2011年2月3日木曜日

G. C. ベルカウワー著『教義学研究』

アムステルダム自由大学神学部で長く教鞭をとったヘリット・コルネーリス・ベルカウワー(Dr. Gerrit Cornelis Berkouwer [1903-1996])の『教義学研究』(原題Dogmatische Studien)は、同神学部における教義学講座の開設者であったアブラハム・カイパーやカイパーの同僚のヘルマン・バーフィンクらの基本路線(新カルヴァン主義)を受け継ぎながらも、ベルカウワーと同世代の諸外国の神学者、なかでもカール・バルトをはじめとするスイスやドイツの弁証法神学者たちの神学に強い関心を寄せ、両者(新カルヴァン主義と弁証法神学)の関係を明らかにした労作であると評することができます。そのため、ベルカウワー自身の独自の神学が豊かに展開されているとは必ずしも言えず、その面での物足りなさを感じる向きがあるかもしれませんが、とりわけ歴史的・伝統的な改革派神学の立場に立つ者たちにとっては、自分たちの伝統路線にただあぐらをかくことで事足れりとせずに(当時の)新しい時代における新しい神学的発想と正面から向き合い、どの点は受け入れることができ・どの点は受け入れることができないかを明らかにしようとしたベルカウワーの真摯な姿勢から学ぶべきことは多いでしょう。



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(上は原著オランダ語版、下は英語版。どちらも左から以下のタイトル順に並んでいます。)



一般啓示          De Algemene Openbaring/ General Revelation
聖書             De Heilige Scrift (I-II)/ Holy Scripture
神の選び          De Verkiezing Gods/ Divine Election
神の摂理          De Voorzienigheids Gods/ The Providence of God
神の似像としての人間  De Mens het Beelds Gods/ Man: The Image of God
罪              De Zonde (I-II)/ Sin
キリストの位格       De Pesoon van Christus/ The Person of Christ
キリストの御業       Het Werk van Christus/ The Work of Christ
信仰と義認         Geloof en Rechtvaardiging/ Faith and Justification
信仰と聖化         Geloof en Heiliging/ Faith and Sanctification
信仰と堅忍         Geloof en Volharding/ Faith and Perseverance
教会             De Kerk (I-II)/ The Church
キリストの再臨       De Wederkomst van Christus (I-II)/ The Return of Christ



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(上は『神の選び』の表紙、下は同書第一章の冒頭個所。同書の各章タイトルは以下のとおりです。)



第一章 考究の限界             De Grens der Bezinning

第二章 教理史の視点           Dogmahistorisch Perspectief

第三章 神の選びと自由意志       Verkiezing en Willekeur

第四章 神の選びと隠匿性         Verkiezing en Verborgenheid

第五章 キリストにおける神の選び    Verkiezing in Christus

第六章 神の選びと遺棄          Verkiezing en Verwerping

第七章 神の選びと説教           Verkiezing en Prediking

第八章 堕落前予定説と堕落後予定説 Supra- en Infralapsarisme

第九章 神の選びと救いの確かさ     Verkiezing en Heilszekerheid

第十章 大きな誤解             Het Grote Misverstand




2011年1月26日水曜日

いや、そういうのではなくて

ブログに書くような内容ではなく、ただのつぶやきなのですが。

本当に私は「インターネットで伝道する」つもりは全くありません。

ずっと前から繰り返して書いてきたことですが、「インターネットは伝道用途に向かない」と、ほぼ確信しています。

「で、何を言いたいの?」となりますが、いや、まあ、ただそれだけです。

私がインターネットで試みてきた(つもりの)ことは、いかに最低限の費用で、最良の神学を営めるか、です。

神学のコストパフォーマンスの追求です。

「お前には無理だ」と言われても、続けていくだけです。

神学を放棄した教会は「教会ではない」からです。

そうとしか、私には言いようがない。

2011年1月23日日曜日

カール・バルトの「第三項の神学」発言に対するファン・ルーラーのコメントについて

わたしの『教会教義学』のすべてはより聖霊論的な立場から書き直されなければならないだろう、というカール・バルトの最晩年の発言を知ったとき、ファン・ルーラーは「とんでもないことだ」と言って納得しなかった、というファン・ケウレン氏の文章を最初に読んだとき、私も最初は目を疑いました。逆ではないのかと思いました。もし言うなら「わが意を得たり!」ではないかと。

何度も何度も、ファン・ケウレン氏の論文の文章と、彼が引用したファン・ルーラー自身の文章と、オランダ語辞典の字句解説とを見比べて確認しましたが、間違いなくそのように書かれていました。

そこまで何度も確かめた上で、それではこの文脈でファン・ルーラーはなぜバルトの発言を「とんでもないことだ」と考えたのかを、私なりに考えてみました。それで思い至ったことは、ファン・ルーラーの「とんでもないことだ」の意味は、「バルト自身にそのようなことができるはずがない」ということであり、あるいは「何を今さら」ということだったのではないか、ということです。

その理由は単純です。

バルトが『教会教義学』の第一巻第一分冊を出版したのは1932年です。当時46歳。爾来バルトは1968年に82歳で亡くなる直前までの36年間、本書の執筆を続けました。

ところが、バルトの「第三項の神学」発言が飛び出したのは、バルトが亡くなる年、1968年です。『シュライエルマッハー選集』のあとがきとして書かれた「シュライエルマッハーとわたし」です(J.ファングマイアー著『神学者カール・バルト』加藤常昭・蘇光正共訳、日本基督教団出版局、1971年、83ページ以下)。つまりそれはバルトの文字どおりの「遺言」でした。

36年間かけて書いてきた9000ページ以上の本を、バルト自身が、82歳から「全部」書き直せるでしょうか。82歳のバルトにさらに36年間の寿命が与えられて118歳まで生きられるならば、可能性が全く無いとは言えない、かもしれない。しかし、それはまともに聞ける話でしょうか。ファン・ルーラーにとってバルトは人生の大先輩だったわけですが、「やれるものなら、やってみろ。できもしないことを易々と口にすべきではない」と言いたかったのではないでしょうか。

ファン・ルーラーのバルト批判は、ファン・ケウレン氏によると1933年11月にクバート教会の牧師になってまもなくの頃から始まっています。それ以来ファン・ルーラーは、バルトが1968年に亡くなるまでの35年間近くも、バルトと対峙し続けたのです。そのバルトが死の間際になって、自分の教義学は「全部」書き直されるべきだと言ったとなると、バルトを批判してきた人々が拍子抜けするに決まっています。おそらく、心底がっかりしたのです。

バルトがファン・ルーラーの存在を知っていたかどうかについて、バルトの著作を調べても分かりません。しかし、全く手がかりが無いわけではありません。バルトの「オランダの親友」K.H.ミスコッテが1951年に「自然法とセオクラシー」(Natuurrecht und Theokratie)という論文をドイツ語で発表し、その中でファン・ルーラーをやり玉に挙げ、露骨に批判しています。このミスコッテの論文を「親友」バルトが読まなかったはずがありません。つまり、バルトは1951年には、ほぼ確実にファン・ルーラーの存在を認識していたのです。

そして、その後も、ファン・ルーラーは『宣教(アポストラート)の神学』(1954年)、『キリスト教会と旧約聖書』(1955年)、『世界におけるキリストの形態獲得』(1956年)と、立て続けにドイツ語版の出版物を出しています。オランダ語が読めなかったと言われるバルトでも、ファン・ルーラーが何を考えているか、バルトに対して何を言わんとしているかくらいは、分かっていたはずです。

しかし、バルトは、ファン・ルーラーの存在を認識しながら全く無視し続けました。ユトレヒト大学神学部の教授として公然とバルト批判を始めたときから数えても、20年近くもバルトから無視され続けてきたファン・ルーラーにとっては、バルトが死の間際に何を言おうと、「何を今さら」という思い以外の何ものもなかったのではないでしょうか。


2010年12月20日月曜日

徹夜で仕事をしなければならない人を温めるために(女子聖学院中学校2010年度クリスマス礼拝)

ルカによる福音書2・8~14

関口 康

「その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。天使は言った。『恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。』すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。『いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。』」

クリスマスおめでとうございます。

先ほど朗読された聖書の個所は、聖書の中でもとても有名なところです。

皆さんはクリスマスの劇をしたことがあるのではないかと思います。その劇のための役を決めるときに必ず、羊飼い役の人が選ばれるはずです。そして、その羊飼いたちの前には必ず、たき火が置かれるはずです。イエスさまがお生まれになった日、羊飼いたちは「野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた」(8節)と聖書に書かれているからです。

彼らは外にいました。屋根はありませんでした。そして、「夜通し」というのですから徹夜です。彼らは徹夜の仕事をしていたのです。しかも、その仕事は「羊の群れの番」でした。生き物相手です。羊の敵は狼でした。羊飼いたちは、羊たちに狼が襲いかからないように徹夜で見張りをしていたのです。

皆さんは徹夜の仕事をしたことがありますか。まだ中学生なので仕事はしていないかもしれません。しかし、お父さんやお母さんが徹夜で仕事をしているという方はおられるかもしれません。

私の妻は徹夜で仕事をしています。何の仕事なのかといえば、二つの施設のかけもちです。一つは、いわゆる24時間保育園です。私の妻は保育士です。もう一つは、児童養護施設です。そこでも保育士の仕事をしています。

どちらの仕事も夜の仕事です。「夜の仕事」と言うと誤解されるかもしれません。しかし、その施設に預けられる子どもたちの親の中には「夜の仕事」をしている人たちもいます。親が仕事をしている間、子どもたちが保育園に預けられます。夜遅くに預けられ、朝迎えに来る親もいるようです。

保育士たちには、「守秘義務」と言って、その仕事の中で知ったことを外部の人に話してはならないという決まりがありますので、妻は私に何も教えてくれませんし、私も何も聞きません。だから具体的なことは何も知りません。

私が知っているのは、徹夜の仕事を終えてぐったり疲れて帰ってくる妻の姿だけです。私にできるのは、本当に大変なんだなと、妻の体を心配することだけです。

しかし、私はもう一つのことを知っています。それは、「夜の仕事」をしてでもお金を稼がなければならない人々がこの日本の中に大勢いるということです。生まれたばかりの赤ちゃんを夜の保育園に預けてでも。

また、児童養護施設には親がいない子どもたちや、親から虐待を受けている子どもたちがいます。子どもたちは自分の力で生きていくことができませんので、誰かの助けが必要です。親が子どもを助けることは義務であり責任でもありますが、その義務と責任を負うことができない親たちがいることも事実です。

また、別の人のことですが、私の教会には水道局で働いている方がいます。この方も徹夜の仕事です。当たり前のことですが、夜も水道は使われるからです。みんなが飲む水の中に変なものが混ざらないように、また水道のポンプが止まらないように、誰かが見張りをしなければなりません。

障がい者施設で働いている方もおられます。徹夜で、体の不自由な人たちを助ける日もあるようです。自分で動くことができない方が、夜にトイレに行きたいときや病気になったときは、誰かが助けなければなりません。

今日の聖書のお話から遠ざかってしまったかもしれません。しかし、私が皆さんにお伝えしたいのは、皆さんが眠っている間にもいろんな人が一生懸命働いているということです。「そんなの知ってるよ」と思われるかもしれませんが、改めてそのことを考えてみていただきたいのです。

その仕事に共通しているのは、それは本当につらい仕事であり、人間の限界を感じる仕事であるということです。皆さんのお父さんやお母さんやご兄弟の中にそのようなつらい仕事をしている方がおられる場合は理解していただけるはずです。また、そのような方が家族の中にいなくても、皆さんの想像力を働かせていただけば、徹夜の仕事をしている人がどれほど大変なのかは、お分かりになるはずです。

先ほど読まれた聖書の箇所に記されているのは、イエスさまがお生まれになった日に起こった出来事です。そこにはっきり書かれているのは、イエスさまがお生まれになったという事実を神さまから最初に知らされた人々は、そのとき「徹夜の仕事」をしていたということです。

私は今日皆さんに、徹夜の仕事だから尊いとか、日中の仕事は尊くないとか、そういうことを言いたいわけではありません。どの仕事も尊いものです。しかし、強いていえば、どちらがつらいかといえば、やはり夜の仕事はつらいのです。つらくても、しなければならない仕事がある。そういう仕事を誰かがしなければならないとき、だれかが犠牲を払い、体を張ってその仕事に取り組まなければならないのです。

しかしまた、仕事ということには、もう一つの要素も必ずあります。それは自分の生活のためです。お金を稼ぐため、毎日ご飯を食べるため、家族を養うために、仕方なくつらい仕事をしなければならないのもわたしたちです。

つらいから仕事しないというのでは自分も家族も困ります。皆さんがこの学校に通うために誰がどのような苦労をしているかを、皆さんは知っておられるはずです。

羊飼いたちもそうだったということを考えてみてください。羊飼いが誰のために徹夜で働いていたかは分かりません。しかし、苦労している彼らのところに神さまが、うれしいお知らせをいちばん早く伝えてくださったのです。

「今日イエスさまがお生まれになりました。あなたがたのために救い主がお生まれになりました」と。

死に物狂いで苦労している人たちを神さまが労ってくださったのです。寒い夜に外で仕事をしなければならない人たちを神さまが温めてくださったのです。

皆さんが将来、どんな仕事をなさるのかが楽しみです。一生楽をして暮らしたいと考えている方もおられるかもしれませんが、それは甘いです。苦労しましょう。

皆さんの人生が神さまの祝福のうちにありますよう、お祈りしています。

(2010年12月20日、女子聖学院中学校クリスマス礼拝)

身に覚えのない罪を疑われた人をかばうために(女子聖学院高等学校2010年度クリスマス礼拝)

マタイによる福音書1・18~25

関口 康

「イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。『ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。』」

クリスマスおめでとうございます。

私は今日、皆さんの前で初めてお話しします。男子の聖学院高校では今から約20年前に聖書の授業の教育実習をさせていただいたことがあります。たった一時間でしたが、一生懸命にお話ししましたところ、授業が終わったとき男の子たちが私に拍手をしてくれました。その時以来、聖学院という学校が大好きになりました。皆さんにお会いできたことを心から感謝しています。

今日はクリスマス礼拝です。クリスマスのお話をしなければなりません。初めてお会いする皆さんにどんな話をしようかと迷いましたが、とにかく皆さんと一緒に聖書を読んで、そこに書かれている一つの事実をお知らせしようと考えました。

先ほど読まれた聖書のみことばの最初に書かれていたことは「イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった」(18節)でした。ここにはイエス・キリストの誕生の次第が書かれています。「誕生」とはもちろん生まれることです。イエスさまがどのようにしてお生まれになったのかが書かれているのです。

その最初に書かれていることは、とても衝撃的な事実です。「母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった」(18節)。イエスさまのお母さんであるマリアはヨセフという男性と結婚する約束をしていたのに、まだ結婚する前に、お腹の中に赤ちゃんがいることが分かったと書かれているのです。

当時のマリアさんは、たぶん皆さんと同じくらいの年齢でした。10代の後半だったと考えられます。今の皆さんが、お腹の中に赤ちゃんがいるということになりますと、それは一つの事件とみなされるに違いありませんが、当時のユダヤの社会の中では特別なことではありませんでした。ただし、それが結婚する前のことであったということになりますと、話は全く別です。当時のユダヤの社会の中で、それはとんでもない罪でした。死刑に値するとみなされました。

しかしマリアさんは、どうしていま自分のお腹の中に赤ちゃんがいるのかについて、その原因というか理由をはっきりと知っていました。少なくとも、ヨセフさんとの関係の中で与えられた子どもではないということを知っていました。また、ヨセフさん以外の男性と関係したためにそうなったわけではないということを知っていました。

先ほど私はマリアさんは皆さんと同世代だったと言いました。なぜそのことを強調するのかといいますと、当時のマリアさんと同世代の皆さんには、このときのマリアさんの気持ちが分かるのではないかと思うからです。初めてお会いする皆さんの前で変な話をしたいのではありません。しかし、どうしていま自分のお腹の中に赤ちゃんがいるのかについて原因も理由も分からないという方はここにはおられないはずです。10代の後半は、それだけの責任をとることができる年齢であると申し上げたいのです。

ですから、マリアさんは、声を大にして言いたかったはずです。「私は罪を犯していません!誰から責められなければならないようなこともしていません!」と。それでも周りの人たちは、彼女は何か隠しているとか、ありえないことを言い張っているだけだと白い目で見たはずです。その証拠に、結婚の約束をしていた最も信頼していた彼氏が彼女を疑ったのです。ヨセフさんは彼女を信頼できなくなり、誰にも知られないうちに別れようと決心したというのです。

こういうときに皆さんならどうしますかとお尋ねしてみたい気持ちが私にはありますが、いま手を挙げて答えてくださいとは言いません。それぞれ自分で考えてみてほしいです。

自分には身に覚えのない罪を最も信頼している人から疑われたときにどうしますか。一生懸命その相手に説明しますか。説明して分かってもらえますか。分かってくれる相手であれば説明することには意味があります。しかし、本当に分かってくれますか。もしいくら説明しても分かってくれなかった場合はどうしますか。説明は時として泥沼にはまることがあります。説明すればするほど、見苦しいとか言い訳がましいとか見られて、ますます窮地に追い込まれることがあります。

私が思うこと、それは、もし皆さんが自分の身に覚えのない罪を疑われた場合は、誰が何と言おうと堂々としておられたらよいということです。良い意味で自分自身を信じていただきたいです。そして少し話は飛躍しますが、そのようなときにこそ、神さまを信じていただきたいです。

神さまはそういう人を決して見殺しにはしません。罪のない人を罪に定めることを、人はするかもしれませんが、神さまはしません。神さまはヨセフさんの夢の中で「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである」(20節)と声を大にして主張してくださいました。神さまがマリアさんをかばってくださったのです。そのことをヨセフさんは信じました。二人の信頼関係は回復されて、無事にイエスさまがお生まれになりました。

高校生の皆さんは、将来何の仕事をするのかを悩んでおられると思います。もしまだ決まっていない方に考えていただきたいことは、身に覚えのない罪を疑われている人たちを助ける仕事を探していただきたいということです。

わたしたち人間は、誰からも信頼してもらえないと感じるときに絶望します。絶望している人を助ける仕事、生きるのをやめてしまおうとしている人に生きる希望を与える仕事、それは本当に尊いものです。それは、神さまがマリアさんにしてくださったのと同じことをすることです。マリアさんの命とイエスさまの命は、神さまが助けてくださったのです。

皆さんの将来が神さまの祝福のうちにありますよう、お祈りしています。

(2010年12月20日、女子聖学院高等学校クリスマス礼拝)

2010年12月11日土曜日

ファン・ルーラー生誕102年

今日も遠くまで出かけていました。ああ疲れた。

さて、今日(12月10日)は、ファン・ルーラーの誕生日です。今年で生誕102年です。

2年前の生誕100年の今日、オランダのアムステルダム自由大学で「国際ファン・ルーラー学会」が行われ、日本からは私、石原知弘先生、青木義紀先生が出席しました。懐かしいです。

それから、お知らせしたいことがあります。

(1) ファン・ルーラーとカール・バルトの神学との関係の「下」が『季刊教会』に掲載されました

以前「上」が出たときに皆さまにお知らせしましたが、オランダ語版『ファン・ルーラー著作集』の編集責任者であるファン・ケウレン氏の論文、「主人の声から敬意を込めた批判へ――ファン・ルーラーとカール・バルトの神学との関係――」の「下」(関口康訳)が、『季刊教会』の最新号(第81号)に掲載されました。

とくに「下」(後半部分)には、ファン・ルーラーがバルト神学のどの部分をどのように見、批判したかが具体的に分かるように記されています。とにかくとても興味深い論文ですので、どなたもぜひお読みくださいますよう、心からお願いいたします。

このところ「ファン・ルーラーの翻訳はまだですか」というお尋ねをいただくことが多くなりました。

しかし、「21世紀の日本の教会」と「20世紀のオランダの教会」とのコンテクストには、似ている面と大きく異なる面とがあります。ファン・ルーラーの文章を読めば読むほど分かってくることは、いきなりファン・ルーラーの文章を日本語に翻訳しても、それを理解して受け入れていただける地盤が、今の日本ではまだまだ弱いということです。

そのため、ファン・ケウレン氏の論文のようなものを先に紹介しながら、少しずつ「地ならし」していく必要を感じています。このような事情をご理解いただけますとうれしいです。

(2) アジア・カルヴァン学会韓国大会が来月おこなわれます

また、既報のとおり、来年(2011年)1月17日(月)から19日(水)まで、アジア・カルヴァン学会韓国大会が、ソウルのチョンシン神学大学で行われます。

準備等は韓国の方々がすべておこなっておられますので、日本からの出席者たちとしては、じっと待っているしかない感じですが、いま再び朝鮮半島が極度の緊張関係にあります。無事に開催できるようお祈りください。

とりあえず以上です。みなさま、どうか良きクリスマスをお迎えくださいませ。

2010年12月6日月曜日

強い意志をもたなければ身がもたないネット

どう言ったらいいのか、インターネットはさながら蟻地獄のようなものです。あるいは、台風か大洪水か大地震。

私のセッティングも悪いのですが、クラウド的なコンピュータの使い方を開始し、特にウェブメールを使うようになって以来、(途中の説明は省略します)どうしてもいくつかのいわゆる「ポータルサイト」(プロバイダ会社や検索エンジン会社のトップページの場合が多い)を開かざるをえず、そこに出てくるニュースはじめ、いろいろな情報を目にせざるをえなくなりました。

私の目的は、ただメールが届いているかどうか、ただそれだけ、本当にただそれだけをチェックしたいだけなのです。しかし、そこに至るまでの途中のプロセスの部分で、やれAKBがどうした、やれ尖閣ビデオがどうした、やれ海老蔵がどうしたと、やたら気が散る。迂回が起こりやすい。なかなか本来の目的に到達しない。

もちろん、「ポータルサイト」上の情報といっても、そこに出てくるのは各記事のタイトルだけですので、そのリンクをクリックしなければいいだけのことだと言ってしまえば、それまでです。しかし、情報提供者側の思惑としては何とかして開いてもらいたいのでしょうから、開かせよう、開かせようという思い余った扇情的な表現がどんどんエスカレートしていく傾向にありますので、見ているほうもつい引き寄せられ、引きずられそうになります。

そういうものを見てはいけない、関心を持ってはいけないと言いたいわけではないのです。何を見ようが、何を開こうが、その人の自由であり、自己責任です。また、ついでにいえば、いろいろな情報を知ること自体、見ること自体が「罪」であるわけではありません。知りうることは、知ったらよいのです。知るべきことを知らないことのほうが、よほど罪深い場合だってあります。

だから、あとはひたすら時間や体力との戦いです。もう一つは、お金はゼッタイ使わないというくらいの覚悟をすること。ネット上で課金されるものには近づかないこと。そこから先は地獄だ、くらいに思いこんでちょうどいいくらいです。

時間に関しては、この仕事を終わらせるためにあとどれくらいの時間が必要なので、その途中でどれくらいの無駄な時間を費やすことが許されていて、いま開いて見ているその情報への関心に費やす時間がどれくらいで、差し引きしてみて要するにそのような別の事柄に時間を費やしても最初に終わらせようとした仕事を約束どおりに(自分自身との約束を含む)終わらせることができそうかどうか・・・というようなタイムマネージメントを(ぼんやりしたようなものであってもいいので)しながらでないと、まさに「蟻地獄」の中にどんどん引きずり込まれていくような感覚があります。

体力に関しては、「休肝日」という表現が思い起こされます。この言葉の意味を知らない人は、もういないでしょう。「休ネット日」は、たぶん間違いなく必要であるはずです。私はこのことについて何の科学的根拠も知りませんが、ネットから脳神経系が受けるダメージは、アルコールから肝臓等が受けるダメージに匹敵するような気がしてなりません。

しかし、我々の「休ネット日」は、いつでしょうか。それは、パソコンのスイッチを入れない日のことではありません。携帯電話がネットにつながっているなら、携帯電話を持っている時点で、その日は「活ネット日」です。

2010年12月4日土曜日

「伝道」が「平和集会」を必然化する(再掲)

今の政治情勢を鑑み、二年前に書いた『中会ヤスクニ』誌(2008年12月発行)の巻頭言の主旨を繰り返す必要を覚えますので再掲します。

PDF版はここをクリックしてください

■ 「伝道」が「平和集会」を必然化する

関口 康

再び東関東中会の話をさせていただきます。2009年2月11日(水)に「第一回東関東中会平和の集い」を行います。2006年7月に日本キリスト改革派教会の第六の中会として誕生したわたしたちの中会が初めて独自で企画する、画期的で記念すべき平和集会です。講師は袴田康裕先生、主題は「平和についての教会的一致のために~ウェストミンスター信条をもつ教会として~」です。会場は船橋高根教会、主催は東関東中会伝道委員会です。

中会伝道委員会が平和集会を企画すること。このことは東関東中会の中では当然のこととして受けとめられています。しかし、読者各位の中には、いまだに(「いまだに」です)このこと――中会の「伝道」委員会が「平和集会」というような社会的な問題に主体的・積極的に取り組むこと――に違和感を覚える方がおられるかもしれません。消極的な意見に接するたびに少なからず残念に思います。とはいえ、物事のイロハから説明することも「伝道」には避けがたいことですので、ため息をつくばかりで沈黙をもって受け流すような態度は、わたしたちには相応しくないでしょう。

単純なところから申せば、「わたしたちは誰に伝道しているのでしょうか」という問いをお考えいただけば自ずから答えが見えてくるでしょう。通常の理解では、すでにキリスト者である人々に対してわたしたちは「伝道」はしません。それはいまだにキリスト者ではない人々に対して行うことです。そう、教会の伝道の目的は(やや大上段にふりかぶって言えば)「人類と国家をキリスト教化すること」です。

「伝道」を使命とする教会の存在理由もまた然りです。わたしたちが願っていることは、今まで一度も教会の建物や交わりの中に足を踏み入れたことがなかったような人々を教会の中に招き、教会の教えや雰囲気、さらに伝統や文化の内容を理解していただき、それらに良い意味で「馴染んでいただくこと」です。小池正良引退教師のお言葉をお借りすれば「伝道とは異文化間コミュニケーションでもある」のです。

別の文化からわたしたちの文化(改革派的キリスト教文化)へと入ってくる人々がある種の違和感を覚えるのは、当然のことです。しかし、だからこそ、時間をかけて馴染んでいただく必要があります。教会の役割は、その人々の前で言葉を尽くして説明し、理解を求めることです。

しかし、そうは言いましても、この「馴染んでいただくこと」や「理解を求めること」が決して簡単なことでも単純なことでもないということを、わたしたちは体験的に知っています。もしそれが簡単で単純なことであるならば、日本伝道はもっとスムーズに進んできたでしょうし、今のような沈滞ムードに悩むこともなかったでしょう。そこで生まれてくる問いが「教会はもっと敷居を低くすべきではないか。社会問題などを持ち出してその判断を迫るようなことをするから教会に人が集まらないのではないか」というものであることも、わたしたちは知っています。ジレンマがあることは否定できません。

たしかに言えることは、人々が教会に求めるものは多様であるということです。ある人は教会に「地上の現実を越えた安らぎ」を求めますし、他の人は「地上の現実を生き抜く勇気」を求めます。しかし、です。ここから先がわたしたちの真骨頂です。問うべきことは「改革派教会」の選択肢は何かです。

それは、疑いなく後者です。わたしたちが教会に求めるべきは「地上の現実を生き抜く勇気」です。わたしたちは、天地万物を「はなはだ良きもの」(創世記1・13)として創造された神と、わたしたちを罪の中から救い出してくださる神は、同一の方であると信じています。その意味は、わたしたちをとりまく地上の現実がたとえ罪と悪に染まりきったものであると感じるものだとしても、「この世界は神が創造されたものである」という一点の真理ゆえに、神を信じる者たちは地上の世界に固く留まり続けるべきであり、かつこの世の中に満ち満ちている罪と悪の問題に正面から真剣に向き合うべきであるということです。創造者なる神への信仰が、わたしたちにこの世の中で生き抜くこと(地上の現実から逃避しないこと!)を強く要請すると共に、わたしたちのなすべきことを自覚させるのです。

「平和の問題」(そしてその裏側にある「戦争の問題」)は、この世界における罪や悪の問題のうちでも最も典型的で顕著なものです。この問題を扱うことが「伝道」に直結するのです。逆から言い直せば、「伝道」が「平和集会」を必然化するのだということです。

なるほど、ある国は「偽証してはならない」という神の戒めに逆らって立っているかもしれませんが、だからといって、神を信じる者たちがその国を徹底的に打ちたたくことにおいて「殺してはならない」という神の戒めに逆らうことが単純に許されてよいわけではありません。また、新約聖書の真理に立つ人々は「殺人を犯した人は必ず殺されなければならない」というようなことをストレートに語ることはできません。すべては複雑怪奇な問題です。しかし難しいことには近寄らないというのでは「それは逃避ではないのか」とのそしりを免れないでしょう。わたしたちが選ぶべきは判断中止による逃避でしょうか、それとも・・・どうすべきでしょうか。

もちろん、教会になしうることは、ごく僅かです。日本の教会は国民の少数派であり、その中の「改革派教会」はなおさらです。わたしたちの命すべてを投げ出したところで、大きなアクションを起こす力にはならないかもしれません。しかし、それが何でしょう。あきらめること、絶望することこそ、わたしたちが犯しうる大罪です。「できやしない」という声を聞いて立ち止まるくらいならば、わたしたちは、どんなに小さくても何かを行い続けるべきです。

私はつい最近、中部中会の『日曜学校教案誌』の小学生向け教案例に、「戦争しなければならない理由」を主張する人々の言葉に説得されそうになったときには「戦争してはならない理由」を一生懸命探して、それを大きな声で伝えましょうねと書きました。「みんなが賛成してくれるかどうかは分かりません。でも、皆さんの言葉に賛成してくれる人たちは必ず見つかります。その人々とぜひ協力してください」とも書きました。

これは、子どもたちだけに言いたいことではなく、すべての人に言わなければならないことです。勇気をもって、声を大にして!

2010年12月2日木曜日

まだ間に合うかもしれない

ちょっと慰められました。え、「何が?」って。

日本キリスト改革派教会ではお馴染みのアメリカ人神学者ルイス・ベルコフ(Louis Berkof [1873-1957])について調べる必要が生じましたので、Wikipediaの「ルイス・ベルコフ」を開いてみましたところ、そこに書いてあったことが(これまでの執筆者がたには失礼ながら)ほとんど内容の無いものであり、間違った記載も多かったので、かなり書き加えてしまいました。

それで、私は今日そのことを実は初めて認識したのですが、ベルコフがカルヴィン神学校の教授として初めて教義学の担当者になったのは、なんと彼が53歳(?!)のときだったようです。

年齢の話をしますといろんな方面に差し障りが出てくるかもしれませんが、でも、私はやはり驚きを隠すことができません。

今でも世界中で読み継がれ、その輝きを失っていない、あの名著『組織神学』(最初のタイトルは『改革派教義学』)の著者であるあのベルコフが、53歳まで教義学の担当者でなかったとは。

ベルコフのカルヴィン神学校教授としての最初の担当は聖書学であったということはカルヴィン神学校のホームページに記されていることです。それはずっと前に見たおぼえがあります。しかし、私がうっかり見落としていたのは、彼が聖書学を担当した期間です。ごく数年の短い間だけだったに違いないと、勝手に思い込んでいました。

ところが、それはなんと20年間でした。ベルコフが53歳になった1926年にやっと教義学の担当者となり、その仕事を71歳になる1944年までの18年間続けました。彼の神学校教授としての在任期間はトータルで38年間ですが、そのうちの半分以上は聖書学に携わっていたというわけです。

こういう事情ですから、もし仮に「ルイス・ベルコフは教義学者だったのか、それとも聖書学者だったのか」という問いを立てることができるとすれば、もしかしたら彼は後者、つまり「聖書学者」と称されるべき存在なのかもしれません。教義学者としてよりも、聖書学者としてのキャリアのほうが二年も長かったのですから。それが分かって、びっくり仰天した次第です。私一人が知らなかっただけかもしれませんが。

しかし、いちばん驚いたのは、今書いたことではなく、上に書いた点でした。彼が53歳まで教義学の担当者でなかった件。

そういえば、カール・バルトが『教会教義学』第一巻第一分冊を出版したのは1932年ですから、彼はすでに46歳だったはずです。ちなみに、私はいま(いまだに)45歳です。あ、いま、不覚にも「・・・ぼくも間に合うかもしれない」と思ってしまったじゃないですか!

私は、神学校のような場所ではいまだかつて一度も教えたことがありません。そういう場所や立場に興味を持ったことが全くありませんし、たぶんそういう仕事(とくに学内行政のような仕事)には全く向いていませんので、別に「教えてみたい」わけではありません。しかし、何らかの仕方での「教義学」の執筆ということについては、20台の頃から、かなり強い関心を抱いてきました。それで最初に取り組んだのが、ファン・ルーラーの翻訳でした。

もし私に何らかの「教義学」を書くことが許される日が来たら、それは日本の教会のほとんどの人が読んだことがないような新しいものでなければ意味が無い。でも、それは私の仕事ではないかもしれない。私はファン・ルーラーの翻訳だけで、しかもその途中で、ほんのわずかな断片だけを遺すだけで、人生が終わりになるかもしれないし、たぶんそうだろう。もしそうであるならば、私はファンルーラーだけに専念すればよいかもしれない。誰かにそれを読んでいただいて、その人に「教義学」を書いてもらうほうがよいかもしれない。

こんなことを縷々考えながらこの10年ほどを過ごしてきましたが、私はまだ、(えへへ)45歳です。ベルコフが組織神学の教授になる53歳まで、あと8年も残っているではありませんか。

こういうちょっとしたことで人は元気になるものです。最近、気が重い仕事が重なり、げっそりしていました。すでに53歳を過ぎている方々を落ち込ませるつもりはありませんが、「まだ間に合うかもしれない」という思いは、我々の人生にとって、元気に生きるために、(たとえ間に合わなくても)大事なものです。

「夢をあきらめるな!」と受験予備校のCMのような言葉づかいは、牧師のセリフとしてはどうかなあと疑問に思わないでもありません。しかし、自分の夢に何らかの(どんな小さなことでも)根拠を見出して、自分を鼓舞しながら生きることの意味が、このところ少しずつ分かりはじめたような気がしています。



2010年11月28日日曜日

なぜ私にキリストが必要か


ローマの信徒への手紙8・1~8

「従って、今や、キリスト・イエスに結ばれている者は、罪に定められることはありません。キリスト・イエスによって命をもたらす霊の法則が、罪と死との法則からあなたを解放したからです。肉の弱さのために律法がなしえなかったことを、神はしてくださったのです。つまり、罪を取り除くために御子を罪深い肉と同じ姿でこの世に送り、その肉において罪を罪として処断されたのです。それは、肉ではなく霊に従って歩むわたしたちの内に、律法の要求が満たされるためでした。肉に従って歩む者は、肉に属することを考え、霊に従って歩む者は、霊に属することを考えます。肉の思いは死であり、霊の思いは命と平和であります。なぜなら、肉の思いに従う者は、神に敵対しており、神の律法に従っていないからです。従いえないのです。肉の支配下にある者は神に喜ばれるはずがありません。」

今年のアドベントを、なんだか感慨無量で迎えることができました。今年もいろいろありました。もう忘れておられるかもしれませんが、そもそも今年はわたしたち松戸小金原教会の30周年でした。記念誌を発行したり記念礼拝をおこなったりしました。夏には会堂の外装工事がありました。T長老の大きな手術もありました。KさんやH長老も入院され、その後、退院されました。

いま挙げているのは、教会としての三つ、四つくらいの出来事です。わたしたちのそれぞれの個人としての出来事には、もちろんもっともっとたくさんのことがありました。しかし、次から次へと、いろんなことがあったのに、わたしたちはもう忘れてしまっているかもしれません。それは、わたしたちが忘れっぽいからではありません。すべてのことを神に感謝しているからです。神さまがすべてのことをしてくださったと信じることができたので、すっかり安心しているのです。もちろん苦しいこともありました。しかし神がわたしたちに苦しみに耐える力、苦しみを乗り越える力を与えてくださいました。今なお苦しみの中にある方がおられるでしょう。しかし、神がその方の心に希望と喜びを与えてくださり、今の苦しみを何とか乗り越えることができるように励ましてくださっています。だから、わたしたちは、悪い意味で引きずっているものは、何もありません。すべてが解決し、安心して、今ここに立つことができているような気がします。

「喉元過ぎれば熱さを忘れる」は、もっぱら悪い意味だけで用いられる諺であるようです。しかしわたしたちには、忘れてもよい苦しみもあるのだと思います。何もかも憶えていなくてはいけないのでしょうか。良いことや楽しいことならば、憶えていればいい。しかし、悪いことや苦しかったことまでいつまでも憶えていなくてもよいのです。どんどん忘れてください。忘れても構わないのです。

しかし、もちろんこんなことを私がいくら言いましても、皆さんは憶えておられることはいつまでも憶えておられるでしょう。だからこそ私は安心して「どうぞどんどん忘れてください」と言えます。私がこう言ったから皆さんが忘れるわけではないからです。私のせいにはしないでください。しかし良いことだけ、楽しいことだけを、どうぞ憶えていてください。悪いことや苦しいことは、どんどん忘れてください。そうすることがわたしたちに許されているし、そうすべきでもあるのです。

このように言いますと、開き直ったことを言っているというふうに思われてしまうかもしれません。そういう面も全く無いとは言えませんが、そういうことよりも、私が考えていることは、人間の心や体には限界があるということです。神さまがわたしたちを限界ある存在に造ってくださったのです。わたしたちの心や体はまるで、その中に入る分量が決まっている容れ物のようなものなのです。中に入ってくるものがある程度の量を超えると、溢れ出してしまうのです。それとも、わたしたちの脳は無限の大きさをしているのでしょうか。わたしたちの体は無限の力を持っているのでしょうか。そのようなことはありえない。すべての人に限界があるのです。

だからこそ「忘れてください」と言っているのです。どのみち限界があるわたしたちの心と体なのですから、悪いことや苦しいことばかりで一杯にしなくてもよい。外に出せるものは、どんどん出したらよいのです。もちろん、わたしたちには「忘れなさい」などと言われても忘れられないことが、体脂肪のようにたくさん詰まっているでしょう。しかし、だからこそわたしたちは、心のダイエットに真剣に取り組まなければならないのです。余分なものは、すっかり外に出してしまうことが必要なのです。

今日は何の話なのかが分からなくなりそうなので、そろそろ本題に入ります。今日の主題は「なぜ私にキリストが必要か」です。もちろんわたしたちはキリストが必要だと信じています。だからこそキリスト教を信じているし、教会に通っています。今さら問うほどのことではないかもしれません。しかし、今日考えたいことはその理由です。「なぜ」必要かです。あるいは、その事情についての説明です。だらだらやるつもりはありません。ワンポイントに絞ります。ここを押さえておいてほしいという一つの点だけをお話しいたします。

それが、今まで前段としてお話ししてきたことに、実は全部関係しています。いちばん大切な点は、わたしたちの心や体は限界ある容れ物のような存在であるということです。その中には良いものだけではなく、悪いものもたくさん詰まっているのですが、この容れ物自体にどのみち限界がありますので、悪いものは外に出してしまえばよいし、良いものだけが残るようにしたらよいのです。そうすることがわたしたちに許されていますし、そうしなければならないのです。

何を外に出すべきなのでしょうか。それが今日の聖書の個所に使徒パウロが書いている「肉の思い」(6節)です。「肉の思いは死であり、霊の思いは命と平和であります」(同上節)と記されています。「肉の思いに従う者は、神に敵対しており、神の律法に従っていないからです」(7節)とも記されています。ここで「肉の思い」の意味は「神に敵対する思い」です。つまり罪です。罪とは、神に敵対することです。神に背を向けることであり、神を憎むことであり、神の御心に反する生き方をすることです。それはわたしたちには許されていないことです。神に敵対する思いとしての罪はわたしたちの外側に出してしまわなければなりません。もしわたしたちが心のダイエットに取り組むとするならば、わたしたちの「罪」をわたしたちの存在の外側へと絞り出してしまわなければならないのです。

しかし、その次にすぐ出てくる問題は、それがわたしたちに可能かどうかです。「絞り出しなさい」などと言われてもなかなか出て行かないのが、わたしたちの罪です。ですから、わたしたちの心にはいつまでも葛藤が残ります。わたしたちの心の中に葛藤が残り続けること自体をパウロが責めているわけではありません。彼の中にも罪は残っています。「肉の思い」が残っています。しかし、それだけではなく、彼の心の中には「霊の思い」もあるのです。「霊の思いは命と平和であります」と記されています。「平和」の意味は「神との平和」です。それは「神に敵対すること」の反対です。敵対の反対は和解です。つまり、「平和」とは「神との関係が敵対関係ではなく、和解されている関係である」ということです。それは、神さまと私が仲良くなることです。神が私を心から喜び楽しんでくださることであり、私もまた神を喜び楽しむことです。神と私が仲良く一緒に遊ぶことです。

それは、わたしたちには可能なことです。神がわたしたちにそれを可能にしてくださったのです。神がわたしたちに何を可能にしてくださったのでしょうか。神に敵対する思い、神を憎む思いだけではなく、神を喜ぶ思いを持つことを可能にしてくださったのです。

それが、今日の個所に「キリスト・イエスによって命をもたらす霊の法則が、罪と死との法則からあなたを解放したからです」(2節)と記されていることの意味です。書かれていることの表現自体は難しいものですが、言われている意味は比較的単純です。パウロが言おうとしていることは、わたしたちの心と体との中に「霊」と「罪」が共存しているということです。しかし、ただ共存しているというだけではなく、「霊」あるいは「霊の法則」が、「罪」あるいは「罪と死との法則」よりもいわば分量的に勝っているということです。「霊」と「罪」が綱引きして、「霊」が勝利したのです。

そしてここで思い起こしていただきたいことが、わたしたちの心と体は、限界がある容れ物のような存在であるということです。無限の大きさを持っているわけではありません。「霊」が溢れるほどに豊かにわたしたちの存在を満たすならば、わたしたちの中で「罪」の占める割合は小さくなっていくのです。これは、わたしたちが小学校で勉強する足し算、引き算のようなものです。あるいは理科の時間で勉強する、ビーカーの中の濁った水のうえに澄んだ水を注いでいくと水全体がだんだん澄んでいくことにも似ています。ビーカーの容量の限界を超えた水は、外側にどんどん溢れて行くからです。もちろん、そのようにしても、どこまでいっても、完全な真水にはなりません。しかし全体としての濁りはどんどん薄まっていきます。そういうことが、わたしたちの心と体にも確かに起こるのです。

いま私は「霊」「霊」と言っていますが、ここでパウロが書いている「霊」の意味は、どう読んでも聖霊のことです。聖霊とは、わたしたちの存在の外側から内側へと注ぎこまれる存在であり、わたしたちの内側に宿ってくださる、あるいは住み込んでくださる存在であり、それは端的に神さまのことです。それは神の霊であり、キリストの霊でもあり、聖霊なる神のことです。「霊の思い」(6節)とは、聖霊なる神の思いであり、神のお考えであり、神のご意志、すなわち神の御心のことです。その意味での「霊」すなわち聖霊なる神のご存在が、わたしたちの心と体の中で「罪」と共存しているのです。しかし、聖霊なる神のご存在がわたしたちの存在の中で満ち溢れるならば、罪の占める割合は小さくなるのです。罪によって濁った心は、聖霊が注ぎ込まれることによって、だんだん澄んでいくのです。

たった今、私は「聖霊とは神の霊であり、キリストの霊でもある」と言いました。その意味を説明する時間はもうありませんが、一言でいえば、聖霊とは父なる神がイエス・キリストにおいてわたしたちに御自身の御心を伝える手段であるということです。その神の御心の具体的な内容は、「罪を取り除くために御子を罪深い肉と同じ姿でこの世に送り」(3節)というものです。「御子」はキリストです。つまり、パウロが書いているのは、神がキリストを「この世に送った」理由ないし目的です。それは「罪を取り除くため」であるというのです。

神がキリストを世に遣わされた目的は罪を取り除くことです。ただし、「取り除く」と言っても完全に無くなるわけではありません。いわば薄まること、または薄めることです。濁りきって飲めない水ではなく、なんとか飲める程度の水にすることです。私と神との関係が敵対関係であることをやめて和解されたものになり、仲良くなることです。神が私を喜び楽しんでくださり、私も神を喜び楽しむことができるようになることです。そのために、神は御子をこの世に送ってくださったのです。

なぜ私にはキリストが必要なのか。その答えは、「私が神を喜ぶことができるようになるため」です。私の心に「喜び」を増し加えてくださるために、キリストはお生まれになったのです。

(2010年11月28日、松戸小金原教会主日礼拝)