2011年4月15日金曜日

「放射能がうつる」問題についてのよりフェアな扱いを求めます

「放射能がうつる」と差別した子どもの記事の見出しを目にしたとき、私も最初はほとんど反射的なほどに、怒りと嫌悪感がわいてきました。そして「千葉県船橋市」で起こったと知って、現在同じ千葉県民として、なんと恥ずかしいことだとも思いました。

しかし、複数のニュースソースを読みあわせていくうちに、どこかしら違和感がある。こういうことがあったと「3月中旬に」「匿名の電話が」市教委にかかってきたという。福島第一原発の「爆発」映像がテレビで流れ、福島県の大熊、浪江、双葉、富岡の方々がバスや車で圏外に退避したのは、3月12日のことです。

差別を受けられた方は、南相馬市から来られたとのこと。その方々の退避先には、今回問題になった船橋市だけではなく、私が今いる松戸市も含まれています。私などは、迅速な対応ができた松戸市に誇りさえ感じていました。

しかしまた、「3月中旬」の時点で、まだその数日前にテレビで目にしたばかりのあの原発の「爆発」場面が何を意味するのかを科学的に正確に知りえていた人が、日本国民の中にどれくらいいたでしょうか。

差別した子どもたちをかばう意図は、私にはありません。しかし「3月中旬」の段階では、何をどうすれば何がどうなるかが、一般市民はもちろん、政府や学者や東電自身でさえ、分かっていなかったのではないでしょうか。

それなのに、差別した(と「匿名の電話で」告発された)子どもたちだけが責めを負うのはフェアな扱い方とは言いがたいのではないかとも愚考するばかりです。

差別は決して許してはなりません。しかし、「3月中旬」「匿名の電話」などの情報が無視されることによって新たなるバッシング(「千葉の人はひどい」など)が起こることを、私は非常に懸念しています。

ある記事には「両親は『子供を我慢させてまで千葉にいる必要はない』と福島市に移った」と書かれていました。これでは「千葉」は全否定です。

船橋市教育委員会にかかってきたのが「匿名の電話」だったからといって事実無根だと思っているわけではありません。しかし、私がかなり引っかかっているのは、この件に関する船橋市教委の公表の仕方です。

震災後いろんな人がいろんなところで「アリバイ作り」に奔走しているのを目にしています。十分な「裏」がとれているわけでもない「匿名の電話」を元に、全校に厳しく指示を出しておいたと、自らの仕事ぶりをアピールしている感が無きにもあらずです。

でも、そういうことが全国津々浦々に報道されると、「千葉の人はひどい」とか「首都圏の人間は地方の人に冷たい」とか「子も子なら親も親だ」というような話にどんどん発展していってしまい、新たな(心無い)バッシングを生みだすことにつながってしまうのだと思うのです。

ちなみに、私自身は、今は千葉県民ですが、生まれは岡山ですし、東京にも高知にも福岡にも、神戸にも山梨にも住んでいましたので、自分がナニ県人か、さっぱり分かりません。そういう意味での「千葉ラブ」が私の中にあるわけではありません。この件についてのマスコミの扱い方はフェアでないと言いたいだけです。

「南相馬市」の人が、我慢して「千葉」にいるくらいなら((戻ることができない)南相馬市に戻るのではなく)「福島市」に戻ると言った、と書かれますと、その両親の発言の本来の意図とは無関係に、地域性ないし県民性(ローカリティ)の問題へと誘導されてしまうものがあるでしょう?

そして、文章全体を見ると「千葉県船橋市」と特定されていますし、「地元の子どもたち」とも特定されていますので、差別者としての嫌疑をかけられているのが「千葉県船橋市の子どもたち」であることは明白です。しかし、読者の意識はそれだけに終わらず、当然のことながら、その子どもたちの「親」の責任を追及することになる。つまり、いま日本国民から糾弾を受けているのは「千葉県船橋市の子どもたちと、その親たち」です。

ほんの一例ですが、以下はYahooで「船橋市」を検索すると最初のページ(4月15日現在)に出てくるブログ記事のURLです。これが日本全国の一般的な反応に当たるかどうかは分かりませんが、船橋市教育委員会とマスコミとが誘導した「一つの典型的な論理的帰結」であるとは言えると思います。

「親が大馬鹿だから子どもが虐めに走るんだろう」
http://blog.goo.ne.jp/crazy_world_jp/e/119d5c1fc5da7468d54c698a56e1d98c

あるいは、ツイッターをしておられる方は、「船橋市」で検索するだけで、「船橋市の子どもたちと、その親たちへのバッシング」の実例をたくさん見ることができるでしょう。このようなバッシングを受けることになるということを、船橋市教育委員会は予想していたのでしょうか。