2013年3月25日月曜日

一つの見解が時代遅れになりうるか(1956年)

私が気になるのは、討論する人々がしばしば、ある特定の見解に対抗するための論拠として「それはすでに拒否された時代遅れの見解である」と言い出すことである。「それは19世紀的である」だの「それは中世的である」だのとレッテルを貼る。その人たちはその口ぶりで、その特定の表現方法、その特定の思想、そしてその特定の問題提起さえも、それはすでに片付いたものだと言っている。

こういうやり方は、実際にはデマの理由づけに利用されるだけではない。大衆的な集会の中では当然そういった論拠が際立つことがある。自分自身が大きな全体の部分であることに、だれもがひどく怯えている。自分がこの時代の高みにいる全体でないことに怯えている。だから、大衆集会のような場所では、ある特定の見解を名指しして「それは時代遅れである」と言うだけで、ある程度は事が足りてしまう。

しかし、冷静で真剣な討論や対話においてさえ、学識豊かな人々でさえ、こういうことを抜け抜けと論拠として持ち出してくる。そしてその人々は、特別な意識などは持たずになんとなくぼんやり生きているような人々に、我々は今まさに新しい真理を発見し、それを今まさに語っているのだという印象を与えようとする。

そのようにただ装っているだけの人々もいるので、そういう態度はまだ我慢できるものがある。集団心理というあの奇妙な現象にも当てはまるものがある。しかし、昔の人はそういうのが良いと思っていたようなこと(良いと思わない人はこんなことをしない)を、今の我々は全くばかげていると思っている。そういう話し方を聞かされると、どんな人でもまるで1920年代か30年代の写真を見せられているような気分になるだろう。

どうしてそうなるのかを考えているときの私は、面白がっているわけではない。そういうことを考えるのは社会学者や心理学者の仕事である。私が言っているのは、それは事実であるということだけである。絶えず自分を変化させていく現象もある。服装や家具や本のカバーのように。

そういう分野のことであれば、もう純粋に「それは時代遅れである」というただひたすらそれだけの理由で非難されることは、よくあることだし、我慢もできる。よく考えてみれば、人間が時代の流れの中で多種多様な反応をしてきたのは奇妙なことではある。しかし、そういう人間の反応は遊びの一種としてとらえることができる。そこに文化の本質が表れているとも言えるだろう。

しかし、そういうことと同じような反応の仕方で真理をあつかう問題を引き受けることができるだろうか。何世紀もの間、考えられ、語られてきたことのすべては、生身の人間によって生き生きと感じ尽くされてきたことなのだ!人類はこの世界を味わい抜いてきた。我々が体験しているこの私自身とこの世界は、現在は全く違ってきている。しかし、我々生身の人間は、昔の人間とは全く違うものになったのだろうか。事実と真理についての生々しい側面は話題にすることができなくなったのだろうか。それもそうだが、そもそも我々は「時代遅れになった様々な見解」に真剣に耳を傾けるべきではないだろうか。真理認識とは常に社会的な取り組みである。私がいま述べたことには二つの意味がある。現在生きている他の人々と共に、すなわち「横」の関係において、我々は真理を認識することができる。しかしそれだけではない。すべての先祖たちと共に、すなわち「縦」の関係において、我々は真理を認識することができる。

ここで気をつけるべきことがある。一つの問題提起や解決策に対して「それは時代遅れである」というレッテルを貼る人は、たいていの場合、いくつもある面倒な問題から逃げているだけなのだ。彼らの考え方は現代人の考え方と必ずしも一致しているわけではない。人々はそのことにも気づいている。しかし、彼らがしゃべりはじめると、自分たちのことを配慮してもらったと感じる人々が出てくる。彼らは、いとも簡単に「これは時代遅れである」というばかげた主張によってテーブルを片付ける。これほど安易なやり方が他にあるだろうか。彼らは、自分の時代の高みに喜んで立ちたがる、悲しいまでの人間の情熱に乗じているだけである。虚偽ではなく真理に立って生きることに無関心な、この時代の。

もちろん、我々の認識の多種多様な諸分野相互の違いはたしかにある。私に言いうるのは、厳密な学問はより高い蓋然性を有する過去の主張を土台にしているので、「それは時代遅れである」などと決めつけるのは間違っているということである。我々は、具体的な論拠を示すために過去の時代の思想を重んじるのである。

しかし、我々の人文科学が進歩すればするほど、人間の存在、社会、歴史、倫理、宗教についての問いへの取り組みが盛んになればなるほど、「それは時代遅れだから、もはや考える必要はない」などという言葉を口にすることはできなくなるだろう。

我々は過去に対して寛容でなければならない。そして我々の先祖と共に、我々の前に持ち上がるありとあらゆる問題提起とそれらについての可能な解決策は何なのかという問題に真剣に取り組まなくてはならない。実際それは事態の推移の中で明白な事実でもあった。これは一つのたとえであるが、1930年代の人々が苦悩した「そもそも存在とは何なのか」という問いは、中世においては絶望的に古くなり、それをカントが全く論破してしまった哲学の問題であった。認識論と心理学は真理に近づくための唯一許容された方法だった。「存在問題」は、今では哲学の空気にすぎない。

もう一つのたとえであるが、国家の問題がある。たぶんかつては重要だった問題である。それは「国家の土台は神にある」と相変わらず主張する、完全に時代遅れの思想である。この思想が語ろうとしていることは何であるかを真面目な現代人は知らない。人間はなぜ存在するのかという問いに関して昔の時代のすべての異教徒とすべてのキリスト者が明瞭に語ったことは、神と国家は親密にからみ合った関係にあるということだった。そのことに目が開かれないだろうか。まあ、これも時代遅れの見解なのだが。

Elseviers Weekblad, 22 december 1956, p. 14.
A. A. van Ruler, Blij Zijn als Kinderen, een boek voor volwassenen, J. H. Kok B. V. Kampen, 1972, p. 13-15.
A. A. van Ruler, Van schepping tot Koningrijk, Nederlands Dagblad, 2008, p. 25-27.
A. A. van Ruler Verzameld Werk Deel 1, Uitgeverij Boekencentrum, Zoetermeer, 2007, p. 73-74.