2013年9月3日火曜日

『改革派教会信仰告白集』を絶賛する(2012年)

関口 康

伝道不振の日本でこれほど大規模な『改革派教会信仰告白集』が刊行される日が来ることを誰が予想していたでしょうか。全巻予約用のパンフレットを見たとき、私は躍り上がって喜びました。どう考えても飛ぶように売れる本とは思えない。そこに出版社の捨て身の覚悟を感じました。まさに命がけの愛を改革派教会の信仰告白のために注いでくださった一麦出版社に感謝しています。

『改革派教会信仰告白集』という表題で思い起こすのは、カール・バルトの有名なエピソードです。バルトはスイス改革派教会の牧師・神学教授であったフリッツ・バルトの長男として生まれ、スイスのベルン大学神学部を卒業後、ベルリン、テュービンゲン、マールブルクの各大学で世界最先端の神学を学び、ジュネーヴのドイツ語教会の副牧師職を経て、ザーフェンヴィル教会の牧師になりました。バルトの出世作となった『ローマ書講解』(第一版、1919年〔実際には1918年刊行〕、第二版、1922年〔実際には1921年刊行〕)はザーフェンヴィル教会の牧師だった頃のものです。その後バルトは牧師職を辞し(1921年)、ゲッティンゲン大学神学部の「改革派教会担当教授」になり、「改革派教会の信仰告白と教理と教会生活」を概説する仕事を始めるのですが、当時のことを後年のバルトが次のような衝撃的な言葉で回顧しているのです。「私は今だから……告白できるのであるが、他のすべての私の知識の大きな欠陥はさておいても、私は当時、改革派の信仰告白文書を所有してもいなければ、ましてや読んでもいなかったのである」(エーバーハルト・ブッシュ、小川圭治訳『カール・バルトの生涯』新教出版社、第二版、1995年、185頁)。

バルト自身の回顧からはっきりわかることは、幼少期はもとより、神学生時代も、牧師時代も、そして世界大の読者を獲得した『ローマ書講解』の第二版を執筆していたときも、『改革派教会信仰告白集』(より具体的には1903年に出版されたE. F. K. ミュラー編のそれ)を買ったことも読んだこともなかったということです。バルトが教授職に就くのは35歳。それまでは改革派教会の最も基本的な書物を読んだことがなかった。そういう人がスイス改革派教会の牧師であったのであり、国立大学神学部の「改革派教会担当教授」になったのです。

このエピソードは現代の教会と神学の笑い話の一つだと思います。この点についてバルトを揶揄する意図は私にはありません。その後の彼は『改革派教会信仰告白集』を丹念に読みました。そして1924年のこと、バルトはゲッティンゲンでの教義学講義を準備しているとき、図書館の隅で埃をかぶっていた19世紀ドイツの改革派神学者ハインリヒ・ヘッペの『改革派教義学』(1861年)を発掘し、それを「読みに読み、研究し、考えぬき」(ブッシュ、小川訳、221頁)、その結果、バルトの最初の教義学となる『キリスト教教義学草稿』が誕生しました。さらにその草稿が徹底的に書き換えられて、彼の主著『教会教義学』の最初の巻(第一巻第一分冊)が生まれたのは1932年です。当時バルトは46歳。『改革派教会信仰告白集』を読みはじめてから11年。『教会教義学』の彼は堂々たる改革派神学者です。

バルトを揶揄していると思われるようなエピソードを敢えて紹介したのは、読者各位を励ましたいという願いからです。バルトでさえ35歳まで所有したことも読んだこともなかった本を、我々は容易に所有することができ、しかも、すべて平易な日本語で読めるようになったのです。そうだとすれば、これほど素晴らしい本が与えられた以上、我々もこの本から大いに学ばせていただこうではありませんか。この本を読む人はだれでもバルトのような著名な神学者になれますよという意味ではありません。ただ、少なくともこれ(改革派教会信仰告白集!)がバルトの神学の決定的な一源泉であることは間違いありません。そうだとすれば、バルトの神学の真髄に迫るために、バルトの神学の源泉に我々が習熟することが必要であると言えるでしょう。そしてそれは、バルトの神学にも誤りや欠陥がありうることを指摘する、ということも排除しないのです。

今日の伝道不振の原因は、当然、神学にもあります。その真の原因を探り当てるために、歴史的な信仰告白から学ぶことが不可欠なのです。

(小論、『改革派教会信仰告白集』第6巻付録、一麦出版社、2012年、5-6頁)

「支離滅裂なメールを書く人に論理明晰な単著が書けるか」という問題です

興味深いことばをツイッターから転載させていただきます。

Kan Kimura @kankimura 14時間
正直、原稿の締め切りに(常に/今も)追われている身としては、そもそも「書く事を前提にせずに勉強する」と言う事は最早想像もできなかったりする。だから院生さんにも「読み手を意識させてあげ」れば良いのだろうけど、修士の学生には実際なかなか自分の研究を「読んで貰う」機会はないからなぁ。

(引用終わり)

ぼくもそうで、さらに勝手に加えれば「話すことを前提にせずに書く」も想像できなかったりします。

話すために書く。書くために勉強する。

勉強のモチベーションが途絶えることは、ぼくに限ってはありえない。

「どこで」「だれに」「何を」話すかが明確だからです。

ですが、それはぼくの話ですが、

そうではない人は多いのかもしれないし、学生さんたちの中に増えているのかもしれない。

ていうか、かく言うぼくも、とても恥ずかしいことに、

15、6年前(30歳を過ぎたころ)までは「文章を書けない人間」でした。

タブラ・ラサを前にしても何にも思い浮かばないし、「てにおは」からしておかしい。

論理を整えて書くことなど想像もつかない人間でした。

変わったのは、インターネットを手に入れてからです。

メールだホムペだブログだを書きはじめて変わりました。

「炎上」も芸の肥やし。

「こういうことを書くとヤバいんじゃね?マズいんじゃね?」も、

いまだにアブナイときはありますが、

それでも少しずつながら、体感的に分かるようになりました。

メールも、ホムペも、ブログも、

雑誌投稿も、紀要論文も、ハードカバー付きの単著も、

「論理的に構成された複数の文字の集合体」であることには変わりない。

メールやブログは意味不明で支離滅裂だけど、単著なら論理明晰で読みやすい文章を書ける、

なんて人がいるなら、会ってみたいです。

話すために書く。書くために勉強する。ぜんぶつながっているんです。

ブログとかFacebookとか、いい訓練になると思うんですけどね。

2013年9月2日月曜日

「フリーランスの神学者」というのは概念矛盾だと思う

20世紀の組織神学者の中でファン・ルーラーの影響力が、必ずしも世界大に広がらず、オランダ、ドイツ、南アフリカなどに限定されてしまった原因としてヘッセリンク先生が指摘したのは、ファン・ルーラーの神学的取り組みが「ローカルなもの」であったから、という点でした。

この場合の「ローカルなもの」とは、具体的には、ファン・ルーラーが所属した教団である「オランダ改革派教会」の内部を指しています。つまりそれは、ファン・ルーラーの神学は悪く言えば「オランダ改革派教会」の内部でしか理解できないものであった。しかし良く言えば、それは「オランダ改革派教会」の抱える問題の解決と改善を目指すものであった、ということです。

だから、彼の著書や論文は「オランダ改革派教会」の外部の人が読んでも分からない。教団・教派、国境・文化を越えて、だれが読んでよく分かるような書きものではない。だから、翻訳しても売れないだろうと判断されてきたし、出版社も二の足を踏むし、無理して数冊の訳書を出版しても現実に売れない。だから出版は断念されたし、忘れ去られてきたのです。

それはたぶん、ファン・ルーラーだけでなく、「神学」の辿る運命のようなものなのかもしれません。もちろん、神学者の中には自分が所属する教団の問題にはなるべく触れないようにする人もいる。いや、それどころか、どの教団に属しているかを隠し、伏せて活動しようとするタイプの人もいる。「ぼくはフリーランスなんですよ」とか言っていた自称神学者もいた。

たしかにそのほうが「本が売れる」かもしれないし、著述家としても学者としても「成功者」とみなしてもらえるかもしれないし、出版社や書店は助かるかもしれない、のですが。

しかし、ここでぼくが何度でも考え込んでしまうのは、「神学とは何か」という根本的な問いです。「フリーランス」の神学って何なのか、ということです。ぼくはどうも腑に落ちない。痒いところに手が届いていないぞ、と言いたくなる。

あ、だけど、「フリーエージェント」は、いいかもしれませんね(笑)。

神学者も牧師もFA宣言(笑)。

って、そんなわけ行くかよっ!(怒りながら笑)

2013年8月31日土曜日

なぜぼくが「カール・バルト研究会」なのか

言わずもがな、なのか、言わなきゃ分からない、なのか、

まあ、どっちでもいいことですが、

なぜぼくが「カール・バルト研究会」なのかということは、

どこかで釈明する必要があるかもしれないと思っています。

「バルト主義者にならないこと」が唯一の入会条件である

「カール・バルト研究会」を、なぜぼくがやるのか。

決まってんじゃん。「超克」ですよね、それは当然のこと。

でも、難しい問題は、

バルト(主義)をどっちの方向に「超克」するか、です。

昨夜の「カール・バルト研究会」で読んだ個所は、

バルト『教義学要綱』「8 造り主なる神」の前半でした。

その冒頭に次のような文章が出てきます。以下、拙訳で紹介します。

「神が人間になった。
 この命題に示され、我々が信じるべきことは、
 神は自己目的的な存在であることを自ら望まず、
 それゆえ、神は孤立していないということである。
 神は、神自身とは区別される世界に、
 その固有の現実と本質と自由を、惜しみなく与えてくださっている。
 神のことばは、被造世界の存在を支える力である。
 神は、この世界を《劇場》(theatrum)として創造した。
 そのようなものとして保持し、統治しておられる。
 そして神は、その《劇場》の真ん中に
 人間を《神の栄光》(gloriae Dei)の証人として創造したのである。」

(Karl Barth, Dogmatik im Grundriß, Theologischer Verlag Zürich, 1947, 1998, S. 57)

素晴らしい感動的な文章です。これを「超克」するのは非常に難しい。

「超訳」も難しいですね。バルトの意図はよく分かりますけどね。

でも、落とし穴はあります。バルトの論理の「功罪」があります。

それを論証していきたいのです。

2013年8月29日木曜日

今日は朝から「真剣にぼんやり」しています

あらら、今日は8月29日(木曜日)、ですか。

へへ、ぼくは暑くて、熱くて、厚い夏でした。

今日は朝からずっとぼんやりしているのですが、

「予定がない」というよりも、

ずっと前から「予定を入れない予定」にしていた日でした。

カッコよく言えば、

なるべく来年中に発表したいと願っている、

ある程度まとまった規模の書き物が「四つ」あって、

その構想を練っているところです。

そのぼくはハタカラ見ると「ぼんやりしている」としか言いようがない。

しかし、はっきり言います、

なんにも思いつきません。

ダメだこりゃ。撃沈です...。

2013年8月26日月曜日

金銭の欲がすべての悪の根です

テモテへの手紙一6・6~10

「もっとも、信心は、満ち足りることを知る者には、大きな利得の道です。なぜならば、わたしたちは、何も持たずに世に生まれ、世を去るときは何も持って行くことができないからです。食べる物と着る物があれば、わたしたちはそれで満足すべきです。金持ちになろうとする者は、誘惑、罠、無分別で有害なさまざまな欲望に陥ります。その欲望が、人を滅亡と破滅に陥れます。金銭の欲は、すべての悪の根です。金銭を追い求めるうちに信仰から迷い出て、さまざまのひどい苦しみで突き刺された者もいます。」

いまお読みしましたこの個所に書かれていることは、かなりストレートな書き方でもありますので、疑問の余地がないと言いますか、読んで字のごとくそのままの意味でだれでも容易に理解することができるものだと思います。

しかしまた、別の言い方をすれば、身も蓋もないという感じがなくもない。強く批判的な態度を示すタイプの人たちにすれば、あまりにも言葉が露骨すぎて、いろいろな立場にある人たちへの配慮が足りないのではないかと言いたくなるようなことかもしれません。

しかしこれは、これまで何度も繰り返し申し上げてきたことですが、(いろんな解釈の可能性があることは存じておりますが)、この手紙はパウロからテモテに対してごく個人的に送られたものであるとみなして読むと、いちばん腑に落ちるものがあると、私は考えています。

彼らは教会の牧師であり、伝道者です。同じ仕事に就いている先輩と後輩の関係です。時間的順序からすれば、後輩が先輩の苦労を知っているということは通常ありません。しかし、先輩には後輩の苦労が分かります。

厳密に言えば一つ一つの苦労は内容が違いますし、状況や年代の違いがありますので、後輩の苦労のすべてが先輩には分かるわけではありません。先輩づらは禁物でしょう。

しかし、同じ仕事に就いている先輩と後輩の関係の中で先輩にできることがあるとすれば、それは、苦労している後輩のその苦労を理解し、受け容れること。そして、慰め、励ますことです。そういうことを、パウロがテモテにしているのです。

ここに書かれていることは、要するにお金の問題です。あるいは、生活の問題です。衣食住の問題であると言ってもよいでしょう。しかし、「住」の問題は、触れられてもいません。住むところなんてどうだっていい、と言わんばかりです。

しかもこれは、教会の牧師どうしの会話として書かれていることですから、これは間違いなく教会内部の話です。牧師の生活の話であり、はっきりいえば牧師が教会から受けとる給料の話です。こういうふうに言ってしまいますと本当に身も蓋もなくなってしまうものがあるのですが、そうであるとしか言いようがないことが書かれています。

その中にとにかくはっきり書かれていることは、「食べる物と着る物があれば、わたしたち(パウロとテモテ?)はそれで満足すべきです」(8節)ということです。

ここに書かれていることの意味は、「贅沢な食べ物と贅沢な着る物があれば、わたしたちは満足することができます」というようなことではありえません。そういうことではなく、とりあえず生きることができればそれで十分だ、というような話です。

パウロに限っては、贅沢なものを食べ、贅沢な服を着るなどということは考えたこともないようなこと、脳裏をかすめたことすらないようなことなのではないかと思うくらい、そういうものから無縁です。

そのことは、「金持ちになろうとする者は、誘惑、罠、無分別で有害なさまざまの欲望に陥ります。その欲望が、人を滅亡と破滅に陥れます。金銭の欲は、すべての悪の根です。」(9節)と書かれていることからも分かります。

誤解がないように申し上げておきますが、この個所でパウロは金持ちになることが悪いと言っているのではありません。誘惑や罠や欲望に陥る、または陥りやすくなると言っているだけです。どんな誘惑にも罠にも欲望にも陥らない強靭な心をもっていると言える人であれば、その人はある意味で、お金持ちになっても構わないのです。

しかし、それほど強い人は存在しない、ということもパウロは考えているようでもあります。そして、そのことは、教会の牧師、伝道者も同じであるとパウロは考えています。

というか、そもそもパウロが書いていること自体は、教会の牧師、伝道者の話です。教会の牧師がお金持ちになろうとするということがあるとしたら、それは教会員の献金を当てにした話にならざるをえませんので、それが何を意味するのかということは、よく考えなくてはならないことです。

教会の献金によって教会の牧師、伝道者の生活が支えられていたのは、今に始まったことではありません。二千年前の教会から始まっていることです。そして、今日の個所に書かれていることを読むかぎりで分かることは、二千年前の教会から牧師の生活にはお金の苦労が伴うものだったらしい、ということです。

以前、朝の礼拝でお話ししたことがありますが、パウロはかつて結婚していた可能性があります。その根拠になる聖書個所があります。「わたしたちには、他の使徒たちや主の兄弟たちやケファのように、信者である妻を連れて歩く権利がないのですか」(コリント一9・5)。

この個所にパウロが「私にも妻がいた」と書いているわけではありません。しかし、他の伝道者たちのように自分の妻を連れて歩く権利が、わたしたちにはないのか、と言っていることは間違いありませんので、古代教会以来の解釈として、パウロには過去に妻がいたが、伝道旅行に連れ歩くことになるのを避けて別れたのだ、というふうな理解の仕方があるのです。

実際それは、よく分かる話でもあるわけです。結婚すれば、子どもが生まれたり、家族が増えたりします。牧師一人の生活と活動ならば教会は支えることができる。しかし、家族は別であるという話になることもありえます。パウロにも人に言えない苦労があったのではないかと思うのです。

しかし、いま申し上げていることは、私が言っていることではありませんので、あしからず。今日の個所でパウロは何を言おうとしているのかを考えてみているだけです。

私自身は、結婚しました。子どももいます。そのことを悪かったと後悔したことは一度もありません。

私にとって家族はかけがえのない存在です。結婚や出産や子育てが「伝道」にとってマイナスだと考えたことは一度もありません。むしろプラスではないでしょうか。

それに、日本だけではないと思いますが、今の教会は牧師が結婚することや子どもがいることを、むしろ積極的に奨励する方向にあるのではないでしょうか。いつまでも独身のままの牧師がいると、「早く結婚しろ、結婚しろ」と周りから催促されるほどではないでしょうか。

お金の苦労だとか、結婚や子育ての苦労だとかいうのは、あまりにも人間くさすぎて、神に仕える者としてふさわしくないという話になるのでしょうか。そうかもしれません。

しかし、少なくとも、話のタネにはなります。町の人たちと仲良くなれます。「ああ、なんだ、我々と同じなんだ」と思ってもらえます。PTAの仲間に加えてもらえるチャンスもあります。教会の敷居を低く感じてもらえ、親しみを感じてもらえます。それも「伝道」ではないでしょうか。

そのように、私は自分に都合よく解釈しています。

(2013年8月25日、松戸小金原教会主日夕拝)

2013年8月25日日曜日

教会と国家の関係についての捉え方の違い

話を単純化しすぎかもしれませんが、

20世紀ドイツの(健全な)神学の課題が

「ナチス国家との対峙」にあったとすれば、

20世紀オランダの(健全な)神学の課題は

「ナチスの蹂躙からの自国の解放」にあったと、

ぼくはとらえてきました。

目標は同じであるようでもあり、

違うようでもあります。

20世紀オランダの(健全な)神学にあるのは、

「国家=悪」VS「教会=善」

という構図ではなく、

「国家にいくらか寄り添い、助ける教会」

という構図だと思います。

また話を単純化しすぎかもしれませんが、

そこにあるのは

「預言者的」というよりは「祭司的」な何かです。

「甘い!」とか「権力志向だ!」とか

批判されてしまうかもしれませんが、

「けんか腰では伝道はできない」と、ぼくは思うので、

その種の批判は、

理解できる面があることを十分に感じながらも

やや甘受する姿勢で

進んで行こうと考えています。

「甘くて」すみません。

2013年8月24日土曜日

夏休み、終了しました

えっと、ぼく

今日で夏休みが終わりました。

明日から通常モードに戻ります。

何もしなかったようでもありますが、

多くの収穫があった夏休みでした。

たったの一週間、

何も変わってないようでもありますが、

ぼく的には

過激に、飛躍的に、前進した

夏休みでした。

ありがとうございました。

2013年8月19日月曜日

夏期休暇中のご挨拶とお断りです

ネットつながりのお友達のみなさま

残暑お見舞い申し上げます。

立秋をすぎたとはいえ連日の猛暑の中、いかがおすごしでしょうか。

えっと、ぼくは今週(8月18日~24日)、夏期休暇中です。

本来なら、という言い方はおかしいかもしれませんが、

メールやブログやFacebookやTwitterも休むべきかもしれませんが、

まあ、ぼくの場合、メールもブログもFacebookもTwitterも

どこまでが仕事で、どこからは仕事でないかの区別が難しい状態ですので

閉じたり開いたりしています。

でも、これまた、ぼくの場合ですが、

メールやFacebookのメッセージに返信することや、

Facebookのお友達の書き込みやぼくの書き込みへのコメントへの返信に

「いいね!」を押すことについては、

毎回、細心の注意を払い、神経をすりへらしながら行なっていますので、

(身も心もガクガクブルブルふるわせながら、ポチッと)

これらに関しては、休ませていただくことになるかもしれません。

ですから、今週のぼくは、

どなたの書き込みにも「いいね!」を押さないかもしれませんし、

(押すかもしれません)

メールやFacebookのメッセージやコメントに返信しないかもしれませんが

(返信するかもしれません)

「あ、そーいえば、あいつは休暇中だったな」ということで、

お見逃しいただけますと幸いです。

パソコンそのものも、

スイッチを切っているかもしれませんし、

つけっぱなしかもしれません。

というわけで、

苦しい言い訳ばかりの「残暑お見舞い」になりましたが、

皆さまのご多幸をお祈り申し上げて、筆を擱きます。

それでは、また。

主の2013年8月19日

関口 康

2013年8月9日金曜日

「スマホ後の教会」はどうなるか

(IT!おまえはどこへ)久多良木氏「スマホ後の世界」(朝日新聞デジタル、2013年8月8日)

http://www.asahi.com/business/update/0807/TKY201308070342.html?ref=reca


興味深く読みました。後半も(無料で読めるところまで)読みました。

ぼくの関心はどうしても、「スマホ後の教会」はどうなるか、ということです。

教会に対するネットの「甚大な」影響が明白であることは、そろそろ認めましょう。

ネガティヴな面ばかりであるはずがない。十分に有効活用されています。

「仮想世界」とも、もはや言いがたい。

十分にリアルな言葉が取り交わされています。

一度も会ったことがなく、声を聞いたこともないのに、

お互いの性格や人柄をすでによく知り合ってもいると思う。

嫌なこともあり、致命的な対立に陥ることもあるけど、

顔と名前を出している以上、「絶交」は回避したいという心理も働く。

十分にリアルではありませんか。

ネットで伝道するつもりはないと、以前書きました。

しかし、Facebookに移行してからは、少し方向が変わってきました。

現実に人が教会を訪ねてくださるようになりました。

「メーリングリスト参加してます」

「メールマガジン購読してます」

「ブログ読みました」

を理由に教会に足を運んでくださる人は、ぼくには一人もいませんでしたが、

Facebookは違います。

「ホームページ見ました」

ということで教会に来てくださる方は多いですが、

地図や集会案内を調べるためにご覧になっただけです。

しかし、Facebookは違います。

めっちゃリアルです。

「信頼」のようなものを感じて、足を運んでくださる方が増えてきました。

「スマホ後の教会」、どうなるのでしょうか。将来が楽しみです。