2013年3月29日金曜日

なぜ翻訳が思うように進まないのか(イタイ釈明文)


昨日は「日本語版『ファン・ルーラー著作集』草稿集」という新しいウェブサイトを公開しました。

翻訳作業が遅々として進まないのは、ぼくなりの理由があるんです。

ほんとは恥ずかしいのですが、新しいウェブサイトに「訳者略歴」というページを設けました。

訳者略歴
http://aavanruler.blogspot.jp/p/blog-page_406.html

その中の「論文」や「翻訳」のリストをご覧いただくと、2007年以降、なんとぼくは毎年2本ずつくらいのペースで紀要論文や雑誌論文を書いていたらしいことが、お分かりいただけます。

とにかく勉強が苦手で、何ごとにもルーズで(今でも基本はルーズで周囲に迷惑をかけています)、不真面目な不良学生だった関口康がこんなことになるとは、誰が予想していたでしょうか。

毎週日曜日の礼拝説教も、40字×40行にフォーマットした3枚のA4サイズのタブラ・ラーサの上に毎回ちゃんと書きおろしています。

あとは、えっとですね、メールでしょ、ブログでしょ。それから、ここ2年くらいはFacebook。

あ、もちろん、パソコンの前だけにいるわけじゃないですよ。いろいろやってます。

サボってるつもりはないけど、日本語版『ファン・ルーラー著作集』が進まない。

あっ、そういえば、もうすぐオランダから帰ってくる、今年40歳になられるはずの、超イケメンの神学者がおられるなあ...。

あの先生に丸投げしようかな(笑)。

「あとよろしく~」とかね(笑)。

そのためにオランダに行ってくださったのだからね(笑)。

ほんと、お願いしますね。

* * * * *

ぼくらの小学生の頃、というと1970年代ですけど、給食の時間に教えてもらった「三角食べ」を、ぼくはいまだに守っている人間です。

給食の場合は「パン」と「牛乳」と「おかず」。

和食でいえば「ごはん」と「味噌汁」と「おかず」。

その三つを“順序よく食べること”が「三角食べ」だと教わりました。

それです、ぼくの状況に強引に当てはめていえば。

(1)「教会の牧師の仕事(なかでも説教と牧会と教会会議)」と、

(2)「論文を書いたり講演したりする仕事」と、

(3)「ファン・ルーラーの翻訳」。

この三つを「三角食べ」のように“バランスよく味わうこと”が、ぼくには必要不可欠だし、そうせざるをえないです。

どれか一つに絞れば、その部分は飛躍的に前進できるのかもしれませんが、ぼくらしくないですね。違和感ありすぎます。

ぼくはたぶん、商売ということに縁がないのでしょうね。「旬(しゅん)」とか「タイミング」とか「ヒット」とか、そういう世界から完全に隔絶されたところにいるような気がします。

ごめんなさい。

* * * * *

と、ここまで書いたことを読み直してみて、誤解されてしまうかもしれないと思うところありますので、ちと修正。

(3)ファン・ルーラーの「翻訳」は、ほんとうのところを言わせてもらえば、ぼくの仕事と思っているわけではないのです。「翻訳」したいのではなく、ファン・ルーラーの本を読みたいだけです。翻訳そのものは、ぼくはあんまりしたくありません。オランダ語、苦手ですから(笑)。

また、ぼくはまるで「ファン・ルーラー主義者」か「ファン・ルーラーマニア」であるかのように見えているかもしれませんが、実際のぼくを知っている人は、そんなふうでもないことを知っておられます。

ぼく自身は、ただひたすら、「ファン・ルーラーのバルト主義批判」の一連の議論の有効性を評価しているだけで、アメリカ改革派教会の神学者アラン・ジャンセン先生の「カール・バルトの影響が残っているかぎり、ファン・ルーラーが読まれる必要がある」という発言に同意し、同主旨のことを訴えているだけです。

逆に言えば、カール・バルトの神学の影響が消失する日が来たら、わざわざファン・ルーラーの神学を持ち出す必要はないかもしれない、とさえ思っています。