2008年12月9日火曜日

アムステルダム中央駅 Amsterdam Centraal

■ アムステルダム



アムステルダム中央駅に戻り、駅前からトラムに乗ってホテルに帰ろうとしましたが、そこでトラブル発生。乗るべきトラムの路線を間違えてしまったようでした。来た道とは異なる風景が見えはじめ、これはヤバいと、とにかく降りました。全く未知の外国で迷子になるところでした。ガイドブックの地図を見ても、よく分かりません。そこからうろうろ歩くこと約一時間。やっと見つけたのが、昨日最初に訪ねたアムステルダム自由大学の看板でした。「これでホテルに帰れる!」と、ほっとしました。



うろうろ歩いている最中に、Sushi Kingsという店を見つけて驚きました。「寿司屋」でした。ガラス越しに中を見るかぎり、店員に日本人は一人もおらず、全員オランダ人らしき若い男女が寿司を握ったり、包丁を洗ったりしていました。



「日本の寿司と味が違うのではないかなあ。東京で『広島お好み焼き』とか『沖縄ソウキそば』とか言って売っているのは現地の味と全然違うのと同じように」というなんとも微妙な興味を抱いてしまったので、夕食はすでに済んでいたのですが(石原先生のおくさまが作ってくださったおいしいサンドイッチでした)、ついお持ち帰り用のを一つ買ってしまいました。しかも値段は、日本の「小僧寿し」なら500円くらいで買えそうなのが、なんと18.5ユーロ(約2,300円)。「これだけ払って味が全く違っていたら怒るからね」とブツブツ言いながら、sushiをぶらさげてホテルに帰り着きました。



そして最初の一つを口に入れたところ、「おお、なんと、これは『寿司』だ!」と、そのおいしさに感動しました。その店は宅配(デリバリー)もしているとのこと。店には日本酒なども売っていました(買いませんでしたが)。



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以上、親友の石原先生と共にユトレヒトにもヒルファーサムにも行くことができ、親切な牧師と教会が大好きな子どもたちに出会うことができ、おいしい寿司まで食べることができた一日でした。明日は「国際ファン・ルーラー学会」本番です。



ヒルファーサム Hilversum

■ ヒルファーサム



ヒルファーサムは、ファン・ルーラーが牧師として働いた教会がある町です。しかし我々は、それがヒルファーサムのどの教会なのかを特定できずにいました。それでとりあえず、その町で最も古く最も大きな教会である「大教会」(Grote Kerk)に行きました。



しかしそれが本当にファン・ルーラーが牧会した教会であるかどうかに確信が持てませんでした。「これかなあ?たぶんこれだよねえ。でも、分からないねえ。これだってことにしておこうか?(苦笑)」とか言いながら建物の周囲を二人でうろついていたところ、教会前に駐車していた自動車から出てきた若い男性が我々に気づいて声をかけてくださいました。それがなんと「大教会」の牧師でした!(ただし「パートタイムの」牧師であるとのこと。その方曰く、現在「大教会」は主任牧師がおらず、探しているとのことでした。)



これはラッキーと、その先生にこの教会とファン・ルーラーの関係を質問したところ、「それはこの教会ではなく、別の教会です」と教えてくださいました。そして「じつは今から30分くらい子どもたちにカテキズムを教えなければならないので、もし終わるまで待ってくださるなら、自動車でその教会まで連れて行ってあげますよ。ちょっと遠いので、徒歩で行くのは無理だと思いますので」と言ってくださいました。驚くやら喜ぶやら。二人で小躍りしました。



教会の一室に通していただいて待つこと30分。その先生が我々のところに戻ってこられ、「子どもたちが日本からのお客さんに興味を持っているので、会ってもらえませんでしょうか」とのこと。これまた大喜びで了解しました。カテキズム教室に集まっていたのは10名ほどの中学生でした。男の子も女の子もいました。我々を興味津々の目で見つめ、「日本にはどれくらいクリスチャンがいるのか。多いのか少ないのか」とか「あなたたちはこれから牧師になるのか、それともすでに牧師なのか」など質問攻めに会いました。



子どもたちと別れる前に、その牧師がオランダ語でお祈りしてくださいました。最後に私が「皆さんは教会が好きですか」と尋ねたところ、一人の女の子がニコニコしながら「ハイ!」と大きな声で答えてくれました。



その後、先生の自動車で目的の教会(Hilversum Diependaarse Kerk)に移動しました。移動中も突然の訪問客に対してとにかく親切に何でも教えてくださいました。曰く、「大教会」(Grote Kerk)とファン・ルーラーが働いていた「ディーペンダール教会」は、同じオランダプロテスタント教会(Protestantse Kerk in Nederlands)に属しているものの、前者がConfesioneel(信仰告白派)という正統的なグループに属しているのに対して、後者はリベラルである。しかし、ファン・ルーラーは「大教会」のほうでも説教していた。ファン・ルーラーは、教会員から「説教が難しすぎてついて行けない」と批判されていた。私(その先生)はファン・ルーラーを偉大な神学者であると思っている、などなど。「現在ヒルファーサムには、いくつくらいの教会(プロテスタントとカトリックとを合わせて)がありますか?」という私の質問に対しては、少し考えて「20くらいですね」と答えてくださいました。その後、その先生はヒルファーサム駅まで我々を送ってくださいました。



石原先生とも明日に備えてヒルファーサム駅でお別れ。時刻はすでに午後6時。あたりは真っ暗でした。



ユトレヒト Utrecht

今朝は7時に起床。8時にホテルで朝食を食べました。一応セルフバイキング形式でしたが、予想どおり、パン、ハム、チーズ、コーヒーのみの(あとは何もない)朝食でした。その後一時間ほどかけてメールの返事を何通か書き、10時にホテルを出発。雨が降っていたのでホテルのフロントで傘を借りました。



■ ユトレヒト



トラムに乗って約15分でアムステルダム中央駅(Amsterdam Centraal)に着き、そこからユトレヒト中央駅(Utrecht Centraal)まで約30分。そこから徒歩で10分のところにあるドム教会(Dom Kerk)に行きました。ドム教会の前で、9月から留学中の石原知弘先生が待っていてくださいました。石原先生は午前中ユトレヒトの語学学校で勉強。午後から私に付き合ってくださいました。



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最初にドム教会の内部を見学。ドム教会は、とにかく巨大で荘厳な建物でした。なかでもとくに驚いたことは、説教壇(Kansel)と聖餐卓(Abondmaal tafel)とが会衆席をはさんで対極の位置に置かれていたことです。両者は20メートルほど離れており、そのような贅沢というか優雅な建物の使い方をしていることに驚き、また羨ましく思いました。



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その後、ドム教会の隣にあるユトレヒト大学(Universiteit Utrecht)の旧校舎に行きました。ファン・ルーラーが講義を行っていた場所です。古い建物の中には似つかわしくない感じの電光掲示板があり、今日の予定が映し出されていました。三名の博士号授与式(promotie)と授与者祝賀会(receptie)が行なわれる予定だったようで、我々が訪ねたときはそのうち一名の祝賀会が行われている最中でたいへん賑やかでした。白い蝶ネクタイをしたにこやかな若い男性と廊下ですれ違いましたので、たぶんその人が今日まさに「博士」(doctor)になられたのでしょう。



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ドム教会の次は、徒歩7分くらいのところにあるヤンス教会(Jans Kerk)に行きました。大学教授時代のファン・ルーラーが家族揃って通っていた教会です。昨年9月に『ファン・ルーラー著作集』第一巻の出版感謝祝賀会が行われたのもヤンス教会でした。ヤンス教会の中に、1980年代に考古学者によって発掘された昔の墓がガラスのケースに入れられて飾られていました。ヤンス教会を出たところ、興味深いことに、教会のすぐ前にアンネ・フランクの像が立っていました。「なぜユトレヒトにアンネさん?どういう関係なんだろうねえ」と石原先生と顔を見合わせて考え込みましたが、彼女のことをよく知らないので分かりませんでした。『アンネの日記』を読み直してみたくなりました。



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その後、ユトレヒトの繁華街を散歩しました。昼食はフライドポテト(だけ)で済ませました。それからユトレヒト中央駅に戻り、そこから電車でヒルファーサム(Hilversum)に向かいました。014 



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アムステルダム Amsterdam

8日(月)7時30分に小田雅也長老が牧師館まで迎えに来てくださり、八柱駅まで送ってくださいました。八柱駅から新京成線に乗り、京成津田沼駅で成田空港まで行く特急に乗り換えました(京成の「成」は成田の「成」だったのかと初めて知りました)。成田空港には10時に到着。千葉銀行成田空港支店で円をユーロに両替。チェックインもボディチェックもスムーズでした。日本航空411便は定時に出発、12時間のフライトを経てアムステルダムに無事(これもみごとに定時に)到着しました。航路はロシア上空、高度1万メートルをシベリア方面にカーブしながらもほぼまっすぐに進んで行くものでした。エコノミークラスの三人掛けのシートでしたが、同じシートには私しかいなかったのでゆうゆうと使うことができました。フライトの間は退屈だろうとそれだけを憂鬱に思っていましたが、それは昔の話だと分かりました。座席前に各個人用のテレビが備わり、それで映画を鑑賞したり、音楽を聴いたり、ゲームをすることができました。映画は立て続けに四本も見てしまいました。「ハンサム☆スーツ」(主演 塚地武雅)という映画には、他人事ではない話に思えて感動しました。機内食は三食ありました。けっこう美味しく食べました。



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スキポール空港には、たいへん心強いことに、野村信先生(東北学院大学教授、アムステルダム自由大学客員研究員)が迎えに来てくださいました。野村先生の案内で今週水曜日に「国際ファン・ルーラー学会」(Internationaal Van Ruler Congres)が開催されるアムステルダム自由大学をさっそく見学しました。講堂(auditorium)の前に飾られた初代学長アブラハム・カイパーの像を見ることができました。夕食は野村先生と一緒に自由大学の学生食堂で食べました。5ユーロほど払ったとき、レジの若くて美しい黒人の女性が「モヘラック!」(Mogelijk!)とおっしゃって私の顔を見てニコッと笑ったので、野村先生に意味を伺いましたら「『たくさん食べてね』というくらいの意味でしょう。フランス語のボナペティ!(Bon appetit! どうぞ召し上がれ!)と同じようなことです」と教えてくださいました。夕食後、自由大学の図書館(bibliotheek)や書店コーナー(boekhandel)も見に行きました。書店には興味深い本が並んでいましたが(ほとんどがオランダ語のものです)、衝動買いを抑えて抑えて。その後、トラム(路面電車)でホテルまで行きました。トラムの乗車方法からホテルのチェックインまですべてを野村先生が助けてくださいました。寝室は古いですが、こざっぱりした、とてもいい感じです。同じ部屋で四泊します。



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2008年12月7日日曜日

主において常に喜びなさい


フィリピの信徒への手紙4・2~7、ルカによる福音書2・10~12

「わたしはエポディアに勧め、またシンティケに勧めます。主において同じ思いを抱きなさい。なお、真実の協力者よ、あなたにもお願いします。この二人の婦人を支えてあげてください。二人は命の書に名を記されているクレメンスや他の協力者たちと力を合わせて、福音のためにわたしと共に戦ってくれたのです。主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。あなたがたの広い心がすべての人に知られるようになさい。主はすぐ近くにおられます。どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。」(フィリピ4・2~7)

「天使は言った。『恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。』」(ルカ2・10~12)

今日は聖書を二個所読みました。一つは、先週まで学んできたフィリピの信徒への手紙の続きです。もう一つは、わたしたちの救い主イエス・キリストがお生まれになった日に起きた出来事を描いているルカによる福音書の言葉です。

この二個所に共通している一つのキーワードがあることに、すぐにお気づきいただけると思います。それは「喜び」という言葉です。

「主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。」

「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。」

前者は使徒パウロがフィリピ教会に書き送った言葉です。後者は天の御使がベツレヘムの羊飼いたちに伝えた言葉です。別の言い方をすれば、これはベツレヘムの羊飼いたちが天の御使からこのように伝えられたと信じた言葉でもあります。つまりこれは羊飼いたち自身の信仰を告白する言葉でもあるのです。

今申し上げた点はともかく、今日取り上げた二つの個所には、両者に共通する「喜び」というキーワードが埋め込まれているということを確認することができます。しかも私が考えさせられたことは、二つの個所の「喜び」という言葉に含まれている深い意味も実はかなり共通しているようだということです。私が今何を言おうとしているのかを、もう少し説明してみたいと思います。

前者の「喜び」について、すなわち4・4に出てくる意味での「喜び」について、前後の文章を読むかぎりで分かりますことは、パウロはこのことを必死に、一生懸命に言い聞かせているようだということです。「常に」とか「重ねて言います」と書いています。読み方によっては、くどくて、ねちっこい表現です。もしかしたら腹を立てる人が出てくるかもしれないほどに執拗です。子どもたちは親から何度も同じことを言われると腹を立てます。「ハイハイ、分かった分かった。うるさいよ」と。それと同じような反応を引き起こしかねないほどの、くどくてねちっこい反復があると言えます。

これらの表現は、パウロにとっては意図的なことでもあったようです。そのことに私ははっと気づかされました。パウロが書いていることは、カメラマンが写真を撮影する前にみんなに向かって「はい笑ってください」と言うのに似ています。緊張で顔がこわばっている、笑っていない人々に「笑ってください」と、「喜んでください」とパウロは命令しているのです。パウロは「喜び」という言葉を用いながら、そのなかに一種独特の意味での批判を述べています。この点にはっと気づかされたのです。

パウロが「喜び」という言葉を用いて何を、あるいは誰を批判しているのかについては、はっきり分かります。批判の対象は、名前が出てくるエポディアとシンティケという二人の女性です。この二人を名指ししながらパウロが書いていることは「主において同じ思いを抱きなさい」です。逆転させて考えることができるでしょう。短く言えば、この二人は同じ教会に属しながら同じ思いを抱いていなかったのです。二人は対立していたのであり、もっとはっきり言えば、けんかしていたのです。同じ教会の中での女性同士の対立であり、戦いであったとも言えるでしょう。

「真実の協力者」と呼ばれているのは、エポディアとシンティケが教会の中で対立しているということをパウロに告げた人のようです。この人の名前をパウロが伏せているのは、「あの人がパウロに告げ口した」とその人自身が二人の女性から、あるいは教会の他の人々から非難される結果を招いてしまうことを防ぐためであると考えることができそうです。おそらくは、このときすでに、パウロがその人の名前を伏せなければならないほどに事態は深刻なものに発展しており、危険きわまりない状態に陥っていたのです。

ここまで申し上げれば、皆さんには、ぴんと来るものがあるはずです。問題は、パウロが用いている「喜び」という言葉に込められている批判的な意図とは何のことかです。

その答えは単純明快です。「けんかをやめなさい」です。「教会のなかでけんかするのはやめなさい」です。「教会は喜ぶために存在するのであって、けんかするために存在するのではない」です。「教会員同士がけんかしあうことで、どんな良い結果があるのだろうか。良い結果などありえない。けんかなど直ちにやめなさい。教会に混乱をもたらすことは、厳に慎みなさい」です。

この件に関して私は、現実の教会のなかでの実例は挙げないでおきます。そういうことをすること自体、どこかの火に油を注ぐ結果を生みかねないからです。

また、女性同士の対立の場合だからどうだとか、男性の場合はどうだとか。そういう話もしたくありませんし、すべきではないと考えています。何か分かること、感じることがあるとしても、そういうことは決して口にすべきではありません。女性に対しても男性に対しても失礼なことです。皆さんはどうか、そういう分類や割り切り方はおやめください。教会の中でけんかをしてはならないことに関しては、男も女もありません。

ここで、今日二番目に読みました、ルカによる福音書の言葉のほうに話題を移していきたいと思います。私が申し上げたいことは、ベツレヘムの羊飼いたちに向かって天の御使が告げた「喜び」の中にも、ある独特の意味での批判が述べられているように思われるということです。

その根拠ないし理由は、天使の言葉の中にあります。すなわちそれは「あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである」です。

ここで「あなたがたへのしるし」と呼ばれているのは、明らかに「喜びのしるし」です。つまり、あなたがたに告げるこの喜びの知らせが、あなたがたにとって本当に喜ぶことができる内容をもっているかどうかを判断するための材料ないし根拠としてのしるしです。天使が語っているのは「あなたがたへのしるし」、つまりあなたがたベツレヘムの羊飼いにとって、これは本当に喜ぶことができるものだとはっきり分かってもらえるはずのしるしであるということです。

逆に言えば、もしそのしるしを見て「いや、これは、このわたしにとっては喜ぶことができないものである」と判断する人がいるとしたら、それはそれだということです。その判断そのものは、ある意味で尊重されるべきものでもあるでしょう。

それはともかく、いずれにせよはっきりしていることは、天使が告げているベツレヘムの羊飼たちにとっての「喜びのしるし」とは、すなわち「布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子」のことです。となりますと、内容的に見れば、このしるしは、明らかに「貧しさのしるし」であると思われるものです。豊かな人、裕福な人、そのような家庭に生まれる人は、通常の場合、飼い葉桶のなかに寝かされたりはしません。そのようなことは、通常ありえません。飼い葉桶のなかに寝かされる可能性があるのはそれとは正反対の人々です。豊かさの反対である貧しさの中にある人々です。

そうなりますと、今申し上げた意味での「貧しさのしるし」としての飼い葉桶のなかに寝かされた乳飲み子の姿を見て「喜び」を感じると見ている天使たちの考えのなかに前提されていることは、明らかに「ベツレヘムの羊飼たちは貧しい人々である」という点です。そして、そこからさらに分かることは、貧しい人々にとって、救い主イエス・キリストのお生まれになったときの姿は「喜びのしるし」でありうるのだと、天使たちが言っているのだということです。

それでは、先ほどから申し上げている「喜び」の批判的な意味とは何かです。明らかに批判されているのは豊かな人々です。豊かな人々が「これはわたしの喜びだ」と感じたり語ったりしているそれは本当の喜びではない。本当の喜びは別のところにあるのだと天使たちが言っているのです。「あなたがた豊かな人々は、本当に喜ぶべきものを喜んでいない。喜ぶべきでないことを喜んでいる」。非常に厳しくはっきり言うとしたら、このような感じになります。天使たちによる批判の矛先は、豊かな人々に向けられているのです。

なるほどたしかに、聖書には、どう読んでも豊かな人にとっては厳しいと感じられる、あるいは不愉快とさえ感じられる言葉がたくさん出てきます。たとえばイエス・キリスト御自身がお語りになったなかでも最も有名な言葉のひとつ、「金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい」(マタイ19・24、マルコ10・25、ルカ18・25)をどのように解釈すれば、豊かな人々にとっても満足できる説教ができるでしょうか。私には無理だと感じます。しかし、あきらめてしまうつもりはありません。この件についても具体的な実例を挙げることはやめておきますが、ごく一般論として考えてみるときに思い当たることがあります。

それは要するに次のようなことです。豊かな人がいつまでも豊かであり続けることは、無いとは言えないが、非常に困難なことであるということです。また、ひとりの人の人生の中で、貧しかった時期もあり、かつ豊かだった時期もあるという感じに両方を経験するということのほうが現実的には高い可能性としてありうるということです。地上に生まれてから死ぬまでのあいだに一度も貧しさを経験しなかったという人は、いないとは言えないが、多くはないだろうということです。

私が申し上げていることのなかにもし少しでも当たっているところがあるとしたら、天使が告げている「しるし」を見て一度も喜びを感じることがないままで死ぬ人は、いないとは言えないが、多くはないかもしれないというようなことを考えさせられるのです。

豊かな人に向かって「貧しくなりなさい」と語ることは難しいことですし、無理な面があります。しかしそんなことを誰かから言われなくても、わたしたちの人生(それが長いか短いかはともかく)の中では、一度ならず何度となく、貧しい生活に転じることがありうるはずです。かつて貧しかった人々が豊かになった。しかし再び貧しくなるということが十分、または当然ありうるのです。

バブルはいつかはじけます。夢が現実の前に打ち砕かれるときがくるのです。そのとき、わたしたちは天使の言葉に対してもっと素直に耳を傾けることができるかもしれません。「飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子」はあなたがた“貧しい人々”にこそ与えられた喜びのしるしである。救い主イエス・キリストを信じて生きる人々に与えられる「喜び」は、金銭的に豊かな人々が「喜び」としているものとは違うものなのです。

(2008年12月7日、松戸小金原教会主日礼拝)


2008年11月30日日曜日

わたしたちの本国は天にあります


フィリピの信徒への手紙3・17~4・1

「兄弟たち、皆一緒にわたしに倣う者となりなさい。また、あなたがたと同じように、わたしたちを模範として歩んでいる人々に目を向けなさい。何度も言ってきたし、今また涙ながらに言いますが、キリストの十字架に敵対して歩んでいる者が多いのです。彼らの行き着くところは滅びです。彼らは腹を神とし、恥ずべきことを誇りとし、この世のことしか考えていません。しかし、わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています。キリストは、万物を支配下に置くことさえできる力によって、わたしたちの卑しい体を、御自分の栄光ある体と同じ形に変えてくださるのです。だから、わたしが愛し、慕っている兄弟たち、わたしの喜びであり、冠である愛する人たち、このように主によってしっかりと立ちなさい。」

前々回の説教の中で申し上げましたことは、パウロはこの手紙を3・1の「では、私の兄弟たち、主において喜びなさい」という言葉で締めくくろうとしたということです。「では」という言葉は手紙などを締めくくるときに用いられるものだからです。

しかしパウロは、実際にはそうしませんでした。その理由として考えられることについてもお話ししました。パウロはこの手紙を「喜び」というキリスト教信仰の肯定的な側面を語ることだけで済ますことに、おそらく躊躇を覚えたのです。

実際のパウロは「あの犬どもに注意しなさい」(3・2)と続けました。キリスト教信仰に敵対する人々がいるということを、強く激しく語りはじめました。あからさまに書かれているのは当時のユダヤ教徒のことです。しかしキリスト教信仰に敵対してきた人々はユダヤ教徒だけではありません。あらゆる国の、あらゆる時代の、そしてあらゆる宗教の持ち主たち、あるいはいかなる宗教をもまじめに信じようとしない人々もまたキリスト教信仰に敵対してきました。あらかさまに敵対しない場合でも、危険視する、禁止する。無視する、右から左へ聞き流す、無関心を決め込む。あるいは軽く見る、笑うというような態度をとってきました。

最近はあまり聞かなくなったような気がしますが、日本でも私が子どもだった頃には「アーメン、ソーメン、冷ソーメン」だのと言われることがありました。実に嫌な気分を味わいました。多勢に無勢でしたので食ってかかることはしませんでしたが、何も言いたくないと思わされました。教会に通っているということを誰にも言いたくありませんでした。トラブルに巻き込まれるのが嫌でした。

しかしまた、私の場合は、だからこそ牧師という仕事を選んだという面もあります。トラブルのようなことに巻き込まれたくはないのです。しかし、教会に通っているということを誰にも言いたくないという気分を味わわされていること自体が嫌でした。「私は悪いことをしているわけではない!」という思いがあったからです。

教会に通うことが悪いでしょうか。わたしたちはここで何かひどいことをしているでしょうか。どうして悪口を言われたり、けんか腰で食ってかかられたり、冷たい目で見られなければならないのでしょうか。そのような何かをわたしたちがしているというならば話は別ですが、何も悪いことをしていないのにひどいことを言われるのは理不尽だと感じました。

“隠れキリシタン”のままでいることは神さまに対して申し訳ないことだと思いました。教会に通っていること、洗礼を受けていること、キリスト者であることを早く“カミングアウト”したかった。そのための、当時の私にとっては“唯一の”と感じられた方法が「牧師になること」でした。

なんだか私の話になってしまっていることをお許しください。しかし、この機会にまとめてお話ししておきたいことがあります。

それは、私にとって「牧師になること」は、自分の弱さのゆえであったということです。早い話、味方になってくれる人々が欲しかったのです。私はこの世のなかで、ひとりでキリスト者であるわけではないということを確認したかったのです。多勢に無勢のなかで孤立していました。トラブルに巻き込まれるのが嫌でした。しかしそのような理由で「教会に通っていること」を隠している状態を続けて行くことに耐えがたいものを感じたのです。

そういうのは自己目的的であると非難されるかもしれません。動機が不純であると思われるかもしれません。しかし、私が牧師になることを決心したのは高校生のときでした。自慢するわけではありませんが、高校生がたったひとりで戦っていたのです。

私の卒業した高校は、創立134周年になる古い学校です。数万人の名前が記されているであろう分厚い同窓会名簿の中で、牧師という仕事を選んだのは私を含めて3人か4人くらいです。

進路指導の先生に「牧師になるための大学に行きます」と伝えましたところ、「はあ、そうですか。どうぞご勝手に。そういう話は凡人の私には分かりません」と突き放されました。「はい、勝手にします」と言い残して立ち去りました。私のクラスの担任の先生でもありましたが、その日から二度と口を聞きませんでした。伝道的な態度ではないかもしれませんが、高校生としての精一杯の抵抗でした。

わたしたちが教会に通っていること、洗礼を受けていること、キリスト者であることで「世間を狭くしている」という面が無いかと言えば、「ある」と言わなければならないかもしれません。信仰者としての人生には喜びや楽しみの要素ばかりではなく、苦しみや失望の要素もたくさんあるということを率直に認めなければならないことも知っているつもりです。

私はけんかが嫌いなので、たとえ売られても、買いません。泣き寝入りもしませんが、我慢していることのほうが多いです。しかし、黙っていることができないときがあります。私のことならば何を言われても構いません。しかし、教会のこと、神さまのことを馬鹿にするようなことを言われると、黙っていることのほうが罪深いと感じてしまいます。自分の父親を他人から馬鹿にされるときに感じるのと似たような感情が芽生えます。

私の話はこれくらいにします。今日の個所をパウロは、泣きながら書いています。そのように彼自身がはっきり書いています。「何度も言ってきたし、今また涙ながらに言いますが、キリストの十字架に敵対して歩んでいる者が多いのです」。これは大げさに書いていることではありません。おそらくパウロは本当に泣いていた。このあたりの字が、涙でにじんでいたのではないかと思うくらいに。

しかし、パウロが泣いていたのは、自分が信じている宗教を馬鹿にされたからとか、自分のしていることを貶されたからというようなこととは少し違うように思います。続きを読みますと「彼らの行き着くところは滅びです」とあります。「彼らは腹を神とし、恥ずべきことを誇りとし、この世のことしか考えていません」。

ここでパウロが考えていることは、救い主としてのイエス・キリストに、あるいは宗教としてのキリスト教に、敵対する人々の「先行きを案じている」というのが最も近い。要するにパウロは、彼らのことを心配しているのです。

余計なお世話であると言われれば、それまでです。他人の心配をするよりも自分の心配をしなさいと言われるだけかもしれません。あなたがたの切り口から世界をとらえて、信仰を持たない人の行く先は滅びであるとか、あなたがたは腹を神としているだけだと言いだすのは一方的すぎるし、傲慢であると反論されるだけかもしれません。


「腹を神とする」とは何のことでしょうか。これと同じ意味の「腹」という言葉をパウロはローマの信徒への手紙16・18にも用いています。「こういう人々は、わたしたちの主であるキリストに仕えないで、自分の腹に仕えている。そして、うまい言葉やへつらいの言葉によって純朴な人々の心を欺いているのです」(ローマ16・18)。

この「自分の腹に仕える」と「腹を神とする」は同じ意味です。自分の腹をまるで神であるかのように礼拝することです。もちろんこれは比喩であり、また皮肉です。パウロが書いている意味での「腹」は間違いなく欲望の象徴です。食欲だけではなく性欲や所有欲などすべてがその中に含まれます。

欲望を満たすことのすべてが悪いと言いたいわけではありません。そのようなことを私が言っても説得力はありません。しかし問題は、自分の腹と神を引き換えにすることです。自分の腹を選ぶか、それとも神を選ぶかという二者択一を迫られる場面がもしあるとしたら、そのとき迷わず腹を選ぶということになるならば、それは自分の腹と神とを引き換えにすることを、事実上意味しています。

しかし、よく考えてみれば、わたしたちが自分の欲望ないし欲求を満たすことと、神を信じること、教会に通うこと、礼拝に参加すること、洗礼を受けてキリスト者になることとは、それほど激しく対立することではないはずです。欲望だの欲求だのといいますと、まるでそのすべてが罪深くて悪いことであるかのように響いてしまうのですが、わたしたちが毎日生活していく中で間違いなく必要な要素でもあるはずです。

そしてまた、わたしたちが神を信じて生きるとは、神の祝福のもとに置かれること、神の恵みが豊かに注がれることを意味しているのですから、それは言葉の正しい意味での幸福な人生であり、満足できる人生でもあると言ってよいものです。満足することと、欲望ないし欲求が満たされることは、矛盾することでも対立することでもありません。

ところが、両者がまるで対立するものであるかのようにとらえ、神か腹か、宗教か欲望か、教会か社会かというような二者択一を考え、神と教会とを切り捨てる選択肢をえらんでいくときに、パウロの言う意味での「自分の腹を神とする」という批判の言葉が該当しはじめるのです。

もちろん、どの宗教を信じても同じという意味ではありません。そのようなことを私が言うはずがありません。パウロもそのようなことを言っているのではありません。彼は、ただひたすら心配しているのです。あの突然のイエス・キリストとの神秘的な出会いを体験して以来、神と教会から離れて生きることができなくなった者として。彼自身が深く大きな罪をもっていることを自覚している者として。自分は弱い人間であることを知り、神と教会に頼らなければ、このわたしはどんなふうになってしまうのかを悟っている者として。誰が何と言おうと。

「わたしたちの本国は天にあります」と、パウロは書いています。文脈的にはやや唐突に出てくる言葉ではありますが、パウロの意図は分かります。「本国」と訳されているギリシア語(ポリテューマ)は、「コロニア」というラテン語に訳されてきたものです。コロニーという言葉をご存じの方は多いでしょう。「植民地」などと訳されます。しかし、このパウロの言葉を「わたしたちの植民地は天にあります」と訳してしまいますと、ちょっとおかしいし、誤解を生むと思います。

この手紙の最初の読者、フィリピの教会の人々はローマ帝国の植民地(コロニア)に住んでいました。彼らがローマ帝国に逆らうことはそのまま死を意味していました。ローマ帝国は支配下の人々に対し、ローマ皇帝を神のごとく崇拝すること、皇帝礼拝を行うことを強制しました。キリスト教信仰に敵対していたのはユダヤ教徒たちだけではなく、ローマの皇帝礼拝を強制する人々でもありました。

しかし、「キリスト者のコロニアは天にある」。このパウロの言葉には、ローマ帝国が強制する皇帝礼拝への明確な拒絶があります。わたしたちの真の支配者は、父なる神と、救い主イエス・キリストだけであって、ローマ皇帝ではない。真の神がわたしたちを愛してくださり、守ってくださる。そのことを信じて生きていこうではないか。神の他に何も恐れるものはない。そのようにパウロは彼らを励ましているのです。

(2008年11月30日、松戸小金原教会主日礼拝)

2008年11月28日金曜日

国際ファン・ルーラー学会に出席します

来月12月10日(水)にオランダで開催される「国際ファン・ルーラー学会」(ファン・ルーラー生誕100年記念シンポジウム、会場:アムステルダム自由大学)の主催者から私宛てに招待状が届きました。驚き、また光栄に思いましたので、私も出席することにしました。出席を決意した時点(今月の初めのことでした)ではパスポートさえ持っていない状態でしたので、準備に少し手間取りましたが、なんとか整えることができました。学会の中で短時間ながら「日本からのメッセージ」(Message from Japan)と題するスピーチをさせていただけることになりました。オランダ国内からはもとより、ドイツ、アメリカ、南アフリカなどから集結した碩学たちの前ですので、当然ですが緊張するでしょう。原稿は自分で書き、それを日本語が堪能なアメリカ人宣教師に英訳していただきました。費用については松戸小金原教会の皆さんが「学会参加支援カンパ」を始めてくださいました。このようなうれしい日を迎えることができましたことを、感謝しています。旅程は、12月8日(月)正午に成田を発ち、午後4時30分ごろ(現地時刻)にアムステルダム・スキポール空港到着。学会の前後(火曜日、木曜日、金曜日)にはファン・ルーラーゆかりの地(出身教会や出身大学、勤務した教会や大学など)を巡ろうと思っています。そして、12日(金)午後7時(現地時刻)アムステルダムを発ち、翌13日(土)午後2時30分ごろ成田に帰ってくる予定です。14日(日)には、もちろん松戸小金原教会で説教を行います。現地では留学中の先生たち(野村信教授、石原知弘牧師、青木義紀牧師)と感動の再会を果たしたいと願っています。帰国後はできるだけ詳しい報告をさせていただくつもりですので、ご期待ください。なお、「国際ファン・ルーラー学会」のプログラムの内容が最初に公開されたものから少しずつですが動いているようです。おそらくは、ご苦労なことに主催者が調整に走り回っておられるところでしょう。最新情報はhttp://www.aavanruler.nl (「Events」→「Internationaal Van Ruler Congres」→「Programma」をクリック)に公開されています。カルヴァン神学校(アメリカ)のジョン・ボルト教授も急遽、「ファン・ルーラーとセオクラシーをめぐる近年のアメリカの議論について」という講演をなさることになったようです。



2008年11月23日日曜日

あなたの人生の目標は何ですか


フィリピの信徒への手紙3・12~16

「わたしは、既にそれを得たというわけではなく、既に完全な者となっているわけでもありません。何とかして捕らえようと努めているのです。自分がキリスト・イエスに捕らえられているからです。兄弟たち、わたし自身は既に捕らえたとは思っていません。なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。だから、わたしたちの中で完全な者はだれでも、このように考えるべきです。しかし、あなたがたに何か別の考えがあるなら、神はそのことをも明らかにしてくださいます。いずれにせよ、わたしたちは到達したところに基づいて進むべきです。」

今日の個所にパウロが書いていることは、単純明快なことではありますが、深くて重い意義があります。語られていることは、ただ一つです。まとめていえば、わたしパウロはまだゴールにたどり着いていないということです。まだ走っている最中である。何ひとつ諦めないで、投げ出さないで、わたしはまだ走り続けている。一等賞をもらってもいないが、ビリでもない。何の決着もついていない。勝敗は決していないのです。

もちろんこれは、パウロの人生そのものについて彼自身がそのようにとらえていたことを表わすものです。彼の人生観であると言ってもよいでしょう。人生とはいわばひとつのレースである。スタートがあって、ゴールがある。そのあいだをひたすら走り続けるのがわたしたちの人生であるということです。

もちろん、人生の時間の長さには人それぞれの面があります。客観的・時間的な意味で短かったと言わざるをえない人生もあり、長い人生もあるでしょう。しかし言い方は少しおかしいかもしれませんが、人生は長ければ長いほど必ず良いというわけではなく、短い人生が必ず悪いというわけでもありません。レースには短距離走も長距離走もあります。重要なことは、スタートからゴールまで走り切ることです。やるべきことは、すべてやる。途中で諦めないこと、嫌にならないこと、投げ出さないことです。すべての道を自分なりの力を尽くして走り終えることができたと思えるなら、人生の時間的な長さそのものは、あまり大きな問題ではないのかもしれません。

ただし、今申し上げましたことの中では「やるべきこと」と「やりたかったこと」とは一応区別しておく必要がありそうです。「やりたかったこと」とは、主にわたしたちの欲求に属することです。あれもやりたかった、これもやりたかった。しかし、その欲求を満足させることができなかった。この意味での欲求不満は誰にでもあるものですが、あってもよいものですし、なければならないものでさえあります。一人の人間が抱く欲求のすべてを人生の中で満たし尽くす。そのことをどこまでも、とことんまで追求しようとする人がいるとしたら、はっきり言えばモンスターです。

やりたかった。だけど、できなかった。そこにはもちろん、地団太を踏みたくなるほどの悔しさもあるでしょう。しかしその悔しさは、わたしたちの人生の中で与えられる宝物であると信じなくてはなりません。すべての欲求を満たし尽くすことはできないし、してはならないことです。それを最後までやり遂げようとする人はモンスターなのです。

しかし、今の点は横に置きます。「やるべきこと」については、しなければなりません。わたしたちの人生がたとえどれほど短かろうとです。ごく幼いうちに、あるいは生まれて間もなく命が奪われる場合もありますので、その場合は親たち大人たちが「やるべきこと」という意味でご理解いただきたいところです。

わたしたちの人生には「やるべきこと」があります。果すべき役割があり、目指すべき目標があります。「そんなものはありません」と感じている人がおられるかもしれません。「今それを探している最中である」と考える人もいるでしょう。「人生の目標を探すことがわたしの人生の目標です」と、ちょっぴり格好をつけて言いたくなる人もいるでしょう。それらの考えはすべて尊重されるべきです。

しかし、今日取り上げておりますのはパウロの手紙です。彼が書いている、キリスト者としての人生の目標は何かという問題です。それについてパウロはどのように書いているのでしょうか。

注目していただきたいのは、12節の「既にそれを得たというわけではなく」の「それ」が指している内容です。それは10節から11節までに書かれています。「わたしはキリストとその復活の力とを知り、その苦しみにあずかって、その死の姿にあやかりながら、何とかして死者の中からの復活に達したいのです」。

これがパウロの人生の究極目標です。彼自身の目標は、はっきりしています。ところが、そのことをパウロは、やや遠慮がちに書いているように感じられます。

今申し上げましたことの根拠は、15節です。「だから、わたしたちの中で完全な者はだれでも、このように考えるべきです。しかし、あなたがたに何か別の考えがあるなら、神はそのことをも明らかにしてくださいます」。

「このように考えるべき」とある「このように」の中に、パウロがここまで書いて来たこと、とくに彼が10節以下に記している「わたし」の人生の目標の内容がすべて含まれています。ということは、パウロの意図は明らかに、「わたし」の目標は「わたしたちの中で完全な者」のすべてにとっての目標でもあるべきだということです。

ところが、ここから先が遠慮がちです。あなたがたには「わたし」とは「別の考え」もあるかもしれませんと続けています。わたしが確信していることをあなたがたに何が何でも無理やり押しつけるつもりはありません。ここから先はどうぞ各自で判断してくださいというくらいの意味ではないかと思われます。

しかし、パウロの本音は、どうやら違います。彼自身のなかでは、すべてのキリスト者が、いえいえ、地上に生きているすべての人、まさに全人類(!)が人生の目標とすべきことはこれであると、はっきり言いたいものをもっているのです。それが先ほど一度読みました10節から11節までに書かれていることです。それは四点に分けられます。

第一は「キリストとその復活の力を知ること」です。

第二は「キリストの苦しみに与ること」です。

第三は「キリストの死の姿にあやかること」です。

第四は「何とかして死者からの復活に達すること」です。

何のことでしょうか。書いてあることをただ読むだけでは、ほとんど意味が分からないと思います。それでもわたしたちにとって少しくらいは引っかかりがありそうなのは第二と第三の点です。すなわち、キリストの苦しみにあずかること、そしてキリストの死の姿にあやかることです。

なぜこの点が、わたしたちに引っかかるのでしょうか。そうです、わたしたちの人生にも多くの「苦しみ」があるからです。また、わたしたちは人生の最後に必ず「死」の日を迎えるからです。皆さんの中にも「死ぬほどの苦しみを味わったことがある」と自覚しておられる方は少なくないでしょう。人生のなかで二度や三度は、そのようなことを体験します。それがわたしたちの人生の現実なのです。

しかしまた、今申し上げたことのすぐ後に言わなければならないことがあります。それは、パウロが書いていることは、わたしたちが人生の中で体験するのと全く同じ意味での単なる苦しみ、また単なる死でもなさそうだということです。なぜなら、ここで語られているのは「キリストの苦しみ」だからであり、また「キリストの死の姿」だからです。

「キリスト」とは、もちろん、わたしたちの救い主イエス・キリストのことです。このお方は歴史上に実在した人物です。この方が地上の人生において深く味わい続けなさった苦しみ、そしてこの方が多くの人の前にさらされたあの十字架上の死の姿、この苦しみと死とにこのわたしも与るのだ。それが、それこそが、このわたしの、わたしたちの人生の目標であると、パウロは語ろうとしているのです。

「与(あずか)る」とは、第一義的には「参加すること」です。参加するとは、英語でparticipate(パーティシペイト)と言います。その意味は、パートになること、パートを受け持つことです。全体の中の一部分を構成する要素になるということです。

このことがパウロの言葉にもそのまま当てはまります。キリストの苦しみにわたしたちが与るとは、キリストの苦しみの一部をわたしたち自身が受け持つことです。

もちろん、わたしたちはキリスト御自身ではありませんので、キリストが味わわれたのと全く等しい苦しみをわたしたち自身が味わうことはできないし、そこまでのことがわたしたち自身に求められているわけではありません。しかし、キリストの苦しみの一部を分け与えられていただき、その一部を受け取ることができ、味わうことができる。そのことをわたしたちの光栄とし、誇りとし、喜びとする。それこそが「キリストの苦しみに与ること」の意味なのです。

これは難しい話ではないはずです。キリストが苦しまれた理由を、わたしたちは知っているからです。父なる神の御心に忠実であり続けることにおいて、赦しがたい人類の罪を赦すことにおいて、助けを求める人々のもとを訪ね、力を尽くして助けることにおいて、わたしたちの救い主イエス・キリストは、苦しみ続けられたのです。つまり、「キリストの苦しみ」とは、イエス・キリストが現実に働いてくださったこと、まさに働きに伴う苦労や疲労と決して無関係ではないし、むしろ、まさにそのことを指していると言ってよいものであるということです。

これなら十分に理解可能でしょう。「キリストは労働者である」と表現するのはおかしいかもしれませんが、ある意味でそのとおりです。わたしたちもまた、その意味での労働者です。教会のなかで、教会を通して、さまざまな奉仕を行うことにおいて、苦労があり、疲労があります。わたしたちが教会のなかで、教会を通して味わう苦労や疲労は、歴史のなかで活躍されたキリストから受け継いだものなのです。

実際たとえば、わたしたちが聖書を読んで正しく理解すること、この中に描かれているイエス・キリストが地上でなさったのと全く同じことを真似してみることは一苦労です。イエスさまは、毎週会堂で説教なさいました。また病気の人々を訪問なさいました。信仰に反対する人々と戦われました。集会を開くこと、団体を運営すること、それらすべてのことをイエスさまもなさいました。それを今、わたしたちもしているのです。

それらの苦労や努力を避けて通らないことです。それをやってみたらよいのです。教会活動に参加することによってそれが十分可能です。それこそが「キリストの苦しみに与ること」なのです。

しかしまた、それは単に教会のなかで、教会を通して、ということだけに限定すべきものではありません。ご本人を前にして申し上げるとちょっとお困りになるかもしれませんが、たとえば佐々木冬彦長老のハープコンサートのことを考えるとよいでしょう。また、先週は千城台教会の田上雅徳長老(慶應義塾大学法学部准教授)が立教大学でオランダのカルヴィニズムについての講演をしてくださいました。私はその講演会の司会をしました。

教会の外へと出て行くこと、社会のなかで、多くの人々の前でキリスト者としての証しを立てること、喜んでもらうこと、このこともわたしたちにとっては多くの苦労を味わうことですが、やりがいのあることです。

あなたの人生の目標は何ですか。パウロの場合は、はっきりしていました。わたしたちも、はっきりしています。「まだ分からない」という方は、ぜひ教会に通ってください。

(2008年11月23日、松戸小金原教会主日礼拝)

2008年11月17日月曜日

国際ファン・ルーラー学会が開催されます

国際ファン・ルーラー学会



○日時 2008年12月10日(水)



○場所 アムステルダム自由大学講堂 De Boelelaan 1105 Amsterdam



○主催 アムステルダム自由大学神学部
      アムステルダム自由大学オランダプロテスタンティズム歴史文書センター
       オランダプロテスタント神学大学
       ファン・ルーラー協会



神学者アーノルト・アルベルト・ファン・ルーラー(1908~1970年)の生涯と著作をみなおす協議会を行うべきであるという関心が高まっています。その協議会がファン・ルーラーの誕生日である2008年12月10日(水)にアムステルダム自由大学の講堂で行われることになりました。



ファン・ルーラーは、オランダ改革派教会(NHK)の牧師として、ユトレヒト大学の教授として、著述者であり講演者として、常に独特の音色を奏で、第二次世界大戦後の四半世紀間のオランダ改革派教会の内外に多大な影響を及ぼしました。彼は戦後の教会と文化における明るく前向きな姿勢と正統的な改革派神学との関係を知っていました。そのことが、オランダ改革派教会(NHK)の1951年版『教会規程』に及ぼした彼の影響の中に、彼のセオクラティック(神政政治的)な思想モデルの中に、救済と存在とを造形的に生き生きと結びつけることの中に、具体的に表れています。



本協議会においては、ファン・ルーラーの著作と生涯の諸側面が議論されます。彼の国内的・国際的影響、彼の神学的主題、オランダ改革派教会(NHK)における彼の立場ならびに他の教団・教派や思想的潮流との関係など。ファン・ルーラーの著作を知る国内外の精鋭たちが、発表の任を喜んで引き受けてくださいました。



入場は無料です。休憩時のコーヒー、紅茶も無料です。



昼食はアムステルダム自由大学の学生食堂を各自負担で利用していただけます。



○プログラム

〈全体講演〉



10.00「開会の辞」
    G. ハーリンク教授 Prof. dr. G. Harinck



10.10「ファン・ルーラー神学の概要」
       A. ファン・ド・ベーク教授 Prof. dr. A. van de Beek



10.40「教会と文化においてキリストが形をとること:ファン・ルーラーの想い出」
    J. モルトマン教授 Prof. dr. J. Moltmann



11.30 休憩



11.50「実践神学におけるファン・ルーラーの位置づけ」
    F. G. イミンク教授 Prof. dr. F.G. Immink



12.20「ファン・ルーラーと聖霊論」
    C. ファン・デア・コーイ教授 Prof. dr. C. van der Kooi



12.50 昼食



〈分科会〉



13.50「ファン・ルーラーと改革派スコラ神学」
    W. J. ファン・アッセルト教授 Prof. dr. W.J. van Asselt



13.50「ファン・ルーラーとセオクラシーの幻」
    J. P. ド・フリース氏 Drs. J.P. de Vries



13.50「ファン・ルーラーと積極的教会規程」
    P. ファン・デン・フューフェル博士 Dr. P. van den Heuvel



13.50「ファン・ルーラーと『真のカルヴァン』:改革派的伝統の行方」
    C. ロムバルト教授 Prof. dr. C. Lombard



〈分科会〉



14.30「オランダ改革派教会(NHK)におけるファン・ルーラー」
    G. ファン・デン・ブリンク教授 Prof. dr. G. van den Brink



14.30「オランダの改革派信徒へのファン・ルーラーの受容」
       M. E. ブリンクマン教授 Prof. dr. M.E. Brinkman



14.30「ファン・ルーラーとウルトラ保守派」
    W. J. オプ・トホフ教授 Prof. dr. W.J. op ’t Hof



14.30「ファン・ルーラーとアメリカ改革派教会(RCA)」
    A. J. ジャンセン博士 Dr. A.J. Janssen



15.00 休憩



〈全体講演〉



15.30「ファン・ルーラーの神概念:最高度に時宜にかなったそれ」
   L. J. ファン・デン・ブロム教授 Prof. dr. L.J. van den Brom



16.00「ファン・ルーラーにおける喜び」
   D. ファン・ケーレン博士 Dr. D. van Keulen



16.30 オランダ日報社刊『古典の光』シリーズに収録されたファン・ルーラーの代表的著作の紹介



16.40 茶話会



○より詳しい情報をお知りになりたい方は、以下までご連絡ください。
 アムステルダム自由大学オランダプロテスタンティズム歴史文書センター
 電話 (020) 5985270 電子メール hdc@ubvu.vu.nl



2008年11月16日日曜日

キリストはどのように生きられたか


フィリピの信徒への手紙3・1~11

「では、わたしの兄弟たち、主において喜びなさい。同じことをもう一度書きますが、これはわたしには煩わしいことではなく、あなたがたにとって安全なことなのです。あの犬どもに注意しなさい。よこしまな働き手たちに気をつけなさい。切り傷にすぎない割礼を持つ者に警戒しなさい。彼らではなく、わたしたちこそ真の割礼を受けた者です。わたしたちは神の霊によって礼拝し、キリスト・イエスを誇りとし、肉に頼らないからです。とはいえ、肉にも頼ろうと思えば、わたしは頼れなくはない。だれかほかに、肉に頼れると思う人がいるなら、わたしはなおさらのことです。わたしは生まれて八日目に割礼を受け、イスラエルの民に属し、ベニヤミン族の出身で、ヘブライ人の中のヘブライ人です。律法に関してはファリサイ派の一員、熱心さの点では教会の迫害者、律法の義については非のうちどころのない者でした。しかし、わたしにとって有利であったこれらのことを、キリストのゆえに損失と見なすようになったのです。そればかりか、わたしの主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を損失とみています。キリストのゆえに、わたしはすべてを失いましたが、それらを塵あくたと見なしています。キリストを得、キリストの内にいる者と認められるためです。わたしには、律法から生じる自分の義ではなく、キリストへの信仰による義、信仰に基づいて神から与えられる義があります。わたしは、キリストとその復活の力とを知り、その苦しみにあずかって、その死の姿にあやかりながら、何とかして死者の中からの復活に達したいのです。」

注解書を調べていまして非常に興味深く感じましたことは、最初の「では」の意味です。この「では」は手紙を締めくくるときに用いる言葉であるというのです。「というわけで」、「要するに」、「結局」、「とどのつまり」などと訳すことができる言葉なのです。

このことが意味することは明白です。パウロは3・1の前半、すなわち「では、わたしの兄弟たち、主において喜びなさい」という言葉をもってこの手紙を書き終えようとしたのだということです。書きたいと思っていたことはすべて書き終えた。そろそろ筆を置くことにしよう。そのような気持ちが表れている言葉が、この「では」なのです。

しかしまた、今申し上げました事実にもかかわらず、わたしたちが知っていることは、実際の手紙はここで書き終えられることはなかったということです。続きが書かれました。ここにパウロの揺れる思い、微妙な心の動きを読み取ることが可能です。

この点にこだわってみたいと思ったことにはもちろん理由があります。フィリピの信徒の手紙は、これまで多くの人々から「喜びの手紙」と呼ばれてきました。理由は単純です。この手紙には「喜び」という言葉が繰り返して出てくるからです。

しかし私が感じてきたことは、事柄はそれほど単純ではないということです。この手紙の中には苦しみや悲しみを強調している個所も、たくさんあるからです。これは「喜びの手紙」であると言われることに絶対的に反対したいわけではありませんが、「苦しみの手紙」とか「悲しみの手紙」と呼ばなければならない面もあると思われてならないのです。

わたしたちが知っている事実は、この手紙は喜びを勧める言葉をもって書き終えられることはなかったということです。しかも、続けられたのは、非常に衝撃的な言葉であり、ぞっとするほど恐ろしい言葉です。「あの犬どもに注意しなさい」。喜びという要素を繰り返し強調して語ろうとする同じ人の言葉とは思えないような、まことに辛辣な、人の胸をえぐるような言葉が続けられたのです。

1節の後半に「これはわたしには煩わしいことではなく、あなたがたにとって安全なことなのです」と書かれています。しかしこの文章はちょっと意味不明な感じです。翻訳の問題があるような気がします。「煩わしい」と訳しますと「同じことをもう一度書くこと」に関して言われていることであると感じられます。何度も同じことを書くことは私にとって煩わしいことではない。面倒でも億劫でもない。これでも意味は一応通じます。

しかし問題は、煩わしいことではないと言われている「これ」は、本当に「同じことをもう一度書くこと」を指しているのかです。私は違うと思います。「これ」という代名詞が指しているのは「主において喜ぶこと」です。救い主イエス・キリストの救いに与った者として喜びの生活を送ることは、わたしには煩わしいことではないと言われているのです。

しかしここから先は日本語の問題です。「喜ぶこと」について煩わしいとか煩わしくないと言われますと私にはぴんと来ない面が残ります。それでも私の場合、「喜ぶこと」をもう少し具体的に「笑顔を絶やさないこと」くらいに言い換えてみる。そして「煩わしい」を今の若者言葉の「ウザい」などに言い直してみる。これならば少し分かるものがあります。「笑顔でいることはウザい」。何か無理しているようだし、どこか引きつっているところがある。感覚的に分かります。しかしパウロはそうではないと言っているわけです。「笑顔でいることは、わたしにとってはウザくない」。これならぴんと来るものがあります。

「あなたがたにとって安全なことなのです」のほうは、どうでしょうか。「いつも笑顔でいることは、あなたがたにとって安全なことなのです」で、理解できるでしょうか。いやむしろ危険ではないかと思わなくもありません。「うれしそうにしている人を見ると無性に腹が立つ」と言いだす人々がいるからです。しかし、「安全」という訳は間違っていません。パウロの意図は、「あなたがたが喜びの生活を送ることは、あなたがたの“身を守る”ための最善の方法である」というようなことだからです。

ややこしい話になっているかもしれません。願っていることは、今日の個所に書かれている事柄を掘り下げて理解することです。ここでも指摘したいことは、この手紙が教会に宛てて書かれたものであるという点です。「主において喜ぶこと」が求められているのは、教会です。いつも笑顔を絶やさないでいることは、教会にとって安全なことです。

思い起こしていただきたいのは、わたしたちが初めて教会に足を踏み入れたときのことです。あるいは、わたしたちが信仰をもつ前に、教会を外側から眺めていた頃のことです。教会を外側から見たとき、そこにいる人々が喜んでいた。このわたしが初めて教会に来たとき、喜んで迎えてくれた。そのときわたしたちが感じたことは何だったかです。

(もちろんそのときの虫の居所によるかもしれませんが)、通常の感覚からすれば喜んでいる人々を見て腹を立てる人は多くはないでしょう。いないとは言えませんが、おそらく少ない。むしろ好意をもつ。「安全である」の意味はおそらくこのあたりに関係しています。喜んでいる人々をどこまでも責め立てようとする人の姿は、第三者から見れば狂っている感じです。喜んでいる人々には好意をもって味方してくれる人々が現れるでしょう。

パウロが勧めていることは、「無理して笑え」ということではないでしょう。しかしまた、いつも笑顔でいることは、周囲の人々に好意をもってもらえることでもあり、親しい仲間を増やせることでもあるでしょう。それは、恐ろしい顔で人々を遠ざけ、むやみやたらな反発を招くこととは反対であるという意味で「安全である」と言えることでもあるのです。

しかしパウロは、ここでこの手紙を終わらせませんでした。キリスト者が喜んで生きている姿を快く思わず、むしろ反発し、攻撃する人々のことを書き始めました。「あの犬どもに注意しなさい。よこしまな働き手たちに気をつけなさい。切り傷にすぎない割礼を持つ者たちを警戒しなさい」と。これは明らかに当時のユダヤ人です。ただしユダヤ教徒だけに限定できるかどうかは微妙です。「働き手」は、もしかしたらキリスト教の伝道者のことを指しているかもしれないからです。使徒言行録の学びの中で確認したことは、キリスト教の伝道者の中に「割礼を受けなければ救われない」と主張してパウロと対決した人々がいたということです。その人々が「あの犬ども」の中に含まれているかもしれません。

キリスト者として生きていこうと決心し、約束し、実際にそのような生活を始めた人々は、パウロが「犬ども」と呼んでいるような人々とも向き合わなければならない。これはどう考えても嫌なことであり、煩わしいこと、面倒なことです。しかしそれでもそのことを指摘せざるをえないパウロがいることを思うとき、この手紙を「喜びの手紙」と呼んで単純化して済ませることができないものを感じるのです。

パウロが辛辣な言葉を書きはじめた理由は理解できるものです。ここで彼が痛烈に批判しているのは、一言で言えば、彼の元同僚たちです。もう少し広く言えば同胞たちです。パウロは彼らのすべてを知り抜いていますし、逆に、彼らはパウロのことを知り抜いています。パウロの側に甘えのような感情があったとは思いません。しかし、パウロはその人々に対しては遠慮なく語りました。どんなに厳しいことを言ってもあの人々は許してくれるに違いないという意味ではなく、むしろ事実は逆なのですが、しかしパウロの側の思いとしては、彼らに対する独特の意味での“愛情”があったことを否定することはできません。

パウロは彼らに変わってもらいたかったのです。5節以下に書かれているパウロの出自に関する記述の意図は、もともとわたしはあなたがたの側に属する者であったということを明らかにすることです。しかし、わたしは変わりました。キリストを信じる者となり、教会の側に属する者となりました。わたしが変わったのだから、あなたがたにも変わってもらいたい。そのような思いがパウロの中にあったことを否定することができません。

「喜び」の強調にも裏面があると思われてなりません。今のわたしはキリストにあって喜びの生活を送っている。しかし、かつてはそうではなかった。昔の同僚であったあなたがたの生活にも、今のわたしが感じているような喜びはないはずだ。あなたがたが求めているのは「律法から生じる自分の義」であろう。しかし今のわたしは「キリストへの信仰による義、信仰に基づいて神から与えられている義」を求めることにおいて喜びの根拠を得ている。ここにわたしとあなたがたの違いがある、と言いたいのです。

このように書いているパウロの心の中に満たされていたのは「喜び」だったでしょうか。そうは思えません。かつての同僚を「この犬ども」呼ばわりしながら喜んでいるとしたら、パウロは相当ひどい人です。彼の心は傷ついていたはずです。悩みながら、苦しみながら、この個所を書いていたはずです。そうでなければ、説得力も生まれないでしょう。

はっきり分かることは、パウロにとってユダヤ人たちは敵ではなかったということです。他人でもありませんでした。むしろ、彼にとってユダヤ人は、鏡に映して見る自分自身のようなものでした。パウロの敵はユダヤ人ではなくユダヤ人たちが求めている「律法から生じる自分の義」でした。それはどんなに求めても手の届かないものである。なぜなら、わたしたち人間には罪があり、律法を完全に行うことはできないからである。そのことがなぜ、あなたがたには分からないのかという思いがパウロの中にあったに違いありません。

10節にやや唐突な感じに出てくるのは、新しく生まれ変わったパウロが求めているものです。「わたしは、キリストとその復活の力とを知り、その苦しみにあずかって、その死の姿にあやかりながら、何とかして死者の中からの復活に達したいのです」。

さっと読むだけでは理解しにくい言葉です。しかしここでパウロが言わんとしていることは「わたしはこれからも苦しみ続けます」ということです。パウロの関心は「キリストはどのように生きられたか」です。イエス・キリストが十字架の上で苦しまれたように、わたしも苦しみます。今も愛しているかつての同僚たち、また同胞であるユダヤ人の救いのために。彼らの無理解にもかかわらず。彼らの救いのために苦しんで死んでも構わない。イエス・キリストと同じように、このわたしも復活させていただけるでしょうと。

この手紙は「喜びの手紙」であるだけではなく「苦しみの手紙」でもあるのです。この点を見落とすと、大きな間違いを犯します。昨年から二年目に入っている松戸小金原教会の標語「喜びに満ちあふれる教会」は、「キリストの死の姿にあやかる教会」でもなければならないのです。

(2008年11月16日、松戸小金原教会主日礼拝)