2014年1月24日金曜日

「一気に」ファン・ルーラーが分かります


思想とキリスト教研究会機関誌『途上』第28号に掲載された

拙論「A. A. ファン・ルーラーの神学思想の特質」

をご一読いただいた方々から感想が届いています。

2人の方が「一気に読みました」と同じ言葉を書いてくださいました。

うれしいです。

「一気読み」できます。

「一気に」ファン・ルーラーが分かります。

みなさま、ぜひ「一気に」お願いします。

『途上』第28号、1,700円(税別)です。

2014年1月17日金曜日

阪神・淡路大震災の記憶


ぼくも「阪神・淡路大震災の記憶」を書きます。

1995年1月16日(月)と17日(火)、

ぼくは岡山市内にいました。

「ニケア信条を学ぶ研修会」(講師 関川泰寛先生)に出席するためでした。

その前日の1月15日(日)は、前年(1994年)12月26日(月)に生まれたばかりの長男に、父(ぼく)の手で幼児洗礼を授けた日でもあります。

つまり、当時、長男は生後3週間。

その子と妻を高知県南国市の牧師館に残して、ぼくは「ニケア信条を学ぶ研修会」に出席するために岡山市にいました。

一日目の学びが終わり、岡山市に実家があるぼくは、他の出席者と別れ、実家で宿をとりました。

翌朝5時46分。ぼくはまだ就寝中。

「枕が揺れる~」という違和感がありました。でも、目が覚めるというほどではなく、夢の中のようでした。兵庫県の隣県にもかかわらず、岡山市内の揺れはその程度でした。

その直後、テレビをつけた父が

「おお、康。神戸がたいへんだ」

と言ったことを忘れることができません。

それで飛び起き、眠い目をこすりながら支度して、

「ニケア信条を学ぶ研修会」の会場の蕃山町教会に行きました。

当然、二日目の学びは中止。この会の出席者は、遠くは和歌山あたりから大阪、兵庫くらいまでの教師・信徒でした。

自分の家と連絡がつかない!

道路も電車も止まっている。どうする。

それでみんなで思いついたのは、紀伊半島や大阪方面からの出席者を、岡山から瀬戸大橋経由で徳島港まで送り、フェリーで帰っていただくことでした。

ぼくは四国からの参加組でしたので、ぼくの車にも紀伊半島在住の何人かの方が乗り、徳島港まで行きました。

そのことに必死になっている間、意識の外に置いてしまっていたのは、高知の牧師館の二人のことでした。

高知もかなり揺れたそうです。

帰宅後、長男は「ああ、こわかったー」とは言いませんでしたが(生後3週間でしたので)、妻の表情が若干こわかったことを、忘れることができません。

大きな被害に遭われた方々のことを知るにつけ、胸が痛みました。

そして、「いろんな意味で」阪神・淡路大震災は、ぼくの人生の転機になりました。

1995年時点で父が「神戸がたいへんだ」と言ったことの背景には、その数年前からぼくと神戸改革派神学校(日本キリスト改革派教会立)との関係がありました。

2年後の1997年1月にその神学校の2年に編入しました。

編入後、神学生から震災時の苦労を教えてもらいました。

2014年1月14日火曜日

日記「奇跡が起こりました!」

奇跡が起こりました!信じるか信じないかは、あ・な・た次第。

【事件編】

たった今です(2014年1月14日火曜日の夕方)。

「ごめんくださーい。郵便局でーす」

「(なんだろ?)はーい。どうぞー」

カチャ(教会の玄関が開く音)

「お荷物でーす。サインお願いしまーす」

「はーい。サイン、ここでいいですかー」

「そうでーす。ありがとうございましたー」

「どもー」

で、デカイ小包がドスン。

「(なんだろ?)」

ビリリ(粘着テープをはがす音)。

え、え、え、えーーーーーっ???!!!


【解決編】

デカイ小包の中身は、二人の有名なギリシア人でした。

それはもうスゴイ勢いで箱から飛び出して、すっくと立ちました。

召還したのは、ぼくじゃないです。

昨日お祈りはしました。

だけど、まさか翌日に二人が来てくれるだなんて、めっちゃびっくりしました。

ありがとうございました!とてもうれしいです。


【番外編】

今日来てくれた二人のギリシア人と、以前からのぼくの部屋の住人との比較です。


「月報」コンプリートです!うしっ!


「新刊案内」もほとんど揃ってました。やたっ!


地に足をつけるとは、ゆっくり歩くことのようだ


19世紀を「ついこないだ」とか言ってしまう。

そんな加速装置を持つ「神学」だ「哲学」だに頭を悩ましていると、

どこにも行ってないのに時差ボケが起きる。

時差ボケ解消の有効な方法は「歩くこと」だと、今さらながら気づく。

ここは50年前のニュータウン。

今はオールドタウンだ。

年齢についての話題を書くと傷つく方がおられるので、書かないでおく。

交差点の信号待ちをしていたとき、

ぼくの目の前にいた80歳くらいの男性が、タバコを吸いながら、

携帯電話で大きな声で話していた。

「おれはあの店ヤだよ。

 だってタバコ吸えないでしょ。

 他の店探してよ。

 タバコ吸える店がいいよ。」

その話題をえんえんと続けていた。

その話を聞いていて(聞き耳を立ててたわけではない)

やっと、加速装置を解除できたような気がした。

地に足をつけるとは、ゆっくり歩くことのようだ。

まあ、これはこれで、けっこう楽しいな。

2014年1月10日金曜日

日記「マンガ版『純粋理性批判』を夢中で読んでいます」


おっ、今日は久々にちょっとだけ冴えてるぞ。

暗算とか大の苦手のぼくですが、最近は経験則で「いくらぐらい」が分かるようになりました。

だいたい予算どおりでした。よし。

経験則に頼りすぎると「経験したことがないことは分からないので興味もない」というような懐疑論や無関心に陥る。

しかし、全く経験なしにア・プリオリに「それはこうに決まっている」と言い張る独断論的認識論は、危なっかしくて仕方ない。

しかも、財布のお金を有効活用するには何をどのくらい買えばよいのか、いかにコストを削減するのかなどをミクロ的に丁寧に考え抜く「分析的認識」が必要である。

しかし、重要なことはそれだけではない。

これらの買い物をどのような料理に仕上げるかをトータルかつマクロ的に見通す「総合的判断」もまた同時に必要である。

マンガ版のカント『純粋理性批判』を夢中で読んでいます。面白いですよ。

「第22回 カール・バルト研究会」報告


2014年1月10日金曜日、「第22回 カール・バルト研究会」を行いました。出席者は以下のとおりです(五十音順、敬称は略させていただきます)。

小宮山裕一(茨城県ひたちなか市)
齋藤 篤(ドイツ・ケルン市)
関口 康(千葉県松戸市)
中井大介(大阪府吹田市)
藤崎裕之(北海道亀田町)

なんと、カール・バルト研究会、丸一年続いてしまいました。

次回(1月24日金曜日)、「第23回」でカール・バルト研究会の一周年記念会を行います。

いつもと同じようにカール・バルトの本を「批判的に」読むだけのことですけどね。

一年間、ありがとうございました。

2014年1月9日木曜日

子どもの頃の記憶

意識的に考えないようにしていたことなので、本格的に忘れてました。

でも「考えないようにしていたこと」を思い出しちゃった。困った脳だ。

子どもの頃、「あなたの尊敬する人は?」という質問をけっこう受けた。

学校とかいろんなところでのアンケート用紙とかの質問だったかも。

その質問に答えられなくて、答えられなくて、答えられなくて嫌だった。

なんでこんな質問するのか、答えさせるのかが、全く分からなかった。

踏み絵よりもこの質問が、ぼくは嫌だ。

 この質問を強要する人間に対して憎悪を抱くレベルだ。

なんでこんなに嫌なんだろう、憎いんだろう。 なんなんでしょうね。

今日(いま)ふと気づいたのは、その答えかもしれないことだ。

書きませんけどね。ぼく、怪人二十面相らしいしね。だれが言うか。

2014年1月8日水曜日

どうしたら行けるのだろう 教えてほしい

悲しいとか悔しいとかいうほどの強い思いはありませんが、教会が常に新しい価値を生み出していく姿勢(価値創出的)ではなく、既存価値を追いかけるだけの姿勢(価値追認的)であることは、なんだかつまらないです。はっきりいえば、教会なんかやってる意味ないです。世の価値を教会に持ち込んで「へ~」だ「は~」だ言ってるだけなら。

でも、だからといって、いかにもしょぼいものをつくってごく近い身内だけで自己満足にひたっているというのも、おかしいといえば、たしかにおかしい。

文脈は違いますが、青島刑事の言うところの「許してくれるのはな、パパのお友達だけだ」ってやつです。

「両方大事ですね」と、他の件なら大抵そう言うぼくですが、本音をいえば、どっちもイヤですね。でも、強いて選べば、後者(しょぼいほう)です。たぶん、だからぼくはダメなんでしょうけどね。

背負ってるものが、いまだにほとんどない。無責任の極みです。気楽ではありますよ。

「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ」(旧約聖書 ヨブ記1章21節)です。

あ、でも、ぼくがどうであるかはどうでもいい。問題は、教会はどうなのかです。

いちばん理想的なのは、真に価値創造的でありつつ、あらゆる価値を凌駕すること、かな。

それ、なんなんでしょうね。そういう何かこそ「権威」の名にふさわしいと、ぼくは思います。

「ガンダーラ」みたいだ。

その国の名はガンダーラ
どこかにあるユートピア
どうしたら行けるのだろう
教えてほしい

仏教化してきたのかな、ぼく。

2014年1月7日火曜日

ここ何年もぼくは、よく独り言、言ってます

旧約聖書からぼくが最も学んできたと思っていることは、

何ごとであれ、人の営みがある程度の形になるまでには、

長い時間がかかるし、

三、四代くらいは世代を重ねなければならない、ということです。

だけど、そのくらい世代を重ねる頃には、

とてもじゃないが何かの責任を負いえないような人が「中心」を占め、

根腐れが起こり、弱体化し、求心力を失って、大きな山は崩れる。

しかし、崩れた山で遭難しかかったけど奇跡的に避難しえた数人が、

ほとんど「ふりだし」同然の地点に戻り、

元の山よりさらに大きい山を積み上げていこうとする。

そういうことが何度も繰り返される。

う~ん、ほんとは言いたくないんですけどね...

あ、言いたくないことは言わないでおきます。

ネットつながりのみなさんへのなんとかではありません。

教会でも牧師でも社会でも政治でもない。

ぼくが心底文句を言いたいのは、神さま...と言いたいところですが、

そこは遠慮して、

自分自身のような気がします。

ここ何年もぼくは、よく独り言、言ってますよ。

しかも、傷がついて音が飛ぶCDのようです。

ハードロックオムニバスの「ハイウェイスター」の冒頭のいちばんいいところに傷。

聴くたびに、その部分だけ「ブルルルル」と重複的なノイズ。がくっと来ます。

そのノイズがぼくの独り言ですね。

ブルルルル。

拙論「日本キリスト改革派教会創立宣言に学ぶ」(2001年)をリニューアルしました

今朝、ある方からメールが届いて飛び上がりました。

ぼくが2001年(13年も前)に行った講演をネットで見つけてくださった方が連絡してくださいました。ありがたいことです。

忘れるほど過去のもので、完全に放置したままでしたので、この機会に少しは読みやすいように校正しました。

読み返すと恥ずかしい稚拙な文章ですが、記録として残しておきます。

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関口 康「日本キリスト改革派教会創立宣言に学ぶ」(2001年)

目次

講演1 今、なぜ創立宣言の学びか
http://ysekiguchi.blogspot.jp/2001/08/blog-post_9974.html

講演2 日本キリスト改革派教会の二つの主張
http://ysekiguchi.blogspot.jp/2001/08/blog-post_5422.html

講演3 創立宣言の諸問題
http://ysekiguchi.blogspot.jp/2001/08/blog-post_16.html

付録  日本キリスト改革派教会創立宣言(1946年)現代語訳
http://ysekiguchi.blogspot.jp/2004/11/1946_08.html