2012年1月25日、千葉県松戸市にて関口康撮影 |
「地球外生命体の存在を証明する写真撮影に成功」との報道に接して何かを書きたくなりました。
私は「疑似科学」と「陰謀論」がとにかく大嫌いな人間ですので、そういうたぐいのことやその臭いがするものにはできるだけ近づかないことにしているのですが、「地球外生命体」のことだけは話が別です。
その記事を昨日読んだばかりですので、何かをはっきり語れるほど熟考できているわけではありません。しかし、それを読みながら私の中に思い浮かんだことは、旧来の「進化論」は「地球万能論」のようなものかもしれないなということでした。しかし、そういうのはもはや科学的認識とは言えないでしょう。
地球は、パーフェクトに自己完結した内部循環のみによって成立する存在ではありえない。この程度のことはおそらく幼児にも理解できることです。外からいろんなものが降ってきて、地球を変化させていく。それを「進化」と呼べば呼べなくもないですが、古来の進化理解とはずいぶん違うようでもあります。
これまでだと、なんですかね、地球に外から「降ってくる」ものといえば、せいぜい太陽や光星の「光線」だとか「熱」などのエネルギー、あるいは「隕石」などの無機物といったものに限られていると言われてきたわけですよね。そのように言わないかぎり「地球外生命体」の存在を認めたことになるわけで。
「地球外生命体」なるものは存在しない。「生命」はあくまでも「地球」のみの中に存在し、地球内で半永久的に循環しながら新しい「生命」が生成されてきただけだ。地球の外にあるのは、「生命」とは呼べない単純な物質、砂、石、光、ガス。そのようなものだけだ。そんな感じではなかったでしょうか。
前世紀までならそれで十分「科学」だったでしょうけど、今では「擬似科学」のように思えます。航海術を知らずヨーロッパとアジアの交流がなかった時代に、互いを「知らなかった」だけだった様子に似ているかもしれません。「知らない」から「存在しないと思い込む」というのでは科学ではないですよね。
地球外から「生命」がどんどん「降ってきていた」というのは、言われてみれば普通にありそうな話です。地球外生命体の存在証明によって「地球内生命体」を相対化できるようになるのは、考えてみれば当たり前のようなことでもあるのに、証拠提出が必要な分野では、ものすごく画期的なことなのでしょうね。