2017年7月5日水曜日

ブルンナー「神学のもう一つの課題」(1929年)は熱い

ファン・ルーラー教授もご到着です
昨日は、ブルンナーとバルトの「自然神学論争」関係年表を作った後、なるべく年表の順にブルンナーの文章とバルトの文章を交互に読んだが、両者ともバトルモードで書いているのが分かるだけに、心理的に結構きつい。どちらが勝った、どちらが負けたの話にされてしまいがちだが、そういう問題ではない。

もちろん日本語版があるものだけでも全部読み終えるのに何日もかかるのは間違いない。しかし取り組み甲斐がある。今まで日本国内でこの論争が紹介される場合は、ほぼバルト側に立つ人々がいかにブルンナーが間違っていたかを言うのがほとんどだった。私を含めてブルンナーの原書を読む力がない相手に。

しかし今はそれはもう通用しない。ブルンナーがバルトの何を批判し、それによって読者に何を訴えようとしたかが、ドイツ語を読めない者たちにも理解できるようになった。「論争」なのだから両方を読まないといかなるジャッジもしようがない。その単純な事実に立つことが大切だと思いながら読んでいる。

昨日ブログに書いたブルンナーとバルトの「自然神学論争」関連年表について、現役神学生の方から誤記の指摘をいただいた。感謝しつつ以下のように訂正した。

バルト『ローマ書』第2版出版  (誤)1920年→(正)1921年
バルト、ゲッティンゲン大学教授 (誤)1922年→(正)1921年

バルトの『ローマ書』に関しては、出版年がややややこしい。本体に印字された出版年は、第1版は1919年、第2版は1922年であるが、実際の出版はどちらも1年ずれている。第1版は1918年、第2版は1921年である。佐藤司郎先生はそのことをご存じで、いつも論文に正確に書いておられる。

バルトの『ローマ書』第2版の出版と、ゲッティンゲン大学教授就任は、同じ1921年であった。第2版を書くまで「牧師」で、それが終わって「教授」になった。ただし、彼を教授に推薦した人々が評価したのは、その後世界的大ヒット作になった第2版ではなく、わずかしか売れなかった第1版であった。

まだ結論めいたことを書ける段階には全くないが、昨夜読んだブルンナーの「神学のもう一つの課題」(1929年)は素晴らしいと思った。バルトがこんなのは不要だと退けた「弁証学」(Apologetik)の存在理由を擁護し、呼称を変えて「論争学」(Eristik)としてその価値を主張する。

とくに私が感動したのは「神の言葉が信仰において入場許可を獲得する場合には、そのことは理性の追放として起こるのではなくーこのような悪魔払いは人間を破壊するであろうからー、当初は反抗していた理性が従順になることによって起こる」(91頁)というブルンナーの言葉だ。至言である以上に熱い!

いちいち引用しながら書くと長くなるのでやめておくが、ブルンナーが言っているのは、教会の説教者たちに対する警告だと見て間違いない。説教者たちは神の言葉を宣べ伝えようとしている相手を「人間」だと思っているのか、その相手を「人間」として尊重しているのかと、ブルンナーは言いたがっている。

「説教は人間に立ち向かい、彼を隠れ家から引き出す。説教はその仮借なき光によって人間と彼の幻想を照らし出す。もし説教がこのことをしないとすれば、何千回となく『純粋な教理』を提示しようとも無益であろう」(109頁)。このブルンナーの警告に同意する気がない説教者が存在するのだろうか。

「バルト自身は現実の人間に対して現実的に語る術を心得ている。しかし彼の原則と態度とが他の人々を誤らせる危険、つまり彼らが現実の人間に対して、換言すれば今日の人間に対して、もはや現実的に語ることをしないようにさせる、したがってもはや語るのではなく、宣告するようにさせるという危険は大きい」(同)はストライク。

あなたがたの説教は「語っている」のではなく「宣告している」だけだ。ブルンナーがバルトに対してこのような苦言を書いているのは、いわば眼前のバルトを凝視しながらの友人に対する真摯な忠告であって、88年後の我々がバルト自身と彼の影響を受けた人々を想像しながら言うのとは、重さが全く違う。

説教に限らず教会の宣教のすべてにおいて一方通行の「宣告」で終わってよい要素は全くなく、双方向の「対話」が必要であり、そのために教会は神の言葉を宣べ伝える相手を「人間」として尊重すべきであって、相手の「理性」を破壊してはならない。ブルンナーは要するにこういうことを言いたがっている。

まだ考えはじめたばかりなので、この先どうなるか分からないが、ブルンナーとバルトの議論を「自然神学論争」と呼ぶのは議論の本質を見誤らせるだけかもしれない。一方のバルトは当時の教会にほとんど絶望している。ブルンナーはバルトの絶望感に共感しつつ、それでも教会を肯定する側に立とうとした。

昨夜はブルンナーの「神学のもう一つの課題」(1929年)に触発されて興奮気味で寝付けなかったので、子守唄になるかもと思い、ファン・ルーラーの「自然神学のもう一つの側面」(1959年)という論文(オランダ語)を斜め読みした。しかし、これも面白かった!ますます興奮して眠れなくなった。

ファン・ルーラーによると、「自然神学」には「二つの側面」がある。従来「自然神学」は特別啓示を受けていない生来の人(異教徒)にとっての一般啓示の意味は何かを問うてきた。しかし「もう一つの側面」として、教会とキリスト者にとっての一般啓示の意味は何かという問いがある。面白いではないか!

ブルンナーとバルトがコンビで働いた形跡はないが、もしコンビだったら爆笑問題の太田と田中の関係かもという気がする。ある意味鋭くある意味極端なことを言う太田がバルトで、「いやそれ違うから」と一般常識の範囲内で冷静につっこむ田中がブルンナー。こういうたとえは、かえって分かりにくくする。


2017年7月4日火曜日

ブルンナーとバルトの「自然神学論争」関連年表

教文館『ブルンナー著作集』と新教出版社『カール・バルト著作集』

1918年 バルト『ローマ書』第1版出版

1919年 ブルンナー「カール・バルト『ローマ書』書評」

1921年 バルト『ローマ書』第2版出版

1921年 バルト、ゲッティンゲン大学教授

1922年 『時の間』創刊
    (バルト、トゥルナイゼン、ゴーガルテン、メルツ共同編集。隔月発行)

1924年 ブルンナー、チューリッヒ大学教授

1924年 ブルンナー『神秘主義と言葉』出版。シュライエルマッハー批判

1924年 バルト「ブルンナーのシュライエルマッハー論」(『時の間』)

1925年 バルト、ミュンスター大学教授

1929年 ブルンナー「神学のもう一つの課題」(『時の間』)

1930年 バルト、ボン大学教授

1930年 バルト「神学と現代人」でブルンナー批判(『時の間』)

1932年 バルト『教会教義学』第1巻第1分冊発行

1932年 ブルンナー「神学の問題としての結合点への問い」(『時の間』)

1933年 『時の間』廃刊。バルトとゴーガルテンの対立が原因

1934年 ブルンナー『自然と恩寵 K. バルトとの対話のために』発行

1934年 バルト「ナイン!E. ブルンナーに対する答え」(『今日の神学的実存』)

    (以後、ブルンナーとバルトは絶交状態になる)

1935年 バルト、バーゼル大学教授

1938年 バルト「神認識と神奉仕」第1講で「自然神学」を扱う(ギフォード講義)

1946年 ブルンナー『教義学』第1巻発行

1948年 バルト『教会教義学』第3巻(創造論)第2分冊で肯定的な人間論を展開

1951年 ブルンナー「新しいバルト K. バルトの人間論への論評」
    (『神学教会雑誌』)

1953年 ブルンナー、国際基督教大学教授(1955年まで)

1956年 バルト「神の人間性」(『神学研究』)

1966年 ブルンナー死去(76歳)

1968年 バルト死去(82歳)

2017年7月2日日曜日

小金教会の主日礼拝に出席しました

日本キリスト教団小金教会(千葉県松戸市小金174)
今日(2017年7月2日日曜日)は日本基督教団小金教会(千葉県松戸市小金174)の主日礼拝に出席しました。借家から1.2キロ(徒歩15分)の最寄り教会。旧日本基督教会の伝統に立つ教会。牧師歴50年の今泉幹夫先生の説教に励まされ、聖餐にあずかり、疲れた体と心に元気をいただきました。


2017年7月1日土曜日

ブライダル報告

日本聖書神学校(東京都新宿区)メイヤー・ライニンガー礼拝堂
今日(2017年7月1日土曜日)は日本聖書神学校(東京都新宿区)メイヤー・ライニンガー礼拝堂ブライダルの牧師をさせていただきました。リングドッグがとてもかわいかったです。おめでとうございます。

2017年6月27日火曜日

熱く生きろ!(東京女子大学)

東京女子大学(東京都杉並区)
東京女子大学(東京都杉並区)

ヨハネによる福音書11章32~35節

関口 康(日本基督教団牧師)

「マリアはイエスのおられる所に来て、イエスを見るなり足もとにひれ伏し、『主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに』と言った。イエスは、彼女が泣き、一緒に来たユダヤ人たちも泣いているのを見て、心に憤りを覚え、興奮して、言われた。『どこに葬ったのか。』彼らは、『主よ、来て、御覧ください』と言った。イエスは涙を流された。」

東京女子大学の皆さま、おはようございます。日本基督教団教師の関口康です。千葉県柏市に住んでいます。今日はどうかよろしくお願いいたします。

「熱く生きろ!」というタイトルを付けさせていただきました。初対面の方々に命令形を使うのはアウトだと思いながら付けました。申し訳ありません。しかし私の気持ちとしては「もしよろしければ熱く生きていただけませんでしょうか」です。

どうしてこういうタイトルなのかといえば、今日の礼拝のために私が選ばせていただいた聖書の箇所に、やたら熱いイエス・キリストが出てくるからです。

この場面の説明をします。イエスさまの友人でもあったラザロという男の人が病気になりました。そして、その病気で亡くなりました。墓に葬られました。それから4日も経っていました。

人の死についてお話しするのは慎重でなければならないと思います。私がお話しすることでもし皆さんの中に差し障りがある方がおられるようでしたらどうかお許しください。とにかくはっきりしていたのは、ラザロが亡くなったことは、もはやだれにも疑う余地がない客観的な事実だったということです。

しかし、とても気になることが今日の朗読箇所の少し前のあたりに記されています。イエスさまはラザロが生きていたとき、そろそろ危ないので早く来てもらいたいと連絡を受けてもラザロのところに行きませんでした。ラザロが亡くなったとき、その知らせは届いているのにイエスさまはラザロのところに行きませんでした。イエスさまがラザロのところに行ったのはラザロが墓に葬られて4日も経ったときだったというのです。

それで、ラザロの2人のお姉さんがイエスさまに対してものすごく腹を立てました。名前はマルタとマリア。この2人がイエスさまに激しく食ってかかりました。「あなたがすぐに来てくだされば、弟は死ななかったでしょうに」とまで言いました。

そのように言われてイエスさまがどのように反応したかが今日の箇所に描かれています。「心に憤りを覚え、興奮して、言われた。『どこに葬ったのか』」。そして「イエスは涙を流された」。

こういうのをわたしたちは逆ギレと言うかもしれません。マルタとマリアだけでなく、そこにいた全員がイエスさまに腹を立てていたことが考えられるわけですが、そうしたら今度は逆にイエスさまのほうが腹を立てはじめ、興奮し、泣き出したというのです。

しかし問題はイエスさまが何に腹を立て、興奮し、涙を流したのかです。答えを言います。そこにいたすべての人がラザロの死を動かぬ事実であると固く信じ、あきらめ、泣いていたことに、です。そしてその勢いで、すぐに来なかったイエスさまのせいにしはじめたことに、です。

なぜあなたがたはあきらめているのか、泣いているのか。そのことにイエスさまは憤り、興奮し、涙を流したのです。その後ラザロがどうなったかについては、ぜひ続きをお読みください。

イエスさまがラザロのところにすぐ来てくださらなかったことの理由も言っておきます。ラザロのまわりの人たちに、もっと強く神さまを信じてほしかったからです。客観的に動かぬ事実を前にしても、それでもなお絶対にあきらめないで、人間の力を超えて働かれる神さまを信じてほしかったからです。

私が今日皆さんにお話ししようと思って来たのは、あきらめるのが早すぎる方々への励ましの言葉です。絶対にあきらめないでください。神さまを信じてください。必ず道は開けます。

私には皆さんと同じ世代の子どもが2人います。2人とも就活中の学生です。そして実は私も就活中です。昨年度は高校で聖書を教える常勤講師でしたが、「代用教員」でしたので1年で契約が終了しました。その前の25年は教会の牧師でした。私の願いは、もう一度、教会の牧師に戻ること、または、学校で聖書を教える先生に戻ることです。

同情してもらいたいのではありません。「おじさんも必死で生きています」と言いたいだけです。

私は絶対にあきらめません。皆さんも絶対にあきらめないでください。そして、神さまを信じてください。神さまが、人間には考えられない方法で、とにかくなんとかしてくださいます。

皆さんの将来が明るい希望に満ちたものでありますよう、お祈りいたします。

(2017年6月27日、東京女子大学 日々の礼拝)

東京女子大学(東京都杉並区)

東京女子大学(東京都杉並区)

2017年6月25日日曜日

心から神を礼拝しよう(千葉若葉教会)


ヨハネによる福音書4章21~23節

関口 康(日本基督教団教師)

「イエスは言われた。「婦人よ、わたしを信じなさい。あなたがたが、この山でもエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る。あなたがたは知らないものを礼拝しているが、わたしたちは知っているものを礼拝している。救いはユダヤ人から来るからだ。しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。なぜなら、父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ。』」

ヨハネによる福音書の学びの4回目です。4章に入ります。今日の箇所に登場するのはイエスさまとサマリア人の女性です。

イエスさまの伝道が進展し、多くの人に洗礼を授け、バプテスマのヨハネの弟子の数よりもイエスさまの弟子の数が多くなりました。それがファリサイ派の人々の耳に入りました(1節)。ファリサイ派の人々からすると、彼らに反対し、自分たちの地位を脅かす勢力が増大していることを意味します。それは彼らの側にイエスさまへの迫害の動機が増えているということです。

それでイエスさまはユダヤからいったん退き、ガリラヤへ行かれました(2節)。ガリラヤはイエスさまが伝道活動を開始した地ですので、出発点にお戻りになったことを意味します。そのイエスさまがユダヤからガリラヤへお戻りになる途中に通られた町が今日の箇所の場面です。それがサマリアです。「しかし、サマリアを通らねばならなかった」(4節)と記されています。

ここで「サマリアを通らねばならなかった」と書かれていることには意味があります。ユダヤからガリラヤへ行く道はひとつだけではなかったからです。サマリアを通る道は最短距離ではありました。しかし別の道もありました。多くのユダヤ人は別の道、もっと遠回りの道を通りました。サマリアを避けて通る人々のほうがほとんどでした。なぜならサマリアは当時の特にユダヤ教主流派の人々と対立関係にあったユダヤ教サマリア派ないしサマリア教の人々が住む町だったからです。

ところがイエスさまはそのサマリアを「通らねば」なりませんでした。ご自分がこの町を通ることには必然性があるとお考えになりました。しかしその必然性は地理的な必然性ではありません。地理的な意味で別の道がなかったわけではないのですから。そうではなくて伝道的な必然性です。「わたしはこの町に伝道しなければならない、福音を宣べ伝えなければならない」というイエスさまご自身の伝道的な決心です。その意味での「サマリアを通らねばならない」です。

しかしまたそれは「本当は通りたくないし、全く気乗りがしない。しかしこれが自分の義務であり使命なのだから、私は嫌でもなんでもこの道を通らなければならないのである」というような否定的な消極的な意味で考える必要はありません。もっと肯定的な積極的な意味です。この町に福音を宣べ伝えるのだ、喜びの知らせを告げに行くのだ、私はそうせざるをえないのだというイエスさまの決意表明です。そのようにとらえるのがいちばんよいと思います。

わたしたちはどうでしょうかと、ここでついわたしたち自身のことを考えたくなります。教会に来ること、礼拝をささげること、いろんな集会や活動に参加すること、献金すること。これらのことについてわたしたちは、しなければならないからする、嫌々ながらでもするというような感覚ばかりを持っていないでしょうか。

そういう感覚を持ってはいけないとは私は思いません。信仰生活、教会生活は一生ものですから。長い年月の間に、山あり谷あり、浮き沈み、熱いとき冷たいときがあります。わたしたちは皆そのようなところを通ってきました。しかし、義務だ責任だというだけだとつまらないです。面白くない。

今申し上げているのはイエスさまが「サマリアを通らなければならなかった」と記されていることから出発した連想です。イエスさまは、義務だから責任だから、嫌でもなんでもその町を通らなければならなかったのでしょうか。そのような感覚は、私たちにはあるかもしれませんが、イエスさまにまで押し付けなくてもよいでしょう。

ただひとつはっきりしているのは、イエスさまがサマリアを通った行為は当時のユダヤ人の常識ないし一般的な感覚に対して明確に逆らうことを意味していたということです。ほとんどの人が「行きたくない」と思っているところにあえて突入されました。

だれかがそれをしなければ新しい道が開くことはありえないと思われたからです。その意味でイエスさまは新しい道の開拓者(パイオニア)であり、常識や既存の価値観を打ち破る挑戦者(チャレンジャー)であったと言えます。

さて、イエスさまがサマリアに到着しました。するとイエスさまの前にひとりの女性が現れました。「そこにヤコブの井戸があった。イエスは旅に疲れて、そのまま井戸のそばに座っておられた。正午ごろのことである」(4節)と記されています。

当たり前のことを言いますが、イエスさまは「疲れる」体を持っていました。のども乾くし、お腹もすく。わたしたちと同じです。のどが渇いたので井戸のそばに座り、疲れたので休憩しておられました。そうしたら、そのイエスさまの前に井戸から水をくむために来た女性が現れたというのですから、その女性の出現はある意味で必然的です。誰も来ないということはありえませんでした。毎日必ず人が集まるところにイエスさまがおられたのですから。

そしてその女性とイエスさまとの会話が始まりました。初対面の女性に気軽に声をかけるイエスさまが描かれています。「水を飲ませてください」とイエスさまが言いました。すると「ユダヤ人のあなたがサマリアの女の私にどうして水を飲ませてほしいと頼むのですか」と返ってきました。このやりとりにも必然性があります。それが当時の常識であり一般的な感覚だったからです。

「あなたがたはわたしたちのことを嫌っているのでしょ。わたしたちだって嫌われている相手のことを好きになることなんかできませんよ。はっきり言わせてもらえば、わたしたちもあなたがたのことが嫌いですよ。だってあなたがたはわたしたちを嫌っているのですから。お互いさまですよ。そのユダヤ人であるあなたがどうしてサマリア人である私に『水を飲ませてください』などと言うのですか。けんかを売っているのですか」というような意味です。

するとイエスさまは、これまたものすごい変化球でお返しになる。「もしあなたが、神の賜物を知っており、また、『水を飲ませてください』と言ったのがだれであるかを知っていたならば、あなたの方からその人に頼み、その人はあなたに生きた水を与えたことであろう」(10節)。

このイエスさまのお答えを聞いて、女性はいよいよカチンと来たようです。「なんなのあなた、偉そうに」と。ものすごく腹を立てていると思います。「主よ、あなたはくむ物をもお持ちでないし、井戸は深いのです。どこからその生きた水を手にお入れになるのですか。あなたは、わたしたちの父ヤコブよりも偉いのですか。ヤコブがこの井戸をわたしたちに与え、彼自身も、その子供も家畜も、この井戸から水を飲んだのです」(11~12節)。

女性が言おうとしていることは2つあります。ひとつは「水を飲ませてください」と言っておきながら私があなたに生きた水を与えるであろうとか、わけの分からないことを言う。それで水をくむものを持ってもいない。飲ませてほしいなら「お願いします」でしょうに。くむものがなければ「貸してください」でしょうに。自分が頭を下げてお願いすることもできないでいて、なんでそんな偉そうなことが言えるのですかということでしょう。

もうひとつはその井戸の由来です。この女性が言っているとおりの歴史的に由緒正しい井戸でした。その井戸を掘り当てたヤコブをあなたは侮辱するつもりですか。この井戸でどれだけの人が助けられ、そこに人が住み、町ができ、歴史が刻まれてきたかを分かっているのですか。もしそれを知らずにいて「私が生きた水を飲ませてやる」というような偉そうなことを言うのであれば、歴史に対する冒瀆であり、侮辱ですよと言っているわけです。猛然たる抗議です。

するとイエスさまは、またお答えになる。「この水を飲む者はだれでもまた渇く。しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る」(13~14節)と言われました。

だんだん禅問答です。女性としては、ますます腹が立ってくるような、しかし自分がふだん考えているようなこととは全く異なる次元のことへと誘導されているような、不思議な感覚を味わったのではないでしょうか。

「井戸の水は飲んでもまた渇く」。それは確かにそのとおり。「しかし渇かない水がある。それをわたしが飲ませてあげよう」とこの人は言い出した。大丈夫なのかこの人は。おかしい人ではないかと、この女性としてはだんだん心配になってきた可能性があります。

「だったらその水を見せてくださいよ。はいどうぞ、今すぐ。ほらすぐに。見せられるものなら見せなさいよ。そんな水があるわけないでしょ。やっぱり私をばかにしているのではないですか。悪いけどさっさとどこかに行ってください」と言いたくなるような。

しかしまたイエスさまはこの女性の心の中にあるものを言い当てられました。その内容は時間の関係で今日は割愛します。ぜひおうちで読んでみてください。理解するためのヒントとして申し上げられるのは以下の点です。

あなたの心の中に「乾き」がある。それは具体的にこのことではないか、そしてその「渇き」についてはいくら水を飲んでもそれで潤うこともいやされることもない。別の次元の解決が必要であるということを本人が気づくようなことをイエスさまがおっしゃっています。

そしてその意味での人の心の「渇き」の問題に対する解決策として、この女性自身が辿り着いたのが「礼拝」の問題でした。いくら水を飲んでも解決しない「心の乾き」を潤し、いやしてもらえる「礼拝」とは何かという問題に、この二人のやりとりがたどり着きました。

そのようにイエスさまが誘導なさいました。「誘導」という言葉がきつすぎるとしたら、彼女の発想の転換を助けてくださいました。決して押し付けるのではなく、すうっとうまく導いてくださいました。

しかしまだ問題が残っていました。それは「どこで」礼拝をするかという問題でした。「わたしどもの先祖はこの山で礼拝しましたが、あなたがたは、礼拝すべき場所はエルサレムにあると言っています」(20節)と女性は言いました。それは、サマリア人である私は「どこで」礼拝すればよいのでしょうかという意味です。

この女性の言葉には、私の心の「渇き」を見抜き、それを潤し、癒してくださる「あなたの説教」はどこで聞けるのでしょうかという意味が含まれていたと私は考えます。どこで行われる礼拝でならば私は救われますか。あなたの御言葉を私はどこで聞けますか。このサマリア人の女性が、自分の目の前にいる、まだ名前すら聞いていないその人のことをやっと信頼することができた、その瞬間に浮かんだ問いが「私はどこで礼拝すべきですか」ということでした。

その彼女の問いに対するイエスさまの答えが今日の朗読箇所に記されていることです。「婦人よ、わたしを信じなさい。あなたがたが、この山でもエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る」(21節)。その意味は、場所は関係ないということです。

エルサレムに行かなくては本物の礼拝をささげたことにはならないなどということはありえない。場所はどこも構わない。ヴァチカンに行かなくては、歴史と格式のある伝統教会でなければ、著名な牧師がいる都会の巨大な教会でなければわたしたちの心が満たされることはありえないということはありえない。

そのような有名な場所の礼拝が「本物の礼拝」であって、他はすべて「偽物の礼拝」だなどということはありえない。ひとつひとつの教会の礼拝が「真実の礼拝」です。

バプテスト教会は「各個教会主義」ですので、この点は皆さんが最も強く主張してこられたところでしょう。

そして宗教の対立、教派の対立、民族の対立をすべて乗り越え、みんなで喜んで感謝して父を礼拝する時が来る。それがこの女性に向かって語られたイエスさまの約束です。

この約束は必ず実現するということに大きな希望をもって、わたしたちはこれからも歩んでいくのです。

(2017年6月25日、日本バプテスト連盟千葉・若葉キリスト教会 主日礼拝) 

2017年6月23日金曜日

受肉(じゅにく)とは何か


「エンヒュポスターシス」や「二性一人格」を図解するスライドを作ってみた。ひたすら分かりやすさのみを追求したが、どう書いても差し障りが出てきそうな内容ではある。理解の鍵は、ロゴスが摂取した「肉」になぜ「人格(human person)」があってはならないかという問いにかかっている。

「肉(サルクス)」のイラストとしてあえてこれを選んだのは、「人性(human nature)がある」としながら、たとえば「人の顔」を付したものを選ぶとかえって危険なイメージに誘導してしまうと思ったからであって他意はない。厳しいご批判や叱責は甘受する他ない。あらかじめお詫びしたい。

ふざけているわけではなく真面目な話をしているつもりだが、我々が牛肉や豚肉や鶏肉を食べても、だからといって牛にも豚にも鶏にもならないのは、それらの肉そのものには、各動物の「性質」(味や香りなどいろいろ)はあっても、牛格も豚格も鶏格も(この「格」がペルソナ)、もはやないからである。

「ロゴスがサルクスから人性(human nature)を摂取した」としても「人格(human person)を摂取した」という意味で「人間になった」(became human being)わけではない。荒唐無稽だと言われれば返す言葉に困るばかりだが、イメージ膨らむ話題ではあろう。

こういう話の持って行き方や理屈のこねまわし方がとにかくイヤで、単純に元々ただの普通の人間が宗教的に崇拝される存在になっただけだとか、結局宗教はすべてほぼ妄想の共同幻想だとか言い放ってしまうほうが我々の腹に収まりやすいのはある意味当然でもあるが、そういうのは当然すぎて面白くはない。

ただ、「性」(nature)と「格」(person)の区別の問題は、すでにいろんな場面で直面しているはずだ。献体、臓器移植、サイボーグ。自分もしくは他者の身体の一部あるいは全体をどこまで客観的に「格」(person)なきモノとして見られるか。そもそもそういうのは全くありえないか。

2017年6月22日木曜日

ファン・ルーラーの「人間尊重」の神学

アーノルト・アルベルト・ファン・ルーラー(1908-1970)

これも古代由来の神学用語だが、「エンヒュポスターシス」と「アンヒュポスターシス」がある。両者共にキリスト論の用語であり、三位一体の第二位格が非人格的人間性を摂取することを指す。しかし両者の違いもある。前者は、人間としてのイエスの存在は神的「我」における我として見いだされるとする。

後者は、人間としてのイエスの存在はいかなる固有の人間的な我をも有しないとする。両者は、キリストの「二性一人格」の教理、すなわちイエス・キリストは真の人性と真の神性との二つの性質を持ちながら、二重人格者ではなく統一人格を持っている、という教理の説明についての異なる2つの説明である。

前者(エンヒュポスターシス論)は、神の言(ロゴス)がマリアから人性(サルクス)を摂取した(humana natura assumpta)とき、その人性(サルクス=肉)には自立した固有の「人格」はないとする。そうでないとイエス・キリストが二重人格者になり、ネストリウス主義になる。

後者(アンヒュポスターシス論)も、言ってみれば論理的によく似ている気もするが、神の言(ロゴス)の「受肉」(incarnatio)という論理は後退し、イエス・キリストの存在においては「人間的な我」としての人間的な人格(ペルソナ)は存在せず、もっぱら神としてのペルソナがあるとする。

つまり両者に共通しているのは、要するにイエス・キリストの「二性一人格」を言いたいだけであるということだ。神としてのペルソナと人間としてのペルソナの両方を自らの存在の内部に抱え込む仕方で内的に葛藤するイエス・キリストではなく、あくまでも統一人格の持ち主であると言いたがっている。

しかし、ここから先が「現代の論争点」である。このイエス・キリストの「二性一人格の教理」(エンヒュポスターシス論であれアンヒュポスターシス論であれ)を中核とする「キリスト論の論理」と「聖霊論の論理」を混同するとキリスト教の信仰も神学もめちゃくちゃに破壊されてしまうと言った人がいる。

ファン・ルーラーである。たとえば教会や信仰について考える場合、イエス・キリストにおける「二性一人格」の論理をそのまま当てはめると、教会や信仰において機能すべき「人間性」について、それ自体において自立した人格性はなく、非人格的なサルクス(肉)があるだけだと言わなくてはならなくなる。

そんなのはめちゃくちゃだとファン・ルーラーは主張した。教会や信仰には必ず「葛藤」がある。神のみこころと人間の思いとの激突がある。ファン・ルーラーは「葛藤こそが聖霊の働きの特徴である」というような言い方をした。聖霊論については「二性二人格」(ネストリウス主義)で構わないと言った。

この「キリスト論の視点」と「聖霊論の視点」の構造的な違いについての主張が、ファン・ルーラーを最も有名にした。ボーレンやモルトマンに影響を与え、「バルト後の神学」の道を開いた。この議論の中で「エンヒュポスターシス」や「アンヒュポスターシス」という古代の神学用語が繰り返し用いられた。

エンは英語のin(中に)。アンは「無い」。エンヒュポスターシスを「位格内」、アンヒュポスターシスを「非位格」と訳す人がいる。前者は「神的ロゴスのペルソナ(位格)の中に非人格的サルクスが摂取される」で、後者は「神としてのペルソナ(位格)には人間としてのペルソナ(位格)はない」。

ファン・ルーラーのこの議論は、カール・バルトの「キリスト論的集中の神学」への明確なアンチテーゼとして提示されたものである。ファン・ルーラーはバルトの神学を「キリスト一元論」(Christomonisme)と呼んだ。それは「キリスト一辺倒の神学」などと呼びかえることもできるだろう。

精密に書くと「ワケワカラン」の一言で封殺されてしまうので、最後に簡単にまとめておく。ファン・ルーラーの主張はいとも単純だ。教会と信仰における「人間性」(humanity)と「人間的なるもの」(Human beings)を侮辱するな、と言っているだけだ。「モノじゃねえよ人間だ」と。

三位一体の神は「外向き」に働く

「出かける人」のイラストを描きました
「見送る人」のイラストを描きました

古代由来の神学用語だが、opera Dei trinitatis ad intraとopera Dei trinitatis ad extraが区別される。前者は「三位一体の神の内なるみわざ」、後者は「~の外なるみわざ」。「内なる」の意味は内向きで「外なる」の意味は外向きである。

神が「内向き」であったり「外向き」であったりするとは何を意味するか。「内向き」とは三位一体の父・子・霊がいわば自己完結している状態を指す。神に欠乏はなく、いかなる他者の助けも要らない。世界も人間も、神の欠乏を補う存在ではない。その意味で、神にとって世界と人間の存在に必然性はない。

しかしその「内向き」でもありえた神があえて「外向き」になった。神は世界と人間を創造し、保持することを決意し、実行した。人間は神に逆らう存在になったが、神は人間を見捨てず、世界と人間を罪の中から取り戻すことを決意し、実行した。その神の「外向き」の働きは終末における完成の日まで続く。

おとぎ話のようではあるが、含蓄は深い。まるで神が我々のようだ。あなたが望むなら、他者との交流をすべて断ち切り、自己完結して引きこもってもいられるが、あえて面倒くさい「外」へと出ていく。「外」には争いがあり、傷つきもする。しかし、「外」でこそ世のため人のために貢献できることがある。

神も「外出」する。外で働く。出張もする。どこへでも行く。世のため人のために貢献する。面白い話ではないか。神が「外向き」でこそあるなら、教会が「内向き」であってよいはずがない。そもそも「教会」自体は「神」ではない。教会が自己完結することは「すべきでない」だけでなく「不可能」である。

2017年6月21日水曜日

教会が「内向き」になりすぎている

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25年私の説教だけ聴いてきた人(妻)から、たしか5年ほど前、「あなたの説教は学校向きかもね」と言われたことがある。教会にはやや不向きかもというニュアンスを含んでいた気はするが、批判的な意味ではなく、説教者しての私の長年の問題意識を肯定的に評価してくれる言葉だったことは間違いない。

遠い過去のことなのでそろそろ書かせていただくが、ある教会で「教会の奉仕」について牧師から話してほしいと依頼されたので、「教会の、世界に対する奉仕」について話したら、依頼者から不評を買った。「教会の受付当番や掃除当番などの役割分担」について話すことが、どうやら求められていたらしい。

正直に言えば、依頼者の意図は初めから分かっていた。「教会の受付当番や掃除当番など」の意味での「教会の奉仕」なしに教会は立ち行かないと言われれば、そうかもしれない。しかし私は、「教会が世界に対して奉仕する」という意味でないような「教会の奉仕」に意味はないと考えてきたし、今も変わらない。

使徒たちが「御言葉」に専念するために「奉仕者」(「執事」と訳す伝統もある)を選出したという使徒言行録の記事は有名だが、「奉仕者」の役割は狭い意味の「教会内のいろいろ」にもっぱら限定されることだっただろうか。その「奉仕者」に最初の殉教者ステファノが含まれていたことを忘れてはなるまい。

「教会の奉仕」が「外」に向かうものでないようなら、それは何だろう。同じことが「教会の伝道」にも当てはまる。「外」に向かうのでなければ、何が「伝道」だろうか。他の教会で十分に訓練を受けてきた人に来てもらえれば百人力だ、などと考えないほうがよいだろう。それだと差し引きゼロではないか。

「それは伝道ではない」で思い出したが、かつて近隣教会との講壇交換のとき「日曜日はうちの教会に来ないでください」と説教後の挨拶で言ったら、1年後、その教会の方から、自分の教会に不満を持っていたのでそちらに移る気でいたが先生の言葉で思いとどまったと言われた。ぜひ思いとどまってほしい。

「教会での奉仕」なしには「教会の、世界に対する奉仕」はありえないという貴重なご意見をいただいた。どちらが「大事」でどちらが「小事」かは難しいが、「小事に忠実な者は大事に忠実である」という教えの線でいえばご指摘のとおりである。ただ、その場合、「キリスト者とは誰か」という問題がある。

「キリスト者」とは「教会員」であり「教会で活動している人」を指すというのはひとつの立場だが、たとえば幼児洗礼を行う教会は「教会で活動している人」と「キリスト者」を同一視できない。また高齢者はじめ「教会で活動が困難な人」や「活動実態がない人」も「キリスト者」であり「教会員」である。

少し心配になったので日本基督教団教憲教規を確かめた。教規135条「信徒は、陪餐会員および未陪餐会員に分けて登録しなければならない」。幼児洗礼を受けて信仰告白をしていない人は「未陪餐」の「会員」、つまり「教会員」であり「キリスト者」であるという点は日本基督教団の定めに合致している。

教規140条「信徒が次の各号の一つに該当するときは、役員会の議決を経て、会員別帳に移すことができる。(1)3年以上住所が不明であるとき(2)理由なく3年以上教会に出席せず、かつ献金その他の義務を怠ったとき」。教会での活動実態がない人でも「別帳」の「会員」、つまり「教会員」である。

活動実態のない「教会員」を必ず含む「教会」が「世界に対して」何の「奉仕」ができるのか、現実問題として不可能ではないかという問いは当然出てこよう。だからこそそこから先が我々の考えどころなのだ。活動実態がないからといって「教会員」である人を「教会」自身が切り捨てることはできないのだ。

「未陪餐会員」も「別帳会員」も「教会員」であり「キリスト者」であると書いているのは詭弁を弄しているのでも教会統計をごまかしたいのでもない。この問題で現実に苦しんでいる人々がいる。日曜朝の数時間を教会活動に費やせる人々だけが「教会員」ではない。「教会」はもっと広く大きい存在である。

牧師が同じ教会にずっといるのでなく、いくつかの教会を経験することには良い面がある。どの教会も必ず直面する様々な問題について具体的な事例を挙げて話すことができる。しかし、牧師が同じ教会にずっといると、その具体例が「あの人のことだ」「あのことだ」とすぐに分かり、該当者の居場所を奪う。

「未陪餐会員」「別帳会員」について書いたのは自明といえば自明だが、あえて主張したいのは「全教会員の同等性」である。やっぱり優劣で考えてしまうし、「幽霊会員」だのと言い出される。日本だけではないと思うが日本の教会は、悪い意味でのアクティヴィズム(行為主義)に陥りすぎのところがある。

「礼拝に来た」か「来なかった」かが、すべてのすべて。何回か来なかったら「どうしたどうした」。心配するのはいいと思うが、いろんな詮索や中傷誹謗に近い話まで出てきたりして。何年か来なかったら「信仰を捨てた」。コミュニケーションが難しい人だったりすると「せいせいした」。どうかしている。

もっとはっきり言えば、目の前に「いる」か「いない」かがすべてのすべて。「いれば」求道者でも新来者でも「教会員」扱い。「いない」となると70年80年教会に通ってきた人でも無視、全否定。いくらなんでもまずい。指摘される前に気付いてほしいと思うが、指摘されても故意にしている場合もある。