2006年10月29日日曜日

暗き世に輝く光

ルカによる福音書22・63~23・12



わたしたちの救い主イエス・キリストは、十二弟子の一人であったイスカリオテのユダに裏切られ、また一番弟子であったシモン・ペトロから三度も知らないと言われて、全くの孤独のうちに、十字架への道を歩みだしました。



イエスさまがユダヤ人たちの手に引き渡され、最初に連れて行かれた先は、最高法院(サンヘドリン)でした。



今日お読みしました最初の段落に記されているのは、最高法院の法廷に引き出される前に、イエスさまが、見張り番たちによって侮辱されたり殴られたりした場面です。



「さて、見張りをしていた者たちは、イエスを侮辱したり殴ったりした。そして目隠しをして、『お前を殴ったのはだれか。言い当ててみろ』と尋ねた。そのほか、さまざまなことを言ってイエスをののしった。」



ここに出てくる一連の出来事が、正確な順序どおりに記されているかどうかは、分かりません。分かりませんので、書かれているとおりに説明していくほかはありません。



見張り番たちは、まずイエスさまを言葉で侮辱したり、こぶしで殴りつけたりしました。一人のイエスさまを、複数で痛めつけました。



そのあと「目隠し」をしました。これは、イエスさまの頭の上から袋をかぶせたという意味です。紙の袋なのか、それとも布の袋なのかは分かりません。とにかく、イエスさまの目をふさぐことが目的で、袋をかぶせました。



そして、おそらく、また殴ったのです。だからこそ彼らは「お前を殴ったのはだれか。言い当ててみろ」と言いました。これは、「イエスよ、お前なら、それくらいことはできるだろう」という意味だと思います。お前は自分のことを神の子だとか救い主だとか言っているらしいではないか。それなら、だれが殴ったかくらいのことは分かるだろう、という意味でしょう。



垣間見ることができるのは、彼らの神理解です。あるいはまた、それは彼らの宗教理解であると言ってもよいかもしれません。



目隠しされていても自分を殴った相手がだれかを言い当てることができる。それがその人の神であることの証拠である、という神理解です。もし全知全能の神であるならば、そういう“超能力”を持っているはずだと考える神理解です。宗教とは、その種の“超能力”を信じることである、という宗教理解です。



そして、それを反対から言えば、もしだれが殴ったかを言い当てることができなかった場合は、神ではないことの証拠になるのであり、また偽の宗教であることの証拠になる、という考え方でもあるということです。



これを何と言えばよいのでしょうか。なんとも表現しがたいものがあります。わたしの心に浮かぶ言葉は「くだらない」の一言です。彼らはサディスト以外の何ものでもありません。少しは恥を知るべきです。



しかし、実際の場面でそういうことは、なかなか言えないことかもしれません。子どもたちのいじめの問題が思い浮かびます。ある子どもがいじめられている。その子をかばうと、かばったその子ども自身が今度はいじめの対象になる。だから、だれもかばわない。だれにもかばってもらえない子どもは人生に絶望してしまう。その結末は、悲惨です。



いじめの問題はどうしたら解決できるのでしょうか。根本的な解決策は何かということをみんなで考えているところです。教会が明快な答えを持っているわけではありません。しかし、ぜひ考えてみていただきたいことがあります。



それは、人をいじめることを何とも思わない人は、イエスさまがいじめられている姿をよく見てほしい、ということです。そして同時に、イエスさまをいじめている人々の姿を見てほしい、ということです。彼らの姿が美しいものか、それともみにくいものかを、よく見てほしい。とてもみにくい彼らの姿は、自分自身の姿でもある、ということに気づいてほしいのです。



「夜が明けると、民の長老会、祭司長たちや律法学者たちが集まった。そして、イエスを最高法院に連れ出して、『お前がメシアなら、そうだと言うがよい』と言った。イエスは言われた。『わたしが言っても、あなたたちは決して信じないだろう。わたしが尋ねても、決して答えないだろう。しかし、今から後、人の子は全能の神の右に座る。』そこで皆の者が、『では、お前は神の子か』と言うと、イエスは言われた。『わたしがそうだとは、あなたたちが言っている。』人々は、『これでもまだ証言が必要だろうか。我々は本人の口から聞いたのだ』と言った。」



夜が明けました。その直前に、ペトロが三度イエスさまを否定したあと、朝を告げる鶏が鳴いたわけです。「鶏が泣く前に」というイエスさまの予言は、「朝を迎えるまでに」という意味を含んでいた、と考えることもできるでしょう。



ふと気づかされたことがあります。それは、次のことです。「夜が明けると、民の長老会、祭司長たちや律法学者たちが集まった」とあります。夜は人が眠る時間です。長老たち、祭司長たち、律法学者たちは、夜の間、ぐっすり眠っていたに違いありません。



ところが、イエスさまには、どう考えても、眠る時間が与えられていません。眠る時間を与えられず、夜じゅう、殴る蹴るの暴行を加えられていた。イエスさまは、ぐったり疲れておられた。かたや、ぐっすり眠って元気を回復してきた人々が、しつこい尋問を行うのです。典型的な拷問のやり方であると思います。



「お前がメシアなら、そう言うがよい」と。そう言いさえすれば、メシアを名乗るうそつき人間としてこのイエスというこの男を訴えることができる、というのが、ユダヤ人の腹です。



彼らがイエスさまの口から聞きだそうとしたことは、「わたしはメシアである」という言葉です。あるいは「わたしは神の子である」という言葉です。それを語ることが罪であるというわけです。真の神を冒涜する罪であり、虚偽を語ること、つまり、うそつきである、というわけです。



しかし、これは困ったことです。まことのメシアであるお方が「わたしはメシアである」と語ることが、うそつきだと言われるならば、どうしたらよいのでしょうか。



単純な比較はできないと思います。しかし、わたしは関口康です。そのわたしが「わたしは関口康である」と語ることがうそつきであると言われるなら、どのように自己紹介してよいか分からなくなります。いや、ニセモノだ。お前は関口康ではない、とか言い張られても、ただ困るだけです。



そのときは、「わたしは関口康である」というこのわたし自身が語る言葉を信じていただくほかはありません。そこで問われていることは「信じること」です。信じてくれない相手に対しては、語る言葉を失うのです。



いわばそれと同じように、と続けることができるでしょう。いわばそれと同じように、イエスさまの場合も、真の神の子であり真のメシアである方が、「わたしはメシアである」とお語りになるとき、それがうそであると決めつけられ、言い張られ、罪人のレッテルが張られなければならないとしたら、どうしたらよいのでしょうか。語るべき言葉を失うのです。



「わたしが言っても、あなたたちは決して信じないだろう。わたしが尋ねても、決して答えないだろう」とイエスさまはおっしゃいました。信じない相手の前ではイエスさまは沈黙されます。そういう人々の前で語ることは、はっきり言って、むなしいだけです。



「では、お前は神の子か」という問いに対して、イエスさまが「わたしがそうだとは、あなたたちが言っている」とお返しになったのは、直接的な肯定ではなく、また否定でもありません。「それは、あなたたちが言っていることである」という言葉の裏には、「それは、わたしが言っていることではない」という意味が含まれています。この翻訳は正確であると思います。



このようにお語りになることで、イエスさま御自身が茶化しておられるとか、ふざけておられるわけでもありません。語る言葉がないのです。信仰を持っていないひとの前では、黙るほかはない、という場面があるのです。



「そこで、全会衆が立ち上がり、イエスをピラトのもとに連れて行った。そして、イエスをこう訴え始めた。『この男はわが民族を惑わし、皇帝に税を納めるのを禁じ、また、自分が王たるメシアだと言っていることが分かりました。』そこで、ピラトがイエスに、『お前がユダヤ人の王なのか』と尋問すると、イエスは、『それは、あなたが言っていることです』とお答えになった。ピラトは祭司長たちと群集に、『わたしはこの男に何の罪も見いだせない』と言った。しかし彼らは、『この男は、ガリラヤから始めてこの都に至るまで、ユダヤ全土で教えながら、民衆を扇動しているのです』と言い張った。」



「この男はわが民族を惑わし、皇帝に税を納めるのを禁じ、また、自分が王たるメシアだと言っていることが分かりました」と彼らは言いました。



はたして、こういうことを、イエスさまは、いつどこでおっしゃったでしょうか。言っていないことを言っていると言う。「言った・言わない」という話は、たいてい水掛け論に終わります。しかし、イエスさまが「皇帝に税を納めるのを禁じた」などというのは全くのでたらめであることは明らかです。



「この男は、ガリラヤから始めてこの都に至るまで、ユダヤ全土で教えながら、民衆を扇動しているのです」と彼らは言いました。民衆扇動者とは、デマゴーグと呼ばれます。イエスさまはデマを流した人であると、言われたわけです。



しかし、イエスさまが語ってこられたことは、デマでしょうか。



聖書の御言葉に基づく説教は、デマでしょうか。



ひとを罪と悪の縄目から解き放ち、救い出すことは、民衆扇動でしょうか。



何とひどい言い草かと思います。



「お前がユダヤ人の王なのか」と問いかけるピラトに対しても、イエスさまは、「それは、あなたが言っていることです」とだけお答えになりました。イエスさまは、直接的な肯定もされていませんし、否定もされていません。



「これを聞いたピラトは、この人はガリラヤ人かと尋ね、ヘロデの支配下にあることを知ると、イエスをヘロデのもとに送った。ヘロデも当時、エルサレムに滞在していたのである。彼はイエスを見ると、非常に喜んだ。というのは、イエスのうわさを聞いて、ずっと以前から会いたいと思っていたし、イエスが何かしるしを行うのを見たいと望んでいたからである。それで、いろいろと尋問したが、イエスは何もお答えにならなかった。祭司長たちと律法学者たちはそこにいて、イエスを激しく訴えた。ヘロデも自分の兵士たちと一緒にイエスをあざけり、侮辱したあげく、派手な衣を着せてピラトに送り返した。この日、ヘロデとピラトは仲良くなった。それまでは互いに敵対していたのである。」



ローマ帝国の支配下にあったユダヤの国には裁判の権利が与えられていなかったために、何か裁判の必要が生じた場合には、ローマ帝国の法治権に訴え出るしかなかったのです。



そして、ローマ帝国の法治権をユダヤの国の中で行使できたのは、ポンティオ・ピラトという総督でした。ローマ人ピラトのもとでイエスさまの裁判が行われることになった事情は、まさにこのあたりにあります。



ところが、ローマ総督ポンティオ・ピラトは、イエスさまの言動に罪らしきものが認められないと感じました。そして、ユダヤ人の問題は自分の手には負えない、と持て余したので、イエスさまをヘロデのもとに送りました。ヘロデはユダヤの国の王だったからです。



ところが、イエスさまは、ヘロデの前では、何もおっしゃいませんでした。そのイエスさまの態度にヘロデは腹を立て、さんざん侮辱した上でピラトに送り返しました。



「この日、ヘロデとピラトが仲良くなった」と書かれています。「それまでは互いに敵対していたのである」ともあります。お互いに敵対しあっていた二人が、この機会に仲良くなった理由は何でしょうか。



かつての敵対関係は、非常に激しいものでした。互いの権力をねたみあっていました。力関係としては、ローマ帝国からユダヤの国に派遣されている総督であったピラトのほうが上、ローマ帝国の属国となっていたユダヤの国の王であるヘロデのほうが下であった、と考えられます。その中で、ヘロデの側はそのような力関係に我慢ができずにいましたし、またピラトの側はヘロデの反抗的な態度を不愉快に思っていました。



ところが、その両者がイエスさまとの関わりあいの中で仲良くなった。その理由ないし原因として考えられることは、次のことです。



ヘロデに対してピラトがイエスさまの扱いを委ねた。そのとき、ヘロデとしては、ピラトが自分の存在を認めてくれた、と感じたのです。自分に敬意を表してくれた、と感じたのです。そのようにしてヘロデは、とにかく、ある種の満足感を得ることができたのです。それが両者の関係改善のきっかけになったのであろう、と考えることができるのです。



かくしてヘロデとピラトが仲良くなりました。ローマ帝国の代表者とユダヤの国の代表者が一時的にせよ、仲良くなりました。イエスさまを苦しませ、十字架にかけて殺すことにおいて、両者が一致しました。イエスさまを、またイエスさまを信じる人々を苦しめ、弾圧し、殺すための権力が一致団結しました。闇の力が結集していった様子が分かります。



その人々の前で、イエスさまは、抵抗なさいませんでした。取り乱すというようなことも一切ありませんでした。静かに、そして冷静に、十字架への道を進んで行かれました。そのイエス・キリストのお姿は、わたしたち信仰者の模範として、まさに“暗き世に輝く光”(讃美歌282の歌詞、宗教改革記念日!)そのものでした。



イエスさまの栄光のお姿を見つめること。



そして同時にイエスさまを苦しみに遭わせる人間の姿を見つめ、その人間の中にわたしたち自身の罪深い姿を見出すこと。



これが重要なことなのです。



(2006年10月29日、松戸小金原教会主日礼拝)



2006年10月22日日曜日

「今日、鶏が鳴く前に」

ルカによる福音書22・54~62



「あなたは三度、わたしを知らないと言うだろう」。そのように、わたしたちの救い主、イエス・キリストは、十字架にかけられる前の夜、最後の晩餐の席で、弟子ペトロに言われました。そのとおりのことが、現実に起こったのです。



「人々はイエスを捕らえ、引いて行き、大祭司の家に連れて入った。ペトロは遠く離れて従った。人々が屋敷の中庭の中央に火をたいて、一緒に座っていたので、ペトロも中に混じって腰を下ろした。」



イエスさまは逮捕され、大祭司の家に連れて行かれました。そのあとをペトロがついていきました。「遠く離れて従った」とは、だれにも見つからないようにこっそり尾行した、ということでしょう。そして、屋敷にいた人々の中に混ざって、様子を見守っていました。



ここでわたしは、二つの疑問を投げかけたいと願っています。第一の疑問は、ペトロはなぜ「遠く離れて」従ったのでしょうか、というものです。



答えははっきりしています。もしこの時点でペトロが目立つ行動をすると、イエスさまと同じように逮捕されるからです。ペトロは逮捕されるのが嫌だったのです。だからこそ、「遠く離れて」いたのです。そのように説明することができると思います。



しかし、ここで第二の疑問が湧いてきます。ペトロには実際に逮捕される危険があり、しかも逮捕されるのが嫌だったのだとするならば、彼はなぜ、「遠く離れていた」とはいえ、イエスさまに「従った」のか、という疑問です。



この問いには、模範解答があるわけではありません。しかし、こういうことをじっくり考えてみることが大切です。また、この問題は、わたしたちにとって非常に重要な意味を持っていると感じます。ペトロのとった行動に映し出されているのは、わたしたち自身の姿であると思われてなりません。



「つかず離れず」という言葉があります。これは通常、人間関係の深さや距離感、物事に対する興味・関心の度合いを表す言葉です。あまり深く関わり過ぎないことです。自分の立場や利益やプライドなどに危害や迷惑が及ばない程度の距離をとり、うまく付き合うことです。



この言葉がまさに当てはまるでしょう。イエスさまが逮捕された後、ペトロはイエスさまとの間に「つかず離れず」という距離を保つ態度ないし行動をとったのです。



しかし、わたしは、ここでのペトロの態度を、できるだけ肯定的に理解したいと願っています。「遠く離れて」はいました。しかし、大切なことは、それでもペトロは「従った」ということです。この点は評価できることです。



ペトロの心境の正確なところは、分かりません。居ても立ってもいられなかった、というあたりではないでしょうか。イエスさまについて行かなければならないという思いと、目の前にある迫害への恐怖とが、心の中で葛藤し、戦っている。そんな感じかもしれません。



その葛藤は、わたしたちにはよく分かることです。先週、吉岡繁先生が説教の中でお話しくださいました。日本では、ついこのあいだまで“耶蘇”(キリスト者)になると結婚できないと言われたり、勘当されたり、村八分にされた。それが現実であった。個人の力では、どうすることもできなかった。



現実の壁が立ちはだかるとき、宗教については「つかず離れず」がいいと、考えはじめるのです。



わたしたちは、そういうことを考える人々を、裁くことができません。裁いてもよい人がいるとしたら、それは、「わたしは、そのようなことを、いまだかつて一度も考えたことがありません」と語ることができる人だけです。



大切なことは「遠く離れて」いようとも、とにかく「従うこと」です。ペトロは、この点に関しては、合格しているとまでは言えないかもしれませんが、及第点は取っていると言ってよいはずです。



「するとある女中が、ペトロがたき火に照らされて座っているのを目にして、じっと見つめ、『この人も一緒にいました』と言った。しかし、ペトロはそれを打ち消して、『わたしはこの人を知らない』と言った。」



ペトロの存在に一人の女性が気づき、騒ぎはじめました。「この人も一緒にいました」。この女性がペトロの姿を、いつどこで見ていたのかは分かりません。考えられることは、イエスさまが「毎日、神殿の境内で」(22・53)説教されていたときです。



イエスさまの隣には、いつもペトロがいたのです。それを多くの人々(群衆!)が見ていたのです。この女性もイエスさまの話を、聞きに行ったことがあるのかもしれません。この人がペトロの姿を覚えていたとしても、当然のことです。



わたしたちの姿も、けっこう周りの人から見られていると思ったほうがよいです。「あの人は毎週教会に通っているのよ」とか、「あら、今日は休んだわね」とか、「最近はあまり教会に行っていないらしいよ」とか。そういうことに、自分は教会に通っていない人々が関心を持っていたりします。よく見ています。面白いものだと思います。



ところが、ペトロは、イエスさまのことを「わたしはこの人を知らない」という言葉で否定しました。「わたしはこの人を知らない」という言葉は、ユダヤ教団が異端者を公式に破門するときに用いた言葉であった、という説があります。もしその説が正しいとしたら、ペトロが言ったことは重大です。ペトロが、イエスさまを、破門したのです!



イエスさまがペトロを破門する、という話ならば分かります。しかし、ペトロは正反対のことを言ってしまいました。窮地に追い込まれ、口がすべって、つい言ってしまったのかもしれません。いずれにせよ、ペトロとしては、イエスさまの前では絶対に言いたくなかった言葉であったに違いありません。



「少したってから、ほかの人がペトロを見て、『お前もあの連中の仲間だ』と言うと、ペトロは、『いや、そうではない』と言った。」



イエスさま御自身は、ペトロに対して、「あなたは三度、わたしを知らないと言うだろう」と予告されました。その予告は、そのとおりになりました。しかし、です。ペトロがした三回のやりとりを注意深く見て行きますと、とても興味深い点があることが分かります。



最初のやりとりは、女中との間で交わされましたが、このときペトロが否定したのは、ペトロがイエスさまを知っている、という事実です。「わたしはあの人を知らない」と明確に語りました。



しかし、です。第二のやりとりにおいては、「お前もあの連中の仲間だ」と言われたのに対して、「いや、そうではない」とペトロが答えています。注意したいのは、「あの連中の仲間」の意味は何かという点です。



原文を直訳しますと「お前もあいつのグループに属しているだろう」ということです。大切なことは、「あの連中」とか「あいつのグループ」というふうに訳さざるをえない言葉は、イエスさまお一人のことを指しているわけではない、ということです。



イエスさまの弟子たちのことです。イエスさまを信じる人々のことであり、“教会”のことです。



つまり、ペトロは、最初のやりとりにおいては、イエスさまと自分自身との関係を否定しましたが、第二のやりとりにおいては、“教会”と自分自身の関係を否定したのです!



ペトロが言っていることは要するに、「わたしは教会なんか関係ない。あんなところには行ったこともないし、関わったこともない。『あなたはキリスト者である』などと言われるのは迷惑千万だ」と言っているのと同じであるということです。



「一時間ほどたつと、また別の人が、『確かにこの人も一緒だった。ガリラヤの者だから』と言い張った。だが、ペトロは、『あなたの言うことは分からない』と言った。」



それでは第三のやりとりの意味は何なのかを、考えてみたいわけです。第三のやりとりの中でペトロが否定してしまったのは「ガリラヤの者だから」という点でした。



ガリラヤ地方というのは、エルサレムあたりから見ると、ずっと北のほうです。北部の人々は、喉から出る音を使って喋るそうです。そのような訛り(方言)があったと言われます。また、用いる語彙(ヴォキャブラリ)にも、独特なものがあったそうです。



そのような言葉をあなたは喋っている。この大都会エルサレムでガリラヤ地方の言葉、要するに“田舎っぽい方言”丸出しで喋っているのは、イエスとかいうあの男の仲間たちくらいのものだ。



ほら、まさに今、あなたが喋っているその言葉が、そのことの何よりの証拠である。そのように、ペトロは、周りの人々から証拠を突きつけられたのです。



しかし、ペトロはそのことまでも否定しました。それが意味することは何でしょうか。



「ガリラヤ」とは、ペトロを含む多くの弟子たちの出身地です。



また、ペトロにとって「ガリラヤ」は、何よりもイエスさまから「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる」と言われ、弟子になった場所です。



そして、「ガリラヤ」は、彼らにとって、イエスさまと共に生活した場所であり、イエスさまが多くの人々を助け、愛し、励まし、伝道なさるのを一生懸命に助け、働き、まさにイエスさまと苦楽を共にした場所です。



イエスさまも、またペトロ自身も、心から愛している町。それが「ガリラヤ」なのです!



「ガリラヤ」との関係を指摘されて、ペトロが「あなたの言うことは分からない」と、その関係を否定してしまったとき、ペトロの心の中で大きな地震が起こり、それまで大切にしてきたものがガラガラ崩れ落ちていくのを感じたはずです。



「ガリラヤ」との関係を否定する。それは、広い意味では、イエスさまとの関係を否定することです。しかし、ペトロにとっては同時に、その日その時まで、イエスさまと共に苦労して生きてきた自分の人生そのものを否定するのと同じであったと思われるのです。



わたしたちが、自分で自分の人生を否定しなければならない。多くの人の前に立たされ、窮地に追い込まれて。そのとき感じることは何でしょうか。「本当に情けない」という思いではないでしょうか。



「まだこう言い終わらないうちに、突然鶏が鳴いた。主は振り向いてペトロを見つめられた。ペトロは、『今日、鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう』と言われた主の言葉を思い出した。そして外に出て、激しく泣いた。」



イエスさまはペトロを見つめられました。やさしい視線だったでしょうか、厳しい視線だったでしょうか。どうだった、と言いきれる証拠はありません。



しかしここで大切なことは、ペトロがイエスさまの視線に気づくことができたことです。イエスさまが、このわたしの姿・言葉・行為を見ておられる、ということに、気づくことができたことです。



そしてイエスさまが「あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」と言われたイエスさまの御言葉を思い出せたことが、大切です。ガリラヤからエルサレムまで、ずっと一緒に生きてきたイエスさまが、このわたしのことをよく知っておられた。何もかも、イエスさまは分かっておられた。そのことにやっと気づくことができたことが大切です。



ペトロは、涙を流しました。イエスさまに対しても、教会に対しても、愛する故郷や、自分の人生そのものに対してさえ、申し訳ないことをしたと、みじめで情けない気持ちにもなったでしょう。



しかしまた、同時に、ペトロは、イエスさまの愛の深さに気づいた。また、このわたしはなんと冷たい人間なのかということに気づかされた。すっかり打ちのめされてしまったのではないかと思います。



わたしのすべてをご存じである方が、わたしを心から愛してくださっている。



わたしたちは、そのことに気づいているでしょうか。



そのことが、わたしたち一人一人に深く問われていると思います。



(2006年10月22日、松戸小金原教会主日礼拝)



2006年10月8日日曜日

「闇が力をふるう時」

ルカによる福音書22・47~53



この個所に記されているのは、イエスさまが弟子の一人イスカリオテのユダの裏切りによってユダヤ教の指導者たちに捕らえられる瞬間の言葉のやりとりです。時間にすれば、せいぜい数秒ないし数分の出来事でしょう。聖書全体の中でおそらく最も暗く、また最も嫌な場面と言えるでしょう。



「イエスがまだ話しておられると、群衆が現れ、十二人の一人でユダという者が先頭に立って、イエスに接吻をしようと近づいた。イエスは、『ユダ、あなたは接吻で人の子を裏切るのか』と言われた。」



このときイエスさまは、何を「話しておられ」たのでしょうか。考えられるのは直前の言葉です。「なぜ眠っているのか。誘惑に陥らぬよう、起きて祈っていなさい」。



これは、オリーブ山でイエスさまが祈っておられたときに、弟子たちが眠っていたことについての忠告の言葉です。おそらくこの忠告の言葉を語っておられる最中に、ユダが、イエスさまを裏切るために近づいてきたのです。



ここで考えさせられたことがあります。それはこの場面の独特の滑稽さです。笑ってはならないと思いますが、ある意味で、これはとてもおかしな場面です。



とくに、わいてくる疑問は、だれが裏切り者なのだろうか、ユダだけだろうかというものです。



もちろん、ユダの裏切りは、本当に卑怯なものです。お金でイエスさまを、文字どおり売り渡したのですから。そして、今や、接吻をもってイエスさまを裏切ろうとしているのですから。



しかし、イエスさまが真剣に祈っておられる最中に眠っていた弟子たちは、どうなのでしょうか。これは、裏切りとまでは言えないかもしれませんが、イエスさまのお気持ちを著しく害する態度であることは、確実です。



また、今こそ思い返されるのはペトロです。先週読んだ個所には、イエスさまがペトロに対して「ペトロ、言っておくが、あなたは今日、鶏が鳴くまでに三度わたしを知らないと言うであろう」とお語りになった場面が出てきました。



ペトロがイエスさまのことを「知らない」と言う。うそつきではありませんか。立派な裏切りではありませんか。そのように考えることも、できると思います。



問題は、裏切りの定義かもしれません。裏切りとは一体何なのか、です。



もちろん、わたしの考えは、先週すでに申し上げました。ペトロがイエスさまのことを「知らない」と言ったことを、ユダがイエスさまを裏切ったのと同じ意味での“裏切り”という言葉で説明することは、わたしにはできないと申し上げました。



しかし、だからといって、ペトロがイエスさまを裏切っていないと申し上げるつもりは決してありません。また、イエスさまが祈っておられるときに居眠りしていた弟子たちの態度もまた、いわば裏切りです。しかし、ユダのそれとはレベルが違う、という言い方が許されるかもしれません。



イエスさまのことを「知らない」と言ったペトロと、イエスさまの横で居眠りしていた弟子たちとに、共通している要素があると思われます。それは、要するに「弱さ」です。



ペトロはいわば内弁慶です。精神的な弱さがあります。イエスさまの前や、弟子仲間の前では、少々大口をたたく。しかし、人前に出ると、逃げる、隠れる。信仰に関する争いには巻き込まれたくない。信仰の異なる人々の前では、黙ってやり過ごすのが得策である。これは現代人の知恵です。ペトロの姿は、われわれの姿です。



居眠りの問題は、何といっても体力の問題です。睡眠とは、身体的・生理的な行為です。眠いものは眠い。こればかりは、どうすることもできません。



両者に共通している要素があるとしたら、要するに「弱さ」です。



しかし、「弱さ」は罪でしょうか。わたしたちの「弱さ」は、責められ、追及され、悔い改めを迫られなければならないものでしょうか。



わたしは、そのように考えることはできません。「弱さ」であれば、許されなくてはならないし、かばわれなくてはならないはずです。



この世界には強い人と弱い人がいると思います。強い人だけで、この世界は成り立っていません。弱い人が必ずいます。もしわたしたちが、ペトロや他の弟子たちを裏切り者と呼ばなければならないなら、弱い人々はみな裏切り者です。心も体も強靭である人々だけの世界を実現することが神の御心である、という話になっていくでしょう。



しかし、それは、キリスト教ではありません。強い人は、弱い人を裁いてはなりません。強い人は、弱い人の弱さを担うべきです。それがキリスト教です。



ところが、ユダは違います。わたしたちは、ユダの罪を「弱さ」という言葉だけで、説明することはできません。具体的なお金のやりとりがありました。信頼関係を自ら意図的に破壊し、すべてをお金に換える。悪質な意図があったことは明らかです。



決して間違ってはならないことは、わたしたちは、なんでもかんでも一緒くたに考えてしまってはならない、ということです。すべての罪を「弱さ」のせいにしてよいわけではなく、その意味で許してしまってよいわけではありません。



泥棒を働いて、飲酒運転をして、薬物におぼれて、姦淫を犯して。そういうことがみな「弱さ」から来るものだから許される、というような話を、教会がしているわけではないのです。それは悪質な言い逃れです。ユダの罪と、ペトロや他の弟子たちの罪とは、区別されなければなりません。



「イエスの周りにいた人々は事の成り行きを見て取り、『主よ、剣で切りつけましょうか』と言った。そのうちのある者が大祭司の手下に打ちかかって、その右の耳を切り落とした。そこでイエスは、『やめなさい。もうそれでよい』と言い、その耳に触れていやされた。」



イエスさまの周りが、騒然としてきました。夜であり、山の上でしたので、周囲は暗闇でした。光があるとしても、月や星の光か、あるいは、せいぜい、だれかの手に小さな火があったかにすぎません。



その中で、もみ合いが始まりました。オリーブ山でイエスさまと一緒にいた弟子たちの数をルカは書いていませんが、マタイとマルコはペトロとヤコブとヨハネの三人であったことを告げています(マタイ26・37、マルコ14・33)。



つまり、書かれているとおりだとすれば、イエスさまの側は四人。それに対して、ユダが導いたユダヤ教の指導者側の人数は「群集」(47節)と呼ばれるほどの数だったようです。多勢に無勢、です。



闇の中で群衆にいきなり襲いかかれて、相当パニックに陥っていたであろう弟子の一人が、持っていた刃物で、大祭司の手下を切りつけ、右の耳を切り落としてしまいました。これは決してよいことではありませんが、状況的には理解できないものではありません。



ただ、気になることがあります。それは、前回読みましたが触れることができなかった個所(ルカ22・35~38)で、イエスさまが「財布のある者は持って行きなさい。袋も同じようにしなさい。剣のない者は、服を売ってそれを買いなさい」(22・36)と、弟子たちにお命じになっているところです。



とくに気になるのは、剣を買え、とイエスさまが言われているところです。武装せよ、ということでしょうか。イエスさまらしくないご発言のようにも感じられます。もっとも、弟子たちは、イエスさまがお命じになる前から剣を持っていたようです。「主よ、剣なら、このとおりここに二振りあります」(22・38)と言っているとおりです。



しかし、この個所は、注意深く読むべきです。理解するための鍵は、イエスさまが弟子たちに「今は持て」とお命じになったのが、「財布」と「袋」と「剣」であるという点です。



意味が分からないのは「袋」ですが、これは、旅行用の、荷物を詰め込むための袋のことです。リュックサックのようなものと思えばよいでしょう。



ですから、ここで考えられることは、イエスさまがお命じになったのは、一種の旅支度であろうということです。財布にお金を入れて、旅行かばんをもって。ならば「剣」は、護身用のナイフでしょう。それらを持って旅に出かける準備をしなさい、と言われているのではないかと思われるのです。



しかしまた、もう少しだけ突っ込んで考えてみたい気もします。イエスさまが弟子たちにお命じになったことが、もし本当に旅支度だったとすれば、なぜ旅支度なのか、ということが気になります。イエスさまは、このときまさに、御自身の死の覚悟と決意をされているところだからです。



考えてみていただきたいわけです。自分の地上の生涯は、まもなく終わる。そのことを覚悟し決意している人が、自分の子どもや仲間たちに、旅支度をさせる。その意味は何かということを、です。



あなたは生きていきなさい、という意味でしょう。わたしは死ぬが、あなたは生きていきなさい。いつまでも、わたしに(悪い意味で)依存したままではいけない。自分の旅を始めなさい。このように、イエスさまがお命じになっているのです。



つまり、イエスさまが「剣を買え」とおっしゃっているのは、攻撃のための武装の意味ではない、と考えることができそうです。



昔の旅路は強盗だらけです。「よきサマリア人のたとえ」(ルカ10・25~37)も、旅人が追いはぎに遭う話でした。だから、わたしたちも刃物を持ち歩いてもよい、という話にはなりませんが、イエスさまが弟子たちに武装をお勧めになったわけではないと考えることができるなら、少しほっとした気持ちになれると思います。



弟子の一人が大祭司の手下の耳を切り落としてしまったのをご覧になったイエスさまは、「やめなさい」とお止めになりました。「もうそれでよい」というのは、耳だけでよい、という意味ではないでしょう。抵抗するな、という意味に違いありません。



実際、イエスさまは、抵抗されませんでした。刃物や武器でチャンバラを始めるのは、あなたがたであると、襲い掛かって来た人々を、じっとご覧になりました。



「それからイエスは、押し寄せて来た祭司長、神殿守衛長、長老たちに言われた。『まるで強盗にでも向かうように、剣や棒を持ってやって来たのか。わたしは毎日、神殿の境内で一緒にいたのに、あなたたちはわたしに手を下さなかった。』」



ここでイエスさまは、少し苦笑いしておられるような感じもします。やれやれ、まるで強盗扱いだねと。



しかし、わたしの姿、わたしのしてきたことを、あなたたちは、ちゃんと見てきたはずです。わたしは逃げも隠れもせず、堂々と「神殿の境内で」神の御言葉を語ってきました。それ以外の何をわたしがしましたか、と問い返しておられるように感じます。



神殿の境内の主役は、本来ならば、あなたたちのほうでしょう。祭司長さん、神殿守衛長さん、長老さん!



それなのに、わたしが皆の前で話しているときには、あなたたちは、何もできなかった。あなたたちは、陰に隠れて、こそこそと何をやっていたのですか?



「『だが、今はあなたたちの時で、闇が力を振るっている。』」



公の場で、堂々と、明確にお語りになるイエスさまのお姿は、光り輝いています。



他方、闇に隠れて蠢(うごめ)き回り、大人数で圧倒する人々の姿は、不気味に薄暗い。



とても対照的な両者です。



(2006年10月8日、松戸小金原教会主日礼拝)



2006年10月1日日曜日

「父よ、御心なら」

ルカによる福音書22・31~46









十字架にかけられる前の夜、イエスさまは、弟子たちと一緒に、最後の晩餐を囲まれました。今日お読みしました個所には、その晩餐の中でイエスさまが使徒ペトロに向かってお語りになった御言葉が記されています。



「『シモン、シモン、サタンはあなたがたを、小麦のようにふるいにかけることを神に願って聞き入れられた。しかし、わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。』」



「シモン」とは使徒ペトロの本名です。ペトロはイエスさまがお付けになった名前です。「シモン、シモン」と、二度繰り返されていることには意味があります。これは愛情表現であり、また励ましの意図があります。



イエスさまによりますと、サタンが神さまに願いごとを言い、それが聞き入れられたのです。サタンとは悪魔のことです。神さまが悪魔の言い分をお聞き入れになったというのです。



そんな馬鹿なと、びっくりする方がおられるかもしれません。しかし、これは旧約聖書のヨブ記などに見られる思想です。その思想とは、神は悪魔の計略を「許可」されることにおいて御自身のご計画をお進めになるお方である、というものです。



なぜ神さまはそんな「許可」を出されるのか、という問いが当然出てくると思います。しかし、そのことを詳しくお話しする時間はありません。この問題は神義論と呼ばれるものです。この神義論という問題を深く考えていくことは、わたしたちの信仰生活において非常に重要であると、わたしは考えています。



「小麦のようにふるいにかける」とは、小麦粉の粒の大きさを揃えること、揃わないものはふるい落とすことを意味しています。つまり、これは、明らかに、弟子たちの中から抜け落ちる人が出る、ということについての予言です。



これがイスカリオテのユダを指していることは、文脈から明らかです。ということは、ユダが裏切ることは、神がサタンの計略を「許可」された結果である、ということになります。つまり、ユダの裏切りには、神御自身のご計画という側面がある、ということにもなるのです。



と、こういうふうに説明していきますと、またしても神義論の問題に戻っていきます。時間がありませんので戻りませんが、この問題は本当に難しいものであり、また、まるで迷路の中にいるような感覚にとらわれるものである、ということを申し上げておきます。



ところが、イエスさまは、ここで非常に重要なことを、おっしゃっています。「わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った」と。



この御言葉によって分かることがあります。それは、神の許可のもとでサタンが信仰者たちをふるいにかける。あなたがたのうちから抜け落ちる人が出る。そのことで、非常に傷つくのは誰なのかを、イエスさまは非常によく理解しておられるのだ、ということです。



脱落者が出ることで最も傷つくのは、もちろん言うまでもなくイエスさま御自身です。しかしそれでは、イエスさまの次に傷つくのは、だれでしょうか。イエスさまは、それは弟子の中のリーダー的存在であった使徒ペトロであるとお考えになったわけです。



そしてその上でイエスさまがお考えになったことは、その傷によって、ペトロの信仰が無くなるかもしれない、ということでした。仲間の脱落はそれほどの傷を生み出すものである、ということでしょう。だからこそ、ペトロの信仰が無くならないようにと、イエスさま御自身が祈ってくださったのです。



ここから先のことは、わたし自身は、あまり触れたくありません。わたしもこのことで傷ついたことがありますので。しかし、どうしても触れざるをえない。それは、教会から出て行く人々の問題です。



別の教会に移って信仰生活を続けておられる方々のことは、心配しておりません。また連絡関係が保たれている方々のことも心配しておりません。しかし、いちばん心配なのは、関係が全く途絶えてしまっている方々のことです。



そういう人々のことを「裏切り」という言葉で説明することには、わたし自身は非常に抵抗があります。なぜ抵抗があるか。教会の側には問題がなかったのかと、必ず問わざるをえないからです。多くの場合、出て行った人々が一方的に悪い、と考えることはできません。教会にも、いや、かなり多くの場合、牧師にこそ問題があったのです!



しかし、です。本当に困ってしまうのは、実際に問題があったとき、出て行かれてしまうことです。教会と牧師には正しい信仰に基づいて悔い改めるという道があります。われわれは悔い改めます。批判の言葉に耳を傾け、方向を修正していきます。しかし、教会から出て行かれてしまいますと、その方の前に、悔い改めた姿をお見せできなくなります。問答無用の関係になってしまいます。



イエスさまの弟子の群れの中から抜け落ちる人が出ると、リーダーのペトロが傷つく。牧師が傷つき、長老たちが傷つきます。そのことをイエスさまはよくご存じです。「だからあなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい」というのは深い慰めの言葉です。



「するとシモンは、『主よ、御一緒になら、牢に入っても死んでもよいと覚悟しております』と言った。イエスは言われた。『ペトロ、言っておくが、あなたは今日、鶏が鳴くまでに、三度わたしを知らないと言うだろう。』」



ペトロが言っていることは、よく考えると思わず笑ってしまう要素があります。それは「御一緒になら」と言われているところです。



イエスさまと一緒なら、というのですから、「わたし一人では嫌です」と言っているようにも読めます。「あなたは生きてください。あなたの身代わりに、わたしが死にます」とは言っていません。



先週結婚式の中で触れましたヨハネによる福音書15・12の御言葉、「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」は、あなたと一緒なら死ぬことができます、一緒に死にましょうという意味ではありません。



「あなたはどうか生きてください」と言わなくてはならない。「あなたが生きるために、わたしの命をささげます」と言えなくてはならない。イエスさまが語っておられるのは“心中のすすめ”ではありません。



しかし、そのような愛は、わたしたちにはできそうもないことです。結婚式の中で申し上げたことは、「相手のために死ねるかと、結婚式の日に、考えてみるくらいのことは必要でしょう」ということでした。必要でしょう、と申し上げたのは、“考えてみること”だけでした。



実際に「相手のために死ぬこと」は、わたしたちにはおそらくできません。「一緒に死にましょう」という話ではありません。「あなたは生きてください」という話でなくてはならない。それが愛なのです。



そこでわたしたちが感じるのは、なんともいえない寂しさ、むなしさでしょう。わたしだけが、いなくなる。わたしが存在しない世界が続いていく。わたしがいなくても何とかやっていける家族がある。わたしなど、じつは最初から必要なかったのか。ただの邪魔者にすぎなかったのか。こういうことを考えはじめてしまうのが、わたしたちです。



いや、実際には、そういうものなのだと思います。このわたしなしにもこの世界は存在するのです。このわたしなしにも家族はなんとかやっていくし、やっていかなければならないのです。そこで、すねたり、いじけたりすべきではないのです。



しかし、です。実際に、あなたが生きていくためにわたしの命をささげる、ということは、できるかと言われるなら、できませんと答えるのが、だれにとっても正直のところではないでしょうか。



ところが、ペトロは、「御一緒なら」という但し書き付きではありますが、「命をささげます」というようなことを易々と言う。イエスさまは、そのようなことはペトロには無理である、ということを、あらかじめはっきりと見抜いておられたのです。そしてペトロに「今日、鶏が鳴くまでに三度、わたしを知らないと言うだろう」と予告されたのです。



このイエスさまの予告の言葉は、“ペトロの裏切りについての予告”と呼ぶべきでしょうか。ペトロもユダと同じような意味で“裏切った”と考えなければならないのでしょうか。そのとおり、ペトロも裏切り者である、と言わなければならない面もあると思いますが、そのような見方は、やや厳しすぎるという感じもしなくもありません。



わたしたちは、いつでも、どこでも、誰の前でも、このわたしはキリスト信者であり、松戸小金原教会のメンバーであり、毎週の礼拝に通っていますと語ることができているでしょうか。もしわたしたちにそれができているとするならば、それができなかったペトロは“裏切り者”と呼ぶべきかもしれません。



しかし、実際のペトロは、わたしたちの姿によく似ていると思います。いろいろと遠慮したり、配慮したりするゆえに言葉を濁す場面があります。それを語るや否や、ただちに論争に巻き込まれることがあらかじめ分かっているというような場面では、黙ってやり過ごすというようなことが、わたしたちにはありえます。もしそれが裏切りだというならば、ペトロは裏切り者です。



ペトロはイエスさまを裏切っていないとは、決して申しません。しかし、わたし自身は、ペトロのことを、ユダと同じ意味では、“裏切り者”と呼ぶことができません。



「イエスがそこを出て、いつものようにオリーブ山に行かれると、弟子たちも従った。いつもの場所に来ると、イエスは弟子たちに、『誘惑に陥らないように祈りなさい』と言われた。そして自分は、石を投げて届くほどの所に離れ、ひざまずいてこう祈られた。『父よ、御心なら、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、御心のままに行ってください。』〔すると、天使が天から現れて、イエスを力づけた。イエスは苦しみもだえ、いよいよ切に祈られた。汗が血の滴るように地面に落ちた。〕イエスが祈り終わって立ち上がり、弟子たちのところに戻って御覧になると、彼らは悲しみの果てに眠り込んでいた。『なぜ眠っているのか。誘惑に陥らぬよう、起きて祈っていなさい。』」



はたして、わたしたちは、「イエスさまは十字架の死を“喜んで”お受け入れになった」というふうに語ることができるでしょうか。それは無理であると思われます。なぜなら、イエスさまは、ここではっきりと「父よ、御心なら、この杯をわたしから取りのけてください」と祈っておられるからです。



もちろん、痛いのが嫌だとか、死にたくないとか、自分の命が惜しいとか、そのような次元のことを、おっしゃっているのではありません。しかし、わたしたちの場合には、そのような次元のことを考えたり語ったりすることは許されると思います。



死んでも構わないとか、自分の命は惜しくないというのは、たとえ本当にそう思ったとしても、あまり人前では言わないほうがよいです。周りの人々から、ただ心配されるだけです。どこかしら、やけっぱちで、投げやりな感じに響きます。死んでも構わないという言葉を聞くと、周りの人は「ああ、この人は死にたくないんだな」と考えるものです。



しかし、イエスさまの場合は全く異なります。イエスさまの御意志はただ一つ、父なる神の御心に忠実に従って生きること、そして、死ぬことです。



それでもなお、イエスさまにとって、父なる神さまに「取りのけてください」と願う杯がありました。それは何でしょうか。考えられることは、こうです。



愛する弟子の裏切りという道を通ってしか十字架への道にたどり着くことができない、という「神の御心」が、イエスさまにとっては、あまりにも耐え難いものだったのです。



(2006年10月1日、松戸小金原教会主日礼拝)



2006年9月24日日曜日

「仕える者のようになりなさい」

ルカによる福音書22・24~30



「また、使徒たちの間に、自分たちのうちでだれがいちばん偉いだろうか、という議論も起こった。」



議論「も」起こったとあります。なぜ「も」なのかと言いますと、前回の個所の最後に、ひとつめの議論が記されているからです。今日の個所の議論は、ふたつめです。



ひとつめの議論はイエスさまがお語りになったみことばに対する反応です。



イエスさまは、「見よ、わたしを裏切る者が、わたしと一緒に手を食卓に置いている」とおっしゃいました。もちろん、イエスさまが指摘しておられるのは、イスカリオテのユダの裏切りです。それに対して、弟子たちは、自分たちのうち、いったいだれがそんなことをしようとしているのかと、互いに議論をしはじめたのです。



弟子たちは、いつも一緒にいたはずのユダの裏切りに全く気づかず、だれが裏切るのだろうかと議論する。そのあまりの鈍感さは、深刻です。



最後の晩餐の席には、ユダ自身も座っていました。ところが、イエスさまは、御自身の目の前にいる裏切り者に対してもパンを取り、感謝の祈りを唱えて、それを裂いてお与えになり、またぶどう酒の杯をも同じようにしてお与えになりました。ユダは、イエスさまを裏切りました。しかし、そのユダをイエスさまは愛しておられたのです。



それが、ひとつめの議論の内容です。イエスさまを裏切るのはだれなのか。つまりそれは、最低(ワースト)の弟子はだれか、という議論であった、と言えるでしょう。



それに対して、今日の個所に記されている「自分たちのうちでだれがいちばん偉いか」という議論は、要するに、最低(ワースト)とは正反対の、いわば最高(ベスト)の弟子は誰なのかを競うものであった、と考えることができるはずです。



つまり、問題になっているのは、最低(ワースト)の弟子と最高(ベスト)の弟子は、それぞれ誰なのか、ということだと考えることができます。



十二使徒は全員男性でした。男だからどう、女だからどう、というようなことは、軽々しく言ってはならないと思いますし、一概なことは言えません。



しかし、わたし自身も男ですので、強いて言うならば、「男」というのは、なるほどそういうことに関心を持ちすぎる存在かもしれません。おれが上だ、あいつは下だ。順位、優劣、甲乙、上下というようなことが気になる。悲しいまでに、そういうことが気になる。



それが、強いて言えば、「男」かもしれません。



「そこで、イエスは言われた。『異邦人の間では、王が民を支配し、民の上に権力を振るう者が守護者と呼ばれている。しかし、あなたがたはそれではいけない。』」



イエスさまの教えは、はっきりしています。



男だけではないと思いますが、おれが上だ、あいつは下だ、というようなことばかりが気になり、相手を頭の上から押さえつけ、腕力・暴力・不当な政治力を用いてねじ伏せる。そういうことばかりに興味をもち、そのように実際に行動しはじめる人間の性(さが)に対して、イエスさまは、明確に反対なさいます。「あなたがたはそれではいけない」と。



「それではいけない」と言われている「あなたがた」の意味は、直接的にはイエスさまの十二人の使徒たちですが、もう少し広く言うならば、イエス・キリストを信じる信仰者すべて、すなわち、全キリスト者のことです。



わたしたちキリスト者は、「それではいけない」のです。たとえ冗談でも、そういうことを言ったり、考えたり、行ったりしてはなりません。そもそも、そういうのは冗談になりにくい態度です。洒落にならない。非常に嫌なムードです。



しかし、そういうことが気になるのは、いわば人間の性(さが)です。わたしたちの中から噴き出す激情のようなものです。関心を持つな、気にするな、と言っても、気になるものです。



だからこそ、わたしたちは、そのような思いを意識的に抑えつけなければなりません。意識的にあるいは自覚的に、まさにキリスト者である者たち、わたしたちは、腕力・暴力・不当な政治力を絶対に用いないと、心に誓わなければなりません。



「『あなたがたの中でいちばん偉い人は、いちばん若い者のようになり、上に立つ人は、仕える者のようになりなさい。食事の席に着く人と給仕する者とは、どちらが偉いか。食事の席に着く人ではないか。しかし、わたしはあなたがたの中で、いわば給仕する者である。』」



いちばん偉い人は、いちばん若い人のようになりなさい。上に立つ人は、仕える者(ディアコノーン=奉仕者、執事など)のようになりなさい。イエスさまの教えは、単純明快です。



しかし、このイエスさまの教えは、どうも、わたしたちの現実からかけ離れているように思える、という方がおられるかもしれません。



実際のところ、この教えを聞くわたしたちの心に浮かぶ思いは、こんなことを言っても世間では通用しないとか、うちの会社で言ったらみんなに笑われるとか、社外の人に馬鹿にされる、というようなことでしょう。わたし自身の中にはそのような思いは全くありませんというと、うそになります。



牧師たちの間でさえ、そのようなことが問題になることがあります。「あの先生は、昔は何々先生のかばん持ちだった」とか、そういう話を時々聞きます。



かばんくらい、自分で持てばよいではありませんか。自分で持ったからどうで、だれかに持たせたからどうだというのでしょうか。わたしは、その種の話が嫌いです。冗談としてでも聞きたくありません。



もちろん、身分制度というのは、国際社会の中には今でも厳然と残っているところがあります。わたしたち一個人の力で、その社会のルールを根本から変える、というようなことはできない場合もあると思います。



しかし、そういうのは、本当に嫌だと感じること、憎むこと、少なくとも心の中で抵抗し続けることが重要です。



古い話ですが、「わたし食べる人、あなた作る人」というCMがあったことを、わたしはよく覚えています(一応そういう世代です)。



どちらのほうが偉いかというと、イエスさまは「食べる人」のほうが偉いと言われているわけです。そんなことを言うと今では激しく怒られると思いますが、イエスさま御自身の意図は反対です。イエスさまは、そこで腹が立つ人々の側に、立っておられます。イエスさまは、作る人であり、また給仕する人の側にお立ちになります。



しかも、それは、わざとらしい謙遜や、ぎこちないポーズや、いやらしいパフォーマンスではありません。何のためらいも、恥じらいもない。苦笑いや、照れ笑いもない。全く自然で、自由で、スムーズな振る舞いとして、人に仕えることができる。奉仕者として振舞うことができる。それがイエスさまです。



しかし、それはまた、イエスさまだけがそうであればよい、という話ではなく、イエスさまの命令として、あなたがた自身が「仕える者のようになりなさい」と語られているのですから、他人事ではなく、わたしたち自身が、イエスさまと同じように「仕える者」にならなくてはならないのです。



わたしは、今日、皆さんにこの話をしました。ですから、ここにいるわたしたちは全員、イエスさまから、この話を聞きました。聞いたことがない、知らなかったと言える人は、ここにはいません。わたしたち全員が「仕える者」になることを、決心し、約束しなくてはならないのです。



わたしが思うことは、その教会に初めて来られた人々が、ここの教会はとても雰囲気がよい、と感じる要素が、もしどこかにあるとしたら、おそらく間違いなく、このあたりのことが問題になっているはずだ、ということです。



無理やりねじ伏せようとする力が働いているような教会は、だれでも嫌でしょう。そういうのは、すぐに分かりますし、動物的直感が働きますし、わたしたちの心の危険信号が鳴り出すものです。



家庭生活、夫婦生活も同じです。会社も社会も、じつは同じです。



わたしたちの心の危険信号は、常に、鳴りっぱなしです!



仕える者として生きること、互いに仕えあうことは、安心で安全な生活を目指す道でもあるのです。



(2006年9月24日、松戸小金原教会主日礼拝)



2006年9月17日日曜日

「神の国で過越が成し遂げられるまで」

「過越の小羊を屠るべき除酵祭の日が来た。イエスはペトロとヨハネとを使いに出そうとして、『行って過越の食事ができるように準備しなさい』と言われた。二人が、『どこに用意いたしましょうか』と言うと、イエスは言われた。『都に入ると、水がめを運んでいる男に出会う。その人が入る家までついて行き、家の主人にはこう言いなさい。「先生が、『弟子たちと一緒に過越の食事をする部屋はどこか』とあなたに言っています。」すると、席の整った二階の広間を見せてくれるから、そこに準備をしておきなさい。』二人が行ってみると、イエスが言われたとおりだったので、過越の食事を準備した。時刻になったので、イエスは食事の席に着かれたが、使徒たちも一緒だった。イエスは言われた。『苦しみを受ける前に、あなたがたと共にこの過越の食事をしたいと、わたしは切に願っていた。言っておくが、神の国で過越が成し遂げられるまで、わたしは決してこの過越の食事をとることはない。』そして、イエスは杯を取り上げ、感謝の祈りを唱えてから言われた。『これを取り、互いに回して飲みなさい。言っておくが、神の国が来るまで、わたしは今後ぶどうの実から作ったものを飲むことは決してあるまい。』それから、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えて、それを裂き、使徒たちに与えて言われた。『これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい。』食事を終えてから、杯も同じようにして言われた。『この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である。しかし、見よ、わたしを裏切る者が、わたしと一緒に手を食卓に置いている。人の子は、定められたとおり去って行く。だが、人の子を裏切るその者は不幸だ。』そこで使徒たちは、自分たちのうち、いったいだれが、そんなことをしようとしているのかと互いに議論をし始めた。」



今日の個所には、イエスさまが十字架につけられる前の夜に、弟子たちと一緒に最後の食事をされた、かのいわゆる「最後の晩餐」の場面が描かれています。この「最後の晩餐」が、旧約聖書に定められている過越祭の食事だったことは、今日の個所を見るかぎり明らかです。



過越祭については、かなり大雑把ですが、次のように説明することができます。昔、イスラエルの民が、奴隷にされていたエジプトの地から脱出し、約束の地カナンを目指して旅をすることになりました。その彼らがエジプトを出る直前、旅支度の腹ごしらえをするため、大急ぎで羊の肉を焼いて食べ、また酵母を入れないパンを、苦菜を添えて食べ、それから出かけました。その食事を、家族みんなで、「腰帯を締め、靴を履き、杖を手にして、急いで食べ」ました(出エジプト記12・11)。



この故事を思い起こし、記念とするための祭が、過越祭です。



エジプトの地、奴隷の家からの脱出と解放、それはこのわたしたちのまことの主なる神御自身による救いのみわざであると、彼らは信じました。過越の食事は、神の救いのみわざを記念するための、お祝いの席なのです。



その祝いの席、喜びの食卓を、今こそ囲みたい。愛する弟子たちと共に、過越の食卓、神の救いの喜びの食卓を囲みたいと、イエスさまは願われています。皆さんに考えてみていただきたいのは、この「時」は、イエスさまにとって、どのような「時」なのかということです。



イエスさまは、明らかに、わたしの死の日は近いということを、はっきりと自覚しておられます。イエスさまは、ルカ福音書においては今日の個所までに少なくとも三度、御自身の死を予告しておられます(ルカ9・22、17・25、18・32)。



また、イエスさまはエルサレムにおられるわけですが、そもそもエルサレムに上られる決意をなさったのは、天に上げられる時期が近づいたことを自覚なさったからです(ルカ9・51)。



御自身の死の覚悟をもってエルサレムに上られたイエスさまが、その覚悟が単なる推測や予測ではなく、まさに現実となる、まもなくそうなる、ということを、はっきりと確信しておられる。それが、今日のこの場面の「時」です。



実際、まさにこの時、イエスさまを殺す計画が、祭司長や律法学者や神殿守衛長たちによって進められていました。また、あろうことか、イエスさまの十二人の弟子の一人、イスカリオテのユダまで参加することになりました。ユダはイエスさまを全く裏切ることになりました。ユダは裏切り者です。そのことを、イエスさまはよくご存じでした。



「ユダが裏切ることをイエスさまはなぜ分かったのだろう」と疑問に思うでしょうか。わたしたちにだって、こういうことは少しくらいは分かると思います。子どもたちは、こういうことに敏感です。「この人は僕のことを好きじゃない。心の中では、別のことを考えている」。そういうことを、子どもは直感的に見抜きます。イエスさまがユダの心の中を全く知らなかった、というようなことは、全くありそうもない話です。



ユダが裏切る前から、ユダヤ教の指導者たちの側に、イエスさまの殺害計画があった、と考えるのが自然でしょう。しかし、イエスさまが逮捕され、不当な裁判を受け、十字架にかけられるという一連の出来事の直接的なきっかけを用意したのは、ユダです。ユダの責任は重大です。ユダは裏切り者ではない、というような説明は、全く成り立ちません。



いずれにせよ、イエスさまは、ユダの裏切りをご存じであり、それゆえにまた御自身の死の日が目前に迫っているということを、はっきり自覚しておられます。だからこそというべきでしょう、イエスさまは、御自身の死の日が目前に迫っているということを、はっきりと自覚されたゆえに、まさに今こそ、過越の食卓、すなわち神の救いの喜びの食卓を、愛する弟子たちと共に囲みたいと願っておられるのです。



それが意味することは、明白です。まことの救い主イエス・キリストの死は、神の救いのみわざそのものであるがゆえに、御自身の死に際しては、喜びの席を囲むことこそがふさわしい、ということを、イエスさまは確信しておられるのです。



ここに、たいへん興味深い、また何となく不思議な話が出てきます。イエスさまは、御自身が願われた最後の晩餐としての過越の食卓を囲むための場所を確保する、という仕事を、二人の弟子たちに任せました。



ところが、その際イエスさまは、なんとも不思議な指令を出しておられます。どこが不思議でしょうか。いくつか、指摘しておきます。



第一は、「都に入ると、水がめを運んでいる男に出会う」とありますが、当時のユダヤ人の男性が水がめを運ぶことはほとんどなかった、という点です。男性は皮袋を運ぶのであり、水がめは女性が運ぶということが当時の常識だったのです。ですから、「水がめを運ぶ男」に出会うというのは、通常ありえないことだったのです。



第二は、今申し上げた第一の点に直接関係あることです。水がめを運ぶ男は、ユダヤ社会の中では通常は、めったに見かけない。しかし、もしそういうことをしている人がエルサレムの町の中を歩いているとしたら、非常に目立つ存在でありうるという点です。



これがなぜ不思議かと言いますと、考えてみていただくとすぐにお分かりいただけると思います。それは、町の中で目立つ人の後ろについていくことは、そのついていく人自身も目立つということです。人々の注目の的になる、ということです。



しかし、気になることは、今この時点で、イエスさまの弟子たちが、町の中で目立っては困るだろう、ということです。



祭司長や律法学者たちが、イエスさまを探しています。彼らは、ユダにわざわざお金を払ってでも、イエスさまの居場所を突き止めようとしていたわけです。目立つ人についていき、その人に過越の食卓を囲むための部屋を教えてもらう、ということは、イエスさまを殺すために逮捕したいと探し回っている人々に、イエスさまの居場所を、わざわざ教えているようなものです。なぜイエスさまは、そういうことを弟子たちにさせようとなさったのか。これが不思議な点です。



第三は、そもそもイエスさまは、水がめを運ぶ男がエルサレムの町にいるとか、その人が部屋を教えてくれるというようなことを、どうしてご存じだったのか、という点も、しばしば疑問視されるところです。



そしてまた、その疑問に対して、いくつかの答えが用意されてきました。



第一の答えは、イエスさまは神の御子なのだから、すべてのことはお見通しなのだ、というものでしょう。



第二の答えは、イエスさまはエルサレムの町を、あらかじめ下調べしておられたのだ、というものでしょう。



第三の答えは、当時のユダヤの社会には、過越祭のときにはだれでも、自分の家の二階の部屋を、エルサレム神殿の参拝客たちのために可能なかぎり開放して、宿泊や休憩に使わせてあげなければならないルールになっていたのだ、というものでしょう。それゆえに、イエスさまは、その人の家で、過越の食事をなさったのだ、と話は続きます。



私自身ははっきりした答えを持っているわけではありません。いろいろな本を調べて紹介するくらいしかできません。興味深かったのは、わたしが最も尊敬している改革派神学者アーノルト・A. ファン・ルーラーの解説です(※)。



(※ただし、ファン・ルーラーの解説は、ルカ福音書のものではなく、マルコ福音書の平行記事に関するのそれです。A. A. van Ruler, Marcus 14, Kok-Kampen 1971, p.44-47.)。



ファン・ルーラーが書いていたことは、今ご紹介した三つの答えの中で言えば、第三の答えに最も近いものです。



ファン・ルーラーによりますと、このエルサレムの街中を歩く水がめをもった目立つ男は、エルサレムに住む、イエスさまの公然とした、あるいは、隠れた支持者の一人であっただろう。また、その人は、おそらく金持ちで、位が高い人だっただろう、とのことです。つまり、イエスさまと弟子たちは、そのお金持ちの人の家のなかの広い部屋に宴席を借りたという解釈です。



ちなみに、ファン・ルーラーは、この解釈に基づいて、さらに話を発展させています。イエスさまという方は、貧しい人々のもとにも行かれるが、豊かな人々のもとにも行かれる。キリスト教は社会の最下層の人々によって始められただけではなく、すべての層の人々によって始められたものである。キリスト教は上流だ下流だというような区別をまったく採用しないものである、と語っています。



そしてファン・ルーラーは、このイエスさまの命令の意味を、三つ述べています。



第一は、「イエスさまの権威」という点です。イエスさまは権威あるお方として、弟子たちに部屋を探すようにお命じになったし、また、水がめの男にも間接的に部屋を探すように命令しておられる、ということです。



権威とか命令というのは、今では嫌われる要素であるということをファン・ルーラーはよく知っています。しかし、救い主イエス・キリストは、主なる神御自身としての権威を持っておられる、という点は、聖書を理解するうえで重要です。



第二は、この命令の中で、イエスさまは、はっきりと御自身の死を意識しておられることがわかる、という点です。また御自身の死は、偶然起こったとか、予期せぬ出来事というようなものではなく、むしろそれは「まるで自分の手の中にあることのように、船のオールをイエスさま御自身がしっかり握っておられる」という点です。



イエスさまに、こそこそ隠れるお気持ちは、ありません。それどころか、目立つ人の後ろに堂々とついていきなさい、と言われているわけです。彼らを恐れる気持ちは、イエスさまの側には、全く見当たりません。



第三は、この命令においてまさに、イエスさまは、「死の道を前に進んでおられる」という点です。イエスさまは、御自身の死が人々の救いになることをはっきりと自覚しておられました。御自身の死こそが、全き現実の全き救いのために益になる、ということを、よくご存じでした。



今日は最後の晩餐の様子、そしてこのまさに最後の晩餐に由来して始まったとされるわたしたちキリスト教会が非常に重んじてきた聖餐式のことについて詳しくお話しする時間はありません。別の機会に譲りたいと思います。



しかし、最後に触れておきたいことは、イエスさまが「神の国で過越が成し遂げられるまでは、わたしは決してこの過越の食事をとることはない」とお語りになっている意味は何か、ということです。



ルカによる福音書においては、これからイエスさまが逮捕され、不当な裁判を受け、十字架にかけられて死ぬという出来事が続くことになります。とてもつらい場面が続きます。



それをこれから学んでいく中で、何度も繰り返して振り返り、立ち帰るであろうことは、まさにこの最後の晩餐でイエスさまがお語りになっていることです。すなわち、「神の国で過越が成し遂げられる」とはどういうことか、それはどのようにして起こるのか、という点です。



それははっきりしています。大切なことは、過越の食事とは、神の救いのみわざを喜ぶために囲む、お祝いの席である、という点です。



過越は、喜びの祝宴です。それが、神の国において祝われる、ということは、わたしたち人間にとっては最高の喜び、至高の喜び、まさに至福というものを体験するときである、ということです。



わたしたちに神の救いの喜びを味わわせてくださるために、またイエスさま御自身も復活と昇天、そして再臨においてわたしたちと共に神の国の完成を喜んでくださるために、イエスさまは、十字架の苦しみを耐え抜いてくださった。



わたしたちを喜ばせるために、御自身が苦しんでくださった。



神の国でみんなで喜ぶ日まで、わたし自身は喜びの席に着くことを“封印”する。



人を助けるため、救うために、命をささげる。



このことを、イエスさまは、弟子たちの前で約束されているのです。



イエスさまの十字架への決意とその意味を深く知り、イエスさまの死によってもたらされたわたしたちの救いの意味を、よく考えたいと思います。



(2006年9月17日、松戸小金原教会主日礼拝)



2006年9月3日日曜日

「いつも目を覚まして祈りなさい」

ルカによる福音書21・34~22・6



「『放縦や深酒や生活の煩いで、心が鈍くならないように注意しなさい。さもないと、その日が不意に罠のようにあなたがたを襲うことになる。その日は、地の表のあらゆる所に住む人々すべてに襲いかかるからである。しかし、あなたがたは、起ころうとしているすべてのことから逃れて、人の子の前に立つことができるように、いつも目を覚まして祈りなさい。』それからイエスは、日中は神殿の境内で教え、夜は出て行って『オリーブ畑』と呼ばれる山で過ごされた。民衆は皆、話を聞こうとして、神殿の境内にいるイエスのもとに朝早くから集まって来た。さて、過越祭と言われている除酵祭が近づいていた。祭司長たちや律法学者たちは、イエスを殺すにはどうしたらよいかと考えていた。彼らは民衆を恐れていたのである。しかし、十二人の中の一人で、イスカリオテと呼ばれるユダの中に、サタンが入った。ユダは祭司長たちや神殿守衛長たちのもとに行き、どのようにしてイエスを引き渡そうかと相談をもちかけた。彼らは喜び、ユダに金を与えることに決めた。ユダは承諾して、群集のいないときにイエスを引き渡そうと、良い機会をねらっていた。」



三つの段落を読みました。しかし、今日お話ししたいことは、一つのことです。最初の段落に記されているのは、21章の初めから続いてきたイエスさまの説教の、しめくくりの部分です。その中に書かれている次の御言葉に注目したいと思います。このように言われているのを見て、自分に関係があることだと感じて、ドキッとするという方がおられるのかどうかは、わたしには分かりません。



ここには「放縦や深酒や生活の煩いで」と、三つの言葉が並べられています。そして、このまさに三つの言葉で言い表されている三つの事柄によって、「心が鈍くならないように注意しなさい」と言われています。



しかし、どうでしょうか。ここで言われていることの中に気になることが、わたしには二つほどあります。



第一は、この三つの言葉が並べられているのは、興味深いことでもありますが、しかしまた、やや不思議なことでもある、という点です。



「放縦」と「深酒」は、ほとんど同じ内容の言い換えであると思われますので、二つが並べられていてもおかしくありません。ところが、そこにもう一つ、「生活の煩い」ということが並べられている。三つのことがまるで同じようなこととして扱われている。この点が、やや不思議です。



ここで「生活の煩い」とは、明らかに、「命のことで何を食べようか、体のことで何を着ようかと思い悩むな」(ルカ12・22、マタイ6・25)というあの有名なイエスさま御自身の御言葉において禁じられている事柄のことを指しています。



ですから、この「生活の煩い」という問題点に注意すること自体は、重要なことです。しかし、です。気になるのは、「生活の煩い」という問題と、「放縦と深酒」という問題が並行的に扱われていることです。このことに対して、やや不思議であるという感想を持つ人が出てきてもおかしくないだろう、と思うわけです。



気になることの第二は、「心が鈍くならないように注意しなさい」という言葉の意味が、なんとなくぼんやりしている、ということです。



おそらくこれは翻訳の問題という面が大きいように思います。「心が鈍くなる」というのは原文の直訳です。鈍感になるということでしょう。この訳自体が間違っているとはいえません。お酒を飲みすぎると周囲の物事に対して鈍感になる。そういう話でしたら、わりとよく分かる話です。



しかし、ここにもう一つ、先ほど触れました「生活の煩い」という要素が加えられます。「生活の煩い」によって「心が鈍くなる」。このつながりが、分かったようで分かりません。



わたしの語感からすればという面もありますが、自分の生活について思い煩うことは、心が鈍くなっているどころか、むしろ、かえって非常にピリピリとした、心が鋭くなっている状態なのではないか、と考えることもできるような気がします。



まとめますと、「放縦や深酒」によって鈍感になるということなら、まだ分かる。しかし、「生活の煩い」によって「心が鈍くなる」と言われると、わたしにはあまりぴんと来ない感じがする。これが、わたしが感じた疑問点です。



「放縦や深酒」と訳されている二つの言葉の原語的な意味を調べてみますと、たいへん面白いことが分かります。



「放縦」と訳されている言葉は、さらに二つの要素に分析できるようです。



酒を飲んで酔っ払って気持ちよくなるという要素と、翌日に味わう“二日酔い”の気持ち悪い要素の二つである、と言われています。



飲んでいるときの気持ちが高揚している状態と、翌日の気持ちが落ち込んでいる状態との両方の意味がある、ということです。



「深酒」と訳されている言葉は、意味自体はこのとおりでよいと思います。要するに、お酒を深く飲みすぎて、酩酊することです。



面白いのは、このギリシア語は「メテー」と言う、という点です。メテーとは酩酊(めーてー)である、ということです。



ですから、「放縦」と「深酒」は、原語では一応区別されていますが、ほとんど同じ意味です。お酒を飲むことに関係している言葉です。



これによって周囲の物事がよく見えなくなる、心が鈍感になるというのは、経験したことがある人なら、だれでも分かる話であると思います。



しかし、繰り返しますが、「生活の煩い」が「心が鈍くなること」の原因になると言われると、わたしには、ちょっと分かりにくさがあるように思われるのです。



こういうときは、やはり、辞書や注解書を丁寧に調べることが重要です。実際に調べてみました。それで、「なるほど」と理解しえたところをお話ししたいと思います。



分かったことは、ここで「放縦」と「深酒」と「生活の煩い」が並べられていることには意味がある、ということです。つまり、三つの事柄には、共通している要素がある、ということです。



どこが共通しているのでしょうか。これは非常に微妙な面があり、慎重にお話ししなければ誤解されるように思われますので、注解書の言葉をそのまま引用します。



この三つの事柄に共通していることについては、次のように書かれていました。



「それによって、人間が、現実をもはや見なくなり、幻想(イリュージョン)や作り話(フィクション)に拠り頼むようになる〔という点で、三つの事柄は共通している〕」(*)。



冗談じゃないと、お感じになる方がおられるかもしれません。「生活の煩い」は、現実を直視した結果ではないかと思われるかもしれません。しかし、ここでわたしたちは、少し冷静になって、よく考えてみる必要があります。



はっきり言いますと、イエスさまは、「放縦や深酒」と「生活の煩い」を同列のものとして扱われました。この点は非常に重要なことであると思われます。



そして、そのことを逆のほうから考えてみますと、イエスさまが禁じておられる「生活の煩い」の意味は、「放縦や深酒」と同じような意味、つまり現実から逃避するという意味合いを持ちはじめるかぎりにおいて禁じられているものである、ということにもなる、ということです。



つまり、別の言い方をしますと、イエスさまが禁じておられるのは、現実を直視した結果としての「生活の煩い」ではない、ということにもなります。その面の煩いは許されることであり、必要なことであると思われます。



しかし、ここでイエスさまがお伝えになろうとしていることは、「生活の煩い」の中には、現実を直視しない、むしろ現実から逃避することを目的としているような種類の「生活の煩い」もある、ということに気づかなければならない、ということです。



ここで、話をぐっと卑近な例に移します。わたしはそれが好きなほうなのですが、思い起こしていただきたいのは、あのカタログショッピングです。最近は紙のカタログだけではなく、テレビやインターネットでのカタログショッピングというのもあります。



あれには、非常に便利な面もありますが、同時にそこで陥る罠もあると思います。それは、言うまでもなく、カタログに見とれてしまう、あるいは魅入られてしまうということです。



それによって、それを見なければ感じなかったような新たな欲求を感じはじめてしまい、その結果として今の現実の生活に不満を感じるようになる、ということです。



カタログを見るまでは感じたことがなかったような不満が、それを見ることによって生じる。高額なものであろうと、どんどん新しいものが欲しくなる。



それが「生活の煩い」の原因になる、ということです。



「何を飲もうか」「何を着ようか」と思い煩うことのすべてが悪いと言われると、わたしたちは困ります。しかし、まさにカタログに見とれてしまうような仕方で、意識が現実を超えて高まってしまうところに至りますと、酒を飲んで酩酊状態であるのと変わりません。度が過ぎると、生活が破綻してしまうのです。



イエスさまの時代にカタログがあったとは思えません。しかしたとえば、ひとが持っているものを見てうらやましいと思い、それを手に入れたくなり、実際に手に入れてしまうというようなことは、当時でも間違いなくありえたことです。



飲酒による酩酊にたとえられるほどの現実逃避的な「生活の煩い」は、むさぼりの罪(第十戒!)へと限りなく接近している、ということです。



そして、まさにその結果として「心が鈍くなる」と、言われているわけです。ここまで来て、「生活の煩い」と「鈍感になること」との関係をどのように理解すべきかという点につながるわけです。



「心が鈍くなる」というこの新共同訳聖書の翻訳は、間違いとは言えませんが、かなりぼんやりしているものです。むしろ、文脈から読み取れる意図は、「心に負担がかかる」ということです。あるいは、「心に重圧がかかる」ということです。そのほうが、イエスさまの意図が、より明確になると思われます。



なぜなら、ここで言われている「放縦」と「深酒」と「生活の煩い」という三つの事柄の共通点である現実逃避という要素は、わたしたち人間が、その道を先へと進んでいけばいくほど、かえって、現実はわたしたちを追いかけ、さいなむものになる、つまり、心に負担ないし重圧がかかる、ということは、わたしたちすべてが体験済みのことだからです。



現実は、逃げれば逃げるほど、追いかけてきます。しかしまた、だからこそ、ますます深酒になる、ということが起こるのでしょう。現実を消し去るまで飲み続ける。しかし、現実は消えません。逃げることはできません。残るのは、二日酔いだけです。



また、「生活の煩い」には、現実逃避という面と同時に、自分の殻に引きこもるという面があることも否定できません。わたしが生活上感じている苦しみや煩いは、だれにも理解できないほどに大きいと、それぞれ皆が感じているのです。



「それならば、どうすればよいのか」という問いに対する答えは、ものすごく単純なものです。



第一は、逃げるのをやめる、ということです。逃げるから追いかけてくるのです。立ち止まって、振り返って、現実に向き合い、それを直視し、現実に対して誠実に取り組む、ということです。こつこつと、地道に、今日なすべきことを今日取り組む、という仕方で、そうすることが大切です。



第二は、苦しいのは自分だけではないということに気づくことです。わたしと同じ悩みを持っている人は他にもいる、ということを知るだけで、けっこう気持ちが落ち着くものです。



そして第三に、です。この問題の真の解決のためにイエスさま御自身が教えておられるのが、「いつも目を覚まして祈りなさい」ということである、と気づくことです。



ここで語られている、不意の罠のように襲いかかってくる「その日」とは、終末論的な概念です。今日は、その意味を詳しく説明する時間がもうありません。



ただ一言だけ申し上げておきたいことは、終末について考えることは現実逃避ではなく、むしろ逆であるということです。世界の終わりを考え抜くことは、世界の現実と向き合うことと同義語である、ということです。



終末を教える宗教はとかく現実逃避的である、と論評されることがありますが、わたしたちの場合は逆です。わたしたち(改革派教会)の終末論は、きわめて現実的なものです。



もちろん、終末について考えることは恐ろしいことでもあります。しかし、だからこそ、わたしたちには、宗教が必要なのです。宗教なしには、恐ろしすぎて、とても耐えられるものではないのです。世界の終末的現実に向き合うことができるようになるためにこそ、「神に祈る」という要素が必要なのです。



「目を覚まして」というのは酩酊状態の反対です。毎日徹夜でとか、不眠不休で、という意味ではありません。酒を一滴も口にしてはならない、という話でもありません。



イエスさまが教えておられるのは、“非陶酔的に祈ること”の大切さです。すなわちそれは、冷静で落ち着いた判断のもとに生きていくこと、そしてその中で「神に祈る」という生活を続けることにおいて現実に向き合うこと、そのことが大切であるということです。



そしてもう一つの点、第四の点に少しだけ触れておきます。それは今日お読みしました最後の(第三の)段落の記述に関係することです。それは、イスカリオテのユダの裏切りの場面です。



このことから学びうることは、世の中には、このような裏話、裏取引はいくらでもある、ということです。こういうことが実際になされていることに驚くべきではありません。



だからこそ、というべきです。わたしたちが考えなければならないことは、「放縦や深酒や生活の煩い」によってわたしたち自身が現実から逃避している間に、この種の裏取引がどんどん先に進んでしまっているかもしれない。事態は急速に悪化しているかもしれない、ということに敏感でなければならない、ということです。



冷静であること、非陶酔的な狂いのない目で、現実を見抜くこと。そして、祈ること。イエスさまは、その道をお選びになりました。また、その道こそが、イエス・キリストの背負われた十字架の道です。



ゴルゴタの丘の上で、両手両足に釘をさされることもいとわなかった。あのわたしたちの救い主イエス・キリストの十字架の道は「現実から逃げない」道です。少しも酩酊していない、きわめて冷静で、非陶酔的な御判断の中で、イエスさまは、御自身の道を進んでいかれました。



わたしたちも、(大変とは思いますが!)、イエスさまがお選びになったのと同じ道を、選ぶべきです。



(2006年9月3日、松戸小金原教会主日礼拝)



*’waardoor mensen de werkelijkheid niet meer kunnen zien en zich optrekken aan illuisies of ficties.’(J. T. Nielsen, Het evangelie naar lucas II, PNT, 1983, p. 177)





2006年8月25日金曜日

ファン・ルーラーのソフィスト批判

以下は、20世紀のオランダ改革派教会の牧師・神学者、アーノルト・A. ファン・ルーラー[1908-1970]の言葉です。



(原文)
Zij is theologie en geen theosofie. Dit 'logische' is wel te onderscheiden van het 'sofische'. Het 'logische' is nuchter en diep. Het 'sofische' is wel diepzinnig, maar altijd ook enigermate zwoel.
(A. A. van Ruler, Theologisch werk deel 1, p. 40.)



(試訳)
「それは神学(テオロヒー)であって、神智学(テオソフィー)ではない。“ロゴス的なもの”(論理性)は“ソフィア的なもの”(知性)から区別される。“論理性”は非陶酔的であり、かつ深い。“知性”もまた深遠ではある。しかしそれは、いつもどこかしら鬱陶しいものである。」
(ファン・ルーラー『神学著作集』第一巻、40ページ)



わたしがとくに度肝を抜かれたのは、最後の言葉です。'sofische' is...altijd ook enigermate zwoel.「ソフィア的なものは、どこかしらウザい」(!)。



けだし名言、と思いました。



ファン・ルーラーがいかに「神学的ソフィスト(詭弁家)たち」の存在を唾棄すべきものと考えていたかを垣間見る思いです。



われわれは、ソフィストの集まりにならないよう、お互いに自戒したいものです。



神学は「教会の学」であり、われわれが仕えるべきは「教会」です。この点でファン・ルーラーは、カール・バルトと完全に一致しています。



上記の名言が記されているのと同じ論文の中で、ファン・ルーラーは次のように書いています。



(原文)
Het (=presbyteriaal-synodale systeem) verhindert de vakmatige theologie, te overheersen in de regering en zo in het leven van de kerk. De theologie van de dienaren van het Woord wordt in evenwicht gehouden en binnen haar grenzen gewezen door de (pneumatische) menselijkheid van de ouderlingen en de diakenen. Dit evenwicht van theologische reflectie en praktijk van de vroomheid is een typisch moment in het werk van de Heilige Geest.
(A. A. van Ruler, ibid., p. 10.)



(試訳)
「長老主義は、“専門家の神学”(vakmatige theologie)というものが教会政治を支配し、それゆえまた、そういうものが教会生活〔または「教会の生命」〕を支配してしまうことを阻止するのである。“御言葉に仕える者たちの神学”(theologie van de dienaren van het Woord)は、長老と執事の(霊的)人間性によってバランスが保たれ、節度を守るのである。神学的考察と信仰的実践〔または「敬虔の修練」〕とのこのバランスこそが、聖霊のみわざの特徴なのである。」
(同上書、10ページ)



わたしは、つい最近まで、「教会の牧師の仕事」と「研究や翻訳などの仕事」は両立できない(時間的にも、肉体的にも、技術的にも)と感じていました。



そして、だからこそ、「神学の専門家」は必要であるし、われわれ牧師たちと彼らは分業すべきであると考えていました。



しかし、わたしは、上記のファン・ルーラーの言葉に接して、考えを変えることにしました。そして、今では以下のように確信しています。



(Q1)「神学の専門家」は、教会に仕えなくてよいか。



答えはノーです。



(Q2)(少なくとも毎日曜日に)教会に通わない「神学の専門家」などが、存在しえてよいか。



答えはノーです。



(Q3)教会の何らかの役職(教師、長老、執事、神学教師など)に就いていないため、教会の仕事において“忙しくない”ような「神学の専門家」などは、ありうるか。



答えはノーです。



(Q4)「教会的実践(イザコザ含む)に煩わされることなく、神学研究だけに没頭していてもよい人」は、存在しうるか。



答えはノーです。



(Q5)「教会的職務遂行」と「神学研究」の分業は可能か。



答えはノーです!



2006年8月20日日曜日

「わたしの言葉は滅びない」

ルカによる福音書21・20~33



「『エルサレムが軍隊に囲まれるのを見たら、その滅亡が近づいたことを悟りなさい。そのとき、ユダヤにいる人々は山に逃げなさい。都の中にいる人々は、そこから立ち退きなさい。田舎にいる人々は都に入ってはならない。書かれていることがことごとく実現する報復の日だからである。それらの日には、身重の女と乳飲み子を持つ女は不幸だ。この地には大きな苦しみがあり、この民には神の怒りが下るからである。人々は剣の刃に倒れ、捕虜となってあらゆる国に連れて行かれる。異邦人の時代が完了するまで、エルサレムは異邦人に踏み荒らされる。』」



ここでイエスさまは、とても恐ろしいことをお話しになっています。エルサレムの滅亡が起こる、という話です。



そこには、もちろん、エルサレム神殿の崩壊という点も含まれます。軍隊が押し寄せてくる。そしてエルサレムの町が全滅する。神殿も全滅する。そのようなことが現実となる。まさに大きな戦争が始まる、ということです。



実際にそれは起こりました。イエスさまの話は、空想の話でも仮定の話でもありません。西暦70年、ユダヤの国とローマ帝国との間に大きな戦争が起こり、エルサレムの町は全滅し、神殿も破壊され、ユダヤ人たちは国土を失い、世界の各地に散らされることになりました。



これに対し、今日の個所に記されているイエスさまの御言葉が語られたのは西暦30年代であると考えられます。約40年間の隔たりがあります。つまり、イエスさまは約40年前に大きな戦争の始まりを予言しておられた、と理解することができます。



しかも、重要なことは、イエスさまが予言しておられるのがこのユダヤの国は負けるという点である、ということです。



このときイエスさまは、目の前にいるユダヤ人の姿をご覧になり、また目の前のエルサレム神殿の様子をご覧になって、この国の政治と宗教は甚だしく弱体化している、ということを見抜いておられたに違いありません。この国は戦争に負ける、と見ておられるのです。



だからこそ、と言ってよいでしょう、たいへん興味深いことでもあるのは、イエスさまがここで最も強調されているのが「逃げなさい」という点であるということです。



イエスさまは、少なくともこの個所では「逃げずに闘いなさい。戦闘に参加しなさい。徹底的に抵抗しなさい」というふうには、お語りになりませんでした。むしろ逃げることをお勧めになりました。



はたしてわたしたちは、この個所をイエスさまの非暴力主義の根拠にできるでしょうか。できるかもしれません。しかし、もう一つ考えられることは、ユダヤ人に対して「それは勝ち目のない闘いである」ということを教えようとされているという意味で、負けを認めなさい、と勧めておられるようにも読めるように思われてなりません。



「書かれていることがことごとく実現する報復の日」という言葉の意味を説明するのは難しいことです。それは、これから起こる戦争は聖書の中で昔から予言されてきたことであるということでしょう。その予言が成就するという仕方で戦争が起こるというわけです。



ただし、戦争の責任を神に押しつけることはできません。人類が神の戒めに背き、罪を犯すことによって、自分の身に裁きを招いたのです。それが戦争です。自分勝手に生き、自分を傷つけ、人を怒らせ、社会を混乱させ、滅びを招くのは、すべて人間の責任です。



しかしまた、同時に考えなければならないことは、戦争には相手がある、という点です。自分のほうから仕掛けなくても、相手のほうから仕掛けられることがある、という点です。その場合は、戦争の責任はすべてこのわたしにあると、言うべきではありません。



しかし、です。問題は、戦争全体の中で、とくに戦うすべを持たない一般市民はどうすればよいか、です。なるほど、逃げるほかはないのです。



先週わたしは、イエスさまが戦争について「こういうことがまず起こるに決まっている」(21・9)とお語りになることにおいて、やや傍観者然として立っておられるように見える、と申し上げました。



しかし、そのことをわたしは、悪い意味ではなく良い意味でとらえたいと願いました。イエスさまは、戦争を始めるかどうかを決める国家元首のような立場にではなく、その人々によって始められた戦争に巻き込まれることにおいて実際の苦しみを体験するところの、無力な一般市民の立場に立っておられる、と理解してよい、と申し上げたつもりです。



この点から考えていくならば、今日の個所でイエスさまが「逃げなさい」というまさにこの点を強調しておられる意味が、よく分かるのではないでしょうか。



実際に一般市民にできることは、ただ逃げることだけです。それでよいのです。



「身重の女と乳飲み子を持つ女は不幸だ」という点も、ここにかかわると思われます。戦火の中で逃げてよいし、逃げなければならない、そのような場面にあって、最もつらい立場にあるのが、妊婦や赤ちゃん連れのお母さんです。



「不幸だ」というのは冷たい言葉のように響いてしまうかもしれませんが、イエスさまの意図は逆であると思います。可哀想であるということです。イエスさまは、真の弱者の立場に立っておられます。小さな子どもとお母さん(お父さん)のことを、本当に心から心配し、同情し、理解してくださっているのです。



「『それから、太陽と月と星に徴が現れる。地上では海がどよめき荒れ狂うので、諸国の民は、なすすべを知らず、不安に陥る。人々は、この世界に何が起こるのかとおびえ、恐ろしさのあまり気を失うだろう。天体が揺り動かされるからである。そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。このようなことが起こり始めたら、身を起こして頭を上げなさい。あなたがたの解放の時が近いからだ。』」



イエスさまは、終末的な天変地異についても、語っておられます。太陽、月、星、海、そして天体が、どうにかなるというわけです。



それらのものは、人間の手でどうこうすることができるものではありません。人間の手で荒れ狂わしたり揺り動かしたりすることができるわけではなく、また実際に荒れ狂ったもの、揺れ動いているものを穏やかにし、静かにさせることが、人間の手ではできないものです。だからこそ、そこには人間を超えた力、神の力が働いていると信じられてきたし、わたしたちもそのように信じてよいのです。



しかしまた、だからこそ、人々はおびえもするというわけです。実際、わたしたちは、人間の手でコントロールできないものに、恐怖を感じます。「気を失う」とさえ語られています。恐怖のあまり失神する、ということです。



しかし、イエスさまが勧めておられるのは、「おびえてはならない」(21・9)ということでした。「世の終わりはすぐには来ない」(同)と言われていました。



ここで考えてみたいのは、イエスさまは、なぜ「おびえてはならない」とおっしゃっているのか、また「世の終わりはすぐには来ない」と断言しておられるのか、という点です。



その理由について、先週の個所には何も書かれていません。今日の個所にもはっきりとは書かれていません。しかし思い当たることがないわけではありません。それは、イエスさまが「世」と言われ、また「太陽、月、星、海、天体」と言われているものは、いずれにせよ、イエスさまにとっては間違いなく、父なる神の“被造物”である、という点です。



被造物の意味は「神が造られたもの」です。それは、神の作品です。しかも、きわめて傑作品です。主なる神は、この世界をお造りになったとき、「見よ、それは極めて良かった」(創世記1・31)とお語りになったのです!



それの“終わり”は「すぐには来ない」というイエスさまの御言葉の意図はどこにあるのでしょうか。その意図の一つとして思い当たることは、「神が造られたものは、そんなに簡単に壊れたり“終わったり”はしないので、信頼しなさい」ということに他なりません。この世界は神さまがお造りになったものであるゆえに、信頼してよい、ということです。



この点は、わたしたち改革派教会が長年強調してきた、“創造論”の主張でもあります。わたしたちが生きているこの世界は、神の作品であるがゆえに信頼してよいものである、ということです。



また、同じことを別の角度から言えば、この世界を終わらせるのは、自然の力でも悪魔の力でもなく、これをお造りになった神御自身の力による、ということです。神がお造りになったものだから、神が終わらせる。この世界を支配しているのは、神の力なのです。



それは、神以外の何ものかによってこの世界が無理やり終わらされることはありえない、ということでもあります。そのため、神を信じることにおいて、神がお造りになったこの世界をも信頼してよいのです。「世の終わりはすぐには来ない」。これこそが、イエスさま御自身の御言葉の前提であり、またわたしたち自身の信仰です。



現代社会に生きるわたしたちは、どうしても科学的な考え方をしてしまいます。まさにあの相対性理論に基づいて、この地球も宇宙も、すべては相対的な存在であるがゆえに、そこには必ず限界というものがあって、いつか破壊される、消滅する、というようなことを、わりと簡単に受け入れてしまうところがあります。



戦争が起こる。天変地異が起こる。ああ何もかも終わりだ。「日本は沈没する」と考えてしまう。しかも、こういう絶望感と聖書的終末論とを一緒くたにされてしまうとき、事態は非常に厄介なものになります。



わたしたちが信じていることは、その終わりは神がもたらすものである、という点です。この点が、他の人々とはおそらく決定的に異なるところです。



そしてまた同時に、わたしたちは、この世界に終わりをもたらす神御自身は、愛と憐れみに満ちた方である、と信じるのです。イエスさまが「そのとき人の子が・・・雲に乗って来る」と言われ、また「あなたがたの解放の時が近い」と言われているのは、まさにこの点にかかわります。終末とは、破壊と滅亡のときではなく、真の救い主イエス・キリストがこの地上に再び来てくださるときであり、この世界とこの人類のまさに解放(救い!)のときである、ということです。



「『それから、イエスはたとえを話された。「いちじくの木や、ほかのすべての木を見なさい。葉が出始めると、それを見て、既に夏の近づいたことがおのずと分かる。それと同じように、あなたがたは、これらのことが起こるのを見たら、神の国が近づいていると悟りなさい。」』」



このたとえにおいてイエスさまが触れておられるのは、「終末の到来」を認識するための徴(しるし)の問題です。



しかし、注目していただきたいのは、この徴は「神の国が近づいている」ということを知るための徴である、ということです。つまり、「終末の到来」とはすなわち、まさにそのまま「神の国の到来」を意味している、ということに他なりません。



神の国とはわたしたちの救いの現実です。わたしたちが救われて生きるところが神の国です。その神の国が終末において、究極的に実現し、具現化される。それが終末の意味であり、神の国の意味である。それがイエスさまの教えであり、わたしたちの信仰なのです。



「『はっきり言っておく。すべてのことが起こるまでは、この時代は決して滅びない。天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。』」



たしかにイエスさまは「天地は滅びる」ということを認めておられます。しかしそれは相対性理論ではありません。神の御心と人間の罪が、天地に終わりをもたらすのです。



そして、その只中で、救いの出来事が起こるのです。



イエス・キリストの御言葉は、決して滅びません。



その御言葉が、この世界全体に響きわたる。



それを聞いて信じるものたちは、すべて救われるのです!



(2006年8月20日、松戸小金原教会主日礼拝)



2006年8月13日日曜日

「命をかち取りなさい」

ルカによる福音書21・7~19



「そこで、彼らはイエスに尋ねた。『先生、では、そのことはいつ起こるのですか。また、そのことが起こるときには、どんな徴があるのですか。』イエスは言われた。『惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名乗る者が大勢現れ、「わたしがそれだ」とか、「時が近づいた」とか言うが、ついて行ってはならない。戦争とか暴動のことを聞いても、おびえてはならない。こういうことがまず起こるに決まっているが、世の終わりはすぐには来ないからである。そして更に、言われた。『民は民に、国は国に敵対して立ち上がる。そして、大きな地震があり、方々に飢饉や疫病が起こり、恐ろしい現象や著しい徴が天に現れる。しかし、これらのことがすべて起こる前に、人々はあなたがたに手を下して迫害し、会堂や牢に引き渡し、わたしの名のために王や総督の前に引っ張って行く。それはあなたがたにとって証しをする機会となる。だから、前もって弁明の準備をするまいと、心に決めなさい。どんな反対者でも、対抗も反論もできないような言葉と知恵を、わたしがあなたがたに授けるからである。あなたがたは親、兄弟、親族、友人にまで裏切られる。中には殺される者もいる。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。しかし、あなたがたの髪の毛の一本も決してなくならない。忍耐によって、あなたがたは命をかち取りなさい。』」



前回の個所でイエスさまがおっしゃられたことを、思い起こしましょう。



イエスさまは、エルサレム神殿という巨大で壮麗な建物を前に見とれていた人々に「あなたがたはこれらの物に見とれているが、一つの石も崩されずに他の石の上に残ることのない日が来る」とおっしゃいました。要するに、この建物はいつか必ず壊れますと語られたのです。



自然的な風化の話ではありません。人間の罪と愚かさがそれを破壊するという話です。つまり戦争が起こるということです。戦争によってエルサレム神殿が破壊される。神を礼拝するための建物が無くなる、ということです。



しかし、そのような話をいきなり聞かされた人々は、びっくりしたに違いありません。



そして、当然の関心として、そのような戦争はいつ起こるのか、また、それが起こるときには何かの前触れ、ないし徴候があるのか、とイエスさまに問うていることは、無理もないことです。素朴な疑問であると言えるでしょう。



イエスさまのお答えは、人々の素朴な疑問に対してダイレクトに、あるいはストレートにお答えになっているものであるとは必ずしも言えません。はぐらかしておられるわけではありません。しかし、「いつ起こるか」という問いに対しても、「その徴は何か」という問いに対しても、直接対応する答えは語られていません。



直接お答えにならないかわりに、イエスさまが強調しておられるのは、「ついて行ってはならない」「おびえてはならない」「惑わされてはならない」という点です。



戦争と聞くと、もうこれで終わりだ、お先真っ暗だと、全く絶望してしまう人々が必ず出てくるわけです。



あるいは、おびえる。善良な顔やかたちをもって、人々に近づいてくる。そこで宗教を持ち出す人々によって事態がますます混乱する。



そのような状況の中でイエスさまが人々に勧めるのは、動じない態度をとることです。



さて、ここには、わたしにとって、ちょっと気になる言葉が書かれています。その点に触れておきたいと思います。それは、イエスさまが戦争のようなことについて「起こるに決まっている」という言い方をされている点です。



わたしが感じている疑問は、なんとなく表現しづらいことなのですが、要するに、「起こるに決まっている」という言葉には、やや傍観者的な響きがある、ということです。



他人事のようだと言いたいわけではありません。危機意識は明白です。しかし、なんとなく成り行き任せ的というか、たとえば、それを止めようとする意思のようなものが表明されていないと感じます。「そういうことは起こるに決まっている」というのは、だれにも止められない、わたしにも止められない、と言っておられるかのようです。



わたしがイエスさまのこのお言葉の中に感じるのは、一種の無力感です。それは起こる。だれにも、どうすることも、できない。何かそのような響きを感じるのです。



しかし、わたしはそのようなイエスさまのお言葉が持つ響きに対して、残念だと思っているわけではありません。



むしろ、こういうことを感じます。イエスさまは、このわたしといわば同じ立場におられるということです。



昔から、戦争を始めるかどうかを決めるのは、その国の元首のような存在です。しかし、イエスさまは、その立場にはおられない、ということです。



イエスさまが立っておられるのは、国家元首の決断、あるいは独断によって開始されてしまった戦争の最中に引きずり込まれ、苦労し、傷つく国民の側です。



イエスさまは、国家の権力者がおっぱじめてしまった戦争状態の中で悲惨な目に会う人々の側に全く立ってくださるお方なのです。



他方、イエスさまは、「その徴は何か」という問いのほうには比較的きちんと答えておられます。



地震、飢饉、疫病、恐ろしい現象、そして「著しい徴」とあります。ここで数え上げられているさまざまな天変地異自体が「徴」であると考えてよいでしょう。



「徴」は、神のみわざとして理解されます。しかしまた、それらの中には、人間の側に責任がないとは言いきれないものもあるという点については、いくらか考えておく必要があるかもしれません。



たとえば、地震について人間の責任を問われても困る、と言われるかもしれませんが、常軌を逸した掘削や自然破壊が地震の原因になる場合もあるでしょう。



飢饉はどうか。これも自然災害であるといえば全くそのとおりです。しかし、旧約聖書の例(創世記のヨセフ物語)にあるように、飢饉が起こる可能性をあらかじめ見越して、豊作のときに備蓄しておくなどの政策があるかないかで大違い、という面もあります。



疫病はどうか。人間の責任は病気と戦うことです。人間の責任が全くないとは言えないでしょう。



ここでイエスさまが語っておられるのは、戦争状態の中で起こる、わたしたちキリスト者たちへの迫害についてです。



キリスト者は、戦争の時代には、迫害される。そのように語られている、と読むことが許されるでしょう。



しかし、なぜ、わたしたちが迫害されなければならないのでしょうか。理由や原因は、ここには語られておりません。



とはいえ、もちろん分かることはあります。それは、わたしたちキリスト者が戦争状態を根本的に忌み嫌い、憎む者である、という点です。イエス・キリストから示されている「愛」の教えと戦争との間には、どのように考えても、矛盾や対立がある、といわざるを得ないからです。



皆さんに対しては失礼な問いかけであると思いますが、あえて問います。戦争が大好きである、三度の飯よりも好きである、という方がおられますか。おられないと思います。わたしは教会の中で(改革派教会の中で!)そういう人に出会ったことがありません。



わたしたちは何が嫌いかといえば、戦争が何よりも嫌いです。殺し合いが嫌です。憎んだり、さげすんだりする、あの状況が嫌です。



戦争が嫌だ、ということに理由は要りません。代案も要りません。嫌なものは嫌だ、と言ってよいのです。それは無責任であると責められなければならないような言葉や態度ではありません。嫌なものは嫌です。それ以上に何を語る必要がありましょうか。



しかし、です。そういう言葉をひどく嫌がる人々がいます。一国民を兵隊にして戦地に送り出し、国のために命を捨てろと命じる人々です。そのような人々は、戦争を嫌がる人の存在を、嫌がるのです。



キリスト者は戦地に行かないとか、軍人にならないというわけではありません。行かされるし、ならされます。どんなに反対の意思を持っているとしても、その状況に引きずり込まれることがありえます。



しかし、戦争が好き、人を殺すのが好き、というキリスト者は、通常いません。



だから、迫害される。われわれを戦地に行かせ、戦いの中に巻き込みたい人々から迫害される。



そういうことが起こると、イエスさまは語っておられるのです。



ごく一般論としても、「ピンチはチャンスである」と言われます。イエスさまは、わたしたちが迫害されるときは、証しの機会になると教えておられます。



「迫害」にもいろいろあると思いますが、イエスさまが描いておられるのは、会堂や牢に引き渡された後、「王や総督の前に引っ張られていく」ということです。



引っ張っていく人々の側からすれば、キリスト者はいかにひどい考え方や生き方をしているか、ということを公衆の面前でさらしものにし、笑いものにすることが、目的なのでしょう。



しかし、そのようなことが実際になされた場合にどうなるか。ここには、やや、わたし自身の希望的観測が混じっていますが、わたしたちが信じてよいことがあります。それは次のように表現できるでしょう。



わたしたちキリスト者が公衆の面前でさらしものにされ、笑いものにされているとき、それを見ている公衆の中に、わたしたちキリスト者たちの言葉や行いは間違っていない、ということを感じとる人々が、必ずいる、ということです。



たとえば、あの殉教者ステファノが多くの人々が投げる石つぶてによって殺されたとき、その殺害現場の傍らで、人々の脱いだ服の番をしていたサウロは、その後、使徒パウロとなりました。パウロの回心とステファノの殉教との間には深く関連がある、ということを多くの人々が認めています。神の御言葉に忠実に生きた人の死は、どんな人の死より影響力が強いのです。



殉教は証しであり、殉教者は証し人です。死して多くを語る。生きている人よりも能弁に語るのです。



キリスト者は強情であるとか、頭が固いとか、協調性がないと言われることがあります。



しかし、わたしたちに言わせていただくと、いうならば、嫌なことを嫌だ、と言っているだけです。へんなものに束縛されていて自由ではない。そのような状態が嫌なのです。



しかし、キリスト者であることは親・兄弟・親族・友人から裏切られるとか、殺される場合もあるとか、すべての人から憎まれるとまで言われてしまいますと、ぞっとしますし、できればそうでありたくないと思いますし、また、とくに、まだ信仰を持っていない人にとっては、大いに躊躇する理由にもなるでしょう。



でも、どうか考えてみていただきたいのです。わたしたちは、嫌なものは嫌だと、ただ単純に言いたいだけです。自由でありたいだけです。ただそれだけなのです。



そして、わたしたちは、その自由を手にするために、命をかける価値がある、と信じているのです。



「忍耐によって命をかち取りなさい」とイエスさまがお語りになりました。これは驚くべき言葉であると、感じます。なぜ驚くべきかといいますと、イエスさまは、この文脈では明らかに、忍耐によってかち取るものは、命ではなく、むしろ死ではないか、と考えさせるようなことを語っておられるように読めるからです。



ここでイエスさまが「かち取りなさい」と命じておられる「命」は、いわゆる今わたしたちが持っている“この地上の命”とは違うものであることは、明らかです。なぜなら、それは、いわば“死を覚悟している命”ですから。



ならば、それは何か。永遠の命とか、天国で生きるための命、と言ってもよいでしょう。が、そう言うだけなら、誤解も生じるでしょう。



わたしは、この「命」の意味は“信仰”であると考えています。それはまさに信仰の命であり、信仰生活です。わたしたちは、命をかけて信仰の自由を、そして自由なる信仰をかち取るのです。



戦争はそれを奪います。戦争は、わたしたちから信仰の自由、自由なる信仰を奪います。そこに宗教家が加担することもある。そのことをイエスさまは、強く警告されています。



しかし、わたしたちは、勇気を持とうではありませんか。そして忍耐しましょう。



イエスさまが語られたのは、「忍耐によって命をかち取りなさい」ということであって、「殺し合いによって」ではありません。



(2006年8月13日、松戸小金原教会主日礼拝)