2013年7月27日土曜日
論文、完成しました
かれこれ一年くらい前から大騒ぎしてきた論文が、今朝やっと完成し、編集の方にお送りしました。
初めての投稿先です。しかし、ぼくからの持ち込み原稿ではなく、先方からオファーをいただきました。
神学部や神学校の紀要ではなく、一般向けの学術誌です。
ひとつ肩の荷がおりて、地味にほっとしています。
2013年7月25日木曜日
目標(ゴール)が定まれば、「逆算」が可能になる
予備校講師の「いつやるの?今でしょ!」もそうですが
他の学習塾・予備校の同種のCMも、その主旨は「逆算」でしたよね。
目標(ゴール)または目的(パーパス)が定まれば
そこから「逆算」して、いまやらねばならないことは何かが分かる。
ぼくの話で恐縮ですけどね、
時々「ぶれないやつだ(良くも悪しくも)」と言ってもらえたりするのは
目標(ゴール)だけは(「だけは」ね)はっきりしているからです。
ぼくの目標(ゴール)は
「○○○・○○○○著作集の出版」、じゃないですよ。それは手段。
でも、抽象的なことではないです。
「抽象的」とか言うと怒られるかもしれませんが
「一千万救霊!」とかいう感じのスローガンやイデオロギーではない。
「どうせ最後は天国だ」みたいな、途中のプロセスをすっとばかした話でもない。
もっと身近で、実現可能なことです。でも、自己目的的なことではない。
目標(ゴール)が定まれば、「逆算」が可能になる。
それは、ほんとのことですよ。「今でしょ!」の兄さんの言うとおりだ。
2013年7月24日水曜日
ぼくの意図の中心は「いかにカネを使わずに政治に関与するか」です
ブログにぼくが
「職業的政治家と、共依存の関係にある資産家たち『よりも』幸せな生き方を提示すること」
と書いたことについて、
「でも、それって政治的無関心を援護し助長しませんか?」
とご質問をいただきましたので、下記のようにお応えしました。
「答えになっていない」と思われるかもしれない内容であることは自覚しておりますが、
“言葉を濁している”結果であると申し上げておきます。
----------------------------------------------------
擁護も助長もしません。
言葉を選びながら書きますが、
「職業的政治家」と「共依存の関係にある資産家たち」とぼくが書いているとき、
今の与党関係者だけのことを考えていません。
与党に対する永遠のアンチであることを「職業」とする人たちのことも含めています。
「不安ビジネス」のようなもので人やカネを集めようとする人たちのことも含めています。
これ以上のことは今は書かないでおきますが、
「政治的関心」を煽るビジネスもあるので、
そういうのにも気をつけなければ丸裸にされてしまうと、ぼくは考えています。
しかし、先生がお書きくださったような疑問は、ぼくも自分で文章を書いているときから、
「出てくるだろうな」と予想していましたので「やっぱり出たか」という気持ちです。
ありがとうございます。
話は飛躍しますが、
ぼくはファン・ルーラーという神学者が語った命題、
「共産主義はキリスト教よりもブルジョア的である」を、
おかしくて腹を抱えながら受け容れているものです。
共産党をことさらに敵視する意図はぼくにはありませんが、
左翼は左翼で「左翼ビジネス」のようなものがあるのだと思っています。
教会は例外だと言いたいのではありません。
教会だってすぐにでも
「不安ビジネス」「救済ビジネス」「結婚式ビジネス」「葬式ビジネス」をやりはじめます。
「何が悪いんだよ」と開き直る向きも少なからずあるのかもしれませんが、
やってることは「彼ら」と同じだという自覚があるかどうかで、
救いようがあるかどうかが決まるのだと思います。
そして、ぼくが言いたかったことの最初からの最も重要なポイントは
「政治のシロウトである者たちは、いかにカネを使わずに政治に関与するか」であり、
「人とカネを使って権力を掌握する『よりも』幸せな生き方があることを、どうしたら提示しうるか」
ということにあります。
「そんなのは無い」と言ってしまった時点で、我々の負けです。
「ある」と言い続けなくちゃ、希望も救いもありません。
「職業的政治家と、共依存の関係にある資産家たち『よりも』幸せな生き方を提示すること」
と書いたことについて、
「でも、それって政治的無関心を援護し助長しませんか?」
とご質問をいただきましたので、下記のようにお応えしました。
「答えになっていない」と思われるかもしれない内容であることは自覚しておりますが、
“言葉を濁している”結果であると申し上げておきます。
----------------------------------------------------
擁護も助長もしません。
言葉を選びながら書きますが、
「職業的政治家」と「共依存の関係にある資産家たち」とぼくが書いているとき、
今の与党関係者だけのことを考えていません。
与党に対する永遠のアンチであることを「職業」とする人たちのことも含めています。
「不安ビジネス」のようなもので人やカネを集めようとする人たちのことも含めています。
これ以上のことは今は書かないでおきますが、
「政治的関心」を煽るビジネスもあるので、
そういうのにも気をつけなければ丸裸にされてしまうと、ぼくは考えています。
しかし、先生がお書きくださったような疑問は、ぼくも自分で文章を書いているときから、
「出てくるだろうな」と予想していましたので「やっぱり出たか」という気持ちです。
ありがとうございます。
話は飛躍しますが、
ぼくはファン・ルーラーという神学者が語った命題、
「共産主義はキリスト教よりもブルジョア的である」を、
おかしくて腹を抱えながら受け容れているものです。
共産党をことさらに敵視する意図はぼくにはありませんが、
左翼は左翼で「左翼ビジネス」のようなものがあるのだと思っています。
教会は例外だと言いたいのではありません。
教会だってすぐにでも
「不安ビジネス」「救済ビジネス」「結婚式ビジネス」「葬式ビジネス」をやりはじめます。
「何が悪いんだよ」と開き直る向きも少なからずあるのかもしれませんが、
やってることは「彼ら」と同じだという自覚があるかどうかで、
救いようがあるかどうかが決まるのだと思います。
そして、ぼくが言いたかったことの最初からの最も重要なポイントは
「政治のシロウトである者たちは、いかにカネを使わずに政治に関与するか」であり、
「人とカネを使って権力を掌握する『よりも』幸せな生き方があることを、どうしたら提示しうるか」
ということにあります。
「そんなのは無い」と言ってしまった時点で、我々の負けです。
「ある」と言い続けなくちゃ、希望も救いもありません。
2013年7月23日火曜日
職業的政治家と、共依存の関係にある資産家たち「よりも」幸せな生き方を提示すること
「国民主権」であるとはいえ、ぼくらが政治のシロウトであることは間違いないわけで、
職業的政治家とがっぷり四つに組んだら負ける。
そのために注ぎ込む人とカネの使い方が違うわけですし。
だったら直接対峙したりすべきでない。
職業的政治家と、共依存の関係にある資産家たち「よりも」幸せな生き方を提示すること。
それだけが突破口ではないだろうかと、夜遅い時間に考えこんでいました。
学校が夏休みに入り、デカイ子どもがうちにいることは、親としてはちょっと安心だったりします。
早起きして朝食作ったりしてやらなくて済むし。
そういう精神的余裕からでしょうか、家の中の片付けもわりとできる。
あ、でも、今朝は掃除はりきりすぎて、もう疲れちゃった。すぐバッテリー切れるスマホみたいだ。
ぽんこつ47歳。ぼくはガラケーですけどね。
今日の午後は「東関東中会設立10周年委員会」(於 船橋高根教会)に出席してきました。
伝道の熱情がわき上がりました。
2013年7月22日月曜日
キーワードは「嫉妬」です
パウロっぽい考え方をするとしたら、
「おれの身内」を回心させるために「よそさま」に伝道する、
というわけですよね。
そうすれば、
やがては「おれの身内」が「よそさま」の姿を見る日が来るだろう。
そのとき、「おれの身内」は、自分と「よそさま」を比較するだろう。
そして、必ずや「よそさま」に対して「嫉妬」を抱くだろう。
で。
話は飛躍するし、ぴったり合っている話でもないのですが、
「おれの身内」を本気で回心させたければ、
その人たちの目から見たぼくの姿が、
「嫉妬」をもってしか見られないようなものになっていなきゃね、と思う。
ちっとも幸せそうでないぼくが、だれを回心させることができるんだろ、と思う。
「批判」なんかいくらしても、日本は変わらないですよね。
「嫉妬」させなきゃ。
今夜は「肉にら炒め」を作りました
「肉にら炒め」~\(^o^)/
もやし多めだけど、ナスも入ってるよ。
一人一個ずつコロッケ付き~。
オールスター(主演 大谷翔平くん)と
月9「SUMMER NUDE」(主演 山P)を観ながら
ウトウトしてました。
もう疲れたよパトラッシュ...
ぼくが「日本にキリスト教政党を」と主張しているときに考えていること
ぼくは歴史的な意味での「共産主義者」になることはできません。しかし、だからといって資本主義者であるわけでもありません。
プロテスタントの人はまるで自動的に資本主義者になってしまうかのように描かれた「あの歴史観」は、端的に作り話だと思っていますし、迷惑な話だと思っています。
ぼくが「日本にキリスト教政党を」ということを口にする場合に考えていることは大きく分けて次の二つです。
第一は、対社会的な面において、「神道政治連盟」と「公明党」と「幸福実現どうたら」など諸々の新興宗教政党を拒否するための方便です。
第二は、対教会的な面において、「教会は政治にかかわるべきではない」と言い出す人たちへの牽制と、「教会の理想と共産主義の理想は一致する」と躊躇も葛藤も臆面もなくストレートに結び付けることができる人たちへの牽制です。
字にしてしまうと身も蓋もない話になってしまいますが、まあ、そういうことです。
プロテスタントの人はまるで自動的に資本主義者になってしまうかのように描かれた「あの歴史観」は、端的に作り話だと思っていますし、迷惑な話だと思っています。
ぼくが「日本にキリスト教政党を」ということを口にする場合に考えていることは大きく分けて次の二つです。
第一は、対社会的な面において、「神道政治連盟」と「公明党」と「幸福実現どうたら」など諸々の新興宗教政党を拒否するための方便です。
第二は、対教会的な面において、「教会は政治にかかわるべきではない」と言い出す人たちへの牽制と、「教会の理想と共産主義の理想は一致する」と躊躇も葛藤も臆面もなくストレートに結び付けることができる人たちへの牽制です。
字にしてしまうと身も蓋もない話になってしまいますが、まあ、そういうことです。
「クリスチャンなのに、なぜ?」と地味に問われた選挙だった気がします
「長浜博行さん」(選挙区)と「ツルネン・マルテイさん」(比例代表)に投票しましたとTwitterに流したら、さっそくフォロワーが減りはじめました。
いっそ、どんどん減ってほしいです。
宗教と政治(と野球)の話題は、日本では「ビジネスマナー違反」だそうですから、つまりは、ぼくの存在そのものが「ビジネスマナー違反」なわけです(これ既出ネタです)。
一票(まあ二票ですが)の重みというものは「あるのだあるのだ」と自分に言い聞かせながら投票所に行きました。
言っておきますが、ぼくたちの投票は、べつに「宝くじ」とか「馬券」とかじゃありませんからね。自分が支持した候補者が結果として負けたとしても、ぼくらの票が無駄になったわけではありません。
日本には「まだ」キリスト教政党は存在しません。
しかし、そういうのを生み出していく努力は必要だと思っています、たとえ実現は一、二世紀あとになるかもしれないとしても、です。
そしてその場合、ぼくにとっての問題は、
「政党」は既成現実に対するアンチという動機だけでも十分機能しうるものだと思うのですが、
「宗教」というか「キリスト教」はそうは行かない、ということです。
既成現実に対するアンチだけを純粋な動機として立っているような「キリスト教」を、ぼくは想像することすらできません。
その意味では、ぼくは「新カルヴァン主義者」、いえ、「カルヴァン主義者」なのでしょう。
目的のために手段を選ばない、というタイプの賭けごとをすることに対して、非常に慎重な気持ちに「ならざるをえません」。
「連帯」は大事だと思っています。ただ、その「連帯」にしろ「妥協」にしろ「程度問題」であると、ぼくには思えるということです。ぼくが不器用なだけかもしれません。
実はぼく、昨夜から今朝にかけてのネット言論をチラ見しながら、プチギレ(petit-gire)しかかっているんです。
ぼくが見ている範囲が狭いだけかもしれませんが、比較的若い世代の人文系(社会学とか政治学とか)の学者たちが「自民圧勝」の結果に失望して一種の「断筆宣言」まがいのことを書き散らしはじめています。
そういうの見ると、イヤだなあと心底がっかりするわけです。
自分の脳内ででっちあげた「論理」が「現実」に敗れただけのことだろーが、と言いたくなる。
あんたたち(人文系の学者)の仕事は、これからなんじゃないの?と言いたいです。
あと、高見の見物をしていたつもりは全くないですが、
ぼくが興味深く見守っていたのは、
今回の選挙で図らずも浮上してきた(とぼくには見えた)、マスコミが取り上げることはありえないけど、実は非常に深刻な(とぼくには思えた)「二つの問いかけ」です。
その二つに共通していたのは「クリスチャンなのに、なぜ?」という点でした。
書かずもがなかもしれませんが、一応書いておきます。
一方の問いは「石破さんはクリスチャンなのに、なぜあーなの?」で、
他方の問いは「クリスチャンなのに、なぜ共産党支持?」です。
信教の自由が保障されていないなら地下に潜ればいい
えっと、べつに選挙で疲れたわけではなくて、
(だって疲れるようなことやってないもん。紙を二枚、箱に入れただけだし)、
通常の日曜日の仕事で疲れましたので、そろそろ休みたいと思いますが、
最後に一言。
10年くらい前にぼくがあるところに書いた文章に、
ぼくより少し年上の友人が、
愛情をもって「憤怒」してくれたことがあります。
それは、ぼくが
「信教の自由が保障されているから教会活動ができる」という旨を書いたからです。
彼は「そんなことはないよ」と、キレ気味に言いました。
「信教の自由が保障されていないなら地下に潜ればいい。それだけのことだよ。」
正直言えば、当時(10年くらい前)は、彼の言い分にぼくは納得できませんでした。
ですが、今は違いますね。かなり理解できているような気がします。
まあ「地下」って言っても、今、それほどの暗黒の地底でもないですしね(笑)。
グーグルプラス・ハングアウトのビデオ通話って「地下活動」ですかね(笑)。
教会の宣教の課題としての「日本のキリスト教化」という観点からいえば、
今次の選挙で「元の黙阿弥」なんかにはゼッタイなっていませんからね!
それだけは言っておきますよ。
2013年7月21日日曜日
今回ぼくは「妥協」はできませんでした
選挙区のほうは「長浜博行」さんで、
比例代表のほうは「ツルネン・マルテイ」さんと書きました。
まあ、ぼくのネットつながりのお友達にはいろんな方がいてくださるので、
政治に関して「差しさわりのないことを書くのは不可能」な状態なのですが
ぼくは「それでも、いま民主党に倒れてもらったら困る」という線です。
第二次大戦後のオランダで「バルト主義者」と「新カルヴァン主義者」が激突した
状況を想起していました。
ファシズム反対では一致していました。しかし、
「バルト主義者」は労働党(共産党と同等)支持を呼びかけましたが、
「新カルヴァン主義者」はキリスト教政党支持を呼びかけました。
今次の選挙前にブログ等で「妥協」(Kompromiss)云々と書いていたことで
最後まで悩んでいたのは、
「ぼくは共産党を支持しうるか」という問題でした。
結果、「妥協」はできませんでした。
しかし、次回は分かりません。
民主党が消滅したら、共産党に投票「せざるをえない」かもしれません。
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