2013年9月6日金曜日

昨夜、Facebookをやめた友達がいます

名前とか所属とかの詮索が始まるのは困りますけど、

昨夜、Facebookをやめた友達がいます。牧師です。

「楽しすぎるからやめる」(大意)という趣旨でした。

お引きとめする立場には無いし、気持ちも分かるので、

寂しさを紛らすために、古い歌を口ずさみました。

「さよならは別れの言葉じゃなくって~♪」(後略)

「楽しすぎるからやめる」というのは、

ぼくもほぼ同じ気持ちなので、

ぼちぼちですが、あとかたづけを始めようとしています。

ぶっちゃけますが、ぼく

Facebook始めた頃は、神学の仲間だけの狭い使い方をしてました。

2年前の震災から教団・教派を超えた連絡関係がどっと来て、

さらに選挙関係で中高時代の旧友との連絡関係が加わって、

あとは「友達の友達」に関心を寄せていただけたり、

ぼくの子どもと大差ないくらい若い世代の方ともつながったりして、

今日を迎えます。

たしかに「友達」は増えましたが、その増え方は、

なんだかタイムマシンで現在から過去へと戻るに似た感覚でした。

「旧悪」を暴かれる恐怖に怯えながら、ね(これは誇張)。

みなさん全員に喜んでもらえることばは、書けないですね。

これはギブアップ宣言をせざるをえない。

ある方々に喜んでもらいたいと思いながら書くと、

他の方々に怒られてしまう感じ。

ぼくが多重人格なのではないんですよ(汗)。

友達のグループ分けをすればいいとか、

ネットに書いてあるようなことはひととおり考えてみましたが、

どうも難しいですね。

前にうっかり手が滑ってグループ分けを失敗したら、

「私の所属は○○ではなく△△である」と抗議の連絡が来たりしました。

本人に通知が行くみたいですね。面倒に巻き込まれたくないです。

2013年9月5日木曜日

「就活」の選択肢に「牧師」も加えてほしいという趣旨でした

ぼくの論調に汚らわしいもの(?)を感じる向きもあるかもしれません。

例によって「それは人間的な考えだ!」と罵倒されるかもしれない。

「そうだよ、ぼく人間だもん」とか答えると、ますます腹を立てる人たちもいる。

だけどね、

「召命」とかって、あんまりブリリアントにキラキラ輝いてなくてもいいと思うんです。

そういう部分だけ神秘のベールに包んで。

キツメにいえば、自分を大きく見せようとしているだけ。

それを日本語では、やっぱり「ハッタリ」と言うんだと思います。

いかがわしいと言わざるをえませんね。

あ、でも、もちろんね、

言いたくない過去をほじくり出して言わなくちゃならないとか、

わざわざ偽悪者ぶるとかみたいな芝居がかったのも、アウトですからね。

昔からぼくの周りに常に一定数いましたよ。

キラキラ系の召命バナシをする人たちにコンプ抱いている人たち。

キラキラ系の代表者は、パウロとアウグスティヌスですかね。

あんなふうに「ドラマ仕立て」で、「180度の転換」で、

「昔は極悪人だったアピールつき」でなければ「召命」じゃない、みたいなハナシに

ドン引きしてる人たち、けっこういました。

ぼくが「牧師」とか「教会」とか書いている意味は、

暗黙の裡ながら、日本キリスト改革派教会の(教会規程が定義している)意味で用いていますので、

他の教団・教派のケースとは必ずしも一致しないかもしれません。

そして、ぼく自身は昔ながらの「牧師」と「教会」に永続的な存在意義を見出している人間ですので、

「自給開拓伝道」の可能性を全く否定するものではありませんが、

それは(日本キリスト改革派教会で「宣教教師」と区別される)「牧師」の本来のあり方ではないと考えています。

そして、ぼくが最初に書いたことの趣旨は一つです。

「若い教師たちに牧師の仕事を明け渡せ」の一つです。

「(他に)就職先がある人は牧師になるな」の一つです。

「自給開拓を思い詰めなくても、安心して牧師になれる道を切り開け」の一つです。

「専業牧師の需要が低下しているとか言い出すなら、教会はその考え方を根本から変えろ」の一つです。

それはまた、次世代の「就活」の選択肢の中に「牧師」も加えてほしい、という趣旨でもあります。

人気のある職種はどんどん無くなり、最後の最後に「牧師」が残ったら、

観念して牧師になる気になってくれる子たちがいればいいのだが、という

地引き網(?)のようなことを考えていました。

最初は「メンタルヘルス、コミュニティ関連サービス」という感じかなあと予想して始めてみたら、

とんでもなかった。

「特定宗教組織の職員」だったと分かり、

さらにヒブル語、ギリシア語、ラテン語はじめ英語、ドイツ語などなどを詰め込まれ、

ドンドカドンドカ本を読まされ、

毎週毎週、長文の作文を書きおろさなければならない仕事だと分かる、という。

そういうワナにかかってくれる若者、いないかなあという話です。

お騒がせしました。

「新しい酒は新しい革袋に」(新世紀の教会は新世紀の牧師に)

「失われた20年」が「30年」にも「40年」にもなるかもしれない昨今、

「就職先がない」ことを理由に牧師をめざすというのは、ありだと思う。

「召命」というのは、しばしば消去法の形をとりますよ。

それ否定できる人いないんじゃない?

それに、ぼくが言ってもナンの(こぶしが入った「ナン~ンの」)説得力も無いけど、

牧師はやりがいのある職業だと言いたい。

「あれは職業ではない」とか「仕事ではない」とかいう言いがかりは無視無視。

あ、ですが、

「牧師のいない教会が多いから」牧師をめざす、というのは、どうだろ。

論理的に間違ってはいないけど、

自分自身の将来を表現することばとしては、相当引っかかるものがあると、ぼくには思えます。

教会は統廃合があるし、するし、してきたし、せねばならない。

教団・教派にも統廃合があるし、するし、してきたし、せねばならない。

あと10年以内くらいに

教会・教界に大きな動きがあればいいし、なければならないと思うけど、

ぼくはヘタレだから、遠巻きに見ているだけでしょうね。

20年後には、ほぼ引退ですしね。

ぼくの「老人化計画」は着々と進んでいます。死滅化かな、ま、なんでもいいや。

いまから20年後くらいに今のぼくくらいになる人たちに期待してますよ。

1980年代生まれとか、90年代生まれの人とかです。

21世紀生まれになれば大歓迎。「新世紀の牧師」にふさわしいですよ。

それくらいの人たちに、ぼくは自分の持っているものを手渡したいです。

それ以上のご年配の方々は、もう自分でがんばりましょう。

そうとしか、ぼくには言いようがないです。

2013年9月4日水曜日

「一般社会の常識」を代弁して語る、キミはいったいだれなんだ

ぼくは、面と向かってそんなことを言われることは、あんまりないのですが、

(ぼくの知らないところで、ぼくについて何を言われているかということまでは知らん知らん)、

教会の中で(松戸小金原教会の中で、という意味ではなくて、あくまでも一般論です)

「一般社会では通用しない」ということばを、スゴまれたり、恫喝っぽく言われたりすることが、たまにありますよね。

なかでも、「その口で言うか」と言いたくなるような人の口からその言葉を聞くと、心底がっかりするし、しばらく立ち直れなくなる。

吹けば飛ぶような、踏めば跡形もなく粉砕することが分かっているような、ほんの一握りの信者の集まりが「一般社会の常識」を変えていくことが「伝道」なんじゃないの?と言いたくなるけど、

そういう話はいっさい通用しないもんね、そういうこと言い出す人には。

「反骨精神」とか、そういう話じゃないですよ。マイノリティなんとか、でもないと思う。

「一般社会」にビビりすぎなんじゃないのかなと思うだけです。

なめてはいけないと思ってはいますよ。なめてはいけない。だけど、ビビらんでもいいだろとは思う。

ていうか、「一般社会の常識」を代弁して語る、キミはいったいだれなんだよ、とも言いたいかな。

まあ、たぶん、結局ハッタリなんだよね。大きな声では言えないけど。

教会が「甘い」かどうかは、いろんな判断がありえますけど、うるさいこと言われたら「うるさい」と言えばいいし、できないことを押しつけられたら「できない」と言えばいいじゃん、とかは思います。

甘えた人は教会だけにいるわけじゃないでしょうに。

「教会には甘えた人が多い」とか言われることありますけど、「いやっ、それ言いすぎ」と、ぼくは毎回、内心で思っています。

伽藍の一室で、一人で仕事しています

まあ、ベタな言い方ですけどね、

苦しみも、寂しさも、

逃げると追いかけてくるらしいですよ。

ぼくも本来めっちゃ寂しがり屋なんです。

だけど、

週日は伽藍(というほど日本の教会は広くないです)の一室で、一人で仕事する。

こういうのに、やっと慣れたかも。

人恋しさとかあんまり感じなくなったです。

年取ったかな(笑)。


2013年9月3日火曜日

『改革派教会信仰告白集』を絶賛する(2012年)

関口 康

伝道不振の日本でこれほど大規模な『改革派教会信仰告白集』が刊行される日が来ることを誰が予想していたでしょうか。全巻予約用のパンフレットを見たとき、私は躍り上がって喜びました。どう考えても飛ぶように売れる本とは思えない。そこに出版社の捨て身の覚悟を感じました。まさに命がけの愛を改革派教会の信仰告白のために注いでくださった一麦出版社に感謝しています。

『改革派教会信仰告白集』という表題で思い起こすのは、カール・バルトの有名なエピソードです。バルトはスイス改革派教会の牧師・神学教授であったフリッツ・バルトの長男として生まれ、スイスのベルン大学神学部を卒業後、ベルリン、テュービンゲン、マールブルクの各大学で世界最先端の神学を学び、ジュネーヴのドイツ語教会の副牧師職を経て、ザーフェンヴィル教会の牧師になりました。バルトの出世作となった『ローマ書講解』(第一版、1919年〔実際には1918年刊行〕、第二版、1922年〔実際には1921年刊行〕)はザーフェンヴィル教会の牧師だった頃のものです。その後バルトは牧師職を辞し(1921年)、ゲッティンゲン大学神学部の「改革派教会担当教授」になり、「改革派教会の信仰告白と教理と教会生活」を概説する仕事を始めるのですが、当時のことを後年のバルトが次のような衝撃的な言葉で回顧しているのです。「私は今だから……告白できるのであるが、他のすべての私の知識の大きな欠陥はさておいても、私は当時、改革派の信仰告白文書を所有してもいなければ、ましてや読んでもいなかったのである」(エーバーハルト・ブッシュ、小川圭治訳『カール・バルトの生涯』新教出版社、第二版、1995年、185頁)。

バルト自身の回顧からはっきりわかることは、幼少期はもとより、神学生時代も、牧師時代も、そして世界大の読者を獲得した『ローマ書講解』の第二版を執筆していたときも、『改革派教会信仰告白集』(より具体的には1903年に出版されたE. F. K. ミュラー編のそれ)を買ったことも読んだこともなかったということです。バルトが教授職に就くのは35歳。それまでは改革派教会の最も基本的な書物を読んだことがなかった。そういう人がスイス改革派教会の牧師であったのであり、国立大学神学部の「改革派教会担当教授」になったのです。

このエピソードは現代の教会と神学の笑い話の一つだと思います。この点についてバルトを揶揄する意図は私にはありません。その後の彼は『改革派教会信仰告白集』を丹念に読みました。そして1924年のこと、バルトはゲッティンゲンでの教義学講義を準備しているとき、図書館の隅で埃をかぶっていた19世紀ドイツの改革派神学者ハインリヒ・ヘッペの『改革派教義学』(1861年)を発掘し、それを「読みに読み、研究し、考えぬき」(ブッシュ、小川訳、221頁)、その結果、バルトの最初の教義学となる『キリスト教教義学草稿』が誕生しました。さらにその草稿が徹底的に書き換えられて、彼の主著『教会教義学』の最初の巻(第一巻第一分冊)が生まれたのは1932年です。当時バルトは46歳。『改革派教会信仰告白集』を読みはじめてから11年。『教会教義学』の彼は堂々たる改革派神学者です。

バルトを揶揄していると思われるようなエピソードを敢えて紹介したのは、読者各位を励ましたいという願いからです。バルトでさえ35歳まで所有したことも読んだこともなかった本を、我々は容易に所有することができ、しかも、すべて平易な日本語で読めるようになったのです。そうだとすれば、これほど素晴らしい本が与えられた以上、我々もこの本から大いに学ばせていただこうではありませんか。この本を読む人はだれでもバルトのような著名な神学者になれますよという意味ではありません。ただ、少なくともこれ(改革派教会信仰告白集!)がバルトの神学の決定的な一源泉であることは間違いありません。そうだとすれば、バルトの神学の真髄に迫るために、バルトの神学の源泉に我々が習熟することが必要であると言えるでしょう。そしてそれは、バルトの神学にも誤りや欠陥がありうることを指摘する、ということも排除しないのです。

今日の伝道不振の原因は、当然、神学にもあります。その真の原因を探り当てるために、歴史的な信仰告白から学ぶことが不可欠なのです。

(小論、『改革派教会信仰告白集』第6巻付録、一麦出版社、2012年、5-6頁)

「支離滅裂なメールを書く人に論理明晰な単著が書けるか」という問題です

興味深いことばをツイッターから転載させていただきます。

Kan Kimura @kankimura 14時間
正直、原稿の締め切りに(常に/今も)追われている身としては、そもそも「書く事を前提にせずに勉強する」と言う事は最早想像もできなかったりする。だから院生さんにも「読み手を意識させてあげ」れば良いのだろうけど、修士の学生には実際なかなか自分の研究を「読んで貰う」機会はないからなぁ。

(引用終わり)

ぼくもそうで、さらに勝手に加えれば「話すことを前提にせずに書く」も想像できなかったりします。

話すために書く。書くために勉強する。

勉強のモチベーションが途絶えることは、ぼくに限ってはありえない。

「どこで」「だれに」「何を」話すかが明確だからです。

ですが、それはぼくの話ですが、

そうではない人は多いのかもしれないし、学生さんたちの中に増えているのかもしれない。

ていうか、かく言うぼくも、とても恥ずかしいことに、

15、6年前(30歳を過ぎたころ)までは「文章を書けない人間」でした。

タブラ・ラサを前にしても何にも思い浮かばないし、「てにおは」からしておかしい。

論理を整えて書くことなど想像もつかない人間でした。

変わったのは、インターネットを手に入れてからです。

メールだホムペだブログだを書きはじめて変わりました。

「炎上」も芸の肥やし。

「こういうことを書くとヤバいんじゃね?マズいんじゃね?」も、

いまだにアブナイときはありますが、

それでも少しずつながら、体感的に分かるようになりました。

メールも、ホムペも、ブログも、

雑誌投稿も、紀要論文も、ハードカバー付きの単著も、

「論理的に構成された複数の文字の集合体」であることには変わりない。

メールやブログは意味不明で支離滅裂だけど、単著なら論理明晰で読みやすい文章を書ける、

なんて人がいるなら、会ってみたいです。

話すために書く。書くために勉強する。ぜんぶつながっているんです。

ブログとかFacebookとか、いい訓練になると思うんですけどね。

2013年9月2日月曜日

「フリーランスの神学者」というのは概念矛盾だと思う

20世紀の組織神学者の中でファン・ルーラーの影響力が、必ずしも世界大に広がらず、オランダ、ドイツ、南アフリカなどに限定されてしまった原因としてヘッセリンク先生が指摘したのは、ファン・ルーラーの神学的取り組みが「ローカルなもの」であったから、という点でした。

この場合の「ローカルなもの」とは、具体的には、ファン・ルーラーが所属した教団である「オランダ改革派教会」の内部を指しています。つまりそれは、ファン・ルーラーの神学は悪く言えば「オランダ改革派教会」の内部でしか理解できないものであった。しかし良く言えば、それは「オランダ改革派教会」の抱える問題の解決と改善を目指すものであった、ということです。

だから、彼の著書や論文は「オランダ改革派教会」の外部の人が読んでも分からない。教団・教派、国境・文化を越えて、だれが読んでよく分かるような書きものではない。だから、翻訳しても売れないだろうと判断されてきたし、出版社も二の足を踏むし、無理して数冊の訳書を出版しても現実に売れない。だから出版は断念されたし、忘れ去られてきたのです。

それはたぶん、ファン・ルーラーだけでなく、「神学」の辿る運命のようなものなのかもしれません。もちろん、神学者の中には自分が所属する教団の問題にはなるべく触れないようにする人もいる。いや、それどころか、どの教団に属しているかを隠し、伏せて活動しようとするタイプの人もいる。「ぼくはフリーランスなんですよ」とか言っていた自称神学者もいた。

たしかにそのほうが「本が売れる」かもしれないし、著述家としても学者としても「成功者」とみなしてもらえるかもしれないし、出版社や書店は助かるかもしれない、のですが。

しかし、ここでぼくが何度でも考え込んでしまうのは、「神学とは何か」という根本的な問いです。「フリーランス」の神学って何なのか、ということです。ぼくはどうも腑に落ちない。痒いところに手が届いていないぞ、と言いたくなる。

あ、だけど、「フリーエージェント」は、いいかもしれませんね(笑)。

神学者も牧師もFA宣言(笑)。

って、そんなわけ行くかよっ!(怒りながら笑)

2013年8月31日土曜日

なぜぼくが「カール・バルト研究会」なのか

言わずもがな、なのか、言わなきゃ分からない、なのか、

まあ、どっちでもいいことですが、

なぜぼくが「カール・バルト研究会」なのかということは、

どこかで釈明する必要があるかもしれないと思っています。

「バルト主義者にならないこと」が唯一の入会条件である

「カール・バルト研究会」を、なぜぼくがやるのか。

決まってんじゃん。「超克」ですよね、それは当然のこと。

でも、難しい問題は、

バルト(主義)をどっちの方向に「超克」するか、です。

昨夜の「カール・バルト研究会」で読んだ個所は、

バルト『教義学要綱』「8 造り主なる神」の前半でした。

その冒頭に次のような文章が出てきます。以下、拙訳で紹介します。

「神が人間になった。
 この命題に示され、我々が信じるべきことは、
 神は自己目的的な存在であることを自ら望まず、
 それゆえ、神は孤立していないということである。
 神は、神自身とは区別される世界に、
 その固有の現実と本質と自由を、惜しみなく与えてくださっている。
 神のことばは、被造世界の存在を支える力である。
 神は、この世界を《劇場》(theatrum)として創造した。
 そのようなものとして保持し、統治しておられる。
 そして神は、その《劇場》の真ん中に
 人間を《神の栄光》(gloriae Dei)の証人として創造したのである。」

(Karl Barth, Dogmatik im Grundriß, Theologischer Verlag Zürich, 1947, 1998, S. 57)

素晴らしい感動的な文章です。これを「超克」するのは非常に難しい。

「超訳」も難しいですね。バルトの意図はよく分かりますけどね。

でも、落とし穴はあります。バルトの論理の「功罪」があります。

それを論証していきたいのです。

2013年8月29日木曜日

今日は朝から「真剣にぼんやり」しています

あらら、今日は8月29日(木曜日)、ですか。

へへ、ぼくは暑くて、熱くて、厚い夏でした。

今日は朝からずっとぼんやりしているのですが、

「予定がない」というよりも、

ずっと前から「予定を入れない予定」にしていた日でした。

カッコよく言えば、

なるべく来年中に発表したいと願っている、

ある程度まとまった規模の書き物が「四つ」あって、

その構想を練っているところです。

そのぼくはハタカラ見ると「ぼんやりしている」としか言いようがない。

しかし、はっきり言います、

なんにも思いつきません。

ダメだこりゃ。撃沈です...。