2007年1月28日日曜日

「約束の聖霊」

使徒言行録1・1~5



本日から、新約聖書の使徒言行録の学びを始めます。



使徒言行録は28章あります。先週まで学んできたルカによる福音書は24章ありました。そのルカによる福音書の学びに約2年かかりました。これから学ぶ使徒言行録も、終わるまでに2年くらいかかるかもしれません。



2年は短いようで長い。いろんな意味で辛抱していただかなければなりません。しかしどうか、使徒言行録の学びが終わるまで、皆さん元気でいてください。もちろん、これが終わったら、まだ次もあります。とにかく聖書を学び続けましょう。それが私の願いです。



「テオフィロさま、わたしは先に第一巻を著して、イエスが行い、また教え始めてから、お選びになった使徒たちに聖霊を通して指図を与え、天に上げられた日までのすべてのことについて書き記しました。」



使徒言行録を学ぼうと願った理由は、単純です。使徒言行録の著者がルカによる福音書の著者ルカと同一人物であると考えることができるからです。そして著者であるルカ自身が、この二つの書物を内容的に連続しているものとして提示しているからです。



そのように教会は伝統的に信じてきましたし、この伝統的理解は傾聴と信頼に値します。実際に確認してみれば分かることです。ルカによる福音書の冒頭部分に、次のように記されています。



「わたしたちの間で実現した事柄について、最初から目撃して御言葉のために働いた人々がわたしたちに伝えたとおりに、物語を書き連ねようと、多くの人々が既に手を着けています。そこで、敬愛するテオフィロさま、わたしもすべての事を初めから詳しく調べていますので、順序正しく書いてあなたに献呈するのがよいと思いました」(ルカ1・1~3)。



読み比べると分かるのは、ルカによる福音書と使徒言行録とは、どちらも「テオフィロさま」に献呈されたものである、ということです。「テオフィロ」(神を愛する者の意味)がだれなのかは分かりません。ローマの政府高官ではないかとか、ニックネームではないかなど、諸説あります。この名前は、ユダヤ人の名前である場合も、異邦人の名前の場合もあります。真相は定かではありません。



そして、使徒言行録の冒頭に書かれていることは「わたしは先に第一巻を著して」です。これがやはり決定的です。この「第一巻」がルカによる福音書であると考えられるのです。「第一巻」の内容については「イエスが行い、また教え始めてから・・・天に上げられた日まで」とありますが、これすなわちイエス・キリストの生涯のことですから、福音書の内容と合致します。つまり、使徒言行録はルカによる福音書の「第二巻」である、ということです。



証拠はこの点だけではありませんが、もちろんそのすべてを紹介しつくすことは、到底できません。1920年代に提起された、かなり古い説ではありますが有名な研究は、ルカが書いた文書である福音書と使徒言行録の中には、たくさんの医学用語が使われている、というものです。



つまり、ルカは医者であった、ということです。使徒パウロのコロサイの信徒への手紙の4・14に出てくる「愛する医者ルカ」が、ルカによる福音書と使徒言行録を書いた、と伝統的に考えられてきた。それを支持しうる根拠もある、ということです。



この説が絶対的に正しいと語ることはできないかもしれません。しかし絶対に間違っている、と否定する理由はありません。そういう場合には、面白い話として受けとめる、というくらいでよいと思います。



さらに、いくらか余談ですが、本を書く仕事ということを考えてみると、やはりそこにはどうしても、ある程度まとまった時間や体力、お金や頭脳が必要であると思われます。とくに長編の文書を書くとなると、なおさらです。第二巻まで書く。そのためには、ものすごいエネルギーが必要です。



また、福音書にせよ、使徒言行録にせよ、手紙とは違います。学術論文でもありません。歴史の教科書でもありません。それは純粋に「物語」です。読者の心をひきつける仕掛けがある。そういうものを書けるのは、相当な能力を与えられている人です。



「イエスは苦難を受けた後、御自分が生きていることを、数多くの証拠をもって使徒たちに示し、四十日にわたって彼らに現れ、神の国について話された。」



復活なさった主イエス・キリストが弟子たちの前に「四十日にわたって」現われてくださった、というこの点は、ルカによる福音書のほうには出てきません。使徒言行録のほうで初めて紹介される事柄です。



この意味は、イエスさまが弟子たちの前に、目に見えるお姿を現わしてくださったのは、ずっとのことではなく、一時的なことであった、ということです。イエスさまのお姿は、四十日後には、目に見えなくなってしまった、ということです。



つまり、二千年前に一度起こった、あのイエスさまの復活は、人類の歴史全体の中では、まばたきほどの時間もない、ほんのごく一瞬の出来事であった、ということです。それを見て信じたのは、まさに一握りの、きわめて少数の人々にすぎなかった、ということです。



それはまた、まさに今、このわたしたち自身がイエスさまのお姿を見ることができない理由も、ここにあります。主イエスさまの復活のお姿を見ることができたのは、たったの四十日間だけだったのです。それ以上は見ることができなかったのです。



その意味で(その意味でだけ!)二千年前のイエスさまの復活を「完全な復活」と呼ぶことができないものがある、と言わざるをえません。ただし、こういうことは乱暴に言うと誤解されてしまいますので、丁寧かつ慎重に言わなければなりません。ぜひご理解いただきたいことは、完全ではないと申し上げたことの意味は、それが四十日間という期間の中だけに限定されていたという一点に一切かかっているということです。



イエスさまの復活の体には、手も足もありました。肉も骨もありました。その意味では「完全な復活」です。しかし問題は、時間が限られていたところです。“期限付き”の復活であった点です。二千年前のそれは、強いて言えば、一時的・暫定的・断片的・不完全な復活です。「完全な復活」は、世界と人類の終末において起こるのです!



この問題は、わたしたちにとって、今地上のどこを探しても、イエスさまの生きておられる姿を見ることはできないことの理由を説明するために重要です。イエスさまの不在の事実をわたしたちは厳粛に受けとめるべきです。参考になるのはハイデルベルク信仰問答です。問47の答えです。



「問47 それでは、キリストは、約束なさったとおり、世の終わりまでわたしたちと共におられる、というわけではないのですか。



 答  キリストは、まことの人間でありまことの神であられます。この方は、その人間としての御性質においては、今は地上におられませんが、その神性、威厳、恩恵、霊においては、片時もわたしたちから離れてはおられないのです。」



ハイデルベルク信仰問答に書かれていることは、神さまとしてのイエスさまはわたしたちと共にいてくださいますが、地上の人間としてのイエスさまは、今は不在であるということです。



この意味での不在は、やはり、厳粛な事実です。目に見えない霊のお姿としては、片時もわたしたちから離れておられない。そのことももちろん重要なことですが、問題になっていることが復活であり、しかも「肉体の復活」(からだのよみがえり)なのですから、目に見えない姿でしかない状態は、存在か不在かと問われるならば、限りなく不在に近い、と答えざるをえないのです。



キリスト教信仰の真髄としての「肉体の復活」の最も重要な点は、イエス・キリストとわたしたちが地上に戻ってくる、ということです。



もちろん地上の世界にも終末があるのです。しかし、終末において世界は消滅するとか破壊されるというのではなく、永遠性を帯びた世界として、永遠の栄光に包まれた神の国として完成するのですから、地上の世界はそのようなものとして、まさに存続すると信じてよいのです。



そこに、キリストとわたしたちが戻ってくる。それが復活です。それこそまさに、終末における「完全な復活」の様子です。



しかし、その反面の真理として、救い主イエス・キリストは、今から二千年前にたった一度だけ、そしてたった四十日だけ、弟子たちの前に、その復活のお姿を現された。それはいわば「不完全な復活」であった。その一回きりの出来事を、わたしたちは、二千年間、ひたすら信じ続けてきたのです。



それは、「肉体の復活」が起こるというこの点がものすごく大事なことであると、わたしたちは固く信じているからです。使徒信条において告白されている「からだのよみがえり」とは、肉体の復活です。



そして、もう一つの反面の真理が、続くところに明言されています。イエス・キリストの目に見えるお姿が、わずか四十日間の後には、見えなくなる。その意味での不在期間が始まる。しかしそのとき、リリーフが登場する。今は不在であられるイエス・キリストのいわば代わりに、この地上の世界へと来てくださるお方がいる。そのお方こそ「聖霊なる神」である、という真理です。



「そして、彼らと食事を共にしていたとき、こう命じられた。『エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。ヨハネは水で洗礼を授けたが、あなたがたは間もなく聖霊による洗礼を授けられるからである。』」



「聖霊による洗礼」を「水による洗礼」とはまったく別のものである、と考えることはできません。「聖霊による洗礼」は、一つの比喩であるというべきです。聖霊がきよい水のようにわたしたちの存在の内側へと注がれる。人の体と心が、聖霊によって、まるで水で洗い清められるように、きよくなる。聖霊なる神のお働きによってすべてが新しく美しく造りかえられる。そのことを言いたいのです。



イエス・キリストの不在の間は、聖霊なる神が、地上にいるわたしたちの助け主として共にいてくださるのです。



(2007年1月28日、松戸小金原教会主日礼拝)



2007年1月21日日曜日

「復活の希望に生きよう」

ルカによる福音書の最後の段落には、イエス・キリストはよみがえられた、ということが、はっきり分かるように記されています。



「こういうことを話していると、イエス御自身が彼らの真ん中に立ち、『あなたがたに平和があるように』と言われた。」



読み返してみて面白いことに気づきました。それは、よみがえられたイエスさまがお姿を現わしてくださったタイミングに関することです。四つの福音書で、それぞれ違います。今ここでいちいち比較することは割愛します。申し上げたいことは、ルカの記述には非常に興味深い一つの意図を感じる、ということです。



ルカは、主イエスの復活に関して、大きく分けて三つの出来事を記しています。



第一は、イエスさまのお墓の前で、婦人たちが、二人の人(天使)から、イエスさまはよみがえられたという言葉を聞いた、という出来事です。ただし、このとき婦人たちは、イエスさまのお姿を、まだ見ていません。天使の言葉を聞いた、そして信じただけです。



第二は、先週学びました、エルサレムからエマオまで二人の弟子が歩いている途中に、復活されたイエスさまから聖書の御言葉についての解説をしていただき、共に食事をした、という出来事です。ただし、重要なことは、弟子たちが「この方はイエスさまである」と気づいたときに、イエスさまのお姿が見えなくなった、という点です。



そして、第三の出来事を、これから学ぼうとしているわけですが、イエスさま御自身が弟子たちの真ん中に立ってくださり、弟子たちと直接会話(コミュニケーション)を交わしてくださった、という出来事です。



わたしがこのたび今さらながら気づかされたことは、この第三の出来事が、第一と第二の出来事と大きく異なる点があるということです。それは、順を追って読めば、はっきり分かることですが、第三の出来事に至って、ここに来て初めて、イエスさまが弟子たちの前に、完全にお姿を現わしてくださったのだ、ということです。



第一の出来事のように、天使のようないわば第三者から、話として伝え聞いた、というだけではない。また第二の出来事のように、「この方がイエスさまである」と気づいたときには姿が見えなくなるという、いくらか不完全な感じが残る、断片的なお姿でもない。



ここに来て初めて、全く目に見える、手で触れることができる、直接会話を交わすことができる、全くリアルな存在として、イエスさまが弟子たちの前に現われてくださったのです。それが、ルカによる福音書が描いている順序です。



そして、私が興味深いと感じたことは、第三の出来事が起こったこのタイミングです。それは、ルカが書いているとおりであるとすれば、「こういうことを話して」いたその最中、その瞬間です。つまり、彼らは、婦人たちが天使から聞いて使徒たちへと伝えた言葉を、また、エマオまでの途上で二人の弟子たちが体験したことを「話していた」のです。まさにその最中、その瞬間に、イエスさまが現われてくださったのです。



彼らの言葉がイエスさまを呼び出した、と言いたいわけではありません。人間の言葉が死者の霊を呼び出す、というようなのは別の宗教の話です。



私が申し上げたいことは、お墓の前で天使の声を聞いた婦人たちも、また、エマオまでの旅の途上でイエスさまの聖書解説を聞いた弟子たちも、本当にイエスさまはよみがえられたのだと心から確信して、一生懸命に話していたはずである、ということです。



そのように、まさに一生懸命に話していた彼らの前に、復活されたイエスさまが、お姿を現わしてくださったのです。イエスさま御自身が、「彼らの言っていることは本当ですよ」とサポート(支持)してくださるように、あるいはガード(防御)してくださるように、御自身の完全なお姿を現わしてくださったのです。



このタイミングに、イエスさまの弟子たちに対する深い愛情を、読み取ることができるように思います。それが、私がこのたび感じとった、ルカが描こうとした意図です。



「彼らは恐れおののき、亡霊を見ているのだと思った。」



彼らは、なぜ「恐れおののいた」のでしょうか。「恐れおののき、亡霊を見ているのだと思った」と書かれていますが、彼らが恐れおののいた理由は、イエスさまのお姿が「亡霊」のように見えたからでしょうか。そうかもしれません。しかし、必ずしもそうではないと考えることもできるように思います。



なぜ「恐れおののいた」のかというと、おそらく、彼らは死んだ人がよみがえるはずがない、という絶対的な確信をもっていたからです。「亡霊」の存在なども、おそらく彼らは信じていません。「亡霊」を見たから恐れた、ということになりますと、論理的に言えば、彼らは「亡霊」の存在を信じている、という話になってしまいます。しかし、実際はそうではないのだと思います。



余談ですが、私もそうです。41年生きてきましたが、私は、今まで一度として「亡霊」なるものを見たことがありません。感じたことも全くありません。だからどんなところでも入っていけるし、何も怖くありません。基本的な大前提として、そういうものは存在しない、と思っているからです。私は無神論者ではありませんが、亡霊信仰のようなものを持っているわけではないのです。



しかし、私にとって最も恐ろしいことは、自分の確信を揺り動かされてしまうときです。亡霊など怖くありません。自分の前提が崩されることが、最も怖いのです。イエスさまの弟子たちもそうだったのではないかと思うのです。



だからこそ、ではないでしょうか、彼らは、ここに来て初めて、「亡霊」の存在を持ち出そうとした。絶対的な確信をもって受け入れている、死んだ人がよみがえるはずがない、というこの点が、イエスさまのリアルなお姿を見てしまったときに激しく揺り動かされた。しかし、自分の確信をなんとか維持するために、「亡霊」という新たなる説明の言葉を持ち込んだ。そうとでも言わないかぎり、この事態を説明することは不可能である、と思ったに違いないのです。



しかし、逆に言えば、それほどまでに、復活されたイエスさまのお姿はリアルであった、ということでもある、と言えるでしょう。



「そこで、イエスは言われた。『なぜ、うろたえているのか。どうして心に疑いを起こすのか。わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしだ。触ってよく見なさい。亡霊には肉も骨もないが、あなたがたに見えるとおり、わたしにはそれがある。』こう言って、イエスは手と足をお見せになった。彼らが喜びのあまりまだ信じられず、不思議がっているので、イエスは、『ここに何か食べ物があるか』と言われた。そこで、焼いた魚を一切れ差し出すと、イエスはそれを取って、彼らの前で食べられた。」



ここから分かることは、よみがえられたイエスさまには、手や足がある。肉も骨もある、ということです。そして何より、ここに書かれているような仕方でイエスさまと弟子たちとが会話されている。コミュニケーションが成り立っている。このことが、何よりも驚きです。焼いた魚を一切れペロリとお食べになったというのも面白い。コミカルな場面です。



私たちの大切な家族や友人たちに先立たれて、何がいちばん悲しいかというと、やはり何と言っても、もう会話を交わすことができないと感じる、この点です。人生の終わりは、コミュニケーションの終わりである。もはや何も語ることができない。何も聞いてもらえない。とくに夫婦や親子の場合には、もう二度と一緒に食事をすることができない。そのように感じるときに、さびしくつらいものを覚えるのです。そうではないでしょうか。



しかし、イエスさまの場合は、そうではなかった、というのです。コミュニケーションをとることができる。食事もできる。そのことが、うれしかったのです。つまり、これは、イエスさまが、わたしたち信仰者たちの日常的な生活とその交わりの中に戻ってきてくださった、ということです。



また同時に、このことは、イエスさまだけの話ではなく、わたしたち自身の話にもなる、というのが、聖書が教えていることです。使徒パウロが次のように語っているとおりです。



「キリストは死者の中から復活した、と宣べ伝えられているのに、あなたがたの中のある者が、死者の復活などない、と言っているのはどういうわけですか。死者の復活がなければ、キリストも復活しなかったはずです。そして、キリストが復活しなかったのなら、わたしたちの宣教は無駄であるし、あなたがたの信仰も無駄です。・・・しかし、実際、キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました」(コリント一15・12~20)。



ここでパウロが書いていることは、要するに、イエスさまの身に起こった復活の出来事は、わたしたちの身にも起こります、ということです。キリストが「眠りについた人たちの初穂」である、ということの意味は、死に行くすべての人間の中でイエスさまが最初によみがえってくださった、ということです。イエスさまは、わたしたちすべての人類の中で、最初によみがえってくださった方なのです。



これがキリスト教信仰の真髄です。イエスさまがよみがえられたように、わたしたちもよみがえるのだということです。わたしたちのよみがえった体は、親しい家族や友人たちと共に、会話(コミュニケーション)もできるし、食事をすることもできる。わたしたちは、今味わっているこの楽しい人生を、もう一度取り戻すことができるのです。



そのことを信じなければ、キリスト教を信じる意味は、ほとんどありません。それは、パウロが書いているとおりです。そして、キリストの復活を信じることは、わたしたちの復活を信じることです。それもパウロが書いていることです。わたしたちの復活を信じること、そして復活の希望に生きることが、キリスト教信仰の究極目的です。



「天国でまた会いましょう」という呼びかけ方が間違っているわけではありません。しかし問題は、その天国がどこに実現するかです。天国は地上に打ち立てられるのです!わたしたちは「地上でまた会える」のです!



今の会話も、毎日の食事も、わたしたちの復活の日に、すべて取り戻されます。



今していることの何一つも無駄なことはなく、すべてに意味があり、価値があります。



イエスさまを信じ、教会につながって、安心して、人生を楽しもうではありませんか!



(2007年1月20日、松戸小金原教会主日礼拝)



2007年1月14日日曜日

「共に歩まれるキリスト」

ルカによる福音書24・13~35



今日の個所、私はとても好きです。非常に面白いし、興味深い。読むたびに感動します。



「ちょうどこの日、二人の弟子が、エルサレムから六十スタディオン離れたエマオという村へ向かって歩きながら、この一切の出来事について話し合っていた。」



「六十スタディオン」は距離です。どのくらいの長さかを調べてみましたところ、二説出てきました。一つは、新共同訳聖書の巻末付録「度量衡及び通貨」の数字です。そこに一スタディオンは約185メートルであると書いてあります。もう一つは、私が参考にしている注解書の数字です。「当時の一スタディオンは192メートルである」と書いていました。約7メートルの差があります。どちらが正しいかなどは分かりません。



どちらで計算しても、「六十スタディオン」は、だいたい11キロ強であることが分かります。その距離を、彼らは歩いたのです。歩けない距離ではないと思います。



それは時間にしてどれくらいでしょうか。私の場合、自転車で約30分です。歩くとどうでしょうか。彼らは最初二人で、途中から三人で話しながら、いや徹底的に議論しながら歩きました。そのような歩き方だと、3時間くらいはかかるのではないかと考えてみましたが、いかがしょうか。ゆっくりすぎるでしょうか。



今日は大雑把に、彼らの旅は約3時間と考えておきます。短いといえば短い。しかし、使い方次第でかなり有効な時間ともなります。



たとえば、今は3時間あれば、新幹線に乗れば、東京から神戸(兵庫県)まで、あるいは八戸(青森県)まで行ってしまいます。飛行機に乗れば、サイパンでも、グアムでも、韓国でも、行ってします。「たかが3時間、されど3時間」です。



そのあいだ、彼らは話し合っていました。「この一切の出来事」とは、婦人たちがイエスさまのお墓の前で二人の天使たちから聞いたこと、「イエスさまがよみがえられた」というあの出来事に関することです。



「話し合い論じ合っていると、イエス御自身が近づいて来て、一緒に歩き始められた。しかし、二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった。イエスは、『歩きながら、やり取りしているその話は何のことですか』と言われた。」



この話の最も面白い場面です。彼らが夢中になって、イエスさまがよみがえられたことについて話し合い、論じ合っているところに、イエスさま御自身が近づいて来てくださり、一緒に歩き始めてくださり、二人の話の間に割って入ってくださって、「その話は何のことですか」と質問をしてくださったのです!



ここから私が考えさせられることは、復活は理屈ではない、ということです。復活とはそもそも何かとか、イエス・キリストは復活したかどうかとか、われわれ人間は復活するのかどうかというようなことを、喧々諤々議論しているところに、事実としてよみがえられたイエスさま御自身が、姿を現してくださったのです。



単純に比較することはできないかもしれませんが、最近頻繁に起こっている残虐非道な事件。それらの内容に接するたびに、「ありえない。このようなひどいことができる人間の存在を、信じることができない」と言いたくなります。



しかし、その考え方は逆である、と言わなければなりません。事実のほうが先にあるのです。その意味や価値を考える作業は、いわば後です。「事実の意味を後から考えること(Nachdenken)」が重要です。「ありえない」というわれわれの思い込みや前提が、現実に起こった事実そのものを否定することはできないのです。



それにしても、イエスさまが一緒に歩いておられるのに、それに気づかない弟子たち。そして、その彼らにイエスさまが「何の話をしているのですか」と質問される。すべてをご存じのお方が、です。ふざけておられるわけではないと思いますが、ちょっととぼけたことを言っておられる。この情景は、非常にコミカルな感じがします。



しかし同時に、深刻なものも感じます。これは、わたしたち自身の姿かもしれないからです。復活など信じられない。そのような思いにとらわれているときに、目の前の事実としてイエスさま御自身が立っておられる。それでも、そのことを受け入れることができないとしたら、それは「ありえない」という思い込みや前提を持っているのです。おそらくその種の前提が、この二人の目を遮っていたのです。



「二人は暗い顔をして立ち止まった。その一人のクレオパという人が答えた。『エルサレムに滞在していながら、この数日そこで起こったことを、あなただけはご存じなかったのですか。』イエスが、『どんなことですか』と言われると、二人は言った。『ナザレのイエスのことです。この方は、神と民の全体の前で、行いにも言葉にも力のある預言者でした。それなのに、わたしたちの祭司長たちや議員たちは、死刑にするため引き渡して、十字架につけてしまったのです。わたしたちは、あの方こそイスラエルを解放してくださると望みをかけていました。しかも、そのことがあってから、もう今日で三日目になります。ところが、仲間の婦人たちがわたしたちを驚かせました。婦人たちは朝早く墓へ行きましたが、遺体を見つけずに戻って来ました。そして、天使たちが現れ、『イエスは生きておられる』と告げたと言うのです。仲間の者が何人か墓へ行ってみたのですが、婦人たちが言ったとおりで、あの方は見当たりませんでした。』そこで、イエスは言われた。『ああ、物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち、メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか。』そして、モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、御自分について書かれていることを説明された。」



二人の弟子たちは、共に歩いておられるイエスさまに、これまでエルサレムで起こった出来事をまとめてお話ししました。ただし、この内容は彼らなりのまとめ方です。事実の報道は難しいものです。そこには必ず解釈が入ります。間違った解釈も入り込むのです。



気になる第一の点は、彼らがイエスさまを「預言者」であったと語っているところです。第二の点は、イエスさまを「イスラエルを解放してくださる方」、つまり、ユダヤ人たちをローマ帝国の支配下から解放するために闘う政治家であった、と語っているところです。



彼らの見方は、全く間違っているとは言えません。彼らは、見たままを語っているだけです。見たとおりのことは、重要です。それは一種の結果です。結果は重要です。そして結果は本人の手から離れて一人歩きしていくものなのです。それも一つの結果責任です。イエスさまは、事実上、人々の目から見ると「預言者」でもあり、「政治家」でもあった、のです。それらのことは否定されるべきことではありません。



しかしまた、そのことを逆のほうから見れば、彼らが言っているまさにこの点こそが、よみがえられたイエスさま、生きておられるイエスさまが目の前におられるのに、見抜くことができなかった、まさに彼らの目を遮っていた前提ではなかったかと思われるのです。



つまり彼らは、イエスさまのことを立派な人物、偉人としてしか見ていなかったのです。尊敬していた偉人、わたしたちの先生が不条理な死を遂げた。残念でならない。政治家としては失敗した人でもある。しかし、そのお方がよみがえったと婦人たちが言っている。そんなことは、信じられない。本当のところはどうなのか。おそらくそのようなことが、彼らの思いの中にあったのです。



その彼らを、イエスさまは、愛情をこめてお叱りになりました。「ああ、物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち!」



愛情がこもっている、と申し上げることができる根拠は、その後イエスさまは、徹底的に聖書の御言葉の全体を彼らに語って聞かせてくださった、ということです。



教えるという仕事は、たいへんな仕事です。教師を職業にしてこられた方ならお分かりいただけるはずです。まさに一から十まで、手取り足取り、教えて聞かせる。この面倒な仕事を、イエスさま御自身が引き受けてくださったのです。



これは、愛がなければ、決してできません。教育は愛情です。説教も愛情なのです!



「一行は目指す村に近づいたが、イエスはなおも先へ行こうとされる様子だった。二人が、『一緒にお泊りください。そろそろ夕方になりますし、もう日も傾いていますから』と言って、無理に引き止めたので、イエスは共に泊まるため家に入られた。一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。二人は、『道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか』と語り合った。そして、時を移さず出発して、エルサレムに戻ってみると、十一人とその仲間が集まって、本当に主は復活して、シモンに現れたと言っていた。二人とも、道で起こったことや、パンを裂いてくださったときにイエスだと分かった次第を話した。」



約11キロの徒歩の旅は、終わりました。歩き疲れ、しゃべり疲れて、少し休みたいし、お腹もすいてきた。しかし、まだ学び足りない。聖書の話を、イエスさまの話をいつまでも聞いていたい。語り合いたい。学び続けたい。別れがたい。そのような思いを、彼らは抱いたに違いありません。



昨年11月17日のことです。私も神戸から東京までの3時間の新幹線の中で、私が今の世界の中で最も尊敬している神学者であるヘリット・イミンク先生(ユトレヒト大学神学部教授、オランダプロテスタント神学大学総長)を独り占めして、語り合う機会を与えられました。品川駅前で別れました。引きとめることも泣くことも(?)ありませんでしたが、ただ本当に別れがたさを感じました。この別れがたさという点の気持ちは、少し似ているところがあるのではないかと思います。



彼らは、イエスさまを無理に引き止めた。イエスさまはその求めに応じてくださった。そして、みんなで食事の席に着いたときに、イエスさまがお始めになったことは、給仕の仕事です。「はい、わたしは疲れました」と座り込んで、出てくる料理を待っているという態度とは、正反対です。イエスさまは疲れている弟子たちを「お疲れさま」とねぎらってくださるように、御自身の手でパンを裂いて、一人一人にお渡しくださいました。



しかし、おそらくもっと深い意味を読み取ってよいでしょう。



イエスさまがパンを裂く姿は、彼らがこれまで、何度も見てきたものでした!



また、この弟子たちは、最後の晩餐の席にいた弟子たちではないと思われますが、そのときの様子は、十二人の使徒たちから、聞いていたでしょう。



「これはわたしの体である」と言われながら、手渡されたパン。



「これはわたしの血である」と言われながら、手渡されたぶどう酒。



あのイエスさまのお姿のすべてを、彼らは思い起こすことができたのです。



そして、私たちの目の前にいるこのお方は、なんと、イエスさま御自身であるということが、そのとき初めて分かったのです!



しかし、それが分かった途端、イエスさまの姿が見えなくなった、と記されています。それでも彼らは全く失望していません。ここが重要です。「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか!」



彼らは、イエスさまが復活されたことの意味、また復活されたイエスさまのお姿を見ることの意味が、そのとき初めて分かったのです。



復活とは、ただ単なるビックリ話ではありません。異様で非科学的な「ありえない話」というだけではありません。



聖書の教えが関係していないような、あるいは信仰という点が関係していないような、また教会の存在や伝道という事柄と関係ないような復活であるとしたら意味がありません。そのような復活を私たちが信じているわけではないのです。



聖書の御言葉が、イエス・キリスト御自身によって真に正しく解釈され、力強く語られ、広く宣べ伝えられ、それを聞く人々の心の中に真に燃えるものが生まれる。



そのとき、イエスさまは、よみがえっておられるのです!



イエスさまが、私たちの中に生きておられるのです。



(2007年1月14日、松戸小金原教会主日礼拝)



2007年1月7日日曜日

「生きておられるキリスト」

ルカによる福音書23・56b~24・12



約2年前から昨年11月末まで、80回にわたり、ルカによる福音書に基づいて、イエス・キリストの生涯を学んできました。しかし、ルカによる福音書は、まだ終わっていません。もう少しだけ続きがあります。



ただし、ここから先に書かれていることを「イエス・キリストの生涯」と呼んでよいかどうかは、難しい問題です。間違いなく言えることは、イエス・キリストはあのゴルゴタの十字架の上で死なれたのだ、ということです。聖書にはそのようにはっきりと書かれています。死んでいなかったとか、眠っておられただけだ、と考えることはできません。



そして、もう一つ言わなければならないことは、死に二つ以上の意味はないということです。死とは、命の終わり、人生の終わりです。そして、終わりは終わりです。終わっていないとか、まだ続いていると考えることはできません。終わりは一回限りです。終わりが二回以上あるとしたら、それは終わりではないのです。



イエスさまは、十字架の上で間違いなく死なれました。死なれました、ということは、イエスさまの生涯は終わりました、ということです。イエスさまの生涯は終わったのです。この点でわたしたちは、ルカによる福音書の続きの部分をなお「イエス・キリストの生涯」と呼び続けるのは間違いであると言わなければならないように思うのです。



続きの部分に書かれていることは、言うまでもなく、イエスさまはよみがえられた、ということです。イエスさまの生涯は終わりましたが、イエスさまはよみがえられたのです!



今「イエスさまの生涯は終わりましたが」と申しました。が、この「が」は正しい表現ではありません。正しくは(日本語としては正しくありませんが!)「イエスさまの生涯は終わったので」というべきです。イエスさまの生涯は、終わった「ので」、よみがえったのです。終わっていないものは、「よみがえり」もしません。よみがえりとは、終わったものが戻ってくることです。死んだものが、再び生きることなのです。



「婦人たちは、安息日には掟に従って休んだ。そして、週の初めの日の明け方早く、準備しておいた香料を持って墓に行った。」



ここに記されているのは、お墓に葬られたイエスさまの世話をしようとする婦人たちの動きです。婦人会の活動、と呼んでおきます。どの時代にも、婦人会の活動が教会全体を支えてきた、と言ってよいでしょう。男性だけで教会がうまく行った試しはありません。



「準備しておいた香料を持って墓に行った」とありますが、23・56には「香料と香油を準備した」とあります。彼女たちが準備したのは、いわゆる「没薬」であると思われます。



「没薬」とは、イエスさまがユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、東の国の博士(新共同訳「占星術の学者」)が、宝の箱に詰めて持ってきたもの(黄金、乳香、没薬)の一つです。それが宝となり、贈り物になったということは、たいへん高価なものであり、簡単に手に入るものではなかった、ということを意味しています。



しかし、です。婦人たちが香料をもってお墓に行ったのは、イエスさまの場合だけ特別にそうした、というわけでもないのだと思われます。多少の特別扱いはあったかもしれません。しかし、イエスさま以外の人々の中にも遺体に香油が塗られるケースはあったようです。一種の防腐剤の役割を果たしたと言われます。



ドライアイスがあるわけでない。火葬されるわけでもない。そのまま置いてあるだけです。すぐにでも腐敗臭がしはじめます。わたしたち人間は臭いのです。わたしも、人間ですから臭い。臭いに対処するための香油です。日本の葬儀で線香を焚くのも、本来の目的は臭い消しです。



このようなことは、葬儀専門の業者などない時代には、いつも教会の仕事であり、なかでも婦人の活躍に負うところ多かった、と考えることができるでしょう。そのような大変な仕事を、いつも女性たちが引き受けてくださったということに、感謝しなければなりません。



「見ると、石がわきに転がしてあり、中に入っても、主イエスの遺体が見当たらなかった。」



お墓に行った彼女たちが目撃したのは、驚くべきことでした。墓が開けられた。イエスさまの遺体が盗まれた。少なくとも彼女たちが最初に考えたのは、そのようなことだったはずです。なぜなら、目の前にある動かぬ事実は、お墓の穴が開いていたことと、イエスさまの遺体が無かったことだけだったからです。



そのことを、他にどのように解釈することができるでしょうか。たとえば、そこに警察官や検察官がいたとしたら、どうでしょうか。壊された、盗まれた、と考えないでしょうか。



「そのため途方に暮れていると」



彼女たちが「途方に暮れて」いたのは、目の前で起こっている事件そのものがそもそも信じがたいもの、受け入れがたいものであったために困惑、当惑していたであろうことに加えて、この事件の意味を、いろいろと考えていたからではないかとも思われます。



少しこだわってみたいのは、先ほどから申し上げている、壊された、盗まれた、と彼女たちも考えた可能性があるのではないかという点です。この関連で注目していただきたいのは、11節の記述です。



「使徒たちは、この話がたわ言のように思われたので、婦人たちを信じなかった。」



婦人たちが、イエスさまのお墓の前で起こった出来事を使徒たちに話しましたところ、使徒たちは、その話が「たわ言」のように思われたというのです。「たわ言」とは、意味のない話、ばかげた話、ナンセンスな話ということです。



このように書かれていることから見えてくることは、イエスさまの弟子たちには、現代の人間が持っているような意味での批判的な物の見方や考え方がちゃんとあった、ということです。昔の人間は、迷信的なことでも何でも、簡単に受け入れてしまうのだ、というようなことは、言えない、ということです。



同じように、最初に婦人たちが開いた墓穴、遺体の喪失の事実を見たときに、壊された、盗まれた、というふうにきっと考えたであろうことも、当然であると言ってよいでしょう。それくらいの客観的な物の見方は、彼女たちにも、きちんと備わっていたのです。



しかし、もしそうであるとして、次に考えてみたいことは、彼女たちは、そのとき何を考えただろうか、ということです。



イエスさまの墓が壊され、遺体が盗まれた。それを見た彼女たちが、おそらく真っ先に感じたことは恐怖でしょう。ユダヤ人たちは、イエスさまを十字架にかけて殺すだけでは満足しない。墓を壊し、遺体を痛めつける。まさに、めちゃくちゃにする。そこまでやらなければ気が済まないほどに、イエスさまを憎み、呪い、さげすんでいるのではないか。



そして、このやり方はきっとイエスさまに対してだけではなく、イエスさまを信じる人々に対してもなされるに違いない。そのような恐怖、また絶望を、彼女たちは感じたのではないでしょうか。



「彼女たちは途方に暮れていた」。彼女たちが感じていたのは、本当の恐怖であり、また本当の絶望ではないかと思われます。



イエスさまを信じ続けると、わたしもいつか、このような目に遭う。信じるのをやめようか。そこまで考えたかどうか。それは分かりません。



「輝く衣を着た二人の人がそばに現れた。」



この二人の人がだれであったかは、ルカによる福音書には書かれていません。マタイとマルコは「天使」と書き、マルコは「若者」と書いています。とにかく彼女たちは、この二人の人の声を聞きました。



「婦人たちが恐れて地に顔を伏せると、二人は言った。『なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい。人の子は必ず、罪人の手に渡され、十字架につけられ、三日目に復活することになっている、と言われたではないか。』そこで、婦人たちはイエスの言葉を思い出した。」



彼女たちが聞いたのは、喜びの知らせであった、と言ってよいでしょう。



墓は壊されたわけではない、イエスさまの遺体は盗まれたわけではない。目の前の現実はイエスさまを憎む人々が作り出したものではない。そのような人や事件に恐れを抱くことはないことが分かったのです。目の前の現実は、イエスさま御自身が作り出したものであった、ということが分かったのです。



イエスさまが、よみがえられたのだ!



イエスさまが、生きておられるのだ!



そのことを、彼女たちは、イエスさまのお墓の前で、信じることができたのです。このイエスさまの復活を信じる信仰から、キリスト教会の歩みが真に始まったのです。



そして、その後、彼女たちは、よみがえられたイエスさま御自身に直接お会いすることができました。しかし、それは、今日の説教の範囲を超えることです。



ただ、一つの点だけ、最後に申し上げておきたいことがあります。



それは、彼女たちがよみがえられたイエスさまにお会いしたのは、この日のすぐあとのことだった、ということです。死んだら会えるとか、死ぬまで会えない、というわけではなかった、ということです。すぐにお会いできたし、自分の人生の中で、地上の生活の中でお会いできたのです。



この点は、わたしたちとは違うところかもしれません。



わたしたちは、生きている間にこの地上でイエスさまにお会いすることは、できないかもしれません。死んだら会える、死ぬまで会えない、というのは、わたしたちには当てはまることかもしれません。



しかし、です。キリスト教的復活信仰において重要なことは、向こうの世界に行けば会える、ということではありません。



大切なことは、このわたしもイエスさまと同じようによみがえらせていただける、ということです。お会いする場所は、向こうではなく、こちらなのです。



わたしたちの人生が死の中に飲み込まれることが、希望であるはずがありません。



よみがえること、帰ってくることが、希望です。



死は打ち負かされたのです!



(2007年1月7日、松戸小金原教会主日礼拝)



2007年1月2日火曜日

W. フェアボーム著『壊れた教会の信仰告白 ドルト教理規準の前史と神学』(Boekencentrum、2005年)

Aart Nederveen (関口 康訳)

別の結末もありえた。それがファン・デュールセンの歴史小説『多幸な重荷』(De last van veel geluk)の読了後、私に与えられた印象だった。オランダの歴史においては、そのとき歴史が別の方向に転がることもありえた多くの瞬間があると思える。フェアボームが著したドルト教理規準についての書物を読んだときにも同じことを感じた。

後にエスカレートしていくことになる、アルミニウスとホマルスというライデン大学教授同士の予定論についての論争は、はじめは些細なものだった。彼らの見解の相違はライデン大学内に限定されたものだった。1605年にホマルスとアルミニウスは和解した。教理の土台においては両者の間に見解の相違はないことを認め合った(p. 51)。

ところがその後、間違いが起こった。教会と政府が教説上の見解の相違に干渉した。国論が二分し、ホマルスとアルミニウスの仲もうまく行かなくなった。フェアボームはこの論争がドルト大会の会期中にどのように解決されたかを広い歴史的視野の中で見る。レモンストラント派は解雇され、彼らの教説は糾弾された。

ところが反レモンストラント派の勝利は、自明のことではなかった。顕著な事実は、1606年にはすでに国民大会(nationale synode)の組織化が話題になっていたことである。フェアボームは、もしその国民大会が先に行われたとしたらこの論争には別の結末もありえたことを示唆している(p. 255)。

さらにオランダ政府とその強力な法律顧問であったファン・オルデンバルネフェルトがレモンストラント派の味方であったという事実がある。1615年頃には、四つの中会(ホラント、ユトレヒト、オーフェルエイセル、ヘルダーラント)までもが、レモンストラント派に味方していた。ドルト大会の会期中にマウリッツの干渉によって反レモンストラント派に有利な流れが起こった。しかし、それでもなお、いろんな国の代表議員たちが、レモンストラント派の立場にしばしば接近したのである(p. 206)。

フェアボームがこれまでに出版してきた信仰告白に関する書物の注意深い読者たちは、フェアボームがドルト教理規準の内容に困難を覚えていることに気づくであろう。しかし、それは、本書を書くことについてのフェアボームの勇気を示している。彼は、現代の読者たちがドルト教理規準に抱いているいろんな疑問に答えを与えようとしているのである。

この点は必要である。なぜなら、われわれの改革派の父祖たちの論争は簡単に結論を出せるようなものではないからである。 宗教改革的諸信仰告白を信頼している人々であっても、ある部分については、繰り返して読まなければならない。フェアボームは読者たちが初期や後期の論争騒ぎの中のさまざまな微妙なニュアンスや細部の事柄を全く安易に見失っていることを知っている。

フェアボームは、ドルト教理規準は選びと遺棄をシンメトリーなものとしては見ていないことを確信している (p. 218)。神は選びの原因ではある。しかし遺棄においては神と同時に人間も役割を果たすのである。神はある人々を、彼ら自身が自らをその中に投げ込んだ悲惨の中に放置し、この人々を彼らの不信仰ゆえに呪うのである(第一命題15)。ドルト教理規準は、ここかしこで他の信仰告白諸文書よりも「より広い」立場を採っていることさえ明白である。たとえば、ハイデルベルク信仰問答が人間について「どのような善に対しても全く無能で、あらゆる悪に傾いている」(問8)と語っているところで、ドルト教理規準は「人間とはどのような祝福に満ちた善に対しても無能で、悪を好む」と、より微妙な言い方をしているのである。

フェアボームは、ドルト教理規準が語る永遠の遺棄に関する点については、距離を置いている(p. 221)。もし神の人が永遠に遺棄されるならば、人が信仰に至る現実的可能性は存在しないことになる。そのような永遠の決定を人類の歴史は真面目に受け取ることができるだろうか。フェアボームはこの点に疑いを持っている。

また、永遠の遺棄は聖書からストレートに読み出すことはできないと感じている。フェアボームは時間における遺棄、すなわち「神は神を遺棄した者たちのみを遺棄する」ということのみを語りたいと願っている。フェアボームは永遠の遺棄についてのこのような拒否を宗教改革者ブリンガー、またコールブルッヘ、ヴェールデリンク、フラーフラントなど後期の改革派神学者たちの足跡の中に見ている。

フェアボーム自身の良い意図を疑うつもりはない。しかし、わたしはこの神学的選択は本当に必要かと自問する。永遠の遺棄は聖書の中には見いだされないというフェアボームの反論は、なるほどたしかに影響力の大きい発言ではある。しかしそうであると決めつけることもできない。もしそれを言うならば、二重予定論も、また教会の他のいくつかの教義も、聖書的基本線において正しい判断を行うための思想的枠組みを提供しうるものではあるが、聖書の中に文字どおり出てくるわけではないという点で同じでありうるだろう。

『真理の友』(Waarheidvriend)誌の書評において、ドルト教理規準のなかでは運命決定論は全く話題になっていないと主張しているのは、ユトレヒト大学の教会史教授ファン・アッセルトである。神の予定(と遺棄)は、人間の自由や責任の面と同時に主張することができる事柄である。ファン・アッセルトは、そのことについての哲学的な分析が必要であると見ている。この点は、ホマルスと彼の支持者たちも考えたことである。ファン・アッセルトが多くの科学的な正しさを彼の側にもっているとしても、私は驚きはしないだろう。

しかし、ファン・アッセルトが主張していることは、フェアボームが二重予定論に関して主張している反論とは全く別の点である。私の印象では、フェアボームは予定論が過去数百年間の信仰生活において果たしてきた役割に困難を覚えているのである。フラーフラントは、改革派敬虔主義の歴史における予定論の悲劇を無駄に語ったのではないのである。

フェアボームは「重い影」(p. 271)について語る。フラーフラントは、二重予定論によって引き起こされうる信仰の確かさの類型化を目指した。真剣に問いたいことは、このような二重予定論の不毛な影響史(Wirkungsgeschichte)をドルト教理規準の神学的内容と関係づける必要があるのだろうか、ということである。

この問いへの答えを見いだそうとするとき、フェアボームは、ファン・ルーラーが予定論について有名な論文「ウルトラ改革派とリベラル派」(Ultra-gereformeerd en vrijzinnig)の中に書いたことを、今なお考慮に加えることができるであろう。実際、本書においてフェアボームは最近の神学者たちがドルト教理規準について書いていることを―これまでの著作よりも―ほとんど取り上げていない。

ファン・ルーラーは、二重予定を経験的なものと呼ぶことを恐れない。ある人々は聖書的証言に固く留まることにおいて急いでよりよく知る者になり、他の人々は子供の頃から何も語ろうとしないということを、他に何と言いうるのだろうか。この問いに対する改革派の答えは、信仰も不信仰も神の外側で生じるものではないということである。しかし、ファン・ルーラーは二重予定論を論理体系の土台にすることに対しては警告を発する。教義学においては、一つの主題が固有の出発点として機能するということは、ありえないことである。

さらにファン・ルーラーは、教義学が人生を決定するわけではない、とも述べている。予定は「生ける存在と宣べ伝えられた福音」の現実において実行される。ファン・ルーラーがノールドマンスと頓着なく付き合えるのは、神が御自身の永遠の御心を決意されるのはいちばん最後の瞬間である、ということに賛成する点である。それは内容的にはフェアボームが「神は神を棄てた者を棄てる」と述べていることに近い。ファン・ルーラーの論法は緊張を強いるものであり、批判を受けやすいものである。しかし、ファン・ルーラーの線は、フェアボームの論法よりは神学的に力強さがあるように、私には思われる。

これらの問いは、フェアボームが新しく美しい書物に書いたのとは別の話である。 しかし、本書は第二巻を要求している。第一巻においてフェアボームは、どの主題の場合も、彼が信仰告白と彼独自の立場への反応とに傾聴したことに対する最も新しい神学的な立場と素描の展望を与えている。これらはドルト教理規準の核心的テーマを扱うのにふさわしい方法である。

原文は以下URL
http://www.wapenveldonline.nl/viewArt.php?art=644


2006年12月31日日曜日

信仰と希望と愛は永遠に輝く


コリントの信徒への手紙一13・1~13

今年最後の礼拝を行っています。開いていただきましたのはコリントの信徒への手紙一13章です。「愛の賛歌」と呼ばれる個所です。全体をお読みしましたが、お話しするのは13節です。

「それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。」

コリントの信徒への手紙一も使徒パウロが書いたものです。パウロは、この手紙だけでなく、他のいくつかの手紙の中でも「信仰」と「希望」と「愛」という三つの事柄を強く結びつけて語っています。

「あなたがたがキリスト・イエスにおいて持っている信仰と、すべての聖なる者たちに対して抱いている愛について、聞いたからです。それは、あなたがたのために天に蓄えられている希望に基づくものであり、あなたがたは既にこの希望を、福音という真理の言葉を通して聞きました」(コロサイの信徒への手紙1・5)。

「あなたがたが信仰によって働き、愛のために労苦し、また、わたしたちの主イエス・キリストに対する、希望をもって忍耐していることを、わたしたちは絶えず父である神の御前で心に留めているのです」(テサロニケの信徒への手紙一1・3)。

これらの個所から明らかなのは、次のことです。

第一は、「信仰」と「希望」はイエス・キリストの御名と結びつけられているということです。つまり、パウロが信仰と希望と愛という三つを結びつけて語っている場合の、信仰と希望の意味は、「キリスト・イエスにおいて持っている信仰」であり、「わたしたちの主イエス・キリストに対する希望」である、ということです。

しかし、です。第二に明らかなことは、「愛」は必ずしもそうではない、ということです。先ほどの二つの引用には「キリスト・イエスにおいて持っている愛」とも、「わたしたちの主イエス・キリストに対する愛」とも書かれていません。

書かれているのは「すべての聖なる者たちに対して抱いている愛」です。神に対する愛でもキリストに対する愛でもなく、人間に対する愛です。そして「すべての聖なる者たち」とは教会です。キリスト者です。人間に対する愛、教会に対する愛、キリスト者に対する愛です。

もちろん、聖書全体の中には、またパウロの手紙の中にも、神に対する愛、キリストに対する愛を教えている個所が、たくさんあります。ですから、わたしは、「パウロは神への愛やキリストへの愛を知らなかった」とか「教えなかった」と言いたいわけでありません。

しかし、です。私が申し上げたいことは、パウロが「信仰」と「希望」と「愛」の三つをワンセットで扱っている個所に限って言えば、「信仰」と「愛」の役割が区別されているというような印象を受けるということです。このことを否定することができません。

「信仰」に関しては、キリストに対する信仰と言われている。「愛」に関しては、「すべての聖なる者たちに対して抱いている愛」と言われている。人間に対する愛、教会に対する愛、キリスト者に対する愛が教えられているのです。

そして、第三に明らかなことは、パウロが書いているとおりのことですが、考えてみるといくらか衝撃を感じるかもしれないことです。それは何か。注目していただきたいのは、コリント一13・2です。

「たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい」。

ここにはっきりと、「信仰(ピスティス)と、希望(エルピス)と、愛(アガペー)」とまとめて言うときと同じ「信仰」(ピスティス)という字が出てきます。しかし、パウロは「愛」(アガペー)がなければ「信仰」(ピスティス)は「無に等しい」と書いています。

愛がないような信仰には価値がないし、それが存在する意味もない、むなしいだけだ、ということです。あるいは、そもそもそれが「ホンモノの信仰」なのかどうかが疑わしいということです。「ニセモノの信仰ではないか」と疑ってみる必要があるということです。

そして、ここで、先ほど第二に申し上げた点を思い起こしていただきたいと思います。信仰と希望と愛の三つがワンセットで語られている場合に限って言えば、信仰と愛の役割が分けられているように見えるという点です。おそらくこの役割分担が「愛がなければ、信仰はむなしい」という話に結びつくのです。

はっきり言っておきます。「わたしは神さまを愛しています。信仰もあります。しかし人間を愛することはできません。神さまは好きですが、人間は大嫌いです」と語ることは許されていないということです。人間嫌いの告白は許されていないのです。事柄は逆の方向でなければなりません。人間に対する愛がないような信仰には、意味がないのです。

ただし、です。誤解がないように付け加えておきます。それは、わたしは今「信仰などなくても愛さえあればすべてよし」というようなことを申し上げているわけでもないということです。そのように語ることは、わたしたちには無理です。信仰が無くてもよいなら、教会も牧師も要りません。それはわたしたちにとっては、論外の事柄です。

信仰が必要です。これがわたしたちの大前提です。信仰も「いつまでも残る」と、パウロははっきり述べています。

しかし、です。パウロがここで述べていることは、どのように読んでも神さまに対する信仰への強調ではないということも、衝撃を受けることではありますが、事実です。

「キリストに対する信仰」と「すべての聖なる者たちに対する愛」を天秤にかけることは、わたしたちにはできないことです。恐れ多いことのように感じます。しかし、パウロはそれをしているように見えます。天秤にかけた上で「信仰」よりも「愛」のほうが重いと語っています。天秤はつりあっていません。「愛」のほうに傾いています!「信仰と、希望と、愛・・・その中で、最も大いなるものは、愛」なのですから!

このことを、わたしたちはどのように考えたらよいのでしょうか。「希望」はコロサイ1・5を読むかぎり「信仰」と「愛」を支える土台のようなものと考えてよいでしょう。問題は(キリストに対する)「信仰」と(人間、教会、キリスト者に対する)「愛」の関係です。

どちらか一方だけが必要で、もう一方は不必要であるという話には決してなりません。「あれか・これか」ではなく、「あれも・これも」です。両方が必要であり、両方が大切です。両方が「いつまでも残る」ものであり、その意味での“永遠性”をもっています。「信仰」と「愛」は、永遠に輝き続けるのです。

信仰と愛は、時間の中で消え去るとか、だれか・何かの力によって滅ぼされるものではありません。いつか・だれかに取り去られてむなしく終わるというふうには決してならない。それが「希望」です。永遠の希望です。

しかし、本当にそうなのかと、わたしたちの心の中には、いつでも疑問が沸き起こってきます。信仰も愛も、あっという間になくなるではないかと。「信じています」、「愛しています」と言っていた人が、今日は全く正反対のことを言っているというのが現実ではないかと。

そのような疑問が、わたしたちの心にはあります。あってもよいと、私は思います。真剣に疑ったらよいと思います。中途半端にではなく、徹底的に疑うほうがよい。人間の信仰の力も、人間の愛の力も、全くでたらめなものであり、一寸先は闇、行く先は袋小路です。

しかし、だからこそ、というべきです。徹底的に疑ってみること、そして実際に信仰の破れを体験し、愛の挫折と深い心の傷を負ってしまった先にこそ、見えてくるものもあるのです。それは、こうです。パウロが書いている「いつまでも残る」永遠の信仰、永遠の愛、永遠の希望は、わたしたち人間の力によるものではないということです。それは人間の可能性ではない。神御自身の可能性であり、神の恵みの可能性であるということです。

破れて傷つくべきであるとは申しません。申しませんが、じつは大切です。非常に大切です。破れて傷つかなければ分からないことが、わたしたちにはあるからです。

破れて傷ついて、その上でパウロが書いている、信仰も愛も「いつまでも残る」という言葉を読む。そこでわたしたちが気づかなければならないことは、そのような信仰も、そのような愛も、そして希望も、人間の可能性ではなく、神の可能性であるということです。人間にできないことを、神がしてくださるのです!

ここまで申し上げました。しかし、その上で、わたしは、もう一つのことを、付け加えなければならないと感じています。それは何か。

「信仰よりも愛のほうが重い」という言葉を聞きますと、わたしたちの耳にはどうしても、神さまよりも人間のほうが大事であると言われているかのように聞こえてしまう、という問題です。しかし、聖書と教会が教えていることは、人間よりも神さまを大事にしなさい、ということのようでもある。二つのことは、何となく矛盾していることかのように感じられるかもしれないのです。

しかし、あまり複雑に考えないでください。二つのことは単純に両立すると信じてください。二つの関係の仕組みはどうなっているかを説明することはものすごく難しいことですが、とにかく両者は両立するということを、単純に受け入れていただきたいと願っています。

神と人間、信仰と愛、教会と社会、日曜日とウィークデー。これらのことがわたしたちにとって「あれか・これか」であるはずがない。「あれも・これも」両方を同時に大切に持つことが重要なのです。

それでも、納得できない方もおられるでしょうから、一つの点だけ解決の道筋を申し上げておきます。それは、私がこれまでも何度となく繰り返し強調してきた点です。

考えていただきたいことは、神さまの目線は、どちらの方向を向いているのか、です。神さまは自己愛がとても強い方である。「鏡よ、鏡よ、鏡さん。世界でいちばん美しいのはだあれ」と言いながら、いつも自分の美しい姿を鏡に映して、うっとりしているような方である、ということなのか。

それとも、神さまは、御自身の姿などには、じつは全く関心がないお方ではないのか。御自身が創造されたこの世界とわたしたち人間の姿ばかりのほうに関心をお持ちになっている方ではないのか。

神さまは、わたしたち人間とこの世界のほうにばかり関心をもっておられ、いつも心配しておられる。わたしたちの身に何か起これば、すぐに飛んできてくださり、助けてくださり、(御子の)命をかけて救ってくださり、愛してくださるお方ではないのか。そのような方こそが神さまではないのか。

このあたりのことを考えていただくと、解決の道が見えるのではないかと思います。

わたしたちは神さまに関心を持ち、神さまを見上げ、神さまを信じなくてはなりません。しかしそのわたしたちの神さま御自身は、わたしたち人間とこの世界とに関心を持ってくださり、わたしたちをいつも見守ってくださり、わたしたちを信頼してくださっているのです。

そうすると、事柄がぐるっと戻ってくるではありませんか。わたしたちは、わたしたちに関心をもってくださっている神さまに関心をもたなければなりません。しかし、このわたしが神さまに関心をもつということが同時に意味していることは、神さまがもっておられる関心事(人間と世界!)に、このわたし自身が関心を持つ、ということでもあるのです!

わたし自身、牧師として多くの反省があります。

仕事で忙しいと感じるとき、家族の顔が見えていないことがある。

子どもの姿が見えていないことがある。

共に生きている人々に対する愛を見失うような信仰、家族を見殺しにするような信仰になってはいないか。

どこかに間違いがあるのではないか。

一年の終わりの日、新しい年を迎える直前に、わたし自身の強い反省を込めてそのように問うておきたいと思います。

(2006年12月31日、松戸小金原教会主日礼拝)

2006年12月25日月曜日

「味わおう平安な夜を」

使徒言行録16・25~34



クリスマスイブの礼拝をささげています。少し早い時刻から始めましたが、程よい暗さになってきたと思います。わたしたちの前に、ロウソクの灯が輝いています。これから、静かで平安な夜を迎えようとしています。



さて、この機会に皆さんに考えていただきたいことは、まさに、わたしたちそれぞれの平安な夜の過ごし方は何か、ということです。



わたしたちの普段の夜の過ごし方は、たいてい決まっているのかもしれません。テレビの音が、がちゃがちゃと部屋中に響き渡っている。それを見終わったら、お風呂に入ってから布団にもぐりこむ。そのようなパターンができてしまってはいませんか。もちろん、なかには、テレビなど見ません、という方もおられるかもしれませんけれども。



なかには、「見なければよかった」と後悔するような、嫌なテレビの場面がある。思い出されて、眠れなくなってしまう、という方もおられるかもしれません。
平安な夜の過ごし方として、ふと思い当たることは、とりあえず、テレビのスイッチを消してみることではないでしょうか。



そして、その次にやってみていただきたいことは、ひとりで賛美歌をうたってみること、聖書を読むこと、そして、お祈りしてみることです。



牧師の言いそうなことだ、と思っていただいてけっこうです。実際そのとおりです。この国の中で、牧師とか教会に通っている人々でもないかぎり、ひとりで聖書を読みましょうとか、ひとりで賛美歌をうたいましょう、お祈りしましょう、と勧める人は、どこにもいないでしょう。



しかし、です。わたしたちが、このようなことをお勧めするのは、だてや酔狂で言っていることではないのです。わたしたちが日曜日ごとに集まってしていることも、このクリスマスイブ礼拝にしていることも、賛美歌をうたい、聖書を読み、祈ることです。ただそれだけだと言ってもよい。



しかし、このことをわたしたちは一生懸命にします。なぜなら、聖書を読み、賛美歌をうたい、祈ることによって、わたしたちの心に得られる平安は本当に大きいものである、ということを、わたしたちは心から確信しているからです。



先ほどお読みしました使徒言行録16・25~34に記されている状況は、夜です。パウロとシラスは、真夜中に賛美歌をうたっていました。そういうことをわたしたちが自分の家でやると、隣近所の人々に叱られるかもしれません。



しかし、パウロとシラスがいたのは、牢屋の中です。キリスト教を宣べ伝える仕事をするだけで迫害されていた時代の話です。二人はむちで打たれ、牢屋に投げ込まれました。わんわん泣いてもよいような場面です。ところが、この二人は、真夜中に賛美歌をうたい、神に祈っていました。そして、彼らの声を、他の囚人たちも聞いていたのです。



そのとき、です。大地震が起こり、牢の戸がみな開き、すべての囚人の鎖も外れてしまう、という事件が起こりました。ところが、そのときに、囚人たちはだれひとり逃げようとしなかったのです。



囚人たちは、逃げてはいけなかったのでしょうか。チャンスあれば逃げるべきである。逃げないのは愚かな選択である、という考えも、当然成り立つでしょう。



しかし、彼らは逃げませんでした。なぜ逃げなかったのでしょうか。理由は、はっきりとは記されていません。けれども、少しくらいは分かるところがあるように思います。



囚人たちに共通していたのは、パウロとシラスの声を聴いていた人々であったという点です。そして、もう一つはっきり記されているのは、囚人たちは逃げた、と思い込んで自殺しようとした看守に向かってパウロが大声で叫んだ言葉です。



「自害してはいけない。わたしたちは皆ここにいる」。



この言葉から分かることは囚人たちが逃げなかった理由です。それは、彼らがそのとき真っ先に考えたことが、自分自身のことではなく、自分たちの目の前で自害しようとしている看守が死なないようにすること、看守の命を守ることであった、ということです。



いざというときに、自分のことしか考えることができないのか、それとも、自分以外の他人の事情をおもんぱかることができるのかは、非常に大きな違いであると言ってよいでしょう。



しかも、彼らの場合、自分を牢屋に閉じ込めて、外で寝ずの番をしている、憎むべき相手のことを、考えることができた。これは、すごいことだと思います。そのような嫌な相手の心や命のことまでも思いやることができた。彼らの心の中には、それだけの“余裕”が与えられていた、ということに他なりません。



その彼らの心の“余裕”を生み出したものが、パウロとシラスがうたう賛美歌であり、また彼らの祈りの言葉であった、と考えることは可能であると思います。



だれも逃げていない。そのことを知った看守は、驚き、おびえ、震えながら、パウロとシラスの前に来て、「先生方、救われるためにはどうすべきでしょうか」と言いました。



おそらく看守は、その御言葉と賛美歌と祈りを聴く周りの人々の心までも平安で満たし、他人の心や命を思いやる人につくり変えてしまうパウロたちのもっている力は、いったい何なのか。この力の正体は、何なのかを知りたくなったのだと思います。



二人は言いました。



「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。」



そして、この看守は、救い主イエス・キリストを信じる新しい人生を、家族の人々と一緒に、始めることができました。



今日、わたしが皆さんに本当にお勧めしたいことを、もう一度、繰り返しておきます。静かで平安な夜を過ごすためには、少しの間でも、とにかく、テレビのスイッチを切ってみることです。そして、賛美歌をうたい、聖書を読み、祈りをささげることです。大きな声である必要はありません。



それによって、わたしたちの心の中に何らかの変化があるのか、それとも、何も変わらないかは、とにかく試してみるしかありません。



肝心なことは、始めることです。皆さんの心に平安が与えられますように!



(2006年12月24日、松戸小金原教会クリスマスイブ礼拝)



2006年12月24日日曜日

キリストと共に喜べ! ~クリスマス~


フィリピの信徒への手紙2・12~18

12月に入り、これまで三回の日曜日にフィリピの信徒への手紙を学んできました。とくに注目していただいたのは2・6以下の「キリスト賛歌」です。

神の御子イエス・キリストがお生まれになった。神が人間になられた。その意味は、高きにいますお方が低きに下られるということである。それが、言葉の最も正しい意味での謙遜(けんそん=へりくだり)である。そのことを「キリスト賛歌」はうたいあげているのです。

しかし、パウロは、「キリスト賛歌」をただ紹介している、というだけではありません。キリストの謙遜なお姿は、そのままわたしたち人間の生き方の模範でもある。それが、パウロの言わんとしている真意です。その気持ちのすべてが、12節の最初にある「だから」という言葉に集約されていると言ってよいでしょう。

「だから、わたしの愛する人たち、いつも従順であったように、わたしが共にいるときだけでなく、いない今はなおさら従順でいて、恐れおののきつつ自分の救いを達成するように努めなさい。あなたがたの内に働いて、御心のままに望ませ、行わせておられるのは神であるからです。」

なぜ「だから」なのか。キリストが謙遜の模範を示してくださった。だからあなたがたも、です。だからわたしたちも、キリストの模範に従って、謙遜な生き方を貫いて行きましょう、です。それが、パウロの最も言いたいことです。

しかし、ここでわたしたちは少し注意深くあるべきです。といいますのは、この文脈では明らかに「謙遜」ということが主題になっているのですが、2・12にパウロが書いていることは「従順」ということです。この「謙遜」と「従順」の二つの言葉は、よく似ている事柄ですが、いくらか違う要素もあると感じます。

従順は「服従」と訳すこともできます。従順とか服従には、そこには必ず、だれか服従すべき相手がいます。従順にせよ、服従にせよ、ひとりでは成り立ちません。自分一人の従順、自分一人の服従などは、ありえないことです。

他方、「謙遜」の場合は、どうでしょうか。自分一人の謙遜というのは、おかしな言い方ではありますが、絶対に成り立たないとは言い切れないものがあります。へりくだる、ということには、だれかと比べて、とか、だれの下に着くというような話とは少し違った面があります。パウロ自身、「互いに相手を自分よりも優れた者と考える」ことを謙遜の意味としています。つまりそれは、自分自身をだれよりも下に置くということであって、順位や比較は問題ではないところに自分を置く、ということです。

ところが、です。そういう話を聞きますと、とたんに次のようなことを考え始める人がいるのです。それは卑屈な生き方である。自分はすべての人よりも下にいる。自分には何の価値もない。わたしは誰の役にも立ちませんので、だれにも会いたくありません。だれよりも低い位置にいる価値のないわたしは、人前に出るのが嫌であり、教会に行くのも嫌である。このような、すっかり引きこもってしまうような生き方をもたらす考え方である、ということです。

しかし、どうでしょうか。パウロがイエス・キリストの謙遜の模範について語っていることは、決してそのようなことではないと、わたしは信じております。

パウロが語っていることは、「謙遜」とはすなわち「従順」である、ということに他なりません。ただし、これも注意深く、深い意味を読み取る必要があります。

キリストの従順の模範について考えるとき、その場合の「従順」の意味は、父なる神の御心に対する従順です。キリストが十字架の死に至るまで従順だったのは、父なる神の御心がそうであったからです。神の御子イエス・キリストが十字架の上で死に、すべての人々の贖いとなり、イエス・キリストを信じる人々を救う恵みの力になることこそが神の御心である、ということを、イエスさまはご存じでした。その父なる神の御心に従順であるために、父の意思に服従するために、イエスさまは、十字架にかかって死んでくださったのです。

この話の続きに出てくる、2・12の「わたしの愛する人たち」の「従順」の意味もイエス・キリスト御自身の場合と同じであると考えるべきです。つまり、キリストを信じる者たちの果たすべき「従順」とは、第一義的には、人間に対する従順ではなく、神に対する従順である、ということです。

わたしたちがキリスト者であるということは、「教会に飼いならされること」ではありません。「牧師に飼いならされること」でもありません。宗教とはそういうものである、と世間の人々が誤解しているとしても、です。

しかし、です。ここまでお話しした上で、わたしはなお、その続きにあることもお話ししなくてはなりません。

「何事も、不平や理屈を言わずに行いなさい。」

教会の中でわたしたちが、神さまの御心に対する従順を示すことが大切です。その大切なことを具体的に表すために、わたしたちがなすべきことは、教会に仕えることである、ということです。教会の中で、そして、教会を通してこの世の中で、神さまの御心に服従しつつ、教会に仕え、隣人に仕え、人間に仕えること。これこそが、わたしたちに求められている、「不平や理屈を言わずに行いなさい」という点の具体的内容です。

わたしたちは、神さまに仕えさえすればよいのであって、人間に仕える必要はない、と言い切ってしまうことはできません。それは、事柄の抽象化であり、もっとはっきり言えば、ただの詭弁にすぎません。もし本当に、わたしたちが人間に仕える必要がないのであれば、教会など必要ありません。人間がわざわざひとつの場所に集まる必要はないし、そこで人と人とが触れ合う必要はありません。しかし、そのようなことは、聖書の教えではなく、キリスト教でもありません。

聖書とキリスト教は、一貫して、教会の必要性を語り続けてきました。教会など要らない、人間に仕える必要はない、というような教えは、詭弁であり、単純に間違っているのです。

とはいえ、わたしたちは、教会の中で先輩ヅラした人々があれこれガミガミ言い始めると、途端に嫌な気持ちになるものです。

しかし、皆さんにぜひとも分かっていただきたいと願うことは、(松戸小金原教会の話ではなく、あくまでも一般論なのですが!)、教会の中でガミガミ言う人は、それを言いたくて言っているのではないのだ、ということです。その人々は、ガミガミ言う嫌な役目を、神さまから与えられているゆえに言っている面があるのだということです。牧師や長老といった人々は、そのような嫌な役回りを、神さまから与えられている人々である、ということです。

「そうすれば、とがめられるところのない清い者となり、よこしまな曲がった時代の中で、非の打ちどころのない神の子として、世にあって星のように輝き、命の言葉をしっかり保つでしょう。」

ここにパウロが描き出している、まさに模範的なキリスト者の姿は、教会の奉仕者たちの姿である、と言っても、決して間違いありません。「とがめられるところのない清い者」、「非の打ちどころのない神の子」、「世にあって星のように輝き、命の言葉をしっかり保つ〔人〕」。このように言われる者に、わたしたちもならせていただきたいではありませんか。

ただ、この場面でこそ大切なことは人との比較ではないという点です。わたしと比べてあの人は非の打ちどころがない。わたしはちっとも輝いていないけれども、あの人は星のように輝いているというようなことを、教会の中で考えるべきではありません。そういうことを、わたしたちはつい考えてしまい、言いたくなってしまうのですが、そういうことを、やめましょう。

教会の中に評価というものがあるとしても、それは神さまがなさることです。神さまがわたしたち一人一人を正しく評価してくださるのであって、わたしたちが、自分自身のことや他人の評価をすることは厳に慎むべきです。

「こうしてわたしは、自分が走ったことが無駄でなく、労苦したことも無駄ではなかったと、キリストの日に誇ることができるでしょう。更に、信仰に基づいてあなたがたがいけにえを献げ、礼拝を行う際に、たとえわたしの血が注がれるとしても、わたしは喜びます。あなたがた一同と共に喜びます。同様に、あなたがたも喜びなさい。わたしと一緒に喜びなさい。」

ここでパウロは、人間らしさを見せている、と感じられます。「自分が走ったことが無駄でなく、労苦したことも無駄ではなかった」と誇ることができる。それは、あなたがたが、まさに星のように輝く、非の打ちどころのない神の子として、成長していく姿を見ることができたときであると言っているわけです。うんと悪く言えば、パウロは先輩ヅラをしているわけです。あなたがた後輩の成長を見守るのがわたしたち先輩の責任である、と言わんがばかりに。

しかし、ご理解いただけるところも多いと思います。第一に、わたしたち自身も人間であるということです。“人間らしい”パウロの言葉は、わたしたち人間にこそ、よく理解できるところです。

第二に申し上げたいことは、このような(人間的な)言い方は、パウロには十分に語る資格があった、ということです。なぜなら、パウロは、一生懸命に走った人だからです。一生懸命に労苦した人だからです。あなたがたがささげるいけにえに、わたしの血が注がれるとしても、とパウロは書いています。これは物のたとえということで済まされるような話ではなく、むしろ文字どおりのことです。

パウロは教会のために、まさに自分に血を流し、命をささげたのです。イエスさまも、十字架の上で血を流し、命をささげてくださったのですが、この点ではパウロも同じなのです。そして、多くの教会の奉仕者たちもまた、教会のために、この命をささげてきたのです。

その努力が、何一つ評価されない、ということは、ありえません。わたしたちは自分の努力や行いによって救われるわけではありませんが、努力や行いなしには教会は立たない、ということも事実です。

今日、三人の子どもたちが、信仰告白してくれました。「子どもたちが・・・してくれました」と、あえて言います。この日までに、親御さんたちが、大人たちが、どれほどまでに祈ってきたか、あらゆる努力を重ねてきたか、分かってもらいたいからです。

また今年一年間、わたしたちは、教会において本当にたくさんの仕事をしてきたと思います。いろんなことがどんどん襲いかかって来る。しかし、みんなで力を合わせて、一つ一つ忠実に務めを果たしてきたのだと思います。

一年の終わりに、クリスマスのお祝いをすることができるのは、幸いなことです。なぜなら、一年の終わりにわたしたちがなすべきことは、一年の苦労をねぎらい、互いに慰めあうことだからです。

教会は、「忘年会」は、しません。「年を忘れる」必要は、ありません。むしろ、覚えること、思い起こすことが大切です。

それこそが、クリスマスにふさわしいことです。

(2006年12月24日、松戸小金原教会主日礼拝)

2006年12月17日日曜日

キリストの謙遜 ~待降節第三主日~


フィリピの信徒への手紙2・6~11

今日の個所において、いよいよ「キリスト賛歌」の内容に入ります。

「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。」

キリストは「神の身分」であられた、とあります。しかし、ここはむしろ「神のかたち」と訳すべきところです。ただし、字義どおり「かたち」と訳すと、説明が少し難しくなります。神さまにかたちがあるのか。かたちがない、目に見えない、霊的な存在が神さまではないのかという問いが起こってきてもおかしくありません。

しかし、パウロはここで「神のかたち」という意味の言葉(モルフェ)を用いています。「神の形態」とさえ訳したくなるほどの言葉です。そのように訳すほうが、パウロの意図をはっきりと示すことができるように思います。

「身分」と言いますと、わたしたちはどうしても、地位とか肩書きのようなものを思い浮かべてしまいます。それは一つの立場や段階であり、その方自身というよりも、その方が立っているその場所やステージのほうが問題になっているような語感をもっています。

たとえば、一人の人が総理大臣になる。その人がエライ人だから総理大臣になれたのかもしれません。しかし、その人は総理大臣であるときだけエライのであって、辞めたらただの人です。「身分」にはどうしても地位や肩書きのイメージがつきまといます。

しかし、それは「身分」の話ではなく「かたち」の話であるということになりますと、全く違う方向に向かっていくことになります。「かたち」は、その人の地位や立場やステージとは関係ありません。

たとえば、歌が上手な人がいる。その人の歌が上手であることは、与えられた地位や立場やステージのおかげではないと思います。そういうことは、関係ありません。自分の家の中で歌おうと、どこかで歌おうと、その人の歌が上手であることには変わりがありません。

どこにいても日本一上手に歌える人だ。そのことを周りの人々が次第に認めるようになり、その結果として世に出て行くのであって、その逆ではないのだと思います。

イエスさまが「神のかたち」であられるということの意味は今申し上げたことに通じる内容が含まれていると言えます。

イエスさまは「神」という肩書きをもっておられるとか、そういう名刺をもっておられてもおかしくないとか、いろいろと想像してみることは自由です。しかし、それが「神のかたち」の意味ではありません。

問題になっていることは、イエスさまの周囲にある何かではなく、イエスさまの存在そのものです。どこにおられても、また何をしておられても、イエスさまは「神さまらしさ」をもっておられるのです。その意味でのまさに「神のかたち」をもっておられる、それがイエスさまであるということです。

ところが、その方が御自分の「神らしさ」に固執されなかった、というわけです。「神の御子」であられるのに、です。イエスさまは、悪い意味での「あがめたてまつられること」や「まつりあげられること」や「神のようにふるまうこと」をお嫌いになりました。

思い起こされるのは、祭司長、律法学者たちが座りたがった上座であり、そこに立ちたがった至聖所のような場所です。

そういう場所に上って喜ぶとか、そのような地位を与えられたことを人に自慢し、はしゃぎまわるというような思いは、イエスさまには一切ありません。そういうのは、むしろうんざりするようなことではなかったでしょうか。

イエスさまの向かわれた方向は、そちらの方面とは正反対でした。イエスさまは「神」のほうにではなく「人間」になられました。たくさんの僕を雇い、自分に仕えさせる主人にではなく、「僕」になられました。今風のセレブとか、高級なんとかとか。イエスさまの向かわれた方向は、そちら側ではなかったということです。

イエスさまは「人間」になられました。しかも、ただの人間、ごく普通の人間、僕としての人間に、です。しかも、人から軽んじられるような人間、中傷誹謗、野次怒号を受ける人間に、です。すべての人の身代わりに十字架にかけられて死んでくださった。それほどに、弱く惨めな人間になってくださった。明確な意思をもって、そのような人間になられたのです。それがイエスさまのへりくだり(謙遜)の意味です。

「神らしい」存在であるにもかかわらず、です。そういう方が、そこらへんにおられる。周りの人々にとっては、いろんな違和感もあったのではないかと考えられます。

山梨県の田舎町に中田英寿選手の出身高校があります。わたしたちが住んでいた町とは、一山越えて隣町でした。あの国際的な名選手がこの田舎町にいたのかと思うと不思議なものを感じるくらいに大きなギャップがありました。田舎では目立ったと思いますし、何となく孤独感のようなものもあったのではないかとも感じさせられました。

中田選手は「神」ではありませんが、イエスさまは「神」です。その方がその町の中にいると相当目立ったでしょうし、違和感もあったのではないでしょうか。そこで起こることは、何でしょうか。わたしはできるだけ単純に考えてみたいと思います。

ひとつは、周りの人々からの嫉妬や無理解や攻撃でしょう。自分たちより能力や「かたち」において優れている。あのような存在がいるとわれわれの立場が無くなる。われわれの社会から出て行ってほしい。むしろいっそ「神」であってほしい。それは、われわれの社会の外にいてほしい、という意味です。

しかし、もうひとつのことも起こりうるでしょう。「神」であられる方が「人間」になられる。そのときに起こることは、神の豊かさが一般社会にもたらされる、ということです。

中田選手は、あの田舎町にはもう二度と戻れないかもしれません。歓迎はされると思いますが、生活はどうでしょうか。あまりにも目立ちすぎます。しかし、もし彼があの町に戻ることができ、たとえば出身高校のサッカー部の指導でも始めたらどうなるか。あの町に世界最強の高校サッカー部が誕生するかもしれない。そのようなことを思わされます。

豊かな賜物、たしかな技術、優れた能力の持ち主が、特別な人々のなかに留まるのではなく、むしろ徹底的に一般社会の中に入り込んでいく。しかも、そこにいる人々を見下すとか、こき使うのではない。その人々と同じ目線で、お互いの生活感覚を尊重し、共有しながら働くこと、仕えること。もしそのようなことが真に起こるときに、何が起こるでしょうか。特別な人々が集まっているところだけではなく、まさに社会全体が真に良きものへと変わっていくであろうと考えることはできないでしょうか。

「このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。こうして、天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、イエスの御名にひざまずき、すべての舌が、『イエス・キリストは主である』と公に宣べて、父である神をたたえるのです。」

これをハッピーエンドと考えることができるでしょうか。イエスさまは、人間のかたち、僕のかたちになられ、神と人とに徹底的に仕える者になられました。御自身の栄光などは一切お求めになりませんでした。十字架の恥辱を徹底的に味わわれました。

そのイエスさまを、です。父なる神さまは、高く引き上げてくださいました。「あらゆる名にまさる名」をお与えになったのです!

しかし、これは、ある意味で結果論です。イエスさまは最初から父なる神さまによって高く引き上げられるという確信をお持ちであったと考えることはできます。しかし、そのこと、いわばその報いを当てにして、屈辱の生涯を我慢なさった、というような見方は、わたしたちには、できません。

わたしたちは、違うかもしれません。わたしたちは、いろいろと計算高く生きています。わたしたちには、いろいろと計算しながら生きること、また、報いを当てにして働くことさえも、許されていると思います。

しかしそれでは、イエスさまは計算高くなかったのか、というと、そうではありません。「蛇のように賢く(なりなさい)」(マタイ10・16)と、教えられたではありませんか。これは、弟子たちにそのように教えられたというだけではなく、イエスさま御自身もそのように生きられたに違いない、と考えてよさそうな点です。

ただし、問題は、その蛇のような賢さの使い道です。ここで、また同じ話に戻ります。自分が偉くなりたい、「神」のようになりたい、多くの人々からあがめたてまつられたいというようなことのために、その賢さを用いてよいわけではないということです。

はっきりしていることは、イエスさまが「蛇のように賢く(なりなさい)」と命ぜられたのはイエスさまのかたちに倣うべき弟子たちでした。つまり信仰者たちであり、教会の奉仕者たちであり、福音の伝道者たちであったということです。

ですから、まさにはっきりしていることは、イエスさまのかたちに倣うべき弟子たちにとっての蛇のような賢さの利用方法は、それをむしろ徹底的に「人間のかたちになる」ことのために用いることです。

それは普通の人、ただの人であり続けることです。普通であることの価値を見いだすことです。普通でないことに、警戒心をもつことです。そして、真の奉仕者になるための賢さを身につけることです。

牧師たちのなかにも、時々勘違いしている人がいます。自分は特別であると思い込んでいる。そう思い込んだ時点で間違っています。牧師は一般人です。

それどころか!

もし牧師というものがイエスさまの「かたち」に最も真剣に倣うべき存在であるのだとしたら、牧師こそが最もはっきりとした仕方で「僕のかたち」(奴隷の形態)でなければなりません。

「キリストのかたち」は、わたしたちの人生の模範です。

わたしたちを真に謙遜な者にしてくださるために、神の御子は来てくださったのです!

(2006年12月17日、松戸小金原教会主日礼拝)

2006年12月10日日曜日

キリストの模範 ~待降節第二主日~


フィリピの信徒への手紙2・1~5

今日の個所に書かれていることも、フィリピ2・6以下の「キリスト賛歌」の内容に直接関係しています。キリスト賛歌は、神の御子イエス・キリストについて、そのお方は「神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました」と歌うものです。

「神の身分である」方とは、神御自身のことです。「神と等しい者」もまた、神御自身のことです。イエス・キリストは神であられるのだと、キリスト賛歌はうたっているのです。神であられる方が人間と同じ者になられた。神が人間になられた。これが、キリスト賛歌において最も強く主張されている点です。

先週学びました1・27に「ひたすらキリストの福音にふさわしい生活を送りなさい」と書かれていました。この「キリストの福音」とはまさに、神が人間になられた、ということに他なりません。

福音(エヴァンゲリオン)の意味は、「喜びの知らせ」です。神が人間になられたということが、なぜ喜びの知らせなのかと言いますと、理由ははっきりしています。神が人間になられるとは、神がわたしたち人間に近づいてこられた、ということであり、神がわたしたち人間を愛して救うために近づいてこられた、ということだからです。

また、それは、神の存在がわたしたちにとってはもはや、決して遠い世界の話ではないのだということでもあります。気づかなければならないことは、もしわたしたちが神の存在を「遠い話である」と感じるとき、問題があるのはわたしたち自身のほうであるということです。神は、わたしたち人間へと近づいてくださる断固たる意志をもっておられるのです。

今日お読みしました個所の最後、フィリピ2・5に「互いにこのことを心がけなさい。それはキリスト・イエスにもみられるものです」とあります。「このこと」とか「キリスト・イエスにもみられるもの」とは、何のことでしょうか。これこそが、イエス・キリストにおいて神が人間になられたというこの点です。この「神が人間になられる」という“動き”ないし“運動”を指しています。

それは“上から下へという運動”です。そしてそれこそが「へりくだり」(謙遜)です。人間になられた神なるキリストは「謙遜」の模範なのです。

「そこで、あなたがたに幾らかでも、キリストによる励まし、愛の慰め、“霊”による交わり、それに慈しみや憐れみの心があるなら、同じ思いとなり、同じ愛を抱き、心を合わせ、思いを一つにして、わたしの喜びを満たしてください。」

これは日本語としてちょっとおかしい文章です。とくに変なのは最後の「わたしの喜びを満たしてください」という一文です。誤訳とは言えませんが、あまりに直訳的すぎます。わたしたちは、このような日本語を日常的に用いることはありません。また、このような言葉を聞くとしたら、自己中心的な言葉である、と感じるはずです。

しかし、それでは、どう訳せばよいか。これは難しい問題です。はっきりしていることは、パウロはここで決して自己中心的なことを言おうとしているわけではないということです。言おうとしていることは、わたしもあなたがたと一緒に喜びたいということです。喜びは、一方通行では成り立ちません。喜びの相互性という点を、明らかにすべきです。

いずれにせよ、ここでパウロがしている話は、わたしだけが喜びたい、ということではありません。先週の個所に「あなたがたには神の恵みとして苦しみが与えられている」という話がありましたが、それとこれとをつなげてはなりません。あなたがたは苦しみなさい。わたしだけが喜びますという話をパウロがしているわけではない。そんなことを言うはずがありません。

しかし、この新共同訳聖書の訳は、誤訳とまでは言えません。正しい日本語になっていない、と言いたいだけです。「わたしの喜びを満たしてください」。わたしの心を、喜びでいっぱいにしてください、あふれさせてください、ということです。

ただしそれは、パウロの心の中だけに喜びがあればよいということではなく、お互いの心の中に喜びがあふれるようにするという意味でなければなりません。あなたがたの喜びを、わたしにも分け与えてください。それがわたしの喜びになります、ということを、パウロは語ろうとしているのです。

そして、このことは逆の方向に考えていくことができると思います。逆の方向に考えていくとは、パウロにとって「わたしの喜びが満たされる」とは、あなたがたと「同じ思いとなり、同じ愛を抱き、心を合わせ、思いを一つにする」ことによって実現するということであり、そのようにしてこのわたしとあなたがたの心の中身が同じになるということが大切である、というふうに考えていく、ということです。

とくに重要なことは、「キリストによる励まし」です。救い主イエス・キリスト御自身による励ましです。それがわたしたちの心に届くとき、わたしたちの心の中に喜びがある、ということです。

しかも、それは「“キリストによる”励まし」です。キリストによる励ましは、いわゆる一般的・人間的な励ましとは区別されるものである、と言わなければなりません。

「がんばってください」というようなごく普通の励ましの言葉が、悪いと言いたいわけではありません。しかし、「がんばってください」と言われると、ますます落ち込むという人々がいます。わたしだって、時々そう感じることがあります。「関口先生、説教がんばってくださいね」とか言われますと、「まだダメだ」という意味だな、と感じます。そのときの気分次第ですが。

それは、わたし自身も逆のことをしてしまっていることがあるということでもあります。そして、そこにある大きな問題は、自分の言葉が誰かの心を深く傷つけてしまっている、ということに、わたし自身がちっとも気づいていない場合がある、ということです。深い反省と悔い改めが求められるところです。

ところが、です。そのようなわたしたちの励ましの言葉と、キリストの励ましの言葉とは、根本的に違うのです。わたしたちの場合は、どんなことを言っても、どんな言い方をしても、相手を傷つけてしまう、相手が傷ついてしまう、そのようなことしか語ることができませんが、キリストの語る言葉は違うのです。そこに真の慰めがあり、いやしがあり、新しい信頼関係(霊による交わり!)が始まるのです。

ただし、問題はまだ残っている、と思います。それは、その「キリストの励まし」なる言葉がわたしたちに伝えられる方法は何なのかという問題です。この問題を解く鍵となると思われることが続く個所に記されています。


「何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。」

「キリストの励まし」が言葉としてわたしたちの心の中に届けられるための手段として考えられることは、聖書と、教会と、説教です。聖書と教会と説教なしに届けられる直接的な啓示が今日でも起こりうるということを、わたしたちは信じていません。「キリストの励まし」の場合も同じです。それがわたしたちの心に届くためには、そこにどうしても、聖書と教会と説教という手段が介在する必要があるのです。

ところが、です。その場合、問題が急にややこしくなります。聖書はともかく、問題は教会と説教です。聖書はやや特別扱いしてもよい。しかし、教会と説教の正体は、間違いなく「人間」です。欠けのある、問題の多い、人間です。

この教会と説教が手段として用いられることによって、「キリストの励まし」がわたしたちの心の中に届く。それによって救いといやしが起こる。神のみわざのために“人間”が用いられるのです。“人間”という邪魔者が入り込んでくるのです。

しかし、だからこそ、と言ってよいのではないでしょうか、パウロがここで「謙遜」という点を強調していることは、非常に重要な意味をもっていると思われます。ずばり言いますと、「キリストの励まし」をこの地上の現実の世界の中に生きている人の心の奥深くに伝えるために必要なのは、“謙遜な教会”と、“謙遜な説教者”である、ということです。

もちろん、ここでパウロが「あなたがた」と呼んでいる相手は牧師や長老だけ、つまり教会の礼拝で説教をする人々だけでありません。おそらくもっと広い意味であり、少なくともフィリピ教会の教会員全員を指していますし、もしかしたらすべてのキリスト者たちのことを指している可能性さえあります。

しかしまた、「キリストによる励まし」を伝えるためにだれよりも謙遜さが求められるのは、説教者である、という点は否定できないでしょう。

そして、その場合の「謙遜」の意味としてパウロが記していることは、ある意味で非常に単純明快です。「へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考える」ことです。つまり、自分をすべての人々の中でいちばん下に置きなさいということです。それが謙遜ということだ、とパウロは主張しているのです。

自分をだれよりもいちばん下に置く。これは単純明快で、分かりやすい教えです。自分はこの中で上から何番目とか、下から何番目、というようなことを考えている時点ですでにダメ、ということです。

たとえば、わたしは教会の中で何番目に偉いのでしょうか。こういう考え方の牧師は変であると、多くの人が気づくでしょう。自分をいちばん下に置いていろいろなことを考えはじめるとき、順位とか優劣というようなことばかりが気になっていたときには見えてこなかったような多くのことが、見えてくるでしょう。

(2006年12月10日、松戸小金原教会主日礼拝)