2011年4月6日水曜日

大節電時代の幕開けと教会の存在理由

こういう話の持って行き方が「不謹慎」かどうかは分かりません。しかし、最近の節電状態のコンビニやスーパーの「薄暗さ」は、けっこう気に入っています。子どもの頃(“昭和”40年生まれです)の八百屋を思い出します。ノスタルジアというほどメルヘンチックな気分ではありませんが、やや大げさにいえば、人生の原点に立ち戻った感じではあります。

松戸小金原教会の場合、教会と牧師館は別棟で、電気代の支払いは公私別々なのですが、教会のほうもふだんは私しかおらず、電気を使うのは結局ほとんど私だけなので、いくら使ったかがバレる。そのため、教会の牧師室も、なるべくパソコン以外の電気使用を控えていますので、室内はいつも、かなり「薄暗い」です。

教会のみんなから「牧師さん、節電してくださいね!」と念を押されているわけではありません。それどころか、「あれ?ずいぶん暗いですね」と、教会の牧師室(書斎)に来られる方は、たいていおっしゃいます。「あはは、節電してんですよ」と言うと、「へえ、えらいですね」と。話はたいてい、それで終わります。

しかし、最近(明らかに大震災以来、ですね)だんだん分かって来たことは、私という人間は「ちょっと薄暗いところ」を好む人間のようだということです。そのことを改めてはっきりと自覚しました。どちらかといえばインドア派の、明るい舞台や脚光などにはとても耐えられない、なるべくなら闇の中に隠れていたいと願う人間であるようだと、知りました。

これも以前どこかに書いたことがあるような気がしますが、高校時代は初めの頃ちょっとだけ「なんちゃって柔道部員」でしたが、その後は、本格的な純文学の同人誌の発行を仕事とする、岡山朝日高校の誇る(←これはウソ)文学部の部長でした。文学部の部室も「暗かった」なあ。部員2名。部長の私と、一年下の男子1名のみでした。

岡山朝日高校の校舎が今どうなっているかは全く知りませんが、当時コンクリート打ちっぱなしの寒々しい建物で、文学部の部室はあるにはあっても、室内には何も(本棚すら)無かったし、ニキビづらのブオトコ2人(先輩と後輩)が睨み合って、『朝日文学』(という名前の同人誌)の編集会議とかを開いていたわけですからね。

いま言いたいことは「薄暗がりには慣れてるよ」ということだけなのですが、つい、高校時代の恥ずかしい記憶にまで辿り着いてしまいました。しかし、本題は「節電の話」です。

大震災から三週間を経た今、教会というところは基本的に、今まさに幕開けした「大節電時代」に耐えられる機能を備えているのではないだろうかと、私は感じています。

礼拝にしても、冷房だ暖房だと言いだせば、たちまち電気が必要ですが、いざとなったら何とかなる。暑ければ窓を開けてもいいし、脱げるものなら脱いでもいい。寒ければ着込んでくればいい。松戸小金原教会のオルガンには電気が必要ですが、礼拝堂にはグランドピアノもあるので、停電のときはピアノで全奏楽が可能です。

あとは、聖書朗読にも説教にも、賛美歌を歌うことにも、祈ることにも、電気は要らない。室内が暗ければ、ロウソク・・・は、ちょっと危ないので、ふだんはあまり使いませんが、どうしても必要ならそれも可能ですし、「教会でロウソク」には違和感が無いという意見のほうが多いかもしれませんよね。

それに、教会って、かなり面白いというか、とても不思議なところなんです。聖書の勉強だけしているわけではありません。私は圧倒的な(恥ずかしいほどの)インドア派なのですが、前任牧師は典型的なアウトドア派で、教会の倉庫はキャンプ用品が山積み。テント、バーベキューセット、飯ごうなどが、数セット揃っています。

電気の供給が一時的にせよ長期的にせよストップしてしまったときでも、いざとなれば、教会の庭にバーベキューセットを設けて炭火をおこし、米を炊けるし、肉も焼ける。そういう機能が、たぶん松戸小金原教会だけでなく、多くの「教会」に備わっています。牧師室にしても、パソコンを使えなくても、本ならたくさんあるし、説教原稿は手書きで十分。

「エコのすすめ」とか「ナチュラルライフ」とか「昔の生活に戻そう」とか、そういうことを言いたいのではないのです。そういうことにはほとんど関心が無い。スローガンとかイデオロギーとか今はどうでもいい。「電気が無くなったら、一日たりとも生きられません」とは誰の口からも言わせたくない。そう感じているだけです。

牧師館の電気代は自分で支払っていますが、教会の電気代は教会が支払っています。しかし前記のとおり、ふだんの教会には私だけ。電気メーターを自分以外の人(教会役員の方々)に管理されている状態というのは、本心から書きますが、実に緊張感があって良い。電気を「湯水のように」使うことができません。

もちろん「湯水のように」といっても、「湯」(これも結局、電気使用)にしても「水」にしても(松戸では上水道と下水道は別料金)、今ではたっぷり料金を払わされますので、ただでも何でもないわけですが。実際問題、わが家(牧師館のほう)は毎月毎月、光熱水道料なるものを一体どれだけ払っているんだよ!と思うくらい。

おっと、また脱線して「電気代の話」になってしまっていますが、本題は「節電の話」。もうちょっと内容に即したタイトルをつけるとしたら、「大節電時代の幕開けと教会の存在理由」、くらいでしょうか。

ごく大雑把な話をすれば、私がいばるようなことではありませんが、教会には二千年の歴史があり、そのうちのほとんど千九百年間ほどは「電気なしに」十分楽しんでいたはずです。つまり、教会というところは「電気なしの楽しみ方」のノウハウを熟知している団体でもある、ということです。

上には、礼拝の奏楽の楽器として、オルガンとピアノの名前だけを挙げましたが、たとえば、松戸小金原教会にはプロのハープ奏者とヴァイオリン奏者がおられます。聖歌隊も一生懸命がんばっています。最近は、「樹音」(じゅね)というオカリナに似た楽器のチームもできました。わが家の長男長女は、学校の吹奏楽部のトランペット担当です。

今書いたことは、わが教会の自慢話ではなく、「電気なしにも」教会は十分楽しめる、と言いたいだけです。強いて言えば、電気が必要な楽器はオルガンだけです。それ以外は電気は要らない。マイクとスピーカーが使えなければ説教者は声を張り上げればよい。暖房も無くなって寒ければ身を寄せ合えばよい。

「オール電化」に逆行したいのではありません!何でもかんでも、ありとあらゆることに電気を必要とする今の文明を作り上げた責任者を追及したいのでもない。イデオロギーがどうとかこうとかには興味が無いし、巻き込まれたくない。

ただ、いま思うことは、45歳の(若い?)私でさえ、電気などそれほど必要でもなかった日本国内の情景を鮮明に憶えているということです。それほど遠い昔の話ではない。私が歳をとっただけなのかもしれませんが、決してそうは思わない。つい最近まで、日本はもっと「薄暗かった」。街にコントラストがあり、情緒もありました。大震災後の「薄暗さ」の正体は、ほんのちょっと前の明るさに戻っただけかもしれません。

「電気なしに生きて行け」と言われたら、「それはたぶん無理ですね」と私も答えます。しかし、「電気なしには何の楽しみも無い」と言われるときは「そんなことはないですよ!」と堂々と言えるのが教会です。そこで「ぜひ教会に来てください」と言うと「なんだ、宗教の勧誘か」と敬遠されてしまうでしょうけど。

ただね、一瞬だけ最大限にいばらせてもらいますが、危機の時代にこそ発揮する宗教の底力みたいなものがありましてね。教会というのは本質的に「信じあう共同体」である点が、政府も学者もマスコミも信じられないぞ、何を信じていいか分からないぞ状態の不安を若干軽減できるものがあるかもしれません。

あと、もう一つだけいえば、電気が全く無くなってしまって、テレビもパソコンも電話も使えない、電池切れで携帯電話もスマートフォンもゲームも使えない、自動車も電車も動かないのでゲームセンターや遊園地に行けなくなったというときも(もちろんそうならないことを願っています!)、教会の音楽は絶えない!楽しみはある!

もちろん、今はまだ「笑い話」ですが、もし今後、各家庭のお米がつきて、お肉が尽きて、野菜が尽きたら、みんなで教会に持ち寄って、分け合ったらいいよね、と(半分は本気で)話しているところです。最後に一切れパンが残ったら、みんなで「最後の晩餐」しようね、と。そういうことができるのも教会です。

教会だけがそういう場所だと言いたいのではなく、教会はそういう場所だと言っているだけです。教会の自慢をしたいのではなく、教会の泣き笑いの様子をありのままに書いているだけです。

でも、「電気」には感謝していますよ。こんな文章を書きとめておけるのも、電気がこのパソコンを動かしてくれているからですよね。分かっています。