2012年11月4日日曜日

自分の十字架を背負いなさい



マタイによる福音書16・21~28

「このときから、イエスは、御自分が必ずエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺され、三日目に復活することになっている、と弟子たちに打ち明け始められた。すると、べトロはイエスをわきへお連れして、いさめ始めた。『主よ、とんでもないことです。そんなことがあってはなりません。』イエスは振り向いてペトロに言われた。『サタン、引き下がれ。あなたはわたしの邪魔をする者、神のことを思わず、人間のことを思っている。』それから、弟子たちに言われた。『わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る。人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。人の子は、父の栄光に輝いて天使たちと共に来るが、そのとき、それぞれの行いに応じて報いるのである。はっきり言っておく。ここに一緒にいる人々の中には、人の子がその国と共に来るのを見るまでは、決して死なない者がいる。』」

先日行いました秋の特別集会(2012年10月21日、松戸小金原教会)が終わった後、おひとりの方が貴重なご意見を寄せてくださいました。

それは、この教会に初めて来られる方の中には、礼拝堂の室内のどこにも十字架の像が無いことに驚きを感じる人は少なくないはずだ、ということでした。

屋根の上には十字架が立っているのです。しかし、礼拝堂の中にも十字架が付いている教会は少なくない。改革派教会のことをご存じない方は、当然どこかに十字架がついているし、その上にキリストの像がはりつけられていると考えておられるだろう。しかし、この教会にはそれが無い。どうして無いのかということを、牧師から説明すれば、関心をもつ人は多いのではないか、というご意見でした。

なるほど、と思いました。私はそのことについては、考えることさえほとんど無くなっています。なぜ付いていないのかということについて疑問に思うことさえない。しかし、そのことを疑問に思うことがない我々の姿が、この教会に初めて来られる方々から奇異に見えるかもしれません。そして、その我々の姿が奇異に見えるということにも気づくことさえない。

どうやらそういう事情のようです。私もその方に指摘していただいて初めて気づきました。ありがとうございます。

この礼拝堂に十字架が無いことの理由は単純明快です。最大の根拠はモーセの十戒の第二戒です。「あなたは、自分のために、きざんだ像をつくってはならない」という戒めです。

第二戒で言われている「きざんだ像」とは、宗教的な目的でそれを拝んだり手を合わせたりするために作られる像のことです。そのような目的ではない、いわゆる芸術的な意図で作られた彫刻などまで禁止されているということではありません。

しかし、ある意味でわたしたちは、そのような芸術作品に対してもかなりの警戒心を抱いて来たことは否定できません。美しいものを目にすると、思わず手を合わせてしまう。思わず拝んでしまう。そういうことはわたしたちにはありうることだからです。

たとえそれがイエス・キリストの像であろうと、十字架であろうと、その像そのものに、思わず手を合わせ、思わず拝んでしまうようなものになってしまう可能性があるようなものをわたしたちは警戒してきました。

わたしたちの礼拝堂の室内のどこにも十字架が無いし、イエス・キリストの像が無いことの理由はそれです。そのことを私自身は行き過ぎであるとは思っていません。しかし、結果的に、改革派教会の礼拝堂が殺風景のがらんどうになっていることは否定できない事実です。

今の説明でご理解いただけるかどうかは分かりません。しかし、ぜひご理解いただきたいことは、そのようなあり方こそが改革派教会の最も基本的な姿勢であるということです。

像を置かないことや作らないことだけが重要なことではありません。いかなる意味でも目に見えるものを拝まないということが重要です。あるいは、西だの東だのという一定の方角に向かって拝まなければならないというような考え方がありません。そういうのは端的に偶像礼拝の考え方であると我々は認識します。そういうことはわたしたちにとっては全く意味が無いことなのです。

いわばその代わりに、わたしたちは、目をつぶり、あるいは目を開けたまま、わたしたちの心の中に住んでおられる神に向かって拝み、手を合わせるのです。神は我々の目には見えません。我々の心が目に見えないのと同じです。

心の中の神を拝むと言いましても、自分の胸元を見ながら手を合わせても、意味はありません。重要なことは、わたしたちの心の中に住んでくださる神は、言葉を発せられる方であるということです。その言葉に耳を傾けること、従うことが、わたしたちの心の中の神を拝むことなのです。

聖書に関しても同じです。わたしたちはこの本そのものを拝んだりしません。講壇上の大きな聖書は拝むために置いているのではありません。聖書は拝むためにあるのではなく読むためにあるのです。これは飾りではありません。金色に輝いていますが、こんなものを拝まないでください。

その代わりに、わたしたちの教会にあるのは、わたしたち自身です。わたしたちの教会にはわたしたちしかいません。この教会には人間がいるだけです。あとは殺風景のがらんどうです。

今申し上げていることにおいて、独善的な意味で改革派教会の自慢をしているつもりはありません。他の教会を批判したり否定したりする意図で申し上げているのでもありません。しかし、ぜひご理解いただきたいのです。

それはわたしたちが教会の中にイエス・キリストの像や十字架の像を置かない最大の理由です。そのようなことをイエス・キリスト御自身が望んでおられないから、です。イエス・キリストの像や十字架の像を作ることは、イエス・キリスト御自身の御心に反することなのです。

なぜそのように言えるのでしょうか。今日の個所でイエスさまが弟子たちに対して語っておられる言葉は「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」(24節)です。

この御言葉を私の考えに強引にこじつけるつもりはありません。しかし、はっきり言えることは、イエスさまが弟子たちに命ぜられたことは、イエス・キリストの像を拝みなさいということではないし、十字架を拝みなさいということでもないということです。そのようなことは、イエス・キリスト御自身が最もお嫌いになったことなのです。

イエス・キリストについていくことを願い、決心し、約束した人々がしなければならないことは、その人自身の十字架を背負うことであり、イエス・キリストに従うことであり、御言葉に従って行動することです。そのように生きることです。生活することです。十字架は拝むものではない。飾りではない。アクセサリーではない。ペンダントではない。十字架は背負うものです。自分で背負うものなのです。

厳しい言い方になるかもしれませんが、像など拝んでも何も変わりはしません。わたしたちが一つの像に向かって毎日手を合わせれば、何かが良い方向に変わるでしょうか。何かにすがりたい思いをもっている人々を軽蔑してはいけません。そういうのはダメです。しかし、たとえば受験生がすべきことは像を拝むことよりも勉強です。物を拝むだけなら、現実逃避であると言われても仕方がない。

イエス・キリストに従って生きるとは、イエス・キリストの願いどおりに生きることです。十字架の像を拝むことは、イエス・キリストの願いに反することです。矢印が正反対を向いているのです。

しかし、それでは「自分の十字架を背負う」とはどういう意味なのでしょうか。

イエス・キリストが弟子たちに求められたことはそのことでした。今日の個所にはイエスさまが、御自分がエルサレムで多くの苦しみを受けて殺されること、三日目に復活されることになるということを弟子たちに打ち明け始められたと書かれています。するとイエスさまが殺されるという話を聞いてびっくりした弟子のペトロが「そんなことがあってはなりません」とイエスさまを諌めたというのです。その弟子たちにイエスさまが語られたのが「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」という御言葉でした。

この文脈から考えられることは、「自分の十字架を背負うこと」と「自分を捨てること」は同じことの言い換えであるということです。別の話ではないのです。同じことです。

それでは「自分を捨てる」とは何のことかが問われなくてはなりませんが、書いてあるとおりですとしか言いようがありません。文字どおり自分を捨てることです。

この言葉の反対の言葉は何かを言えば、その意味を理解できるかもしれません。自分を捨てることの反対は自分を守ることです。自己保身です。自己保身のためなら、自分以外のだれが犠牲になろうとも、自分の家族が犠牲になろうとも構わないというようなタイプの生き方を思い浮かべるとよいかもしれません。その反対が「自分を捨てること」です。

そして、それが「自分の十字架を背負うこと」と同じ意味になります。神、そして隣人を尊敬し、愛するために、自分自身を喜んで犠牲として差し出すことです。そういうことができるようでなければならないと、そのことをイエス・キリストは弟子たちに、イエス・キリストを信じるすべての人々に、そしてわたしたちに求めておられるのです。

わたしたちの教会に像が無いのはそのことにも関係しています。教会の建物の中に拝むべきものが何も無いのですから、礼拝が終わり、教会での活動が終わったら、なるべく早く家に帰ることが重要です。

さっさと帰ってください。この礼拝堂は居心地が良いのです。しかし、ここにじっと留まってはいけません。私の邪魔だと言いたいのではありません(まさか)。日常生活に戻ること、そして常に共に生きている隣人を愛することが、我々の信仰において最も重要なことであると言いたいのです。

わたしたちがいま毎週の礼拝の最後に歌っている「御民に仕えます」(Here I am Lord、芦田高之訳)という賛美歌の主旨は、まさにそのことです。「わたしを遣わし、みわざをなしてください。心を尽して、御民に仕えます」。

この歌詞の意味は、主なる神がこのわたしをこの世に派遣してくださり、このわたしを用いて神御自身のみわざを行ってください、ということです。このわたしは、心を尽して御民に仕えます。ここで「御民」とは洗礼を受けた人たちだけのことではありません。神が造られた全世界の人々のことであり、わたしたちの隣人のことです。

神は今日も、わたしたちを教会からこの世へと派遣してくださいます。たとえこの世の現実がどんなに厳しいものであろうとも、わたしたちはこの世の中で生きるべきです。それが「自分の十字架を背負うこと」です。

それは自分の家に帰ることです。自分の職場に帰ることであり、地域社会のために働くことであり、自分の日常に帰ることです。

そのとき、わたしたちと共に、御自身もまた「自分の十字架」を背負われた、わたしたちの救い主イエス・キリストがいてくださるのです。

(2012年11月4日、松戸小金原教会主日礼拝)

2012年10月21日日曜日

この町に教会がある


2012年度 松戸小金原教会 秋の特別集会(2012年10月21日)説教全文

テモテへの手紙一4・6~16

「これらのことを兄弟たちに教えるならば、あなたは、信仰の言葉とあなたが守ってきた善い教えの言葉とに養われて、キリスト・イエスの立派な奉仕者になります。俗悪で愚にもつかない作り話は退けなさい。信心のために自分を鍛えなさい。体の鍛錬も多少は役に立ちますが、信心は、この世と来るべき世での命を約束するので、すべての点で益となるからです。この言葉は真実であり、そのまま受け入れるに値します。わたしたちが労苦し、奮闘するのは、すべての人、特に信じる人々の救い主である生ける神に希望を置いているからです。これらのことを命じ、教えなさい。あなたは、年が若いということで、だれからも軽んじられてはなりません。むしろ、言葉、行動、愛、信仰、純潔の点で、信じる人々の模範となりなさい。わたしが行くときまで、聖書の朗読と勧めと教えに専念しなさい。あなたの内にある恵みの賜物を軽んじてはなりません。その賜物は、長老たちがあなたに手を置いたとき、預言によって与えられたものです。これらのことに努めなさい。そこから離れてはなりません。そうすれば、あなたの進歩はすべての人に明らかになるでしょう。自分自身と教えとに気を配りなさい。以上のことをしっかりと守りなさい。そうすれば、あなたは自分自身と、あなたの言葉を聞く人々とを救うことになります。」

今日は毎年わたしたちの教会がおこなっている秋の特別集会です。まだ教会に来られたことがない方々にわたしたちの教会の存在を知っていただくために、3千枚のチラシをこの地域に配布しました。この中にそのチラシを見て来てくださった方々がおられましたら、わたしたちは心から歓迎します。その方々には、ぜひこれから教会に足を運んでいただきたいと願っています。

今日これからお話ししますテーマは、「この町に教会がある」ということです。この町とは、千葉県松戸市小金原のことです。そして、この町にある教会とは、わたしたち松戸小金原教会のことです。しかし、小金原にはわたしたちの教会以外にもう一つ、教会があります。小金原二丁目にある栗ケ沢バプテスト教会です。その教会の牧師は吉高叶先生という方です。しゅっちゅうお会いしているわけではありませんが、仲良くしていただいています。しかし、この町の教会はこの二つだけです。他にはありません。二つのうちの一つがわたしたちです。

その意味でわたしたちはこの町に対して大きな責任を感じています。それはキリスト教の教えをこの町に宣べ伝える責任です。また、キリスト教の教えに基づく奉仕活動を続けていく責任です。小金原地区の現在の人口は約2万2千人です。そこに教会が二つしかありません。ですから、わたしたちの教会は、少なくとも小金原地区の人口の半分の1万1千人に対して、いま申し上げたことを行う責任を担っているのです。それで今日の集会のために3千枚のチラシを配らせていただいた次第です。

しかし、わたしたちの教会は現在50人です。寂しいことを言わないでくださいと叱られてしまうかもしれません。でも、それが事実です。しかも、50人の会員のうちで小金原に住んでおられるのは、15人です。あとの方々は松戸市の別の地区や柏市や印西市などから通ってくださっています。茨城県から通ってくださっている方も数名おられます。わたしたちの願いはこの地域の方々に対する責任を果たしていくことですが、そのことはまだ十分に果たせていません。そのことを痛感しています。

しかし、私は今日、皆さんに愚痴を言いたいわけではありません。この町に教会があることの積極的な意味を、喜びと感謝をもってお話ししたいと願っています。しかしごめんなさい、もう少しだけ愚痴っぽいことを言わせてください。

実を言いますと、この町にキリスト教の信者はわたしたちの教会に属する15人しかいないわけではありません。もっとたくさんおられます。先ほどご紹介しました栗ケ沢バプテスト教会の方々のことを言いたいのではありません。日本のキリスト者人口は国民の1%と言われています。百人に一人。小金原に2万2千の人がいれば、220人くらいは最低でもいるはずです。しかし、わたしたちの教会には15人。栗ヶ沢バプテスト教会にも同じくらいの人数ではないかと想像します。

しかし、それでは計算が合いません。いったい、この町の教会に通っておられないキリスト者の方々はどこの教会に通っておられるのでしょうか。松戸市内の別の地域や柏市などの教会かもしれません。しかし、もっと考えられる可能性は東京の教会です。バスに乗って、電車に乗って、あるいは自動車で東京の教会に通っておられるのです。松戸市が東京都との県境にあることが関係しています。また、小金原に住んでいる多くの方々が、かつて東京から引っ越してこられたことが関係しています。

ですから、その方々は、御自分の家の近くにわたしたち松戸小金原教会や、栗ケ沢バプテスト教会があっても、この教会の建物を御覧になったり看板を御覧になったりしても、残念ながら前を素通りされていることになります。

しかし、時々、たいへん有難いことに、そのような方々の中でだんだん高齢になられて、遠く東京の教会までバスに乗って、電車に乗って、あるいは自動車で通われるのが困難になられた頃に、「あ、こんなところにも教会がある」ということにやっと気づいてくださって、わたしたちの教会を訪ねてくださるようになる方々がおられます。先ほどご紹介しましたこの教会の会員のうちの15人の小金原にお住まいの方々のうちの何人かがそのような方々です。文句を言いたいわけではありません。しかし、もっと早く気づいてくださっていれば、と思わないこともありません。

私の口ぐせは、病院と学校と教会はできるだけ家から近いほうがよい、ということです。何かあればすぐに駆け込める距離。病院はまさにそのようなところにあると便利です。学校もなるべく近いと便利です。教会も同じです。何かあればすぐに駆けこめる距離。反対に、牧師がその方のお宅に駆けつけることができる距離。そのような教会に皆さんが属していることは、長い目で見ていただけば、悪いことではないと思うのです。

私が自分で言わないほうがよいかもしれませんが、「この町に教会がある」という言葉の中に、この町に牧師という仕事をしている人間が住んでいる、ということが少しくらいは含まれているということが意外に重要だったりします。残念ながら私自身はあまり人の役に立つような者ではないのですが、私以外の牧師たちは、けっこう役に立つ有用な人だったりします。

「牧師さんは日曜日以外は何をしているんですか」と尋ねられることが私も時々あります。そういうことを聞かれても、「ははは、ほんと、何してるんでしょうかねえ」と私はただ笑っているだけです。遊んでいると思われているのかもしれません。べつにどう思われようと構いません。私がふだん何をしているのかは今は申しません。バスに乗って、電車に乗って、自動車で会社に行くというような生活はしていませんので、ひまだと思われているかもしれません。しかし、そういう人間がこの町に住んでいることには意味があると思っていただけるような働きができるようになりたいと願っています。

教会がこの町にあり、牧師がこの町に住んでいることには、どのような意味があるのでしょうか。それは先ほどから申し上げていますとおり、何も無理して遠くの教会に通わなくても済むということです。つまりそれは、純粋に物理的な距離の問題です。徒歩や自転車で通える距離なら、バス代も、電車代も、ガソリン代も要りません。本質的でない話をしていると思われるかもしれませんが、意外に重要なことです。また、実を言いますと、非常に本質的な話をしているつもりです。

一つの点を申せば、昨年の東日本大震災の経験があります。皆さんの中にも、東京の会社や学校に通っておられる方々の中に、いわゆる帰宅困難者になられた方がおられました。距離が遠いということは、そのようなことにも関係してきます。

しかし、それだけではありません。宗教の本質的な点からも距離の問題を考えることができます。わたしたちの教会は「改革派教会」と言います。いわゆるプロテスタントの教会の中に属しています。プロテスタントの教会には無い考え方なのですが、キリスト教の中のカトリックと呼ばれる教会にはある考え方、他の多くの宗教にもある考え方は、いわゆる総本山のような場所があるということです。

カトリック教会のいわゆる総本山はローマのヴァティカンにあります。他の多くの宗教にもいわゆる総本山があります。しかし、わたしたちプロテスタントの教会にはありませんし、あってはならないと考えています。総本山がある宗教と、無い宗教との決定的な違いは距離の問題です。バスに乗って、電車に乗って、自動車に乗って、あるいは飛行機に乗って、そこに行かなければ本物の宗教に出会うことができないという考え方が、わたしたちの教会には無いのです。自分の家から近ければ近いほどよい。徒歩や自転車で通える、自分の生活圏と共にある宗教。日常生活の一部としての教会。それが、わたしたちの教会が理想とする宗教のあり方なのです。

だからこそです。わたしたちが「伝道」という言葉で呼んでいる、日本国内や世界各地にどんなに小さくても教会を作り、そこで日曜日ごとに礼拝を行い、他の曜日にもいろいろな集会を行っている理由は、いま私が申し上げた、わたしたちの教会が理想とする宗教のあり方とダイレクトに関係していることなのです。最も決定的な理由はわたしたちの教会には総本山が無いことです。もし総本山という言葉をあえて使えば、すべての教会が総本山なのです。松戸小金原教会が総本山です。会員50人の総本山などありえないと世間の人々からは思われてしまうかもしれません。しかし、わたしたちが毎週ここに集まることと、他の宗教の人々が総本山に集まることは、本質的に同じことなのです。

ここで最初に朗読しました聖書のみことばに注目していただきたいと思います。これは今から2千年前に書かれた手紙です。当時活躍したキリスト教の伝道者である使徒パウロが弟子のテモテに書き送った手紙です。このときテモテはエフェソと呼ばれる町に立てられた、おそらく当時はまだ小さな教会で働いていました。そのテモテにパウロが書いているのは、励ましの言葉です。「これらのことを兄弟たちに教えるならば、あなたは、信仰の言葉とあなたが守ってきた善い教えの言葉とに養われて、キリスト・イエスの立派な奉仕者になります」(6節)と書かれています。

実を言いますと、このときテモテはまだ若い人でした。青年と呼ばれる年齢だった可能性が高いです。それでパウロは次のように書いています。「あなたは、年が若いということで、だれからも軽んじられてはなりません。むしろ、言葉、行動、愛、信仰、純潔の点で、信じる人々の模範になりなさい」(12節)。

これで分かるのは、使徒パウロが弟子のテモテと、テモテが働いているエフェソの教会に対して、どのような見方をしていたのかということです。

それは次のようなことです。あなたはたしかに年齢的に若いかもしれないが、だからといって、あなたの働きは不十分であるとか、あなたが働いている教会は未熟であるとか、そのようなことは無いし、人からそのように思われるようなことがあってはならないということです。ベテランの牧師が働いている教会は、いわゆる総本山で、新米の牧師が働いている教会は、周辺的な教会だ、というような考え方は、キリスト教の教えの中には無いし、あってはならない。

パウロはこのようにも書いています。「自分自身と教えとに気を配りなさい。以上のことをしっかり守りなさい。そうすれば、あなたは自分自身と、あなたの言葉を聞く人々とを救うことになります」(16節)。

ここでとくに注目していただきたいのは、最後に書かれている「あなたは自分自身と、あなたの言葉を聞く人々とを救うことになる」というパウロの言葉です。これで何が分かるのかといいますと、テモテの年齢がどれほど若かろうと、エフェソの教会がどれほど小さかろうと、テモテが語る言葉によって、その町に住んでいる人々の「救い」が起こる、ということです。

しかし、テモテがその町の人々を救うのではありません。人を救うのは神です。テモテは、神御自身がその町の人々を救うために用いられる道具にすぎません。しかし、テモテの存在は神御自身が用いてくださる道具ではあるのです。道具なしに、テモテの存在なしに、神はその町の人々をお救いにならないのです。

松戸小金原教会が「地方の教会」であるというと、腹を立てる人たちがいるかもしれません。「何を言っているんだ、松戸は都会じゃないか」と言われてしまうかもしれない。「都会か地方か」という話の枠組みの中で見れば、わたしたちの教会は都会の教会だと言わなくてはならないのかもしれません。

しかし、わたしたちがどうしても意識するのは、お隣に東京という巨大な都市があり、そこにかなり年配のベテランの牧師がいる、かなり大きな規模の教会があり、そのような教会と比べれば、わたしたちは、小規模の、比較的若い牧師(私)がいる教会だということになる。この町に教会があるのに、前を通り過ぎられてしまう、中まで入っていただけないこともある、そういう教会の中に数えられてしまうことがあるので、その意味では「地方の教会」とみなされてしまう面があるかもしれません。

しかし、今日、皆さんにぜひご理解いただきたいと願っていることは、なんだか悪あがきのような言い方に聞こえてしまうかもしれませんが、初めから大規模の教会は存在しません、ということです。すべての教会が最初は小さな教会でした。また、もう一つ悪あがき。初めからベテランである牧師は存在しません。すべての牧師が最初は若い牧師でした。いま私は冗談のような話をしているわけですが、大真面目です。小さな教会、若い牧師が、長い年月の中で、次第次第に、少しずつ成長していくのです。最初は小さな働きしかできないのですが、次第次第に、少しずつ大きな働きができるようになるのです。

牧師だけの話をしてはいけません。教会が成長するということは、その教会に属する会員一人一人が成長していくことです。初めからベテランの教会員はいません。すべての人が最初は赤ちゃんでした。自分では何もできませんでした。何かができるようになるためには、社会的に大きな責任を果たせるようになるためには、多くの時間と努力が必要なのです。

ですから、今日、私から皆さんにお願いしたいと思っていることは、せっかく皆さんの家の近くにある、スープの冷めない距離にある、今はまだ小さくて若いこの教会が、大きく熟練した教会へと成長していくことのために祈っていただきたいし、まだこの教会の仲間に加わっておられない方々にはぜひこの教会の仲間に加わっていただきたいということです。皆さんに加わっていただくことがこの教会の成長です。

この町から教会が無くなってしまえば、この町に住んでいる方々がもしキリスト教の教えを学びたいと願われたときには、また繰り返して言いますが、バスに乗って、電車に乗って、自動車に乗って、遠くの町の教会まで通わなくてはならなくなります。元気なうちは、それもできる。しかし、わたしたちは、いつまでも元気なわけではありません。

松戸小金原教会の灯が消えないように、皆さんの祈りが必要です。もっと多くの仲間をわたしたちは求めています。どうか皆さん、わたしたちのためにお祈りください。ぜひ教会に来てください。

(2012年10月21日、松戸小金原教会 秋の特別集会)

2012年9月23日日曜日

どうして「心の貧しい人々は幸い」なのですか


マタイによる福音書5・1~12

「イエスはこの群衆を見て、山に登られた。腰を下ろされると、弟子たちが近くに寄って来た。そこで、イエスは口を開き、教えられた。『心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。悲しむ人々は、幸いである。その人たちは慰められる。柔和な人々は、幸いである。その人たちは地を受け継ぐ。義に飢え渇く人々は、幸いである、その人たちは憐れみを受ける。心の清い人々は、幸いである、その人たちは神を見る。平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。義のために迫害される人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。』」

今日はイエス・キリストのいわゆる「山上の説教」の冒頭の個所を開いていただきました。山上の説教という言葉は、字を見て初めて意味が分かる、耳で聞くだけでは意味が分からない言葉であると思います。山上(さんじょう)とは「山の上」です。イエスさまが山に登られて、その山の上で弟子たちに説教されました。山上の説教とはそういう意味です。

どうしてイエスさまは弟子たちに説教するためにわざわざ山に登られたのでしょうか。その理由は書かれていません。しかし、一つ明らかなことがあります。それは、旧約聖書に出てくるモーセが、いわゆるモーセの十戒をはじめとする律法を石の板に刻んだ場所が、山の上だったということです。どうしてモーセのことがイエス・キリストに関係していると言えるのでしょうか。この点ははっきり語ることができます。この山上の説教は、マタイによる福音書の5章から7章まで続く大変長いものですが、その内容は実際に読むとすぐに分かることですが、これは明らかに、モーセの律法についての新しい解釈をイエスさまが語っておられるものだからです。

そのような内容の説教をイエスさまが山の上でなさったことは、モーセが山の上で律法を石の板に書き記したことと明らかに関係しています。その事情はこうです。イエスさまは、その説教をなさるために山の上に立つことによって、御自身はかつてモーセが立ったのと同じ立場、いや、それ以上の立場にあることをお示しになったのです。イエスさまは御自身を、モーセを超える存在、モーセ以上の存在として示されたのです。そのためにイエスさまは山の上で弟子たちに説教されたのです。

なぜイエスさまは「モーセ以上」なのでしょうか。先ほど私はイエスさまの山上の説教はモーセの十戒の新しい解釈であると言いました。それはそのとおりですが、新しい解釈という次元を越えて、もはやモーセの律法の全面的な改訂ないし更新と呼んでもよいほど、全く新しい教えであるとも言えます。イエスさまの説教は耳にたこができるような、だれでも知っているような、古くさくて退屈な話ではなかったのです。だれも聞いたことがなかったような、全く新しい言葉だったのです。

さて、その山上の説教の最初に語られた言葉を今日は読みました。「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである」。これはモーセの律法についての新しい解釈という点とは直接的には関係ない内容です。しかし、非常に人を驚かせる言葉です。私もいまだに、読むたびに驚きます。もっと言えば、動揺します。イエスさまは一体何をおっしゃりたいのだろうと理解に苦しみ、不安になります。それはたぶん私だけではなく、多くの人がそうだと思うのです。

次の言葉もすごいです。「悲しむ人々は、幸いである」。そのときの状況や気分にもよると思いますが、悲しんでいる人に「あなたは幸せですね」とか言えば、非常に腹を立てる人が必ずいるはずです。たとえ聖書の御言葉であっても、時と場所と状況を間違えて使うと、誤解されてしまいます。

もう一つだけ先に見ておきます。「柔和な人々は、幸いである、その人たちは地を受け継ぐ」。この「柔和な人」は説明が必要です。「柔和な人」と聞けば、わたしたちは通常、人との争いを好まない、穏やかな性格の人というくらいの意味で理解し、良い意味であるととらえるはずです。しかし、この「柔和な人」は悪い意味です。なぜなら、ここで言われているのは、家畜がその飼い主によって飼いならされているという意味の「飼いならされた人々」のことだからです。政治的な権力者にとっては扱いやすい、人の言うことをなんでも聞く、飼いならされた人です。それを日本語で「柔和な人々」と訳しても意味が通じるはずがないので、説明が必要です。

ですから、山上の説教の最初の三つの言葉、「心の貧しい人々は幸いである」・「悲しむ人々は幸いである」・「柔和な人々は幸いである」は、どれも悪い意味で言われていて、辛くて苦しい境遇や状況に置かれている人々のことです。そのような人々は「幸いである」とイエスさまは非常に驚くべき言葉を語っておられるのです。イエスさまは何を言っておられるのかが分からない。理解に苦しむ。そのような反応が起こることが当然予想される、明らかに逆説的なことをおっしゃっているのです。

今日は、考えてみたいことを一つだけに絞ることにします。それは最初の「心の貧しい人々は幸いである」というイエスさまの御言葉です。「心が貧しい」とは、どういう意味でしょうか。この問題に今日は集中することにします。

原文を調べてみて分かったことがあります。それは、ここで「心」と訳されている言葉は新共同訳聖書の他の多くの個所では「霊」と訳されている言葉であるということでした。たとえばわたしたちが「聖霊」(原文では「聖なる霊」)という言葉で理解している意味内容があるわけですが、その意味で使われる「霊」が、今日の個所の「心の貧しい人々」の「心」と同じです。つまり、今日の個所も「霊の貧しい人々」と訳しても間違いではないのです。

そして「貧しい」とは「少ない」ということです。通常「貧しい人」といえば、持っているお金や財産が少ない人のことですが、「霊が貧しい人」とは、字義通り訳せば「霊が少ない人」となります。しかし、もう少し丁寧に考えるとしたら、貧しいことと少ないことは完全なイコールではありません。持っているものは少なくても、使う分も少なければ、需要と供給のバランスはとれていると言えるでしょう。少ないけど足りている。そういうことはありうることです。しかし、ここでの「貧しい」とは足りないことです。足りていないことです。ですから、イエスさまがおっしゃっているのは「霊が少ない人」というよりも「霊が足りない人」あるいは「霊が足りていない人」のことであると考える必要があります。需要に対して供給が追い付いていない。そのバランスがとれていない。霊に対して常に不足と不満を感じている。そのような人々についての話なのです。

それは何のことなのでしょうか。霊が足りないとか少ないとか。ここで考えなければならないことは、聖書が描き、イエスさまが見ておられる人間の姿です。それは簡単に言えば、人間とは肉体だけでできている存在ではなく、その中に霊というものが宿っている存在であるということです。人間は単なる肉の塊ではありません。少なくとも何かを考えたり感じたりします。理性があり、感情がある。そして、それだけではなく、人間は神を知ることができ、信じることができます。客観的に証明することはできないことですが、他の動物と人間の違いは宗教を持ちうるかどうかであると言われることがある。人間だけに固有な能力は宗教であると言われます。そのような理性や感情、あるいは信仰や信心が人間の肉体の中に宿っています。それらすべてをまとめて、聖書は「霊」と呼んでいるのです。

ですから、イエスさまが「心の貧しい人々」と呼んでおられるのは、その意味での「霊」が少ない、足りない、足りていない人のことであると理解することができます。あるいは、その「霊」には人間の知識とか知恵なども含まれています。知識や知恵が足りない人、ということになりますと、世間的な評価も、残念ながら低い。そのようなことのすべてを含んでいるのが「霊の足りない人」です。

そういう人々がどうして「幸い」なのでしょうか。イエスさまがその理由として挙げておられるのは、一つのことだけです。「天の国はその人たちのものである」。「天の国」は天国と同じ意味です。「の」が入っているだけです。意味は同じです。しかし「神の国」とも同じ意味です。「天」は「神」の言い換えです。「神」という言葉を口にしたり書いたりすることが畏れ多いため別の言葉で言い換えた婉曲表現が「天」です。意味は同じです。

しかし、「天」とか「天の国」「天国」と言われますと、わたしたちはどうしても、空の上のことを考えてしまいます。星の向こう、宇宙の彼方を仰ぎ見てしまいます。しかし、「天の国」は「神の国」と同じです。そして「神の国」というのは、聖書の中では断然、この地上において実現されるものを指しています。「神の国」とは、神が創造されたこの世界を神御自身が支配されることを意味しているからです。神という王が地上の世界の平和を実現してくださること、それが「神の国」です。空の上、星の向こう、宇宙の彼方の話ではないのです。むしろ、この地上の問題であり、わたしたちの心の中の問題です。

そのような「天の国」あるいは「神の国」は、「心の貧しい人」あるいは「霊の足りない人」のものであるとイエスさまは言われているわけです。それはどういう意味でしょうか。「霊が足りない人」は基本的に「肉だらけの人」です。我々の肉体を一つの容れ物として見立てるとしたら、空きスペースがたくさんある、ほとんど空っぽの容れ物だということになります。何が入っていないのかと言えば、霊が入っていない。なかでも信仰が入っていない、足りない、足りていない。あらゆることを神なしで、信仰なしで、考えている、それで生きている。そういう人たち。

しかし、イエスさまはそのような人々のことを、ばっさり切り捨てたりはなさいません。むしろ、そういう人々こそ「幸いである」とおっしゃっています。なぜなら、そういう人たちのためにこそ、神の国はあるからです。なぜなら、なかみがほとんど空っぽの人にこそ、神の霊、聖霊なる神御自身が入りこんでくださり、宿ってくださるスペースが、たくさん残っているからです。

勉強と努力ももちろん大事です。しかし、そのようなものだけで頭と心がいっぱいになっている人は、神にも宗教にも興味をもつことができません。自分の力ですべての道を切り開いてきたと思っている人は、神の恵みというようなものを受け入れることができません。しかし、自分の努力には限界があります。挫折も失敗もあります。すべての道を自分の力で切り開いてきたと信じてきた人の挫折感は激しいものがあります。文字どおりの絶望がある。しかし、そのとき人の心に風穴があく。空きスペースができるのです。そこに神が恵みを注いでくださる。神御自身が宿ってくださるのです。

「心の貧しい人々」は、なぜ幸いなのでしょうか。そのような人々にこそ、神の霊、聖霊なる神が豊かに注がれる余地があるからです。そのような人々にイエスさまは「ぼくと一緒に生きて行こう」と呼びかけてくださるのです。

(2012年9月23日、松戸小金原教会主日礼拝)

2012年9月19日水曜日

「最長滞在記録」更新中です

今日は午前中、教会の祈祷会がありました。その後、昼食を買いにコンビニに行ったらレジのパートの方が中学校のPTAで親しくしていただいている方だったので、つい長々とレジ越しに話し込んでしまいました。

来る11月3日(土)に中学校でPTA主催のバザーを行うことになっているのですが、そのバザーの実行委員長を昨年からPTA会長が兼ねることになったので、これから忙しくなっていくんです。さっきそのお母さんと話し込んだ話題も「バザーの打ち合わせ」でした。

そんなことをこんなところに書いて、いまぼくは何を言いたいかといいますとね、ぼくが松戸小金原教会の牧師になって、いま9年目なんです。2004年4月からですから、だいたいちょうど8年半です。長男(現在高3)は小3から小4になるタイミング、長女(現在中3)は幼稚園から小1になるタイミングでした。あれからもう8年半も経つんだなあと思って。

ぼくね、自慢でも何でもないんですが、生まれたときから高校を卒業するまでの18年間生活した岡山県岡山市を除いたら、同じ町・同じ場所に過去、最も長く住んだのは、ここ、松戸市小金原ということになるのです。「最長滞在記録」更新中です。

8年半くらい住みますとね、その町のコンビニのパートのお母さんたちとも顔見知りになれる。ていうか、流浪の牧師が、公立中学のPTA会長とかやってたりする。

あ、そうそう、いまぼくは町会の班長なので、一昨日は同じ班の高齢者たちに敬老の日のお祝いのプレゼントをもって10軒ほどお訪ねしました。

でもね、こういうことも、やっとできるようになったんですよ。8年半ほどじっとしてただけですよ。礼拝出席者が目覚ましく飛躍的に増えたわけでもない。「きみ、8年半もそこで何してたの?」と問われても、答えに窮するばかり。穴があったら入りたい。

「やっと町の人と仲良くしてもらえるようになりました」。

それで精一杯です、ぼくは。すいません。

2012年9月5日水曜日

神学書が分からないのは貴方のアタマが悪いせいではない

昨年(2011年)8月に惜しくもお亡くなりになった翻訳者であり・翻訳論者であった山岡洋一氏からは、著書『翻訳とは何か』とメールマガジン『翻訳通信』を通してきわめて重大な示唆を得た。

山岡氏とは一度だけメールのやりとりをしていただいたものの、面識を得ることはできず、急逝の一報に接したときは愕然とする思いを禁じえなかったことを、昨日のことのように思い返す。

山岡氏からぼくは何を最も学んだか。いま「最も」と書いたばかりなので、一点に絞る。

ぼくの関心は高校を卒業して大学に入学して以来ずっと「神学」にあるわけだが、ほとんど最初から最近まで悩み続けてきたことは、神学関係の訳書は「読んでも分からない(理解不可能である)」ということだった。

それで、ご多分に洩れず(ぼくと同じ問題で悩んでいる人と何人となく出会ってきた)、「この本を理解できないのは、ぼくのアタマが悪いせいなのだ」と自分を責めてきた。わりと深刻に。しかし、山岡氏に出会い、この呪縛から解放された。

ぼくには何度読んでも理解できなかった訳書のほとんどは、山岡氏の言葉を借りれば「翻訳調」で訳されているものばかりであった。この「翻訳調」の歴史的由来が、明治政府以来の日本の国策としての「翻訳主義」にあることを、山岡氏は教えてくれた。

日本の「翻訳主義」には長所がある。なんといっても「小学校から大学までの教育をすべて自国語で行えるようになった」ことである(山岡洋一「翻訳主義と翻訳調」、翻訳通信、2010年6月号、第2期第97号、メールマガジン、1ページ)

しかし、「翻訳主義」に基づく「翻訳調」の基本は、外国語の一単語に日本語の一単語を対応させるという「一対一」の原則にあるので、そういうふうにして作られた文章(訳文)を読者が「日本語」として理解することには非常に無理があり、ほとんど不可能であるということは、なるほど明らかである。

そして、「翻訳とは執筆なのだ」という単純な事実を、ぼくは山岡氏から教えられた。日本語が上手に書けない人に、外国語の書物の「翻訳」は不可能である。神学の場合も然り。「日本語化」でないようなものは「翻訳」とは言えない。

よく考えてみれば、これほど自明なことは他に無いと思えるようなことが、ぼくには長らく分からなかった。

「1997年5月1日」(とメモしてある)に、ぼくは生まれて初めて『講談社オランダ語辞典』を、新校舎になったばかりの神戸改革派神学校(神戸市北区)の近くの小さな書店で購入し、初めにヘルマン・バーフィンクの、次にアーノルト・ファン・ルーラーのテキストを読みはじめた。

それ以来ぼくは、オランダ語のテキストと『講談社オランダ語辞典』とには首っ引きになった。とにかく必死になって、上記の意味での「一対一」のパッチワークを始めた。オランダ語の一語に対して、日本語の一語を対応させようとした。しかし、そういう方法で作り上げられた訳文は「日本語」ではなかった。

しかし、「日本語」でないような訳書は商品にはならない。というか、恥ずかしくて世に出す気にならない。だって、日本語としては支離滅裂なのだから。

だから、それをなんとかして日本語として読みやすくしようと当然試みる。ところが、それが無理なのだ。ちょっとやそっといじくるくらいで何とかなるようなシロモノではない。

結局、根本的・全面的に書き直さなくてはならない。しかし、そういうのは明らかに二度手間だし、加えて、最初に成立した「支離滅裂のパッチワーク」が一種の後遺症のような作用を及ぼし、真に果たすべき「日本語化」の妨げになるケースがあることを、実際に体験した。

そのような数々の(と言っても、翻訳に関してはシロウトなので、質量とも大したことはない)経験の中で自覚された課題が、いくつかあった。それを山岡氏がはっきりと教えてくれたのだ。

第一は、神学書もまた「翻訳調」(一対一(いったいいち)対応を原則とする支離滅裂のパッチワーク)からの脱却をはからなければならない。

第二は、「翻訳調こそが翻訳だ」という凝り固まった翻訳論に立脚する旧来の日本の(日本的な)神学的潮流からの脱却「をも」はからなければならない。

第三は、神学書の翻訳は「日本語化」が必要であり、単純に「日本語」でなければならない。

古来の日本語の中には欧米のキリスト教伝統に対立する要素が含まれているので、「神学の単純な日本語化」なることは不可能であるという理屈は、ある意味で分かる。しかし、ぼくが考えていることは「日本的神学」だの「日本主義神学」だのを目指せ、というようなことではない。もっと、ずっと手前の話である。

翻訳された神学書を手にとって読む人たちを、「この本を理解できないのは、ぼくのアタマが悪いせいなのだ」というような思いにさせたくない。事情は実は逆なのに。

貴方が「この本を理解できない」のは、訳者が悪いに決まっている。悪いのは、日本の国策としての「翻訳主義」に基づく「翻訳調」から一歩も身動きがとれなくなっている、日本の神学的アカデミシャンたちである。

ぼくがブログ「関口康日記」を始めたきっかけも、いま書いていることに大いに関係している。「日本語化」のためには日本語を磨く必要がある。自分の考えや思いを、顔の見えない人たちに、自分の書く「字」だけで、どうやって伝えるのかを、徹底的に考え抜く必要がある。

そのために、ぼくはブログを始めたのだ。それが「日本語化としての翻訳」の質を高めるものになると信じることができたからに他ならない。

ブログに書いていることも、Facebookに書いていることも、9割はジョークで、神学からも翻訳からも程遠いことばかりである。ま、でも、それはぼくが決めたやり方なのだから、だれに文句を言いたいわけでもない。

ただ、回り道しすぎている感は否めない。ぼくの時間に、それほど猶予はない。

2012年8月9日木曜日

マックス・ヴェーバーはやっぱり迷惑だ

だいぶ前にブログに書いたことを繰り返しますが、マックス・ヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』はやっぱり迷惑です。

ルター、カルヴァン、改革派神学、ウェストミンスター信仰告白の「禁欲的な」倫理思想が、ヴェーバーの文脈からいえば19世紀頃の(とりわけアメリカの)資本主義の道備えを、皮肉かつ逆説的な仕方でおこなっ(てしまっ)た。

仮に百歩譲ってそのようなことが歴史的世界の中のどこか一部にあったことがあるかもしれないとしても、そのような世界の大海の一滴のようなエピソードを、あたかも普遍的な事実であるかのように引き伸ばして語ることは、明らかに誇張だし、デフォルメだし、虚構のたぐいです。

まして、ルターもカルヴァンも、改革派神学の一冊も、ウェストミンスター信仰告白の一ページすら開いたこともないような人たちから、高校の社会科の教科書や大学受験予備校のテキストにたったの四行か五行くらいで書いているようなことを検証することもなく鵜呑みにしたままに、「カルヴァンからピューリタンの方向に行くと、あの資本主義国アメリカみたいになるんぜ。だからあの連中には気をつけなよ」というような「あのね、それザックリし過ぎだよ!!」と大声をあげたくなるような話がまことしやかに語られるのを散見する日には、もうただひたすら笑いと怒りが交錯する悶絶状態に陥ることさえ、まあ無いとは言いがたい。

マックス・ヴェーバーは迷惑です。心底そう思っています。

彼の理論を社会学や政治学の方面から批判し、脱構築していく議論は、ぼくなりにいろいろ読んできたつもりです。しかし、これは日本国内だけのことですが、神学・教義学の方面からの正面からのヴェーバー批判は、寡聞にして知りません。

ぼく自身はアメリカという国に行ったことがないし、あまり興味もないので、本当にどうなのかはよく分からないし、「ヴェーバーの言ったことはほとんど正しい」と言いうる現実があるのかもしれないので、偉そうなことは言えません。

ただ、繰り返しますが、「カルヴァンからピューリタンの方向に行くと、(論理的・必然的・運命的に)あの資本主義国アメリカみたいになるんだぜ」ってことはない。それはカルヴァンと改革派神学に対する中傷誹謗のたぐいだし、曲解としか言いようがない。

「本当にそうかどうか、ぼくと一緒にテキストを読んでみませんか」と言いたくなります。

2012年8月6日月曜日

百年前とか千年前は「ついこないだ」です、ハイ


「百年に一度」であれ「千年に一度」であれ、地球の歴史全体から考えると「頻繁であること」を意味していますね、たしかに。

ぼくらが「自分の生きている間だけ安全であればいい。百年先のことなんか知るか」みたいな考え方をしてしまうことは、やっぱり恥ずかしいことだと思う。

ぼく自身を含めて、宗教とかをやっている者たちにとっては、ある程度の長さをもつ時間的スパンで物事をとらえることは、慣れてるというか、いつもやってることだと思うんですけどね。

神学者たちの話とか聞くと、だいたいそうですよ。「ついこないだのことですが」と切り出すので何の話かなと聞いていると、18世紀のカントの話だったり、19世紀のシュライアーマッハーの話だったりする。

大づかみに歴史をとらえるって、そういうことです、よね。

今次の動きは「デモ」というより「オフ会」ですよね

今次の官邸前や全国の動きは、デモ、デモと言いますが、ぼくは、いわゆる従来の「デモ」ではないと思ってるんです。

じゃあ何なのかと問われてもうまく答えられないんですが。

60年安保との決定的な違いは、インターネットの普及の有無です。今次の動きには「オフ会」の面があります。

議論はネット上でかなり深いところまで十分になしうる。各自が支持・所属する政党や宗教教団の壁を越えて。

そして、議論を踏まえたネット民が地上に姿を現したら、これだけの動きになった。

なんかそんな感じなんです。

だから、歴史の繰り返しだとか、そういうのとはかなり違うものだと思うんです。

2012年7月28日土曜日

このデモに「主催者」は、もはやいない


原発抗議行動、今週も 日曜日に「国会包囲」実施へ(朝日新聞)
http://www.asahi.com/national/update/0727/TKY201207270517.html

「これまで呼びかけてきた『首都圏反原発連合』の主催ではなかったが、午後6時すぎには多くの人が集まり、『原発止めろ』『子どもを守ろう』などと声を上げた。」

脱原発:デモ:政党は距離感つかめず
http://mainichi.jp/select/news/20120728k0000m040174000c.html

「自発的に集まる人々がほとんどで、政党側には意思疎通のパイプがない。矛先が既成政党全体に向かうきざしもあり、『なめたらえらいことになる』(自民党幹部)という声も出ている。」

これでますます明白なことは、総理官邸前デモには、厳密な意味での「主催者」は、もはやいない、ということです。

率直に言って、もう、そういうたぐいの恣意的なコントロールは効かない状態だと思うんです。

なので、あくまでもぼくの印象ですが、これからは、「主催者」の側から、「今日はしません」とか、「次はいつにする」とか、「今度はどこで」とかいうような“指示”を、もうあまりしないほうが、このデモは続くんじゃないかという気がします。

「毎週金曜日の午後○時」には、とにかく総理官邸前に行く。だれが“指示”をしなくても、そうする。

というふうな感じの運動は、単純素朴ゆえに長続きするんじゃないかと思うんです。

それは、たとえはピッタリではないかもしれませんが、ぼくたちキリスト教徒が「毎週日曜日の午前○時」には、とにかく教会に行くということを、誰かに”指示”されて、というわけでもなく、してきたのと、どこかしら似ている感じです。

“指示”されるのは、もううんざりなんです、よね。集まっている人たちの感覚は、そのようなものだと思いますよ、一人一人に聞いたわけじゃありませんけどね。

2012年7月27日金曜日

ぼくのラスボスってダレなんですか

脈絡は全くありません。

今朝からなんとなくぼんやり考えていることです。

「自分探し」ってあるじゃないですか。

あれ、ぼくしたことないし、興味も無いんですが...って、してる人をけなす意味は無いですよ、無いです無いです。

だけど、振り返ってみて「ラスボス探し」っていうのは、けっこうしてきたかも、と気づかされるものがあったんです。

ぼくにとっての「ラスボス」って誰なんだろ、という関心です。

分かんないですね、いまだに。

闇夜に怯える子どものようです。

「...だ、だれなんだっ?ぼ、ぼくのラスボスはっ?!」と叫びたいくらいです。

実は自分の父だったという、「銀河鉄道スリーナインかっ!」的なオチも考えなくもないのですが、いやいや、ぼくの父に限っては、それは無い無い。無いです。

えっと、ダレなんですか、ぼくのラスボスは?

「ぼくで~す!」って名乗り出てほしいっす。

あ、もし、実は自分の妻だったという展開だったら、ぼくやられてもいいや(笑)。

それも無いですからね、無い無い(笑)。