2017年6月2日金曜日

わが體を打ち擲きて之を服従せしむ

息子のオレゴンの友人から贈られた大切な置時計

言わずもがな書かずもがなだが、私には恥ずかしい過去はないし、私は自分の過去を恥としない。私が恥じられることはあるだろう。存在してごめんなさい。しかし多くの人に支えられてきた。私が自分の過去を恥じるとは、私を支えてくださった方々を恥じることを意味してしまうので、それはありえない。

私には、人生の始まりと共に教会があったからだ。教会に支えられ、教会を軸として生きてきた。生活や働きの場が定点にとどまっていたわけではない。しかし、同じひとつの教会であると信じることができたし、事実そうだった。私が過去を恥じるとは教会を恥じることを意味してしまうので、それはありえない。

もちろん、家族「にも」友人「にも」社会「にも」支えられてきた。そのこと「にも」感謝している。と思っているところがあるので、どうやらこのあたりが嫌がられる。優先順位がおかしいぞと非難されてしまうところがある。そうかもしれないが、反省が難しい。私から「教会」を引いたら何も残らないから。

遺書を書いているわけではないのでご心配なく。明日ジェットに乗る。飛行機に乗る前に遺書を書くという方は一定数おられるようだ。真似をしているわけではない。まだ終わるわけにはいかない。日本の教会が今のままでよいわけがない。どうすればよいかを神に祈りつつ考え、決意を新たにしているだけだ。

昨日の昼、冷たいうどんが食べたくなって、ひとりで近所のうどん屋で食べた。その夜、家族が職場や学校からそれぞれ帰宅し、妻が作ってくれた夕食は、冷たいうどんだった。とても冷たくて、とてもおいしかった。私が注文したわけではない。30年一緒に生きたら黙っていてもこうなる。ありがたいことだ。

さて原稿だ。タイムリミットは近い。「斯く我が走るは目標(めあて)なきが如きにあらず、我が拳闘するは空を撃つ如きにあらず。わが體(からだ)を打ち擲(たた)きて之を服従せしむ。恐らくは他人に宣傳(のべつた)へて自ら棄てらるる事あらん」(コリント前書第九章二十六、二十七節)の心境なり。

またしても日付が変わるころを迎えてしまった。明後日の説教原稿をただいま脱稿。これから休んで明朝のフライトに備える。ジェットだジェット。飛行機はキライではない。宇宙に行きたい。いや、行きたくない。おうちがいいや。いちばん安心する。冒険心ゼロだ。だめだこりゃ。伝道しろ伝道。マッチョ。

コリント前書も超訳しとくか。「ゴールくらい分かって走ってるわ。パンチもエアじゃねーつの。ちゃんと当てますから。倒すぜ。自分が言ってることを自分ができてないってんじゃ最悪じゃんね。先生とか名乗ってんじゃねーよと言われてもごもっとも。自分の体をタコ殴りしてがんばるから。応援してね。」

2017年6月1日木曜日

説教は「新しい言葉」である(ランゲ)

J. H. ファン・デア・ラーン『エルンスト・ランゲと説教』(1989年)

明後日土曜はジェットで移動する日で、ラップトップを持っていないので、説教原稿は明日金曜までに仕上げなくてはならないが、どうにもまとまらず心理的に追い詰められている。6月から急に怒涛の忙しさになることは自分で求めたことでもあり、もちろんあらかじめ分かっていた。うれしい悲鳴ではある。

「何を今さら」とか「当たり前だろ」とか言われそうだが、心理的に追い詰められて頭を掻きむしりたいときこそギリシア語新約聖書を開いてひとつひとつの語や文の意味を辞書で調べることの大切さを実感する。そこで気づいたことや考えたことをそのまま字にしていくと「新しい言葉」の土台が見えてくる。

説教とは「新しい言葉」であると私がとらえるようになったのは、オランダの説教学者J. H. ファン・デア・ラーン(van der Laan)の博士論文『エルンスト・ランゲと説教』(Ernst Lange en de Prediking, 1989)を何年か前に手に入れたときからだ。

エルンスト・ランゲ(Ernst Lange)は1927年に生まれ1974年に亡くなったドイツの牧師であり実践神学者である。経歴がウィキペディア(ドイツ語)で紹介されている。写真もネットで検索すれば出てくるが、かなりのイケメンである。

このランゲの説教と説教理論(説教学)を研究して博士論文を書いたのがオランダ人のファン・デア・ラーン(Jaap H. van der Laan)である。その博士論文の指導教授は「オランダ神学の三巨頭」のひとりと名指されるG. C. ベルカウワーの弟子であるクラース・ルーニアである。

このファン・デア・ラーンの博士論文の中に「新しい言葉」(Neues Wort)というタイトルのサブセクションがある(J. H. van der Laan, ebd, 1989, 118v)。そこで「新しい言葉」こそがランゲの説教学を理解するための鍵となる概念であると言われている。

そしてファン・デア・ラーンは、ランゲが説教をどのような意味で「新しい言葉」であるととらえていたかを次のように要約している。

「聖書テキストから我々の状況へ、そしてまた我々の状況から聖書テキストへというこの往復運動の末にたどり着く答えは『新しい言葉』(Neues  Wort)である。我々はそれを根本的にとらえるべきである。説教が『神の新しい言葉』(neues Wort Gottes)であるかどうかは問われていない。しかし『教会の新しい言葉』(neues Wort der Kirche)であるかどうかは問われているのだ。」(Van der Laan, 120)

今書いていることは知ったかぶりのつもりはない。私は本当に感動し、慰められたのだ。我が意を得たりとも思った。教会の牧師として毎週毎週、たった1回しか使うことなくただ廃棄するしかない原稿を何時間もかけて書いてきた。これが「新しい言葉」でないなら何の意味があるだろうと何度思ったことか。

「それは奇をてらう言葉なのか」とか「最新流行を追う言葉なのか」とか問われることになるのだろうか。そのようなことを私が言いたいのではないし、ランゲもそのようなことは言っていない。ああ言えばこう言う式の面倒なやりとりは望まない。「新しい言葉」は読んだ字のとおりだ。他に言いようがない。

私が言いたいのは、聖書テキストと我々の状況との間の「ギャップの橋渡し」(bridging the Gap)を担うのが説教の役割であることは明白であり、かつ我々の状況のほうが絶えず変化している以上、毎週の説教が「同語反復」であることはありえないし、あってはならないということである。

なんだのかんだの考えているうちに日付が変わる時刻になったので、これにて終了。説教ではなく説教論に時間を費やすことになった。まあよい。これも大事なことだ。視座が定まらないと論旨も定まらない。

2017年5月31日水曜日

プロテスタントとしての自己反省の必要性

『カルヴァン生誕500年記念論集』(キリスト新聞社、2009年)

世界的な祝賀ムードに水を差す気も塩をまく気も皆無だし、グッズ販売は応援したいくらいだが、今年2017年「宗教改革500年」は本来的に我々の自己反省の年でこそあるべきだろう。プロテスタント(抗議者)を名乗る者たちが「他者批判はめっぽう強いが自分に甘い」というわけには行かないだろう。

8年前の2009年「カルヴァン生誕500年」に出版した共著『新たな一歩を』(キリスト新聞社)に私は「カルヴァンにおける人間的なるもの」という論文を書いたが、私が最も言いたかったことは「プロテスタントとしての自己反省の必要性」だった。

あった。8年前の2009年7月6日月曜日(当人の誕生日は1509年7月10日)に開催した「カルヴァン生誕500年」記念集会用に作成したロゴ入りファイル。複数団体合同の実行委員会主催。委員長は久米あつみ先生で、書記は私。会場は東京神学大学(東京都三鷹市)。当日は満堂の出席者だった。

カルヴァン生誕500年記念集会 ロゴ入りファイル(2009年)

あった。9年前の2008年12月10日水曜日(当人の誕生日は1908年12月10日)に開催された「ファン・ルーラー生誕100年」記念国際学会シール付きファイル。メイン講師はユルゲン・モルトマン博士。私は英文で挨拶。会場はオランダのアムステルダム自由大学。当日は満堂の出席者だった。

ファン・ルーラー生誕100年記念国際学会シール付きファイル(2008年)

振り返って思うのは、過去の国際学会出席にしても国内学会開催にしても、そのための準備にしても、私に関しては個人的支援はあったが基本的にすべて自費だったことは、当時はとても苦しかったが結果的に良かったということだ。誰からの拘束もなく誰の指図も受けずに行動できたし、後日の負い目もない。

2017年5月28日日曜日

喜びを追い求めよう(千葉若葉教会)

ヨハネによる福音書2章9~11節

関口 康(日本基督教団教師)

「世話役はぶどう酒に変わった水の味見をした。このぶどう酒がどこから来たのか、水をくんだ召し使いたちは知っていたが、世話役は知らなかったので、花婿を呼んで言った。『だれでも初めに良いぶどう酒を出し、酔いが回ったころに劣ったものを出すものですが、あなたは良いぶどう酒を今まで取って置かれました。』イエスはこの最初のしるしをガリラヤのカナで行って、その栄光を現された。それで弟子たちはイエスを信じた。」

先週からヨハネによる福音書を学んでいます。今日は2章です。ここに記されているのは「世にも不思議な物語」です。私たちの救い主イエス・キリストが水をぶどう酒に変えられた話です。物語のあらすじは広く知られています。

この出来事が起こったのは、バプテスマのヨハネがイエスさまに対して「この方こそ神の子である」という信仰を告白した日の「三日後」(1節)でした。その日にガリラヤ地方のカナという小さな村で結婚式が行われました。そこにイエスさまの母マリアが参列していました。イエスさまも弟子たちと参列しておられました。

そこで事件が起こりました。「ぶどう酒が足りなくなった」(3節)のです。どういうことでしょうか。主催者側の準備不足でしょうか。幹事の責任でしょうか。彼らに落ち度があったのでしょうか。その方向で語られる説教を聴いたことがあります。

そういう要素が全くなかったとは言えないかもしれません。しかし、書かれていることをよく見る必要があります。「イエスも、その弟子たちも婚礼に招かれた」(2節)と書かれています。「招かれた」(カレオーの過去形のエクレ―セー)は「招待された」という意味です。

つまり、主催者は参列してもらいたいと願っている人々をあらかじめ正式に招待していたと考えるべきです。もしそうであれば主催者は参列者の人数を把握していたでしょうし、十分なだけの食事や飲み物を準備していたでしょう。そのための「招待」です。主催者を責めるのは一方的すぎます。

しかし、もしそうであれば、この話はどういうことになるのでしょうか。主催者が十分なぶどう酒を準備していたのにそれがなくなったということは、要するにみんなが調子に乗って飲みすぎていたということではないでしょうか。

「ぶどう酒(オイノス)」(3節)は当然アルコールです。アルコールを飲み過ぎるとどうなるでしょうか。酔っぱらいます。そこにいた人たちは飲み過ぎてすっかり出来上がっていました。それでもまだ調子に乗って「おい酒が足りないぞ、持ってこい」と不満の声を上げていた。かなり図々しい話です。そのような情景を想像するほうがよいのではないかと思います。

しかし、これは結婚式です。お祝いの席です。厳粛な要素もあります。そして何より、招待された人々が集まる場所でした。不特定多数の集まりではありませんでした。

そうだとしたら、主催者側が用意したものが尽きた時点でお開きにしてもよかったはずです。「宴もたけなわではございますが、そろそろお開きとしたいと思います。 本日は忙しい中お集まりいただき、ありがとうございました」と丁重にご挨拶して、みなさんにお帰りいただいたらいいのです。

ところが、そこでマリアが動きました。イエスさまのところに「ぶどう酒がなくなりました」(3節)と言いに来ました。イエスさまとしては、それがどうしたの、という話です。そのことを私に言いに来て、私にどうしてほしいのですか、とおっしゃってもおかしくないような話です。

普通に考えれば、マリアの要求は「近くのお店までひとっ走り行ってきておくれ」だと思いますが、マリアが息子にお金を渡した形跡はありません。イエスさまはどうしたらいいのでしょうか。立て替えでしょうか、つけでしょうか。何をしてもらいたいのかがさっぱり分かりません。マリアはただ「ぶどう酒がなくなりました」と言いに来ただけです。

そして、このときの状況を想像するに、イエスさまも弟子たちも、おいしいごちそうをいただいてひと安心、さてそろそろおうちに帰りましょう、と腰を上げようとしていた頃です。いくらお母さまのお言いつけだからと言って簡単に引き受けるわけには行かないよと、イエスさまがお断りになっても無理のない状況だったのではないでしょうか。

いや、そうではない。当時の結婚式は何日も続けて行っていたので、お酒が尽きたのだという説明を聴いたこともあります。しかし、もしそうであればなおさら、主催者が追加分を買いに行けばいいだけです。何もわざわざ招待客であるイエスさまを使い走りにしなくてもいいではありませんか。

マリアが言ったのは「ぶどう酒がなくなりました」ということだけです。買って来いとも、借りて来いとも、盗んで来いとも言っていません。しかし、それだけ言われると、かえって困ります。その次の言葉は何かが気になります。どうしてほしいのか、何をしてもらいたいのか。

しかし、イエスさまは賢明な方ですので、お母さまに対して失礼のないように、丁重にお応えになりました。「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません」(4節)。

ここで必ず問題になるのは、イエスさまがご自分の母親であるマリアのことを「婦人」(ギュネー)と呼んでおられることです。実のお母さんによそよそしいことを言っている。冷たく突き放した言い方だと説明されることもありますが、そうではありません。

ギリシア語辞典に書いてあることですが、「婦人」に失礼な意味はありません。反抗期の子どもが母親を「ばばあ」呼ばわりしたというような話とは違います。一緒くたにしないでください。

ただ、そうは言っても、それではなぜイエスさまはマリアを「お母さん」とお呼びにならなかったのかは確かに気になります。その理由を考えてみました。あくまでも私の想像です。私が思い至ったのは、イエスさまの近くには弟子たちや結婚式の参列者が大勢いたということです。そこは「公の」場所だったということです。

そういう場所でマリアがしくじりました。マリアには厳しい言い方になりますが、彼女は公の場でイエスさまに対して母親づらをしました。これは公私混同です。そうではないでしょうか。

この結婚式の中でイエスさまはどういう扱いを受けていたでしょうか。若い先生だったかもしれませんが、弟子たちと共に参列なさいました。まるで友達のように「来てもいいけど来なくてもいいよ」というようなどうでもいい扱いで新郎新婦がイエスさま宛ての招待状を書いたでしょうか。それは考えにくいです。むしろイエスさまは主賓扱いだったのではないでしょうか。

もしそうであれば、マリアがしたことはやはり問題です。主賓席に座っている人を公の場で自分の息子として扱い、母親の立場で何かを言いつけようとしました。そういうのを公私混同というのです。

そのことをイエスさまがお気づきになり、マリアに伝えるために、つまり「あなたはこの場所では母親として振る舞うべきではない」と窘(たしな)めるために「婦人よ」とおっしゃったのではないでしょうか。

今申し上げたのと似たようなことが教会で問題になることがあります。具体例をあげるといろいろ差し障りが出てきますのでやめておきますが、牧師と教会との関係の中で難しい問題になることがありうるのは、牧師の家族と教会との関係です。私の家族はそういうことは重々心得ていましたので、教会の中では私に対して個人的に話しかけて来ることもありませんでした。

少し脱線しました。元に戻します。イエスさまがマリアを「婦人」と呼んだのは冷たい言い方ではなく丁寧な言い方です。イエスさまがおっしゃっているのはおそらく次のようなことです。

「親愛なるご婦人のかた、誠に申し訳ありませんが、用意された酒を全部飲み尽くしてまだ足りないと文句を言っている方々の面倒まで、わたくしどもが見なくてはならないとおっしゃるのでしょうか。そのようなことがわたくしどもの出番であると、失礼ですがご婦人はおっしゃっておられるのでしょうか」。

「わたしの時はまだ来ていません」という言葉に深い神学的な意味を読み取ろうとする人々は多いのですが、あまり難しく考えすぎないほうがよいと私は考えます。

イエスさまからそう言われてマリアは引き下がります。しかし、召し使いたちには「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」と言いつけます(5節)。こういうのを読むと私はカチンと来ます。「自分で買いに行けばいいのに」と言いたくなります。私がまだ反抗期なのかもしれません。

しかし、イエスさまはどこまでも優しい方です。マリアの願いを退けず、しっかりお応えになりました。

そこに石の水がめが6つありました。1つの容積は「2ないし3メトレテス」でした。1メトレテス39リットル。2メトレテスで78リットル、3メトレテスで117リットル。どちらの水がめが多かったのか分かりませんので両方を足して2で割って平均97.5リットルで計算します。

石がめは6つあったので6かけて585リットル。コンビニで売っている手持ちワインボトルのサイズが750ミリリットル。その780本分。65ダース。プロ野球の優勝チームのビールかけはビール3000本とか5000本とかを開けるそうです。それにはかなわないとしても、ワインボトル780本分の「水」はかなりの量です。

イエスさまは召し使いたちに、その6つの石の水がめに「水をいっぱい入れなさい」(7節)、そして「さあ、水をくんで宴会の世話役のところへ持って行きなさい」(8節)と言われました。水の重さは1リットル1キログラム。6つで585キログラム。しかも石の水がめ自体が重い。ひとりで運ぶのは無理。何人かで苦労して運ぶことになります。

しかし、ともかく彼らはイエスさまのおっしゃるとおりにしました。そして、その「水」を世話役が味見したところ、なんと驚くべきことに「ぶどう酒」でした。これが「世にも不思議な物語」です。

それが「どのようにして」起こったのかは分かりません。しかしこれだけは言えます。イエスさまはお母さまの言いつけを守られました。楽しい宴は続きました。喜びが持続しました。そのようなことのためにイエスさまは不思議な力を示してくださいました。

この出来事の「意味」は何かがしばしば問われます。いろんな説明があります。いくつか読みましたが、しっくり来る説明は見当たりません。理由は分かっています。この物語の「意味」を説明したがる人に限って、水がぶどう酒に変わることはありえないという前提を初めから持っています。これは事実無根の作り話なのだ。たとえばなしのようなものなのだ。だから「意味」を考えなければならないのだ、という主張です。

そういうのは面白くないです。ユーモアが感じられません。「ありえない」「作り話だ」「うそだ」と言われてしまうと二の句が継げません。思考停止が起こります。

しかし「物は考えよう」です。想像力を働かせる余地がまだたくさん残っています。私もひとつ考えました。ただし「冗談」です。真に受けないでください。

先週の礼拝後、みなさんからきれいなお花をいただきました。名前は覚えています。カスミソウ、芳純、ロイヤル・ハイネス、シャルル・ド・ゴールです。

カスミソウ以外の3つはすべて「バラ」であると、みなさんから教えていただきました。そういうことを全く知らずに51歳になりました。家に帰ってインターネットで調べたら、バラの種類は2万種以上あると書いてあって驚きました。

ワインの種類はどのくらいあるでしょうか。3種類です。赤、白、ロゼ。これは冗談です。産地などが異なる多くの種類のワインがあるようです。そういうこともインターネットですぐに分かる時代です。

私が言いたいのは、バラにしろ、ワインにしろ、たくさんの種類があるということは、それぞれの種類に最初に名前をつけた人がいることを意味している、ということです。

「これはバラである」と見極めた人がいる。新しい色や花びらの形を見つけるたびに名前を付けた人がいる。だれかが「これはバラだ」と決めたら、それが「バラ」になるのです。

私が言おうとしている「冗談」がお分かりでしょうか。ワインボトル780本分の「水」を召し使いたちが抱えて持ってきました。それを世話役が味見しました。その世話役が「これはぶどう酒である」と名付けたから、それは「ぶどう酒」なのです。

私は、イエスさまは素晴らしい力の持ち主であると信じています。しかし、もし仮にその「水」が水のままだったとしても、「ああ、これはなんておいしいワインだ」と楽しむことも可能だと思っています。

それと同じことを、わたしたちは聖餐式のたびごとにしているではありませんか。

「これはわたしの体です」「わたしの血です」と言いながら差し出されるパンとぶどう酒を、わたしたちはイエス・キリストの真実の体と血として味わいます。「ああ、これはなんて血なまぐさい、気持ち悪いワインだ」などとはだれも言いません。

説教も讃美歌もお祈りも同じです。わたしたちが信仰生活の中で味わうものはすべて、多くの想像力を働かせながら楽しむためにあるのです。

(2017年5月28日、日本バプテスト連盟千葉・若葉キリスト教会 主日礼拝)

2017年5月25日木曜日

現代オランダの「3大神学者」とは誰か

本棚の整理が必要だろう

オランダに13年前の2004年まで、訳せばどちらも「オランダ改革派教会」になるNederlandse Hervormde Kerk (NHK)とGereformeerde Kerken in Nederlands(GKN)という2教団があった。両者は2004年5月1日に合同した。

2007年にオランダで刊行が始まった新しい『ファン・ルーラー著作集』の宣伝文に「ファン・ルーラーは、ノールトマンス、ミスコッテと並び称されるオランダ改革派教会の3大神学者の1人である」と書かれている。その「オランダ改革派教会」は上記2教団のうちの前者NHK(エンハーカー)を指す。

それに対し、1983年に「増補版」が出版された東京神学大学神学会編『キリスト教組織神学辞典』(教文館)に「オランダ神学の三巨頭と言えば、ベルカーワー、ヴァン・ルーラー、ベルコフの三人である」(113頁)と書かれている。日本語に訳すとかえって混乱する可能性があるので、整理が必要だ。

食い違いの理由はベルカウワー(前出「ベルカーワー」)がGKN(ヘーカーエン)の人であるのに対し、ファン・ルーラー(「ヴァン・ルーラー」)とベルコフはNHK(エンハーカー)の人だからである。GKN単独で「3大神学者」を言うなら、今でも「カイパー、バーフィンク、ベルカウワー」だろう。

しかし『ファン・ルーラー著作集』の宣伝文が謳うNHKの「3大神学者」は「ノールトマンス、ミスコッテ、ファン・ルーラー」であって「ベルコフ」はいない。理由はベルコフの年齢がこの3人の神学者より若いからではないかと思う。しかし「4大神学者」とすればベルコフが入るかどうかは分からない。

ちなみに、今書いているオランダの神学者「ベルコフ」は「ヘンドリクス・ベルコフ」だが、日本のキリスト教書店に「ルイス・ベルコフ」というアメリカに移民したオランダ人神学者の著書の日本語版も売っている。この2人の「ベルコフ」は全く別人であり、親戚でもない。このあたりも整理が必要だろう。

それにしても、「NHK(エンハーカー)の3大神学者」(ノールトマンス、ミスコッテ、ファン・ルーラー)を言っても、「オランダ神学の三巨頭」(ベルカウワー、ファン・ルーラー、ベルコフ)を言っても、どちらにも登場してくる「ファン・ルーラー」の存在は、最も際立っていると言えないだろうか。

黒い思い出のブルンナー

学年は覚えていないが東京神学大学の学部生だった頃(30年前)、エーミル・ブルンナー(Emil Brunnner [1889-1966])の『教義学』(Dogmatik)第2巻(3版、1972年)を買い、数頁訳して挫折した黒歴史がある。ドイツ語は昔から苦手だ。日本語版がありがたい。




開けてびっくりブルンナー

こんな幸せがあってよいのかと何度も頬をつねる(痛い痛い)。一昨日「ブルンナーを読み直すべきではないか」という題をつけてブログとSNSに載せた記事を読んでくださった方(親しい方です)が、なんと、教文館『ブルンナー著作集』1~5巻をプレゼントしてくださいました。ありがとうございます!

ブログ記事はこちら(↓)です。
「ブルンナーを読み直すべきではないか」





説教分析の問題

国際説教学会紀要『説教研究』第4号(2002年)

説教分析については、熱心な支持者の前では言いにくいが、「分析素」とか言い出す時点で終わっている。「分析素」なる概念さえ知らなかった過去の説教者の文章を色分けするなら問題ない。問題は、自分の説教が「分析素」で色分けされることを初めから意識した芝居がかった文章を書くようになることだ。

説教分析の問題について書くのは初めてである。30年沈黙してきたので、そろそろいいだろう。私の長年の問いは「ハイデルベルク説教分析理論」に絞られる。国際説教学会(ソキエタス・ホミレティカ)が2002年に発行した紀要『説教研究』(Studia Homiletica)第4号が私の手元にある。

その紀要の巻頭論文で、国際説教学会の会長であられたヘリット・イミンク先生が「ハイデルベルク説教分析理論」を短い言葉で批判しておられる。イミンク先生はオランダプロテスタント神学大学の実践神学教授。初代学長でもあられた。実践神学の世界的権威者である。ファン・ルーラーの研究者でもある。

イミンク先生が書いておられるのは、説教分析は重要だが「ハイデルベルクの方法」は採用しないということだ。欠点がある。「いつも同じ質問をもって説教に近づくこと」(you always approach the sermons with the same questions)であると。

その「いつも同じ質問」が、「ハイデルベルク説教分析理論」のいわゆる4つの分析素を指している。(三位一体の)神の言、聖書テキスト、説教者の関与、共同体と社会の状況の4つ。調査対象は「書かれた説教テキスト」で、調査目標は「その説教テキストは実際は(in fact)何を語っているか」。

なされる議論はたとえばこうだ。一見するとこの説教者はこの聖書箇所に基づいて真摯に説教しているようである。しかし我々の説教分析方法で厳密に精査してみると、実際は(in fact)この説教者が聖書の言葉を借りて自分の意見を述べているにすぎないことが白日の下に晒される、など。

最初に教えてもらったとき(おお、なんとちょうど30年前だ)は、よくできた分析方法だとは思った。しかし、なんとも腑に落ちなかった。うまく説明できないが、なんか変だ。その問いを20年近く抱えて悶々としていた。それで今から10年くらい前にイミンク先生の上記の文章に接して、謎が解けた。

イミンク先生の言葉をお借りすれば、彼らは「いつも同じ質問をもって」説教テキストを分析する。その質問が「4つの分析素」だ。色鉛筆で説教テキストを分析素別に4色に塗り分ける楽しいアクティヴラーニングまである。それのどこが問題か。「いつも同じ質問」なら「いつも同じ答え」だろうということだ。

学生時代に暗記ものが得意だったような優等生タイプの説教者にとっては、この宿題はいとも簡単だ。4つの分析素((三位一体の)神の言、聖書テキスト、説教者の関与、共同体と社会の状況)のところで必ずチェックが入ることを先読みできる。減点を免れ、見事なまでの模範答案を書き上げることができる。

しかし、説教とはそういうものなのか。私には疑問でならない。私が最初に書いたことの意味はそれだ。「いつも同じ質問」が出題されることがあらかじめ分かっている人は、自分の説教が「分析素」で色分けされることを初めから意識した芝居がかった文章を書くようになる。これは憶測で言っているのではない。

ご自分の説教テキストを「4つの分析素」で分析される調査対象として惜しみなく差し出すのをいとわない説教者を何人か知っている。その方々の説教テキストを読ませていただくと「説明」や「論理」を意図的に避けているのが容易に読み取れる。「心地よいフレーズの羅列」である。私には薄っぺらく感じる。

説教者自身の思索や葛藤についても「と私は考えました」「と私は悩みました」という仕方で説教テキストに書き込まれることは、全くないとは言えなくても、意図的に削り落とされているとは言える。説教テキストに書かれていなくてもアドリブで言っているのかもしれないが、それは分からない。

字として書いてあるか書いていないか、実際に言ったか言わなかったかはさほど大きな問題ではない。大きな問題は、説教者自身の思索や葛藤の要素は、完全に禁じられてはいないとしても、「4つの分析素」の中で下位に置かれ、どちらかといえば減点対象であり、削れば削るほど評価が高くなることである。

30年の沈黙を破って書いたので、ちょっと疲れた。ひとまず筆をおく(どこに筆が)。

2017年5月23日火曜日

ブルンナーを読み直すべきではないか

エーミル・ブルンナーの単行本(すべて日本語版)

「正統主義はその守ろうとする聖書を変造するという逆説的な結果に至る」
エーミル・ブルンナー Emil Brunner [1889-1966])

「懐かしい」とか言われそうだが、思い出話をしたいのではない。エーミル・ブルンナーの研究はもっとされるべきだ。教文館『ブルンナー著作集』全8巻が高価すぎて6、7、8巻だけ持っているが当然全部揃えたい。ただし過去の単行本をすべて収録する著作集でないのが残念。古い本はどれも崩壊寸前だ。

たとえばブルンナーはこう言う。「神の言と教理との同一視によって...ある特定の教会的教理の体系が...聖書における神の言と等置されたのであった。聖書は、ある所では非常に異なったまた矛盾にさえも満ちた多様性をもつ教理において我々に神の言を語っている、ということが単純に無視された」(ブルンナー『聖書の真理の性格 出会いとしての真理』弓削達訳、日本基督教青年会同盟、1940年、222-223頁)。

ブルンナーが言おうとしているのは、「逐語霊感説」への拒否と、ルター派や改革派などの諸教派の教理体系そのものと聖書の教理体系そのものを「等置」する立場への拒否である。

ブルンナーは続ける。「パウロの神学はヨハネの神学または共観福音書の神学と同じではないし、新約聖書の神学は旧約聖書の神学と同一ではなく、旧約聖書の中でも祭司の神学は預言者の神学と同じものではない。聖書をして、その固有の意味合いで発言させようとする者はそのことを知っている」(同上)。

これを認めない者は、21世紀の神学的状況の中では、もしいても少数だろう。しかし、ブルンナーの時代にはいた。「けれども、正統主義神学はそれを承認してはならないのである。であるから、正統主義神学は、教理のこの相違を無視するか、あるいは比喩的な解釈法によって除去せざるをえない」(同上)。

そして言う。「正しい信仰はこの一つの言は非常に異なった諸教理の中に示されているということを十分自由に認めなければならない。正しい信仰は神の言と教理とを決して同一視しないのである。ところが正統主義はこの区別を知らない。正統主義はその守ろうとする聖書を変造するという逆説的な結果に至る」(同上)。

このブルンナーの引用で私は何を言いたいか。ブルンナーは組織神学者であり、教義学者だった。20世紀に世界的に有名になり、日本の国際基督教大学(ICU)でも教えた。その人が聖書各書の多様性を十分認める発言をしている。ドグマティックでないドグマティック・セオロジアンだった。

こういう発言は無視されてはならない!教義学はまるで二千年の眠りの中にあるかのように、聖書各書の違いなどは一切無視する暴力を働き続ける存在であるかのように誤解され続けたくない!それはブルンナーがそう呼んだ「正統主義者」には当てはまるかもしれないが、全教義学に当てはまるわけではない!

ブルンナーといえばすぐにカール・バルトとの自然神学論争が思い起こされ、どちらが勝ったどちらが負けた、いや引き分けだ、そもそも噛み合っていなかったなど、たいてい勝負や格付けの話になって終わる。なんとも不幸で不当な扱いを受け続けてきた人である。新しい文脈で読み直されるべきではないか。

【注記】上記の弓削達訳からの引用の際、旧漢字・旧仮名遣いを新しいものへと書き換えさせていただいたことをお断りする。

2017年5月22日月曜日

「連続講解説教」の苦しみと喜び

カール・バルト『説教学』(Homiletik)

私自身を含む、聖書のことばをある程度の長さずつに取り分けながら前から順々に解説していく「連続講解説教」を実践する説教者の多くが根拠にするのがカール・バルトの説教論であると思うが、そのやり方がよいとバルトが勧めている理由はかなりシンプルなものである。原文だと次のように記されている。

Bei diesem Modus stellt sich nicht so leicht die Gefahr ein, daß wir uns ausgepredigt und nichts mehr zu sagen haben. (K. Barth, Homiletik, 76)

日本語版だとこうだ。「説教したいことが尽きて、言うことがもうないという危険がはいりこむことは、こういうやり方では、そう簡単には起こらなくなる」(加藤常昭訳、1988年、122~123頁)。言い換えれば、このやり方でないかぎり説教者は同じ話を繰り返すばかりになるだろうということだ。

バルトがあげる理由はもうひとつある。順序はそちらが先である。So daß man sich also der Führung des Wortes überliese. (Barth, ebd.)「そうすることで、み言葉の導きに全く身を委ねるためである」(前掲、加藤訳、122頁)。

この理由も大事だが、バルトが2番目にあげている理由は、必ずすぐに切実な問題になる。しかし「連続講解説教」をする者たちはみな知っていることだが、つらいことがままある。「ここから何のよきものが出ようか」と頭を抱える聖書箇所は少なくない。そのときは説教者も、聴く人々も、苦しむ日となる。

それで「連続講解説教」だけでなくいわゆる「主題説教」や「聖書日課説教」を取り入れているという説教者はいるし、そもそも「連続講解説教」は全くしないと決めている説教者もいる。どういう説教をするかは各教会の伝統にもよる。これらのことを知らずに今私がこういうことを書いているわけではない。

今書こうとしているのは「ここから何のよきものが出ようか」と苦しむ聖書箇所がめぐってきたときのことだ。どうしようもないときがある。説教者の顔は暗いし、聴く人々の顔はもっと暗い。空気は重くどんよりしている。説教者として言いたいのは、そのときは説教者も逃げたい気持ちなのだということだ。

説教が終わり礼拝が終わって、みんなの顔がパアアと明るい日がある。「いい説教でした!」とほめてもらえる日もたまにある。そのたびに「いやいや説教が良かったのではなくて今日の聖書の箇所が良かったんですよ」と思うのだが、それは言わず「ありがとうございます!」とお礼だけ言うことにしている。