米・コロンビア大学の1-2年生必修コアカリキュラムは「西洋古典常識」徹底履修 毎週古典文学・思想の課題図書を読み、議論し、レポートを書く: 天漢日乗
年齢も関係あるのでしょうか、こういう記事に感動します。「哲学書なんてどこでも売ってるんだから、そんなもん自分で読めばいいだろ」と言われればそれまでですが、「本は本来読めないもの」(佐々木中氏)です。良い教師が必要です。「手引きしてくれる人がなければ、どうして分かりましょう」(新約聖書 使徒言行録8・31)。
岡山朝日高校の「倫理・社会」の影響は、かなり受けました。当時のノートは今でも宝物です。「西洋古典常識」の手がかりを得たことは間違いありません。
大学時代の哲学教師は近藤勝彦先生(現東京神学大学学長)でした。近藤先生は当時、一般教養ポストにおられました。カリキュラムの関係で、近藤先生から神学を教わったことはなく、哲学とドイツ語を教わりました。「洞窟のたとえ」や「窓のないモナド」の話は忘れられません。
東京にいた間、古書店という古書店をとにかく探し回ったのは、神学書ではなく、青帯の岩波文庫でした。プラトンからハイデガーまでは揃えました。
でも、あれが読めない。歯が立たない。翻訳のせいにしても仕方がありませんが、やはり翻訳が悪いんです。
山岡洋一氏出現以後の新しい翻訳理論に基づく、岩波文庫(青帯)の全面改訳を期待します。近代日本は「翻訳文化」なのですから、本気を出せば朝飯前のはずです。
日本をあきらめるつもりなどは、さらさらありません。しかし、そう遠くもない未来に「一家に一台、ガイガーカウンターを」と言われそうな時代の只中でこそ、「読みうる良い翻訳による西洋古典常識」が必要だと考えるのは、私だけでしょうか。
大節電時代にこそ、蛍の光・窓の雪を頼りに哲学書をひたすら読みふける。ロマンティックな発想だなどと思われたくないです。絶望の闇を打ち破るための苦闘です。
「牧師なら『聖書を読め』と言え」と言われそうですが、聖書も「西洋古典常識」です。哲学を読めば、聖書と神学を相対化できる。いま自分は何をどのように信じているかを客観視できる。それに、哲学の基礎も得られていない人に、神学の三位一体論やサクラメント論が理解できるとは考えにくいです。
それにつけても、欲しいのは良い教師です。文系の人たち、立ちあがれ。文学部、復活せよ。
2011年5月1日日曜日
存在そのものがマナー違反で悪かったね(笑)
ビジネスマナーの常識、「宗教・政治・野球の話題は避けること」は、幼少の頃から知っていましたが、宗教と政治は私には避けがたいものでしたので、黙っているのが心理的に辛かったことを忘れられません。
因果関係は不明ですが、小学生の頃から高校を卒業するまで、吃音に悩んでいました。「ひとまえで話す」などとんでもないことでした。しかし、牧師になると決めて神学校に入ったころから、ぴたりとおさまったのです。医師に診てもらったわけではありませんが、思いと言葉が一致したことで吃音から解放されたのではないかと、勝手に解釈しています。
宗教と政治の話ができない場所からは、私は退場しなければなりません。そのことは了解しています。自由に語りあえる場所を、常に新たに作り出していくだけです。「口封じには応じない」と思っているだけです。牧師の口を封じるのは至難の業だと思います。
因果関係は不明ですが、小学生の頃から高校を卒業するまで、吃音に悩んでいました。「ひとまえで話す」などとんでもないことでした。しかし、牧師になると決めて神学校に入ったころから、ぴたりとおさまったのです。医師に診てもらったわけではありませんが、思いと言葉が一致したことで吃音から解放されたのではないかと、勝手に解釈しています。
宗教と政治の話ができない場所からは、私は退場しなければなりません。そのことは了解しています。自由に語りあえる場所を、常に新たに作り出していくだけです。「口封じには応じない」と思っているだけです。牧師の口を封じるのは至難の業だと思います。
2011年4月29日金曜日
「東日本大震災後の」神学を模索する(2)
今回の大震災における、互いに矛盾する側面をもつ「津波被災地」と「原発被災地」との関係をどのようにとらえるかで、日本の神学者たちもかなり苦労しておられることが分かった。身近な友人たちも悩んでいる。
どちらも「キリスト論的に」とらえることが悪いとは思わない。しかし、それで果たして問題が解けるかに疑問がある。私は所属教派の「緊急支援」のあり方を必死で考えているが、もっぱらキリスト論だけで考えていくと結局「現地で死ぬ」を帰結せざるをえない感じである。
「関口が逃げたがっている話」ではない。これは誤解されたくない。今回の放射能汚染を過小評価するつもりは全くないが、過大評価も危険である。千葉の松戸あたりにいて、逃げるだ何だとガタガタ言う段階ではない。しかし、逃げなければならない方々はすでに大勢おられる。福島の計画避難対象者の移住や「空き家探し」は、国民みんなで協力して、なんとしてでも実現しなければならないであろう。
キリスト教の神学が「キリスト論」を放棄することは自滅行為だ。わたしたちの目指す理想としては「キリスト論に根差しつつ、キリスト論から自由にされる」というくらいが、ちょうど良い塩梅であろう。1950年代から60年代にかけてのバルト批判の「隠れた」急先鋒であったファン・ルーラーは、まさにこの問いの中で三位一体論、そして聖霊論を志向した人である。
「キリスト論に根差しつつ、キリスト論から自由にされる」論理のために三位一体論が有効である理由は、三位一体論がキリスト論を含みつつキリスト論よりも大きな枠組みを提供することによって、キリストを(父・子・聖霊の一パートにすぎない存在とみなして)相対化するからである。
バルトも三位一体論を強調した。しかし、バルトの場合はキリストと聖霊の関係を「客観」と「主観」の関係でとらえたので、コインの表と裏の関係のような話になり、両者(キリストと聖霊)の違いを説明できなかった、というか、するつもりがなかった。
バルトを批判したファン・ルーラーにとって三位一体論を強調する意図は、キリスト論と聖霊論の「違い」を強調することであった。しかし、だからといって、ファン・ルーラーは「聖霊派」だったとか「聖霊主義者」だったとかいう話ではない。彼はキリスト論の限界を言いたかっただけである。
ファン・ルーラーが指摘したキリスト論と聖霊論の「違い」における重要な点は、キリストは「我々の身代わりに死んでくださった」が、聖霊には「身代わり」の論理はそぐわないということだった。
「聖霊なる神が我々の身代わりに十字架の上で死んでくださったゆえに、我々は救われた」と教えるキリスト教はない。聖霊とは我々の「身代わり」ではなく、我々に「内住し」(inhabitatio)、我々の中で、我々と共に、我々の体と心とを用いて、地上において現実的に働かれる神であると、ファン・ルーラーは教えた。
もう一つ重要な「違い」は、キリストの人間性(肉=σαρχ)には自立的な人格はないが(そうでなければキリストの二性一人格論は保持できないゆえに)、聖霊が内住している人間は「二性二人格」になっていることであると、ファン・ルーラーは教えた。それは、我々の存在の中に大文字のSpiritと小文字のspiritが共存している状態である。
いま書いたことはスコラ的な神学議論(またの名を屁理屈という)かもしれないが、そうであるということをファン・ルーラー自身も自覚していた。彼が言いたかったことは、キリスト論だけで神学のすべてを語り尽くすことには論理的な限界があるということだけであって、それ以上のことではなかった。
そしてファン・ルーラーは、ティリッヒのような人が「大文字のSpiritが人間の中に入ると小文字のspiritは人間の中から飛び出す。これを脱自(エクスタシー)と呼ぶ」と説明したような聖霊論に反対し(ティリッヒの聖霊論については彼の『組織神学』第三巻、土居真俊訳、新教出版社、1984年、142ページ以下参照)、両者(大文字のSpiritと小文字のspirit)の共存関係を主張した。
聖霊の内住(inhabitatio Spiritus sancti)によって大文字のSpiritと小文字のspiritが共存することで、どうなるか。我々は絶えず葛藤し、苦悩することになるのだと、ファン・ルーラーは諭した。彼の神学は少しもエクスタティックではない。「非陶酔的な」神学である。
ファン・ルーラーの神学は、単なる「喜びの神学」ではなかった。「苦しみの神学」でもあった。たとえば次の言葉を読めば、彼の心を理解していただけるはずである。
「我々は、真理が我々自身によって共に十分に完成することのために、存在し、働き、苦しまなければならないのである。」
��A.A.ファン・ルーラー「真理は未だ已まず(1956年)」『著作集』(Verzameld Werk)第一巻収録)
キリスト論に固有な「身代わり」(代理贖罪)の思想は、殉教ならまだしも、殉職や殉国(戦死、特攻など)にも転用されやすく危険な面があるように思えてならない。高橋哲哉氏の問いかけは正当である(高橋哲也著『殉教と殉国と信仰と』白澤社、2010年)。
私自身は、「フクシマ50」の方々の勇敢さをたたえることに躊躇は無い。しかし、だからといって、彼らを「我々の身代わり」とみなして見殺しにしてはならないとも思う。線量計を離さず安全に作業してほしい。身の危険を感じたら躊躇なく交代してほしいと、願っている。
安全地帯で頭と指先だけを動かしてブログを書いているだけのヤツみたいに思われるのは、つらいものである。「そうではない!」と叫びたい思いだが、今は黙して、心で寄り添い、祈るばかりである。
��まだつづく)
どちらも「キリスト論的に」とらえることが悪いとは思わない。しかし、それで果たして問題が解けるかに疑問がある。私は所属教派の「緊急支援」のあり方を必死で考えているが、もっぱらキリスト論だけで考えていくと結局「現地で死ぬ」を帰結せざるをえない感じである。
「関口が逃げたがっている話」ではない。これは誤解されたくない。今回の放射能汚染を過小評価するつもりは全くないが、過大評価も危険である。千葉の松戸あたりにいて、逃げるだ何だとガタガタ言う段階ではない。しかし、逃げなければならない方々はすでに大勢おられる。福島の計画避難対象者の移住や「空き家探し」は、国民みんなで協力して、なんとしてでも実現しなければならないであろう。
キリスト教の神学が「キリスト論」を放棄することは自滅行為だ。わたしたちの目指す理想としては「キリスト論に根差しつつ、キリスト論から自由にされる」というくらいが、ちょうど良い塩梅であろう。1950年代から60年代にかけてのバルト批判の「隠れた」急先鋒であったファン・ルーラーは、まさにこの問いの中で三位一体論、そして聖霊論を志向した人である。
「キリスト論に根差しつつ、キリスト論から自由にされる」論理のために三位一体論が有効である理由は、三位一体論がキリスト論を含みつつキリスト論よりも大きな枠組みを提供することによって、キリストを(父・子・聖霊の一パートにすぎない存在とみなして)相対化するからである。
バルトも三位一体論を強調した。しかし、バルトの場合はキリストと聖霊の関係を「客観」と「主観」の関係でとらえたので、コインの表と裏の関係のような話になり、両者(キリストと聖霊)の違いを説明できなかった、というか、するつもりがなかった。
バルトを批判したファン・ルーラーにとって三位一体論を強調する意図は、キリスト論と聖霊論の「違い」を強調することであった。しかし、だからといって、ファン・ルーラーは「聖霊派」だったとか「聖霊主義者」だったとかいう話ではない。彼はキリスト論の限界を言いたかっただけである。
ファン・ルーラーが指摘したキリスト論と聖霊論の「違い」における重要な点は、キリストは「我々の身代わりに死んでくださった」が、聖霊には「身代わり」の論理はそぐわないということだった。
「聖霊なる神が我々の身代わりに十字架の上で死んでくださったゆえに、我々は救われた」と教えるキリスト教はない。聖霊とは我々の「身代わり」ではなく、我々に「内住し」(inhabitatio)、我々の中で、我々と共に、我々の体と心とを用いて、地上において現実的に働かれる神であると、ファン・ルーラーは教えた。
もう一つ重要な「違い」は、キリストの人間性(肉=σαρχ)には自立的な人格はないが(そうでなければキリストの二性一人格論は保持できないゆえに)、聖霊が内住している人間は「二性二人格」になっていることであると、ファン・ルーラーは教えた。それは、我々の存在の中に大文字のSpiritと小文字のspiritが共存している状態である。
いま書いたことはスコラ的な神学議論(またの名を屁理屈という)かもしれないが、そうであるということをファン・ルーラー自身も自覚していた。彼が言いたかったことは、キリスト論だけで神学のすべてを語り尽くすことには論理的な限界があるということだけであって、それ以上のことではなかった。
そしてファン・ルーラーは、ティリッヒのような人が「大文字のSpiritが人間の中に入ると小文字のspiritは人間の中から飛び出す。これを脱自(エクスタシー)と呼ぶ」と説明したような聖霊論に反対し(ティリッヒの聖霊論については彼の『組織神学』第三巻、土居真俊訳、新教出版社、1984年、142ページ以下参照)、両者(大文字のSpiritと小文字のspirit)の共存関係を主張した。
聖霊の内住(inhabitatio Spiritus sancti)によって大文字のSpiritと小文字のspiritが共存することで、どうなるか。我々は絶えず葛藤し、苦悩することになるのだと、ファン・ルーラーは諭した。彼の神学は少しもエクスタティックではない。「非陶酔的な」神学である。
ファン・ルーラーの神学は、単なる「喜びの神学」ではなかった。「苦しみの神学」でもあった。たとえば次の言葉を読めば、彼の心を理解していただけるはずである。
「我々は、真理が我々自身によって共に十分に完成することのために、存在し、働き、苦しまなければならないのである。」
��A.A.ファン・ルーラー「真理は未だ已まず(1956年)」『著作集』(Verzameld Werk)第一巻収録)
キリスト論に固有な「身代わり」(代理贖罪)の思想は、殉教ならまだしも、殉職や殉国(戦死、特攻など)にも転用されやすく危険な面があるように思えてならない。高橋哲哉氏の問いかけは正当である(高橋哲也著『殉教と殉国と信仰と』白澤社、2010年)。
私自身は、「フクシマ50」の方々の勇敢さをたたえることに躊躇は無い。しかし、だからといって、彼らを「我々の身代わり」とみなして見殺しにしてはならないとも思う。線量計を離さず安全に作業してほしい。身の危険を感じたら躊躇なく交代してほしいと、願っている。
安全地帯で頭と指先だけを動かしてブログを書いているだけのヤツみたいに思われるのは、つらいものである。「そうではない!」と叫びたい思いだが、今は黙して、心で寄り添い、祈るばかりである。
��まだつづく)
2011年4月27日水曜日
「東日本大震災後の」神学を模索する(1)
大震災以降、ほとんど手をつけられずにいることがある。ファン・ルーラーの翻訳と研究である。12年以上も続けてきたのに。どうも気持ちがのらない。地震と津波と原発事故の悪連鎖、そして今も続く(大きな)余震。環境のせいにしたくないのだが、集中力が途切れる。意識が飛ぶ。困ったなあ、もう。
今の事態の中でこそファン・ルーラーの神学が有効性を発揮することは、分かっているのだ。
4月25日(月)の「東日本大震災被災教会緊急支援特別委員会」でも議論になったことは、「近づくベクトル」と「遠ざかるベクトル」との関係である。前者は現地への訪問と支援、後者は放射能の影響圏外への避難である。
「遠ざかるベクトル」などと書くと、現地で苦しんでいる人々を見捨てて逃げるつもりかなどと噛みつかれかねないが、そういう意味じゃない。我々が遠ざかるべきは、人ではなく、(人命を危険にさらすレベルの)放射能だろう。論点をずらされると非常に困るし、話を先に進められない。
「遠ざかるベクトル」の中で教会が考えるべきことは、はっきりとは分からないが、もし可能ならば、計画避難の対象者のための「空き家探し」などのお手伝いをすることではないかと、そのようなことくらいしか思いつかないが、内容は要するにそういうことだ。現地の方々を見捨てるとかそういう話ではない。
今回、もし原発の問題が絡んでいなければ、「遠ざかるベクトル」などを念頭に置く必要は全く無かった。事柄は一つの方向だけで済んだ。神学的に言えば「キリスト論的集中の神学」をもって、迷いなく突き進むことができたであろう。「イエス・キリストは逃げない。我々も逃げない」と説教すればそれで済んだ。
「イエス・キリストは逃げない。我々も逃げない」と説教されれば、教会員は逃げられない。逃げたら裏切り者扱いになり、キリスト処刑前のシモン・ペトロやイスカリオテのユダと同列だ。あるいは、使徒パウロの第一次宣教旅行の同行者ヨハネ・マルコのように伝道をやめて逃げ帰った逃亡者と同じ扱いだ。
説教者は「そんなことを言った憶えは無い」としらばっくれるかもしれないが、教会員は説教者の思惑通りに説教を聞きはしない。言外の言葉を「聞いて」いる。「イエス・キリストは逃げない」と言われれば、あの十字架の場面以外の何を思い起こせばよいのか。「逃げた」のは誰かを教会員は知っているのだ。
しかし、放射能は、ペトロやユダや使徒たちが逃げ出した「十字架」と同じだろうか。放射能は、ヨハネ・マルコが放棄した「伝道の労苦」だろうか。なんでもかんでも一緒くたにされすぎていないだろうか。一か月前の大震災直後の現実の中で「イエス・キリストは逃げない」という言葉に接したとき、私は心底、愕然とした。
��つづく)
今の事態の中でこそファン・ルーラーの神学が有効性を発揮することは、分かっているのだ。
4月25日(月)の「東日本大震災被災教会緊急支援特別委員会」でも議論になったことは、「近づくベクトル」と「遠ざかるベクトル」との関係である。前者は現地への訪問と支援、後者は放射能の影響圏外への避難である。
「遠ざかるベクトル」などと書くと、現地で苦しんでいる人々を見捨てて逃げるつもりかなどと噛みつかれかねないが、そういう意味じゃない。我々が遠ざかるべきは、人ではなく、(人命を危険にさらすレベルの)放射能だろう。論点をずらされると非常に困るし、話を先に進められない。
「遠ざかるベクトル」の中で教会が考えるべきことは、はっきりとは分からないが、もし可能ならば、計画避難の対象者のための「空き家探し」などのお手伝いをすることではないかと、そのようなことくらいしか思いつかないが、内容は要するにそういうことだ。現地の方々を見捨てるとかそういう話ではない。
今回、もし原発の問題が絡んでいなければ、「遠ざかるベクトル」などを念頭に置く必要は全く無かった。事柄は一つの方向だけで済んだ。神学的に言えば「キリスト論的集中の神学」をもって、迷いなく突き進むことができたであろう。「イエス・キリストは逃げない。我々も逃げない」と説教すればそれで済んだ。
「イエス・キリストは逃げない。我々も逃げない」と説教されれば、教会員は逃げられない。逃げたら裏切り者扱いになり、キリスト処刑前のシモン・ペトロやイスカリオテのユダと同列だ。あるいは、使徒パウロの第一次宣教旅行の同行者ヨハネ・マルコのように伝道をやめて逃げ帰った逃亡者と同じ扱いだ。
説教者は「そんなことを言った憶えは無い」としらばっくれるかもしれないが、教会員は説教者の思惑通りに説教を聞きはしない。言外の言葉を「聞いて」いる。「イエス・キリストは逃げない」と言われれば、あの十字架の場面以外の何を思い起こせばよいのか。「逃げた」のは誰かを教会員は知っているのだ。
しかし、放射能は、ペトロやユダや使徒たちが逃げ出した「十字架」と同じだろうか。放射能は、ヨハネ・マルコが放棄した「伝道の労苦」だろうか。なんでもかんでも一緒くたにされすぎていないだろうか。一か月前の大震災直後の現実の中で「イエス・キリストは逃げない」という言葉に接したとき、私は心底、愕然とした。
��つづく)
2011年4月21日木曜日
宮城県内の日本キリスト改革派教会を問安しました
問安団メンバーは、4月16日(土)に行なわれた東関東中会2011年度第一回定期会において組織された「東日本大震災被災教会緊急支援特別委員会」(委員長・三川栄二/日本キリスト改革派稲毛海岸教会牧師、東関東中会議長)の代表者4名と、北米キリスト改革派教会(CRC)日本伝道会の宣教師3名との、計7名でした。
今回我々が問安した教会は、到着した順に、白石契約教会、亘理教会、仙台教会、東仙台教会、仙台めぐみ教会、石巻教会、仙台カナン教会、北中山教会でした。仙台栄光教会は、残念ながらお訪ねできませんでした。
つい先ほど松戸に帰って来たばかりですので、今はまだ詳細な報告はできませんが、被害のあまりの大きさに言葉を失うばかりでした。
今回の問安の主な目的は教会を訪問することでしたが、それと同時に、教会の所在地域の被災状況を直接見る機会を与えられました。
この写真はほんの一例ですが、亘理教会に近い宮城県山元町で、4月19日(火)に撮影したものです。写っているのは、3月11日(金)の巨大地震の直後(15時50分頃)に発生した津波によって落下して「仰向け」になっている、家屋の二階部分(?)です。
今回の調査結果を東関東中会に持ち帰り、「わたしたちに何ができるのか」を特別委員会と共に一生懸命考えます。被災された方々の健康と安全と将来が守られるよう、お祈りしています。
2011年4月18日月曜日
「放射能がうつる」報道の基本性格
「放射能がうつる」報道は、
��1)誰かが現場を直接見てそうなったわけではなく
��2)「そういうことがあったらしい」という噂を
��3)「匿名の電話」で
��4)「名前が明らかになっていない市議」に伝え
��5)教育委員会が「事実関係は不明」としながら各学校に通知した。
��6)被害者は船橋の学校には入らず地元に帰ったので今は何も確認できない。
��7)市議が関わっているなら他の避難場所を紹介できたはずなのにしていない。
��8)来週の市議選に利用されているのではないかと地元の感想がある
と言われています。
��1)誰かが現場を直接見てそうなったわけではなく
��2)「そういうことがあったらしい」という噂を
��3)「匿名の電話」で
��4)「名前が明らかになっていない市議」に伝え
��5)教育委員会が「事実関係は不明」としながら各学校に通知した。
��6)被害者は船橋の学校には入らず地元に帰ったので今は何も確認できない。
��7)市議が関わっているなら他の避難場所を紹介できたはずなのにしていない。
��8)来週の市議選に利用されているのではないかと地元の感想がある
と言われています。
2011年4月17日日曜日
使徒の気持ち
コリントの信徒への手紙一4・7~13
「あなたをほかの者たちよりも、優れた者としたのは、だれです。いったいあなたの持っているもので、いただかなかったものがあるでしょうか。もしいただいたのなら、なぜいただかなかったような顔をして高ぶるのですか。あなたがたは既に満足し、既に大金持ちになっており、わたしたちを抜きにして、勝手に王様になっています。いや実際、王様になってくれていたらと思います。そうしたら、わたしたちも、あなたがたと一緒に王様になれたはずですから。考えてみると、神はわたしたち使徒を、まるで死刑囚のように最後に引き出される者となさいました。わたしたちは世界中に、天使にも人にも、見せ物となったからです。わたしたちはキリストのために愚か者となっているが、あなたがたはキリストを信じて賢い者となっています。わたしたちは弱いが、あなたがたは強い。あなたがたは尊敬されているが、わたしたちは侮辱されています。今の今までわたしたちは、飢え、渇き、着る物がなく、虐待され、身を寄せる所もなく、苦労して自分の手で稼いでいます。侮辱されては祝福し、迫害されては耐え忍び、ののしられては優しい言葉を返しています。今に至るまで、わたしたちは世の屑、すべてのものの滓とされています。」
いま行なっている説教の方法は「連続講解説教」と呼ばれるものですが、このやり方で聖書を前から順々に学んでいくことには、良い面と、困ったなあと思う面とがあります。良い面は、聖書を隈なく学べることです。困ったなあと思う面は、読むのがつらいと感じる、読んでいてなんとなく胸騒ぎがするような個所でも避けて通ることができないことです。先週の説教の最後あたりで少しだけ予告しましたが、この手紙を書いているパウロとこの手紙の宛て先であるコリント教会の人々とのあいだになんらかのトラブルが発生していた、ということが、今日の個所を読みますと分かります。そういう個所であっても避けて通ることができないことが、この学び方の、困ったなあと思う面です。
以前、使徒言行録の学びをしましたときに私が申し上げたことを繰り返しますと、パウロという人はどうもかなり怒りっぽい人だったということは否定できません。ですから、もしかしたらパウロは、本当にただ自分の怒りにまかせて、乱暴な言葉を書きつけてしまっているだけなのかもしれません。しかし、そういうことが仮にあるとしても、それでもなおわたしたちが考えなければならないことは、本当にただパウロが怒りっぽかっただけなのか、それとも、パウロの側の堪忍袋の緒が切れてしまうほどにコリント教会の側に問題があったのか、果たしてそのどちらなのか、というあたりでしょう。
しかし、あらかじめ申し上げておきますが、今日の個所にパウロが書いている内容をわたしたちが正確に理解することは難しいです。はっきり言って、よく分からないことだらけです。分からないと言って済ませるわけには行かないかもしれませんが、とにかく伝わってくることは、コリント教会に対するパウロの怒りと悲しみの気持ちです。そうであるということだけは、はっきりと分かります。しかし、彼が書いている言葉の一字一句の意味はよく分かりません。そのように言わざるをえません。
「あなたをほかの者たちよりも、優れた者としたのは、だれです。いったいあなたの持っているもので、いただかなかったものがあるでしょうか。もしいただいたのなら、なぜいただかなかったような顔をして高ぶるのですか」(7節)と記されています。ここで「あなた」とはコリント教会を指していると思われます。しかし、「ほかの者たち」が誰のことかは、よく分かりません。私の読み方では、コリント教会以外の別の教会のことではないように思います。なぜそう思うのかといえば、「あなたをほかの者たちよりも、優れた者とした」と書かれているのは、コリント教会を別の教会よりも優れた教会にした、という意味ではないと思われるからです。
それではどういう意味なのでしょうか。これも私の読み方ですが、ここでパウロが「優れた者」と呼んでいるのは、要するに、キリスト教の信仰を受け入れ、教会に通っている人たちのことだと思われます。つまり、信者のことです。少し後に「あなたがたはキリストを信じて賢い者となっています」(10節)とも書かれています。「信者は優れている」とか「信者は賢い」とか言いますと、信者でない人たちに怒られてしまうかもしれませんが、そのあたりはお許しください。そのように言っているのは私ではなくてパウロです。
それにまた、信者である人と信者でない人とが全く同じであるということも事実に反することですし、そんなふうに言う必要はないでしょう。わたしたちが教会に通っているのは教会に通っていない人を「わたしたちより劣っている」と見くだすためではありません。そういうことは、あってはならないことです。しかしまた、だからと言って、教会に通っている人と教会に通っていない人とは全く同じであるというようなことも、わざわざ言う必要もないことです。もし全く違いがないのならば、我々が今していることには何の意味があるのかと問わざるをえなくなります。
パウロが言っていることの意味もおそらくその程度のことです。自分よりも下の人を見くだすとか蹴落とすとか、パウロの考え方の中にあったとは思えません。しかし、パウロはその一方で、自分はコリント教会の人々を教えた教師であるということについての強い自覚と自負と責任とを感じているようにも思われます。パウロは彼らの先生なのです。先生が生徒の前で、少し上の立場に立って物を言うことはあるでしょう。「お前たちに聖書の御言葉を教えたのは、この私だよ。お前たちが今いろんなことが分かるようになっているのは、この私が教えたからだよ」と。
しかし、パウロはこんなふうに書いているからといって、コリント教会の人々に恩を売りたいわけではないのだと思います。そういうことではなく、事実を述べているだけです。しかし、その事実をすっかり忘れて、まるで先生から教えられる前から何もかも全部分かっていたかのように振舞ったり、先生をないがしろにしたり、挙句の果てに先生を攻撃したり恨んだりするというような態度を教え子たちが取りはじめるときは、先生としては「おいおい、ちょっと待ってくれよ」と言いたくなる場面も出てくるというような事情は、理解できなくもない話です。
ですから今日の個所は、どうやらそのような話なのです。しかし、まだ分からないことがたくさんあります。「あなたがたは既に満足し、既に大金持ちになっており、わたしたちを抜きにして、勝手に王様になっています。いや実際、王様になってくれていたらと思います。そうしたら、わたしたちも、あなたがたと一緒に王様になれたはずですから」(8節)と書かれています。正確には分からないのは「既に大金持ちになっており」とか「王様になっています」という言葉です。キリスト教を信じれば、大金持ちになったり王様になったりできるのでしょうか。ないとは言えないかもしれませんが、因果関係は必ずしも明白ではありません。
そうだとしたら、これは比喩やたとえ話でしょうか。そうかもしれません。しかし、そうでないかもしれない。分からないです。はっきり比喩だと言えそうなのは「勝手に王様になっている」のほうです。しかし、比喩ではなく事実だったと思われるのは「既に大金持ちになっている」のほうです。なぜそう言えるかといえば、その後に書かれている「今の今までわたしたちは、飢え、渇き、着る物がなく、虐待され、身を寄せる所もなく、苦労して自分の手で稼いでいます」(11節)とあることは、パウロにとっては紛れもない事実だったと思われるからです。その前に「わたしたち使徒は」(9節)とありますので、この文脈で「わたしたち」とは明らかに使徒のことです。今でいえば、狭い意味での教師、牧師、伝道者のことです。つまりパウロが言いたいことは、わたしたち使徒は貧しい生活をしてきたし、今も貧しい生活をしているが、あなたたち信者は大金持ちであると言っているのです。これはおそらく事実です。この事実をパウロは比喩で言い換えて、「あなたがたは…わたしたちを抜きにして、勝手に王様になっています」と書いているのです。
もし私がいま申し上げたようにこの個所を読むことができるとしたら、これはどうやら献金の問題なのです。これは私が言っていることではなくて、パウロが言っていることですので、どうかお許しください。パウロの言葉だと思って聴いていただかなければ、わたしたちの間柄まで、おかしなことになってしまいます。しかし、これだけははっきりしていると言えそうなことは、狭い意味での教師、牧師、伝道者たちの生活は、もっぱら献金で支えられているということです。しかしパウロは、その点について教会に対して不満を持っているのです。「苦労して自分の手で(伝道以外の別の仕事をして)稼いでいます」と言わなければならないような生活を強いられていることに対して、お前たちの先生が苦労している姿を見てもなんとも思わないのかと苦言を述べているのです。
しかし、それにしても「最後に引き出される死刑囚」(9節)だとか「世界中の見せ物」(同上節)とか「愚か者」(10節)とか「世の屑」(13節)とか「すべてのものの滓」(同上節)だとかは、いくらなんでも言いすぎの感があります。たとえ自分自身のことだとしても「バカ」だの「クズ」だの「カス」だのと言わなくてもいいでしょう。しかし、このような一つ一つの言葉は、パウロが実際に置かれた厳しい立場や彼が味わった過酷な現実を考えてみますと、おそらく比喩ではないと思われるのです。比喩ではなく現実であると思うのです。少なくともパウロの側の実感はそうだったに違いないのです。
しかし、私はもちろん、まさか、今日の話をこんなところで終わらせるわけには行かないと思っています。ここで終わってしまいますと、今日は一体何の話だったのかという気持ちになるでしょう。まるで私が、パウロの言葉を借りて教会の皆さんに何かを言おうとしているかのようです。しかし、そう思われると困ります。何度も言いますが、今しているのは私の話ではなく、パウロの話なのです。
そして私は、実をいえばパウロも、このような一見かなり辛辣なことを書いていながらも、彼の心の中にあったのは喜びであり感謝であったに違いないと思っています。パウロは教師なのです。教え子たちが成長していくことを心から喜ばない教師がいるでしょうか。「わたしたちはキリストのために愚か者となっているが、あなたがたはキリストを信じて賢い者となっています。わたしたちは弱いが、あなたがたは強い。あなたがたは尊敬されているが、わたしたちは侮辱されています」(10節)と言われているのは皮肉ではなくて喜びです。教師ならだれでも、自分自身よりも生徒のほうが上になってくれることを喜ぶはずでしょう。手塩にかけて育て上げた教え子たちが、いつまで経っても自分よりもでたらめなままの、自分よりも弱い、自分よりも軽んじられる存在のままであることを喜ぶ教師がいるのでしょうか。いるかもしれませんが、それは良い教師ではなくて悪い教師です。
このパウロの教師としての姿に、イエス・キリストの苦難の姿を重ねることができるように思えてなりません。わたしたちを救うために、わたしたちを幸せにするために、イエス・キリストはこの世のすべての苦難を背負ってくださり、十字架の上で死んでくださったのです。ぼろぼろのイエスさまが、人を助け、人を幸せにし、人を変えたのです。そのことは、パウロにもよく分かっていたのです。
(2011年4月17日、松戸小金原教会主日礼拝)
2011年4月15日金曜日
「放射能がうつる」問題についてのよりフェアな扱いを求めます
「放射能がうつる」と差別した子どもの記事の見出しを目にしたとき、私も最初はほとんど反射的なほどに、怒りと嫌悪感がわいてきました。そして「千葉県船橋市」で起こったと知って、現在同じ千葉県民として、なんと恥ずかしいことだとも思いました。
しかし、複数のニュースソースを読みあわせていくうちに、どこかしら違和感がある。こういうことがあったと「3月中旬に」「匿名の電話が」市教委にかかってきたという。福島第一原発の「爆発」映像がテレビで流れ、福島県の大熊、浪江、双葉、富岡の方々がバスや車で圏外に退避したのは、3月12日のことです。
差別を受けられた方は、南相馬市から来られたとのこと。その方々の退避先には、今回問題になった船橋市だけではなく、私が今いる松戸市も含まれています。私などは、迅速な対応ができた松戸市に誇りさえ感じていました。
しかしまた、「3月中旬」の時点で、まだその数日前にテレビで目にしたばかりのあの原発の「爆発」場面が何を意味するのかを科学的に正確に知りえていた人が、日本国民の中にどれくらいいたでしょうか。
差別した子どもたちをかばう意図は、私にはありません。しかし「3月中旬」の段階では、何をどうすれば何がどうなるかが、一般市民はもちろん、政府や学者や東電自身でさえ、分かっていなかったのではないでしょうか。
それなのに、差別した(と「匿名の電話で」告発された)子どもたちだけが責めを負うのはフェアな扱い方とは言いがたいのではないかとも愚考するばかりです。
差別は決して許してはなりません。しかし、「3月中旬」「匿名の電話」などの情報が無視されることによって新たなるバッシング(「千葉の人はひどい」など)が起こることを、私は非常に懸念しています。
ある記事には「両親は『子供を我慢させてまで千葉にいる必要はない』と福島市に移った」と書かれていました。これでは「千葉」は全否定です。
船橋市教育委員会にかかってきたのが「匿名の電話」だったからといって事実無根だと思っているわけではありません。しかし、私がかなり引っかかっているのは、この件に関する船橋市教委の公表の仕方です。
震災後いろんな人がいろんなところで「アリバイ作り」に奔走しているのを目にしています。十分な「裏」がとれているわけでもない「匿名の電話」を元に、全校に厳しく指示を出しておいたと、自らの仕事ぶりをアピールしている感が無きにもあらずです。
でも、そういうことが全国津々浦々に報道されると、「千葉の人はひどい」とか「首都圏の人間は地方の人に冷たい」とか「子も子なら親も親だ」というような話にどんどん発展していってしまい、新たな(心無い)バッシングを生みだすことにつながってしまうのだと思うのです。
ちなみに、私自身は、今は千葉県民ですが、生まれは岡山ですし、東京にも高知にも福岡にも、神戸にも山梨にも住んでいましたので、自分がナニ県人か、さっぱり分かりません。そういう意味での「千葉ラブ」が私の中にあるわけではありません。この件についてのマスコミの扱い方はフェアでないと言いたいだけです。
「南相馬市」の人が、我慢して「千葉」にいるくらいなら((戻ることができない)南相馬市に戻るのではなく)「福島市」に戻ると言った、と書かれますと、その両親の発言の本来の意図とは無関係に、地域性ないし県民性(ローカリティ)の問題へと誘導されてしまうものがあるでしょう?
そして、文章全体を見ると「千葉県船橋市」と特定されていますし、「地元の子どもたち」とも特定されていますので、差別者としての嫌疑をかけられているのが「千葉県船橋市の子どもたち」であることは明白です。しかし、読者の意識はそれだけに終わらず、当然のことながら、その子どもたちの「親」の責任を追及することになる。つまり、いま日本国民から糾弾を受けているのは「千葉県船橋市の子どもたちと、その親たち」です。
ほんの一例ですが、以下はYahooで「船橋市」を検索すると最初のページ(4月15日現在)に出てくるブログ記事のURLです。これが日本全国の一般的な反応に当たるかどうかは分かりませんが、船橋市教育委員会とマスコミとが誘導した「一つの典型的な論理的帰結」であるとは言えると思います。
「親が大馬鹿だから子どもが虐めに走るんだろう」
http://blog.goo.ne.jp/crazy_world_jp/e/119d5c1fc5da7468d54c698a56e1d98c
あるいは、ツイッターをしておられる方は、「船橋市」で検索するだけで、「船橋市の子どもたちと、その親たちへのバッシング」の実例をたくさん見ることができるでしょう。このようなバッシングを受けることになるということを、船橋市教育委員会は予想していたのでしょうか。
しかし、複数のニュースソースを読みあわせていくうちに、どこかしら違和感がある。こういうことがあったと「3月中旬に」「匿名の電話が」市教委にかかってきたという。福島第一原発の「爆発」映像がテレビで流れ、福島県の大熊、浪江、双葉、富岡の方々がバスや車で圏外に退避したのは、3月12日のことです。
差別を受けられた方は、南相馬市から来られたとのこと。その方々の退避先には、今回問題になった船橋市だけではなく、私が今いる松戸市も含まれています。私などは、迅速な対応ができた松戸市に誇りさえ感じていました。
しかしまた、「3月中旬」の時点で、まだその数日前にテレビで目にしたばかりのあの原発の「爆発」場面が何を意味するのかを科学的に正確に知りえていた人が、日本国民の中にどれくらいいたでしょうか。
差別した子どもたちをかばう意図は、私にはありません。しかし「3月中旬」の段階では、何をどうすれば何がどうなるかが、一般市民はもちろん、政府や学者や東電自身でさえ、分かっていなかったのではないでしょうか。
それなのに、差別した(と「匿名の電話で」告発された)子どもたちだけが責めを負うのはフェアな扱い方とは言いがたいのではないかとも愚考するばかりです。
差別は決して許してはなりません。しかし、「3月中旬」「匿名の電話」などの情報が無視されることによって新たなるバッシング(「千葉の人はひどい」など)が起こることを、私は非常に懸念しています。
ある記事には「両親は『子供を我慢させてまで千葉にいる必要はない』と福島市に移った」と書かれていました。これでは「千葉」は全否定です。
船橋市教育委員会にかかってきたのが「匿名の電話」だったからといって事実無根だと思っているわけではありません。しかし、私がかなり引っかかっているのは、この件に関する船橋市教委の公表の仕方です。
震災後いろんな人がいろんなところで「アリバイ作り」に奔走しているのを目にしています。十分な「裏」がとれているわけでもない「匿名の電話」を元に、全校に厳しく指示を出しておいたと、自らの仕事ぶりをアピールしている感が無きにもあらずです。
でも、そういうことが全国津々浦々に報道されると、「千葉の人はひどい」とか「首都圏の人間は地方の人に冷たい」とか「子も子なら親も親だ」というような話にどんどん発展していってしまい、新たな(心無い)バッシングを生みだすことにつながってしまうのだと思うのです。
ちなみに、私自身は、今は千葉県民ですが、生まれは岡山ですし、東京にも高知にも福岡にも、神戸にも山梨にも住んでいましたので、自分がナニ県人か、さっぱり分かりません。そういう意味での「千葉ラブ」が私の中にあるわけではありません。この件についてのマスコミの扱い方はフェアでないと言いたいだけです。
「南相馬市」の人が、我慢して「千葉」にいるくらいなら((戻ることができない)南相馬市に戻るのではなく)「福島市」に戻ると言った、と書かれますと、その両親の発言の本来の意図とは無関係に、地域性ないし県民性(ローカリティ)の問題へと誘導されてしまうものがあるでしょう?
そして、文章全体を見ると「千葉県船橋市」と特定されていますし、「地元の子どもたち」とも特定されていますので、差別者としての嫌疑をかけられているのが「千葉県船橋市の子どもたち」であることは明白です。しかし、読者の意識はそれだけに終わらず、当然のことながら、その子どもたちの「親」の責任を追及することになる。つまり、いま日本国民から糾弾を受けているのは「千葉県船橋市の子どもたちと、その親たち」です。
ほんの一例ですが、以下はYahooで「船橋市」を検索すると最初のページ(4月15日現在)に出てくるブログ記事のURLです。これが日本全国の一般的な反応に当たるかどうかは分かりませんが、船橋市教育委員会とマスコミとが誘導した「一つの典型的な論理的帰結」であるとは言えると思います。
「親が大馬鹿だから子どもが虐めに走るんだろう」
http://blog.goo.ne.jp/crazy_world_jp/e/119d5c1fc5da7468d54c698a56e1d98c
あるいは、ツイッターをしておられる方は、「船橋市」で検索するだけで、「船橋市の子どもたちと、その親たちへのバッシング」の実例をたくさん見ることができるでしょう。このようなバッシングを受けることになるということを、船橋市教育委員会は予想していたのでしょうか。
2011年4月9日土曜日
「我々にとってイエス・キリストは重要ではない」?
「どう言ったらいいか分からない難しさ」のようなものを感じながら、それでもそれを何とか表現しなければならないときに、もどかしさを覚えることというのは、ままあります。たぶん誰でもそうでしょう。
牧師という仕事は「物書き」を名乗るほどのものではないし、もし名乗れば一笑にふされるだけでしょうけど、少なくとも私は毎週日曜日の説教は完全原稿(40字×40行にフォーマットしたA4判のコピー用紙3枚)で臨むし、他にもいろんなところに定期・不定期で書いています。牧師は「物書き」ではないけれど、しかし、書くことに慣れていない人には務まりにくい仕事ではあるかもしれません。
しかし牧師は、こと日本においては完全に「知的文化人」ではないし、ありえない。宗教を名乗るだけで「反知性」の代表者とみなされるケースも多いし、政教分離と資本主義の世の中では、政治からも経済社会からも宗教は締め出される。
今の日本では「お前はキリスト教だから、牧師だから」といって石を投げつけられたりすることまではもうありません。しかし、「そういうのがお好きな人は、どうぞご自由に。でも押しつけられるのはごめんだからね」と初めから相当距離をとられている。
その意味では牧師が「文化人」であるはずはない。「文化の外」にいる存在であることは間違いありません。
それでもあえて「文化の中」に入っていこうとする牧師たちは、「物書き風」になるか、大学や高校・中学などの「先生風」になるか、ジーンズをはいた(差別的意図は皆無です)「ボランティアワーカー風」になるか、あとは何かなあ・・・自分の子どもの学校のPTA活動に参加するとかそれくらいのことしか見当たりませんが、そんなふうに擬装(カムフラージュ)して、入って行くしかない。
ともかく、生(き)のままの宗教教義を表に持ち出すことは、ほとんど不可能です。まるで劇薬か危険物扱いだし、持ち出した途端、すっと空気が冷たくなる。その気温の変化を楽しむタイプの人もいるようですが、私には悪趣味としか思えません。
いま書いていることにあえてタイトルをつけるとしたら「現代の民主主義的・資本主義的文化社会における宗教の失語状況」とでもなるかもしれませんが、しかし、「失語状況」と言うにしては、私は明らかに書きすぎです。目・肩・腰に激痛がはしるくらい書き続けている。稿料など全くもらったことがないし、もらえる当ても無いのに、書き続けている。
そう(ポン!)、ですから、私がやっていることはそもそも「宗教」ではないのだと言って開き直るのも一つの手です。でも、だったらこれは何なのだ(?)と自問せざるをえない日々でもあります。
最初から脱線してしまい、書こうとしたことをうっかり忘れるところでした。「どう言ったらいいか分からない難しさ」。
実は、翻訳の問題を考えていました。
いまは東京の教会で牧師をしている清弘剛生さんと一緒に12年前に始めた「ファン・ルーラー研究会」という、ただのメーリングリストなのですが、それを今でも細々と続けています。20世紀オランダのプロテスタント神学者アーノルト・アルベルト・ファン・ルーラーの神学書を日本語に翻訳することを目標とする(志だけはやたら高い)グループです。メンバーは120名ほどいてくださるのですが、最近はメーリングリストに閑古鳥を鳴かせていることを苦にしています。
そのメーリングリストのやりとりの中で、もう10年以上前から悩み続け、今も解決していないのが、オランダ語のhet gaat om...をどう訳すかという問題です。ドイツ語をご存じの方はEs geht um...と同じ意味だと思っていただけば、我々の悩みを理解していただけるはずです。
これ、どう訳すんですか。ホントに分からないです。辞書を見れば「・・・が問題だ」とか「重要なことは・・・である」とか書いているのですが、「・・・が問題だ」とか「重要なことは・・・である」という日本語そのものが、どこかしら意味不明です。
しかも、ファン・ルーラーという人は、我々が読んでいてドキッとするようなことを繰り返し書く人だったので、そのショックや刺激を残して訳したいとも(おそらく訳者なら誰でも)思うのですが、そのショックや刺激があまりにも強すぎると、読者を失いかねないところもある。
それはどういうことかといえば、たとえばファン・ルーラーは、次のように書きます。
Voor ons, het gaat niet om Jesus Christus. Het gaat om dit wereld. Onze aardse werkelijkheid!
これをあまりひねくらないで直訳すると、「我々にとってイエス・キリストは重要ではない。重要なのはこの世界である。我々の地上の現実が重要なのである!」というふうになってしまいますが、ギョギョですよね。教会の中から激怒を買いかねません。
声を大にして言いたいことですが、このような文章を書くときのファン・ルーラーの意図は、イエス・キリストが「重要でない」わけでも「問題でない」わけでもありません。
しかし、そうでないなら、それでは何なのかと問われると、どう答えてよいか分からない。「どう言ったらいいか分からない難しさ」に直面するのです。
ファン・ルーラーの言いたいことを別の言葉で言い換えるとしたら、「キリスト教とは、あるいはイエス・キリストを信じるとは、イエス・キリストに関心を持つことではなくて、イエス・キリストが関心をお持ちになったこの世界、すなわち地上の現実に関心を持つことです」というふうなことなのですが、ここまで噛み砕いてしまうと、一昔前なら「そんなのは意訳だ」と退けられたでしょうし、いまなら「ずいぶん超訳だねえ」と笑われるのがおちでしょう。
でも、どう訳すかはともかく、私自身は、このようなファン・ルーラーの見方に非常に感銘を受けています。
「キリスト教の主要関心事は、イエス・キリストではない」。こう訳すと、誤解されることは必至です。でも、近からず遠からず、です。
「わたしたちが関心をもつべき対象は、イエス・キリストの目から見たこの世界(地上の現実)である」。これでギリギリ、でしょうか。まだ危ない、かな?
「ちょっと、ちょっと、あなたたち、向いている方向が間違ってるんじゃないですか。教会は現実逃避の場所ではありません。もっと外に目を向けなくちゃいけませんよ」と、教会の人たちの社会的無関心を叱りつける調子が、このファン・ルーラーの言葉の中には含まれています。
上のほうに書いた「現代における宗教の失語状況」も、このファン・ルーラーの線で考えていけば、宗教と教会自身の怠慢が招いた状況かもしれない、ということに思い至ります。
政教分離の社会の中で「イエス・キリストだけに関心を寄せ、イエス・キリストだけを語る」と言えば、「そういう話は政治と経済と文化の外側でやってください」と締め出されるに決まっているわけですが、教会側も「締め出されること」に安心している面があるかもしれない。
政治にも経済にも文化にも絡まないで済む、サブカルどころかカルチャーですらないものであり続けようとする、じつにラクチンで安穏とした特殊領域に閉じこもりながら、「現代社会における宗教の失語状況」を嘆いてみせる。でも、それって、言葉の正しい意味で「負け犬の遠吠え」って言うんじゃないでしょうか。
ファン・ルーラーが求めているのは、根源的な発想の転換、視点の(180度の)切り替えです。下手な革命より「革命的」です。
でも、それをどう訳せばよいのでしょうか。考えるたびに、ため息が出ます。ま、でも、楽しいですけどね。
牧師という仕事は「物書き」を名乗るほどのものではないし、もし名乗れば一笑にふされるだけでしょうけど、少なくとも私は毎週日曜日の説教は完全原稿(40字×40行にフォーマットしたA4判のコピー用紙3枚)で臨むし、他にもいろんなところに定期・不定期で書いています。牧師は「物書き」ではないけれど、しかし、書くことに慣れていない人には務まりにくい仕事ではあるかもしれません。
しかし牧師は、こと日本においては完全に「知的文化人」ではないし、ありえない。宗教を名乗るだけで「反知性」の代表者とみなされるケースも多いし、政教分離と資本主義の世の中では、政治からも経済社会からも宗教は締め出される。
今の日本では「お前はキリスト教だから、牧師だから」といって石を投げつけられたりすることまではもうありません。しかし、「そういうのがお好きな人は、どうぞご自由に。でも押しつけられるのはごめんだからね」と初めから相当距離をとられている。
その意味では牧師が「文化人」であるはずはない。「文化の外」にいる存在であることは間違いありません。
それでもあえて「文化の中」に入っていこうとする牧師たちは、「物書き風」になるか、大学や高校・中学などの「先生風」になるか、ジーンズをはいた(差別的意図は皆無です)「ボランティアワーカー風」になるか、あとは何かなあ・・・自分の子どもの学校のPTA活動に参加するとかそれくらいのことしか見当たりませんが、そんなふうに擬装(カムフラージュ)して、入って行くしかない。
ともかく、生(き)のままの宗教教義を表に持ち出すことは、ほとんど不可能です。まるで劇薬か危険物扱いだし、持ち出した途端、すっと空気が冷たくなる。その気温の変化を楽しむタイプの人もいるようですが、私には悪趣味としか思えません。
いま書いていることにあえてタイトルをつけるとしたら「現代の民主主義的・資本主義的文化社会における宗教の失語状況」とでもなるかもしれませんが、しかし、「失語状況」と言うにしては、私は明らかに書きすぎです。目・肩・腰に激痛がはしるくらい書き続けている。稿料など全くもらったことがないし、もらえる当ても無いのに、書き続けている。
そう(ポン!)、ですから、私がやっていることはそもそも「宗教」ではないのだと言って開き直るのも一つの手です。でも、だったらこれは何なのだ(?)と自問せざるをえない日々でもあります。
最初から脱線してしまい、書こうとしたことをうっかり忘れるところでした。「どう言ったらいいか分からない難しさ」。
実は、翻訳の問題を考えていました。
いまは東京の教会で牧師をしている清弘剛生さんと一緒に12年前に始めた「ファン・ルーラー研究会」という、ただのメーリングリストなのですが、それを今でも細々と続けています。20世紀オランダのプロテスタント神学者アーノルト・アルベルト・ファン・ルーラーの神学書を日本語に翻訳することを目標とする(志だけはやたら高い)グループです。メンバーは120名ほどいてくださるのですが、最近はメーリングリストに閑古鳥を鳴かせていることを苦にしています。
そのメーリングリストのやりとりの中で、もう10年以上前から悩み続け、今も解決していないのが、オランダ語のhet gaat om...をどう訳すかという問題です。ドイツ語をご存じの方はEs geht um...と同じ意味だと思っていただけば、我々の悩みを理解していただけるはずです。
これ、どう訳すんですか。ホントに分からないです。辞書を見れば「・・・が問題だ」とか「重要なことは・・・である」とか書いているのですが、「・・・が問題だ」とか「重要なことは・・・である」という日本語そのものが、どこかしら意味不明です。
しかも、ファン・ルーラーという人は、我々が読んでいてドキッとするようなことを繰り返し書く人だったので、そのショックや刺激を残して訳したいとも(おそらく訳者なら誰でも)思うのですが、そのショックや刺激があまりにも強すぎると、読者を失いかねないところもある。
それはどういうことかといえば、たとえばファン・ルーラーは、次のように書きます。
Voor ons, het gaat niet om Jesus Christus. Het gaat om dit wereld. Onze aardse werkelijkheid!
これをあまりひねくらないで直訳すると、「我々にとってイエス・キリストは重要ではない。重要なのはこの世界である。我々の地上の現実が重要なのである!」というふうになってしまいますが、ギョギョですよね。教会の中から激怒を買いかねません。
声を大にして言いたいことですが、このような文章を書くときのファン・ルーラーの意図は、イエス・キリストが「重要でない」わけでも「問題でない」わけでもありません。
しかし、そうでないなら、それでは何なのかと問われると、どう答えてよいか分からない。「どう言ったらいいか分からない難しさ」に直面するのです。
ファン・ルーラーの言いたいことを別の言葉で言い換えるとしたら、「キリスト教とは、あるいはイエス・キリストを信じるとは、イエス・キリストに関心を持つことではなくて、イエス・キリストが関心をお持ちになったこの世界、すなわち地上の現実に関心を持つことです」というふうなことなのですが、ここまで噛み砕いてしまうと、一昔前なら「そんなのは意訳だ」と退けられたでしょうし、いまなら「ずいぶん超訳だねえ」と笑われるのがおちでしょう。
でも、どう訳すかはともかく、私自身は、このようなファン・ルーラーの見方に非常に感銘を受けています。
「キリスト教の主要関心事は、イエス・キリストではない」。こう訳すと、誤解されることは必至です。でも、近からず遠からず、です。
「わたしたちが関心をもつべき対象は、イエス・キリストの目から見たこの世界(地上の現実)である」。これでギリギリ、でしょうか。まだ危ない、かな?
「ちょっと、ちょっと、あなたたち、向いている方向が間違ってるんじゃないですか。教会は現実逃避の場所ではありません。もっと外に目を向けなくちゃいけませんよ」と、教会の人たちの社会的無関心を叱りつける調子が、このファン・ルーラーの言葉の中には含まれています。
上のほうに書いた「現代における宗教の失語状況」も、このファン・ルーラーの線で考えていけば、宗教と教会自身の怠慢が招いた状況かもしれない、ということに思い至ります。
政教分離の社会の中で「イエス・キリストだけに関心を寄せ、イエス・キリストだけを語る」と言えば、「そういう話は政治と経済と文化の外側でやってください」と締め出されるに決まっているわけですが、教会側も「締め出されること」に安心している面があるかもしれない。
政治にも経済にも文化にも絡まないで済む、サブカルどころかカルチャーですらないものであり続けようとする、じつにラクチンで安穏とした特殊領域に閉じこもりながら、「現代社会における宗教の失語状況」を嘆いてみせる。でも、それって、言葉の正しい意味で「負け犬の遠吠え」って言うんじゃないでしょうか。
ファン・ルーラーが求めているのは、根源的な発想の転換、視点の(180度の)切り替えです。下手な革命より「革命的」です。
でも、それをどう訳せばよいのでしょうか。考えるたびに、ため息が出ます。ま、でも、楽しいですけどね。
2011年4月6日水曜日
大節電時代の幕開けと教会の存在理由
こういう話の持って行き方が「不謹慎」かどうかは分かりません。しかし、最近の節電状態のコンビニやスーパーの「薄暗さ」は、けっこう気に入っています。子どもの頃(“昭和”40年生まれです)の八百屋を思い出します。ノスタルジアというほどメルヘンチックな気分ではありませんが、やや大げさにいえば、人生の原点に立ち戻った感じではあります。
松戸小金原教会の場合、教会と牧師館は別棟で、電気代の支払いは公私別々なのですが、教会のほうもふだんは私しかおらず、電気を使うのは結局ほとんど私だけなので、いくら使ったかがバレる。そのため、教会の牧師室も、なるべくパソコン以外の電気使用を控えていますので、室内はいつも、かなり「薄暗い」です。
教会のみんなから「牧師さん、節電してくださいね!」と念を押されているわけではありません。それどころか、「あれ?ずいぶん暗いですね」と、教会の牧師室(書斎)に来られる方は、たいていおっしゃいます。「あはは、節電してんですよ」と言うと、「へえ、えらいですね」と。話はたいてい、それで終わります。
しかし、最近(明らかに大震災以来、ですね)だんだん分かって来たことは、私という人間は「ちょっと薄暗いところ」を好む人間のようだということです。そのことを改めてはっきりと自覚しました。どちらかといえばインドア派の、明るい舞台や脚光などにはとても耐えられない、なるべくなら闇の中に隠れていたいと願う人間であるようだと、知りました。
これも以前どこかに書いたことがあるような気がしますが、高校時代は初めの頃ちょっとだけ「なんちゃって柔道部員」でしたが、その後は、本格的な純文学の同人誌の発行を仕事とする、岡山朝日高校の誇る(←これはウソ)文学部の部長でした。文学部の部室も「暗かった」なあ。部員2名。部長の私と、一年下の男子1名のみでした。
岡山朝日高校の校舎が今どうなっているかは全く知りませんが、当時コンクリート打ちっぱなしの寒々しい建物で、文学部の部室はあるにはあっても、室内には何も(本棚すら)無かったし、ニキビづらのブオトコ2人(先輩と後輩)が睨み合って、『朝日文学』(という名前の同人誌)の編集会議とかを開いていたわけですからね。
いま言いたいことは「薄暗がりには慣れてるよ」ということだけなのですが、つい、高校時代の恥ずかしい記憶にまで辿り着いてしまいました。しかし、本題は「節電の話」です。
大震災から三週間を経た今、教会というところは基本的に、今まさに幕開けした「大節電時代」に耐えられる機能を備えているのではないだろうかと、私は感じています。
礼拝にしても、冷房だ暖房だと言いだせば、たちまち電気が必要ですが、いざとなったら何とかなる。暑ければ窓を開けてもいいし、脱げるものなら脱いでもいい。寒ければ着込んでくればいい。松戸小金原教会のオルガンには電気が必要ですが、礼拝堂にはグランドピアノもあるので、停電のときはピアノで全奏楽が可能です。
あとは、聖書朗読にも説教にも、賛美歌を歌うことにも、祈ることにも、電気は要らない。室内が暗ければ、ロウソク・・・は、ちょっと危ないので、ふだんはあまり使いませんが、どうしても必要ならそれも可能ですし、「教会でロウソク」には違和感が無いという意見のほうが多いかもしれませんよね。
それに、教会って、かなり面白いというか、とても不思議なところなんです。聖書の勉強だけしているわけではありません。私は圧倒的な(恥ずかしいほどの)インドア派なのですが、前任牧師は典型的なアウトドア派で、教会の倉庫はキャンプ用品が山積み。テント、バーベキューセット、飯ごうなどが、数セット揃っています。
電気の供給が一時的にせよ長期的にせよストップしてしまったときでも、いざとなれば、教会の庭にバーベキューセットを設けて炭火をおこし、米を炊けるし、肉も焼ける。そういう機能が、たぶん松戸小金原教会だけでなく、多くの「教会」に備わっています。牧師室にしても、パソコンを使えなくても、本ならたくさんあるし、説教原稿は手書きで十分。
「エコのすすめ」とか「ナチュラルライフ」とか「昔の生活に戻そう」とか、そういうことを言いたいのではないのです。そういうことにはほとんど関心が無い。スローガンとかイデオロギーとか今はどうでもいい。「電気が無くなったら、一日たりとも生きられません」とは誰の口からも言わせたくない。そう感じているだけです。
牧師館の電気代は自分で支払っていますが、教会の電気代は教会が支払っています。しかし前記のとおり、ふだんの教会には私だけ。電気メーターを自分以外の人(教会役員の方々)に管理されている状態というのは、本心から書きますが、実に緊張感があって良い。電気を「湯水のように」使うことができません。
もちろん「湯水のように」といっても、「湯」(これも結局、電気使用)にしても「水」にしても(松戸では上水道と下水道は別料金)、今ではたっぷり料金を払わされますので、ただでも何でもないわけですが。実際問題、わが家(牧師館のほう)は毎月毎月、光熱水道料なるものを一体どれだけ払っているんだよ!と思うくらい。
おっと、また脱線して「電気代の話」になってしまっていますが、本題は「節電の話」。もうちょっと内容に即したタイトルをつけるとしたら、「大節電時代の幕開けと教会の存在理由」、くらいでしょうか。
ごく大雑把な話をすれば、私がいばるようなことではありませんが、教会には二千年の歴史があり、そのうちのほとんど千九百年間ほどは「電気なしに」十分楽しんでいたはずです。つまり、教会というところは「電気なしの楽しみ方」のノウハウを熟知している団体でもある、ということです。
上には、礼拝の奏楽の楽器として、オルガンとピアノの名前だけを挙げましたが、たとえば、松戸小金原教会にはプロのハープ奏者とヴァイオリン奏者がおられます。聖歌隊も一生懸命がんばっています。最近は、「樹音」(じゅね)というオカリナに似た楽器のチームもできました。わが家の長男長女は、学校の吹奏楽部のトランペット担当です。
今書いたことは、わが教会の自慢話ではなく、「電気なしにも」教会は十分楽しめる、と言いたいだけです。強いて言えば、電気が必要な楽器はオルガンだけです。それ以外は電気は要らない。マイクとスピーカーが使えなければ説教者は声を張り上げればよい。暖房も無くなって寒ければ身を寄せ合えばよい。
「オール電化」に逆行したいのではありません!何でもかんでも、ありとあらゆることに電気を必要とする今の文明を作り上げた責任者を追及したいのでもない。イデオロギーがどうとかこうとかには興味が無いし、巻き込まれたくない。
ただ、いま思うことは、45歳の(若い?)私でさえ、電気などそれほど必要でもなかった日本国内の情景を鮮明に憶えているということです。それほど遠い昔の話ではない。私が歳をとっただけなのかもしれませんが、決してそうは思わない。つい最近まで、日本はもっと「薄暗かった」。街にコントラストがあり、情緒もありました。大震災後の「薄暗さ」の正体は、ほんのちょっと前の明るさに戻っただけかもしれません。
「電気なしに生きて行け」と言われたら、「それはたぶん無理ですね」と私も答えます。しかし、「電気なしには何の楽しみも無い」と言われるときは「そんなことはないですよ!」と堂々と言えるのが教会です。そこで「ぜひ教会に来てください」と言うと「なんだ、宗教の勧誘か」と敬遠されてしまうでしょうけど。
ただね、一瞬だけ最大限にいばらせてもらいますが、危機の時代にこそ発揮する宗教の底力みたいなものがありましてね。教会というのは本質的に「信じあう共同体」である点が、政府も学者もマスコミも信じられないぞ、何を信じていいか分からないぞ状態の不安を若干軽減できるものがあるかもしれません。
あと、もう一つだけいえば、電気が全く無くなってしまって、テレビもパソコンも電話も使えない、電池切れで携帯電話もスマートフォンもゲームも使えない、自動車も電車も動かないのでゲームセンターや遊園地に行けなくなったというときも(もちろんそうならないことを願っています!)、教会の音楽は絶えない!楽しみはある!
もちろん、今はまだ「笑い話」ですが、もし今後、各家庭のお米がつきて、お肉が尽きて、野菜が尽きたら、みんなで教会に持ち寄って、分け合ったらいいよね、と(半分は本気で)話しているところです。最後に一切れパンが残ったら、みんなで「最後の晩餐」しようね、と。そういうことができるのも教会です。
教会だけがそういう場所だと言いたいのではなく、教会はそういう場所だと言っているだけです。教会の自慢をしたいのではなく、教会の泣き笑いの様子をありのままに書いているだけです。
でも、「電気」には感謝していますよ。こんな文章を書きとめておけるのも、電気がこのパソコンを動かしてくれているからですよね。分かっています。
松戸小金原教会の場合、教会と牧師館は別棟で、電気代の支払いは公私別々なのですが、教会のほうもふだんは私しかおらず、電気を使うのは結局ほとんど私だけなので、いくら使ったかがバレる。そのため、教会の牧師室も、なるべくパソコン以外の電気使用を控えていますので、室内はいつも、かなり「薄暗い」です。
教会のみんなから「牧師さん、節電してくださいね!」と念を押されているわけではありません。それどころか、「あれ?ずいぶん暗いですね」と、教会の牧師室(書斎)に来られる方は、たいていおっしゃいます。「あはは、節電してんですよ」と言うと、「へえ、えらいですね」と。話はたいてい、それで終わります。
しかし、最近(明らかに大震災以来、ですね)だんだん分かって来たことは、私という人間は「ちょっと薄暗いところ」を好む人間のようだということです。そのことを改めてはっきりと自覚しました。どちらかといえばインドア派の、明るい舞台や脚光などにはとても耐えられない、なるべくなら闇の中に隠れていたいと願う人間であるようだと、知りました。
これも以前どこかに書いたことがあるような気がしますが、高校時代は初めの頃ちょっとだけ「なんちゃって柔道部員」でしたが、その後は、本格的な純文学の同人誌の発行を仕事とする、岡山朝日高校の誇る(←これはウソ)文学部の部長でした。文学部の部室も「暗かった」なあ。部員2名。部長の私と、一年下の男子1名のみでした。
岡山朝日高校の校舎が今どうなっているかは全く知りませんが、当時コンクリート打ちっぱなしの寒々しい建物で、文学部の部室はあるにはあっても、室内には何も(本棚すら)無かったし、ニキビづらのブオトコ2人(先輩と後輩)が睨み合って、『朝日文学』(という名前の同人誌)の編集会議とかを開いていたわけですからね。
いま言いたいことは「薄暗がりには慣れてるよ」ということだけなのですが、つい、高校時代の恥ずかしい記憶にまで辿り着いてしまいました。しかし、本題は「節電の話」です。
大震災から三週間を経た今、教会というところは基本的に、今まさに幕開けした「大節電時代」に耐えられる機能を備えているのではないだろうかと、私は感じています。
礼拝にしても、冷房だ暖房だと言いだせば、たちまち電気が必要ですが、いざとなったら何とかなる。暑ければ窓を開けてもいいし、脱げるものなら脱いでもいい。寒ければ着込んでくればいい。松戸小金原教会のオルガンには電気が必要ですが、礼拝堂にはグランドピアノもあるので、停電のときはピアノで全奏楽が可能です。
あとは、聖書朗読にも説教にも、賛美歌を歌うことにも、祈ることにも、電気は要らない。室内が暗ければ、ロウソク・・・は、ちょっと危ないので、ふだんはあまり使いませんが、どうしても必要ならそれも可能ですし、「教会でロウソク」には違和感が無いという意見のほうが多いかもしれませんよね。
それに、教会って、かなり面白いというか、とても不思議なところなんです。聖書の勉強だけしているわけではありません。私は圧倒的な(恥ずかしいほどの)インドア派なのですが、前任牧師は典型的なアウトドア派で、教会の倉庫はキャンプ用品が山積み。テント、バーベキューセット、飯ごうなどが、数セット揃っています。
電気の供給が一時的にせよ長期的にせよストップしてしまったときでも、いざとなれば、教会の庭にバーベキューセットを設けて炭火をおこし、米を炊けるし、肉も焼ける。そういう機能が、たぶん松戸小金原教会だけでなく、多くの「教会」に備わっています。牧師室にしても、パソコンを使えなくても、本ならたくさんあるし、説教原稿は手書きで十分。
「エコのすすめ」とか「ナチュラルライフ」とか「昔の生活に戻そう」とか、そういうことを言いたいのではないのです。そういうことにはほとんど関心が無い。スローガンとかイデオロギーとか今はどうでもいい。「電気が無くなったら、一日たりとも生きられません」とは誰の口からも言わせたくない。そう感じているだけです。
牧師館の電気代は自分で支払っていますが、教会の電気代は教会が支払っています。しかし前記のとおり、ふだんの教会には私だけ。電気メーターを自分以外の人(教会役員の方々)に管理されている状態というのは、本心から書きますが、実に緊張感があって良い。電気を「湯水のように」使うことができません。
もちろん「湯水のように」といっても、「湯」(これも結局、電気使用)にしても「水」にしても(松戸では上水道と下水道は別料金)、今ではたっぷり料金を払わされますので、ただでも何でもないわけですが。実際問題、わが家(牧師館のほう)は毎月毎月、光熱水道料なるものを一体どれだけ払っているんだよ!と思うくらい。
おっと、また脱線して「電気代の話」になってしまっていますが、本題は「節電の話」。もうちょっと内容に即したタイトルをつけるとしたら、「大節電時代の幕開けと教会の存在理由」、くらいでしょうか。
ごく大雑把な話をすれば、私がいばるようなことではありませんが、教会には二千年の歴史があり、そのうちのほとんど千九百年間ほどは「電気なしに」十分楽しんでいたはずです。つまり、教会というところは「電気なしの楽しみ方」のノウハウを熟知している団体でもある、ということです。
上には、礼拝の奏楽の楽器として、オルガンとピアノの名前だけを挙げましたが、たとえば、松戸小金原教会にはプロのハープ奏者とヴァイオリン奏者がおられます。聖歌隊も一生懸命がんばっています。最近は、「樹音」(じゅね)というオカリナに似た楽器のチームもできました。わが家の長男長女は、学校の吹奏楽部のトランペット担当です。
今書いたことは、わが教会の自慢話ではなく、「電気なしにも」教会は十分楽しめる、と言いたいだけです。強いて言えば、電気が必要な楽器はオルガンだけです。それ以外は電気は要らない。マイクとスピーカーが使えなければ説教者は声を張り上げればよい。暖房も無くなって寒ければ身を寄せ合えばよい。
「オール電化」に逆行したいのではありません!何でもかんでも、ありとあらゆることに電気を必要とする今の文明を作り上げた責任者を追及したいのでもない。イデオロギーがどうとかこうとかには興味が無いし、巻き込まれたくない。
ただ、いま思うことは、45歳の(若い?)私でさえ、電気などそれほど必要でもなかった日本国内の情景を鮮明に憶えているということです。それほど遠い昔の話ではない。私が歳をとっただけなのかもしれませんが、決してそうは思わない。つい最近まで、日本はもっと「薄暗かった」。街にコントラストがあり、情緒もありました。大震災後の「薄暗さ」の正体は、ほんのちょっと前の明るさに戻っただけかもしれません。
「電気なしに生きて行け」と言われたら、「それはたぶん無理ですね」と私も答えます。しかし、「電気なしには何の楽しみも無い」と言われるときは「そんなことはないですよ!」と堂々と言えるのが教会です。そこで「ぜひ教会に来てください」と言うと「なんだ、宗教の勧誘か」と敬遠されてしまうでしょうけど。
ただね、一瞬だけ最大限にいばらせてもらいますが、危機の時代にこそ発揮する宗教の底力みたいなものがありましてね。教会というのは本質的に「信じあう共同体」である点が、政府も学者もマスコミも信じられないぞ、何を信じていいか分からないぞ状態の不安を若干軽減できるものがあるかもしれません。
あと、もう一つだけいえば、電気が全く無くなってしまって、テレビもパソコンも電話も使えない、電池切れで携帯電話もスマートフォンもゲームも使えない、自動車も電車も動かないのでゲームセンターや遊園地に行けなくなったというときも(もちろんそうならないことを願っています!)、教会の音楽は絶えない!楽しみはある!
もちろん、今はまだ「笑い話」ですが、もし今後、各家庭のお米がつきて、お肉が尽きて、野菜が尽きたら、みんなで教会に持ち寄って、分け合ったらいいよね、と(半分は本気で)話しているところです。最後に一切れパンが残ったら、みんなで「最後の晩餐」しようね、と。そういうことができるのも教会です。
教会だけがそういう場所だと言いたいのではなく、教会はそういう場所だと言っているだけです。教会の自慢をしたいのではなく、教会の泣き笑いの様子をありのままに書いているだけです。
でも、「電気」には感謝していますよ。こんな文章を書きとめておけるのも、電気がこのパソコンを動かしてくれているからですよね。分かっています。
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