2017年3月31日金曜日

2016年度の感謝

日本基督教団 各位

2016年度は私にとって日本基督教団教務教師としての初年度でした。

主日礼拝で説教させていただいた日本基督教団阿佐谷東教会、上総大原教会、新松戸幸谷教会、千葉北総教会、千葉本町教会、豊島岡教会南花島集会所、習志野教会、日本バプテスト連盟千葉若葉キリスト教会の皆さまに感謝いたします。

2017年3月31日

日本基督教団教務教師  関口 康

2017年3月30日木曜日

上機嫌の一日でした

プリンアンドチョコパフェ
今日(2017年3月30日木曜日)は千葉市内で仕事の打ち合わせ。全く予期せぬ新たな展開に驚きつつ、喜んでお引き受けした。エスプレッソコーヒーとプリンアンドチョコパフェをごちそうになった。日中かなり暑かったので美味しかった。疲れがふっとんだ。甘くて冷たくて美味しい打ち合わせだった。

驚きはさらに倍。千葉市内での仕事の打ち合わせからの帰り、偶然ばったり親友に出会い、すぐに意気投合。最寄りのマクドで2時間話し込む。こういう日の私は上機嫌。まあだいたい毎日能天気チックの私だが、今日は格別アゲアゲ。パイポパイポ、パイポのシューリンガン。シューリンガンのグーリンダイ。

これで終わりではなかった。夕食は妻が作ってくれた最高に美味しい唐揚げと具だくさんの手作りいなり寿司。他いろいろ。家族みんなでいただく。祭りだわっしょい。贅沢なんかしていない。慎ましく生きてきた。一攫千金の幸せというのもあるだろう。でもコツコツ作り上げる幸せというのもあると思うよ。

2017年3月29日水曜日

「江ノ島が見えてきた 俺の家も近い」と歌ってきました

ルノアール大船店
大船駅前
湘南モノレール
片瀬東浜海水浴場から見る江ノ島 
江ノ島パーキング
20時33分
国道1号から見る東京タワー
日本橋
国道6号から見る東京スカイツリー
野菜ラーメン(ラーメン横綱松戸店)
本日の走行ルート: 

【往路】国道6号→四つ木IC(入口)→首都高(中央環状線→湾岸線→狩場線)→横浜横須賀道路→日野IC(出口)→県道21号→大船駅前「大船ルノアール」(神奈川県鎌倉市大船1-7-1)にて打ち合わせ。往路の所要時間、約2時間30分。 

【復路】大船駅前「大船ルノアール」→湘南モノレールの下の道→国道467号→片瀬東浜海水浴場→国道134号(江ノ電と並走している海岸沿いの道)→由比ヶ浜→県道21号→県道22号→国道1号→国道4号→国道6号。復路の所要時間、約6時間。

自作合体デスクトップの再分離失敗という昨日の残念な結果を踏まえ、ついに昨夜、アマゾンの中古品市場で6千円の中古デスクトップを注文。ウィンドウズ10、4ギガメモリ、インテルセレロン搭載。現物を見ないと状況は分からないが、なんとかなるだろう。週明け配送予定。「これから」の備え着々と。

2017年3月28日火曜日

再分離失敗

致命的な故障が判明した弐号機の電源ボックス
ぐは、自作機の再分離に失敗した。昨日はうまく行ったと思ったが今日になって弐号機が何度試みても起動しない。半日かけて調べた結果、原因は弐号機の電源ボックスの致命的な故障が判明。がっかりだ。敗北宣言。悔しい。まあでも、ここまで費用ゼロ円だ。財政的ダメージはないので引き分けでもいいか。

遊んでいるわけではなく「これから」に備えるためにしていることだが、費用ゼロで新しいパソコンを生み出すのはほぼ錬金術なので、すべてダメもと。かくなる上は新しい中古デスクトップパソコンを買うしかないか(新しい中古という言い回し、自分で書いて面白い)。しかし新しい眼鏡を購入したばかり。

そういうわけで自作機の再分離に失敗してしまったので、再分離前の合体状態に戻したのだ。失敗は成功のママなので、今日の努力が無駄だったとは考えないことにするのだ。パソコンが2台になるのも便利だが、1台でダブルスクリーンのパソコンもいろいろ使えて便利なのだ。わしはバカボンのパパなのだ。

再分離前の合体状態に戻したのだ

2017年3月27日月曜日

再分離完了

右:壱号機、左:弐号機(いずれも仮称)
2017年3月27日(月)21時00分、合体機の再分離が完了。これで自作PCが計2機に戻った。右:壱号機、左:弐号機(いずれも仮称)。壱号機の肋骨、ではなくバックアップ用HDDを引き抜いて弐号機に転用。ウブントゥ(無料OS)とオンスクリーンキーボードを使用しているので費用ゼロ円。

ウブントゥ(無料OS)の性能チェックはまだしていない。ファイアーフォックスを利用してGメール、フェイスブック、ツイッター、ユーチューブは問題なく使用できた。音声も出たが、スピーカーを購入すると費用が発生するのでイヤホン使用。とりあえずこれだけ分かれば今夜は十分なのでチェック終了。

新しいやつが来やがって「くそっ。私はもう用済みか。6年もさんざんこき使われてきたのに」と肩を落としていたら「きみにはまだ働いてもらうよ」。振り向くと昨年の春に百均ショップから来たあいつ。「きみとぼくが手を組めば最強さ。ぼくはきみが必要なんだ」と慰めてくれた。ありがとう老眼鏡くん。
壊れた眼鏡と老眼鏡のコラボ
元々2台だった自作PCを1年前に合体して1台にしたが、それを今日再分離した。気分転換のためにモニターの配置を換えた。20年前から使用してきたパソコンケースの上にオムロンのデジタル自動血圧計を置くと、ちょっとだけ診察室っぽくなった。しかしここは書斎である。診察室でも改造室でもない。
モニターの配置を換えてみた

博士の話

無料イラストを拝借しました
でもどうなんだと思うのは、「博士号取得者」を大学教員採用の条件にすると(もうなっている)、国内の他の研究者による過去の蓄積がかなりある「取り組みやすいテーマ」で学位を取得する人が増えそうなというかそういう人ばかりになりそうな気がするが、それでいいかというあたり。当て推量すぎるか。

私にかろうじて分かるのは神学(学問かどうかを疑われている神学)のことくらいだが、聖書はともかく、アウグスティヌス、トマス、ルター、カルヴァン、ウェスレー、バルトなどの研究は、過去の蓄積が豊富な(それを「ライバルが多い」と受け取るかどうかはともかく)「取り組みやすいテーマ」だろう。

「取り組みやすいテーマ」で急いで博士号を取得することが悪いとは思わないが、良いとも思えない。私のような純粋な一般人からすれば「博士様」に抱くイメージは、一般人が思いもつかないとてつもなく素晴らしい発見をして、人類の誰も聞いたことがない斬新かつ感動的な発表をしてくださる存在なので。

「博士号」が名誉称号であったような時代は完全に終わっているのかもしれないが(大学の事情は全く分からないが)、なんていうか、数十年かけてコツコツやって人生の最期の頃に「おおこれだ。大発見」となるような人のほうが、古い価値観にとらわれているらしい私にとっては、やっぱり「博士っぽい」。

でも、そういう古い頭の私にとっての「博士っぽい」人は、「資格(学位)なくして就職なし」という今のシステムの中では、無冠のまま、市井の人のままで終わることになるかもしれないなと思うと、残念なような、寂しいような。まあ部外者がこれ以上首を突っ込まないほうがよさそう。くわばらくわばら。

私の中の「博士イメージ」がなぜか常に「高齢者」なのはマンガの読みすぎなのだろう。実際たとえば「博士」という検索語で出てくる画像の多くは、頭頂に毛髪なく、白髪、白眉、白ひげ、眼鏡、肥満体、白衣の人だ。この風貌の20代30代の「博士」が存在しないわけではなかろうが、多くはないはずだ。

しかし、「博士」の中にはめっちゃ苦労した人がいる。それだけは断言できる。5年も自室に引きこもってずっと論文書いていたと言っておられた。なのに、ほら穴(どこだよそれ)から出てきてもちゃんと(ちゃんととか言うな失礼な)人として立派だし、明るくて素敵。そういう「博士」を私は知っている。

その「博士」は、今は某私立高校の教員をしている。博士のくせに(その嫉妬やめろ)何でもできる。スポーツできるし、ギターうまいし、ダンスできるし、田植えもできる。めっちゃイケメンで、スリムで、おしゃれ。非の打ちどころがない。この先生に会う人は皆「やっぱり博士やわ~」と思うに違いない。

私が知る、あのまだ若い、田植えもできるイケメン博士が、将来は「頭頂に毛髪なく、白髪、白眉、白ひげ、眼鏡、肥満体、白衣」の博士になるのだろうか。信じたくない。そうか。私が抱いている「博士イメージ」がいかに誤っているかを自覚し、修正することのほうが先決問題のようだ。やっと気づいたよ。

2017年3月26日日曜日

神の言葉を蒔く(新松戸幸谷教会)

エレミヤ書20章7~9節
マルコによる福音書4章13~20節

関口 康(日本基督教団教務教師)

「また、イエスは言われた。『このたとえが分からないのか。では、どうしてほかのたとえが理解できるだろうか。種を播く人は、神の言葉を蒔くのである。道端のものとは、こういう人たちである。そこに御言葉が蒔かれ、それを聞いても、すぐにサタンが来て、彼らに蒔かれた御言葉を奪い去る。石だらけの所に蒔かれるものとは、こういう人たちである。御言葉を聞くとすぐ喜んで受け入れるが、自分には根がないので、しばらくは続いても、後で御言葉のために艱難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまう。また、ほかの人たちは茨の中に蒔かれるものである。この人たちは御言葉を聞くが、この世の思い煩いや富の誘惑、その他いろいろな欲望が心に入り込み、御言葉を覆いふさいで実らない。良い土地に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて受け入れる人たちであり、ある者は三十倍、ある者は六十倍、ある者は百倍の実を結ぶのである。』」

新松戸幸谷教会のみなさま、おはようございます。日本基督教団教務教師の関口康です。このたびは説教の機会を与えていただき、ありがとうございます。どうかよろしくお願いいたします。

お世辞でもなんでもなく、私は吉田好里先生の説教が大好きです。すぐ近くに住んでいますので、昨年の半ばから礼拝に出席させていただくようになりました。吉田先生の説教に毎回魅了されています。大先輩の先生に対して偉そうな言い方かもしれませんが、「これだ!」と思いました。私が過去51年の教会生活で聴かせていただいた説教の中でいちばんいいと本気で思っています。

本当のことを言えば、毎週欠かさずこの教会の礼拝に出席させていただきたいです。しかし最近はいろんな教会から説教を依頼されるようになりましたので、なかなかお訪ねできません。吉田先生の説教のどこに魅了されているかについては、説教の最後に申し上げます。

先ほど旧約聖書と新約聖書の朗読がありましたが、今日共に学ばせていただきたいのはマルコによる福音書4章13節から20節までの箇所です。主イエス・キリストがお語りになった「種を蒔く人のたとえ」を主イエス御自身が説明しておられる箇所です。と読める箇所です。

しかし、この箇所についてはかなり前から多くの有力な聖書学者たちが、主イエス御自身がお話しになったものとは考えられないと判断しています。それでは誰が書いたのかと言えば、主イエスが亡くなった後の原始キリスト教会です。原始キリスト教会による主イエスのたとえ話の解釈をマルコが採用した、ということです。これは私が言っていることではなく、有力な聖書学者が言っていることです。

私が東京神学大学大学院を修了したのは27年前の1990年です。当時よく読まれていた本は、C. H. ドッド『神の国の譬』(室野玄一、木下順治訳、日本基督教団出版局、1964年)、A. M. ハンター『イエスの譬・その解釈』(高柳伊三郎、川島貞雄訳、日本基督教団出版局、第一版1962年、第二版1964年)、J. エレミアス『イエスの譬え』(善野碩之助訳、新教出版社、1969年)の3冊です。

どの本も私が申し上げた方向で解説されています。エレミアスはこの箇所が原始キリスト教会の解釈であると判断すべき根拠を4点にまとめています(エレミアス同上書82頁以下参照)。

21世紀の聖書学者の方々にとっては古い本ばかりかもしれませんが、私は狭い意味での聖書学者ではありませんので、最新の研究成果を調べる力はありません。しかし、私は聖書学者の意見は尊重すべきであると考えています。

そしてそれは決して無理な説明ではありません。直前の箇所にやはり主イエス御自身がお語りになった言葉として「あなたがたには神の国の秘密が打ち明けられているが、外の人々には、すべてがたとえで示される」(4章11節)と記されています。

その趣旨は、「たとえ話」というのはそもそも初めから「分かる人には分かるが、分からない人には分からない」ように語られるものであるということです(加藤隆『「新約聖書」の「たとえ」を解く』ちくま新書、2006年、206頁以下参照)。

「分からない人には分からない」たとえ話だからこそ、主イエスは、せめて常に行動を共にしている弟子たちにはたとえ話の意味を説明なさったのだと考えることもできます。しかし逆に、常に行動を共にしている弟子たちなのであれば、主イエス御自身の説明など全く不要なほど、このたとえ話を聞けばすぐにその意味を理解できたはずだと考えることもできます。

むしろ、たとえ話の説明が必要になったのは、主イエスのことも弟子たちのことも知らない後の世代の人たちです。その人々のために原始キリスト教会がこの説明文を付け加えた、と考えることもできるわけです。

ややこしい説明が長くなってしまいましたが、疑問が生じやすい箇所ですので、ある程度のことを申し上げておこうと思いました。そして私もまた、この箇所は主イエス御自身による説明ではなく、原始キリスト教会による解釈であるという立場でお話しすることにします。

ここから中身に入っていきます。たとえ話そのものはよく知られていますので、いきなり説明の部分から始めます。

「種を播く人は、神の言葉を蒔くのである」(14節)と記されています。「神の言葉」(ホ・ロゴス)とは「福音」を意味する原始キリスト教会が生み出したテクニカルタームであると、先ほどから言及しているエレミアスが書いています(エレミアス同上書83頁)。さらに「種を蒔く」とは「宣べ伝える」ことを意味する比喩的な表現であるとも言っています(同上頁)。

これで分かるのは、「神の言葉」を蒔く「種を蒔く人」とは福音を宣べ伝える説教者のことであるということです。

しかしそれは、狭い意味での牧師、伝道者、説教者だけを指していると考えるべきではないと私は思います。少なくとも、狭い意味での牧師、伝道者、説教者と共に歩む教会の信徒の方々ひとりひとりを含めなければなりません。伝道は、説教は、牧師個人の趣味ではなく教会全体のわざだからです。

いや、そうではない、「種を播く人」を牧師とか伝道者とか教会であると解釈するのは間違っているという反論が実際になされてきました。そうではなく、「種を蒔く人」はあくまでもわたしたちの救い主イエス・キリスト御自身でなければならない、と。

福音を宣べ伝える主体はあくまでも主イエス・キリスト御自身のみであり、同時に父なる神御自身のみであって、我々人間ではない。我々人間は、せいぜい「神の宣教」(ミッシオ・デイ)のお邪魔をしないように手控えながら、しもべとしてただ仕えるのみである、と。

しかし、もうひとり先ほどから言及しているC. H. ドッドは、今私が申し上げているような「種を蒔く人」をイエス・キリストに限定する読み方に対して明確に反対しています。ドッドは次のように記しています。

「キリスト御自身が種蒔く者であるとは意味していない。誰にもせよ信仰深いキリスト教の説教者であれば、その人が種蒔く者である。彼は自分の働きの多くが無駄であったことを見いだすであろう。ある聴衆は、まったく真理をしっかりと把握しないであろう。他の者は困難によって失望したり、繁栄によって惑わされたりするであろう。しかし説教者は最後には、彼の働きから果が結ばれることを確信してよいのである」(ドッド同上書239頁)。

ドッド教授の原著は1935年に出版されたものですので、今から82年前です。しかし、これ以上付け加えることがないほど簡潔で的確な解説がなされていると思います。このような意味でこの箇所は読まれ、解釈されるべきだと私も思います。

ここまでのところで私に言いうるのは、今日の箇所に記されている主イエスのたとえ話の説明は、現実の教会の伝道の様子をありのままに描いているものと理解してもよいということです。それはわたしたちの姿そのものです。教会の伝道には挫折があります。つまずきがあります。落ち込むことがあります。しかし、手応えがあることもあります。

その場合、先ほど申し上げたとおり「御言葉」(ホ・ロゴス)は「福音」を意味します。いや、それは「聖書」ではないかと思われるかもしれませんが、それも限定しすぎです。「聖書を蒔く」という話であれば、国際ギデオン協会の方々が無料で聖書を配布する活動が思い浮かびます。しかしここで「御言葉」を「聖書」という意味だけに限定して理解するのは行き過ぎです。

ここで言われている「種を蒔く」とは「聖書を無料で配布すること」よりもっと広い意味です。「福音を宣べ伝えること」です。「聖書」だけでなく、少なくとも必ず「説教」が含まれます。「説教」が行われる「礼拝」が含まれます。「教会のすべての活動」が含まれます。「日常生活における信徒としての証し」が含まれます。それらすべてが「福音」です。それらすべてが「神の言葉」です。

しかしまた、ここで少し立ち止まって考えてみたいことがあります。ここから先は過去の聖書学者の意見ではなく、私の感覚だけで申し上げます。それは、「種を蒔くこと」が「福音を宣べ伝えること」を意味する比喩であるというエレミアスの説明と関係しています。

「種を蒔くこと」が「福音を宣べ伝えること」です。これを逆の方向から言い直しますと、「福音を宣べ伝える」とは「神の言葉を蒔くこと」を意味するとも言えます。これで分かるのは、説教というのは、ある意味で「蒔く」だけであるということです。

「蒔く」とは「植える」にも「育てる」にも「収穫する」にもまだ至っていない、いわばそれ以前の段階です。しかしだからといって、無作為に、無差別に、めちゃくちゃに「撒き散らす」こととは全く違います。

「種を蒔く人」は、必ず芽が出ますように、葉が茂りますように、実が結びますように、と願いながら、祈りながら、丁寧に「蒔く」のです。

すべての種が必ず実を結ぶわけではありません。しかし、だからといって、すべての種が必ず実を結ばないわけでもありません。たとえそれが多くの中のたったひとつの種であっても、その種が三十倍、六十倍、百倍の実を結んできました。だからこそ教会は二千年の歴史を刻んできましたし、これからも絶望しません。

最初にお約束しましたとおり、私が吉田先生の説教が大好きな理由を最後に申し上げます。私が吉田先生の説教を論評する立場にあると思っているのではありません。「吉田先生のファン」のひとりとして申し上げるだけです。

それが最後に申し上げた点にかかわります。まさに「種を蒔く人」の説教であると感じます。植えてやろう、育ててやろう、実を結ばせてやろう、収穫してやろうというような、一方的に押し付けてくるところが全くありません。「こうである、ああである」と断定し、決めつけてくるところが全くありません。少なくとも説教でそういうことをなさいません。

しかしそうであるからこそ、温かい見守りと深い祈りと丁寧な配慮をいつも感じます。デリケートな問題をデリケートに扱ってくださいます。

私の最も理想とする模範的な説教者と共に長年歩んでこられた新松戸幸谷教会の皆さまのことが、本当に羨ましく思います。これからも仲良くしていただけますと幸いです。

(2017年3月26日、日本基督教団新松戸幸谷教会 主日礼拝)

2017年3月25日土曜日

合体から再分離へ

1年間休眠させていた空のパソコンケース
長期有給休暇5日目。昨夜から悩み始めたことはパソコンどうするか。自作機2台を教会と自宅(牧師館)で使っていたのを、1年前に合体させて1台にした。再分離して自作機2台にするか。それとも合体機はこのまま残して、安いのを新たに購入するか。再分離の方向で考えはじめたが、スペックは落ちる。

それと、再分離する場合は、1機分のOSを新規購入すると高く付くので、無料のリナックス(Ubuntu)にすることになりそう。OSのインストール自体はさほど面倒ではないが、以前リナックス機を作ってみたとき障害になった周辺機器(特にプリンタ)のドライバー関係が最近どうなのかは気になる。

いずれにせよはっきりしているのは、私の仕事には「職場用」と「自宅用」の2台のパソコンがどうしても必要だということだ。職場(教会の書斎)と自宅(牧師館)の書斎が一体化していた(同一だった)頃がかつて私にもあった(ずいぶん長かった)が、最近は分かれているところが増えてきていると思う。

パソコンを「職場用」と「自宅用」の2台に分けず、1台の可動(モバイル)パソコンにするという考えは私にはない。仕事の性質上、データの多くは機密性の高い個人情報となる。動かすうちに無くす壊すは最悪だ。どっしり重いデスクトップが職場にも自宅にもあるのが私の理想。モバイルはガラケーのみ。

ああ、こういうときにデスクトップパソコンがどこかに落ちていないかと考えてしまう。恥ずかしいやら、情けないやら。まあ1年前に空にして休眠させていたパソコンケースに、合体機から元のパーツを引っこ抜いて元の状態に戻せば済む話でもあるので、がたがた騒ぐんじゃねえと自分に言い聞かせている。

しかし、今日はこのようなことにかかずらわることは全くできない。明日の説教に全力で集中せよ。お訪ねするのは初めてではないが、説教壇に立たせていただくのは初めての教会だ。「今日の礼拝に出席してよかった」とせめて思ってもらえるように、なしうるかぎりの精一杯の準備をして臨むことにしよう。

なぜだろう、今日は午後から集中力が急激に加速して、まだ明るいうちに明日の説教の原稿を書き終えることができた。朝6時に起きたのに一度も眠くならず気力と体力が持続した。妻が作ってくれた美味しい「豆腐ハンバーグ」のおかげだろうか。大豆たんぱくは偉大だ。レシチン、サポニン、イソフラボン。

うへえ、説教原稿を書き終えたらたちまち眠くなってきた。緊張の糸切れた。現金な気力と体力だこと。今夜は早めに夕食たべて、のんびりしてから、ねるとしよう。明日から新しい眼鏡になるし。この鬱陶しいセロテープ眼鏡とおさらばじゃ。「見よすべてが新しくなったぜ」。そんなふうに言いたい気持ち。

2017年3月23日木曜日

サイボーグ化の一途です

長期有給休暇3日目。寝坊して8時起床。寝床から這い出しても何もする気が起きず。食欲もわかずテレビもつけず本も読まず。このままでは危険だと「親指動け」「人差し指動け」と脳波通信で命令して、パーツ単位でひとつひとつ再起動させる。近所のコンビニでチキンカツ弁当を買って食べてほっと一息。

職場に置いていた仕事道具をすべて持ち帰り自宅(借家)の書斎机に戻したが、大きな変化はない。完全ペーパーレスとは行かないまでも、いかにもクラウド依存型の職務形態になっていることを実感。言い方を換えれば、インターネットが不通になりクラウドにアクセスできなくなったら手も足も出ない形だ。

LINEはいまだに全く使いこなせていない。かろうじて自宅PCのLINEアプリを常時起動しているが、メッセージは来ない。しかし今朝なんと、小金原のコンビニの阿藤店長がメッセージをくださった。とてもうれしかったので、LINEを使うことにした。ID: yasushi.sekiguchi

ついに悲願の新しい眼鏡を購入。仕上がり3月26日日曜日。検査の結果、両眼とも1.0前後見えているが、老眼が進んでいたのと乱視の角度が若干変わっていた。男性店員が「調整力が強い目ですね」と言うので「それ褒め言葉?」と聞き返したら「いえ他の人より疲れやすいということです」と言われた。

男性店員いわく、検査機で度数や乱視の角度が違うレンズを入れ替えて私の視力を測るたびに数値が変わっていくらしい。私の目ががんばりすぎなのだそうで、つまり「疲れやすいこと」を意味するらしい。その答えにがっかりして言葉を失ったが「順応性が高い人工眼のサイボーグです」と答えればよかった。

2017年3月22日水曜日

夢の高校生

書かないほうがよさそうだが、初めて高校生が夢の中に登場した。大ぜい。顔も名前も分かる。なぜかスーパーのおもちゃ売り場にみんないて、私も一緒に楽しんでいる。昔のアニメの面白さを私が力説するのを興味津々で聞いてくれていたりする。夢の続きを観るために二度寝したくなった(しないしない)。

スーパーのおもちゃ売り場だったのでスペースは広くなかった。小さなモニターでアンパンマンのアニメを流していた。バタコさんやジャムおじさんが映っていた。最新レンジャーの武器類とか。私は「アニメージュ創刊号はぼくらが子どもの頃に発売されたんだよ!初代おたくはぼくらだよ」とか言っていた。

その方自身はあまりに強靭すぎるのか、あるいは単に鈍感なだけなのかは分からないが、100パーブーメランで自分に返ってくるだろうというような批判や皮肉を言えたり書けたりする人がマジでうらやましい。私の同業者(教会の牧師とか学校の教員とか)に多い気がする。そういうふうになりたいものだ。

長期有給休暇2日目の行き先は自宅(借家)から6キロ(車で20分)離れた柏市役所(柏市柏5-10-1)。ここに来るのは初めてではないが、住民票や印鑑登録証明書などの取り扱いは近所の出張所で間に合うので、本庁舎はめったに来ない。いろいろ勉強になる。「無料」という字につい目を奪われる。

今日は結局なんだか朝からずっと忙しくなってしまい、いろいろありすぎて自分が次に何をすべきか分からなくなってきたので、グーグルカレンダーのToDoリストに「洗濯物を干す」とか「皿を洗う」とかまで書き込んで心を落ち着かせている。そろそろスマホにしようかな。ついそんな思いが頭をよぎる。

今日予定していたことすべてがやっと終わって安堵。洗濯物干しも皿洗いも完了。市役所に行ったり、あちこち電話かけたり、メールを書いたり。アマゾンに注文した『帝国大学』も無事に届く。お前に関係ないだろと言われそうだが、そうでもない。説明は省くが「神学」を考えるうえで重要なテーマなのだ。

2017年3月21日火曜日

加速装置は偉大なのだ


今日から月末まで休暇をとったが、朝5時に目が覚めた。これは良い傾向なので、これからも極力維持しよう。休暇中は勉強もちゃんとしよう。1年間ひたすらアウトプット側だったのでインプットしよう。すぐには無理だが、ひとつ論文を仕上げるほどの集中力を回復できることを期待しよう。前向き前向き。

長期有給休暇の初日。行き先はかかりつけの内科。血圧降下剤の残錠が昨日で尽きたので続きを処方してもらう。待合室で観るテレビが毎回楽しみ。うちでは全く観ないNHKを流しているから。今やっているのは春場所だろうか。よう太っとるなあとどの力士にも思う。私も人からそう思われているのだろう。

やれやれ今日はたくさんインプットした。サイボーグ009(豪華版)全23巻の第11巻から第15巻まで一気読みした。分かったのは主人公島村ジョー(009)が持っているのは各種ガン以外は「加速装置」と「勇気」だけだったということだ。これはすごい。ただ手足が伸びるだけのルフィに匹敵する。

そうか分かったぞ。つまりあれだ。加速装置を取り付けてもらって超高速で動けるようになるか、ゴム人間になって手足が伸びるようになるか、そのどちらかが実現すれば世界の平和を守れるようになるというわけだ。単純だけどものすごい教えだ。よしがんばるぞ(何をだ)。もっともっと勉強しなくっちゃ。

ほら見ろバカボン、いつもどおり朝5時に起きれば日付が変わる頃にはちゃんと眠くなるのだ。これでいいのだ。わしはもう昼夜逆転生活に戻りたくないのだ。最近は目覚まし時計を使わなくても時間通り目が覚めるのだ。明日も早く起きられますようにお祈りしてから寝るのだ。わしはバカボンのパパなのだ。

2017年3月20日月曜日

西千葉教会を訪問しました

今日(2017年3月20日月曜日、春分の日)は日本基督教団西千葉教会(千葉市中央区松波2-7-3)をお訪ねした。ちょうど東京教区千葉支区の中高生修養会が行われていて、教会に多くの中高生が集まっていて若いパワーを感じた。私は東京神学大学の大先輩の木下宣世牧師からご助言をいただいた。




2017年3月19日日曜日

一タラントンを地に埋めたしもべはなぜ主人に叱られたのか(習志野教会)

マタイによる福音書25章24~30節

関口 康(日本基督教団教務教師)

「ところで、一タラントン預かった者も進み出て言った。『御主人様、あなたは蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集められる厳しい方だと知っていましたので、恐ろしくなり、出かけて行って、あなたのタラントンを地の中に隠しておきました。御覧ください。これがあなたのお金です。』主人は答えた。『怠け者の悪い僕だ。わたしが蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集めることを知っていたのか。それなら、わたしの金を銀行に入れておくべきであった。そうしておけば、帰って来たとき、利息付きで返してもらえたのに。さあ、そのタラントンをこの男から取り上げて、十タラントン持っている者に与えよ。だれでも持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。この役に立たない僕を外の暗闇に追い出せ。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。』」

おはようございます。習志野教会で2回目の説教をさせていただきます。よろしくお願いします。

先ほど朗読していただきました聖書の箇所を皆さんは繰り返しお読みになっておられると思います。大変有名な箇所です。礼拝の説教でよく取り上げられる箇所です。キリスト教学校の聖書の授業でもよく取り上げられます。私も授業で取り上げました。

主イエスがお語りになった「タラントンのたとえ」です。たとえられているのは、神と人間の関係です。登場するのは4人です。主人と3人の僕です。主人が「神」で、3人の僕が「人間」です。

主人は旅に出かけます。出かけている間、自分の財産を3人の僕に預けます。「預ける」は「与える」でも「貸す」でもありません。この違いは所有権や主導権の問題がかかわります。

「与える」や「貸す」の場合は、所有権や主導権は「与えられた」側や「借りた」側の者へと移ります。借りたものは必ず返さなければなりませんが、使いみちは、貸した側の指図を受けることなく借りた側ですべて決めることができます。その意味で財産は、その所有権も主導権も、返すまでの間だけの一時的な話であるにしても、借りた側へと移っています。

しかし「預ける」は違います。少なくとも所有権は移っていません。100パーセント預けた側に所有権が残っています。使いみちについても預かった側が何をしてもよいと言えるほど自由であるわけではありません。預けた側の人にはそれを預けたこと自体に何らかの目的があって他人にそれを預けているのですから、その目的を預かった側が理解し、その目的に沿って使わなくてはなりません。

とはいえ、「与える」や「貸す」と「預ける」の違いとしてもうひとつ言えるのは、「預ける」側は「預かる」側の人を基本的に信頼しているという前提がなければ成立しないが、「与える」や「貸す」は必ずしもそうではないということです。

「与える」の場合は「その先はどうぞご自由に」となりますし、「貸す」の場合は借用証書と担保をとります。全く信頼できない相手と借用証書を取り交わすこと自体がありえないとは思いますが、担保をとるということは貸したものが返ってこない可能性があることを前提にしているわけです。

しかし「預ける」相手から担保をとるでしょうか。あまり聞いたことがないです。担保をとらない理由は、相手を信頼しているからです。これが最も大きな違いです。

主人は3人の僕にそれぞれ5タラントン、2タラントン、1タラントンを預けました。タラントンはお金の単位です。1タラントンは六千日分の労働賃金に相当します。決して小さな額ではありません。ただ、主人は3人の僕にそれぞれ預ける金額に差をつけました。差をつけた理由として考えられるのは、はっきりいえば3人の僕の能力に明らかな差があると主人の目には見えていたということです。

一致はしないのですが、ごく大雑把な計算をして、5タラントン、2タラントン、1タラントンを5億円、2億円、1億円と呼び替えてみれば、少しくらいは話が分かりやすくなるかもしれません。資本金5億円の会社と、2億円の会社と、1億円の会社とでは、管理者の能力差がやはり問われるでしょう。

このことから分かるのは、この主人は3人の僕に自分の財産を「与えた」のでも「貸した」のでもなく「預けた」以上、この3人の僕を基本的に信頼していました。しかしまた同時にこの主人は3人の僕には明らかな能力の差があることを見抜いていたということです。

しかしまた、ここで大事なことは、この主人は3人の僕に能力差があること自体を悪いとは思っていないということです。なぜそう言えるのかといえば、まさに能力差に応じて各人の負担分を変えているからです。できないことを無理にやれとは言っていません。

ひどい主人ならばむしろ、できないことを無理やりやらせようとします。個人差を無視してどんな人にも同じだけの量や質の仕事を押し付けて、それでおかしくなる人がいようとつぶれる人がいようと関係ないと言い放つ。まるで人間を道具か機械のように扱い、壊れたら捨てるだけ。ひどいです。

しかし、この主人は違います。各人の能力差を見抜き、各人にふさわしい分担の仕事を与えました。自分の財産を自分の信頼する僕たちに「預け」ました。

ここまでのところで、この主人の側に落ち度や責められるべきところがあるでしょうか。私はないと思っています。なぜ3人に差をつけたのか、差別ではないか、という話になるでしょうか。私はならないと思っていますが、いかがでしょうか。

そして、主人が旅から帰ってきました。3人の僕がそれぞれ結果を出してきました。5タラントンを預かった僕は、がんばって仕事して、見事10タラントンに増やして主人に返しました。2タラントンを預かった僕も、がんばって仕事して、見事4タラントンに増やして主人に返しました。

1タラントンを預かった僕は、がんばって仕事して、見事2タラントンに増やして主人に返しました、と言いたいところですが、そうではありませんでした。

3人目の僕は、預かった1タラントンを地に埋めて隠しただけで、それ以外何もせず、1タラントンのまま主人に返しました。減らしはしませんでしたので主人の財産は毀損されませんでしたが、増やしもしませんでした。それで主人は激怒しました。

さて問題です。今日のお題は説教題に書いたとおりです。「一タラントンを地に埋めた僕はなぜ主人に叱られたのか」です。

はい、それではこれから皆さんに付箋を配りますので、自分なりの答えを書いてください。付箋に書ける程度の長さでいいです。30字から40字程度です。書いていただいたら、私が集めに行きます。そして、皆さんの答えをまとめて紹介させていただきます。付箋に名前は書かなくて結構です。匿名でお願いします。
付箋とコピー用紙
本当はみなさんが書いてくださった付箋をまとめた紙を写真にしてプロジェクターで映写したいところですが、これはだれが書いた字なのかがお互いに分かってしまうと思いますので、やめておきます。私がワープロで活字して教会にお送りしますので、それまでお待ちください。それならだれが書いたかが分かりませんのでご安心ください。

このようなことを私はこの1年間、学校の授業の中でしてきました。今の学校は文部科学省の方針に基づき「アクティヴラーニング」というのをしなければならないことになっています。

教員が教壇から生徒相手に一方的に話すだけの授業をするだけだと必ず批判されます。情報電子機器を積極的に活用しながら「ブレーンストーミング」や「プレゼンテーション」や「グループディスカッション」などを行うことが求められています。教員と生徒、あるいは生徒同士の双方向の(インタラクティヴ)やりとりを促進することが要求されます。

教会も同じだと思います。牧師が説教壇からただ一方的に話すだけではなく、もっといろいろと工夫しなければなりません。

はい、みなさん、答えはもう書けたでしょうか。そろそろ付箋を集めます。まだの方はゆっくりで構いません。これから私が皆さんのところまで行きます。私が持っているこの紙に、皆さんの付箋を貼り付けてください。よろしくお願いします。

このように学校では教員が授業中、教室の中を歩き回っています。「机間巡視(きかんじゅんし)」をしています。

はい、ご協力ありがとうございました。本当は皆さんの答えをすべてご紹介したいところですが、時間の関係でいくつかの答えを紹介させていただきます。そして、いちおうこちらで模範解答を用意しました。

模範解答は「(※非公開)」です。皆さんの考えと合致していたでしょうか。ご自分でお書きになったことを思い出していただけると幸いです。

学校ではこういうことを試験問題にして、採点しています。「(※非公開)」という意味の言葉が全く出てこず、全く別のことや正反対のことが書かれているようなら、減点対象になります。学校は教会と違って、必ず採点をしなければなりません。

しかし、今日ここは教会です。どのような答えをお書きになっても、皆さんの成績にも評価にも全く無関係ですので、どうかご安心ください。

しかし、問題はそれで終わらないと思います。なぜこの僕は「(※非公開)」のでしょうか。この問題のほうが、主人から叱られた理由よりはるかに深刻です。

その理由をこの人がはっきり言っています。「御主人様、あなたは蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集められる厳しい方だと知っていましたので、恐ろしくなり、出かけて行って、あなたのタラントンを地の中に隠しておきました。御覧ください。これがあなたのお金です。」

これだけではっきり分かる理由は、主人を恐れたことと、失敗を恐れたことの2つです。しかし、さらにもう1つの理由が考えられます。

5タラントン預けられた僕と、2タラントン預けられた僕と、1タラントンしか預けられなかった自分とを比較して、主人にそのような差をつけられたことで傷つき、「お前は能力がない、だめなやつだ」と主人から見下げられていると思い込み、他の2人に嫉妬し、投げやりな気持ちになったからです。

そのような直接の言及があるわけではありませんが、状況証拠を固めていくとこういう結論が出てくると思います。

しかし、先ほども申し上げたとおり、1タラントンは決して小さな金額ではありません。ほかの僕と比較すれば確かに少ないかもしれませんが、なぜ比較するのでしょうか。なぜ相対評価しか考えないのでしょうか。他人と自分は違います。別の人格を持つ、別の存在です。能力の違いは個性の違いでもあります。

どうしてみんなが同じでなければならないでしょうか。語学や読書は得意だが、数学や物理はからきし苦手という人はいます。スポーツはめっぽう強いが、お勉強は全くできないという人はいます。勉強もスポーツもからきしだが、性格が素直で、笑顔が素敵という人はいます。

それの何がいけないのでしょう。だめ人間の烙印を押す権限がだれにあるのでしょうか。そういうことをだれかに言った途端、ブーメランのように自分自身に必ず返ってきます。

なぜ「自分はだめだ、だめだ」と思いこんでいるのでしょうか。人と比較するからです。すべてを相対評価でしか考えていないからです。その狭い枠組み、固い殻の中から外へと飛び出す必要があります。そして、相対評価ではない、全く別の次元に立つ全く新しい評価がなされる場へと身を移す勇気が必要です。

主人が3人目の僕を強く叱ったのはそのことを言いたかったからです。そのことをなんとか分かってもらいたかったのです。

主人はこの僕を「外の暗闇」に追い出しただけです。「結果を出せない僕は殺してしまえ」と言っていません。結果そのものは、どうでもいいのです。しばらくの反省を促しているだけです。

(2017年3月19日、日本基督教団習志野教会 主日礼拝)

2017年3月18日土曜日

最後の昼餐


今日(2017年3月18日土曜日)は勤務校最後の出勤。新1年生の入学説明会の仕事。来週から任期満了日まで休暇をとり自宅待機。昼休みに「最後の昼餐」。最後に机の整理。パソコンにたまった学事データを勤務校のサーバーに保存し、ハードディスククリーンアップ。生徒との別れを惜しみつつ退勤。

同僚の先生から「ぼくの下駄箱の中に関口先生宛ての手紙が間違って入っていました」と渡されたのは、受け持ちだったクラスの男女生徒数名の寄せ書きだった。私の高校時代に下駄箱の中に手紙が入っていたことは一度もなかった。感無量。離任式まで黙っていてごめん。寄せ書き大切にします。ありがとう!

2017年3月17日金曜日

退職のお知らせ

私こと関口康は2017年3月31日付けで千葉英和高等学校宗教科常勤講師を退職します。本日の離任式で全校に発表されました。1年間の代用教員として、聖書の授業や礼拝の説教等を担当させていただきました。愛する生徒の皆さんを忘れません。本当に楽しかったです。1年間ありがとうございました!

最も似合わないものをいただきました
※よい子の皆さんへ。私は「3月31日まで」教員ですので、私のツイッターをフォローするのは「4月1日以降」にしてください。フェイスブックもしていますので、ぜひ「友達」になりましょう。ただしフェイスブックに書いている内容は基本的にツイッターと同じです。よろしくお願いいたします。

来週3月20日(月)から3月31日(金)まで休暇をいただきました。休暇中の私への連絡はメール(yasushi.sekiguchi@gmail.com)またはSNS(フェイスブック、ツイッター)のメッセージでお願いいたします。

2017年3月14日火曜日

久々の有給休暇を味わい尽くす

羽田空港(2017年3月14日火曜日)
今日の経路。羽田空港→首都高(湾岸線→レインボーブリッジ→羽田線→都心環状線)→芝公園→国道15号→銀座→築地→月島→晴海→豊洲→首都高(晴海線→湾岸線)→東関東道→千葉北IC→国道16号→勤務校(八千代市)→国道16号→千葉北IC→東関東道→首都高(湾岸線)→羽田空港を3時間。

羽田空港再到着後、第1旅客ターミナル内の「そば処 竹生(ちくぶ)」で昼食。私はカレー南蛮そばセットを注文。紙エプロン付きでありがたかった。昼食後、遠来のお客様がたと語らう。その後お別れし、羽田空港→首都高(湾岸線→中央環状線)→四つ木→国道6号→自宅。実に有意義な有給休暇だった。

早朝の都心は通勤ラッシュでひどく渋滞していたが、その後は高速道も一般道も順調だった。ひとつ残念だったのは今日はずっと雨か曇だったこと。レインボーブリッジの上からベイエリアも東京タワーも東京スカイツリーもほとんど見えなかった。観光目的の都心ドライブではなかったので問題なしとしよう。

やーそれにしても今日いちばんは、妻が作ってくれたパエリアが美味しかったこと。疲れストッパー。サイボーグ009(豪華版)は7巻まで読了。「ギルモア博士に言われたことを忘れたのか。『どちらの兵も傷つけてはならん。我々の敵は黒い幽霊団(ブラック・ゴースト)だけなんだ』と」(7巻より)。

遠来のお客様と共に羽田空港を起点とする都心ドライブを楽しむ有意義な有給休暇を過ごし、妻が作ってくれた絶品パエリアをまったり味わった日の夜は、ガラケーで日本対キューバを観ながら、サイボーグ009(豪華版)を読みながら、ツイッターとフェイスブックとブログに四の五の書いている。贅沢だ。


2017年3月13日月曜日

それゆけ伝道 どこまでも

ガラケーで日本対オランダを観ているの図(記事とは関係ありません)
また書くが、6年前の3月11日、妻と息子と私の3人で牧師館で妻が作ってくれた美味しいパスタを食べていた。娘は学校の教室にいた。松戸市も激しく長く揺れた。余震が続く中、娘が走って帰ってきた。どうにかなるなら家族一緒がいいとか言いながら。今なおつらさの中におられる方々の慰めを求める。

まあ宗教というのは、補助輪とか松葉杖とか車椅子のようなものかもしれないわけで。宗教ウゼえとかよく言われるので、言われ慣れているところがある。なくてもスタスタ歩ける人にとっては邪魔もの以外の何ものでもない。だけど「ぼく歩けないの」状態になったときに、あるとちょっと助かることもある。

毎回「この日この時のために私は生きてきた」と思えるほどの歓喜の瞬間があるが、その後まもなく冷め、次また「この日この時のために私は」とか言っているわけだから、前回の「この日この時」は何だったのかということになると思うので、「この日この時のために私は」という考えを持たないことにした。

単線のステップアップのような道を来ている方には「この日この時のために私は」の連続としてとらえることでいいかもしれない。だが私は複線が入り乱れている迷路さながらの中でもがき続けてきたので、ぱっと視界がひらけたかと思った次の瞬間また袋小路。他の方々はともかく連続性の感覚は私にはない。

上も下もないし、出世も栄転も左遷もないのが牧師だと、なったときから思っていたし、その考えは微動だにしていないので、牧師とか神学部卒業の輩のくせに栄転だ左遷だと、口に出さないとしても内心で思っていそうな向きに接すると、腹は立たないが、ほぼ呆れる。そういうの、ほんとにどうでもいいし。

自虐かもしれないが、哲学や神学など思想系の研究や仕事をしている人自身が「将来性ないよ~」とか言わないほうがいい気がする。将来性がないのはそういうことをたとえ自虐であれ口にする人自身かもしれないが、それを哲学や神学のせいにしないほうがいいのではと思う。哲学や神学はあなたより偉いよ。

我田引水と思われるのかどうか分からないが、「エルサレムでもゲリジム山でもないところで」とイエスが言うとか、復活先がガリラヤとかいう話は出世とか栄転とか左遷とかいう感覚を真っ向から否定していると思うし、パウロの伝道旅行の行き先は左遷先なのかとかね。単純におかしいだろと言いたくなる。

使う方が少なくないので否定するつもりはないし、尊重してきたつもりだが、連れ合いという言い方がいつまで経っても私になじまないのは、送り仮名をとると「連合」になるとか、「連行」とか「連座」とかいう語をなんとなく連想してしまうとかかなあと今気づく。単身赴任もありだよねえと、なぜか思う。

アブラハムは「行き先も知らずに出発した」んだぜいと、なんで私が胸を張っているのかは謎。そういうのこそが「信仰」だと、聖書に書いてあるではないか。アテネのアカデメイアをめざすとか、天竺をめざすとか、そういうのとはまるで違う話なわけよ。なに意味不明なことをやたら力説しているのかも謎。

2017年3月12日日曜日

目標めざしてひたすら走る(千葉若葉教会)

フィリピの信徒への手紙3章12~14節

関口 康(日本基督教団教務教師)

「わたしは、既にそれを得たというわけではなく、既に完全な者となっているわけでもありません。何とかして捕らえようと努めているのです。自分がキリスト・イエスに捕らえられているからです。兄弟たち、わたし自身は既に捕らえたとは思っていません。なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標をめざしてひたすら走ることです。」

先月も、と言っても2週間前ですが、同じことを申し上げました。千葉若葉キリスト教会で1年間、説教の機会を与えていただき、ありがとうございました。今日もよろしくお願いいたします。

先ほど朗読していただいたのは使徒パウロのフィリピの信徒への手紙です。フィリピはパウロ自身の伝道地です。パウロのフィリピ伝道の様子は使徒言行録16章11節から40節までに描かれています。第3回伝道旅行の最も重要な滞在地のひとつです。

使徒言行録に基づくパウロのフィリピ伝道の概要は次のとおりです。フィリピにはシラスとテモテがパウロに同行しました。紫布商人のリディアがパウロの説教を聴いて洗礼を受けました。その後、リディアの家が彼らの伝道の拠点となりました。

しかし、フィリピはパウロがひどく苦しんだ町にもなりました。パウロが占い師の女性から「占いの霊」を追い出しました。それで、その女性が占いの仕事をやめたため、その女性の占いを収入源にしていた人々が腹を立て、パウロを告訴しました。パウロはシラスと共に逮捕され、投獄されました。

ところが大地震が起こり、監獄の土台が揺れ、牢の戸がすべて開きました。逃げようと思えばいつでも逃げられる状態になったのに、パウロは逃げませんでした。囚人がみんな逃げてしまったと思い込み、責任を感じた看守が自害しようとしたとき、パウロが「自害してはならない」と止めました。

その後、その看守がパウロとシラスに「先生方、救われるためにはどうすべきでしょうか」と言い、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます」(使徒言行録16章31節)と教え、看守とその家族が洗礼を受けました。それがフィリピ伝道最大の出来事となりました。

「占いの霊」を追い出す(?)とか、大地震で監獄の戸がすべて開く(?)とか、そのようなことが書かれている箇所を読むと、それは一体どういう現象なのか、本当にそういうことが起こったのかと、いろいろ疑問に思う人は必ず出てくるでしょう。

よくできた作り話だと言い出す人がいても、それはそれで構いません。はすに構えた聖書の読み方がすべて間違っていると、私は思いません。霊だの奇跡だのというような次元で出来事をとらえるのではなく、ごくふつうの感覚で理解できる話であれば納得できるということであれば、それでも全く問題ありません。

たとえば、「占いを商売にしていた人がその商売をやめた」ということだけを言えば、そのほうが納得していただけるかもしれません。そういうことはよくあることだからです。あるいは、「偶然起こった大地震でたまたま監獄の戸が開いた」と言えば、納得していただきやすいでしょう。すべては神の御心だった、神の計画だったという話にわざわざしなくてもいいでしょう。

今の私もそうです。過去25年、教会の牧師だけしてきた人間が、今年たまたま学校で宗教科(聖書科)教員をさせていただきました。たまたま私が宗教科の教員免許を持っていて、たまたま学校でおやめになる先生や大学院で1年間お勉強なさる先生が出て、たまたま空席ができました。それで私が学校で教えることになりました。

「すべて偶然だった」と説明することもできます。しかし「すべて神の導きだった」と信じようと思えば信じられますし、そのように私が説明するとしてもだれから文句を言われる筋合いのことでもないわけです。

そして実際、私が仕えてきた伝道と教会形成のわざのすべては神の御心であり、神の計画であると私は心から信じています。正直言ってつらいことのほうが多いです。しかし、「これは神の御心であり、神の命令である」と信じることができるからこそ、どんなにつらくても取り組むことができます。そのような次元でとらえるのでないかぎりとても耐えがたいと言わざるをえない過酷さが、伝道と教会形成のわざにはあります。

いま申し上げているのは、牧師だけが過酷だということではなく、教会の信徒の方々すべての働きが過酷であるということです。「すべては神の御心である」という告白は、そのように信じるのでもないかぎりとても耐えることができない究極的な限界状況に立っている人の告白であると、私自身は考えています。

さて、そのようにパウロがひどく苦しんだ結果としてフィリピに生み出された教会に宛てて書かれた手紙が、このフィリピの信徒への手紙です。

「わたしは既にそれを得たというわけではなく、既に完全な者となっているわけでもありません。何とかして捕らえようと努めているのです」(12節)と記されています。

この中の「それ」という指示代名詞は直前の文章にかかっています。直前の文章は「わたしは、キリストとその復活の力とを知り、その苦しみにあずかって、その死の姿にあやかりながら、何とかして死者の中からの復活に達したいのです」(10~11節)です。

いろんな要素が複合されているこの文章の中のどの言葉が最も「それ」なのかといえば、「キリストの死の姿」です。この特定が私にできるようになったのは、石黒義信先生(千葉英和高等学校チャプレン、日本バプテスト連盟千葉若葉キリスト教会牧師)のもとで青野太潮先生の「十字架の神学」を学んできた成果です。

ここでパウロが言っているのは「わたしは既にキリストの死の姿を得たというわけではない」ということです。「キリストの死の姿との一致において既に完全な者となっているわけでもありません」ということです。言い方を換えれば、「まだ完全に死にきれていない」ということです。「まだ自分が生きている」ということです。

そのように青野太潮先生がこの箇所を説明しておられるかどうかは分かりません。私が青野先生の受け売りをしているという意味ではありません。青野先生の「十字架の神学」の立場に立ってこの箇所を読むと、こういうふうに読むことができるのではないかと思っているだけです。

「兄弟たち、わたし自身は既に捕らえたとは思っていません。なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです」(13~14節)と記されています。

この「目標」も「キリストの死の姿」であると考えることができます。それは、裸にされ、ずたずたに傷つけられ、十字架上にはりつけにされたうえで、「他人を救っても自分を救えない」と罵られるという、肉体的にも精神的にも追いつめられた、惨めで弱いイエスの姿です。

そのイエスの姿、キリストの死の姿こそが、パウロの「目標」です。その目標を目指してひたすら走る人生を私は送っているのだ、とパウロが言っています。そのことは前後の文脈からも分かります。3章2節から始まる話題との関係が特に重要fです。

「あの犬どもに注意しなさい。よこしまな働き手たちに気をつけなさい。彼らではなく、わたしたちこそ真の割礼を受けた者です」(2~3節)と記されています。

「割礼」と書かれていますので、ここに書かれているのはきっとユダヤ教徒に対する警戒の問題だろうと単純に読んで早とちりしてしまいそうですが、そうではありません。ここに書かれていることは、パウロの第1回伝道旅行が終わって第2回伝道旅行に出かけるまでの間に行われたいわゆる「エルサレム会議」(使徒言行録15章)で取り上げられた問題との関連で理解されるべきです。

エルサレム会議で取り上げられた問題とは、「人は洗礼を受けるだけでは救われない。洗礼に加えて割礼を受けなければ救われない」というようなことを教えるようになった人々とパウロとのあいだの対決の問題です。

こともあろうに、そのようなことを教えるようになった人々の側のリーダーが使徒ペトロだったことは非常に厄介だったに違いありません。しかし、エルサレム会議の結論は、パウロの主張を支持するものでした。しかし、詳細に立ち入るいとまはありません。今申し上げたいのは、3章2節以下に記されていることの歴史的背景だけです。

「切り傷にすぎない割礼を持つ者たちを警戒しなさい」と書かれているのは、ユダヤ教徒に対する警戒ではなく、むしろキリスト教の伝道者の中にいる人々に対する警戒であるということです。その人々はもしかすると、当時のキリスト教会の中の主流派だったかもしれません。そのような人々に対する対抗の意味でパウロが書いているのが3章4節以下です。

「とはいえ、肉にも頼ろうと思えば、わたしは頼れなくはない。だれかほかに、肉に頼れると思う人がいるなら、わたしはなおさらのことです。わたしは生まれて八日目に割礼を受け、イスラエルの民に属し、ベニヤミン族の出身で、ヘブライ人の中のヘブライ人です。律法に関してはファリサイ派の一員、熱心さの点では教会の迫害者、律法の義については非の打ちどころのない者でした」(4~6節)。

しかしパウロは、「キリストの死の姿」を「目標」にして生きるようになってからは、過去においては拠り所にしていた「肉の誇り」は、今の自分にとっては「損失」であり「塵あくた」であると思うようになりました。

「十字架の神学」も、ただエラそうに論じるだけなら、いとも簡単です。自分に都合がよいように引用するだけなら、いとも簡単です。自分自身が「イエスの死の姿」を「目標」にして生きようとしないなら、否、死のうとしないなら、全くの「損失」であり「塵あくた」です。

最後に私の話をするのをお許しください。私はまだ教会の牧師の仕事に復帰することを諦めているわけではありません。ずっと祈り求めていますが、どの教会からもいまだ確約をいただいていません。かっこよくいえば「フリーエージェント」です。

私はパウロほど腹をくくれていません。しかし、今の私は、いろいろ取り去られた結果、以前より少しくらいは「イエスの死の姿」に近づくことができているのではないかと思っています。

私も「肉の誇り」を持っています。私は生まれたときからずっと教会に通っています。6歳で成人洗礼を受けました。小学校に入学する前の幼稚園児の私が、自分の意志で牧師のところまで行き、「私に洗礼を授けてください」とお願いしました。その日のことを今でもよく覚えています。

高等学校を卒業してすぐに東京神学大学(東京都三鷹市)に入学しました。24歳から25年間、牧師の仕事だけをしてきました。

私の出身教会は、日本最大のプロテスタント・キリスト教団である「日本基督教団」の中の最大規模の教会です。「日本基督教団岡山聖心教会」(岡山県岡山市)です。

私の出身教会のルーツは「ホーリネス派」です。熱心さの点では太平洋戦争中に日本政府から弾圧を受け、日本基督教団南京教会の牧師として特高警察に逮捕抑留された永倉義雄牧師から、私は洗礼を受けました。

そして私は、今は元に戻っていますが、19年もの間、「日本基督教団」を離れていました。その間は「日本キリスト改革派教会」に教師として在籍していました。

「日本キリスト改革派教会」に在籍していた間は、教会の牧師としての仕事のかたわら、新しい中会(プレスビテリ)を生み出す仕事をしました。大会(ジェネラルアッセンブリ)では教師学科試験委員会に属し、新しく牧師になる人々の試験問題の作成や採点や面接などをしました。

そういうことを私が誇ろうと思えば誇れないわけではありません。しかし、それらすべては今の私にとってはどうでもいいことです。「損失」であり「塵あくた」です。「後ろのもの」は忘れました。「キリストの死の姿にあやかること」のほうがはるかに大事です。

(2017年3月12日、日本バプテスト連盟千葉若葉キリスト教会主日礼拝)

2017年3月6日月曜日

カール・バルト「シュライエルマッハーとわたし」(1968年)と「第三項の神学」(上)


ここに来て、まだ対面していない方からのご質問に応えるべくカール・バルト最晩年の文「シュライエルマッハーとわたし」(1968年)を読み直している。ユルゲン・ファングマイアー『神学者カール・バルト』(加藤・蘇共訳、日本基督教団出版局、初版1971年、再版1973年)「第二部」にある。

「シュライエルマッハーとわたし」(1968年)はバルトの自伝文書に分類しうる。とにかく面白い。今だから理解できる。染みる。圧巻なのはブルトマンを「シュライエルマッハーの実存主義的なエピゴーネン」であり「明瞭なシュライエルマッハーの再来」と言い放つくだり。溜飲が下がるものがある。

バルトはブルトマン学派の「公分母」はシュライエルマッハーだと断じる。シュライエルマッハーの特徴である「同時代の社会や世界の要求を規準として耳を傾けつつキリスト教的勧告を与えること」「神学と哲学の共生」「神学の人間学化」「主観と客観の緊張的統一」をブルトマン学派が繰り返している。

もっともブルトマンとその学派はシュライエルマッハーの「感情」の代わりに「少しばかり聖書に近く、あるいは宗教改革に近く『信仰』を語る」(110頁)。ルターを引用し、言葉・出会い・出来事の体験・十字架・決断・限界・審きを語るが、シュライエルマッハーの人間学的地平の隘路は越えていない。

「シュライエルマッハーからと同様、今日のエピゴーネンからしても、イスラエルの歴史記述者・預言者・賢者...イエス・キリストの生涯と死と甦りを語る人々...使徒の言葉…イエス・キリストの父、アブラハム・イサク・ヤコブの神…キリスト教会の大いなる伝統へ通じる道はない」(116頁)。

「君たちの間で、君たちの学派で、君たちの生み出すものの中で、その大きさにおいて、その次元において、シュライエルマッハーという人物のそれに、たとえ遠くからでも匹敵すると言いうるような人格や業績が、今日に至るまで、どこで、いつ現われたであろうか」(124頁)とバルトは書いている。

こうしてバルトはシュライエルマッハーと「実存主義的エピゴーネン」としてのブルトマンを厳しく批判した上で「シュライエルマッハーの関心事をよりよく評価するための」新しい可能性としての「第三項の神学」すなわち「聖霊の神学」の可能性を示唆している(134頁以下)。実に興味深いではないか。

(下に続く)

2017年3月5日日曜日

口で伝わらないことは字では決して伝わらない

2017年3月3日金曜日、有志伝道会議(上野「アメ横」の近くにて)
私はFacebookに「友達限定」で自分の携帯電話の番号を公開している。自宅の固定電話は廃止。それで支障が出たことはない。初めての電話には出ず、その番号をネットで検索して、いろんな人が公開している「迷惑電話リスト」に載っていれば「迷惑」と名づけて保存。「0120」系はすべて無視。

役所や職場や商品購入などの書類にも、すべて自分の携帯電話の番号を記入している。そのほうがかえって安全だ。全くありえないと言い切れないトラブルやクレームに家族を巻き込むことがなくて済む。私に言いたいことがある人は、家族に伝えて間接的に「言わせる」のでなく、直接言ってもらうしかない。

そのせいだろうか、最近は電話というものがほとんどかかってこない。仕事の連絡はメールかSNSで事足りるし、そのほうが確実だと歓迎される。週末にうっかり職場に携帯電話を忘れて帰ることがたまにあるが、週明けまで誰からもかかってこなかったことを着歴で知って、がっかりすることがあるほどだ。

電話は不要だと考えているのではない。むしろ重要度が増している。メールやSNSではどうしても伝わらないことがある。字数を多くすればするほど誤解の泥沼にはまることがある。私の長年の持論は「口で伝わらないことは字では決して伝わらない」だ。直接話すのが最も良い。会えないならせめて電話で。

しかし、最も良いのは直接話すことだ。個人的に話すもよし、仲間で話すもよし。先週末は上野「アメ横」近くで有志伝道会議。そういうのが最高に良い。でもそれは物理的距離の問題をクリアできる関係の中だけで実現することだ。その意味でもせめて電話。メールやSNSでは伝わらないことがあるからだ。

どうでもいいことを流暢にしゃべる技術を磨くことなのか

記事とは関係ありません
頭脳明晰な方は伏せ字の中身を見抜くかもしれないが、だいぶ前、某国首相に日本の某大学が名誉博士号を授与することになり、その式典に出席させてもらったことがある。その某国首相の謝辞演説の後の質疑応答のとき、何人かの日本の学生が立ち上がった。自らの外国語力をアピールできるチャンスだった。

同時通訳者が学生たちの質問を日本語に訳してくださったので、日本語しか分からない私も含め、その式典に出席していた多くの人にも彼らの質問内容が理解できたはずだ。学生たちの果敢さは絶賛に値すると思った。しかし、質問の内容は「え?は?」と私ごときが驚くくらいレベルが低いことばかりだった。

「内容がないよう」と、つぶやいてしまった。彼らが使う外国語の流暢さがスーパーハイレベルだっただけに、中身の無さはがっかりだった。その某国首相は自国の歴史や自分が尊敬する人物と、日本の歴史やその大学の創始者との「類似性」を話していたのに、そのことに触れる質問をする学生がいなかった。

恥ずかしいとまでは思わないし、そんなふうに言えるだけの実力が私にないので黙るしかなさそうだが、それでもそのとき私が考えたのは、日本語しかできなくても、それはそれで同時通訳者が助けてくれるので、それよりもっと自分で本を読み、自分の頭で考えられるようになってほしい、ということだった。

いま書いていることに特に何かの脈絡があるわけではない。ただ、グローバル教育とは何なのかということを、わりと毎日疑問に感じているひとりであることを付け加えておこう。雑な言い方をお許しいただけば、どうでもいいことを流暢にしゃべる技術を磨くことがそれなのかと、わりと毎日考えこんでいる。

2017年3月4日土曜日

サイボーグ009豪華版が来ました

石ノ森章太郎『サイボーグ009』豪華版(全23巻)
幼少期から読んでいるが全巻を揃えたことがなかったサイボーグ009が豪華版で揃った。発売当時の定価では手が出なかった豪華版だが、ネットのおかげで超安値で落札、本日着。版元やサイズが違うシリーズがあるが、私はマニアではないので同じ内容なら違う版でさらに集めたりはしない(たぶん)。

豪華版にしたのは、老眼にやさしそうだったのと、古いのを捨てるためのつもりだったが、サイボーグ009マニアの人たちのサイトなど読んでいるうちに、古い版のものがすごい高値で取引されているらしいと知り、捨てるのが急にもったいなくなって、そっちも集めようかなという思いが浮かんできた次第。

マニアでもない私が009のことを書くなどおこがましいかぎりだが、今こそ読み直されるべきマンガだと思う。原子力開発、ロボット、サイボーグ、ドローン、クローンなどなどの問題を網羅。描かれるツールやマシン(電話とか車とか)のデザインはレトロそのものだが、かえって斬新でおしゃれでもある。

手塚治虫と並び称される石ノ森章太郎先生だが、私は実は手塚のマンガが昔から苦手。どれも共感できたためしがないし、単純に面白いと感じられない。石ノ森先生のマンガはどれもこれも面白い。すべて私の主観だけで言わせていただけば、石ノ森先生のマンガにはハズレがない。手塚のマンガは(以下略)。

100%私の主観だが、どこが最も大きな相違点だと感じるのだろうと、こんなの初めて考えたことだが。それで思い至ったのは、石ノ森先生はどの戦いにも悲哀を描き、どの主人公も心であるいは実際に涙を流しながら敵を倒すこと。手塚はそうでない気がする、とか書くと手塚ファンから叱られるだろうか。

たしか私が高校か大学の頃から、手塚とか石ノ森先生とか松本零士さんとかのマンガの大きなサイズのハードカバー本が出るようになって、「マンガのくせになんでこんなエラそうなの?」(失礼!)みたいなことを感じていた。でも、今やっと豪華本の意味が分かった。読みやすい!永久保存版!すばらしい!

2017年3月1日水曜日

命令したことがない

ほとんどもっぱら高齢者対象の仕事を長年続けてきたこともあり、だれかに指示したり命令したりしたことがない。だれに対しても「しなさい」と言ったことがない。そもそも自分が子どもの頃から、だれからも「しなさい」と言われたことがない。「せられえ」とか「せー」と言われたことはある(岡山弁)。

お願いならしたことがある。「もしよろしければ、これこれをしていただけませんでしょうか。なにとぞどうかよろしくお願いいたします」というようなことを言ったり書いたりはよくしてきた。しかしそれは指示でも命令でもありえない。「人を使う」ということも全くしたことがないし、考えたこともない。

協力を要請したことならある。「もしよろしければ、お助けいただけませんでしょうか。ご多忙中のところ申し訳ございません。ありがとうございます」と言ったり書いたりはよくしてきた。しかしそれは指示でも命令でもありえない。緊張しているわけでもない。それが「自然」であり「普通」であるだけだ。

妻にも子どもたちにも「しなさい」と、いまだかつて一度も言ったことがない。妻には「もしよろしければ~」で、子どもたちには「しろ」。そのどちらかだ。家庭内のことなので何の問題もない。よそさまに「しろ」も「しなさい」もない。ありえない。言い方の問題ではなく基本姿勢の問題だと思っている。

いま書いているのは「私はそうだ」ということだけで、すべての人が私と同じでなければならないと言いたいのではないし、考えているのでもない。ただ、聞こえてくるたびに嫌だと思っているし、不快に感じているし、腹が立っているし、軽蔑している。口に出して言わないだけだ。私はそういう人間である。

ほとんどもっぱら高齢者対象の仕事を長年続けてきたことと、命令も指示もしたことがないことがどうつながるのかといえば、仮に(相対的な意味での)高齢者に命令したり指示したりしても、言うこと聞いてくれるわけがないからだ。へそまげて、頭から湯気が出るだけだろう。そんなの当たり前ではないか。

まだ終わらない仕事を抱えているが、今夜はもう休ませてもらう。明日なんとか仕上げよう。