2013年3月30日土曜日

「第5回 カール・バルト研究会」を行いました



2013年3月29日(金)午後9時から11時まで、「第5回カール・バルト研究会」を行いました。参加者は4名でした。以下、五十音順、敬称略。

小宮山裕一(茨城県)
関口 康(千葉県)
中井大介(大阪府)
藤崎裕之(北海道)

テキストは『教義学要綱』の「3.信仰とは認識を意味する」でした。毎度のことながら、活発で充実した議論を行うことができました。いやーほんとに面白いですね。

次回(第6回)は2013年4月12日(金)午後5時から7時まで。テキストは「4.信仰とは告白を意味する」(Glauben heisst Bekennen)です。

2013年3月29日金曜日

なぜ翻訳が思うように進まないのか(イタイ釈明文)


昨日は「日本語版『ファン・ルーラー著作集』草稿集」という新しいウェブサイトを公開しました。

翻訳作業が遅々として進まないのは、ぼくなりの理由があるんです。

ほんとは恥ずかしいのですが、新しいウェブサイトに「訳者略歴」というページを設けました。

訳者略歴
http://aavanruler.blogspot.jp/p/blog-page_406.html

その中の「論文」や「翻訳」のリストをご覧いただくと、2007年以降、なんとぼくは毎年2本ずつくらいのペースで紀要論文や雑誌論文を書いていたらしいことが、お分かりいただけます。

とにかく勉強が苦手で、何ごとにもルーズで(今でも基本はルーズで周囲に迷惑をかけています)、不真面目な不良学生だった関口康がこんなことになるとは、誰が予想していたでしょうか。

毎週日曜日の礼拝説教も、40字×40行にフォーマットした3枚のA4サイズのタブラ・ラーサの上に毎回ちゃんと書きおろしています。

あとは、えっとですね、メールでしょ、ブログでしょ。それから、ここ2年くらいはFacebook。

あ、もちろん、パソコンの前だけにいるわけじゃないですよ。いろいろやってます。

サボってるつもりはないけど、日本語版『ファン・ルーラー著作集』が進まない。

あっ、そういえば、もうすぐオランダから帰ってくる、今年40歳になられるはずの、超イケメンの神学者がおられるなあ...。

あの先生に丸投げしようかな(笑)。

「あとよろしく~」とかね(笑)。

そのためにオランダに行ってくださったのだからね(笑)。

ほんと、お願いしますね。

* * * * *

ぼくらの小学生の頃、というと1970年代ですけど、給食の時間に教えてもらった「三角食べ」を、ぼくはいまだに守っている人間です。

給食の場合は「パン」と「牛乳」と「おかず」。

和食でいえば「ごはん」と「味噌汁」と「おかず」。

その三つを“順序よく食べること”が「三角食べ」だと教わりました。

それです、ぼくの状況に強引に当てはめていえば。

(1)「教会の牧師の仕事(なかでも説教と牧会と教会会議)」と、

(2)「論文を書いたり講演したりする仕事」と、

(3)「ファン・ルーラーの翻訳」。

この三つを「三角食べ」のように“バランスよく味わうこと”が、ぼくには必要不可欠だし、そうせざるをえないです。

どれか一つに絞れば、その部分は飛躍的に前進できるのかもしれませんが、ぼくらしくないですね。違和感ありすぎます。

ぼくはたぶん、商売ということに縁がないのでしょうね。「旬(しゅん)」とか「タイミング」とか「ヒット」とか、そういう世界から完全に隔絶されたところにいるような気がします。

ごめんなさい。

* * * * *

と、ここまで書いたことを読み直してみて、誤解されてしまうかもしれないと思うところありますので、ちと修正。

(3)ファン・ルーラーの「翻訳」は、ほんとうのところを言わせてもらえば、ぼくの仕事と思っているわけではないのです。「翻訳」したいのではなく、ファン・ルーラーの本を読みたいだけです。翻訳そのものは、ぼくはあんまりしたくありません。オランダ語、苦手ですから(笑)。

また、ぼくはまるで「ファン・ルーラー主義者」か「ファン・ルーラーマニア」であるかのように見えているかもしれませんが、実際のぼくを知っている人は、そんなふうでもないことを知っておられます。

ぼく自身は、ただひたすら、「ファン・ルーラーのバルト主義批判」の一連の議論の有効性を評価しているだけで、アメリカ改革派教会の神学者アラン・ジャンセン先生の「カール・バルトの影響が残っているかぎり、ファン・ルーラーが読まれる必要がある」という発言に同意し、同主旨のことを訴えているだけです。

逆に言えば、カール・バルトの神学の影響が消失する日が来たら、わざわざファン・ルーラーの神学を持ち出す必要はないかもしれない、とさえ思っています。

2013年3月28日木曜日

「日本語版『ファン・ルーラー著作集』草稿集」開設のお知らせ

各位

新しいブログを開設しましたので、謹んでお知らせいたします。

タイトルは「日本語版『ファン・ルーラー著作集』草稿集」としました。

日本語版『ファン・ルーラー著作集』草稿集
http://aavanruler.blogspot.jp/

あーだこーだ、釈明文を「はじめに」に書きましたので、お読みいただけますとうれしいです。

最後に言わせてください。

「ぼくのことは嫌いでも、ファン・ルーラーのことは嫌いにならないでください。」

皆さんに少しでも認めていただけるように、これからも私なりに頑張っていきたいと思います。

よろしくお願いします。

「ファン・ルーラー著作集草稿」序文

「ファン・ルーラー著作集草稿」のウェブサイトへようこそ。

このサイトで公開するのは、20世紀オランダのプロテスタント神学者アーノルト・アルベルト・ファン・ルーラー(Arnold Albert van Ruler [1908-1970])の論文や説教を関口康が個人的に翻訳したものです。

以前にも別のURLで似たようなウェブサイトを公開していましたが、新しいアドレスに引っ越し、訳文を増やしました。

自分自身の翻訳だけに限定するのは、自分の文章ならばいくらでも修正可能であると思うからで、排他的に自分以外の人の仕事を認めないというような意図は皆無です。どうかご理解ください。

そして、「草稿」と呼ぶのは、現時点では何一つ確定していないということです。何のこだわりもありません。ファン・ルーラーのオランダ語テキストに基づく根拠ある修正提案ならば、どんな小さな点でも喜んで応じます。日本語版『ファン・ルーラー著作集』が印刷・製本される前にご指摘いただけるのは、有難いことです。

しかし、長いお付き合いをしていただいている方がこのサイトをご覧になると、新しい訳文がほとんど含まれていないことに、がっかりされると思います。申し訳ございません。

「正確さ」と「読みやすさ」という、実は根本的に相矛盾する翻訳上の難問を解決するための努力を続けてきたつもりです。

しかし、道なお遠し、と感じています。時間も、能力も、経済的裏打ちも、致命的に不足しています。

アメリカのファン・ルーラー研究者アラン・ジャンセン博士が「ファン・ルーラーを読むためにオランダ語を学ぶ価値がある」と書いています。私も同意見です。

学生たちよ、果敢に挑戦せよ!

2013年3月28日

関口 康

yasushi.sekiguchi@gmail.com

2013年3月27日水曜日

老人からは「若い」と罵られ、子どもからは「ジジイ」と罵られ

「書籍の“自炊”で新たなルール検討へ」(NHKニュースウェブ、2013年3月27日7:40)

書籍をスキャナーなどで読み取り、自分で電子書籍にして楽しむいわゆる「自炊」と呼ばれる作業を、著作者の許可を得ずに有料で代行する業者が問題になっていることから、作家や漫画家らの団体は、代行業者から著作権使用料を徴収するなどの、新しいルール作りに乗り出すことを決めました。

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たかをくくってました。

今の勢いを考えると、数十年後、紙の本はほんとに消えるのかもしれませんね。

で、電気代を支払えなくなって(高すぎて)電子書籍も読めなくなるというオチ。

そういう小説でも書こうかな(笑)。

あ、でも、最近、老眼すぎて、紙の本が読めなくなってきました。

ルーペを常備しています。

Facebookも、ブラウザを125%に拡大しなくてはつらい状態です。

あらゆる意味で過渡期なんでしょうね、ぼくら世代は。中継ぎ。

老人からは「若い」と罵られ、子どもからは「ジジイ」と罵られ。

自炊なら、ちゃんとしてますよ。今日も買い物行かなくちゃ(笑)。

あ、そうそう。

こないだ、息子の友人(4月から高3)と牧師室で話している最中のこと。

妻からぼくの携帯に「買い物に行って来てください」とメールが来た。

ぼくが「やれやれ、鉄人28号みたいだ」とつぶやいたら、その彼が笑いました。

彼がなんで笑ったのかは、すぐに分かりました。

彼曰く、「鉄人28号というのは、一般教養として知っています」。

相当じいさんだと思われてしまいました。

そりゃそうだよね(笑)。

2013年3月25日月曜日

一つの見解が時代遅れになりうるか(1956年)

私が気になるのは、討論する人々がしばしば、ある特定の見解に対抗するための論拠として「それはすでに拒否された時代遅れの見解である」と言い出すことである。「それは19世紀的である」だの「それは中世的である」だのとレッテルを貼る。その人たちはその口ぶりで、その特定の表現方法、その特定の思想、そしてその特定の問題提起さえも、それはすでに片付いたものだと言っている。

こういうやり方は、実際にはデマの理由づけに利用されるだけではない。大衆的な集会の中では当然そういった論拠が際立つことがある。自分自身が大きな全体の部分であることに、だれもがひどく怯えている。自分がこの時代の高みにいる全体でないことに怯えている。だから、大衆集会のような場所では、ある特定の見解を名指しして「それは時代遅れである」と言うだけで、ある程度は事が足りてしまう。

しかし、冷静で真剣な討論や対話においてさえ、学識豊かな人々でさえ、こういうことを抜け抜けと論拠として持ち出してくる。そしてその人々は、特別な意識などは持たずになんとなくぼんやり生きているような人々に、我々は今まさに新しい真理を発見し、それを今まさに語っているのだという印象を与えようとする。

そのようにただ装っているだけの人々もいるので、そういう態度はまだ我慢できるものがある。集団心理というあの奇妙な現象にも当てはまるものがある。しかし、昔の人はそういうのが良いと思っていたようなこと(良いと思わない人はこんなことをしない)を、今の我々は全くばかげていると思っている。そういう話し方を聞かされると、どんな人でもまるで1920年代か30年代の写真を見せられているような気分になるだろう。

どうしてそうなるのかを考えているときの私は、面白がっているわけではない。そういうことを考えるのは社会学者や心理学者の仕事である。私が言っているのは、それは事実であるということだけである。絶えず自分を変化させていく現象もある。服装や家具や本のカバーのように。

そういう分野のことであれば、もう純粋に「それは時代遅れである」というただひたすらそれだけの理由で非難されることは、よくあることだし、我慢もできる。よく考えてみれば、人間が時代の流れの中で多種多様な反応をしてきたのは奇妙なことではある。しかし、そういう人間の反応は遊びの一種としてとらえることができる。そこに文化の本質が表れているとも言えるだろう。

しかし、そういうことと同じような反応の仕方で真理をあつかう問題を引き受けることができるだろうか。何世紀もの間、考えられ、語られてきたことのすべては、生身の人間によって生き生きと感じ尽くされてきたことなのだ!人類はこの世界を味わい抜いてきた。我々が体験しているこの私自身とこの世界は、現在は全く違ってきている。しかし、我々生身の人間は、昔の人間とは全く違うものになったのだろうか。事実と真理についての生々しい側面は話題にすることができなくなったのだろうか。それもそうだが、そもそも我々は「時代遅れになった様々な見解」に真剣に耳を傾けるべきではないだろうか。真理認識とは常に社会的な取り組みである。私がいま述べたことには二つの意味がある。現在生きている他の人々と共に、すなわち「横」の関係において、我々は真理を認識することができる。しかしそれだけではない。すべての先祖たちと共に、すなわち「縦」の関係において、我々は真理を認識することができる。

ここで気をつけるべきことがある。一つの問題提起や解決策に対して「それは時代遅れである」というレッテルを貼る人は、たいていの場合、いくつもある面倒な問題から逃げているだけなのだ。彼らの考え方は現代人の考え方と必ずしも一致しているわけではない。人々はそのことにも気づいている。しかし、彼らがしゃべりはじめると、自分たちのことを配慮してもらったと感じる人々が出てくる。彼らは、いとも簡単に「これは時代遅れである」というばかげた主張によってテーブルを片付ける。これほど安易なやり方が他にあるだろうか。彼らは、自分の時代の高みに喜んで立ちたがる、悲しいまでの人間の情熱に乗じているだけである。虚偽ではなく真理に立って生きることに無関心な、この時代の。

もちろん、我々の認識の多種多様な諸分野相互の違いはたしかにある。私に言いうるのは、厳密な学問はより高い蓋然性を有する過去の主張を土台にしているので、「それは時代遅れである」などと決めつけるのは間違っているということである。我々は、具体的な論拠を示すために過去の時代の思想を重んじるのである。

しかし、我々の人文科学が進歩すればするほど、人間の存在、社会、歴史、倫理、宗教についての問いへの取り組みが盛んになればなるほど、「それは時代遅れだから、もはや考える必要はない」などという言葉を口にすることはできなくなるだろう。

我々は過去に対して寛容でなければならない。そして我々の先祖と共に、我々の前に持ち上がるありとあらゆる問題提起とそれらについての可能な解決策は何なのかという問題に真剣に取り組まなくてはならない。実際それは事態の推移の中で明白な事実でもあった。これは一つのたとえであるが、1930年代の人々が苦悩した「そもそも存在とは何なのか」という問いは、中世においては絶望的に古くなり、それをカントが全く論破してしまった哲学の問題であった。認識論と心理学は真理に近づくための唯一許容された方法だった。「存在問題」は、今では哲学の空気にすぎない。

もう一つのたとえであるが、国家の問題がある。たぶんかつては重要だった問題である。それは「国家の土台は神にある」と相変わらず主張する、完全に時代遅れの思想である。この思想が語ろうとしていることは何であるかを真面目な現代人は知らない。人間はなぜ存在するのかという問いに関して昔の時代のすべての異教徒とすべてのキリスト者が明瞭に語ったことは、神と国家は親密にからみ合った関係にあるということだった。そのことに目が開かれないだろうか。まあ、これも時代遅れの見解なのだが。

Elseviers Weekblad, 22 december 1956, p. 14.
A. A. van Ruler, Blij Zijn als Kinderen, een boek voor volwassenen, J. H. Kok B. V. Kampen, 1972, p. 13-15.
A. A. van Ruler, Van schepping tot Koningrijk, Nederlands Dagblad, 2008, p. 25-27.
A. A. van Ruler Verzameld Werk Deel 1, Uitgeverij Boekencentrum, Zoetermeer, 2007, p. 73-74.

神の国と歴史(1947年)

(ユトレヒト大学神学部教授就任記念講演、1947年11月3日)

どの学問分野にも当てはまることだろうが、現代思想の分裂に直面して、自分自身が取り組んでいる学問的な専門分野と学問全体や文化との関係を明らかにする必要を感じているのは、他のどこにも増して神学部である。神学の仕事とは、神の前で、世の中で、人間であるとは何を意味するのかを問うことである。この問題は神学の問題だけではなく哲学の問題でもある。しかし、神学には神学なりの固有の問い方がある。我々神学者は、我々らしい方法を用いて、現代社会を揺さぶっている学問の危機という問題にかかわるのである。

自分自身の専門分野と学問全体や文化との関係を考え抜くことの必要性は、私自身がこれから担当することになる聖書神学とオランダ教会史と宣教学という三つの講義の準備をしてきた中で、強く自覚させられたことである。今は、神学とはそもそも学問なのかと問われている時代である。そしてまた、学問と文化の関係が危機的状況に陥っている時代でもある。そのような時代の中で神学者が取り組むべきことは、神学と学問と文化を結び合わせ、まとめあげることである。

私が苦心したのは、聖書神学とオランダ教会史と宣教学という三つの講義をどうすれば調和させることができるだろうかという問題であった。具体的に言えば、信仰の父アブラハムと、ユトレヒト大学神学部の歴史的創設者であるヒスベルトゥス・フーティウスと、オランダ改革派教会の宣教地であるパプア・ニューギニアの人々を全く同じ一つの視野の中で同時に見つめるためにはどうしたらよいのかという問いであった。それはまた、夢追い人と揶揄されたフードマーカーの言葉を持ち出していえば、「使徒の福音」と「国家神学」と「全世界のキリスト教化」との関係は何かという問いでもあった。

このような我々の問題意識に対し、その必要を満たし、今後の方向を示し、さらにしっかりと全体をまとめていくための出発点として、「神の国」と「歴史」との関係を問うこと以上に良いことはありえないと、私は思い至った。「神の国」と「歴史」の関係を問うとき、我々の意識の中では、聖書と教会と宣教が、それぞれにふさわしい位置づけと役割をもっている。また、神学者が歴史の問題に真剣に取り組むならば、そのとき初めて、神学と他の学問との関係を明らかにすることができるのである。

(続く)

【出典】
A. A. van Ruler, Verwachting en voltooiing.
A. A. van Ruler, Verzameld Werk.


2013年3月24日日曜日

聖書に専念せよ


テモテへの手紙一4・11~16

「これらのことを命じ、教えなさい。あなたは、年が若いということで、だれからも軽んじられてはなりません。むしろ、言葉、行動、愛、信仰、純潔の点で、信じる人々の模範となりなさい。わたしが行くときまで、聖書の朗読と勧めと教えに専念しなさい。あなたの内にある恵みの賜物を軽んじてはなりません。その賜物は、長老たちがあなたに手を置いたとき、預言によって与えられたものです。これらのことに努めなさい。そこから離れてはなりません。そうすれば、あなたの進歩はすべての人に明らかになるでしょう。自分自身と教えとに気を配りなさい。以上のことをしっかりと守りなさい。そうすれば、あなたは自分自身と、あなたの言葉を聞く人々とを救うことになります。」

いまお読みしました個所、なかでも11節の御言葉は、私にとっては非常に思い出深い御言葉です。しかし、その思い出には証拠が残っていません。まさに記憶の中だけのことになってしまいました。そして、その記憶も、もしかしたら正確でないかもしれません。

実を言いますと、この御言葉は、私がおそらく生まれて初めて(?)自分のものとして手に入れた(このあたりの事実関係が怪しいのですが)旧約と新約の両方がある聖書の最初の空白のページに、当時私が通っていた教会の牧師が筆で書いた文字として記されていたものでした。

それはたしか私が中学か高校の頃から持っていた聖書です。たぶん親が買ってくれたのだと思います。なぜその聖書を中学か高校の頃に買ったと分かるのかといえば、私は高校を卒業してすぐに東京神学大学に入学しましたが、入学当初にはかなりボロボロだったので、同じ年に入学した一人の人から「おお、しっかり勉強してきたな」と冷やかされました。そんなふうに言われたことを覚えていますので、その聖書を買ったのが中学か高校の頃だったらしいことは分かります。

しかし、その聖書はもう私の手元にありません。ボロボロになったので捨てました。いつ捨てたかは覚えていませんが、捨てた記憶がはっきり残っています。捨ててしまってもう手元にありませんので、その聖書にこの御言葉が記されていたということの証拠がありません。しかし、その記憶だけは鮮明に残っています。当時の口語訳聖書からの引用でした。「あなたは、年が若いために人に軽んじられてはならない。むしろ、言葉にも、行状にも、愛にも、信仰にも、純潔にも、信者の模範になりなさい」。そのように書かれた牧師の字が、私の聖書の最初のページに書いてあったのです。

なぜ私がそのことを覚えているのかといえば、とにかく自分の聖書を開くたびに、その御言葉が目に入っていたからであることはもちろんです。しかし、もう一つ、この御言葉を見るたびに、なんとも表現しがたい悔しい思いを味わっていたからです。だからよく覚えています。もっといえば、この御言葉を見るたびに、苛立つ気持ちがあったのです。

その理由の一つは、私が洗礼を受けた年齢が早かったことにあります。私は小学校に入る前のクリスマス、6歳の誕生日を迎えたばかりの頃に、幼児洗礼ではない成人洗礼を受けました。そういう洗礼を認めてくれる教会だったので、そういうことになりましたが、改革派教会の洗礼の考え方とは違うところがありますので、皆さんに同じことを勧める意図はありません。

しかし、私は洗礼を自分で志願して受けたことだけは間違いありません。志願した日の記憶がはっきり残っています。自分で洗礼を受けたいと言いました。だから責任は自分にあるのです。

しかしその後、中学生か高校生になった頃の私に立ち向かってきたのが、この御言葉でした。「年が若いために人に軽んじられてはならない。むしろ、信者の模範になりなさい」。

そんなこと言われてもどうすればよいのか分からないというのが、正直な思いでした。私が幼いころに通っていた教会は、わりと規模の大きな教会でしたので、いろんな人がいました。年齢層は、上は80歳か90歳くらいの方々から、下は0歳児まで。その中で「信者の模範になりなさい」と言われても困る。心底、途方に暮れる思いになりました。真剣に悩んだ言葉なのですから、忘れることなどできるものですか。

この御言葉を書いてくれた牧師は、私がそこまで思い詰めるとは思っていなかったのではないかと思います。しかし、それはその牧師自身の言葉ではなくて聖書の御言葉なのですから、牧師の手からは離れています。だからその牧師には責任はありません。

しかし、今日のこの夕拝説教の聖書個所を決めるために、この個所を改めて読み直してみて、はっと気づかされるものがありました。しかし、それは別に、びっくりするようなことではありません。考えてみれば当たり前のことです。

それは単純な話です。この御言葉はやはり、使徒パウロが若き同労者テモテに書き送ったものであるということです。そして、テモテの仕事は伝道であり、教会の牧師としての仕事であるということです。「年が若いということで軽んじられてはならない」のは伝道者のことであり、教会の牧師のことです。「言葉、行動、愛、信仰、純潔の点で信者の模範になること」が求められているのは教会の牧師です。誰にでも当てはめることができる話ではないのです。

そして、今回特に気づかされたことは、この二つのこと(若さゆえに軽んじられてはならないこと、信者の模範になるべきこと)は、すぐ後に記されている「わたしが行くときまで、聖書の朗読と勧めと教えに専念しなさい」という御言葉から切り離すことはできない、ということです。

たとえて言うなら、テモテは神学校を卒業したばかりの伝道者であり、教会の牧師の仕事を始めたばかりです。その彼は、当然のことながら信者の模範になることが求められてはいました。しかし、どんな仕事でも、それを始めたばかりの人にできることとできないことがあるわけです。テモテには、まだできないことがあったのです。

できることとできないこととがある中で、パウロがテモテに求めたのは「わたしが行くときまで聖書の朗読と勧めと教えに専念しなさい」ということでした。経験不足のテモテにできないことを「しなさい」とパウロは言いませんでした。今のあなたにできることをしなさいと言っているのです。それは聖書に専念することです。御言葉の説教に集中することです。

それは若い今のあなたにもできることです。御言葉の教師として召された者である以上、そのことができないようでは困ります。しかし、教会の中には説教以外にもいろいろな課題があります。説教以外の部分の中には、経験豊富な牧師でなくてはできないことがあるかもしれません。もしそれをまだできないのならば、無理をしなくてもいいし、背伸びしなくてもいいです。その部分は、わたしが行ったときにフォローし、カバーするので、大丈夫だから、安心しなさいと言っているのです。

これで分かるのは、パウロが書いていることは無理難題ではなく、むしろ現実的なことであるということです。ついでに言えば、経験不足の若い牧師を軽んじる傾向がある教会に対する苦言も含まれています。パウロが最も恐れているのは、牧師の失敗や過ちによって教会が壊れてしまうことです。そうならないように、経験不足の若いテモテをかばい、支え、励ますことがパウロの意図です。

(2013年3月24日、松戸小金原教会主日夕拝)

2013年3月23日土曜日

牧田吉和先生の『ドルトレヒト信仰規準研究』の書評が『季刊 教会』最新号に掲載されました

全国のキリスト教書店で販売されている雑誌『季刊 教会』最新号(第90号、2013年春季号)に、牧田吉和先生がお書きになった『ドルトレヒト信仰規準研究』(一麦出版社、2012年)についてぼくが書いた書評が掲載されました(75~76ページ)。

「書評」のような小さな書き物は、書きっぱなしで眠らせておくよりも、ブログなどに貼りつけて晒すほうが、いろんな人に読んでもらえると思いますので、以下、公開いたします。

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<本のオアシス>

『ドルトレヒト信仰規準研究』牧田吉和著 一麦出版社 2012年

関口 康

牧田吉和先生の『ドルトレヒト信仰規準研究』は、日本国内のすべてのキリスト教会において熟読されるべき一書であると確言できる。本書は「読者の理解しやすさを念頭に置き」(二十四頁)、ドルトレヒト信仰規準の側に立つ人々(本書の表現を借りれば「コントラ・レモンストラント」)を「カルヴィニスト」と呼び、この信仰基準によって排斥された側の人々(「レモンストラント」)を「アルミニウス主義者」と呼んでいる。私も牧田先生に倣って、なるべく分かりやすく書くことにしよう。

本書は自称ないし他称の「カルヴィニスト」だけに読まれるべきではない。「アルミニウス主義者」であることを自覚している人々や何らかの影響を受けている人々に読んでもらいたい。アルミニウス主義に関して部外者の私は正確なことを知らないが、たとえばメソジスト、ホーリネス、ナザレン、アライアンス、フリーメソジスト、ペンテコステなどの方々は、アルミニウス主義と何らかの関係があるのだろうか。もし今でも関係が続いているようなら本書を読んでほしい。そして、本書が描いている「カルヴィニズム」と、歴史的な過去に「アルミニウス主義者」が描いてきた「カルヴィニズム」とが、どこまで合致し、どこからは合致していないかを検証していただきたい。

今の文章を書いているうちに、どんどん話が難しくなってしまっている。私が言いたいことは、昔の教会の人々が「カルヴィニストとはこういう立場であり、アルミニウス主義者とはこういう立場である。アルミニアンはアルメニアンではありませんので間違えないでください」と説明していたことを覚えておられる方々は、その記憶の内容と、この本に書かれていることとを比較してみてください、ということである。予想を言わせていただけば、合致している部分よりも合致していない部分のほうが少なくないことに多くの読者がお気づきになるはずである。もし気づかないとしたら、残念ながら本書を読みきれていない。二か所だけ指摘しておこう。

「いずれにしても、『レモンストラント五条項』の一つひとつの条項に、『ドルトレヒト信仰規準』の側でも一つひとつ独立して対応し、それがそのまま『カルヴィニズムの五特質』となっているように考えられやすいのであるが、それは誤解である。あえて言えば、『ドルトレヒト信仰規準』の場合には、形式的には四条項の構成になっているのであるが、実質的内容を整理すると『カルヴィニズムの五特質』として類型化することができるということにすぎない」(一四六頁)。

「『ドルトレヒト信仰規準』は予定論を扱い、カルヴィニズムは確かに予定論の教えをも含むものであるが、予定論がカルヴィニズムの全体を表現するものではない。したがって、『ドルトレヒト信仰規準』をもって『カルヴィニズムの五特質』と表現することは、カルヴィニズムを偏向して理解させることになり、カルヴィニズムの矮小化に導くことになる」(一三九頁)。

このような「誤解」に基づく解説を聞いてこられた方々は多いのではないだろうか。本書の立場は一教師の個人的見解にすぎないなどと片付けないでもらいたい。牧田先生は現在は高知県の教会の牧師であるが、日本キリスト改革派教会第三十二回定期大会(一九七七年)から六十一回定期大会(二〇〇六年)までの二十九年間、大会憲法委員会第一分科会に属され、五十二回定期大会(一九九七年)から六十一回(二〇〇六年)までの十九年間、委員長であった。また一九八一年から二〇〇七年までの二十六年間、神戸改革派神学校で組織神学を教えられ、一九八七年から二〇〇七年までの二十年間、(大会における投票によって選任された)神学校長であった。本書の発行所は「神戸改革派神学校カルヴァンとカルヴィニズム研究所」である。一教派の「公式見解」とまでは言えないが、一教派の行方を決するきわめて重大な見解であるとは言える。

ともかく、長年の「誤解」の修正が本書の主旨であることは間違いない。加えて、カール・バルトによるこの信仰規準に対する批判への「応答」も意図されている。私は本書の登場によって日本国内の全キリスト教会における予定論の議論が活性化されることを期待している。堅牢で信頼に足る研究書をまとめられた牧田先生に感謝したい。

(日本キリスト改革派松戸小金原教会牧師)

律法の成就 啓示と現実の関係についての教義学的研究(1947年)



第八章  律法の成就

最終章にたどり着いた。本章の課題は、律法の成就に関する新約聖書の証言内容を要約すること、そして、本書の目標である啓示と現実の関係についての教義学的研究の全貌を暫定的に提示することである。

本書第一部で主張したことは、我々の問題を解決するために教義学という方法を用いることは十分に正当なことなので、その正当性を取り返さなければならないということであった。第六章や第七章も同様であったように、教義学者が聖書釈義や聖書神学の専門家たちと対話すると、黙って聴き従うことに困難を覚える。対話のもう一方の側の聖書学者はどうだろうか。彼は時々、自分の同僚である教義学者の書物から引用する。ただし、彼は一つの点で自分の家のルールを厳守する。彼はなるべく几帳面に、共観福音書とパウロ書簡とヨハネ文書とその他の文書を区別する。しかし、この区分には決定的な意味は無いのである。本書がこの結論部分で主張しなければならないことは新約聖書の統一性であり、もっと多くの神の真理である!生ける神は律法を用いて何をなされ、かつ律法において何を語られたのかを、新約聖書はどのように証言しているのだろうか。今こそ我々はその問題に意識を集中しなければならない。

本書第二部で主張したことは、我々の教義学的研究の全貌を提示する際に、この全貌はあくまでも暫定的なものにすぎないという点を強調しなければならないということであった。生ける神が律法を用いて何をなされ、かつ律法において何を語られたかを説明するのは容易なことではない。神の言葉の統一性を疑問視する声は、神学が高度に学術化した今日的な文化状況に至って初めてあがったものではない。我々はどんなときでもその問題に取り組まなければならないのである。またもう一つ考えなければならないことがある。この問題については、キリスト教会の長い歴史的格闘を経て出されてきた実に多くの異なる答えがある。この事情を知っている者たちは、地上に打ち建てられる神の国の中でモーセの律法に与えられる意義は何かという問いに対して十分かつ正確な答えを出しうるというような幻想を抱くことはないだろう。モーセの律法は神のみわざの中で、いろんな意味で謎に満ちた役割を果たすのである。いくつかの重要な視点を設けて、できるだけ多くの問題を提起するほうが、性急な答えを安易に出すよりも、はるかによいことなのである。

このような遠慮は必要なことでもある。我々が取り組んでいるこの問題には実に多岐にわたる問題点があるからである。我々はすでに三位一体論やキリスト論の問題を扱った。モーセの律法の意義についての問いに対する答えは、キリスト論に対しても三位一体論に対しても、新しい問いを提起している。その問いの趣旨を今すぐに説明することはできない。その問いの中身を明らかにすること自体はこの文脈の関心事ではない。多くの問題と共にその問いもあると言っているのである。私が考えているのは和解論であり、義認論であり、聖化論である。聖書論も然り。礼拝論や教会規程論、ひいては教会論全体が我々の視野にある。聖礼典の問題は重苦しいものでさえある。問うべきことはいくらでもあるのだ。律法論(de locus de lege)は他の教理と内容的に絡み合っている。その様相はこの一冊の教義学書の中で片付けることなど考えられないほどである。

本書の目標設定上の限定からしても、本書の教義学的性格からしても、教会史的考察の部分なしで本書を完結させることはありうることである。私が最も願っていたことは、社会の中での教会の制度と、教会をとりまく社会の制度との中でモーセの律法はどのような役割を持っているのかという問題を考え抜くことであった。しかし、このことは技術的に不可能であった。読者各位には、そこでどのようなことが話題にされるべきかを想像していただく他はない。我々の研究は公同教会に属する一教派だけに関係していればよいものではなく、主要なすべての教派に関係しているものでなければならない!さらに我々はこの問題について礼拝学的にも教会職制論的にも聖礼典的にも倫理的にも神秘的にも政治的にも文化的にも考え抜かねばならない!考えるべきことは教理史の問題ではないし、教会史の問題でもない。我々の関心は神の律法の歴史的性格と現実的価値にあるのである。とにかく一度、本書を終わらせなければならない。今書いているのは教義学の研究書である。これは教会史の情報についての価値判断の基準を探す仕事である。本書の中に聖書釈義と聖書神学に関する章を設けた理由は、聖書は教会よりも上に打ち建てられたものであるということ、そして教義学は証拠聖句によって導かれるものであるという我々の見解に関係している。

(つづく)

2013年3月20日水曜日

自ブログのタイトルを変更しました

あ、申し遅れました。昨日のことですが、自ブログのタイトルを変更しました。

(旧)「関口 康 説教・神学・日記」

(新)「関口 康 日記」

必ず毎日書いてるわけではないし、活動記録のようなことを書いたためしはないので、実態はなんら「日記」じゃないのですが(すいません)、他に思いつかないだけです。

というわけで、これからもどうかよろしくお願いします。

2013年3月20日

「関口 康 日記」主筆 関口 康

2013年3月13日水曜日

中学校の卒業式で祝辞を述べました


中学校の卒業式で以下の祝辞を述べました。

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3年生のみなさん、ご卒業おめでとうございます。PTAを代表して心からお祝いを申し上げます。

3年生のみなさんも、3年間いろいろ大変だったと思います。でも、先生たちも、親たちも、大変でした。

ですから、この卒業式が終わったら、先生たちとお父さんやお母さんに「3年間、ありがとうございました」とお礼を言ってください。

とくに親たちは、3年間大変だっただけではなく、15年間がんばってみなさんを育ててきたのですから、15年分のありがとうを、今日言ってくれてもいいです。

昨日読んでいた姜尚中(かんさんじゅん)先生の『悩む力』(集英社新書、2008年)という本の中に、ちょっと難しい言葉なのですが、「自我というものは他者との関係の中でしか成立しない。人とのつながりの中でしか、『私』というものはありえないのです」(38ページ)と書かれていました。

簡単に言えば、わたしたちはひとりで生きているわけではない、ということです。多くの人たちとの関係の中にいる、ということです。そして、多くの人たちとの関係の中にいることが分かるときに初めて、自分はどういう人間なのかが分かる、ということです。

もちろんそのことには、良い面ばかりではなく、嫌な面もあると思います。わたしたちは独りで生きているのではない。多くの人たちとの関係の中にいる。そのときに必ず問題になることは、お互いに比べ合うことです。比較であり、競争です。競争で負けてしまったときは、悔しいし、悲しい。

でも、そこであきらめないでください。努力を続けてください。みなさんを応援してくれる人は必ずいます。いろいろと助けてくれます。

独りにならないでください。孤立しないでください。一緒に生きている家族や友達や先生を大切にしてください。みなさんがイライラしてコワい顔をしているときは、周りの人もなかなか近づくことができません。みなさんがニコニコしていれば、みなさんの周りに自然と信頼の輪ができてきます。

2年前の今ごろは、これから日本はどうなっていくのかとみんな心配していました。3月11日の地震発生のとき、3年生のみなさんはまだ学校の校舎内にいましたよね。怖かったでしょう。泣きながら走って家に帰った子もいました。その後の2年間は、不安だらけの毎日だったと思います。

あの日に被災して亡くなった中学生たちが大勢います。その方々のことを忘れてはなりません。本当に残念なことでした。でも、みなさんは、まがりなりにも、今日の卒業式を迎えることができました。

不安が多い時代だからこそ、孤立しないで、希望をもって、みんなで力を合わせて、生きて行こうではありませんか。

ご父兄の皆さま、ご卒業おめでとうございます。

先生方、3年間、ご指導いただき、ありがとうございました。

御来賓の皆さま、地域の皆さま、ご列席いただき、本当にありがとうございました。

平成25年3月13日

松戸市立栗ケ沢中学校PTA会長  関口 康

2013年3月12日火曜日

翻訳を「せずに済ませる」なら学問の退化である

ツイッターから転載。

Nei Fukui @NeiMuroya
自国語で大学の講義が「できない」ということはものすごく不幸なことですよ。たとえば学術用語の自国語訳が進んでいないから、自国語では大学レベルの講義が「不可能」であるような国はたくさんある。日本人には自国語での講義ができるのに、この特権を捨てる必要はどこにもない。

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これは内田樹先生がリツイートしておられたツイートです。

Nei Fukuiさんのおっしゃるとおりだと思いました。

オランダ語のテキストを前に「翻訳とは何か」という問いに苦しんできた者としては、なんだかまるで自国語で大学の講義をすることが恥であるかのように思ってるんじゃないかと疑わせるものがある最近の空気が、不愉快でたまりません。

それ「逆行」だと思うんです。「退化」です。学問の退化であり、学問の放棄です。

小うるさいナショナリストではないですよ、ぼくは。なにもかも漢字とひらがなで書けるような言葉に直せとか、そういうことを言っているわけではありません。「”ベースボール”と書いてはいけない。”野球”と書きなさい」みたいなことを言うつもりはない。「リツイート」とか書いてますし。

だけど、翻訳ってスゴイたいへんなことなんですよ。重労働だし、人生を賭けるだけの価値ある仕事なんです(翻訳を職業として選ぶことだけを言っているわけではありません)。

翻訳しながら、テキストに書かれている言葉の一つ一つの意味を徹底的に考えはじめるんですよ。

そういうことを「せずに済ませる」ことができるように、いまの大学が変質しているんじゃないですか。それを言いたいんです。

2013年3月11日月曜日

ファン・ルーラーの三位一体論的神学における創造論の意義(2013年)

(左から 田上雅徳 芳賀力 野村信 関口康)
関口 康



事前に芳賀力先生と野村信先生の講演レジュメを読ませていただく機会を得た。何を語るべきか考えあぐねていたが、ようやく心が定まった。

カルヴァンの学会でファン・ルーラーの神学についての研究発表をすることは「欄外注」以上ではありえない。問題は、カルヴァン学会の関心とファン・ルーラーの神学の接合点はどこにあるのかということであった。

しかし、芳賀先生は「カルヴァンの中にあった被造世界の肯定という萌芽はやがて一般恩恵論という形で大規模に開花することになる」という重要な命題を提示してくださった。そして一般恩恵論の弱点を克服する鍵は「三位一体論的創造理解」にあることを示唆してくださった。

また、野村信先生は、被造世界についてカルヴァンが、必ずしも明瞭に神の栄光を見ることはできないが、それをおぼろげには映していると見ていたことを「カルヴァンの自然神学」という言葉で表現してくださった。そしてカルヴァンが被造世界を「神の栄光の劇場」(theatrum gloriae Dei)として肯定的に見ていたことを紹介してくださった。

これらの問題についてファン・ルーラーはどのように考えていたのだろうか。この問いに光を当てることで「欄外注」の務めに仕えることにした。そのうえで表題に掲げたとおり、ファン・ルーラーの三位一体論的神学における創造論の意義を明らかにしてみたい。

Ⅰ 一般恩恵論の問題

一般恩恵論、とくにカイパーのそれに対しては、ファン・ルーラーの見解は明確に提示されている[1]。ファン・ルーラーは1939年に『カイパーのキリスト教文化の理念』[2]を著した。これは、ファン・ルーラーがユトレヒト大学神学部教授になる前に出版した彼の学界デビュー作である。その内容はカイパーの『一般恩恵論』(De gemeene gratie)に対する痛烈な批判であった。こうして彼はカイパー批判者として広く知られるようになった。彼の問題意識は終生失われなかった。

ファン・ルーラーはカイパーの一般恩恵論の背景である彼の特別恩恵論に注目する。カイパーにとって特別恩恵とは、個人的に与えられる、直接的な「再生」(wedergeboorte)の恵みである。しかも、再生とは「人間の最も内なるものの転換」であり、信仰者の魂における永遠の命に関係し、原理的に時間的なるものの外部にある。したがって、現在という時においては、特別恩恵は「魂のより内的な、また霊的な、そして神秘的な生」として引きこもった位置にある。

カイパーのスピリテュアリスティッシュな特別恩恵理解は、彼の思想に必然的に二元論的傾向をもたらすことになった。なぜなら、特別恩恵は個人的で霊的で神秘的なものであるが、文化は個人的なものではありえず、共同的な性格を持つからである。文化は内面的なものだけではありえず、常に外面的なものに関係する。神秘主義と文化は相容れない関係にある。

したがって、カイパーの一般恩恵論にとっては、文化の評価は結果であっても動機ではない。カイパーの関心は、生の全領域において「キリスト教的な」(Christelijke)活動を展開することにあった。それを可能にするためにスピリテュアリスティッシュな内容を持つ特別恩恵が時間的世界と関係を持つ一般恩恵を必然化した。特別恩恵が現世に姿を現わす場と領域を、一般恩恵が提供する。一般恩恵とは、特別恩恵と現世の生との靱帯であり、特別恩恵と文化をつなぐ媒体(medium)である。

カイパーによると、一般恩恵には二つの目的がある。第一は「結合点」(aanknopingspunt)を提供することであり、第二は「始原的な創造の諸力」(de oorsprokelijke scheppingspotenties)を発展させることである。しかし、この第二の目的が十分に果たされるためには特別恩恵が必要である。

このようにカイパーは一般恩恵の二つの目的を示すことによって、一般恩恵と特別恩恵とを緊密に結合させた。しかし、実際に機能するところではカイパーの恩恵論はたびたび二元論的であり、結果的には一般恩恵の独り歩きに至る、とファン・ルーラーは批判する。

カイパーの一般恩恵論の問題点は、彼が教会と文化の関係をどのようにとらえたかを見れば、よく分かる。ファン・ルーラーによると、カイパーにとって制度としての教会は特別恩恵の領域なので、教会自体の中に文化が築かれることはない。文化形成のためには別の素材が必要になるのであり、その素材は教会の外なる世界としての一般恩恵の領域に存在する。

しかも、その素材がキリスト教的な文化になるためには特別恩恵を必要とする。キリスト教信仰の灯が制度としての教会の中に光り輝き、その光が窓から教会の外の世界に遠く達し、人々の生活の諸関連に影響を及ぼす。また、教会員の一般恩恵の世界での存在と活動が影響を及ぼす。そして、その影響は主の民が社会に与える「きよめ」としての倫理的意味を持っている。

しかし、そうなると、特別恩恵の一般恩恵への影響、すなわち教会が文化に与える影響の結果そのものは特別恩恵なのかそれとも一般恩恵なのかは、どのように説明できるのだろうか。この問いかけに対してカイパーは「二種類のキリスト教文化」を語らざるをえなくなる。

第一は、特別恩恵によって強化され、推進され、特別恩恵の影響のもとで全き発展に至る一般恩恵による文化である。これは広義のキリスト教文化である。第二は、一般恩恵からではなく、特別恩恵から生み出される文化であり、「再生の文化」(een cultuur der wedergeboorte)である。これは狭義のキリスト教文化である。

そしてカイパーは、特別恩恵と一般恩恵の関係とのかかわりで、世界を四つの領域に分ける。第一の領域は、特別恩恵の影響が存在しない一般恩恵の領域である。

第二の領域は、特別恩恵からだけ姿をあらわす制度的教会の領域である。

第三の領域は、特別恩恵の灯によって光を当てられる一般恩恵の領域である。

第四の領域は、一般恩恵によってもたらされたものが用いられる特別恩恵の領域である。

この四つの中の第三の領域が広義のキリスト教文化であり、第四の領域の文化は「集中化したキリスト教文化」(de geconcentreerde-christelijke cultuur)である。これは「有機体としての教会」(de kerk als organisme)が可見的に顕在する領域であり、イエスはキリストであると告白する者たちが固有な領域で啓示の原理によって一般恩恵の生を支配する領域を意味する。

そして、カイパーは狭義と広義の二種類のキリスト教文化の関係を二つの同心円で理解する。内円は集中化したキリスト教文化としての「再生の文化としてのキリスト教文化」であり、外円は一般的なキリスト教文化としての「一般恩恵の発展としてのキリスト教文化」である。

狭義の集中化したキリスト教文化の活動は、広義の一般的キリスト教文化のために必要とされる。この意味でカイパーによるアムステルダム自由大学の設立目的は、ヨーロッパ・アメリカという文化世界の再キリスト教化の中心であり、中核であり、起点を作ることにあった。

しかしファン・ルーラーにとっては、このカイパーの「二種類のキリスト教文化」という理念が問題であった。カイパーにおいては、一方では、特別恩恵の十分に発展することの目的は一般恩恵のキリスト教化にあるとされ、他方では、特別恩恵が十分に発展するために特別恩恵が必要であると考えられている。もしそうであるならば、二種類の間の質的差異は原理的に存在しないとファン・ルーラーは考えた。

広義のキリスト教文化と狭義のキリスト教文化との間に「対立」(antithese)は原理的に存在しない。特別恩恵の一般恩恵に対する働きの意義は一般恩恵の発展における倫理的・信仰的堕落を矯正することにあるというにすぎない。

アムステルダム自由大学が必要とされたのは、不信仰な諸大学の営みによって倫理的・信仰的な点で世論やキリスト教的諸活動までも致命的な影響を受けてしまわないようにするためという点にあった。つまり倫理的・信仰的な堕落の矯正という役割である。

しかし、この意味でのキリスト教文化は非常に狭い場所で特別恩恵であることを求めることになる。矯正という点からは、なんら固有の文化は成立しえないからである。

アムステルダム自由大学の存在意義は矯正だけにあるのではなく、キリスト者としての彼らの学問的営為を護るという実際的な必要性があったと言える。さらに「信仰的確信のプロパガンダの手段」でもあった。それによって一般恩恵の世界に対して影響力を行使する。

しかし、その場合でも結局問われることは「集中化したキリスト教文化」とは何を意味するのかという点にある。それは「文化」(cultuur)なのかそれとも「伝道」(zending)なのかという問いが残る。ファン・ルーラーは、これらの議論を経て、「アムステルダム自由大学は、孤立したキリスト教的ゲットーで秘教学(esoterische wetenschap)を営む学府になり終わる」と結論づける。

ファン・ルーラーの問題意識は、カイパーのスピリテュアリスティッシュな特別恩恵理解が、キリスト教文化の問題に関して、結果的に二元論的構造をもたらすことになるという点にある。この二元論的構造が一方で教会を宗教的ゲットーに押しこみ、他方でこの世界はそれ自体で自立した世界であるとみなすことになる。それがこの世界を世俗化に導くことになる[3]。

ファン・ルーラーは一般恩恵と特別恩恵を区別しない。特別恩恵が直接的に、文化が営まれる生のすべての現実にかかわることになる。それを彼は「セオクラシー」(theocratie)と呼ぶ[4]。

牧田吉和先生によると、「特殊」から「一般」に向かう点で、ファン・ルーラーは、カール・バルトの神学的道筋の上にある。

Ⅱ 三位一体論的神学

しかし、ファン・ルーラーはカール・バルトの神学を克服することに人生をかけた人である[5]。彼はバルトの著書を徹底的に読み、心酔することから自らの神学を始めた。「私は純血のバルト主義者(spur sang Bartiaan)として出発した」[6]と述べたことがある。

しかしその後、バルトを批判しはじめた。「三位一体論的神学」とはファン・ルーラー自身が用いた表現である。その最も中心的な意図は、カール・バルトの「キリスト論的集中の神学」への批判であった。ファン・ルーラーによると、バルトの神学は「キリスト一元論」(christomonisme)である。

ファン・ルーラーの「三位一体論的神学」の根本命題は「正しく考えられた三位一体論的思考様式の内部に二重の運動がある」[7]というものである。「二重の運動」とは、複数の異なる神学的諸視点を「互いに引き寄せ合う」(op-elkaar-betrekken)運動と「互いに引き離し合う」(uit- elkaar-houden)運動である。「三位一体の教義はこの二重の運動を神学的につなぎあわせる方法によって我々の思考を鍛えてくれる」[8]と彼は述べている。

この二重の運動は内在的三位一体(immanent triniteit)の思考様式の中にもあるし、経綸的三位一体(economische triniteit)の思考様式の中にもある。内在的三位一体の教説の根本命題は、「三位一体の神の内なるみわざは区別される」(opera Dei trinitatis ad intra sunt divisa)である。

父なる神と子なる神と聖霊なる神は、ひとりの神の内部で互いに引き寄せ合い、永遠に交流している。それが「神的位格の相互交流」(communio personarum divinarum)である。しかし、この教説を保持するためには、神的位格の区別性(distinctio personarum divinarum)を確保する必要がある。

三つの位格は、互いに区別されているからこそ、互いに交流することができる。三つの位格の区別性は「論理的な(logische)区別以上」のものである。それは「本体論的な(ontologische)区別」であり、「神的・本体論的(goddelijk-ontlogische)な区別」である。

父なる神は、子なる神ではないし、聖霊なる神でもない。父なる神のみわざは「子を産み、聖霊を発出すること」である。しかし、子なる神に「子を産むこと」は不可能である。子なる神のみわざについては、主語と述語を入れ替えて(換位して)「父から産まれること」と言わなければならない。そして子なる神もまた「聖霊を発出する」。聖霊なる神のみわざは「父と子から発出されること」である。

このように、父なる神の視点と子なる神の視点と聖霊なる神の視点は区別されなければならない。そして異なる各視点は「思考の技法」(denktecnische)としてではなく、最も根源的な次元において引き寄せ合っている。

経綸的三位一体の教説を支える根本命題は、「三位一体の神の外なるみわざは区別されない(opera Dei trinitatis ad extra sunt indivisa)である。経綸的三位一体とは、神の外なるみわざとしての創造(creatio)・贖い(redemptio)・聖化と完成(sanctificatio et perfectio)の関係を扱う教説である。ファン・ルーラーは次のように述べている。

「神のみわざは、父・子・聖霊のいずれかひとつの位格(persona, zijnswijze)だけで行われるのではなく、三つの位格がそれぞれの役割を分担する仕方で、三位一体的に行われる。それゆえ我々は、神の外なるみわざ(創造・贖い・聖化と完成)の一つ一つを、父なる神の視点からも、子なる神の視点からも、聖霊なる神の視点からも見つめなければならない。それによって、互いに引き寄せ合う運動と互いに引き離し合う運動という二重の運動を、相互関係的に形成していかなければならない」[9]。

ハイデルベルク信仰問答の問24とその答えを見ると、「父なる神」と「創造」の関係、「子なる神」と「贖い」の関係、「聖霊なる神」と「聖化」の関係が見える[10]。これで3本の線を引くことができる。しかし、ファン・ルーラーの理解に立てば、線はもっと多く引かなくてはならない。

内在的三位一体の三つの位格(父・子・聖霊)と経綸的三位一体(創造・贖い・聖化と完成)の三つのみわざを掛ければ(3x3)、線は9本である。創造のみわざは父なる神の視点からだけではなく、子なる神の視点からも、聖霊なる神の視点からも見つめなくてはならないからである。

贖いのみわざは、子なる神の視点からだけではなく、父なる神の視点からも、聖霊なる神の視点からも見つめなくてはならない。聖化(と完成)のみわざは聖霊なる神の視点からだけではなく、父なる神の視点からも、子なる神の視点からも見つめなくてはならない。

しかし、引くべき線はまだある。「聖化」と「完成(または終末)」を区別して、三つの位格と4つのみわざを掛ければ(3x4)、線は12本になる。また、三つの位格どうしの関係や三つもしくは4つの経綸どうしの関係も加わる。「父なる神」と「子なる神」の関係、「父なる神」と「聖霊なる神」の関係、「子なる神」と「聖霊なる神」の関係についての議論は、従来の教義学も扱ってきた。これで3本加わる。

しかし、まだある。ファン・ルーラーは「聖化」と「完成」を区別した上で、「創造」と「贖い」の関係、「創造」と「聖化」の関係、「創造」と「完成」の関係、「贖い」と「聖化」の関係、「贖い」と「完成」の関係、「聖化」と「完成」の関係についてそれぞれ興味深い命題を提示している。これでさらに線は6本加わる。以上で21本の線が見えてくる。

しかも、それら21本の線(まだあるかもしれない)は、どれも静止していない。すべての線は、一つの視点と他の視点との「互いに引き寄せ合う運動」と「互いに引き離し合う運動」との両面を持っているので、各線上にあって我々の思考は、主語と述語を入れ替えながら不断の往復運動を続けている。このように、「神の内部の運動」(beweging in God)[11]を徹底的に考え抜くことが「三位一体論的神学」の本質である。

ファン・ルーラーは、その神学の完成形を「全面的に展開された三位一体論的神学」(een ten volle ontwikkelde trinitarische theologie)[12]と呼ぶ。

このような構造を持つ神学は、最終的にはあらゆる問題を「子なる神」と「贖い」との関連へと集中させていく「キリスト論的集中の神学」が見落としてしまう問題に目を向けることになる。「父なる神」と「創造」の問題が視野にあるかぎり、そして「聖化と完成」の問題が三位一体論的・聖霊論的にとらえられているかぎり、教会の外なる世界の問題、存在の問題、自然の問題、科学の問題、一般の問題、社会の問題、政治の問題、文化の問題が必ず神学の課題になる。

特に、キリスト論から(相対的に)自立した聖霊論が、創造の問題(私の存在の根拠は何かを問うこと)と贖いの問題(私の救いの根拠は何かを問うこと)を統合する鍵となる。

Ⅲ 創造論の意義

このようなファン・ルーラーの神学思想において「創造論」はどのような意義を持っていたのだろうか。

彼は一巻の組織神学や教義学を遺さなかった。神学体系の一章としての「創造論」(De creatione)が見当たらない。そのため、彼が遺した無数の論文や説教の中から彼の未刊の教義学を構成することになったであろう素材を拾い上げていくしかない。

しかし、この関連で最も重要な論文の一つが、1960年に発表された「地上の生の評価」[13]であることは確実である。

その冒頭でファン・ルーラーは「地上の生」を構成する七つの要素について説明する。第一は物質性、第二は身体性、第三は個別性、第四はセクシュアリティ、第五は時間性、第六は共同性、第七は歴史性である。これらの構成要素を持つ「地上の生」を我々はどのように評価しうるのかを、彼は問うている。

次に、評価の可能性を八つ挙げている。

第一は「地上の生は存在しない(実体がない)」(色即是空)という評価である。

第二は「それは悪しき仮象であり、幻想である」という評価である。

第三は「それは悪くはないが、ヴェール(被膜)であり、真の存在の上に覆い広げられている」という評価である。

第四は「地上の生とは真実で永遠の存在のイメージ(像)であり、影であり、反映であると理解する」評価である。

ファン・ルーラーによると、それは「我々自身は真実な存在に対して背を向けて立っているが、その我々が地上の生という鏡のなかに不完全で漠然としたイメージを見る」というような評価の仕方である。それは地上の生を「段階的手段」としてとらえることでもある。

第五は「地上の生とは刑罰である」というオリゲネスの評価である。

第六は「地上の生は浄化である」という評価である。

そして第七の評価は「地上の生とは通過点であり、表面的なものであり、目標に至るための単なる手段に過ぎない。それは訓練であり、序章であり、準備である」というイレナエウスの評価である。

この評価は「我々にとって馴染み深いもの」であると彼は述べる。それは、地上の生を「暫定的な何かとして見ること」である。そのような神学体系と生活感覚が「キリスト教の路線を長きにわたって決定づけてきた」と彼は指摘する。

第八の可能性は「地上の生は本質的かつ唯一のものである」という評価である。

人生は一度であり、かつ不可解なものであり続ける。私は人生を考えつくすことはできないし、生き尽すこともできない。「私はそれをただ生きることができるだけだ」。ファン・ルーラー自身はこの立場に立っている。

彼はこのことをキリスト教信仰に基づいて語ることを試みる。地上の生は本質的で唯一のものであると語るためのキリスト教的根拠として、六つの点を挙げている。

その第一から第三までが創造論に関する教説である。厳密にいえば第一は三位一体論に関することであり、第三は予定論に関することであるが、広義の創造論の枠組みの中でとらえることもできる。第四はキリスト教的歴史哲学であり、第五はキリスト論であり、第六は終末論である。

彼が挙げている第一の根拠は、可視的・可触的な現実としての地上の生は「不必要であるが、善きものである(niet noodzakelijk, maar wel goed is)」という教説である。

これは善き創造(erant valde bona)の教理と呼ばれる。ファン・ルーラーによると、キリスト教信仰の範囲内では厳密な意味での世界の存在の必要性(noodzakelijkheid)を主張することはできない。「神は御自身の愛の対象として世界を必要とされている」という思想は、三位一体の教義によって行く手を遮られている。父と子と聖霊は御自身において最も完璧な愛の交わりであるゆえに、世界を必要とされるわけではないからである。

そしてファン・ルーラーにとって「世界は不必要である」と語ることは愉快なことである。「なぜならそれは、我々は存在しないこともありうるということを意味するからである。宇宙と世界史には不足もありうるのだ」[14]。

しかし、世界は不必要であるにもかかわらず、無ではなく、存在している。その理由は何か。そこに神の喜びに満ちた御心(het welbehagen van God)がある。神は自分の喜びのために世界を創造したのだ。

第二の根拠は、この世界自体はなんら神的なものではないということである。

また同時に世界そのものの本質が悪魔的であるわけでもない。創造者と被造物の区別性が明確に保持されているところでは、この主張の正当性は明白である。被造物は、創造者なる神の本質の放射でも流出でもない。すべての存在は、無から有へと呼び出された。これは無からの創造(creatio ex nihilo)の教理と呼ばれる。

人間は天から舞い降りたものではなく、別次元から出現したものでもなく、神の本質の流出や派生でもなく、あくまでも地に属するものである。我々は、神によって地から採られたものである。

第三の根拠は、世界と人類の存在は、地上の生において十分に現実的な存在であるということである。

我々は創造者なる神によって造られた被造物として、十分に真実な存在であり、その意味で「本物」である。神は影絵遊びをしておられるわけではない。

色即是空、仮象、ヴェール、イメージなど。それらの概念は「キリスト教的生活感覚の中に一瞬たりとも入りこむ余地はない」とファン・ルーラーは主張する。「キリスト者とは、いわばマテリアリストである。神が創造した世界の物質性をそのすべての個別性と共に真剣に受けとめることにおいて、我々は唯物論者なのである」[15]。

次のようにも述べている。

「キリスト教は存在の本質や、キリスト教の構造の中にもしかしたら輝いているかもしれない永遠の合理性などに決して満足することはなかった。キリスト教は常に実存に魅了されてきた。実存主義などが現れるずっと以前から、キリスト教は、実存において、存在する物事の現実の事柄において根本的な合理性が見いだされることはありえないと、公然と語って来た。存在の不条理を嘆くからといって我々が未熟であるということにはならない。存在の不条理などは、神の御心の中にいくらでも見つかる。それらの問題のすべては予定論の教義に集約される」[16]。

評価

このような創造論に立つファン・ルーラーの神学思想は、我々にとてどのような意義があるだろうか。さまざまな評価を下すことができるだろう。

牧田吉和先生はファン・ルーラーの神学の中にアブラハム・カイパーや他のオランダ改革派神学の伝統を継承する人々との共通点を見出す。それは「グノーシス的・アナバプティスト的二元論の克服」という特色である[17]。

この牧田先生の評価に対して私は特に異存があるわけではない。そのとおりだと思っている。しかしまた、もう少し我々自身の現実、日本の教会の現実に引き寄せて考えてみるのも悪くないだろう。

ファン・ルーラーの「地上の生の評価」は私にとっては思い出深い論文である。これは1999年2月に結成したファン・ルーラー研究会のメーリングリストで、清弘剛生先生と私の二人で最初に訳読したものである。当時私は33歳になったばかりであった。オランダ語の辞書と首っ引きで読んだファン・ルーラーの言葉の一つ一つに驚き、興奮し、感動した。

しかし、ちょっと待て。なぜ私はファン・ルーラーの言葉に驚き、興奮し、感動したのだろうか。当時33歳の私は、33年間、教会に通い続けた。両親が信徒の家庭に生まれ、高校卒業直後に東京神学大学に進学し、25歳で日本基督教団の教師になり、その後、日本キリスト改革派教会に加入し、神戸改革派神学校を卒業し、1999年2月には山梨県の日本キリスト改革派教会の牧師だった。

その私がファン・ルーラーの言葉に驚いた。その日そのときまで聞いたことも読んだこともなかったような新鮮で解放的な言葉を目の当たりにしたからだった。

それでは、いったい私は、その日そのときまで、何を学び、何を聞いてきたのだろうか。私は日本の教会を悪く言うようなことを、なるべくしたくない。しかし、黙っているわけにいかないこともある。

聞けば聞くほど自分の命の力を刈り取られていくのが分かるような説教やキリスト教的言説を耳にすることがある。「救いの喜び」や「天国の喜び」を強調する勢いで、人間的なるもの(humanum)をあまりにも否定的に語りすぎることや、地上の生をあまりにも暫定的なものとして語りすぎることが、人を絶望に追いやることがある。“敬虔な”言葉であればあるほど、人の心を傷つけることがある。

それはレトリックや話法の問題だろうか。説教分析のような方法で改善しうることだろうか。私にはそのように思えなかった。

だからファン・ルーラーを読み続けることにした。「キリスト論的集中の神学」の上位互換(backward compatibility)としての「全面的に展開された三位一体論的神学」が日本の教会に広く知られる日を待ち望むようになった。

アメリカ改革派教会の教師であり、ファン・ルーラー研究者であるアラン・ジャンセン博士が同教会の機関紙『パースペクティヴ』に、「改革派神学の多くの部分にバルト主義の支配力が残存しているかぎり、ファン・ルーラーの声が聞かれる必要がある」[18]と書いている。「改革派神学の」を「日本の神学の」に置き換えると、ちょうど私の意見になる。それはいつまで続くのだろうか。

(アジアカルヴァン学会・日本カルヴァン研究会合同講演会、於 立教大学、2013年3月11日)



[1] 牧田吉和「A.ファン・ルーラーの神学的文化論の中心点――文化論におけるカイパー批判に関連して――」『改革派神学』第29号(神戸改革派神学校、2002年)、3~27ページ。本研究の「Ⅰ」の論述に関しては、多くの部分を牧田先生のこの論文に負っている。

[2] A. A. van Ruler, Kuypers idee eener christelijke cultuur, Nummer 12 en 13 uit serie “Onze Tijd” onder redactir van ds. J. P. van Bruggen, dr. J. Eijkman en dr. K. H. Miskotte, G. F. Callenbach N. V. – Nijkerk, 1939.

[3] 牧田吉和、前掲書、12ページ。

[4] ファン・ルーラーは「セオクラシー」を次のように定義している。「セオクラシーとはキリストと福音と神の言葉に基づく国民生活の秩序であり形態である。セオクラシー、より厳密にいえばプロテスタント的セオクラシー(reformatorischen Theokratie)においては、聖書が国家の霊的土台である。その意味は、我々が聖書に基づくセオクラティックな国家論を生み出すことではないし、そのような政治綱領を生み出すことですらない。しかしそれは、なるほどたしかに我々が統治機構全体(立法・行政・司法)の中で仕事と社会と人生を聖書の存在理解に基づいて理解することを意味している」(A. A. van Ruler, Gestaltung Christi in der Welt, über das Verhältnis von Kirche und Kultuur. Bekennen uns Bekenntnis, Anregungen aus ökumenischen Gesprek, Heft 3, Verlag der Buchhandlung des Erziehungsvereins, Neukirchen Kr. Moers, 1956, S. 24.)

[5] ファン・ルーラーとカール・バルトの神学の関係については、ディルク・ファン・ケウレンの下記の論文(拙訳)を参照していただきたい。ファン・ケウレン「『主人の声』から敬意を込めた批判へ(上・下)」関口康訳、『季刊 教会』日本基督教団改革長老教会協議会、第79号(2010年夏季号)、58~64ページ、第81号(2010年冬季号)、31~38ページ。

[6] A. A. van Ruler, ‘Kritisch commentaar op de K. D.’, in: Van Ruler Archief, inventarisnummer I, 684, 1. ファン・ルーラーのこの文書は現時点では未公開であるが、新訂版『ファン・ルーラー著作集』(Verzameld Werk)第7巻(未刊)に収録予定。1965年から1967年まで、という日付がある。

[7] A. A. van Ruler, ‘De noodzakelijkheid van een trinitarische theologie (1956)’, in: Verzameld Werk 1, Boekencentrum, 2007, p. 262. “een echt trinitarische denkwijze gekenmerkt zal zijn door twee bewegingen.”

[8] Ibid.

[9] Ibid.

[10] 『ハイデルベルク信仰問答』吉田隆訳、新教新書252、新教出版社、25~26ページ。

[11] 「神は、御自身において、その本質において運動である」(Hij is in zichzelf, in zijn wezen beweging.)という名言もある。Vgl. A. A. van Ruler, ‘De leer van de drie-eenheid (1956)’, in: Verzameld Werk, deel 3, Boekencentrum, 2009, p. 69.

[12] A. A. van Ruler, Ibid.

[13] A. A. van Ruler, ‘De waardering van het aardse leven (1957-1960)’, in: Verzameld Werk deel 3, Uitgeverij Boekencentrum, Zoetermeer, p. 406-424.

[14] Ibid. p. 411.

[15] Ibid.

[16] Ibid.

[17] 牧田吉和、前掲書、24ページ。これ以外にも次の論文において同様の主張をしている。
牧田吉和「終末と事物性――A. ファン・ルーラーの終末論の一つの神学的意図――」
『改革派神学』第30号特別号、2003年、3~27ページ。
牧田吉和「ファン・ルーラーにおける三位一体論的・終末論的神の国神学と聖霊論」
『改革派神学』第32号、2005年、3~31ページ。

[18] Allan Janssen, ‘Joyful Theology’, Perspectives, The Journal of Reformed Thought, Reformed Church in America, December 2009. Internet Version.
(http://www.rca.org/page.aspx?pid=6184)

2013年3月5日火曜日

ファン・ルーラーの言葉「春の花びらたちのように」

やや(いや「かなり」笑)超訳ぎみですが、今日読んでいた本の中で出会ったファン・ルーラーの言葉を紹介します。

今日もずっと書斎にこもっていて疲れました。おやすみなさい。

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ファン・ルーラーの言葉/関口康「超訳」


え?宗教改革、ですか。

うん、まあ、それはもちろん、やってよかったんですよ。

だけどね、宗教改革というのは、教会の長ぁ~い伝統の中のほんの一瞬の出来事だったわけですからね。

だから、ぼくたちはね、「それは宗教改革的であるかどうか」というような狭い発想だけにとどまってちゃあ、だめなんですよ、やっぱり。

「それは教会的であるかどうか」が問題だし、「それは聖なる公同の教会に連なるものかどうか」が問題なんです。

だからね、神学も、結局はスコラ的なものにどんどん広がっていくし、それでいいんですよ。

それが悪いなんてことはありませんよ。

プロテスタントのスコラ神学、大いに結構なことじゃないですか。

そういう神学はね、

春の花びらたちのように、思想が美しく咲き乱れているようなものですよ。

いちばん小さな葉っぱの一枚一枚まで、何もかも美しい。いいね!

出典:
A. A. van Ruler, 'De waardering van de rede (1958)', in: Verzameld Werk deel 1, Uitgeverij Boekencentrum, Zoetermeer, 2007, p. 89, 91.

ぼくら世代は「年が若い」などと言ってはならない

「あなたは、年が若いということで、だれからも軽んじられてはならない。むしろ、言葉、行動、愛、信仰、純潔の点で、信じる人々の模範となりなさい」(新約聖書・テモテへの手紙一4:12)

深夜ですが、寝る前に書きとめておきたいことです。

アホみたいな話なのですが、つい最近まで、ぼくは「年が若い」と思い込んできました。

他人のせいにしておきますが(笑)、”思い込まされて”きました。

だけど、もう違いますね、ぼくら世代は「年が若い」などと言ってはならない。

「年が若いということで、だれからも軽んじられてはならない」と言われなければならない存在は、もうぼくらではなく、いまや高校を卒業しようとしているぼくの子どもたちくらいの世代です。

「前世紀末」に生まれた子どもたち。生まれる前からIT時代。「絶望世代」などと勝手に命名されてしまってる子どもたち。絶望なんかしてないよ。みんな怒ってるよ、迷惑な話だ。

彼らこそがいまや「年が若いということで、だれからも軽んじられてはならない」存在です。

ぼくら「年が若くない」者たちは、もう彼らにあらゆることを譲り渡していく準備をし、実行に移していかなくてはならない。

なんか、そういうことを思いました。それだけ。以上。