはひねくれていますので、かえってますます見苦しいし、「必死だなー」とか笑ってしまいます。

ミスコッテのことはバルトとは直接的には関係ないことではありますが、結論として思うことは、人の名前と結びつく信仰というのは薄氷の上を歩くに似た危うさがありますよねということです。

ドイツには「ディートリッヒ・ボンヘッファー教会」という名前の教会が結構あるようですが、そういうのも結局似たような運命を辿るような気がします。

2009年4月2日木曜日

セオブロギアン(苦笑)

コブクロは妻が熱心で、私は感化されてファンになりました。妻は二人の子供を連れて東京ドームやさいたまスーパーアリーナのコンサートに行くのですが、私はいつも留守番です。自動車の中には彼らの全CDが常備されています。

かなり重度の我田引水ですが、コブクロがストリートを始めた1998年は、図らずも、私が日本キリスト改革派教会の教師になった年だったりするので、彼らの過去10年間の苦闘の軌跡は、まさに私自身の苦闘と重なるものと感じられ、彼らの歌を聴くたびにヒトゴトには思えないのです。

しかし、彼らはレコード大賞の極みに達し、かたや私は10年前に抱いた「出版」という念願をいまだに果たすことができません。彼らの足元にも及びません(私は最近、悔し紛れに自分のことをセオブロギアン(theoblogian)と呼びたくなっています)。

5年ほど前からの口癖は「早く人間になりたい」(by妖怪人間)なのですが、まだまだ道は遠いです。ファン・ルーラーのオランダ語テキストとほぼ毎日格闘しているのですが、なかなか日本語になってくれません。申し訳ない気持ちでいっぱいです。



mixiのプロフィールを更新しました

久しぶりにというか、入会以来初めて、mixiのプロフィールを更新しました。



自己紹介:



千葉県松戸市の日本キリスト改革派松戸小金原教会で牧師をしています。高校3年の夏休みに一生の職業を考える中で「牧師」になることを決心し、それ以来全く迷うことなくこの道を歩んできました。私にとって「牧師」とは、職業以上のものではないし、職業以下のものでもありません。しかしこれは間違いなく楽しくやりがいのある仕事です。自分の職業を決めかねている人には「牧師」になることをお勧めいたします。



今週の説教
http://sermon.reformed.jp/



改革派教義学
http://dogmatics.reformed.jp/



関口 康 日記
http://ysekiguchi.reformed.jp/



プロフィール
http://ysekiguchi.reformed.jp/profile.html



好きな音楽:



コブクロ



好きな映画:



最近ので良かったのは「ハンサム☆スーツ」かな(ヒトゴトとは思えない)



好きな言葉:



「最良は堕落すると最悪と化す」(corruptio optimi pessima)



2009年3月30日月曜日

「教会に通わない神学者」の『教会的な教義学』(2)

バルトが大学教授になる前にはザーフェンヴィルで牧師をやっていたことは私も知っています。大学教授になってからもいわゆるバルメン宣言の起草などを通して教会に大きな影響を与えましたし、晩年のバルトは刑務所で説教したりしていました。

私がバルトを「教会に通わない神学者」であると呼ぶのは、これらの事実を全く知らないで言っていることではないつもりです。

私が問うていることは、神学者、とくにわざわざ『教会的な教義学』(キルヒェリッヒ・ドグマティーク)というタイトルの本を書いた「自称『教会的な』教義学者」が、それを書いている最中に教会に通っていなかったというのは、どういうことを意味するのだろうかということです。

ご承知のとおり(伝統的な)神学、とりわけ教義学には「教会論」(Ecclesiologie)という項目が不可避的に置かれることになっており、バルトの『教会的な教義学』にも「教会論」に該当する部分はありますし、非常に詳細な議論がなされてもいます。

しかしそれらの議論も「教会に通わないで」書かれていたというわけです。日曜日の礼拝には行かない。また、日本語で言えば教団や教区、大会や中会における「教会行政」などにも関与しない。 教会との関係という観点からいえばバルトは「フリーランスの神学者」であったと言えるでしょう。

したがって、バルトの語る「教会」は、深井さんの言葉を借りれば、本質的教会論であるということになるわけです。聖書と諸信条あたりを持ち出して「教会はこうあるべきだ」と本質論的に語る。そんな話は、やはり「絵に描いた餅」です。

そのようなバルトの議論を「無責任である」というような言葉で断罪するつもりはありませんが、あまりにも抽象的すぎるため、まともに傾聴するに値しないとは思います。

『教会的な教義学』というタイトルからして、これが「教会に通わない神学者」が自分の主力商品に付けた名前であるということになりますと、ギャグやジョークだったのか、あるいは皮肉たっぷりの当てこすりだったのかと勘繰りたくなります。

私は、仮にそれがギャグやジョークや当てこすりであったとしても、そのこと自体を悪いと言いたいのではありません。そうである可能性を知らない読者があまりにも多すぎるのではないかと言いたいのです。


2009年3月29日日曜日

真理を行う者は光の方に来る


ヨハネによる福音書3・19~21

「光が世に来たのに、人々はその行いが悪いので、光よりも闇の方を好んだ。それが、もう裁きになっている。悪を行う者は皆、光を憎み、その行いが明るみに出されるのを恐れて、光の方に来ないからである。しかし、真理を行う者は光の方に来る。その行いが神に導かれてなされたということが、明らかになるために。」

今日を含めて四回(予告したよりも一回多く)、わたしたちの救い主イエス・キリストとユダヤ最高法院の議員ニコデモとの対話を学んできました。今日で一応最後にしますので、少しまとめのような話をいたします。しかし、最初に今日の個所に書かれているイエス・キリストの御言葉に注目していただきたく願っています。

こんなふうに書かれています。「光が世に来たのに、人々はその行いが悪いので、光よりも闇の方を好んだ」。これはどのような意味でしょうか。「光が世に来た」と言われている場合の「世」の意味については、先週かなり強調してお話ししたとおりです。途中の議論を全部省略して最初と最後だけくっつけて申せば、「世」とは要するに「世間」(せけん)のことです。わたしたちが日常生活を営んでいるこの地上の世界そのものと、わたしたちがかかわっているあらゆる人間関係そのものです。

その「世間」に来た「光」とは神の御子イエス・キリスト御自身です。「神は、その独り子を世にお与えになったほどに、世を愛された」(16節)のです。神が愛されたのは「世間」です。「俗」の字をつけて「俗世間」と言い換えても構いません。あるいは「世俗社会」でもよいでしょう。

神は、世俗社会と敵対するためにイエス・キリストをお与えになったのではありません。イエス・キリストを信じる者たちは俗世間に背を向けて生きることを求められているわけではありません。すべては正反対です。わたしたちに求められていることは、世間の真ん中で堂々と生きていくことです。世間の中に生きているすべての隣人を心から愛することです。そのことがわたしたちにできるようになるために、神は独り子イエス・キリストを与えてくださったのです。

別の言い方をしておきます。わたしたちが今立っているところは、絶望に満ちた暗闇ではありません。一寸先も闇ではありません。この地上にはすでに神の光が輝いています。わたしたちの歩むべき道もはっきり見えています。わたしたちに求められていることは、その道をとにかく歩み始めることです。

その道を歩んだ先はどこに行くのかも、教会に通っているわたしたちには分かります。教会には信仰の先輩たちがたくさんいるからです。すでに地上にいない、御国に召されている先輩たちもいます。わたしたちはその人々のことをよく憶えています。その人々の顔はひどく歪んでいたでしょうか。私にはそんなふうには見えませんでした。わたしたちはどんなふうになっていくのか皆目見当もつかない。全く路頭に迷う思いであるということがありうるでしょうか。そんなことはないはずです。

もちろんわたしたちには「あの人が幸せであることと、私がどうであるかは関係ない」と言って関係を遮断することもできます。「私の悩みは特別だ。他の人の悩みよりもひどい。私のことは誰にも分かってもらえない」と言って自分の殻に引きこもることもできます。しかしそれは勿体無いことです。また、少し厳しい言い方をすれば、それは罪深いことでもあります。それはイエス・キリストが「悪を行う者は皆、光を憎み、その行いが明るみに出されるのを恐れて、光の方に来ないからである」とおっしゃっているとおりです。

神の救いの光はすでに地上に届いている。わたしたちが歩むべき道もはっきりと見えている。しかし、それにもかかわらず、その光を見ようとしないこと、光の届かない物陰を探してその中に逃げ込もうとすること、そのようにして光を憎み、闇を好むことは、端的に言えば悪いことであり、罪深いことなのです。

しかしまた、よく考えてみれば、そもそもわたしたちにはその光から逃げおおせる場所があるわけでもないのです。聖書の真理から言えば、わたしたちの世界は一つしかありません。神は世界をただ一つだけ創造なさったのです。この世界は二つも三つもないのです。ですから、光から逃げて闇の中に閉じこもろうとしても、そこに光が追いかけてきます。光の世界から出て闇の世界に逃げ込めるわけではありません。一つの世界に光にさせば、闇は消えていくのです。神がその人をどこまでも追いかけていきます。その人の心の扉を叩いてくださる。それが神の御意志なのです。

続きに書かれていることも見ておきましょう。「しかし、真理を行う者は光の方に来る。その行いが神に導かれてなされたということが、明らかになるために」。

これはすぐには理解できそうにない言葉です。ただ、ともかくこれは重要だと思えるのは「真理を行う者」が光の方に「来る」と言われている点です。神は「真理を行う者」が光の方に「来る」ことを望んでおられます。「来る」のはその人自身です。その時その人に求められるのは主体性です。神は人の心の扉をハンマーで叩き壊して無理やり突入するという暴力的な方法をお採りになりません!その人が自分で扉を開けるのを、神は待っておられるのです。

神が与えてくださった救い主イエス・キリストの光によってわたしたちが歩むべき道ははっきり見えていると、先ほど申しました。しかしそれは、鋼鉄のレールの上を無理やり転がらされることではありません。神を信じるということにおいても、信仰生活を営むということにおいても、人間の主体性はきちんと確保されるのです。わたしたちは無理やり連れて行かれるわけでも、やらされるわけでもないのです。そのことを「来る」という字に中に読み取ることができると思います。

しかしまた、そのとき、わたしたちは傲慢さに陥ることも許されていません。「真理を行う者」が光の方に「来た」ときにはっきり知らされることは、すべてのことは自分一人の努力によって達しえたことではなく、「神に導かれて」なされたことであるということです。光が来たときに闇の中に逃げ込もうとしたことも、しかしまた、逃げおおせることができないことを知って自ら扉を開ける決心をすることができたことも、です。そのことをわたしたちは、神無しに行ったのではなく、神と共に・神に導かれて、行ったのです。

ここから、これまでの四回分の話をまとめておきます。ニコデモに対してイエスさまがおっしゃったのは、「人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない」ということであり、「だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない」ということでした。この二つの言葉は同じことが別の言葉で言いかえられているのです。

これについて私は、この文脈においてイエスさまがおっしゃっている「水」とは教会でわたしたちが受ける洗礼を指しているということ、また「霊」とは、わたしたちキリスト教会が信じるところの聖霊なる神のことであるということ、そして「霊によって生まれる」とは聖霊なる神の働きによってわたしたち人間の心の内に「信仰」が生みだされ、それによってわたしたち人間が「信仰生活」を始めることであるということを、相当ねちっこく駄目押し的な言い方をしながら説明してきました。洗礼はバプテスマのヨハネに始まり、その後の二千年間の教会の歴史が受け継いできたものです。わたしたちは洗礼を受けることによって自分の信仰を公に言い表わしてきたのです。

そしてまた、これは特に先週の説教の中で強調させていただいた点ですが、イエスさまがニコデモに向かって「わたしが地上のことを話しても信じないとすれば、天上のことを話したところで、どうして信じるだろう」とおっしゃった中に出てくる「地上のこと」の意味は何かという点については、次のように申しました。

わたしたちにとって教会とは地上の人生の中で必要なものであり、信仰をもって生きる生活、すなわち信仰生活もまた徹底的に地上で行われるものであるということです。教会こそが、またわたしたちの信仰生活こそが「地上のこと」なのです。今ここはまだ天国ではありません。わたしたちはまだ天上にいません。ここでイエスさまがおっしゃっている「地上のこと」とは否定的ないし消極的な意味で語られていることではありません。地上の価値を低める意味で言われているのではありません。天国だけが素晴らしいのではありません。神と共に生きる地上の人生が素晴らしいのです!

そして、いずれにせよはっきりしていることは、死んだ後に洗礼を受けることは不可能です。つまりそれは死んだ後に教会のメンバーになることは不可能であるということです。しかし、これは、洗礼を受けなかった人が必ず地獄に行くとか、教会に通わない人は必ず不幸せになるというような話をしているのではありません。それは全くの誤解です。そのようなことを私は決して申していませんし、そのような信じ方もいません。

私が申し上げたいことは、もっと明るいことであり肯定的なことです。また、ある見方をすれば、かなりいい加減なことでもあり、お気楽で、能天気で、人を食ったような話だと思われても仕方がないようなことでもあります。それはどういうことでしょうか。私が申し上げたいことは、洗礼を受けて教会のメンバーになるという、いわばその程度のことだけで、神はその人の罪を赦し続けてくださるのだということです。

先ほどもこの礼拝の初めのほうで、「罪の告白と赦しの宣言」が行われました。そのときわたしたちは定められた文章を読むことによって、自分の罪を告白しました。そして牧師が赦しの宣言の文章を読み上げました。これによって、わたしたちは「罪が赦された」と信じるわけです。これだけで何がどのように変わるのでしょうか。何も変わりっこないではないかと思われても仕方がないほど、あっけなく。傍目に見れば、「そんなのずるい」と思われても仕方がないほどに。これほどいい加減なことは他に無いかもしれないほどです。

しかし、ぜひ考えてみていただきたいことは、人の罪を赦そうとしないことそれ自体も、わたしたちの犯す大きな罪ではないだろうかということです。わたしたち自身は、人の罪をなかなか赦すことができません。「あのときあの人が私にこう言った。私はそれで傷ついた」。「あのときあの人は、私にこんなことをした。そのことを私は決して忘れない」。

自分に加えられた危害や罪は何年でも何十年でも憶え続けるのです。いつまでもこだわり続け、恨み続け、呪い続け、ビデオテープのように何度でも再生し続けるのです。私自身も同じです。洗礼を受けて教会に通い始めたくらいで、あの人のどこがどのように変わるというのか。変わるはずがないし、変わってなるものかと、固く信じているようなところがあるのは、わたしたち自身ではないでしょうか。

しかし、です。わたしたちは、こと罪の問題に関しては開き直った言い方をすべきではないかもしれませんが、それでもあえて言わせていただきたいことがあります。それは、イエスさまがおっしゃった「水と霊とによって生まれること」、すなわち洗礼を受けて信仰生活を始めることは、わたしたちが犯した自分の罪を悔いて「死んでお詫びする」というようなことよりもはるかに尊いことであるということです。死んだところで何のお詫びにもなりませんし、何も償うことができませんし、何も生み出すことができません。地上の人生から逃げ出したところで、神がお造りになったこの世界以外に、どこにも逃げ場所はないのです。

わたしたちが犯した罪と向き合うために選びうる最も良い選択肢はとにかく生きることです。そして、生きながらにして、神を信じて悔い改めることです。わたしたちは、暗闇の中ではなく光の中を、閉ざされた部屋の片隅ではなく世間のど真ん中を、堂々と歩いてよいのです。そうすることができる道を、イエス・キリストが開いてくださったのです。

(2009年3月29日、松戸小金原教会主日礼拝)