2014年10月25日土曜日
百瀬くん、ありがとうございます!
北海道の日本キリスト教団置戸教会の小学生、
百瀬奏(ももせ かなと)くんからお手紙をいただきました!
とっても丁寧に書いてくださって、感動しました!
「(前略)
こんどつべつにきてください。まってます。
おしごとがんばってください。おうえんしてます。」
涙出ます!
百瀬くん、ありがとうございます!
2014年10月24日金曜日
日記「来週月曜日は『ファン・ルーラー研究会最終セミナー』です」
Googleカレンダーは便利です。
ネクサス7にジョルテを入れてGoogleカレンダーを管理しています。
スケジュールも、ToDoリストも完全同期。
来週10月27日(月)は「ファン・ルーラー研究会最終セミナー」です。
午後1時から5時までです。
会場は日本基督教団頌栄教会(東京都世田谷区北沢1-42-10)です。
講演は「禁欲か喜びか:ファン・ルーラーの生まれ育った場所で学んで」。
講師は石原知弘先生(改革派園田教会牧師、神戸改革派神学校講師)です。
第二部で、日本におけるファン・ルーラー研究の将来について懇談します。
会費は無料です。
ぜひご参加ください。
参加希望者はyasushi.sekiguchi@gmail.comまで。飛び入りも歓迎します。
日記「『地球内生命体』の相対化」
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| 2012年1月25日、千葉県松戸市にて関口康撮影 |
「地球外生命体の存在を証明する写真撮影に成功」との報道に接して何かを書きたくなりました。
私は「疑似科学」と「陰謀論」がとにかく大嫌いな人間ですので、そういうたぐいのことやその臭いがするものにはできるだけ近づかないことにしているのですが、「地球外生命体」のことだけは話が別です。
その記事を昨日読んだばかりですので、何かをはっきり語れるほど熟考できているわけではありません。しかし、それを読みながら私の中に思い浮かんだことは、旧来の「進化論」は「地球万能論」のようなものかもしれないなということでした。しかし、そういうのはもはや科学的認識とは言えないでしょう。
地球は、パーフェクトに自己完結した内部循環のみによって成立する存在ではありえない。この程度のことはおそらく幼児にも理解できることです。外からいろんなものが降ってきて、地球を変化させていく。それを「進化」と呼べば呼べなくもないですが、古来の進化理解とはずいぶん違うようでもあります。
これまでだと、なんですかね、地球に外から「降ってくる」ものといえば、せいぜい太陽や光星の「光線」だとか「熱」などのエネルギー、あるいは「隕石」などの無機物といったものに限られていると言われてきたわけですよね。そのように言わないかぎり「地球外生命体」の存在を認めたことになるわけで。
「地球外生命体」なるものは存在しない。「生命」はあくまでも「地球」のみの中に存在し、地球内で半永久的に循環しながら新しい「生命」が生成されてきただけだ。地球の外にあるのは、「生命」とは呼べない単純な物質、砂、石、光、ガス。そのようなものだけだ。そんな感じではなかったでしょうか。
前世紀までならそれで十分「科学」だったでしょうけど、今では「擬似科学」のように思えます。航海術を知らずヨーロッパとアジアの交流がなかった時代に、互いを「知らなかった」だけだった様子に似ているかもしれません。「知らない」から「存在しないと思い込む」というのでは科学ではないですよね。
地球外から「生命」がどんどん「降ってきていた」というのは、言われてみれば普通にありそうな話です。地球外生命体の存在証明によって「地球内生命体」を相対化できるようになるのは、考えてみれば当たり前のようなことでもあるのに、証拠提出が必要な分野では、ものすごく画期的なことなのでしょうね。
「種まきのたとえ」の意味は何か
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| (この画像は記事の内容とは関係ありません) |
キリストの種蒔きのたとえが「こっちはいい説教してるのに、受け取り側の問題で信じる人と信じない人が出るのはやむをえない」というような理解のされ方をするのは無理もないことですけど、本当にその読み方でいいのかと、最近の説教で考え直してみました。そんなことをキリストが言うでしょうか。違う気がするんです。
私が実際にした説教のネタバレをしないとアンフェアな気がしますので、明かします。私は単純に(単純か?)、あのたとえに出てくる4つの地(道端、石地、茨、良い地)を「同じ一人の人間の、日々変わる心の状態」としてとらえてみました。
「あなたの心の状態は、昨日は道端、今日は石地、明日は茨、明後日は良い地ということはありませんか」と問いかけてみました。「今日は受け入れられないかもしれませんが、それで終わりにしないでください。明日は、いや明後日は受け入れることができると信じてください」(大意)と呼びかけてみました。
今の私がマルコによる福音書の連続講解をしている関係で「マルコ的な時系列」で考えているからでもありますが、キリストの種蒔きのたとえが語られた場所はカファルナウムの会堂で安息日ごとに行われた礼拝(連続講解(lectio continua)が行われていたと思われる)ではなく、野外です。
ガリラヤ湖岸に群集が押し寄せたので、キリストは船に乗って湖の上におられました。その意味では、その場所こそが「道端」であり、「石地」であり、「茨」です。群衆の中にどんな人が混ざっているか分からないし、すでにイエス殺害計画を立て始めたファリサイ派の律法学者も混ざっていたと思われます。
その状況の中で、キリストは「聞く耳のある者は聞きなさい」と言われました。それ「聞くか聞かないかは、おたくらの自由じゃけ、勝手にせられえ」(岡山弁)という意味でしょうか。
そんな言い方しますかね、キリストが。
「聞いてください」とおっしゃっているんじゃないでしょうか。
心を整えて、私の話を聞いてください。雑念も、邪念も、嫉妬も、憎しみも殺意も、そういうのをみんな捨てて、私の話を聞いてほしい。そういう人になってほしい。キリストの種蒔きのたとえは、そういうキリストご自身の願いのこもったたとえではないでしょうか。私はそう思ったのです。
キリストの種蒔きのたとえは新約聖書の最初の三つの福音書に出てきます。マタイとマルコとルカ、それぞれ読み比べると、このたとえが出てくる文脈の違いがあることが分かります。それはおそらく、すでに西暦1世紀の教会の中にこのたとえ話の解釈の多様性があったことを示唆しているものと思われます。
マルコだから必ずよりオリジナルに近いと考えるほど、私はナイーヴではありません。しかし解釈の多様性が担保できるのであれば、今の我々の説教においても新しい可能性が出てくるわけですから、悪い意味で「伝統に固執することに終始し、冒険することを危険視する怠慢」に陥らずに済むと思うのです。
あくまでも「マルコ的な時系列」の中での話ですが、種蒔きのたとえを語られたときのキリストのもとに集まった群集は、想像するに、キリストがカファルナウム(のペトロの家)に来られる前の「会堂」で行われていた礼拝(と連続講解)が退屈で退屈で仕方なかった可能性があるんじゃないかと思います。
「会堂」の聖職者は、説教はつまらないし、困ったときに駆け込んでも助けてくれるわけではないし、気の利いた話一つしてくれるわけではない。
こんな田舎の「会堂」での修行期間は一刻も早く終わりにして、早く首都エルサレムの「神殿」で働けるようになりたい。「律法学校」の教授か校長になりたい。今は我慢我慢。こんな田舎の生活はうんざり、まっぴらだ。
そんなふうな聖職者たちの腹の底は、町の人たちには透けて見える。あんなクソ坊主どもの話なんか聞いちゃいられねえと思っている。そのようなよどんだ空気を一新する、オモロイ説教者がやってきた。それがキリスト。
会堂の空気が変わっただけでなく、町の空気も変わった。ペトロの家の屋根をバリバリ破ってまでキリストの近くに行こうとする無茶な人たちまで出てくる。刃物もってAKBの握手会に行ったあれに近いものがありますが、そこまでの熱狂を生み出すほどのインパクトがキリストにはあった。
「インパクトとかそんなの、キリストだから、あって当たり前じゃん」という見方もできるでしょうけど、その裏側に当時の「よどんだ宗教事情」があったと私は考えます。
私が重要だと考えるのは「聖書のテキストを読むこと」です。マタイとマルコとルカの間に差があるとしても無理に調和させたりせず、矛盾を矛盾のまま放置して、とにかくテキストを読む。マタイはこう書いている、マルコは、ルカは、と言えばいいだけです。それは「最新の聖書学」でもなんでもないです。
しかし、四つの福音書やパウロの複数の書簡の中で「矛盾」があってはならない、厳密な整合性を求めなくてはならないという合理主義は、何世紀か前の古い考えではあると思います。矛盾を矛盾として放置することに何の心のとがめもないというスタンスの人間は、もしかしたら「最新」なのかもしれません。
もちろん、いろんな解釈はあってよいと思います。しかし、キリストの種蒔きのたとえを根拠にして「実を結ばない人」の側に説教の不成果の責任を常に押し付けて涼しい顔をしているようなあり方が、もしどこかにあるとしたら(どこにもなければこの話題は終了)、早く払拭される必要があると私は考えます。
2014年10月23日木曜日
カール・バルトの神学の構造上の致命的欠陥はどこにあるか
| バルト(左)とファン・ルーラー(右) |
カール・バルトの神学の問題点については、自然神学に対する対応のまずさ、宗教や歴史という「人間的な」営みに対する低い評価など、これまでいろいろと指摘されてきました。
それら一切の原因はバルトの神学の構造上の致命的欠陥にあると、私はファン・ルーラーと共に考えています。
いちばんの基礎の土台がおかしい。その上にすべてのアプリをのせていくOSそのものに深刻なバグがある。その上に何をどれだけのせても、その深刻すぎるバグの部分からすべてが壊れていく。
その根本原因は、バルトがキリスト論と聖霊論の関係を「客観性」(Objectivity)と「主観性」(Subjectivity)の関係としてとらえたことにあります。
あの二千年前のゴルゴタの十字架において<客観的に>成就したキリストにおける贖いのみわざ(Redemptio)が、聖霊において<主観的に>現在の我々に適用される(Applicatio)とやる。
これはバルトが発明した論理であるわけではなく、ごく伝統的な考え方であるといえば、そのとおりです。
しかし、このキリスト論と聖霊論の関係を「客観-主観図式」で説明してしまいますと、両者の関係が平板な一直線の関係になりますし、まるで鏡面に写した自分の姿のように同一物の反復にすぎないものになってしまうわけです。
そうなりますと、聖霊論のカテゴリーの中から「時間」ないし「歴史」という次元がすべて抜け落ちてしまいます。人間の営みや文化は、全く意味も位置も持ちえなくなります。
二千年の教会史も、教会制度も、もちろん牧師や長老や教会員の存在や努力なども、教会の青年会やキャンプやリトリートなども、キリスト教国の歴史も、エキュメニカルな対話も、全く無意味になります。
そのような(客観的な)「キリスト」と(主観的な)「このわたし」の間に介在する一切のものは無意味・無価値と化し、時間が停止した真空の宇宙空間の中に「キリスト」と「このわたし」だけが漂っているかのようです。
それを「救い」と思える人にとっては幸せな状態かもしれませんが、あくまでもすべては「論理」の話です。
神学と説教における「論理」が「キリスト」と「このわたし」の関係を、その間に介在する存在は一切ないものとして保証するとしても、それは幻想(イリュージョン)にすぎません。
日曜日の礼拝中、説教中は、涙を流して感動し、興奮状態になったとしても、「このわたし」の現実は何一つ変わっているわけではないし、「このわたし」には日曜日以外の週日も生きていかなければならない責任があるのです。
我々は、バルトが神学的論理によって締め出したものの只中で、生きていかなければなりません。
論理の力というのは、実に恐ろしいものです。人間の営みや文化に意味も位置も与えられない神学の論理は、人を「神学的に」絶望に追いやることさえありえます。ガチで死にたくなる人がいてもおかしくないレベルです。
こういうことになってしまうのは、キリスト論と聖霊論の関係を「客観性」と「主観性」という関係でとらえることを神学の議論の一切の出発点としているためです。
神学の根本構造に「絶望の論理」が潜んでいるのであれば、高層建築物の耐震偽装問題に匹敵するヤバさがあります。
バルトがキリスト論と聖霊論を「客観性」と「主観性」の関係でとらえることの問題性をファン・ルーラーが指摘した最初の彼の論文は、1947年に提出・出版された神学博士号請求論文(フローニンゲン大学神学部)である『律法の成就』(De vervulling van de wet)です。
1940年代ですよ。70年近く前です。バルトの神学の全盛期というべき只中での勇気ある指摘でしたが、案の上というべきでしょう、ほとんど無視されました。当時も、そして現在に至るまで。
モルトマンはファン・ルーラーの『律法の成就』はちゃんと読んだようです。モルトマンの水平的終末論は、かなりファン・ルーラーの影響があっての発想だと思われます。影響関係は明らかです。
2014年10月21日火曜日
日記「これを俗に『渡りに船』というわけです」
| 青野太潮先生の『十字架の神学の展開』(新教出版社、2006年) |
本日(2014年10月21日)、「2014年度第6回 十字架の神学研究会」(於千葉英和高校)において、青野太潮著『十字架の神学の展開』(新教出版社、2006年)「第1部 第5章 パウロの神中心主義」を読みました。
この章で青野先生が取り上げておられるのは、新約聖書・コリントの信徒への手紙一15・23~28の釈義問題です。この個所の「主語」は神なのか、それともキリストなのか、という難問です。
結論についてのネタバレはしないでおきます(ぜひ本を買ってください。定価3,700円(税別)です)。
しかし、私がいたく感動した点だけ申し上げます。
青野先生の釈義上の結論は、1940年代にファン・ルーラーがこの個所を取り上げて釈義したときの結論と軌を一にしています。
青野先生がこの個所についての精緻きわまる厳密な釈義に基づいて、この個所を「キリスト論的集中」の論理をもって釈義する人たちに対する明確な批判を語っておられるその結論そのものが、ファン・ルーラーの結論とかなりの面で一致しています。
1940年代のファン・ルーラーの釈義は青野先生の釈義と比べればプリミティヴなものでした。当時全盛期の只中であった「キリスト論的集中」の人たちに一蹴され、無視されました。
しかし、21世紀の青野先生の釈義は、ファン・ルーラーのプリミティヴな釈義を厳密さにおいて圧倒的に凌駕しながらも、結論は同じであるという意味で、両者の呼応関係が成立しています。
これを俗に「渡りに船」というわけです(ちがうと思う)。
実は、昨日です。ある方から電話があり、「ファン・ルーラーについて話してほしい」という依頼をいただきました(来週月曜日の「ファン・ルーラー研究会最終セミナー」ではありません)。
その電話をいただいたとき、私の心にすぐに思い浮かんだのが、この個所(コリントⅠ15・23~28)についてのファン・ルーラーの釈義が今日に至るまで激しい批判にさらされていることについて、「いつかファン・ルーラーの代わりに抗弁しなくてはならない」と私自身がずっと前から考えてきたことでした。
しかし、抗弁のための根拠をどうしたら固めることができるのかが分からないままでした。
やっとめぐりあえました。
青野先生、ありがとうございます。私、やります(大丈夫か)。
2014年10月20日月曜日
日記「『翻訳の問題』を扱う組織神学は、日本では当然、日本語で書かれる必要があります」
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| 組織神学を勉強すると書斎がきれいになるそうです(都市伝説) |
Google翻訳(http://translate.google.co.jp/)を使うとこうなります。
(日本語)「哲学」
→(英語)Philosophy
→(フランス語)philosophie
→(アフリカーンス語)filosofie
→(オランダ語)filosofie(またはWijsbegeerte)
→(ドイツ語)Philosophie
(日本語)「人生哲学」
→(英語)Philosophy of life
→(フランス語)philosophie de la vie
→(アフリカーンス語)filosofie van die lewe
→(オランダ語)levensbeschouwing
→(ドイツ語)Weltanschauung
興味深い結果でした。
「人生哲学」のオランダ語訳とドイツ語訳が秀逸だと思いました。
一対一対応式の日本語パッチを当てるとしたら、オランダ語訳levensbeschouwingは「人生観」、ドイツ語訳Weltanschauungは「世界観」です。
このように訳してくれるのは、ありがたいことです。逆の方向から考えてみると、そのありがたさが分かります。
オランダ語のlevensbeschouwingを見るといつでも必ず「人生観」と、またドイツ語のWeltanschauungを見るといつでも必ず「世界観」と、訳さなければならないということはない、ということを、この結果は教えてくれています。
私が知っている事実は、ネットで公開されているオランダ語のキリスト教系の新聞で、日本の新聞でいえば「総合」「社会」「政治」「経済」「国際」「教育」などのカテゴリーに並ぶ位置にある「文化(カルチャー)」とか「エンタメ」に当たるカテゴリーがlevensbeschouwingと表記されている例がある、ということです。
これどう訳しますかね。新聞紙面だけに限らず、もう少し広い文脈の中でも。
一対一対応式にleven(人生)をbeschouwing(観ること)であるのであるからして当然「人生観」でなければならぬと当て字(パッチワーク)するか。
少し応用を利かせて「人生哲学」とするか。
思い切って「カルチャー」とか「エンタメ」とするか。
こういう問題を、私は、<組織神学における>重要な課題であると認識します。
そして、「翻訳の問題」を扱う組織神学は、日本では当然、日本語で書かれる必要があります。
外国語の神学書の日本語版の中に、外国語から日本語への翻訳の問題が扱われているということが仮にあるとしても、それをどうやって日本語に訳すのかというところで、心も頭もぐちゃぐちゃになります。
これまでの日本の組織神学が一貫して「翻訳調」だったことを非難する意図はありませんが(いやちょっとあるかも)、「翻訳調」の訳書は、概して大げさです。
たしかに原文はlevensbeschouwingであり、無理やりパッチワークすれば「人生観」でしょうけれども、オランダ現地での意味は「エンタメ」くらいの軽い調子の言葉だったりする。
そういうことを知ってか知らでか、日本の従来の組織神学は、常に物々しく「人生観・世界観」とか訳し、論じる。
もちろん、同じ字、同じ言葉でも、100年前と今とで意味やニュアンスが変わっていることは日本語でもオランダ語でもありうることですから、levensbeschouwingは、オランダ現地でも、100年くらい前は物々しい概念だったのかもしれません。
2014年10月13日月曜日
日記「ファン・ルーラーを勉強しよう」
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| 「ファン・ルーラー著作集草稿」苦戦中 |
私の場合「神学を勉強しよう」では満足できなくて、最低でも「組織神学を勉強しよう」と言いたくなるし、どうせなら「ファン・ルーラーを勉強しよう」まで言いたくなるが、「オランダ語ですよね」で話がストップする。
呼び込む手はないか。「ファン・ルーラーを勉強すると就職に有利」とか言ってみるか。
ファン・ルーラーはオランダ改革派教会(NHK)を背景にした神学者でしたので、ベルギー信仰告白(オランダ側では「オランダ信仰告白」と呼ばれる)、ハイデルベルク信仰問答、ドルトレヒト教理基準をベースにした神学を展開しました。
しかしそれは、ウェストミンスター信仰規準の神学と方向性においてほとんど一致するものです。ファン・ルーラーに質問することができないのが残念ですが、もし本人に聞けば、たぶんウェストミンスター信仰規準の神学に100%同意すると思います。
ファン・ルーラーがカイパーやバーフィンクやベルカウワーらのオランダ改革派教会(GKN)や、クラース・スキルダーらのオランダ改革派教会解放派(GKNV)に批判的だったのは、神学的に保守かリベラルかの問題というよりも、分派主義の是非の問題でした。
オランダ国内に「オランダ改革派教会」という教団は一つで十分である。教団を四分五裂させるのはやめようではないかと言いたかっただけです。それはファン・ルーラーが言い出したことではなく、ファン・ルーラーの師匠の師匠の代からの「伝統」です。
ファン・ルーラーの師匠がハイチェマ、ハイチェマの師匠がフードマーカー。フードマーカーは、GKN離脱のリーダーとなったカイパーと直接やりあったNHK側の神学者でした。
ファン・ルーラーは三位一体論と二重予定論の明確な支持者でした。よく誤解されているような、ユダヤ教的なものへの逆行などはありません。無際限の宗教多元主義のようなものに陥ったこともありません。「元の木阿弥」などのレッテルは、ファン・ルーラーには当てはまりません。
「旧約聖書こそが真の聖書であり、新約聖書は旧約聖書の巻末語句小事典に過ぎない」と、ファン・ルーラーはたしかに言いました。しかしそれは旧約軽視の現代神学に対する警鐘として言っただけです。
既刊のファン・ルーラーの聖書黙想集(ラジオ説教集)の大部分は、新約聖書の説教です。すばらしい内容です。彼が新約聖書を軽んじた形跡は皆無です。
日記「『場違い』の問題」
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| (この画像は記事の内容とは関係ありません) |
ふと思い出したことを、当時感じたとおりのまま字にしておく。
娘の公立中学のPTA会長をしていたときのことだ。臨時採用の教員が辞校式の挨拶で「神さまの話」をしはじめた。そういうとき私はうつむかざるをえない。違和感と苦痛しか感じない。政教分離うんぬんの問題ではない。「場違い」だと思う。
「福音を恥としない」。それはいい。私も大賛成。だけど、「場違い」なことを言ったりしたりすることを「恥」と感じないことと、それ(福音を恥としないこと)とは全く別問題である。「場違い」なことをして、それを見聞きした人が違和感や反感を抱いているのに気づかないことと、それ(同上)は別だ。
それでは、公立校ではなくて私立のキリスト教学校であれば、教員が辞校式(という呼び名かどうかは知らないが)の中で「神さまの話」をすることには問題ないだろうか。絶対間違っているとまでは私は言わない。だけど、やっぱり「場違い」ではあると思う。その学校の主義主張の問題ではないと思うのだ。
「もっと別の話もあるだろうに」と、心の中の私が怒鳴っていた。ほとんど絶句に近い気分だった。臨時採用とは言え、たとえ短期間であれ子どもと向き合う場所と時間を経てこられたに違いない教員だ。なぜ「神さまの話」なのか。なぜ「人間の話」ではないのか。私は本当に、ただ不愉快でしかなかった。
ここから先は微妙な話なので言葉を選びながら手探りの気持ちで書くという感じにならざるをえない。たとえば今書いた教員の「神さまの話」とか、テレビ的歌謡曲で「神さま」とか歌っちゃう。それってやっぱり「神の名をみだりに唱える」ことだと私は思ってしまう。「場違い」は「冒瀆」の別名だと思う。
当時感じたのは、だいたい以上のようなことです。
以上は「事件編」です。「解決編」はありません。
言いっぱなし。後始末しない。
2014年10月9日木曜日
日記「しこたまイヤミを言いました」
| 改革派教会信仰告白集(一麦出版社) |
「医学とか科学とか工学の学者の業績はしばしば報道されるけど、文学とか歴史学とか法学の学者の業績はなかなか報道されないから、文系学科は役に立ってないと言われるんじゃないかなあ。知られない業績は無いのと一緒なんだよ。」(全文)とツイートしておられた方がいました。
これ当たっていると思います。私も同じようなことを感じてきましたので、日本のキリスト教系の新聞で、神学の記事をもっと取り上げたらいいと言ったのです。
つい最近のことですが、私は、日本キリスト改革派教会の先生たちが集まっているところで、しこたまイヤミを言いました。わざわざ自分から嫌われるようなことをあえて言いました。
何年か前に一麦出版社から出た『改革派教会信仰告白集』(全6巻+別巻)の話です。
『改革派教会信仰告白集』にして日本キリスト改革派教会所属の訳者、0名。それはともかく。
ハードカバー帯の「推薦の辞」や「付録」(全集・著作集の「月報」に準じるもの)の文章を依頼された日本キリスト改革派教会所属の者、3名。
その3名は、牧田吉和先生(付録エッセイ)、袴田康裕先生(推薦の辞、顔写真つき)、そして関口康(付録エッセイ)。
こんなことで本当にいいと思ってるんですかと言いました。こういうのを見ると、外部の人は、まるで日本キリスト改革派教会の神学的代表者がこの3名であるかのように受け取りますよといいました。
私は過去18年、ただひたすら、ネットの中で露出してきただけです。リアルの場で目立つことをしたことは一度もありません。「ネットおたく」だ「ブロガー牧師」だと揶揄されてきただけの、ガチのおたくです。何かを代表する立場にありうるはずがない。ただの引きこもりです。
私などがまるで何かを代表しているかのように誤解されることがないように、日本キリスト改革派教会の先生がたには、もっと書いてもらいたいですし、もっと露出してもらいたいですと言いました。ネットに対する苦手意識とか取り払ってください。恥ずかしがってる場合じゃないですよと言いました。
これ一回だけ書きます。もう二度と書きません。ぜひ真剣に受け止めてください。お願いいたします。
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