2013年1月18日金曜日

初めての夏期伝道実習のときの説教原稿が発掘されました

ぼくの書斎の本棚から、とんでもないものが発掘されました。

生まれて初めての「夏期伝道実習」のときの説教原稿(手書き)です。当時、東京神学大学3年生。



ぼくはちょうどハタチ。今から26年前、1986年(昭和61年)8月24日、日本基督教団宍喰教会の主日礼拝でおこなった説教です。

その教会は、徳島県の最南端に位置する宍喰町(現在「徳島県海陽町」)にあります。

ワープロもパソコンも高根の花だった時代の手書き原稿でした。牧師になってからも高知県高知市を皮切りに、高知県南国市、福岡県北九州市、兵庫県神戸市、山梨県甲府市、山梨県中巨摩郡敷島町(現在「甲斐市」)、そして現在の千葉県松戸市と、転居を繰り返しましたので、どさくさの中で、こんな原稿はとっくの昔に失われていると思っていました。

このたびブログ公開する理由は、自分の過去の説教(しかも神学生時代の説教)を「良い」と思っているからではありません。いくらなんでも、それだけは無いです。ありえない。

そういう自画自賛のたぐいとはちょうど正反対の理由です。このような説教は、今のぼくなら決してしません。それだけは断言できます。強い自戒と反省をこめての公開です。

(1)今なら決して用いない語や言い回しが繰り返し出てきます。
(2)一回の説教としてはあまりにも長大で饒舌すぎます(今の約二倍です)。
(3)比喩が幼稚すぎます。テレビやマンガを見すぎです。
(4)誤字もそのまま転記しておきました。

改めて読み直してみて、うわあ、こんなにひどかったのかと、恥ずかしすぎて、顔から火が噴き出ました。この翌年、加藤常昭教授から「キミの説教は下品だね」と言われたことの意味が今さらながらよく分かりました。

しかし、過去の恥を自分でさらすのは、人にさらされるよりは、気楽なことです。過去のぼくもぼくであることには違いないので、なかったことにすることはできません。責任はあります。

そして、夏期伝道実習そのものは、とても楽しい思い出でした。宍喰教会の皆さまに大変お世話になりました。本当にありがとうございました!

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東京神学大学夏期伝道実習説教

(1986年8月24日、日本基督教団宍喰教会主日礼拝)

「取税人ザアカイ」

ルカによる福音書19・1~10

関口 康

「さて、イエスはエリコにはいって、その町をお通りになった。ところが、そこにザアカイという名の人がいた。この人は取税人のかしらで、金持であった。彼は、イエスがどんな人か見たいと思っていたが、背が低かったので、群衆にさえぎられて見ることができなかった。それでイエスを見るために、前の方に走って行って、いちじく桑の木に登った。そこを通られるところだったからである。イエスは、その場所にこられたとき、主を見上げて言われた。『ザアカイよ、急いで下りてきなさい。きょう、あなたの家に泊まることにしているから』。そこでザアカイは急いでおりてきて、よろこんでイエスを迎え入れた。人々はみな、これを見てつぶやき、『彼は罪人の家にはいって客となった』と言った。ザアカイは立って主に言った。『主よ、わたしは誓って自分の財産の半分を貧民に施します。また、もしだれかから不正な取立てをしていましたら、それを四倍にして返します』。イエスは彼に言われた。『きょう、救がこの家にきた。この人もアブラハムの子なのだから。人の子がきたのは、失われたものを尋ね出して救うためである』」(口語訳)。

私が生まれてはじめて訪れたこの宍喰の町での教会奉仕も今日が最終日ということになりました。みなさまのお祈りと励ましによって44日間という日程を全うすることができましたことを心より感謝いたします。

この教会に与えられている大きな使命、数え切れないほど多くの問題について、今ひとたび思いかえすのですが、やはりどうして私のような大任にふさわしからざる小さく愚かしい者を神様がお遣わしになられたのかということは、不思議でなりません。

私のような人生経験のまずしい者が、今まで学んできたこと、今まで生きてきた歩み、考えてきたこと、感じてきたことを全部語りつくしてしまったところで、みなさんにとってはすでによく知っておられることでありまして、わざわざ私の口からして語るに及ばないことに過ぎないと思うのです。

しかし、そうはいいましても、またよくよく思いかえしてみるに、では私のようなものがどうして神学大学などで学んでいるのだろうか、将来伝道者として立たせていただこうとしているのだろうか、ということになると、ますます疑問なのであります。何かおまえに牧師になる資質でもあったから、神様はおまえを選んだとでもいうのか。いや全くそうではなかったのです。

ある世界的に有名な、今日のキリスト教会に大きな影響を与えた牧師先生がこう言ったそうです。「わしがどんなに罪が深くたって、牧師でおれるなどということは、こりゃ何としても合点のいかない恵みですわい」。偉大な牧師先生でさえこのように言われるのですから、私などはほんとに神様の恵みによるほか何もないといえます。

だからして、私はこの夏期伝道においても、私のようなバカ者でさえ選んで下さる神様の大いなる恵み以外語ることを知らないのであります。どんな者をも包みこむ神様の恵みの豊かさ、ただそれだけを今まで語らせていただいてきたつもりです。今日は最後ということで、今までの総まとめ、おさらいをするつもりで聞いていただきたいと思います。

とにかく同じことばかり語ってきたのです。すばらしい説教は何度聞いても心をうたれる、といいますが、未熟な私にはそんな芸当はできません。ただ1つのことを知っていただくほかないのです。私にはそれしかできませんでした。

友達がおもしろいことを言ってくれました。「聖書って金太郎あめみたいだね。どこで切っても、どこを読んでも同じようなことばっかり書いてある。つまらないけど、でもおもしろいね」。私の説教も、きっと金太郎あめみたいだったでしょう。でも、もしそれが聖書的だったとしたら光栄です。これからも金太郎あめのように生きていかれたらと思います。

今日共に開いた聖書の箇所も、結論は、いつもどおり「神、罪人を救いたもう」であります。大変有名な「取税人ザアカイ」の物語であります。教会学校や保育所の子供たちもよく知っているザアカイさんのお話です。わたしたちも今ひとたび、幼子のようになって、神様の救いの恵みについて学びたいと思います。

取税人とは、ローマのためにユダヤの人々から税金をとりたてる人です。ユダヤの人たちから大変きらわれていました。私たちでも税務所ときくと、どうも苦手であるように思います。あまり裕福でない人にとっては税務所が悪魔のように見えたりします。社会のため、国のため、よいことのためと言われても、やはりあまりイイ気がしません。

しかし、このイエス様の時代の人たちがザアカイたち取税人を見るときの感情は、私たちの税務所に対するものと、ちょっと違う性質をもっていました。それというのも、その時代、ユダヤはローマの属州でありました。ユダヤの人たちはローマ帝国の支配下にあって、大変苦しい、辛い目にあっていました。亡国のうき目にあって精神的にも肉体的にも絶望のどん底にありました。その中にあってザアカイたち取税人は、ローマ帝国のために納める税金を、その苦しんでいたユダヤ人たちから取りたてて、ついでにその手数料を高くとって、それで生活している人たちだったのです。

それも、ザアカイは正真正銘、きっすいのユダヤ人でありました。ザアカイという名前は、純粋なイスラエルの名前で、意味も「純粋」というのですから、純くんだか、純一郎くんだか、そのようなものでした。それにもかかわらず、苦しんでいる貧しいユダヤ人を裏切るかのようにして、うらめしい手数料によって富めるユダヤ人であったのです。ローマ帝国に対するユダヤ人のうらみつらみが、最も極度の形で、彼ら取税人に向かっていくのは当然のなりゆきともいえるでしょう。

特にザアカイ、純一郎くんは、取税人のかしらでありました。もっとも財力のある、もっとも大金持ちの、それゆえ、最もうらめしい対象であったわけです。「われわれは苦しんでいる。けれどもユダヤ人であること、神様がわれわれを選んでくださった約束をひとときも忘れたことはない。だけど、あの取税人ザアカイの野郎は何だ。あいつは売国奴だ、裏切り者だ、ひきょう者だ」と思われていたにちがいないのです。

ローマの属州となってしまっている以上、税金をとり上げられることはさけることができませんでした。ユダヤ人たちが何と考えようと、現実はそうでした。

そして、その税金を集める役をだれかがしなければならなかったのです。憎まれ役を誰かが引き受けなければならなかったのです。ユダヤ人としての誇りをもっている人なら、最初からそのような憎まれることがわかり切っているような役を好んでひきうけたはずはないのです。最初からしたくてしたくてたまらなかったわけではないのです。イヤイヤながらはじめたのです。自分をこのような目にあわせたローマ帝国をうらみつつ、ユダヤ人には申しわけないと思いつつ、小さくなりながらはじめたのです。

しかしながら、人間の成金根性といいましょうか、お金の誘惑に対する弱さといいましょうか、次第に自分の立場に誇りをもちはじめ、ほんとにきらわれようが、1人ぼっちになろうが、村八分にされようが、しかたないほどの取り立てをはじめてしまったのです。

いったん信用をうしなったらそれをとりもどすまで最低10年はかかるといわれています。しかしそれも、努力してとりもどそうとしたらの話です。ザアカイの場合、裏切り者として見離され、なお続けて税金のとりたてをしているのですから、2度と見直されることはないことは確実だったのです。そして、それが確実になった以上、共同体から離れて1人で生きていくことに生きがいを見出すほかに生きる道はなかったのです。ザアカイの場合、お金が唯一の生きがいであり、慰めであったのです。

ユダヤ人はもはや誰も私のほうを見向きもしない。しかし、お金は私の思い通りに働いてくれる。私のために光り輝いてくれるという思いだけで、ザアカイは生きていたのです。ザアカイはそのようなものすごい自己分裂の中にいたといってよいでしょう。

ザアカイの内面的葛藤をよくよく理解することもなく、ユダヤ宗教共同体は、彼を罪人として追放しました。お宮では、まじめで信仰深い人たちが取税人を指さして「この取税人のような人間でないことを感謝します」と祈るようになりました。

教育ママが、自分の子供を教育するとき、ぐうたらでできそこないの自分の夫を指さして、「あなたはあんなパパのようにだけは、ならないでちょうだいね。ああいうふうにはなりたくないわねえ」というような具合、ちょうど同じような言われ方を、取税人たちがされていたのだ、と考えればいいと思います。

いや、そんな軽いものではなかったかもしれません。宗教的な群が自分たちの憎むべき相手に対抗する場合、神様の永遠の裁きを願い求めるのです。「あの男はわれわれの神様を捨てたのだ。どうか、あの男を滅ぼしたまえ」と祈られるのです。宗教的に断罪されるということは、究極的で最も根深い、のろわれ方であるのです。人間にとって生き地獄。ものすごい崖っぷちからつきおとされるかのごとく、激烈な絶望の中にたたきこまれるのです。

そのような中に、ザアカイはいたのです。彼にとって、何が慰めとなるというのでしょうか。何が楽しくて生きているというのでしょうか。話し相手も、仲間も、冗談言って笑う友人もいないところで、自分に運命的に与えられた仕事に埋没して、金でももうけている以外、どこに慰めがあるというのでしょうか。

そうです。誰が彼の金もうけを責めたてることができるというのでしょうか。ローマ帝国の支配下にあったのです。自由など何一つ許されない奴隷なのです。いくら正義とはなんだ、律法に絶対そむいてはならないのだ、と確信していることがあっても、それだけをただふりまわしても、現実を現実として生きる段になりますと、そんなことそっちのけで、精一杯、日ごとの糧とひとすくいの生きがいを、とにかく求めなければ生きていけないのです。あいつが悪い、あいつが間違っているという前に、自分たちのまわりの現実に対してもっと忠実になるべきでありますし、その間違っている相手のまわりにある現実を理解しなければならないのです。

ただ、ひとたびユダヤ人の立場に立って、ザアカイのほうを見てみますと、今まで言ってきたようにして、ザアカイのかたもちばかりをしていられなくなるのです。

ザアカイが苦しんでいる貧しいユダヤ人たちから高額の手数料をとって苦しめていたのは厳然たる事実です。いくらわたしたちが非行少年を見るとき、いくらその家庭環境が悪かったの、友達が悪かっだの、ついちょっとという気持ちは誰にでもあるのだからしかたないだとか、人道主義的に同情をよせてみても、彼の行った非行の事実はかくれてしまったりするものではないのと同じです。

私たち説教者がこの説教壇からまちがったことをいってしまって人をつまずかせてしまったときでも、いくらまだ先生は若いからとか、だれでもまちがいの一つや二つはあるもんだとか慰められたところで、その人がつまずいてしまったという事実は全く変わりなく残るというのと同じです。ザアカイは何としても弱い人を苦しめていたことには変わりがないことは認めざるを得ないのです。

では、やはりザアカイはイスラエル共同体から追い出され、憎まれてもしかたがなかったのでしょうか。もともとキリスト教信仰は人道主義とは縁もゆかりもないものなのです。正しいことを正しい、まちがっていることをまちがっているとはっきりということもできないような価値観はもっていません。いくら愛ということを説く宗教であっても、単なる同情心とかなれあいのようなものによって、黒を白としてしまうようなことはしないのです。ザアカイが罪を犯したことは明白なのです。

ではザアカイはいったいどのように裁かれるべきなのでしょうか。ザアカイとユダヤ人たちの前に、ついにイエス様がやってこられました。ひとたびイエス様の判断を仰ごうではありませんか。私たちがどう考えるかは、それからでもいいように思います。

ザアカイはイエス様がどんな人か見たいと思って、とにかくはせさんじました。あ、ザアカイのやつがきた、とユダヤ人たちは思ったにちがいありません。ザアカイは背が低かったとあります。それで集まった群衆にさえぎられたので、イエス様のことがよく見える木の上にのぼったのです。いちじく桑の木はぐねぐねまがっていて足をかけるところがあり、登りやすいのです。上からのぞきこむようにして、下を通るイエス様をながめるのです。

するとイエス様は、その木のちょうど真下にこられた時、真上をみあげられたのです。下からの視線と上からの視線がバチバチとあうのです。「ザアカイよ、急いで下りてきなさい。きょう、あなたの家に泊まることにしているから」。ザアカイは驚いたことでしょう。今まで誰も彼のほうをふりむいてくれた人はいませんでした。彼がいると気づくと、かえって目をそらして、フンとでも鼻であざけ笑われたことでしょう。しかし、イエス様は彼を見上げられたのです。偶然ではありません。あきらかに意志をもって、イエス様はザアカイをぎょうしされたのであります。

そして、ザアカイの家に泊まることにしてある、といわれるのです。人の家にとまって寝食を共にするということがどういう意味をもっているか、わたしたちはよく知っているのです。寝首をかかれるといいますが、全く無防備になるのです。首をかかれようが、頭をなぐられようが、いっさいを信頼し、相手に身をゆだねるのです。日本人がおじぎをするのと同じ意味をもっています。イエス様がザアカイに対してあたかもおじぎをするかのごとく、せまっているのです。しかも全く同時に、威厳をもって、力強くせまっておられるのであります。

そして、ザアカイは急いでおりてきて、よろこんでイエス様を迎え入れたのです。ザアカイは他の誰からも見向きもされないこと、そのことには何ら変わりのない中で、イエス様のほうから、友人として、客として入ってこられることによって、見出されるのであります。イエス様は、取税人を軽蔑する人々が群がっている中で、まさに自分たちこそ正しく、ザアカイこそまちがっていると信じて疑わない人々のまっただ中で、罪人であるザアカイと、彼1人をつかまえて、いのちの交流、心の真実なる交わりをはじめられたのであります。

罪人の赦しというのは、まさにこのような形でもって、わたしたちによろこびを与えるのです。これによってまたイエス様も、ユダヤ人たちから軽蔑され、つき従ってきた人々を落たんさせるにちがいないのです。類は友を呼ぶとかいわれて、イエス様もまた、ああ罪人とつきあうような同類かと、さげすまれるのです。イエス様が罪人の労苦と重荷を共に担おうとされるというのは、まさにこのような仕方でしか表わすことのできないものなのです。

今やザアカイは、イエス様のものであり、イエス様に追い求められ、イエス様に引きよせられ、守られているのであります。

そしてザアカイはかわっていくのです。日本には、三つ子のたましい百までとか、あの家にはゴクアクニンの血が流れているとか、人間とは変わることができない者なのだ、一度罪を犯したものは一生涯、また再び罪を犯すかもしれないという不信のまなざしのもとにおかれ、あいつは昔こうだったから、ということにいつまでもこだわられるのです。しかし聖書は人間というものが変わるものなのだ、神様によって赦しの言葉をうけると変わるのだと教えています。

私たちは、神様の教えの正しさをよく知っておりつつ、それに従うことのできない現実の中にいます。正義とは何か、愛とは内か、真理とは何かということを常日頃から学ぶ機会を与えられ、それをよく知っているのですが、現実の不条理の中で、今ここでやらなければならない仕事の中で、ひきょうといわれようと、さげすまれようと、それを見て見ぬふりをしつつ、策略と、小細工をくりかえしながら、商売をし、うまい世渡りをしてきました。人とつきあっている時でも、顔はにこやかにしてやっている時でも、心の中ではペロッとしたを出して、やりすごすことがままあると思うのです。そうでもしなければ、やっていけない、不条理な世界が、今ここにわたしたちの周りをとりかこんでいるように思えてならないのです。私たちもまたザアカイと同じなのです。ザアカイの罪は、私たちの罪でもあるのです。私たちはザアカイなのです。

イエス様はザアカイの罪を一方的に赦しました。ザアカイは、ただイエス様のところへ来た、たったそれだけのことをしたに過ぎないのです。保育所の紙しばいとか、いろいろな注解者が、ザアカイのイエス様のところにきた動機について、ザアカイは友達がいなくてさびしかったのだろうとか、ザアカイは取税人という罪人の仕事の中にむなしさを感じていたのだろうとか、いろいろな空想をこらしていますけれども、聖書にはただイエスがどんな人か見たいと思っていた、としか書かれていないのです。さびしかったとも空しかったとも書いていないのです。

彼はもしかすると、さびしかったのかもしれませんし、空しかったのかもしれません。けれどもまた、もしかすると、ただ単にイエス様の顔がどんな立派なものなのか、イエス様のことをただ見物しにきたのかもしれないのです。どんな立派な話をするのか聞いてやろうじゃないかと、物見ゆさんで来たかもしれないのです。

結局、とどのつまり、私がもしザアカイだったら、このときこういう状態だったにちがいないという想像にまかせるしかないのです。いや、もっというならば、イエス様のところに来た動機などどうでもいいことのように聖書が黙って語っているのだと思いたいのです。

ただイエス様のところに来た、その一事、それが大切なのです。ザアカイは、イエス様のもとにひざまずいて、あのマルタとマリヤの話のマリヤのごとく、弟子入りのスタイルをとって、おもむいていったわけでもないのです。無礼千万、上から見下(おろ)すように、見下(くだ)すといったら言いすぎでしょうか、そのような状態で、イエス様のところに近づいていったのでした。動機も問わない。方法も問わない。それにもかかわらず、イエス様は、ただ御自分のところに「きた」という罪人ザアカイを一方的に赦したのだ、ということを聖書は言わんとしているのではないでしょうか。

私たちは、このような人が教会に来るということが、どうも苦手なのではないでしょうか。動機が不純、教会にきたはいいけれど、あくびはするは、いねむりはするは、ついでにもともと前科者だというと、かんべんしてくれと言いたくなるのではないでしょうか。しかし、そのような人も、イエス様の下にくることによって、その全くもって一方的な赦しの御言葉をきき、うけ入れることによって、そのような人でさえ変えられていくのだということを、このザアカイ物語は語らんとしているのです。

私たちの教会に最初に訪れたときのことを思い出してみてください。動機は、と聞かれて、何か人にほこることができるようなものをもっている人がいるでしょうか。ただなんとなく、とか、親につれられて、友達にさそわれて、とかいうことで精一杯なのです。

しかし、きてみてはじめて、神様のことを知り、その愛を知り、それから自分自身の罪の深さを知り、そして、それをもまた赦し、受け入れてくださる神様の愛のかぎりなきあわれみと忍耐を信じることができるようになり、神様の約束を信じることができるようになったのでしょう。そして、その喜びの中で隣人にもまた、神様に教えられた愛のあり方によって愛することができるようになってきたのでしょう。

決して一朝一夕にわれわれの生活のあり方がかわるわけではありません。長い年月と苦労が必要でしょう。しかし、赦されたという事実は一瞬の出来事であり、われわれの生活のあり方が何ら変わらない時にも、罪のゆるしの事実もまた変わらずにあるのです。地球が自分自身では何ら光をはなつことはないにもかかわらず、太陽がいっぽうてきにこちらをてらすことによって、その光によって地球が光りはじめるのと同じです。

その何らよいことをしないままのザアカイを、先にイエス様がゆるされたことによって、ザアカイは、あふれる喜びのもとに、貧しい人にほどこしをし、今までしてきた搾取を4倍にしてかえそうという思いにみちびかれたのであります。

神様の豊かな愛を知って、自分自身の貧しさ、愚かさ、罪の深さを知り、もう、神様の赦しの御言葉をきかなければ、この先一歩も歩んでいくことができない。神様の赦しの御言葉、ただそれさえいただくことができれば、私は生きていくことができる。そのような群が、教会であります。

イエス様は十字架の上でいったい何を言われたのか、おもい出して欲しいのです。このルカによる福音書は、こう伝えているのです。「父よ、彼らをおゆるし下さい。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」。

御自分をまさに無実の罪で死刑台に、十字架にかけようとしている人々の罪をゆるして下さいと、イエス様は神様に向かって祈っておられたのです。私たちは、自分自身が何をしているのか、わからずにいるのです。何となく、世間の流れにまかせて、あるいは根拠のない自分の信念にまかせて、生きていって、神の御子を十字架にかけてしまうのです。だから主は、この祈りを祈りつつ、十字架にかけられて、罪の現実を見なさい、これが人間の罪だと、知らしめてくださっているのです。

ほんとに、どんな話でも十字架にくっつけるとか、キリスト教のことをあまりよく思わない人がいいます。それこそ、たしかに金太郎あめのように、いっつも十字架、十字架って言っているのが、キリスト教会です。二千年いいつづけてまいりました。宗教改革者マルティン・ルターの言葉を引用させていただきます。

「平安、平安と呼ぶ神父にわざわいあれ。
 彼の下には十字架しかない。
 十字架、十字架とつぶやく牧師に平安あれ。
 彼はもはや十字架の下にいない。」

わたしたちは、人間の悲惨な現実をあばきだし、それを見せつけることとは全く無縁なのであります。そんなものは教会の目的でもなければ、手段でもありません。そんなものは私たちが日常の生活を真剣に生きようとしていたら、とっくの昔によく知っていることなのであります。自分の愚かさなど、よく知っているのであります。だから、赦しの言葉、ただそれだけが欲しいのです。

私たちは、この宍喰の町で礼拝を守っております。これから教会が成長していくのだという希望を与えられています。そのときに、わたしたちに与えられている一つの大きな課題は、ザアカイをわたしたちはうけ入れていかなければならないのだということなのであります。

今まで私たちのことを、ああキリストかと言って鼻で笑った人、過去において私たちを何かいやな目にあわせた人、感情的にイケスカない人、そのような人たちが何かのきっかけで教会に訪れて礼拝に出席しようという気になったとき、自分もまたザアカイであったのだ、ということを思いかえし、受け入れることができるか、ということ一点にかかっているのです。

できないのかもしれません。この聖書の箇所に、人々がザアカイをうけいれたかどうか何もかたられていません。この答えはみなさんに与えられた宿題なのかもしれません。

私の召命観というもの、伝道者にならせていただこうということの根本には、終始このことがあると思うのです。私のようなものでさえゆるされたのだ。罪がより深いものほど、赦されたときは多く赦されているのだと。その喜びを人にのべつたえようと。(ここで原稿は終わっている。)

2013年1月17日木曜日

丁寧な挨拶

良いことか悪いことか(たぶん良くはない)、ぼくはすっかり近所のコンビニの夜の客になってしまった。

ほぼ毎晩、同じアルバイトのおにいさんがいる。なに聞いてもすぐ答えが返ってくる、アタマの回転の速い人だ。

とにかく何でも素早い。

レジ打ちも速い、おつり渡しも速い、挨拶も速い。

ピ。チャリ。「あざーす!」が、とんとんとんと、三拍子で来る。

近所のガソリンスタンドのおにいさんの挨拶は、「ざ」が抜けて「あーす!」。

これは気が抜ける。ま、お世話になってるので、文句言いたいわけではない。

でも、さっきコンビニ行ったときは、コンビニにいさん、常連客であるぼくに、とても丁寧に挨拶してくれました。

「まざまーす!」

もちろん「毎度ありがとうございます」だ。

とても丁寧でしょ?(笑)

もうひとり、ほぼ毎日レジを打ってもらうスーパーのおにいさんがいる。

彼には悪いけど、毎回イラッとしてしまう。釣り銭を返してくれるときだ。

「はい、ではお釣りを30円お返します(オカエシマス)」と、なぜかいつも言う。

「あ゛?なんでシを省略すんの?」と、毎回胸騒ぎしてしまう。

彼はたった一字で損していると思う。

2013年1月14日月曜日

ブログ生活5周年

また独り言を書き散らす。

ぼくのブログの「舞台裏」を何気なく見ていた。

投稿数が「1080」とか表示されているのに気づいて、のけぞった。

2008年1月1日から始めたブログ。5年経過。

紙の日記なんか3日以上書けたためしがない。そんなやつが5年。

自動車免許を得て乗りはじめたときの感覚に似ているものがある。

ぼくずっと鈍足だし、ボールすらまともに投げれないし、スポーツいまだに苦手だけど、自動車乗ると「性格変わる」タイプ。

ぼくにシャーペンもたせて字を書かせても、400字の原稿用紙一枚いまだにまともに書きあげられない。

だけど、その同じ人間にパソコン与えれば、ブログを5年も飽きずに続けてしまう。投稿数「1080」。

でも、ぼくにはやっぱり本は書けない。本のような書き方も、本のようなまとめ方も、ぼくには無理だと、今さらながら悟れるものがある。

翻訳なら何とかなるかと思って、ぼくはそっち、と心定めてきた、つもり。

翻訳は、著者の陰に隠れることができるので、ラクといえばラク。

だけど、翻訳はフラストレーションはたまる。「ぼくの知りたいことは、こんなことじゃない!」と思ってしまう(笑)。

年末の「キリスト教記者クラブ」のとき、一人の記者さんがおっしゃった。

「このご時世、なんで関口さんは紙の本にこだわるの?」

出版関係の方々の集まりだと思っていたので(事実そうだったはずだが)、少々面食らう質問だった。

なんとなくゴニョゴニョ答えたが、「もういいのかな?(紙の本にこだわらなくても)」と決心を促される勢いも感じた。

ぼくは「功成り名遂げること」には、昔から今まで全く興味がない。そういうのはむしろ、子どもの頃から憎んできた。有名になりたいとか無い。

知らない人は知らないと思うけど、鈍足でスポーツ苦手な人間は、「有名になりたい」という夢は、まず持たないね。世に出たくないもん、むしろ(笑)。

じゃあ何がしたいのかと問われても、いまだに応えられないんだけどね。47歳になっても。

「ブロガー牧師」でしたっけ。それでいいや、もう(投げやり)

2013年1月10日木曜日

カール・バルトを読んでいます

しつこく書いていることだが、最近「カール・バルト」にハマっている。面白すぎて、つい読みふけってしまう。

バルトが導きだす答え(Antwort)に同意しているわけでも承服しているわけでもない。そちらのほうはあんまり面白くない。

面白くて仕方がないのは、彼の視点(Gesichtspunkt)である。ブッと吹き出してしまうこともしばしばだ。

いま読んでいるのがバルトの「初期の」論文だからかもしれない。教会の牧師を辞め、ゲッティンゲン大学やボン大学の神学部で教えはじめた頃の作品だ。

押しても引いても動きゃしない「教会」に手を焼いて、これと言ったことを何もできなかったと痛感し、その挫折感や敗北感に打ちのめされ、そのトラウマを引きずりながら、

はたまた、煮ても焼いても食えやしないと世間から見られている「神学」なるものを内心で恥じつつ、もっていたプライドのすべてをずたずたにされながら、

「それでも言いたいことがある」と悲壮な覚悟と激情をもって書かれた神学論文のように読める。それが面白いのだ。

でも、バルトの言葉にぼく自身が癒されてはならないのだと、自分の胸に言い聞かせながら読んでいる。バルトの文章に、やや過度なまでに「牧師をかばう論理」を感じるのだ。

だからこそ「言いにくいことをぼくの代わりに言ってくれている。がんばれバルト」と背後から応援したくなる。それが彼の文章の面白さでもある。弱い者いじめを受けている人たちをかばってくれる彼の論理には、独特の意味で快感と興奮を伴う要素もある。

だけど、それではダメなのだ。誰かにかばってもらわなくちゃ自分では立てないなんてのは、牧師っぽくないね。

「教会」に手を焼き、「神学」を恥じる。まあ惨めといえば惨め。だけど、そういう厄介なものだからこそ、一生かけてかかわる価値があるとも言える。

二千年の教会史をオレの指先一本で動かせると思うなよ。怪物くんか。

手を焼くもの、恥ずかしいものは、いくらでもある。ぼくは、なによりも、ぼく自身の存在に手を焼いてるし、恥ずかしいもの。

だからね、たぶん真相は、「教会」がぼくに手を焼き、「神学」がぼくを恥じている。そのように自覚すべきなのだと思う。

あ、そうそう。

読書会の本が決定しました。ハインリヒ・ヘッペの『改革派教義学』英語版(Heinrich Heppe, Reformed Dogmatics)は次の機会にして、カール・バルトの『教義学要綱』(井上良雄訳)を読むことにしました。

名称はずばり「カール・バルト研究会」。ただし、「バルト主義者にならないこと」が入会条件。

これはスカイプの話です。初回(明日)は二人だけのスカイプ読書会です。

もっと広げられるといいんですけどね。まあ、そのうちね。

2013年1月3日木曜日

ティリッヒの「受容の受容」は改革派神学においてどのように評価しうるか

なんだかもう、ひたすら脱力した正月を過ごしています。

二度と立ち上がることができないのではないかと思うほどの、腰抜けチャーリー・ブラウンです。

しかし、今日は一通だけ返信メールを書くことができました。ちょうど一週間前の12月27日(木)に受けとったメールのお返事を、今ごろ送っています。遅筆、遅配、お詫びのしようもありません。

メールの送り先がどなたであるかは伏せますが、分かる人には分かってしまうかもしれません。

「パウル・ティリッヒの『受容された受容』という概念は改革派教会の教える予定論とは相容れないのではないか」という旨が書かれていましたので、ぼくなりの意見を述べました。

新年早々「なんじゃこりゃ」な神学議論で申し訳ないのですが、もしかしたら興味を持っていただける方がおられるかもしれませんので、必要な修正を施して公開させていただきます。

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ほにゃらら先生

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

メールをいただき、ありがとうございました。返事を書くよりも、電話でお話しするほうがいいような気がして何度か掛けたのですが、お留守のようでしたので、簡単に書いておきます。微妙なニュアンスは電話のほうが伝わると思うので、また電話します。

パウル・ティリッヒは、ぼくの東京神学大学(学部)の卒業論文のテーマでしたので、わりと読んだほうです。ティリッヒはニューヨーク・ユニオン神学校やハーヴァード大学で教えましたが、元来はドイツ人で、ナチスから逃れてアメリカに亡命した人です。

ティリッヒの本はとても難しくて歯が立たないところが多いのですが、ある視点を持てば「なるほど」と納得できるものがありました。ある視点とは、ティリッヒ自身が明言していることですが、ティリッヒの父親がドイツのルーテル教会の牧師であったことが決定的に影響し、ティリッヒ自身も明確にルター派の信仰を意識した神学を営んでいるということです。

ですから、ティリッヒの「受容の受容」(accept acceptance)は、「このわたしが神に受け容れられているということを、このわたし自身が受け容れること」を意味する言葉ですが、これはルターが強調した信仰義認の教理を哲学的な概念を用いて言い直した言葉であると理解することができます。

もしそうであれば、改革派教会の予定論とも矛盾しないはずです。ルターの信仰義認の教理とカルヴァンの二重予定の教理は、矛盾しないどころか、ルターの教えをカルヴァンが継承発展させたと考えるほうが正しいわけです。

なぜなら、カルヴァンの二重予定の教理は、ルターの「人が救われるのは、行いによってではなく、信仰による」という線を継承しながら、「人がそれによって救われる信仰そのものもまた、神の恩恵である」というアウグスティヌスの線を強化した結果として生まれたものであるととらえることができるからです。

しかし、我々の体験に照らし合わせると、神の恩恵としての信仰を(神から与えられて)持っている人と、持っていない人がいることは明白である。もしそうだとすれば、神はある人々に対しては信仰を与えて救ってくださるが、他の人々に対してはそうではないと考える他はない。そこに「予定の二重性」(praedestinatio gemina)があるとカルヴァンはとらえたわけです。

このように「信仰」という観点から見ると、カルヴァンの二重予定の教理はルターの信仰義認の教理の発展型であると考えることができます。

そして、ティリッヒの「受容の受容」という概念は、ルターの信仰義認の教理の哲学的解釈であると見ることができます。

もしそうであれば、ティリッヒの「受容の受容」は改革派教会の予定論とは矛盾しないと言ってもよいのではないでしょうか。

しかし、問題は、我々はそれをどのようにとらえればよいか、です。

繰り返し言えば、ティリッヒの「受容の受容」は、「このわたしが神に受け容れられているということを、このわたし自身が受け容れること」を意味しています。

これを神学的概念で言い換えると、どうなるか。ぼくなりに言い換えてみますと、こうなります。

「このわたしが依然として罪深い人間であるにもかかわらず、あたかも罪がない者であるかのように神がみなしてくださり、神の子として受け容れてくださっているということを、このわたし自身が受け容れ、同意すること」です。

つまり、それは「信仰告白」です。

改革派神学の古い概念でいえば、「受動的義認」(iustificatio Dei passiva)との対比で語られる「能動的義認」(iustificatio Dei activa)です。

「受動的義認」は、ルターが強調した「神がこのわたしを義と認めてくださる」という、人間側の受動性の観点から見た義認の教理です。

これに対して「能動的義認」の意味は、「このわたしが神を義とする」ということです。

不遜なことを言っているような気がするかもしれませんが、このような概念を改革派神学は昔から用いてきました。その意味は、「神は義なる方であるという信仰を告白すること」です。

「受動的義認」(passive justification)と「能動的義認」(active justification)の区別と関係については、ハインリヒ・ヘッペ『改革派教義学』英語版(Heinrich Heppe, Reformed Dogmatics)555~559ページに記されていますので、ご参照ください。

電話でお伝えしたかったことは、とりあえず以上です。字で書くだけでは分かりにくい内容を含んでいると思いますので、もし分からない点がありましたら、電話でお話ししましょう。

ほにゃらら先生から再三言われてきたことは、「どうしてもファン・ルーラーでなければダメなんですか」という問いかけでしたね。

ぼくは何もファン・ルーラーにこだわっているわけではありません。

実をいえば、ぼくが日本基督教団の教師だった頃からずっと抱いてきた夢は、このハインリヒ・ヘッペの『改革派教義学』を日本語で読めるようにしたいということでした。

ヘッペの『改革派教義学』は、17世紀を中心とするヨーロッパの改革派神学者の著書からの「抜粋集」のような本ですので、資料集に近いものです。ウェストミンスター信仰規準の神学の歴史的背景を知ることができる本でもあります。

このヘッペの本は、カール・バルトが「再発見」したことで現代神学のコンテキストに登場するに至りました。バルトの『教会教義学』の中で、ヘッペは大活躍しています。

そして、ぼくが日本基督教団の教師だった頃には知る由もなかったことですが、なんと、このヘッペの本を、ファン・ルーラーがユトレヒト大学神学部で教義学講義の際に、教科書として使用していたのです。

ヘッペには英語版があります。ぼくはドイツ語版原著を持っています。

そのうち、これの読書会しませんか。仲間が見つからなくて困っていました。

2013年1月3日

関口 康

2013年1月1日火曜日

主の業に常に励みなさい


2013年 新年礼拝説教

コリントの信徒への手紙一15・56~58

「死のとげは罪であり、罪の力は律法です。わたしたちの主イエス・キリストによってわたしたちに勝利を賜る神に、感謝しよう。わたしたちの愛する兄弟たち、こういうわけですから、動かされないようにしっかり立ち、主の業に常に励みなさい。主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです。」

あけましておめでとうございます。今年もどうかよろしくお願いいたします。

今日は2013年の新年礼拝です。最近の新年礼拝で行っているのは、松戸小金原教会が毎年「目標聖句」として掲げる聖書の御言葉の意味を解説することです。

昨年2012年に掲げた目標聖句は「キリストに結ばれて歩みなさい」(コロサイの信徒への手紙2・6)でした。その御言葉の意味を昨年の新年礼拝で解説しました。今年も同じようにします。

今年の目標聖句は、先ほど朗読しました聖書の御言葉の一部分です。「動かされないようにしっかり立ち、主の業に常に励みなさい」(コリントの信徒への手紙一15・58)。

これを今年の目標聖句にすることを12月の定期小会で決議しました。今月20日(日)の定期会員総会で承認します。そのようにして、この御言葉を教会のみんなで覚えつつ、今年一年間を過ごしたいと願っています。

この御言葉は二つの文章で成り立っています。前半は「動かされないようにしっかり立ち(なさい)」です。後半は「主の業に常に励みなさい」です。

二つの文章はつながっていますが、内容の異なることが書かれています。ですから、今日は二つの部分を分けてお話しします。

第一は「動かされないようにしっかり立ちなさい」です。

この御言葉には歴史的な文脈があります。これは使徒パウロがコリント教会に宛てて書いた手紙の一節です。

コリント教会は必ずしもしっかり立っていませんでした。ぐらぐら揺れていました。だからこそ、パウロは「しっかり立ちなさい」と呼びかけているのです。

コリント教会の問題は大きく分けると二つありました。一つは教会の中に不道徳があったということです。もう一つは教会が信じるべき信仰の内容に混乱がありました。

つまり、コリント教会は道徳面でも信仰面でもぐらついていたのです。その教会が「動かされないようにしっかり立つ」ためには、道徳・信仰の両面の立て直しが必要だったのです。

しかし、その立て直しは、どのようにして実現するものなのでしょうか。

このことについて改革派教会は、伝統的な答えを持っています。改革派教会の答えは、道徳面についてはモーセの十戒を規準にし、信仰面については使徒信条を代表とする教会の基本信条を規準にすることです。

たとえば、わたしたちが毎週の礼拝で交読しているハイデルベルク信仰問答は、使徒信条と十戒と主の祈りの解説です。それを繰り返し読むことで、改革派教会は「動かされないようにしっかり立つ」とはどういうことかを学んできたのです。

今日お話しすべき第二のことは「主の業に常に励みなさい」とはどういうことなのか、ということです。とくに考えなくてはならないことは、「主の業」という言葉をパウロがどのような意味で書いたのかという点です。

それを考えるために、パウロがこの言葉をどのような文脈の中で書いたのかを知る必要があります。とくに58節の後半の言葉が重要です。「主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです」。

「主」とはわたしたちの救い主イエス・キリストを指していることは明らかです。もしそうであるならば、「主の業」とは救い主イエス・キリストの働きを指していると考えることが可能です。

そして、パウロによると、教会は「主に結ばれている」存在です。つまり、救い主イエス・キリストの存在と教会の存在は「結ばれている」関係にあるのです。

これはどういうことでしょうか。教会にとってイエス・キリストは、大昔に死んだ過去の存在ではありません。復活して今も生きておられ、かつ天に挙げられている状態にあると教会は信じています。天に挙げられているイエス・キリストと、地上の教会が「結ばれている」関係にあるのです。

すると、どうなるか。教会の働きは、天に挙げられたイエス・キリストの働きを地上において続けることを意味すると考えることができるのです。地上の教会が天におられるイエス・キリストの働きを地上において続けているのです。それはつまり、教会自身が人を救うのだと言っているのと同じことなのです。

わたしたちが人を救うのです。わたしたちの働きが、人を救うために用いられるのです。

たとえば、教会が人に洗礼を授けるとは、そういうことです。困っている人に必要な助けの手を差し伸べることも、人を救う働きです。わたしたちが、具体的に人を救い、助ける働きに就くのです。

しかし、それはあくまでも「主に結ばれている」かぎりにおいて、という限定のある話であることを忘れてはいけません。イエス・キリストとは無関係に、わたしたちが勝手に人を救うという話ではありません。天に挙げられているイエス・キリストが、わたしたちを用いてくださるのです。

しかし、地上の教会には限界があります。わたしたちの教会の規模や能力は小さいものです。教会の規模と働きがあまりにも小さすぎてがっかりされることがあります。

しかし、わたしたちの働きは「主に結ばれているならば」無駄ではありません。教会の存在は無意味でも無価値でもありません。イエス・キリストが生きて働いてくださるからです。

そのことを信じて、今年も地味で・地道で・有意義な歩みを続けていこうではありませんか。

(2013年1月1日、松戸小金原教会新年礼拝)

2012年12月31日月曜日

日記「関口康が選ぶ(笑)今年最高の本 BOOK OF THE YEAR 2012第1位の発表です!」


「関口康が選ぶ(笑)

今年最高の本 BOOK OF THE YEAR 2012」

第1位の発表です!

(ドラムロール....ドロロロロロロ、じゃん)

ぱっぱらぱっぱぱー

文句なし!

佐藤優著『同志社大学神学部』(光文社、1600円)



「みなさん、ごめんなさい!!」と、なぜか謝らなくてはならない気分なのですが、いや、もう、圧倒的なリードでした。

佐藤氏の筆力もさることながら、同志社大学神学部が面白い。

ネタにするのは申し訳ないというかマズイ気がしてならないのですが、爆笑できますね、これは。

いやー面白かった。

卒業生たちは近親憎悪のような感情を持っておられる可能性があるので部外者のぼくの言うことなどは話半分に聞いていただけるくらいでいいと思うのですが、ぼくの「理想」を見た思いでした。

こういう神学部に行きたかったなあ、ぼくの人生は全く違うものになっていたに違いない(良い意味で)と、わりと真剣に思いました。

とくに、ぼくが魅了されたのは、本書に登場する緒方純雄先生の存在です。

面識はありませんが、いやなんか素敵な方だなと思いました。こういう先生、大好きです。

以上、第1位の発表でした!

なお、お断りしておきますが、この本を第1位にしたのは、ユーモアではありません。出版物としての完成度の高さを評価しました。

これくらい「日本語として読みうる本」であることを、他のすべての本に望みます。

2012年12月30日日曜日

教会につながっていれば、また会えます(録画説教)

日本基督教団置戸教会(北海道常呂郡)での録画説教
テサロニケの信徒への手紙一3・6~10

「ところで、テモテがそちらからわたしたちのもとに今帰って来て、あなたがたの信仰と愛について、うれしい知らせを伝えてくれました。また、あなたがたがいつも好意をもってわたしたちを覚えてくれていること、更に、わたしたちがあなたがたにぜひ会いたいと望んでいるように、あなたがたもわたしたちにしきりに会いたがっていることを知らせてくれました。それで、兄弟たち、わたしたちは、あらゆる困難と苦難に直面しながらも、あなたがたの信仰によって励まされました。あなたがたが主にしっかりと結ばれているなら、今、わたしたちは生きていると言えるからです。わたしたちは、神の御前で、あなたがたのことで喜びにあふれています。この大きな喜びに対して、どのような感謝を神にささげたらよいでしょうか。顔を合わせて、あなたがたの信仰に必要なものを補いたいと、夜も昼も切に願っています。」

置戸教会の礼拝で説教させていただくのは、今日が初めてです。初めての方々とお会いするときは、自己紹介から始めるべきかもしれません。しかし、いまお話ししているのは礼拝の説教です。聖書のみことばを後回しにすることはできません。自己紹介は後回しにし、聖書の話を先にします。

しかし、少しだけ自己紹介をさせていただきます。松戸小金原教会は、東京との県境にある千葉県松戸市にあります。インターネットで、松戸小金原教会から置戸教会までの距離を調べてみました。直線距離ではなく、自動車を使うとどれくらいかを調べました。

東北自動車道を使うと1369キロあることが分かりました。ざっと1400キロです。時間は約19時間26分かかるようです。概算で20時間です。ただし、ノンストップの場合です。一人の運転手にはたぶん不可能です。二人か三人の運転手がいれば交代できますので、なんとかなるかもしれません。

飛行機を使えば、だいぶ違います。松戸小金原教会から羽田空港までが1時間、羽田空港から釧路空港まで1時間半くらいでしょうか、2時間かかるでしょうか。釧路空港から置戸教会までが自動車で3時間半とのこと。全部で6時間くらいです。ただし、飛行機はやはりかなりお金がかかります。.

これで申し上げたいことは、私と皆さんとのあいだの物理的な距離は非常に遠いということです。しかし、その距離を飛び越えて、私はいま置戸教会の礼拝説教をさせていただいています。これは、やはり驚くべきことであり、おそるべきことです。神がすべてを導いてくださり、わたしたちのこのような関係を作り出してくださったことへの畏れを覚えます。

しかし、なぜこの私が置戸教会の礼拝で説教しているのでしょうか。この点についてはやはり丁寧に説明しなくてはなりません。しかし、その話は後回しにします。

今日開いていただきました聖書の個所は、テサロニケの信徒への手紙一3・6~10です。テサロニケの信徒への手紙は、使徒パウロがギリシアの町テサロニケにある教会の人々に宛てて書いた手紙です。

この手紙を書いたパウロは、テサロニケ教会の設立にかかわった人です。しかし、テサロニケ教会の設立後、パウロはこの地を離れ、別の地で新しい教会の設立に当たりました。そのため、この手紙を書いている時点では、パウロはテサロニケとは別の場所にいます。パウロは、この教会からは遠い地からこの手紙を書いていることになります。

たいへん申し訳ないことですが、置戸教会の歴史については、ほとんど何も存じません。しかし、これも少しインターネットで調べさせていただきましたら、42歳で亡くなられた野口重光先生が置戸教会の初代牧師であると書いてあるページが見つかりました。もしこの情報が正しいなら、野口先生と置戸教会の関係が、パウロとテサロニケ教会の関係であるというふうに、たとえることができます。

野口先生はすでに天に召されています。しかし、パウロは生きていました。テサロニケの信徒への手紙一は、新約聖書の中におさめられたパウロが書いた手紙の中で最も古いものであると言われています。つまり、パウロが最も若かったころに書かれたものです。体力的にも精神的にも元気でした。

そのパウロとしては、できればもう一度、テサロニケの地に訪れて教会のみんなに会いたい、教会のみんなを励ましたいと願っていました。どんなに苦しくても、厳しい状況の中でも、信仰を捨てないでほしい、教会につながっていてほしい、そのために教会を励ましたいと願っていました。

しかしパウロは、テサロニケ教会の人々にもう一度会いたいとどんなに願っても、なかなか行くことができません。今のように飛行機はありませんし、新幹線もないし、電車もないし、自動車も高速道路もありません。インターネットもDVDもありませんし。電話も携帯もない。唯一の連絡手段は手紙でした。海の上は船に乗りました。しかし、ほとんどは歩いて行くしかありませんでした。

パウロにとって教会とは、自分がどのような目に会おうとも、なんとかして励ましたい存在でした。パウロは、自分が苦労して設立した教会だからテサロニケ教会のことを大事に思っていたというのとは違います。教会の存在をまるで自分の手柄のようなものとして考えて、自分のした仕事の結果が失われるのを見るのがつらい、というような感覚とは違います。彼はそのようなことを考える人ではありません。

もっと人格的なつながりです。最も単純な言葉を使えば「愛」です。パウロはテサロニケ教会が単純に好きだったのです。好きに理由はない。まるで歌謡曲の歌詞のような話です。理屈では説明できない愛情をテサロニケ教会の人々に対して持っていた。感覚的にいえば、そういうことです。

しかし、パウロとテサロニケ教会とのあいだの距離が遠すぎて、ちょくちょく足しげく通い、その教会の人々と仲良くすることはできません。遠くのほうから、大丈夫かなあ、どうしているかなあと、心配するしかありません。しかし、パウロは我慢できなくなりました。なにがなんでも、テサロニケまで行きたくなりました。

ただし、自分自身が行くという願いは叶わないことが分かりましたので、自分の代わりに後輩のテモテに行ってもらうことになりました。テモテが帰って来て伝えてくれたことは、テサロニケ教会の人々は以前と変わらず熱心な信仰を持ち、しかも、パウロに対する愛と尊敬を持ち続けているということでした。それでパウロはうれしくなってこの手紙を書いたのです。

そのことが今日の個所に書かれています。そして、今日の個所の中で皆さんにとくに注目していただきいのは、7節と8節のみことばです。「それで、兄弟たち、わたしたちは、あらゆる困難と苦難に直面しながらも、あなたがたの信仰によって励まされました。あなたがたが主にしっかりと結ばれているなら、今、わたしたちは生きていると言えるからです。」

これは新共同訳聖書(1988年)の訳です。一昔前の口語訳聖書(1954年)では「あなたがたが主にあって堅く立ってくれるなら、わたしたちはいま生きることになるからである」と訳されていました。さらに昔の文語の改訳聖書(1917年)では「汝等もし主に在りて堅く立たば我らは生くるなり」と訳されていました。どれも分かるような、分からないような訳です。

新改訳聖書(1970年)は「あなたがたが主にあって堅く立っていてくれるなら、私たちは今、生きがいがあります」となっています。かなり分かりやすい訳です。しかし、意味が特定されすぎていて、かえって疑わしい。ここでパウロは「生きがい」の話をしているのでしょうか。私には疑問です。

なぜなら、「生きがい」と言いますと、言葉のニュアンスとしては、ああ生きていてよかったという気持ちを持てる、というふうな意味です。パウロ側の気持ちや感覚の次元に事柄が還元されてしまいます。しかし、パウロがテサロニケ教会の人々に伝えようとしているのは、そういうことではないと思うのです。

パウロの生きがいの話など全くしていません。はっきりいえば、パウロの生きがいなんかどうだっていいことです。「生きがいがほしくて伝道している」というような牧師など要らないです。そういうのは人間的な野心の自己実現です。神の御心を行うという態度とは違うものです。

パウロがしているのは、自分の側の生きがいの話ではない。そうではなくて、彼が言いたいことは、むしろ、テサロニケ教会の側に関することです。それを言葉で表現するのは難しいことです。「あなたがたが主にしっかりと結ばれているなら、今、わたしたちは生きていると言える」と書かれているのですが、考えるべき問題は、わたしたちは、今、「どこに」生きているかです。「どこに」をパウロは書いていません。しかし、考えられることは、「テサロニケ教会に」です。

パウロの気持ちとしては、もしあなたがたが主にしっかりと結ばれているなら、今、わたしたちはテサロニケ教会にいる、あなたがたの教会の中に、今、わたしたちが、わたしが生きていると言える。一緒に礼拝をささげている。あなたがたの中に、あなたがたの側に、このわたしが生きている。

こういうことをパウロは書いているのだと思うのです。なんだか遠くから、きみたちが信仰を捨てないでいてくれることがわたしの生きがいであるというような言い方は、踏ん反り返った感じです。

パウロがしているのは「伝道者の生きがい」の話ではありません。むしろ、テサロニケ教会の存立の問題です。もっと大胆な言い方をすれば、いわば復活なのです。あなたがたが信仰をもってしっかり立っているなら、パウロがテサロニケ教会に復活したのと同じだ、このわたしがよみがえったのと同じだ、と言っているのです。

このあたりで、そろそろ私の話をさせていただきます。今日このような形の礼拝が実現しましたのは、百瀬考幸さんのおかげです。その事情をご説明させていただきます。

ことの始まりは25年前にさかのぼります。1987年7月のことです。

当時私は東京神学大学の学生でした。1987年7月の一か月間、夏期伝道実習として春採教会で奉仕させていただきました。私が北海道に行ったのは、そのときだけです。

そのとき道東地区の高校生修養会に参加し、当時高校生の百瀬考幸さんと初めてお会いしました。その修養会で私は聖書のお話をさせていただきました。

前列左から秋保牧師、田村牧師、高田牧師、後列に関口(左から2人目)と百瀬さん(右から2人目)

その中で私は確かにこう言いました。なぜか、そのことだけは25年間忘れることができませんでした。

「私はこれから東京に帰りますが、教会につながっていれば、また会えます。いつかまた必ず会いましょう」。

今日の説教のタイトルは、私自身が25年前に確かに言った言葉です。

しかし、そのあとは24年間ほど百瀬さんとも道東地区の高校生たちとも全くお会いすることができませんでした。しかし、なんとついにお会いできました。フェイスブックです。

昨年の東日本大震災からまもなくの頃、全国の牧師や信徒がインターネットを使って連絡を取り合う活動が活発になってきたころ、百瀬さんがフェイスブックで私の名前を見つけてくださり、「もしかして、あのときの関口先生ですか」と連絡してくださいました。ものすごくびっくりしましたが、とてもうれしかったです。

フェイスブック、ありがとう。百瀬さん、ありがとう。

そして、神さま、ありがとうございます。置戸教会の皆さま、本当にありがとうございます。

本音を言えば、今すぐにでも、皆さんのところに飛んで行きたいです。しかし、それは叶いません。

松戸の地から、みなさんのためにお祈りさせていただきます。

(2012年12月30日、日本基督教団置戸教会主日礼拝、録画説教)

「アーメン」という言葉は何を意味していますか


テモテへの手紙二2・11~13

「次の言葉は真実です。『わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きるようになる。耐え忍ぶなら、キリストと共に支配するようになる。キリストを否むなら、キリストもわたしたちを否まれる。わたしたちが誠実でなくても、キリストは常に真実であられる。キリストは御自身を否むことができないからである。』」

今日は2012年最後の礼拝です。今年一年間も、神の御手に守られて過ごすことができましたことを感謝しています。

さて、今日の説教のタイトルは、先ほどみんなで交読しましたハイデルベルク信仰問答の第52主日の問129の言葉をそのまま引用したものです。「『アーメン』という言葉は、何を意味していますか」。

ですから、今日の説教の結論は決まっています。ハイデルベルク信仰問答の問129の答えそのものです。それは次のとおりです。

「『アーメン』とは、それが真実であり確実である、ということです。なぜなら、これらのことを神に願い求めていると、わたしが心の中で感じているよりもはるかに確実に、わたしの祈りはこの方に聞かれているからです」(吉田隆訳、新教出版社)。

これが今日の説教の結論です。これ以上に付け加えることはほとんどありません。私にできることがあるとしたら、ハイデルベルク信仰問答がこの問いの答えとして書いていることの意味をいくらか噛み砕いて説明することくらいです。

「アーメン」という言葉は、旧約聖書の時代から使われているヘブライ語が歴史的にいちばん古いと言われています。そして、この言葉の意味は、ハイデルベルク信仰問答がまさに書いているとおり、「真実である」とか「確実である」ということです。

また、他の人の意見に同意や賛成の意を表わすときに言う「そのとおり」という意味でもあります。願いや祈りの意味の「そうでありますように」という意味にもなります。ですから、いちばん短く言えば「アーメン」は「そうだ」という意味です。

そのような意味の言葉をわたしたちキリスト者は、すべての祈りの最後や、賛美歌の最後、そして日常会話の中でさえ繰り返し用いています。つまり、わたしたちは、ほとんど毎日のように「そうだ、そうだ」と言っているのです。

とにかくこれだけははっきり言えることは、「アーメン」とは、なにかを肯定する言葉であるということです。否定ではありません。他人の語る言葉のすべてをいちいち「そうではない、そうではない」と否定していくタイプの人が時々いますが、ちょうど正反対です。

「アーメン」は「そうではない」の正反対です。「そうだ」です。他人が語る言葉に同意することであり、賛成することです。否定することではなく、肯定することです。

しかも、祈りや賛美歌の場合を考えてみると、それは必ずだれか人間の祈りであり、だれか人間の賛美です。日曜日の礼拝の中で祈りをささげるのは司式の長老や牧師ですが、水曜日の祈祷会などでは、それぞれが個人的な願いごとをお祈りします。

その最後にみんなで「アーメン」と唱えることは、祈りそのものや賛美そのものへの肯定でもあるのですが、同時に、その祈りをささげた人やその賛美を歌った人への肯定でもあると考えることもできるでしょう。

その人の語る言葉を肯定するだけではなく、その言葉を語る人自身の存在そのものを肯定すること、受け容れることも、その「アーメン」の中に含まれているはずです。

言い方は明らかにおかしいわけですが、「あなたの祈りの内容は肯定しますが、あなたの存在は肯定できません」というような奇妙な使い分けを、わたしたちはしません。

「あなたのことは嫌いだけど、あなたの祈りにはアーメンと言ってあげます」というようなことは、教会の中では言ってはならないことです。

わたしがあなたの祈りに「アーメン」と言うときは、同時にあなた自身の存在に「アーメン」と言っているのです。わたしたちは、そのような意味でも「アーメン」と言うのです。

しかし、ハイデルベルク信仰問答の問129の答えに書かれていることは、私がいま申し上げたことだけでは終わらない内容をもっています。

今まで申し上げてきたことも重要ですが、答えの後半部分に書かれていることが、ある意味でもっと重要です。「なぜなら、これらのことを神に願い求めていると、わたしが心の中で感じているよりもはるかに確実に、わたしの祈りはこの方に聞かれているからです」と記されています。

ここに書かれていることをよく読みますと、その主旨は、先ほど申し上げたような、わたしたちのうちの誰かがささげた祈りそのものへの肯定であるとか、その祈りをささげている人への肯定であるというよりも、むしろ、わたしたちがささげる祈りを聞いてくださる神御自身への肯定であるということが分かってきます。

「わたしが心の中で感じているよりもはるかに確実に、わたしの祈りはこの方に聞かれている」というのは、言い方を換えれば、わたしが心の中で感じていることは不確実である、ということです。そのような不確実なことよりも、わたしの祈りを聞いてくださっている神という方は確実な方であるということです。

確実な方というのは日本語としては適切ではないかもしれません。信頼できる方とか、安心できる方というほうがよいかもしれません。

なるほど、たしかにわたしたちの祈りは不確実なものです。祈っても聞かれないと感じることは、たくさんあります。あなたの信仰が足りないからだ、あなたの努力が足りないからだと言われると、わたしたちは言葉を失います。そのとおりであると認めざるをえませんが、それ以上どうすることもできないところまで追いつめられてしまいます。

信仰が足りない、努力が足りないと言われて「そんなことはありません」と反論できる人は教会にはいません。そもそも教会には、信仰においても努力においてもすっかり破れてしまった人たちが、神の助けを求めて集まってきているからです。

もしわたしたちが、自分の力で自分の生きるべき道のすべてを切り開いていけるなら、わたしたちは神に祈る必要はありません。祈りとは、自分の信仰や努力が不確実であることを実感し、かつ痛感しているからこそ、わたしたちの心の叫びのように湧き出してくるものなのです。

しかし、わたしたち自身は不確実でも、確実なものがあることをわたしたちは知っています。それは神さまです。世界のすべてが不確実であり、不安定であっても、神さまは確実であり、この世界を根底から支えてくださっています。その信頼と安心のうちに、わたしたちは神に祈りをささげることができ、「アーメン」と唱えることができるのです。

今日開いていただいたのは、テモテへの手紙二2・11以下のみことばです。なぜこの個所を選んだのかといいますと、ハイデルベルク信仰問答の問129の答えの最後に「引証聖句」と呼ばれる聖書の御言葉が三か所指示されている中の一つが、テモテへの手紙二2・13だからです。

この個所が「引証聖句」であるということの意味は、ハイデルベルク信仰問答の問129の答えは、この聖書の御言葉を根拠にして書かれているということです。それは次の御言葉です。

「わたしたちが誠実でなくても、キリストは常に真実であられる。キリストは御自身を否むことができないからである」(テモテへの手紙二2・13)。

今日わたしたちが考えているのは「アーメン」という言葉の意味です。それは真実であり、確実であるという意味であると、すでにご説明しました。しかし、問題は何が真実であり確実なのかです。

その最も正しい答えとして考えられることは、ハイデルベルク信仰問答が指示しているこの御言葉に書かれていること、すなわち、「キリストは常に真実であられる」ということであり、さらにその根拠は「キリストは御自身を否むことができないからである」ということだ、ということです。

「キリストは御自身を否むことができない」とは言われていることは、非常に興味深いことです。どこが興味深いのかといえば、キリストにもできないことがあると言われているからです。全知全能の神の御子なるキリストにもできないことがあるのです。なんでもできる方(全能者)にもできないことがあるというのは論理的に矛盾しています。しかし、そのように聖書ははっきり書いています。

イエス・キリストにも、できないことがある。それは、御自身を否定することです。それができない。キリストは御自身の何を否定できないのかと言いますと、「御自身が常に真実であられること」を否定できないのです。

神の御子イエス・キリストは、神の御心を行うためにこの世界へと派遣された方です。キリストは父なる神の御心に忠実な方です。神の御心に対する忠誠心をもって、この世界において神のみわざを遂行するために来られた、と言ってもいいでしょう。

その御自身に託された使命をイエス・キリストは否定することができないのです。父なる神との約束を裏切ることができないのです。十字架の死に至るまで神の御心に従順であられたし、世の終わりまでその従順さは変わらない、そういうお方なのです。

そのような父なる神に対するイエス・キリストの忠実さ、誠実さに対する肯定や信頼をわたしたちは「アーメン」という言葉で言い表すのです。「わたしたちは誠実でなくても、キリストは常に真実であられる」からです。

実際、わたしたちは誠実ではありません。裏表があります。あっちで言っていることと、こっちで言っていることが食い違っていたりします。嘘もつきます。でたらめなことも言います。

言葉だけではなく、おこないで人を裏切ります。人の信頼を失うような失敗や過失や罪をおかします。ほとんど毎日、そのようなことの繰り返しです。

叩けばほこりが出ます。掘り返せばぼろが出ます。私はそうではないと否定できる人は誰もいません。完璧な人はいません。罪の無い人は一人もいません。裁き合うのは簡単です。

しかし、イエス・キリストだけは常に真実な方です。そうであることをわたしたちは信じています。信じているからこそ、祈ることができるのです。「アーメン」と唱えることができるのです。

来年一年間の教会の歩みが守られるように、お祈りしましょう。

(2012年12月30日、松戸小金原教会主日礼拝)

2012年12月25日火曜日

関口康が選ぶ(笑)今年最高の本 BOOK OF THE YEAR 2012 選考作業中!





ぼく的には珍しく、外国語の本を全く買わない一年を過ごしました。

2012年に出版されたもので、ぼくが入手した日本語の本は18冊でした(写真)。

月刊・週刊誌は除外しました。

ちなみに、この18冊のうちの8冊は、各書の著訳者や友人からプレゼントしていただいたものです。この場をお借りして、心から感謝いたします。

口幅ったい言い方ですが、今年はかなり豊作だったと思っています。

心躍らせながら読ませていただきました。著訳者の皆さま、ありがとうございました。

「2012年は出版界のV字回復が始まった年だった」と後代の歴史家が記すかもしれません。

「第1位」の発表は12月31日(月)です。

お楽しみに。

(炎上しそうだ...)