2016年12月19日月曜日

教会を面白くするヒントの学校

2013年6月23日、立教大学ゲスト講義
昨年までとの最大の変化は「考えるな、感じろ」(Don't think. Feel.)と教えるブルース・リーやマスター・ヨーダのような人が眼前にいなくなったことだ。「考えろ」(Think.)と言える。「考える勇気を持て」(Have a courage to think.)と言える。

新しい経験の中で、教会を面白くするヒントがいろいろあると感じている。週報に説教要旨を載せて、ところどころ穴埋め式にして「さて問題です。ねないで説教を聴いてないと答えられませんよ」と遊ぶとか面白そう。あとは礼拝中にグループディスカッションとかプレゼンとか。アクティヴラーニング教会。

いくつかのチームに分けて、来週の説教の聖書箇所を読んで歴史的背景を調べてくるチームとか、言葉の意味を調べてくるチームとか、自分の生活にあてはめて考えるチームとかにそれぞれ発表してもらうというやり方もよさそう。教会に行かなくちゃという自覚も出てきそうだし。死蔵本を読む動機にもなる。

あとはだんぜん教会にも黒板が必要だと思う。すごく反発されそうだけど。でも「ずっと前から使ってるよ」とおっしゃる方もおられるはず。テレビでテロップを見慣れている人多いので、耳で聴くだけでは分からない同音異義語なんかをちょっと板書するだけで、ずっと分かりやすい説教になること請け合う。

パワポを使っている教会は増えていると見受けるが、パワポが悪いわけではないが、話の流れの中でその場の思いつきで字を書いて見せるのはパワポだと難しいのではないかと。黒板とチョークならさっさとできるし、すぐ消せる。前準備は要らないし、字だけでなく、絵でも図でもなんでも書けるマルチ対応。

ややきつめの言い方だけど、黒板を嫌がる教会が少なくないのは、立派すぎる教会堂のせいではないかと思ったりする。うっとりしたい場所なのに、学校時代の悪夢を思い出したくないのかなんなのか。そういうのどうなのと思ってしまう。説教の意味なんか分からなくてもいいんだろねとイヤミ言いたくなる。

今の学校が果敢に取り組んでいる新しい方法なんか全く見向きもしないで、「教会に若い人が来ない若い人が来ない、教会の将来が危ない危ない」と、まるで来ない人のほうが悪いかのように言ってみてもどうしようもない。教会が学校に教えることは、ほとんど何もない。学校から教会が教わるべきだと思う。