2008年11月30日日曜日
わたしたちの本国は天にあります
フィリピの信徒への手紙3・17~4・1
「兄弟たち、皆一緒にわたしに倣う者となりなさい。また、あなたがたと同じように、わたしたちを模範として歩んでいる人々に目を向けなさい。何度も言ってきたし、今また涙ながらに言いますが、キリストの十字架に敵対して歩んでいる者が多いのです。彼らの行き着くところは滅びです。彼らは腹を神とし、恥ずべきことを誇りとし、この世のことしか考えていません。しかし、わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています。キリストは、万物を支配下に置くことさえできる力によって、わたしたちの卑しい体を、御自分の栄光ある体と同じ形に変えてくださるのです。だから、わたしが愛し、慕っている兄弟たち、わたしの喜びであり、冠である愛する人たち、このように主によってしっかりと立ちなさい。」
前々回の説教の中で申し上げましたことは、パウロはこの手紙を3・1の「では、私の兄弟たち、主において喜びなさい」という言葉で締めくくろうとしたということです。「では」という言葉は手紙などを締めくくるときに用いられるものだからです。
しかしパウロは、実際にはそうしませんでした。その理由として考えられることについてもお話ししました。パウロはこの手紙を「喜び」というキリスト教信仰の肯定的な側面を語ることだけで済ますことに、おそらく躊躇を覚えたのです。
実際のパウロは「あの犬どもに注意しなさい」(3・2)と続けました。キリスト教信仰に敵対する人々がいるということを、強く激しく語りはじめました。あからさまに書かれているのは当時のユダヤ教徒のことです。しかしキリスト教信仰に敵対してきた人々はユダヤ教徒だけではありません。あらゆる国の、あらゆる時代の、そしてあらゆる宗教の持ち主たち、あるいはいかなる宗教をもまじめに信じようとしない人々もまたキリスト教信仰に敵対してきました。あらかさまに敵対しない場合でも、危険視する、禁止する。無視する、右から左へ聞き流す、無関心を決め込む。あるいは軽く見る、笑うというような態度をとってきました。
最近はあまり聞かなくなったような気がしますが、日本でも私が子どもだった頃には「アーメン、ソーメン、冷ソーメン」だのと言われることがありました。実に嫌な気分を味わいました。多勢に無勢でしたので食ってかかることはしませんでしたが、何も言いたくないと思わされました。教会に通っているということを誰にも言いたくありませんでした。トラブルに巻き込まれるのが嫌でした。
しかしまた、私の場合は、だからこそ牧師という仕事を選んだという面もあります。トラブルのようなことに巻き込まれたくはないのです。しかし、教会に通っているということを誰にも言いたくないという気分を味わわされていること自体が嫌でした。「私は悪いことをしているわけではない!」という思いがあったからです。
教会に通うことが悪いでしょうか。わたしたちはここで何かひどいことをしているでしょうか。どうして悪口を言われたり、けんか腰で食ってかかられたり、冷たい目で見られなければならないのでしょうか。そのような何かをわたしたちがしているというならば話は別ですが、何も悪いことをしていないのにひどいことを言われるのは理不尽だと感じました。
“隠れキリシタン”のままでいることは神さまに対して申し訳ないことだと思いました。教会に通っていること、洗礼を受けていること、キリスト者であることを早く“カミングアウト”したかった。そのための、当時の私にとっては“唯一の”と感じられた方法が「牧師になること」でした。
なんだか私の話になってしまっていることをお許しください。しかし、この機会にまとめてお話ししておきたいことがあります。
それは、私にとって「牧師になること」は、自分の弱さのゆえであったということです。早い話、味方になってくれる人々が欲しかったのです。私はこの世のなかで、ひとりでキリスト者であるわけではないということを確認したかったのです。多勢に無勢のなかで孤立していました。トラブルに巻き込まれるのが嫌でした。しかしそのような理由で「教会に通っていること」を隠している状態を続けて行くことに耐えがたいものを感じたのです。
そういうのは自己目的的であると非難されるかもしれません。動機が不純であると思われるかもしれません。しかし、私が牧師になることを決心したのは高校生のときでした。自慢するわけではありませんが、高校生がたったひとりで戦っていたのです。
私の卒業した高校は、創立134周年になる古い学校です。数万人の名前が記されているであろう分厚い同窓会名簿の中で、牧師という仕事を選んだのは私を含めて3人か4人くらいです。
進路指導の先生に「牧師になるための大学に行きます」と伝えましたところ、「はあ、そうですか。どうぞご勝手に。そういう話は凡人の私には分かりません」と突き放されました。「はい、勝手にします」と言い残して立ち去りました。私のクラスの担任の先生でもありましたが、その日から二度と口を聞きませんでした。伝道的な態度ではないかもしれませんが、高校生としての精一杯の抵抗でした。
わたしたちが教会に通っていること、洗礼を受けていること、キリスト者であることで「世間を狭くしている」という面が無いかと言えば、「ある」と言わなければならないかもしれません。信仰者としての人生には喜びや楽しみの要素ばかりではなく、苦しみや失望の要素もたくさんあるということを率直に認めなければならないことも知っているつもりです。
私はけんかが嫌いなので、たとえ売られても、買いません。泣き寝入りもしませんが、我慢していることのほうが多いです。しかし、黙っていることができないときがあります。私のことならば何を言われても構いません。しかし、教会のこと、神さまのことを馬鹿にするようなことを言われると、黙っていることのほうが罪深いと感じてしまいます。自分の父親を他人から馬鹿にされるときに感じるのと似たような感情が芽生えます。
私の話はこれくらいにします。今日の個所をパウロは、泣きながら書いています。そのように彼自身がはっきり書いています。「何度も言ってきたし、今また涙ながらに言いますが、キリストの十字架に敵対して歩んでいる者が多いのです」。これは大げさに書いていることではありません。おそらくパウロは本当に泣いていた。このあたりの字が、涙でにじんでいたのではないかと思うくらいに。
しかし、パウロが泣いていたのは、自分が信じている宗教を馬鹿にされたからとか、自分のしていることを貶されたからというようなこととは少し違うように思います。続きを読みますと「彼らの行き着くところは滅びです」とあります。「彼らは腹を神とし、恥ずべきことを誇りとし、この世のことしか考えていません」。
ここでパウロが考えていることは、救い主としてのイエス・キリストに、あるいは宗教としてのキリスト教に、敵対する人々の「先行きを案じている」というのが最も近い。要するにパウロは、彼らのことを心配しているのです。
余計なお世話であると言われれば、それまでです。他人の心配をするよりも自分の心配をしなさいと言われるだけかもしれません。あなたがたの切り口から世界をとらえて、信仰を持たない人の行く先は滅びであるとか、あなたがたは腹を神としているだけだと言いだすのは一方的すぎるし、傲慢であると反論されるだけかもしれません。
「腹を神とする」とは何のことでしょうか。これと同じ意味の「腹」という言葉をパウロはローマの信徒への手紙16・18にも用いています。「こういう人々は、わたしたちの主であるキリストに仕えないで、自分の腹に仕えている。そして、うまい言葉やへつらいの言葉によって純朴な人々の心を欺いているのです」(ローマ16・18)。
この「自分の腹に仕える」と「腹を神とする」は同じ意味です。自分の腹をまるで神であるかのように礼拝することです。もちろんこれは比喩であり、また皮肉です。パウロが書いている意味での「腹」は間違いなく欲望の象徴です。食欲だけではなく性欲や所有欲などすべてがその中に含まれます。
欲望を満たすことのすべてが悪いと言いたいわけではありません。そのようなことを私が言っても説得力はありません。しかし問題は、自分の腹と神を引き換えにすることです。自分の腹を選ぶか、それとも神を選ぶかという二者択一を迫られる場面がもしあるとしたら、そのとき迷わず腹を選ぶということになるならば、それは自分の腹と神とを引き換えにすることを、事実上意味しています。
しかし、よく考えてみれば、わたしたちが自分の欲望ないし欲求を満たすことと、神を信じること、教会に通うこと、礼拝に参加すること、洗礼を受けてキリスト者になることとは、それほど激しく対立することではないはずです。欲望だの欲求だのといいますと、まるでそのすべてが罪深くて悪いことであるかのように響いてしまうのですが、わたしたちが毎日生活していく中で間違いなく必要な要素でもあるはずです。
そしてまた、わたしたちが神を信じて生きるとは、神の祝福のもとに置かれること、神の恵みが豊かに注がれることを意味しているのですから、それは言葉の正しい意味での幸福な人生であり、満足できる人生でもあると言ってよいものです。満足することと、欲望ないし欲求が満たされることは、矛盾することでも対立することでもありません。
ところが、両者がまるで対立するものであるかのようにとらえ、神か腹か、宗教か欲望か、教会か社会かというような二者択一を考え、神と教会とを切り捨てる選択肢をえらんでいくときに、パウロの言う意味での「自分の腹を神とする」という批判の言葉が該当しはじめるのです。
もちろん、どの宗教を信じても同じという意味ではありません。そのようなことを私が言うはずがありません。パウロもそのようなことを言っているのではありません。彼は、ただひたすら心配しているのです。あの突然のイエス・キリストとの神秘的な出会いを体験して以来、神と教会から離れて生きることができなくなった者として。彼自身が深く大きな罪をもっていることを自覚している者として。自分は弱い人間であることを知り、神と教会に頼らなければ、このわたしはどんなふうになってしまうのかを悟っている者として。誰が何と言おうと。
「わたしたちの本国は天にあります」と、パウロは書いています。文脈的にはやや唐突に出てくる言葉ではありますが、パウロの意図は分かります。「本国」と訳されているギリシア語(ポリテューマ)は、「コロニア」というラテン語に訳されてきたものです。コロニーという言葉をご存じの方は多いでしょう。「植民地」などと訳されます。しかし、このパウロの言葉を「わたしたちの植民地は天にあります」と訳してしまいますと、ちょっとおかしいし、誤解を生むと思います。
この手紙の最初の読者、フィリピの教会の人々はローマ帝国の植民地(コロニア)に住んでいました。彼らがローマ帝国に逆らうことはそのまま死を意味していました。ローマ帝国は支配下の人々に対し、ローマ皇帝を神のごとく崇拝すること、皇帝礼拝を行うことを強制しました。キリスト教信仰に敵対していたのはユダヤ教徒たちだけではなく、ローマの皇帝礼拝を強制する人々でもありました。
しかし、「キリスト者のコロニアは天にある」。このパウロの言葉には、ローマ帝国が強制する皇帝礼拝への明確な拒絶があります。わたしたちの真の支配者は、父なる神と、救い主イエス・キリストだけであって、ローマ皇帝ではない。真の神がわたしたちを愛してくださり、守ってくださる。そのことを信じて生きていこうではないか。神の他に何も恐れるものはない。そのようにパウロは彼らを励ましているのです。
(2008年11月30日、松戸小金原教会主日礼拝)