2010年11月28日日曜日

なぜ私にキリストが必要か


ローマの信徒への手紙8・1~8

「従って、今や、キリスト・イエスに結ばれている者は、罪に定められることはありません。キリスト・イエスによって命をもたらす霊の法則が、罪と死との法則からあなたを解放したからです。肉の弱さのために律法がなしえなかったことを、神はしてくださったのです。つまり、罪を取り除くために御子を罪深い肉と同じ姿でこの世に送り、その肉において罪を罪として処断されたのです。それは、肉ではなく霊に従って歩むわたしたちの内に、律法の要求が満たされるためでした。肉に従って歩む者は、肉に属することを考え、霊に従って歩む者は、霊に属することを考えます。肉の思いは死であり、霊の思いは命と平和であります。なぜなら、肉の思いに従う者は、神に敵対しており、神の律法に従っていないからです。従いえないのです。肉の支配下にある者は神に喜ばれるはずがありません。」

今年のアドベントを、なんだか感慨無量で迎えることができました。今年もいろいろありました。もう忘れておられるかもしれませんが、そもそも今年はわたしたち松戸小金原教会の30周年でした。記念誌を発行したり記念礼拝をおこなったりしました。夏には会堂の外装工事がありました。T長老の大きな手術もありました。KさんやH長老も入院され、その後、退院されました。

いま挙げているのは、教会としての三つ、四つくらいの出来事です。わたしたちのそれぞれの個人としての出来事には、もちろんもっともっとたくさんのことがありました。しかし、次から次へと、いろんなことがあったのに、わたしたちはもう忘れてしまっているかもしれません。それは、わたしたちが忘れっぽいからではありません。すべてのことを神に感謝しているからです。神さまがすべてのことをしてくださったと信じることができたので、すっかり安心しているのです。もちろん苦しいこともありました。しかし神がわたしたちに苦しみに耐える力、苦しみを乗り越える力を与えてくださいました。今なお苦しみの中にある方がおられるでしょう。しかし、神がその方の心に希望と喜びを与えてくださり、今の苦しみを何とか乗り越えることができるように励ましてくださっています。だから、わたしたちは、悪い意味で引きずっているものは、何もありません。すべてが解決し、安心して、今ここに立つことができているような気がします。

「喉元過ぎれば熱さを忘れる」は、もっぱら悪い意味だけで用いられる諺であるようです。しかしわたしたちには、忘れてもよい苦しみもあるのだと思います。何もかも憶えていなくてはいけないのでしょうか。良いことや楽しいことならば、憶えていればいい。しかし、悪いことや苦しかったことまでいつまでも憶えていなくてもよいのです。どんどん忘れてください。忘れても構わないのです。

しかし、もちろんこんなことを私がいくら言いましても、皆さんは憶えておられることはいつまでも憶えておられるでしょう。だからこそ私は安心して「どうぞどんどん忘れてください」と言えます。私がこう言ったから皆さんが忘れるわけではないからです。私のせいにはしないでください。しかし良いことだけ、楽しいことだけを、どうぞ憶えていてください。悪いことや苦しいことは、どんどん忘れてください。そうすることがわたしたちに許されているし、そうすべきでもあるのです。

このように言いますと、開き直ったことを言っているというふうに思われてしまうかもしれません。そういう面も全く無いとは言えませんが、そういうことよりも、私が考えていることは、人間の心や体には限界があるということです。神さまがわたしたちを限界ある存在に造ってくださったのです。わたしたちの心や体はまるで、その中に入る分量が決まっている容れ物のようなものなのです。中に入ってくるものがある程度の量を超えると、溢れ出してしまうのです。それとも、わたしたちの脳は無限の大きさをしているのでしょうか。わたしたちの体は無限の力を持っているのでしょうか。そのようなことはありえない。すべての人に限界があるのです。

だからこそ「忘れてください」と言っているのです。どのみち限界があるわたしたちの心と体なのですから、悪いことや苦しいことばかりで一杯にしなくてもよい。外に出せるものは、どんどん出したらよいのです。もちろん、わたしたちには「忘れなさい」などと言われても忘れられないことが、体脂肪のようにたくさん詰まっているでしょう。しかし、だからこそわたしたちは、心のダイエットに真剣に取り組まなければならないのです。余分なものは、すっかり外に出してしまうことが必要なのです。

今日は何の話なのかが分からなくなりそうなので、そろそろ本題に入ります。今日の主題は「なぜ私にキリストが必要か」です。もちろんわたしたちはキリストが必要だと信じています。だからこそキリスト教を信じているし、教会に通っています。今さら問うほどのことではないかもしれません。しかし、今日考えたいことはその理由です。「なぜ」必要かです。あるいは、その事情についての説明です。だらだらやるつもりはありません。ワンポイントに絞ります。ここを押さえておいてほしいという一つの点だけをお話しいたします。

それが、今まで前段としてお話ししてきたことに、実は全部関係しています。いちばん大切な点は、わたしたちの心や体は限界ある容れ物のような存在であるということです。その中には良いものだけではなく、悪いものもたくさん詰まっているのですが、この容れ物自体にどのみち限界がありますので、悪いものは外に出してしまえばよいし、良いものだけが残るようにしたらよいのです。そうすることがわたしたちに許されていますし、そうしなければならないのです。

何を外に出すべきなのでしょうか。それが今日の聖書の個所に使徒パウロが書いている「肉の思い」(6節)です。「肉の思いは死であり、霊の思いは命と平和であります」(同上節)と記されています。「肉の思いに従う者は、神に敵対しており、神の律法に従っていないからです」(7節)とも記されています。ここで「肉の思い」の意味は「神に敵対する思い」です。つまり罪です。罪とは、神に敵対することです。神に背を向けることであり、神を憎むことであり、神の御心に反する生き方をすることです。それはわたしたちには許されていないことです。神に敵対する思いとしての罪はわたしたちの外側に出してしまわなければなりません。もしわたしたちが心のダイエットに取り組むとするならば、わたしたちの「罪」をわたしたちの存在の外側へと絞り出してしまわなければならないのです。

しかし、その次にすぐ出てくる問題は、それがわたしたちに可能かどうかです。「絞り出しなさい」などと言われてもなかなか出て行かないのが、わたしたちの罪です。ですから、わたしたちの心にはいつまでも葛藤が残ります。わたしたちの心の中に葛藤が残り続けること自体をパウロが責めているわけではありません。彼の中にも罪は残っています。「肉の思い」が残っています。しかし、それだけではなく、彼の心の中には「霊の思い」もあるのです。「霊の思いは命と平和であります」と記されています。「平和」の意味は「神との平和」です。それは「神に敵対すること」の反対です。敵対の反対は和解です。つまり、「平和」とは「神との関係が敵対関係ではなく、和解されている関係である」ということです。それは、神さまと私が仲良くなることです。神が私を心から喜び楽しんでくださることであり、私もまた神を喜び楽しむことです。神と私が仲良く一緒に遊ぶことです。

それは、わたしたちには可能なことです。神がわたしたちにそれを可能にしてくださったのです。神がわたしたちに何を可能にしてくださったのでしょうか。神に敵対する思い、神を憎む思いだけではなく、神を喜ぶ思いを持つことを可能にしてくださったのです。

それが、今日の個所に「キリスト・イエスによって命をもたらす霊の法則が、罪と死との法則からあなたを解放したからです」(2節)と記されていることの意味です。書かれていることの表現自体は難しいものですが、言われている意味は比較的単純です。パウロが言おうとしていることは、わたしたちの心と体との中に「霊」と「罪」が共存しているということです。しかし、ただ共存しているというだけではなく、「霊」あるいは「霊の法則」が、「罪」あるいは「罪と死との法則」よりもいわば分量的に勝っているということです。「霊」と「罪」が綱引きして、「霊」が勝利したのです。

そしてここで思い起こしていただきたいことが、わたしたちの心と体は、限界がある容れ物のような存在であるということです。無限の大きさを持っているわけではありません。「霊」が溢れるほどに豊かにわたしたちの存在を満たすならば、わたしたちの中で「罪」の占める割合は小さくなっていくのです。これは、わたしたちが小学校で勉強する足し算、引き算のようなものです。あるいは理科の時間で勉強する、ビーカーの中の濁った水のうえに澄んだ水を注いでいくと水全体がだんだん澄んでいくことにも似ています。ビーカーの容量の限界を超えた水は、外側にどんどん溢れて行くからです。もちろん、そのようにしても、どこまでいっても、完全な真水にはなりません。しかし全体としての濁りはどんどん薄まっていきます。そういうことが、わたしたちの心と体にも確かに起こるのです。

いま私は「霊」「霊」と言っていますが、ここでパウロが書いている「霊」の意味は、どう読んでも聖霊のことです。聖霊とは、わたしたちの存在の外側から内側へと注ぎこまれる存在であり、わたしたちの内側に宿ってくださる、あるいは住み込んでくださる存在であり、それは端的に神さまのことです。それは神の霊であり、キリストの霊でもあり、聖霊なる神のことです。「霊の思い」(6節)とは、聖霊なる神の思いであり、神のお考えであり、神のご意志、すなわち神の御心のことです。その意味での「霊」すなわち聖霊なる神のご存在が、わたしたちの心と体の中で「罪」と共存しているのです。しかし、聖霊なる神のご存在がわたしたちの存在の中で満ち溢れるならば、罪の占める割合は小さくなるのです。罪によって濁った心は、聖霊が注ぎ込まれることによって、だんだん澄んでいくのです。

たった今、私は「聖霊とは神の霊であり、キリストの霊でもある」と言いました。その意味を説明する時間はもうありませんが、一言でいえば、聖霊とは父なる神がイエス・キリストにおいてわたしたちに御自身の御心を伝える手段であるということです。その神の御心の具体的な内容は、「罪を取り除くために御子を罪深い肉と同じ姿でこの世に送り」(3節)というものです。「御子」はキリストです。つまり、パウロが書いているのは、神がキリストを「この世に送った」理由ないし目的です。それは「罪を取り除くため」であるというのです。

神がキリストを世に遣わされた目的は罪を取り除くことです。ただし、「取り除く」と言っても完全に無くなるわけではありません。いわば薄まること、または薄めることです。濁りきって飲めない水ではなく、なんとか飲める程度の水にすることです。私と神との関係が敵対関係であることをやめて和解されたものになり、仲良くなることです。神が私を喜び楽しんでくださり、私も神を喜び楽しむことができるようになることです。そのために、神は御子をこの世に送ってくださったのです。

なぜ私にはキリストが必要なのか。その答えは、「私が神を喜ぶことができるようになるため」です。私の心に「喜び」を増し加えてくださるために、キリストはお生まれになったのです。

(2010年11月28日、松戸小金原教会主日礼拝)

2010年11月27日土曜日

神学とは日本語である

牧師である私にとって、教会の仕事というのは毎日楽しくてしょうがないものなのですが、とにかくずっしり重くて疲れるのは、中会や大会の仕事です。

それは他でいう「教区」とか「教団」の仕事のようなものです、といえば、一般的には少しは分かりやすくなるでしょう。牧師には、通常自分がそこに住んでいる場所としての「教会」の仕事もありますが、複数の「教会」が地域ごとに集まって作る包括的な組織としての「中会」や「大会」の仕事もあるのです。

いま書いた意味での「教会」の仕事をすると牧師は元気になりますが、「中会」や「大会」の仕事をするとぐったり疲れます。理由もだいたい分かります。中会や大会の仕事の大部分は「会議」だからです。

私は何が苦手かといって、とにかく会議が苦手なのです。だから疲れる。一日の終わりの疲労感が明らかに違います。

中会も、大会も、疲れるから大っ嫌いだぁ。あんなこと、好きでやってるわけじゃねぇんだよぉ。

��とか書くと、「会議軽視だ」とか言われて罷免された法務大臣のように、私もやられますかね)。

と、私がこういう愚痴をこぼしているときは、たいてい、「ボクはぁ、本当はぁ、ファン・ルーラーのオランダ語テキストをぉ、読みたいと思っているのにぃ、ちっとも読むことができないのはぁ、中会や大会のせいであってぇ、ボクのせいではないんですよぉ」と言い訳したりお詫びしたりしなければならないと思っているときです。

ファン・ルーラーを翻訳するための、まとまった時間が欲しいです。欲しいです。欲しいです。

しかし、教会の牧師ですから、教会の仕事を最優先することは当たり前のことです。しかし、私は「中会」や「大会」の仕事もしなくてはなりません。私は今、東関東中会の伝道委員会の責任者です。その者は、自分自身で伝道もしなくてはなりませんが、「伝道とは何か」を中会レベルで考える仕事もしなければなりませんし、「伝道とは何か」を中会レベルで考える仕事の場を作り出す仕事(講演会や研修会などの準備の仕事)もしなければなりません。

つい最近、ある方に書き送ったメールの中に「教会の牧師たちにとって、神学の季節は短いものです」と書きました。

日本キリスト改革派教会の場合、定期大会が年一回あり、定期中会が年二回あり、臨時の会議も複数回あります。しかし、そのような大きな会議の場を成り立たせるための(議案を構築していくための)委員会活動は年がら年中おこなっていまして、大きな会議が近づけば近づくほど集中力が求められ、疲労度が増します。他の仕事をすべて後回しにしてでも全くかかりきりにならなくては完成しないような緻密さを要求される仕事ばかりです。

ですから、大きな会議がおこなわれる前後の期間は「神学どころでなくなってしまう」という、私がいちばん嫌いな言い方をしなければならなくなるのが実情です。一年のうちから大会や中会の大きな会議が行なわれる前後の期間を除いていって、最後に残るのが、その牧師の「神学の季節」です。(ややこしいことを書きましたが、分かりました?)

この意味での「神学の季節」は、中会や大会での責任が重くなればなるほど、短くなっていきます。今の私は、たぶん一年の四分の一(3ヶ月)くらいが残っていれば、いいほうです。10年前は「たっぷり神学できた」のですが、今は違います。

しかし、神学は手を抜いてはなりません。はっきり言いますが、神学の大部分は翻訳です。そして翻訳は手を抜くと読者も訳者も地獄を見ます。時間をかけない翻訳ほど悲惨なものはありません。つまり「時間をかけない神学ほど悲惨なものはない」のです。

そして、私が最も重要なことだと思っているのは、このブログではお馴染みの翻訳理論家の山岡洋一氏の受け売りなのですが、「翻訳は日本語である」という点です。

翻訳の目標は「こなれた訳」ではありません。翻訳の目標は「日本語であるものにすること」です。それが日本語でなければ翻訳ではないのです。その訳者自身の頭の中で原文の意味を(その言語の文法に基づいて)百パーセント理解できていたとしても、翻訳された文章が日本語としては支離滅裂であるならば、「それは翻訳ではない」と判定せざるをえないのです。

だから大変です。山岡先生の受け売りですが、文学作品に出てくる登場人物のセリフとしてのI love you.の翻訳は「私はあなたを愛しています」ではありません。「私はあなたを愛しています」という言葉を日常生活で使う日本人を私は寡聞にして知りません。「私はあなたを愛しています」と、このとおりの言葉でプロポーズをした(された)人がいるでしょうか。臭いセリフであるという以前に、また「こなれた訳」であるかどうかという以前に、それは「日本語ではない」のです。

「原文のニュアンスを残しながらこなれた日本語に近づけていく」という離れ業を考える人がいますが、その努力は尊重するとしても、そのような努力を経て仕上げられた文章は、おそらく「日本語ではない」ので、つまりそれは「翻訳ではない」のです。

私がめざしている「翻訳」も、山岡洋一先生がおっしゃる意味での「翻訳」ですので、だから大変です。時間がかかります。

私にとっては「日本語でなければ神学ではない」のです。翻訳なき神学は存在しないからです。

つまり、「神学とは日本語」なのです。



2010年11月23日火曜日

しかし私は「カルヴァン主義者」です

しかし、どうか誤解がありませぬように。

「日々新しい言葉を語らなければならない」と信じている私は、その一方で、相当確かな意味で「カルヴァンとウェストミンスター信仰規準に固執している」者でもあります。要するに、私は「カルヴァン主義者」であると自覚しています。この枠組みの中には「創造から神の国まで」のすべてを論じる場(locus)が備えられているのですから、この枠組みに「固執」するときにこそ、この世界のすべてを自由かつ大胆に論じつくすことができるのです。

勘違いしている人たちは、この枠組みには広大な視野があるということを理解できず、狭く小さく切り取った何かだと思い込んでいるのです。

事実として、カルヴァンとウェストミンスター信仰規準が示した枠組みは「三位一体論的・聖霊論的視座」であり、それこそが、私が力を込めて取り組んできたファン・ルーラーの神学との親和性をも示す「歴史的改革派神学」の枠組みそのものなのであって、この枠組みを我々が守ることによってこそ悪い意味での「キリスト一元主義」、すなわち、まるで神は「子なる神」としてしか存在しえないかのような粗末で乱暴な議論、の狭さに陥らないための防波堤を得ることができるのです。

また、私がこだわっている「病床聖餐反対論」の根拠もウェストミンスター信仰規準への固執あってこそです。私は、病床聖餐を実際におこなっている人のことをとやかく言いたいのではなく、「私はおこなわない」と言っているだけなのですが、「なんじは病床聖餐をおこなわねばならない(must)」と強要されるときには、全面的に反対の態度をとります。とくに現在進行中の牧師不足の時代にあって、そうでなくても数少ない教師たちが(多大な時間が割かれる)病床聖餐のために「振り回される」ことは有害無益です。

いずれにせよ、私は、もし日本キリスト改革派教会が「カルヴァンとウェストミンスター信仰規準に固執すること」をやめるならば、教派存立の根拠を失うだろうと考えています。そのことを「カルヴァンが嫌った」かどうかは私にはあまり関係ないことです。「カルヴァンに愛されたい」とは思いませんので。

ところで、今日(火曜日)は、東関東中会の2010年度第二回定期会です。午前中におこなわれる付帯役員懇談会で「これからの中会形成 ~東関東中会伝道の緊急課題~」というテーマで、私が発題する予定です。その原稿が、つい先ほどやっとできあがりました。しんどいなあ・・・。

BAVINCK, Herman [1854-1921] (ヘルマン・バーフィンク)

ヘルマン・バーフィンクは、1854年12月13日、オランダ王国ドレンテのホーヘフェーンに生まれた。父ヤン・バーフィンクは、オランダ改革派教会(国教会系、Nederlandse Hervormde Kerk)の「分離派」の牧師であった。

カンペン神学校卒業後、ライデン大学神学部において1880年に神学博士号を取得した。学位論文のタイトルは「ツヴィングリの倫理学」(De Ethiek van Ulrich Zwingli)であった。フリースランドにあるフラネカーの教会にわずか一年間ながら牧師として仕えた後、1882年から1902年までカンペン神学校で教えた。

カンペンで教えている間にオランダ改革派教会(国教会系)の大分裂が起こった。バーフィンクはアブラハム・カイパー(Abraham Kuyper [1837-1920])をリーダーとする新しいオランダ改革派教会(Gereformeede Kerken in Nederlands)に移籍した。そして1902年から1921年に亡くなるまで、アムステルダム自由大学神学部におけるカイパーの後任者として、組織神学の教授であった。

政治への関心も強く、キリスト者たちの声を国会に届ける議員として活躍した。なかでも、1905年から1907年までは「反革命党」の(暫定)党首であり、また1911年には上院議長を務めた。

バーフィンクの詳細な伝記は、ここをクリックしてください。

バーフィンクの主著『改革派教義学』(Gereformeerde Dogmatiek)全四巻のオランダ語版全文が、ウェブ上に公開されています。



第一巻(1895年)


第二巻(1897年)


第三巻(1898年)


第四巻(1901年)



ENDEREN, Johannes van [1923-2004] (ヨハンネス・ファン・ヘンデレン)

ヨハンネス・ファン・ヘンデレンは、1923年4月13日、ハウダ(ゴーダ)に生まれた。



アペルドールンキリスト改革派神学大学(現「アペルドールン神学大学」)を卒業後、ユトレヒト大学で神学博士号を取得した。ユトレヒトにおける専攻は教理史であり、ヘルマヌス・ヴィトジウスについての学位論文を書いた。その後、ズットフェン教会に牧師として仕えた。そして、1954年から1993年までアペルドールンキリスト改革派神学大学の組織神学教授を務めた。



主要著作(年代順)



『信仰告白と神学』(Confessie en theologie - Kampen 1975)



『信仰と教会の連続性』(De continuiteit van geloof en kerk - Kampen 1977)



『契約と選び』(Verbond en verkiezing - Kampen 1983)



『賜物としての義認』(Gerechtigheid als geschenk. Gedachten over de rechtvaardiging door het geloof - Kampen 1988)



『改革派教義学概説』(Beknopte Gereformeerde dogmatiek (met W.H. Velema) - Kampen 1992)



『御言葉の規範に従って』(Naar de norm van het Woord - Kampen 1993)



『新しい天と新しい地』(De nieuwe hemel en de nieuwe aarde - Kampen 1994)



『教理史入門』(Orientatie in de dogmageschiedenis - Zoetermeer 1996)



『教義から頌栄へ』(Van doxa tot doxologie. In: Onthullende woorden. Opstellen aangeboden aan prof dr J. de Vuyst - Leiden 1997)



『ブルンナーと教会』(Brunner en de kerk. In: Om de Kerk. Opstellen aangeboden aan prof dr W. van't Spijker - Leiden 1997)



NOORDMANS, Oepke [1871-1956] (ウプケ・ノールトマンス)

1937年5月17日(聖霊降臨節第二主日)の青年礼拝での説教



関口 康訳



「キリスト・イエスによって命をもたらす霊の法則が、罪と死との法則からあなたを解放したからです」 (ローマの信徒への手紙8・2)



「同様に、霊も弱いわたしたちを助けてくださいます」(ローマの信徒への手紙8・26)



ペンテコステ(聖霊降臨日)は、お祝いの日です。



この日、わたしたちは、キリストはわたしたちをお見捨てになられたわけではない、ということを思い起こします。キリストは、わたしたちを助けに来てくださいます。



聖霊は、わたしたちをあらゆる真理へと導く助け主であり(ヨハネ16・13)、わたしたちが悲しんでいるときに励ましてくださる慰め主です。聖霊は、弱いわたしたちを助けてくださるのです。



主イエスは地上に来てくださいました。これが福音です。そして、天に昇られました。これが福音の終わりです。



今、わたしたちの助け、わたしたちの慰めは、どこに残っているのでしょうか。



それを知るのは、わたしたちがペンテコステをお祝いするときです。



わたしたちは、主イエスなしで、この地上に生きているわけではありません。主イエスは、わたしたちを孤児のままでおかれません(ヨハネ14・18)。それが喜びの知らせ、すなわち福音なのです。



わたしたちは、ここで、この世界の上で、ありとあらゆる力によって、丸裸のさらしものにされています。これでわたしが申し上げたいことは、主イエスは助け主として、わたしたちに福音を教えてくださるべきお方である、ということです。



主イエスは、わたしたちの目が見えないとき、見えるようにしてくださいます。



足が動かないとき、歩けるようにしてくださいます。



重い病のとき、きよめてくださいます。



悪の力にとらわれているとき、助け出してくださいます。



わたしたちが死ぬとき、よみがえらせてくださいます。



こうして、わたしたちは、今や何とか、最悪の人間と呼ばれなくて済んでいます。わたしたちが罪深い者であるとき、主イエスは、そこから救い出してくださいます。



主イエスは、そのことを、御自身の聖霊を通して行なってくださるのです。



わたしたちは、自分の頭で考えていることだけが起こりうることだ、と思い込むべきではありません。わたしたちの心の中に、別の考えが訪れることがありえます。



孤独の内に生きている人であっても、見捨てられてはいません。その人は、いかに生きるべきかを学ぶべきです。



人生は神の作品です。しかし、そうだと言い張るだけでは、まだ駄目です。そのことが、聖霊を通して、人に教えられなければなりません。



そのとき、わたしたちの命は、永遠の命になります。それが実現しないのであれば、そのとき、わたしたち人間は死んでいるのと同じです。無間の死を味わっているのと同じです。



それは、もっと古びてしまうことであり、もっと悪くなってしまうことです。それは、もっと悲惨になること、もっと醜くなることです。



そのような人生は、最も憂鬱な苦役です。そのようなことをさせるために、神は人間をお造りになったのではありません。ひとは、聖霊を受け取らなくてはなりません。そうでなければ、その人は、完成された人間とはいえません。



聖霊を受け取っていないとき、その人は、生きているのではなく、死んでいるのです。罪の赦しを与える聖霊だけが、わたしたちを、からだのよみがえりと永遠の命に、生かしめるのです。



聖霊は、今、地上に来られています。誰かがイエス・キリストを信じているなら、その人は聖霊を受け取っているのです。信仰とは、より高く、より新鮮な空気の中で呼吸することなのです。「目を上げ、心を高くあげよう!」 (賛美歌の歌詞)。



今や、聖霊がわたしたちに信じさせてくださることは、どのような事柄でしょうか。



わたしたちは、教会のメンバーとして、洗礼を受け、あるいは主の晩餐に与ることを許されている者として、使徒信条を持っています。



「われは、父なる神、イエス・キリスト、聖霊を信ず」と告白します。わたしたちは、まさに存在する何者かであるひとりの神を信じているだけではありません。そのようなことは、異教徒でも行っていることです。異教徒は、そのような神を探し求めています(使徒言行録17・27参照)。



わたしたちは、それ以上のお方を信じています。わたしたちの父なる創造者は、天地万物の創造者です。聖書によれば、主イエスは我らの贖い主です。これが福音です。



ペンテコステの聖霊は、わたしたちの慰め主です。これが使徒の働きです。



このようにして、わたしたちは、神を知るのです。聖霊は、そのことに基づいて、わたしたちに確信を与えてくださるのです。



第一に、主イエスのよみがえりがあります。もしキリストがよみがえられなかったとしたら、宣教は無駄であり、あなたの信仰も無駄になります(コリント一15・14)。



そこから聖霊が確信を与えてくださいます。ペトロはペンテコステの祝いの場で説教を行いました。聖霊は力強い論拠をお用いになります。それは、しばしば、確信の殻を叩き割る、あらゆる非日常的な論拠なのです。



そうです、あなたは、人生をとおして、永遠に向かって行かなくてはなりません。あなたは、両手・両足・五感を持つだけで、他は何にもないような人間ではありません。それらは、獣でも持っているものです。



あなたは、他のものを身につけなければなりません。あなたはキリスト教会のメンバーです。第二のアダムとしてのキリストは、あなたの先祖です。



聖霊は、あなたの弱さを助けに来てくださいます。そのとき人生は栄えるのです。霊の結ぶ実は、愛、忍耐、寛容、親切、信仰、柔和、節制(ガラテヤ5・22)。聖霊の賜物を持たない者は、落伍者です。



しかし、その人は、それらの賜物を、聖霊をとおして与えられていないわけではありません。聖霊の賜物は、他の被造物にではなく、まさに人間に与えられるものです。



信仰者も一人の人間です。希望、そして愛。聖霊の賜物に欠けているならば、枯れ果ててしまうのです。



BARTH, Karl [1886-1968] (カール・バルト)

カール・バルト[Karl Barth 1886-1968]は、スイス生まれのプロテスタント神学者。



1886年5月10日、スイス連邦バーゼルに生まれる。



父は、スイス改革派教会教師でベルン大学神学部教授のフリッツ・バルト。



カールは、ベルン大学神学部卒業後、ベルリン大学、テュービンゲン大学、マールブルク大学に留学。



教師候補者の資格を得て、ジュネーヴのドイツ語改革派教会副牧師に就職。



教師として任職された後、ザーフェンヴィル改革派教会牧師に就職。



ザーフェンヴィルでスイス社会民主党に入党。労働組合を支援し、工場経営者たちと対立。教会内で牧師排斥運動が起こる。



その後は教会の牧師としてではなく、大学教員としてゲッティンゲン大学(アメリカ長老教会の寄付に基づく改革派神学講座担当教授)、ミュンスター大学、ボン大学、バーゼル大学の各神学部で教鞭をふるい、弁証法神学運動、「ドイツ教会闘争」の理論的指導者となる。



バルトの書斎から生まれる著作の数々が、20世紀の神学的状況をリードし続けた(仕事中の写真)。



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なかでも、多く版を重ねた主著『ローマの信徒への手紙注解』 (Der Römerbrief)と、9千ページ以上に及ぶ大著『教会教義学』 (Die Kirchliche Dogmatik) 全4巻(14分冊)は、あまりにも有名。また、「バルメン神学宣言」の執筆を担当した。



[オランダ改革派神学との関係]



オランダ改革派教会、とくにNederlandse Hervormde Kerk(国教会系)とGereformeerde Kerken in Nederlands(総会派系)の二大教団は、それぞれの内部で、バルト神学の受容をめぐって分裂した。



バルトの存命中、オランダにおいてバルト神学を強く支持したことで国際的に有名になった改革派教義学者は、国教会系(NHK)では、Th. L. ハイチェマ(フローニンゲン大学教授)とK. H. ミスコッテ(ライデン大学教授)である。



また総会派系(GKN)の教義学者G. C. ベルカウワー(アムステルダム自由大学教授)は、最初はバルトを批判する側に身を置いていたが、次第にバルト擁護の立場へとスタンスを変えていったことで知られる。



ファン・ルーラーは、フローニンゲン大学神学部在学中、ハイチェマ教授の下で教義学を学ぶうちに、いったんは「純血のバルト主義者」(本人談)となるが、在学中にバルト批判に転じ、その後は、オランダで最も有力なバルト批判者の一人に数えられるまでになった。



COCCEIUS, Johannes [1603-1669](ヨハンネス・コクツェーユス)

関口 康



最近のわたしの心を魅了している問題は、十七世紀の改革派契約神学者、なかでもヨハンネス・コクツェーユス(Johannes Cocceius [1603-1669])において確立された「贖いの契約」(pactum salutis)という概念が、その後の改革派教義学における三位一体論とキリスト論と聖霊論とをつなぐ扇の要のような役割を果たしてきた経緯もしくは歴史的展開は、今日においていかなる意味を持っているのだろうか、というあたりのことです。



コクツェーユスの契約論において重要な概念は次の三つです。



「贖いの契約」(pactum salutis)
「恵みの契約」(foedus gratiae)
「わざの契約」(foedus operum)



それぞれの概念の定義は非常に難しいのですが、「贖いの契約」の内容だけは、はっきりしています。



それは、父なる神と神の御子イエス・キリストとの間の契約、すなわち「三位一体の神の内部の契約」(foedus Dei trinitatis intra)というべきものであり、「御子イエス・キリストの仲保者職への任職」(constitutio Mediatoris)です。



これに対して、「恵みの契約」も、「わざの契約」も、神と人間との間の契約です。



この「贖いの契約」(pactum salutis)は、キリスト教信仰の教義的体系化ということを考えていくためには、非常に重要であり、かつ必要不可欠な概念であると思われます。



コクツェーユスの場合は、「贖いの契約」における御父と御子との関係についても、「恵みの契約」や「わざの契約」における神と人間との関係についても、全く同じ「友情」(amicitia)という言葉で説明されます。



コクツェーユスの語る「贖いの契約」(pactum salutis)の内容と、ファン・ルーラーが「喜び」(vreugde)と呼んでいるものとは同一のものではないかと、わたしは数年前から考えてきたのですが、ファン・ルーラーのテキストの読みのほうがなかなか進まなくて(書物をじっくり読む時間が無くて)苦しんでいるところです。



裏が取れ次第、「喜びの神学の歴史的展開―カルヴァンからコクツェーユス、そしてファン・ルーラーへ―」(仮題)というような大論文でも書きたいところですが、「書きたいなあ」と、ただ思っているだけです。



御父と御子との関係も、神と人間との関係も、押しなべてコクツェーユスのように「友情」と呼ぶか、ファン・ルーラーのように「喜び」と呼ぶか。どちらも同じであると考えてよいか。



これは非常に重要な問題である、と感じています。



ENDEMANN, Samuel [1727-1789] (サムエル・エンデマン)

サムエル・エンデマンは、マールブルク大学神学部教授、改革派神学者。



著書 Institutiones theologicae dogmaticae. Tom. I-II. Hanover, 1777, 1778.



        Compendium Theologiae dogmaticae in Usum Auditorum, Frankfort-on-Main, 1782.



WITSIUS, Hermannus [1636-1708] (ヘルマヌス・ヴィトジウス)

ヘルマヌス・ヴィトシウス(Hermannus Witsius [1636-1708])年は、北ホーラントのエイクハイゼン生まれ、フローニンゲン、ライデン、ユトレヒトの各大学で学び、1656年から牧師になり、オランダ国内の三つの教会の牧会に当り、その後1675年からフラネカーで、1680年からユトレヒトで、1698年からライデンで神学教授を歴任。正統主義神学とコッツェーユスの契約神学との仲介役を務めようとしたが失敗した、とされる。