なぜカントを読もうと考えたか、その理由も書いておきます。
きっかけは単純でした。たぶん一年くらい前ですが、近くの「すばる書店」の思想書コーナーで熊野純彦氏の『カント 世界の限界を経験することは可能か』(NHK出版、2002年)という小さな本を見つけました。著者(熊野氏)の名前を知っていたわけではなく、またカント自身に対する関心も、学生時代ほどにはありませんでした。その本を手にとって開く気になったのは、「装丁がきれいだな」という点に関心を抱いたからでした。
家族と一緒だったので、子供たちがマンガを選んでいる間の時間つぶしだと、熊野氏の本をパラパラめくってみました。「おっ、なんか面白そうだぞ」と感じはじめた頃に「お父さーん、マンガ買ったから、もう帰るよー」と子供たちの声。熊野氏の本は買わずじまいとなりました。
しかしその日以来、その書店に行くたびに、その本が気になって気になって仕方なくなりました。ついに買ったのが、昨年末でした。もしかしたら、一年ほど前にパラパラめくったのと同じ本が(売れないまま)待っていてくれたのかもしれません。熊野氏の本はとても面白かったです。
直接カントを読んでみようと考えた理由は、いわばこれだけです。
2008年1月8日火曜日
Dogmatikerを「教義学者」と訳せないかと考えている理由
カントの書物を腰を据えてじっくり読みたいと思い立ってまだ数日も経たない者が(純粋理性批判の原書をやっと手にしえたのは先週の土曜日のことですから)、「誤訳の可能性を発見した」と言い張って一端の論客ぶってみせたいわけではありません。
私の関心は誤訳かどうかという点にはほとんどありません。これは今回のケースだけではなく常にそうです。私には他人の間違いを指摘して喜ぶような悪い趣味はありません。また、翻訳という事柄に少しでもかかわったことのある人は、「どこにも突っ込みどころがないような完璧な翻訳など、この世に存在しない」ことをどこかで知っています。
カントの哲学は、キリスト教神学、とりわけ私自身の最大の関心事である「改革派教義学」にとっていかなる関係にあるのかを、可能なかぎり正確にとらえたいと願っているだけです。そのためにカント自身の言葉を、できるかぎり当時の思想史的背景に照らし合わせながら「歴史的に」把握したいだけです。
また、まさかカントを「敬虔なキリスト者」や「教義学者」に仕立て上げたいわけでもありません。そんなことは不可能ですし、意味がない。事柄は正反対であって、カント哲学は歴史上の「改革派教義学」の最大のライバルであり続けたし、今でも一人の巨人として、我々の行く手を阻む存在であり続けています。
私の関心事は、そうであるという自覚がカント自身にどれくらいまであったのかという点です。
換言すれば、自分の発言が後代の歴史(とくに改革派教義学の歴史)に遺した(極めて有効な批判としての)影響力を、カント自身がどれくらい深く自覚していたか、です。
「史的カント」の異端審問を行いたいわけでもなく(これも意味がない)、むしろ「カント先生、よくぞ言ってくださった」と感謝したいのです。
私の関心は誤訳かどうかという点にはほとんどありません。これは今回のケースだけではなく常にそうです。私には他人の間違いを指摘して喜ぶような悪い趣味はありません。また、翻訳という事柄に少しでもかかわったことのある人は、「どこにも突っ込みどころがないような完璧な翻訳など、この世に存在しない」ことをどこかで知っています。
カントの哲学は、キリスト教神学、とりわけ私自身の最大の関心事である「改革派教義学」にとっていかなる関係にあるのかを、可能なかぎり正確にとらえたいと願っているだけです。そのためにカント自身の言葉を、できるかぎり当時の思想史的背景に照らし合わせながら「歴史的に」把握したいだけです。
また、まさかカントを「敬虔なキリスト者」や「教義学者」に仕立て上げたいわけでもありません。そんなことは不可能ですし、意味がない。事柄は正反対であって、カント哲学は歴史上の「改革派教義学」の最大のライバルであり続けたし、今でも一人の巨人として、我々の行く手を阻む存在であり続けています。
私の関心事は、そうであるという自覚がカント自身にどれくらいまであったのかという点です。
換言すれば、自分の発言が後代の歴史(とくに改革派教義学の歴史)に遺した(極めて有効な批判としての)影響力を、カント自身がどれくらい深く自覚していたか、です。
「史的カント」の異端審問を行いたいわけでもなく(これも意味がない)、むしろ「カント先生、よくぞ言ってくださった」と感謝したいのです。
2008年1月7日月曜日
直前段落の「諸学の女王としての形而上学」という表現との関係を考えて
引き続きカントの『純粋理性批判』(岩波文庫)を読んでいます。Dogmatikerをどのように訳すべきかという問題にまだ引っかかっています。「形而上学の統治は、最初は独断論者の執政下にあって専制的であった」(14ページ)の一つ前の段落に、カントは「形而上学が諸学の女王と呼ばれていた時代があった」(Es war eine Zeit, in welcher sie die Köningin aller Wissenschaften genannt wurde)と記しています。
この「諸学の女王」(regina scientiarum)という表現は「神学の婢」(ancilla theologiae)と対比的に用いられるものですが、いずれも主としてヨーロッパ中世の思想状況を表す言葉として通用しています。とくに後者の「神学の婢」という言葉は、13世紀の教義学者トーマス・アクィナス[1225頃-1274]の名前と結びつけられて理解されるのが通例です。そして、この場合の「諸学の女王」の主語は主として「神学」(theologia)であり、他方「神学の婢」の主語は主として「哲学」(philosophia)です。
ところがカントがこの個所に書いていることは「形而上学が諸学の女王と呼ばれていた」であり、「神学が」でも「哲学が」でもありません。なぜか。一つ考えられる可能性はカントにとって「形而上学」(Metaphysik)とは「神学」(theologia)の言い換えであり、しかもその場合の「神学」とは(トーマスにおいてそうであったように)純粋に「キリスト教の」神学を指していたということです。つまり、カントにおいて「形而上学」と「キリスト教神学」は、事実上の同義語として用いられていたという可能性です。
しかし岩波文庫版ではこの「形而上学は諸学の女王」うんぬんの話題のすぐ次の段落の話題が「形而上学の統治は、独断論者の執政下にあって専制的」うんぬんと訳されていて、なんとなくアリストテレスの時代の話をカントがしているかのように話が運んでいます。そうである可能性を完全に否定することはできないかもしれませんが、うまく話がつながりません。
トーマスの時代(中世)の話をしていたかと思うと、あれれ、アリストテレスの時代の話(紀元前)まですっ飛んだぞとなる。Anfänglich(初めの頃)の一言で、一気にそこまで時間をさかのぼらせる。そのような(無理を感じる)話の流れを読み取るよりもはるかに蓋然性の高い読み方があると思われます。
それは、「形而上学の統治」を「神学の支配」と読み替え、また「独断論者の執政下」を「教義学者の管理下」くらいに読み替えて、「神学(ないし形而上学)の支配は、教義学者の管理下にあって専制的であった」というあたりの落とし所を考えながら訳すことです(カントのドイツ語はこのように訳すことが可能です)。
そうすれば、カントの時代(18世紀)のヨーロッパの大学における「神学(ないし形而上学)の没落過程」を描いていると理解できるので(本当にそのとおりの状況があったと思われますから)、よいのではないかと愚考します。
この「諸学の女王」(regina scientiarum)という表現は「神学の婢」(ancilla theologiae)と対比的に用いられるものですが、いずれも主としてヨーロッパ中世の思想状況を表す言葉として通用しています。とくに後者の「神学の婢」という言葉は、13世紀の教義学者トーマス・アクィナス[1225頃-1274]の名前と結びつけられて理解されるのが通例です。そして、この場合の「諸学の女王」の主語は主として「神学」(theologia)であり、他方「神学の婢」の主語は主として「哲学」(philosophia)です。
ところがカントがこの個所に書いていることは「形而上学が諸学の女王と呼ばれていた」であり、「神学が」でも「哲学が」でもありません。なぜか。一つ考えられる可能性はカントにとって「形而上学」(Metaphysik)とは「神学」(theologia)の言い換えであり、しかもその場合の「神学」とは(トーマスにおいてそうであったように)純粋に「キリスト教の」神学を指していたということです。つまり、カントにおいて「形而上学」と「キリスト教神学」は、事実上の同義語として用いられていたという可能性です。
しかし岩波文庫版ではこの「形而上学は諸学の女王」うんぬんの話題のすぐ次の段落の話題が「形而上学の統治は、独断論者の執政下にあって専制的」うんぬんと訳されていて、なんとなくアリストテレスの時代の話をカントがしているかのように話が運んでいます。そうである可能性を完全に否定することはできないかもしれませんが、うまく話がつながりません。
トーマスの時代(中世)の話をしていたかと思うと、あれれ、アリストテレスの時代の話(紀元前)まですっ飛んだぞとなる。Anfänglich(初めの頃)の一言で、一気にそこまで時間をさかのぼらせる。そのような(無理を感じる)話の流れを読み取るよりもはるかに蓋然性の高い読み方があると思われます。
それは、「形而上学の統治」を「神学の支配」と読み替え、また「独断論者の執政下」を「教義学者の管理下」くらいに読み替えて、「神学(ないし形而上学)の支配は、教義学者の管理下にあって専制的であった」というあたりの落とし所を考えながら訳すことです(カントのドイツ語はこのように訳すことが可能です)。
そうすれば、カントの時代(18世紀)のヨーロッパの大学における「神学(ないし形而上学)の没落過程」を描いていると理解できるので(本当にそのとおりの状況があったと思われますから)、よいのではないかと愚考します。
2008年1月6日日曜日
補足説明
カントばかり読んでいるわけではありませんし、この日記は「カント読書録」として設けたわけでもありませんが、その時その時に関心を持っていることを率直に書くことが、日記を長続きさせる秘訣であると思っています。
カントが『純粋理性批判』等の中で繰り返し批判しているDogmatikerを「独断論者」と訳すことが正しいかどうかを考えています。ほとんど長年の伝統のようにみなされている学術的訳語に対して物申すことには勇気が必要です。
しかし、カントの時代的思想的背景や彼のキリスト教そのものに対しては好意的な理解を示していた事実などを鑑みるならば、いったんは(字義どおり)「教義学者」と訳すべきではないか。そしてその上で、事実上の「独断論」に陥っていた(この判断には賛否両論が認められるべきですが)「教義学」への批判をカントが行っていると考えるべきではないかと思うのです。
もしかしたらカントの念頭にあったかもしれない、近代哲学との対立関係にあったDogmatiker(教義学者)として思い当たるのは、デカルト哲学を異端視したことで知られるユトレヒト大学神学部の創始者ヒスベルトゥス・フーティウス(Gisbertus Voetius [1589-1676])とその後継者たちです。『啓蒙とは何か』などを読むかぎりカントがオランダの教会事情を熟知しつつ苦々しく感じていたことは明らかです(たとえばその中でカントは、オランダ(改革派)教会の中会(Classis)が所属教会の会員に信仰告白文書への宣誓を求めているのは不当であると述べています。『啓蒙とは何か 他四篇』、篠田英雄訳、岩波文庫、1974年改訳版、13~14ページを参照)。
当時のオランダ改革派教会の「信仰告白文書」とはベルギー信仰告白(別名「オランダ信仰告白」)、ハイデルベルク信仰問答、ドルト教理規準の三つのことです。
ヨーロッパのキリスト教史、とりわけ教義学の歴史を学ぶことのきわめて少ないわが国においてDogmatikerを正しく訳すことができないとしても、何の不思議も驚きもありません。
カントが『純粋理性批判』等の中で繰り返し批判しているDogmatikerを「独断論者」と訳すことが正しいかどうかを考えています。ほとんど長年の伝統のようにみなされている学術的訳語に対して物申すことには勇気が必要です。
しかし、カントの時代的思想的背景や彼のキリスト教そのものに対しては好意的な理解を示していた事実などを鑑みるならば、いったんは(字義どおり)「教義学者」と訳すべきではないか。そしてその上で、事実上の「独断論」に陥っていた(この判断には賛否両論が認められるべきですが)「教義学」への批判をカントが行っていると考えるべきではないかと思うのです。
もしかしたらカントの念頭にあったかもしれない、近代哲学との対立関係にあったDogmatiker(教義学者)として思い当たるのは、デカルト哲学を異端視したことで知られるユトレヒト大学神学部の創始者ヒスベルトゥス・フーティウス(Gisbertus Voetius [1589-1676])とその後継者たちです。『啓蒙とは何か』などを読むかぎりカントがオランダの教会事情を熟知しつつ苦々しく感じていたことは明らかです(たとえばその中でカントは、オランダ(改革派)教会の中会(Classis)が所属教会の会員に信仰告白文書への宣誓を求めているのは不当であると述べています。『啓蒙とは何か 他四篇』、篠田英雄訳、岩波文庫、1974年改訳版、13~14ページを参照)。
当時のオランダ改革派教会の「信仰告白文書」とはベルギー信仰告白(別名「オランダ信仰告白」)、ハイデルベルク信仰問答、ドルト教理規準の三つのことです。
ヨーロッパのキリスト教史、とりわけ教義学の歴史を学ぶことのきわめて少ないわが国においてDogmatikerを正しく訳すことができないとしても、何の不思議も驚きもありません。
カントの意図は何か
Amazonは速いです。カントの『純粋理性批判』の原書Kritik der reinen Vernunftがもう届きました。たった二日で来ました。
それにしても、人生の中でカントの原書を手にする日が訪れるとは想像もしていませんでした。ドイツ語など大して読めるわけでもないのに、今かなり興奮しています。
原書を調べたいと思ったことには、もちろん理由があります。岩波文庫版(篠田英雄訳)の「第一版序文」のなかの一文、「形而上学の統治は、最初は独断論者の執政下にあって専制的であった」(14ページ)に、誤訳とまではいえないにしても、余りにも強い偏見や作為に基づく訳文である可能性を感じたからです(講談社学術文庫版の天野貞祐訳も、この一文に限っては事情は同じです)。
原文はこうでした。Anfänglich war ihre Herrschaft, unter der Verwaltung der Dogmatiker, despotisch. (S. 6) これをなるべく中立的な語調で訳すとしたら、「初めの頃、形而上学〔神学の哲学的呼び換え〕の支配は教義学者の管理下にあって専制的なものであった」というくらいでしょう。
カントが問題にしていることは、ヨーロッパの大学の歴史ではないでしょうか。それは多くの場合、聖職者養成機関(神学校)として出発しました。その後そこに神学(または形而上学)以外の諸学が加わって総合大学となり、学園としての拡大ないし発展が起こりました。そしてそのうち学園全体の中での神学部(または哲学部形而上学科など)の相対的重要性が低くなっていくという経過を辿りました。
これら一連の経過の「最初の頃」の話を、ここでカントはしているのだと思われます。
それにしても、人生の中でカントの原書を手にする日が訪れるとは想像もしていませんでした。ドイツ語など大して読めるわけでもないのに、今かなり興奮しています。
原書を調べたいと思ったことには、もちろん理由があります。岩波文庫版(篠田英雄訳)の「第一版序文」のなかの一文、「形而上学の統治は、最初は独断論者の執政下にあって専制的であった」(14ページ)に、誤訳とまではいえないにしても、余りにも強い偏見や作為に基づく訳文である可能性を感じたからです(講談社学術文庫版の天野貞祐訳も、この一文に限っては事情は同じです)。
原文はこうでした。Anfänglich war ihre Herrschaft, unter der Verwaltung der Dogmatiker, despotisch. (S. 6) これをなるべく中立的な語調で訳すとしたら、「初めの頃、形而上学〔神学の哲学的呼び換え〕の支配は教義学者の管理下にあって専制的なものであった」というくらいでしょう。
カントが問題にしていることは、ヨーロッパの大学の歴史ではないでしょうか。それは多くの場合、聖職者養成機関(神学校)として出発しました。その後そこに神学(または形而上学)以外の諸学が加わって総合大学となり、学園としての拡大ないし発展が起こりました。そしてそのうち学園全体の中での神学部(または哲学部形而上学科など)の相対的重要性が低くなっていくという経過を辿りました。
これら一連の経過の「最初の頃」の話を、ここでカントはしているのだと思われます。
2008年1月5日土曜日
純粋理性批判を読みはじめました
学生時代に興味を抱いたまま余りの難解さゆえに放置していたカントの『純粋理性批判』(岩波文庫)を、元日から読みはじめました。ドイツ語版をamazonで注文しました。たぶん間もなく届くでしょう。とても楽しみです。
2008年1月1日火曜日
主を喜び祝え!
ネヘミヤ記8・9~10
「『今日は、あなたたちの神、主にささげられた聖なる日だ。嘆いたり、泣いたりしてはならない。』民は皆、律法の言葉を聞いて泣いていた。彼らは更に言った。『行って良い肉を食べ、甘い飲み物を飲みなさい。その備えのない者には、それを分け与えてやりなさい。今日は、我らの主にささげられた聖なる日だ。悲しんではならない。主を喜び祝うことこそ、あなたたちの力の源である』」。
あけましておめでとうございます。今日は新年礼拝です。日曜学校との合同礼拝として行っています。今、子どもたちがたくさん集まっています。楽しく過ごしたいと思います。
日曜学校の皆さん、皆さんは泣いたことがありますか。もちろんあると思います。どんなときですか。兄弟や友達とけんかしたときですか。悲しいときですか。そういうときも、たぶん泣くと思います。
今日読んだ聖書の個所に出てくる人々も泣いていました。なぜ泣いているのでしょうか。うれしいことがあったからです。うれしいときにも人は泣くのです。この人々に、とてもうれしい出来事が起こったのです。それは何でしょうか。ちょっとだけ説明しておきます。
昔々の話、今から2500年ほど前のことです。わたしたちと同じ神さまを信じていたユダという国に住んでいたユダヤ人が、隣のバビロンという国との戦争に負けてしまいました。神さまを礼拝するための神殿も、王さまが住んでいたお城も、バビロンの軍隊に壊されてしまいました。そしてユダヤ人の多くが捕虜としてバビロンの国に連れて行かれてしまいました。それは、とても辛くて悲しい出来事でした。
しかし、それから70年の後、バビロンに連れて行かれたユダヤ人たちが元々住んでいた町に帰れることになりました。そして、壊れたままだった神殿、またお城の壁をみんなで力を合わせて建て直すことができたのです。
今日の聖書の個所の泣いている人々は、神殿とお城の壁を建て直した人々です。それがやっとできたということがうれしくて泣いているのです。この場面は、神殿とお城の壁が元通りになったことを、神さまに感謝するために行っている礼拝の場面です。
しかし、その涙には、別の意味もありました。ただうれしかっただけではなかったようです。考えてもみてください。70年もの間、神殿とお城が壊れたままだったのです。また、その間、人々は自分たちが元々住んでいた町に戻ることができなかったのです。皆さんも、もし同じような目にあうことがあったら、どのように感じるかを想像してみてください。
今日の個所に出てくるユダヤ人たちは、今やっと自分たちの町に戻ることができ、また神殿とお城の壁を建て直すことができたわけですが、そのときに心の中に思い出されたことは、70年の間に嫌な目にあったこと、辛かったこと、寂しかったこと、悔しかったことなど、いろいろあったと思うのです。
また、ちょっと恨みもあったかもしれません。70年前に戦争に負けた人たちは、神さまの言いつけを守らなかった人々であるということが聖書に書いています。そのような昔の人たちが犯した罪のせいで、そのあとの人たちが苦労させられた、そのことに腹を立てて泣いていた人もいたのではないかと思います。
しかし、そのようないろいろなことがあったけれども、とにかく今わたしたちはやっと自分たちの国に帰ることができた。すべては神が導いてくださった結果であると信じて、その神に感謝するための礼拝をささげている。それが今日読んだ聖書の個所の場面です。
「今日は、あなたたちの神、主にささげられた聖なる日だ。嘆いたり、泣いたりしてはならない」と言っているのはエズラさんとネヘミヤさんという二人の人です。泣いているみんなに「泣いてはいけません」と言っています。笑いなさい、楽しみなさいと言いたいのです。
「良い肉を食べて、甘い飲み物を飲みなさい」とも言っています。今日はうれしい日、楽しい日なのだから、おいしいごちそうを食べて、笑いなさい、楽しみなさいと言いたいのです。
また「今日は、我らの主にささげられた聖なる日だ」と言い、だから「泣いてはいけません」と言っています。「聖なる日」と聞くとわたしたちは、もしかしたら、ちょっと怖いような気持ちを持つかもしれません。「聖」とは清いということです。清いとは「きたない」とか「けがれている」の反対です。そうしますと、わたしたちが思い描くイメージは悪いことをしないようにとか、真面目にするように、という意味ではないかということになる。「シー静かにしなさい。真面目にしなさい。うるさい人はこの部屋から出て行きなさい」と怒られてしまうのではないかと、感じる人がいるかもしれません。
しかし、ここに言われている「聖なる日」の意味は、どう考えても、そういうことではありません。「聖なる日」なのだから、おいしい肉を食べなさい、甘い飲み物を飲みなさい。笑いなさい、楽しみなさいと言われているのですから、「シー静かにしなさい」の反対です。そうです、「聖なる日」とは、笑ってもよい日であり、楽しんでもよい日であるという意味なのです!
実を言いますと、わたしたちにとっての「聖なる日」は、日曜日です。みんなで教会に集まって、神さまに礼拝をささげる日です。「聖なる日」である日曜日は、笑ってもよい日であり、楽しんでもよい日です。おいしい肉を食べ、甘い飲み物を飲んでもよい日です。
そんなものは、毎日、食べたり飲んだりしているよ、という人もいるかもしれません。私が言っているのは、そういうものは、日曜日以外は食べてはいけません、という意味ではありません。むしろ逆です。わたしたちは、毎日、笑ってもよいし、楽しんでもよいのです。
私のお父さんの話をします。今でも岡山県に住んでいます。私が生まれる前から今まで、ずっと教会に通っています。長い間、“クリスチャンしている”人です。
この私のお父さんは、とてもはっきりしていました。日曜日に教会で楽しいことがあると、月曜日から土曜日まで、ずっと楽しそうでしたし、うれしそうでしたし、元気そうでした。日曜日に教会で何か嫌なことがあったり、牧師さんの説教がつまらなかったりしたときは、月曜日から土曜日まで、ずっと不機嫌でした。
みんなが私のお父さんと同じかどうかは分かりません。でも、どうやらみんな、多かれ少なかれ、同じような気持ちを持っているのではないかと思うのです。
日曜日は、一週間の初めの日です。今日は一年の初めの日です。初めの日が悪ければ、この先どうなるのだろうかと不安になったり、嫌な気持ちになったりするものです。逆のこともいえます。初めの日がよければ、この先もよいことがあるだろうと希望を持つことができます。今週も、今年もがんばるぞという気持ちになり、ファイトがあふれてきます。そこには相乗効果、または相関関係があるのです。
わたしたちにとっての「聖なる日」は、日曜日です。日曜日は、笑ってもよい日であり、楽しんでもよい日です。「主を喜び祝うことこそ、あなたたちの力の源である」と言われているとおりです!
もちろん、日曜日に笑うとか、楽しむと言っても、教会の礼拝は、テレビや漫画ほどは面白くないかもしれません。教会の牧師さんや長老さんや日曜学校の先生たちは、お笑いの芸人のようにゲラゲラ笑える話をしてくれるわけではありません。
しかし、お笑いの芸人さんたちに対しては、ちょっと言いたいこともあるのです。それは、あの人々なりに頑張っているとは思いますが、あの人々の笑いは、すぐに飽きられてしまうものである、ということです。
対して、教会のお話は、けっこう長生きです。教会の歴史は、二千年も続いてきました。聖書のお話、神さまのお話には、飽きるということがありません。たとえて言うならば、教会のお話は、おかあさんやお父さん(!)が作ってくれる、毎日のごはんです。毎日のご飯に「飽きた」という人はいません。毎日のご飯を「飽きたから食べない」としたら、死んでしまいます。聖書を通して神さまが与えてくださる日々の糧に飽きる人は、いないのです。
ぜひ、毎週日曜日、教会に遊びに来てください。礼拝を楽しんでください。教会は喜び楽しむ場所なのです。今年もよろしくお願いいたします。
(2008年1月1日、松戸小金原教会新年礼拝)
2007年12月30日日曜日
地上の人生には価値がある!
コリントの信徒への手紙二4・8~11
「わたしたちは、四方から苦しめられても行き詰まらず、途方に暮れても失望せず、虐げられても見捨てられず、打ち倒されても滅ぼされない。わたしたちは、いつもイエスの死を体にまとっています、イエスの命がこの体に現れるために。わたしたちは生きている間、絶えずイエスのために死にさらされています、死ぬはずのこの身にイエスの命が現れるために。」
今日開いていただきましたのは、使徒パウロの手紙の一節です。ここに記されています内容は、大きく分けると二つのことです。
第一は、わたしたちキリスト者は、年がら年中、苦しめられ、途方に暮れ、虐げられ、打ち倒されている存在であるということです。
第二は、しかし、わたしたちキリスト者は、どんな苦しみの中にあっても行き詰まらず、失望せず、見捨てられず、滅ぼされない存在であるということです。
なぜそのように語ることができるのかについて、今日は共に学びたいと願っています。
第一の点から考えてみます。わたしたちは、なぜ年がら年中、「苦しめられている」存在なのでしょうか。パウロが記しているのは、「苦しんでいる」ということではありません。「苦しめられている」ということです。「被害を受けている」という意味で理解できる言葉です。しかし、キリスト者は被害者なのでしょうか。だれからどのような仕打ちを受けているというのでしょうか。パウロは何が言いたいのでしょうか。三つの可能性を私は考えます。
第一の可能性は、キリスト教信仰に対する迫害者から受ける被害です。キリスト教信仰は、残念ながら、すべての人に受け入れられているものではありません。信じる人も信じない人もいます。信じない人のすべてが必ず、信じる人を迫害するわけではありません。しかし、信じない人の中には、非常に強烈な仕方で信じる人を迫害する人々がいることは事実です。パウロも多くの迫害を受けました。ここでパウロが語っている「苦しめられた」体験は、迫害者から受けた被害のことであると考えることには、何の無理もありません。
しかし、それだけでしょうか。それだけであると考えることには無理があると思います。私が考える第二の可能性は、わたしたち自身が持っている罪と弱さから受ける被害です。別の言い方をしますと、わたしたちの人生そのものが持っている苦しみです。わたしたちの罪や弱さには明らかに、それを持つことをわたしたち自身が願って持っているわけでは決してないという面があるからです。おそらくわたしたちの多くは、罪のない人間でありたい、強い人間でありたいと願っているはずです。しかし、その願いに現実が伴わない。願っていない罪を犯す。願っていない弱さに負けてしまうのです。それもある意味で被害です。聖書的に考えるならば、そのように語ることが可能です。
そして、今申し上げた第二の可能性のちょうど裏側に第三の可能性が隠されていると、私は考えます。第三の可能性とは、そのような、わたしたちが願っているわけではない罪や弱さを、わたしたちが持っている理由は何なのかという問いに関することです。
しかし、罪のほうは、ちょっと横に置いておきたいと思います。今考えたいのは弱さのほうです。わたしたちはなぜこれほどまでに弱い存在なのでしょうか。この問いの答えは聖書に基づいて考えるならば、はっきりしています。わたしたちをこのような弱い存在にしたのは、神御自身である、ということです。
パウロは、わたしたちの肉体を指して「土の器」と呼んでいます(7節)。おそらく意味されていることは、二つあります。すなわち、一つの完成した作品になるまではそれ自体では価値のないものからできているということと、たとえそれが完成した作品になったとしても大事にしないかぎり壊れやすいものであるということです。しかし、いずれにせよ、この土の器は神御自身の作品です。わたしたちの存在は、神の創造作品なのです。
もしそうであるとするならば、第三の可能性の内容は、明らかです。わたしたちを弱く壊れやすい「土の器」としてお造りになった神御自身によって、わたしたちは「苦しめられている」という面が、必ずある、ということです。つまり、私が考える第三の可能性は、わたしたちがそのようなものに造られた神御自身の定めから受ける苦しみです。それも、一種の被害と言えるものです。
病気のことを考えれば、すぐにご理解いただけると思います。病気になりたい人など、一人もいません!しかし、現実のわたしたちは、何度でも繰り返し病気になります。このわたしを、神さまは、なぜもっと強いものに造ってくださらなかったのか、と恨んだことがある方は、多いでしょう。ところが、神はわたしたちを弱いものにされました。「わたしたちは神の被害者である」とまで語ることは、やめておきます。しかし、もし一度でも、自分の体や心の弱さを嘆き悲しんだことがある人は、結局、神御自身の定めを恨んでいるのだ、ということを知るべきです。
しかし、このように考えてみたときに、気になることがあります。それは、第一に申し上げました、迫害者から受ける被害という点に関わることです。あまり考えたくないことなのですが、どうしても考えてしまうことがあります。それは、この被害は、ある意味で、簡単に逃れることができる被害でもある、ということです。
どうすればよいのでしょうか。あまり口にしたくない言葉ですが、申し上げます。迫害者から受ける被害を逃れるためのいわば唯一の方法は、キリスト教信仰を捨てることです。信仰を捨てた人に対しては、迫害する理由もなくなるのです。
しかし、わたしたちは、信仰を捨てることができません。パウロは信仰を捨てることができません。救い主イエス・キリストへの信仰とは何でしょうか。それは、救い主イエス・キリストにおいて神がこのわたしを愛してくださっているということを信じることです。このわたしを愛してくださっている方がおられる、とせっかく信じることができたのに、その信仰を捨てるのは、無駄なことであり、もったいないことです。そのようなもったいないことは、わたしたちにはできません。わたしたちが信仰を捨てることができない理由は、このあたりにあるのです。
ところが、この信仰を捨てることができないために、わたしたちは迫害にあう。これは、ある意味でジレンマです。迫害にあいたい人など一人もいません。それは病気になりたい人は一人もいないのと同じです。わたしたちは信仰を捨てることはできませんが、迫害にあいたくはないのです。両方が同時に成り立つ道を探したいと願っています。しかしそれが、なかなか見つからない。そこにまた苦しみが生じるのです。
ただし、です。私自身は、今申し上げている点に限っては、悪意味での被害者意識などは持つべきではないだろうとも考えております。たとえば、次のようなことを考えてみていただきたいのです。差しさわりが生じないように、私の話をします。
私は自分で望んで、あるいは自分で願って牧師という仕事に就きました。牧師の仕事は、おそらくお察しいただけるとおり、けっこうきついものですし、厳しいものです。しかし私はべつに被害者ではありません。もし私が皆さんの前で「牧師の仕事はきつい、厳しい」と言い出しますならば、そんなに言うならお辞めになったらよいのにと思われるでしょう。実際にそういう面があるのです。泣き言ばかり語る牧師は教会にとって迷惑な存在であるはずです。私はこの仕事をやりたいからやっているのです。やらされている、というような意識は少しもありません。
信仰生活にも、この点では同じことが当てはまります。信仰者たちは、なにもべつに、いつでも必ず被害者であるわけではありません。わたしたちは、信じたくて信じているのです。教会に通いたくて通っているのです。信じさせられているのでも、通わされているのでもありません。きついだの厳しいだの言っていると、お辞めになったらよろしかろうと、周りの人々が言い始めるでしょう。信仰と教会に関する一切の重荷を降ろしてしまえば、あなたは今よりずっと楽になることができますよ、と誘ってくるでしょう。
その声のすべてが悪魔の声であると、私は言いません。もしかしたら天使の声かもしれない。ただし、もちろん、私が皆さんに「お辞めになったらよろしかろう」などとはまさか言いません。信仰生活を続けることが、もし皆さんにとっての何らかの被害者意識の原因になっているというならば、その信仰生活のどこかに、あるいは、通っておられる教会に問題があるのではないかと疑ってみる必要があるだろうと申し上げたいだけです。
しかし、です。ここで考えてみなければならないことは、苦しみのないような仕事は、どこにも存在しない、ということです。あるいは、苦しみのないような奉仕も、存在しません。いや、もっとはっきり言っておきます。苦しみのないような人生は、存在しません。遊びにおいてさえ、わたしたちは苦しむのです。苦しみから逃げようとすることは、そのまま死を意味する、と言わなければならない。それほどにわたしたちは、どこにいても、何をしても、苦しみ続けなければならない存在なのです。その意味では、わたしたちの人生そのものが「苦しめられている」ものです。生きていること自体が、いわば被害です。実際にそういう面もあるからです。
パウロがここに「苦しめられている」と書いていることには、思わず書いてしまったという面があるかもしれません。そんなに苦しいなら辞めればよいと言われてしまう、一つの口実を与えます。ある意味では、迂闊な言葉であると言われても仕方がないものでさえあるでしょう。
しかし、です。わたしたち自身は、もちろん、パウロの言葉を迂闊な言葉であるとだけ言って済ますことはできません。明らかな意図をこめて書いている面もある、とも考えるべきです。それは何でしょうか。
前後を読めばはっきり分かることがあります。それは、パウロが「苦しめられている」姿には、イエス・キリストの苦しむ姿が映し出されているということです!
「わたしたちは、いつもイエスの死を体にまとっています、イエスの命がこの体に現れるために」。この意味は、わたしたち(キリスト者!)が、この信仰のために、この教会のために、あるいはこの社会のために、そしてこの人生そのもののために苦しんでいる姿には、あの十字架にかけられた救い主イエス・キリストの姿が、生々しく映し出されている、ということです!
このことに、パウロは大いに励まされていたのだと思います。わたしたちの姿の中に、イエス・キリストのお姿が映し出されることに、です。あんなに嫌な目にあっているなら逃げたらいいのに、辞めたらいいのに、と周りの人が言いたくなるほどに苦しんでいるのに、いつものように起き上がり、立ち上がり、身支度をして出かける、このわたしたちの姿に、十字架上でお苦しみになっておられるイエス・キリストのお姿が映し出されることに、です!
イエス・キリストを信じる者たちは、イエス・キリストの十字架上の苦しむ姿に、胸を打たれ、心砕かれて、信じるようになったのです。人を愛し、世界を愛し、助けるために命をささげてくださった、その姿に胸を打たれ、心砕かれて、信じるようになったのです。
そうであるならば、わたしたちの結論は、はっきりしています。わたしたちの苦しむ姿に救い主の姿が映し出されるとするならば、そのわたしたちの姿を見てもらうことこそが伝道なのです。わたしたちが苦しむ姿には、人を救う力がある。苦しむこと自体が、価値ある人生なのです。
そのことを信じるゆえに、わたしたちは、行き詰まらないし、失望しないのです。打ち倒されても“どっこい生きて”いるのです。
(2007年12月30日、松戸小金原教会主日礼拝)
2007年12月24日月曜日
苦しみを乗り越える力、それは愛
コリントの信徒への手紙一13・13
「それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。」
クリスマスイブの礼拝において「愛」について共に考えることは、わたしたちにとってふさわしいことであると思います。
神は、独り子イエス・キリストを世にお遣わしになりました。「ここに愛があります!」(ヨハネの手紙一4・9、10)。
御子イエス・キリストのご降誕は、神の愛の証しです。イエス・キリストのご存在は、神の愛そのものなのです。
今読みましたコリントの信徒への手紙一13・13は、使徒パウロが書いた言葉です。信仰と希望と愛はいつまでも残るとパウロは言いました。いつまでも残るとは、永続的であるということです。
またパウロは、この三つの中で最も大いなるものは愛であると言いました。大いなるとは偉大である、ということです。そしてそれは、いつまでも残るという点にかかるのだと思います。最も大いなるものとは、この文脈では、最も長く残り続けるもののことです。最も長く残り続けるもの、最後の最後に残っているものは、愛である、とパウロは書いているのです。
イメージできるとしたら、マラソンレースです。信仰と希望と愛がレースをしているのです。いろんなものと一緒に走ってきました。しかし、最後まであきらめずに走り続けてきたのが、信仰と希望と愛です。トップスリーというよりも、他のものはみんな脱落していった、あるいは失われてしまった、という感じです。
しかし、ともかく三つは残った。信仰と希望と愛。三者とも表彰台の上に立っています。金メダルと銀メダルと銅メダル。真ん中で金メダルをかけてもらって笑っている、ガッツポーズをとっているチャンピオンが愛である。そういう話であると考えることができます。
しかし、どうでしょうか。ここで、ちょっと立ち止まって考えてみたいと思います。
はたして、このパウロの言葉は、わたしたちにとって本当に納得行くものでしょうか。わたしたちの現実に照らし合わせてみて、どうでしょうか。信仰と希望と愛は、いつまでも残っているでしょうか。心もとないものは、ないでしょうか。
信仰はどうでしょうか。「信仰なんか、とっくの昔に忘れてしまいました」。そういう話を、わたしたちは、何度となく聞くではありませんか。
希望はどうでしょうか。「夢も希望もありません」という言葉をしょっちゅう聞きます。年齢は関係ないかもしれません。中学生、いや小学生でも、人生に絶望してしまう子供たちがいるではありませんか。
愛はどうでしょうか。これも微妙です。もしかしたら、「愛されたい」という思いだけは、最後まで残っているかもしれません。しかしそれは「愛している」という思いでしょうか。わたしたちは、ほんとうに最後の最後まで神と人を愛しているでしょうか。ここに大きな問いがあります。
しかし、今日私は、皆さんにはぜひ、良い意味で安心していただきたいと願っています。今夜はぜひ、安心してお休みいただきたいところです。でも、どうしたら安心できるのでしょうか。
一つの本を見つけました。今から50年も前に書かれたものです。その中に書かれていることが、わたしに深い慰めを与えてくれました。次のように書かれていました。
「使徒パウロがコリントの信徒への手紙一13章に“愛”という文字を記しているところは、“イエス・キリスト”という名前に置き換えることができます。イエス・キリストこそが、この世界に実現した歴史的現実としての愛そのものなのです。」(A. A. ファン・ルーラー『最も大いなるものは愛である』、原著De meeste van deze is de liefde、168~169ページ。)
「愛」をイエス・キリストという名前に置き換えることができるとは、どういうことであるかということは、実際にやってみればすぐにお分かりいただけることです。
「イエス・キリストは忍耐強い。イエス・キリストは情け深い。ねたまない。イエス・キリストは自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える」。
このように読むことが許されるのなら、本当に素晴らしいことです。イエス・キリストはまさにこのとおりのお方だからです。忍耐強く情け深いのは、イエス・キリスト御自身です。イエス・キリストがそのような愛を示されたのです。そして、イエス・キリストのご存在そのものが愛そのものなのです。
わたしたちが注意しなければならないことは、聖書における愛の教えを、ただ単に道徳的な意味だけで理解してはならないということです。
「わたしたちはいかに愛すべきか」という問いは、道徳的な問いです。たとえば、昨日の説教で取り上げましたヨハネの手紙一4章のテーマは、わたしたちはイエス・キリストに示された神の愛を一つの模範にしながら、人間同士どのようにして互いに愛し合うべきであるかという問いかけがなされていたわけですから、これのほうは道徳的な問いです。このこと自体は重要なことです。軽んじられてはなりません。
しかし、わたしたちは、キリスト教的な愛の意味を人間の行為という面だけに限定してしまうことはできません。キリスト教信仰は、宗教です。宗教は道徳を超えるものです。わたしたちにとって重要なことは、人間がいかに愛し合うべきかという道徳の問いだけではありません。神がわたしたちをどのように愛してくださっているかという、宗教の問題こそが重要なのです。
信仰も希望も、そして愛までも、すっかりどこかに行ってしまった。まさに不信と絶望の中にいる。そのような心や生活の状態に、わたしたちは、じつは、しょっちゅう陥っているのではないでしょうか。
わたしたちが苦しい状況にあるとき、つらいことがあるとき、わたしたちは、神に祈ることができません。苦しい時には祈ればよいと簡単に言うことはできません。苦しい時には祈るべき言葉すら見つからない。それがわたしたちの現実の姿です。
しかし、そのときに、です。
「“愛”という文字は“イエス・キリスト”というお名前と置き換えることができます。」
いつまでも残る、最も大いなる愛は、イエス・キリストです!
このイエス・キリストにおいて、神が、あなたを愛しておられます!
そして、その愛は「いつまでも残る」ものです。
あなたが信仰も希望も愛も見失っているときにも、神はあなたを愛しておられます!
あなたは、そのように信じてよいのです。
そのように信じるとき、あなたの心の中に、深い平安と慰めが訪れるでしょう。
クリスマスおめでとうございます!
(2007年12月24日、松戸小金原教会クリスマスイブ礼拝)
2007年12月23日日曜日
神の愛、イエス・キリスト
ヨハネの手紙一4・7~12
「神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。」(4・9)
クリスマスおめでとうございます。今日は楽しくまたうれしい日です。救い主イエス・キリストがお生まれになりました。このわたしの救い主が来てくださったのです。
しかし、このように私が申しますと、一つの疑問が生まれるかもしれません。「救い主、救い主と言うけれど、その方が持って来てくださった“救い”とは何のことだろうか」と。今日考えてみたいと願っているのは、キリスト教的な意味での救いとは何なのかです。
救いの意味は、救済ないし救助です。この字を見て多くの人が最初に思い浮かべることは、難民救済や災害救助、あるいは貧しい人への施しというようなことではないでしょうか。それももちろん重要です。熱心に行うべきです。しかしキリスト教的な意味での救いとはそのようなものだけであると私が語るなら、ちょっと違うのではないかと思われるに違いありません。もちろん私も、それだけではないと考えております。
問題にすべきことは、救いの“中身”は何かです。こういう言い方もできるでしょう。イエス・キリストがもたらしてくださったものは、わたしにとって、何の役に立つのか、それはうれしいものなのか、ありがたいものなのかという問いです。何かご利益(りやく)があるのか、と言い換えてもよいでしょう。それとも、キリスト教とご利益うんぬんは、全く無縁であると言うべきでしょうか。
今日の聖書の個所に目を落としていただきたいと願います。ここに書かれていることが、今申し上げた問いの答えです。一言で言いますと、それは「愛」です。また「わたしたちが互いに愛し合うために必要な要素」です。イエス・キリストをとおして神がわたしたちに与えてくださる救いの中身は、要するに“互いに愛し合う人生”です。愛も、希望も、そして喜びもない人生を救い主が、それとは正反対のものに造りかえてくださるのです。
それこそが、まさにキリスト教のご利益(りやく)です。そのように私は、はっきりと申し上げることができます。
「愛する者たち、互いに愛し合いましょう。愛は神から出るもので、愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているからです。愛することのない者は神を知りません。神は愛だからです。」
分かるようでちょっと分かりにくい言葉であると思います。「互いに愛し合いましょう」と言われている以上、ここに語られているのは、明らかに、人間同士の愛です。あなたとわたしの愛です。そうしますと少し分かりにくいと感じられる面が現われてきます。とくに今の人々がおそらく感じるであろうことは、人間同士の愛に神が登場する必要があるのだろうかという問いであると思います。「神を信じていない人々であっても、十分な意味で愛し合っているではないか」という問いです。
実際問題として「愛する者は皆、神から生まれ、神を知っている」でしょうか。「愛することのない者」は、神を知らない人でしょうか。わたしは、あの人を心から愛している。あの人も、わたしを心から愛してくれている。このわたしたちの絆は、だれにも邪魔することができないほど固いものである。しかし、わたしたちは何も、神を信じているわけではない。それほど信心深くないし、神とか宗教には興味がない。そのように考える人々のほうが、今の時代の中では、圧倒的な多数になっているのではないでしょうか。
私自身には、そのような現代の風潮を一方的に批判したり、裁いたりしたいというような気持ちはありません。「神を信じていない人は、本当の愛を知らないから、だから、あのように汚れている、乱れている関係に陥ってしまうのである。ほら、やっぱりそうなった」。そのように言って済ませることはできないと考えております。
私がそのように考える理由は、はっきりしています。神を信じている我々は喧嘩しないのか、という問いがあるということです。神を信じている我々は、いつでも必ず清廉潔白、正しい生活を送っているのか、という問いがあるということです。あるいは反対に、神を信じていない人々の愛は常に汚れていて、常に乱れていて、常に破綻に至るのか、という問いがあるということです。それほど事柄は単純ではないのではないでしょうか。
しかし、わたしは、このように考え、語ることにおいて、今日開いているヨハネの手紙に書かれていることは間違っている、と申し上げたいわけではありません。ただ、短絡的な理解に陥らないように、気をつけなければならない、と思っているだけです。
間違わないために注目すべき点は、9節以下に書かれています。
「神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。」
ここに登場する「独り子」が救い主イエス・キリストです。大切であると思われるのは、神は独り子を「世に」お遣わしになった、と記されている点です。これは、先週まで三回にわたって学んできましたルカによる福音書2章の、ベツレヘムの羊飼いたちの前に主の天使が現われて救い主イエス・キリストのご降誕を告げた、あの個所に記されていることに関係しています。主の天使と天の大軍は「地には平和、御心に適う人にあれ」と歌いました。この「地」と「世」は、ほとんど同じ意味であると考えることができるのです。
「地」であれ「世」であれ、いずれにせよ、それは、わたしたちが生きているこの地上の世界を指しています。とくに「世」(コスモス)と言われている場合、それをわたしたちが日常的に用いている最も卑近な言葉で翻訳するとしたら、「世間」です。「神は独り子を世間にお遣わしになった」。このように翻訳することさえできるのだということです。
そして、その場合の「世間」とは、言うまでもなく、神を信じている人々だけが住んでいる世界に限定されるわけではありません。「世」の意味はどう間違っても、信者の集まりとしての教会だけを指しているわけではありません。むしろ逆です。教会はその中に含まれていますが、まさに全人類、その中に信者である人も信者でない人も含まれているこの世界、まさに全世界のことを、聖書は「世」と呼んでいるのです。
そこに救い主イエス・キリストは来てくださいました。そして、この方は、御自身の命をささげて、人の罪を贖うみわざを行ってくださいました。キリストの贖いのみわざとは何かということについて、ほんの少しですが事情を説明しておきます。
この話は要するに、神はきよく正しい方であり、曲がったことが大嫌いなお方であるという点から始まります。神の正しさは、罪を犯す人間に対しては死の罰をもって報いないかぎり満足しないものです。しかし、神は人間を惜しんでくださり、また愛してくださいました。神がお選びになったのは、死の罰をもって人間を滅ぼす道ではなく、何とかして人間を生きることができるようにするために、独り子を世に遣わし、十字架の上で罪人の身代りとなる犠牲として供えてくださるという道でした。御子の死によって償いは完了しましたので、人間と神との関係に和解が成立しました。神は御子イエス・キリストを救い主として信じる人々の罪を赦し、神への感謝と喜びをもって生きる永遠の命を与えてくださることを約束してくださったのです。
しかし、です。たった今申し上げたことの趣旨は、罪を赦していただくことができるのは、イエス・キリストを信じる者たちだけである、ということです。けれども、それではイエス・キリストは初めから、信じる者たちだけのところに来てくださったのかというと、決してそうではないのです。イエス・キリストは「地」にいる「世」の民、すなわち地上の世界に生きる全人類のために来てくださった。父なる神は御子を、全人類を救うためにお遣わしになった。このこともまた、わたしたちは、はっきりと信じてよいのです。
ここには一見、矛盾があると思われるかもしれませんし、その矛盾をわたしたち自身も認めなければならないようにも思われます。私が申し上げていることは、救い主イエス・キリストは全人類のために、すなわち“万人”のために来てくださったということと同時に、それにもかかわらず、イエス・キリストによって救われるのは、信じる者たちだけである、すなわち“信者”だけが救われる、ということだからです。
どこに矛盾があるのでしょうか。もし救い主がまさに神から遣わされた救い主であり、かつその方が全人類のために遣わされた方であるというのであれば、その救い主の持っておられる救いの力は、信者であろうが・なかろうが関係なく、まさに全人類に及ぶと信じられるべきではないか、ということです。もしわたしたちが信者だけが救われると言うのであれば、救い主の力を狭く限定することになるのではないか、ということです。
しかし、です。この問題の解決の一部は先週お話ししたとおりです。イエス・キリストの救いの恵みは、おいしいごちそうであるということです。しかもそれは、だれが食べても「うまい!」と感動するであろう、まさに万人に通じる、万国共通、世界共通の超絶品のごちそうである、ということです。
しかし、その味を知ることができるのは、食べた人だけです!食べるか・食べないかは、本人次第です。メニューの写真も公開されています。店の前には、美味しい香りも漂っています。それでも店に入らない、食べようとしないのは、本人の責任です。それ以上強制することはできないのです。
「ここに愛があります」と言われています。この意味は何でしょうか。考えられる可能性は、今申し上げた矛盾点を、そのまま「愛」と呼ぶということです。どういうことか。イエス・キリストに示された神の愛は、強制的な愛ではない、ということです。「今は食べたくない」と言っている人の口を梃子(てこ)でこじ開けて無理やり捻じり込むような、暴力的な愛ではない、ということです。
それはむしろ、もっとデリケートな愛です。デリカシーのある愛です。それがイエス・キリストに示された「神の愛」の本質であると理解することが可能です。信仰を強制すること、「信仰のない人の愛は必ず破綻する」と強く言い放つこと、「だから信仰のない人は駄目なのだ」と裁くこと、「信仰のない社会は絶望的である」と考えて世捨て人になること。こういうのは「愛」の本質からは最もかけ離れているのだということです。
これ以上は言わないでおきます。申し上げたいのは、否定的なことでも批判的なことでもありません。「互いに愛し合うために必要な要素」です。肯定的で積極的な要素です。
それは「神の愛」であると言われています。私はそれを、繰り返し、デリケートな愛と呼んでおきます。デリカシーのある愛です。強制と暴力の反対です。謙虚さがあり、可能な限りの譲歩があり、また十分な協議と相互理解がある。お互いに納得づくであり、深い信頼と愛情がある。そのようなデリケートで優しい関係です。美味しいごちそうを一緒に食べて、ほんとうに美味しいと喜び、うれしそうな顔で満足している人々の姿です。
そのような「神の愛」をイエス・キリスト御自身が示してくださいました。それは本当に優しくデリケートなものであり、今もそうあり続けています。押しつけがましいものではありませんでした。ガリラヤの人々と共に平和に過ごされた日々において、エルサレムでの戦いの日々において、そして現在、天に挙げられてイエス・キリストの体なる教会と共に生きておられる日々において。
(2007年12月23日、松戸小金原教会主日礼拝)
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