2010年7月22日木曜日

カルヴァンからカントへ(5)

「カルヴァンとカント」あるいは「カルヴァンからカントへ」という問題の究明作業は資料不足のため頓挫しました。何か新しい情報が加われば何とかなりそうですが、今のところ手も足も出ません。



私が知りたいのは「カントの視点から見たカルヴァンとカルヴァン主義者のイメージ」です。直接的な言及でも見つかればいちばんはっきりするだろうと思い、とりあえず探してみましたが、三つの批判書(純粋理性批判、実践理性批判、判断力批判)の中にカルヴァンの名前は見つかりません。カントの宗教論の一つである『たんなる理性の限界内の宗教』の英語版(ケンブリッジ版、1998年)に目を通してみましたが、やはりカルヴァンは登場しませんでした。



私は理想社版や岩波書店版の『カント全集』を持っていません。あれを用いることができないのを悔しく思っています。岩波文庫や中央公論社「世界の名著」のカントなどはすべて学生時代に買い、いまでも持っています。それらすべてに目を通しても、今のところカルヴァンの名前は見つかりません。『カント全集』にはカルヴァンが登場するのでしょうか。私には分かりません。



そもそも――これはカントの文体を研究している方々にご教示いただきたい点なのですが――カントの文章には人名への言及そのものが少ないようにも見えました。直接言及されている人名といえば、聖書に登場する人物(アブラハム、ダビデ、イエス、パウロなど)と、あとはセネカ、ルソー、スピノザ、デカルト、ヒューム、ニュートンくらいです。



「○○氏はこう言った。△△氏はこう書いている」とひたすら際限なく他者からの引用文で埋め尽くされているようなたぐいの書物よりははるかに好感が持てますが、いま私が抱いているような関心事を解明したい人々にとっては人名や引用元が明示されているほうが好都合です。



この点――カントの文章に人名への言及が少ないと思われる点――は多くのカント研究者たちを泣かしてきたのではないだろうかと勝手に空想してみましたが、真相はいかがでしょうか。



ともかく現況は以上のとおりです。ほとんど進展はありません。恥ずかしい報告しかできません。



しかし、まだ一箇所ですが、ほのかな光の窓を見つけました。それは『たんなる理性の限界内の宗教』の第7章です。この章のタイトルを英語版から直訳調で引き写しますと、「《教会的な》信仰から純粋に《宗教的な》信仰の独占的支配への漸進的移行こそが神の国の到来である」(The gradual transition of ecclesiastical faith toward the exclusive dominion of pure religious faith is the coming of the Kingdom of God)となります。



この章が扱っている問題はタイトルどおり「神の国」に関することですが、これはきわめて神学的、教義学的なテーマです。とてもうれしいことに、カントはこの文脈でいわゆる「予定論」(praedestinatio)に関する諸課題を取り上げています。



英語版をじっくり読み込む時間がないのが残念です。しかし、もしそれがカルヴァンとカルヴァン主義者の予定論を(ほんの少しでも)意識した上で書かれた部分であることが立証できた場合には、「カルヴァンとカント」を論じるための足がかりになるでしょう。



2010年7月7日水曜日

カルヴァンからカントへ(4)

「カルヴァンとデカルト」あるいは「カルヴァンからデカルトへ」というテーマであれば、歴史的・文献的に明確に立証しうる道筋がありますので、カルヴァンとカントの関係よりも、はるかに論じやすいものがあります。



もちろんそれは、カルヴァン(Jean Calvin [1509-1564])自身とデカルト(René Descartes [1596-1650])自身との間に直接的な対面や交流の接点があったという意味ではありません。そういう事実はありません。しかし、16世紀後半に生まれ、17世紀の主にオランダで活躍した改革派神学者ヒスベルトゥス・フーティウス(ヴォエティウス)(Gisbertus Voetius [1589-1676])と彼の神学的同僚たちは、カルヴァンの予定論の解釈をめぐってアルミニウス主義者たちと対決する一方で、当時の西ヨーロッパの流行思想であったデカルト哲学とその追従者との対決を余儀なくされていたということが歴史的に知られています。17世紀の(とりわけオランダの)カルヴァン主義者たちがデカルト排斥のために尽力したことは歴史的に明白な事実です。そのことを今日のオランダのキリスト者たちは記憶しており、反省もしており、デカルトの名誉回復をはかったりもしています。今のヨーロッパは、いつまでも17世紀のままではないのです。



ですから、私の問いにも今まさに書いたことの応用編である面があります。今の問題意識の中に「カントと同時代に生きた18世紀のカルヴァン主義者たちが、カントをどう見ていたか」という点が含まれていないわけではありません。しかし、私の主たる関心はそちらのほうではなく、むしろそれとは正反対の問い、すなわち「カントが彼の同時代のカルヴァン主義者たちをどう見ていたか」です。



カントがカルヴァンとカルヴァン主義者の著作を全く読まなかったとか、少しも影響を受けなかったということは、状況的には考えにくいことです。当然読んだでしょう。知ってもいたでしょう。ポジティヴな意味でかネガティヴな意味でかはともかく、影響も当然受けたでしょう。しかし、そのことを我々はカント自身が書いたものに基づいて文献的に実証しないかぎり、憶測以上のことを語ることができません。



「カントがカルヴァンとカルヴァン主義者のことをどう見ていたか」。この問いの背後で私が抱いている思いや動機や目的については、まだはっきりとは書かないでおきますが、私にとっては今日的に非常に深刻なものと感じられることです。



カルヴァンからカントへ(3)

今週は久しぶりに驚きと感動の毎日を過ごしています。インマヌエル・カントに熱中するのは二年半ぶりのことです。



今日の最大の驚きは、カント『純粋理性批判』の古い英語版の訳者、ジョン・ミラー・ドウ・ミークルジョン(John Miller Dow Meiklejohn [1830-1902])に関することです。



ミークルジョンがその英語版を出版したのは、なんと彼が25歳のときだった!カルヴァンが『キリスト教綱要』の初版を出版した年齢(27歳)よりも若い!そのことが分かって、思わず「ひゃあ」と声を上げてしまいました。



探してみたら、ミークルジョンの伝記がすぐに見つかりました。その中に「1993年に出版された新しい英語版『純粋理性批判』は、なお基本的に〔1855年に出版された〕ミークルジョン版を土台にしている」と記されていることも、ミークルジョンがいかに若いうちから優れた人物であったかを示す一例といえるでしょう。



J. M. D. ミークルジョンの伝記(↓)http://www.ed.uiuc.edu/faculty/westbury/paradigm/vol2/Graves.doc



ところで、この際書きとめておきたいことは、私が「カルヴァンとカント」の「何」を知りたがっているのかということです。それは次の一言で表現できることです。私が知りたがっていることは、「カントがカルヴァンとカルヴァン主義者の何を、またはどこを嫌ったのか」です。「嫌う」の点を問うことがなぜ両者の「ポジティヴな」関係を探ることになるのかについては説明が必要ですが、それはそのうち書くことにします。



よく知られているとおり、幼少期のカントは、とくに母親の影響で「敬虔主義のキリスト教」の道を歩んでいました。ところが、学生時代に体験したらしき何らかの出来事を経て、カントは教会に通わなくなってしまいました。その後、彼の「啓蒙」の哲学は、教会と宗教の支配下からの解放を要求するものとなりました。



このようなカントのよく知られた伝記を聞く人たちの多くは、彼の母親の信仰が「敬虔主義的なるもの」であったと聞くとすぐに、ドイツのいわゆるルター派敬虔主義の神学者たちの名前だけを思い浮かべるでしょう。なぜなら、カントは確かにドイツ人であったし、彼の母親が通っていた教会はドイツのルター派の教会であったことも確かだからです。



しかし、事情はそれほど単純ではないのではないかと、私は非常に疑っているのです。たとえばカントは『純粋理性批判』においてライプニッツの合理主義とヒュームの経験主義を「綜合」(または「統合」)したと言われるわけですが、ここですでに、ライプニッツはドイツ人ですが、ヒュームはスコットランド人です。カントに影響を与えたのは、ドイツ人だけではなく国際的でした。しかも、ヒュームの時代のスコットランドは、17世紀のウェストミンスター神学者会議などから百年も後であり、とっくの昔にプロテスタント化されており、しかも、そのキリスト教は色濃くカルヴァン主義的なものであったと考えられます。



しかし、私は何も、カントはヒュームから初めてカルヴァン主義的なるものを教えられたのではないかと、そんなことを考えているわけではありません。そのようなルートを経なくても、カントの時代のドイツでカルヴァンやカルヴァン主義者の影響を受ける機会はいくらでもあったに違いないと推測しています。



17世紀のブリテン島で始まったピューリタニズム運動は、大陸へといわば逆輸入される仕方で、オランダやドイツにも大きな影響を与えました。ブリテン島のピューリタニズムのキリスト教の特質は、カルヴァン主義的な敬虔主義信仰、すなわち「改革派敬虔主義」(Reformed Pietism)というべきものであり、このタイプの敬虔主義が17世紀のオランダで大きく開花し、広く西ヨーロッパの教会と社会の再改革運動へと発展しました。この動きを現代の教会史家たちは「第二次宗教改革」(Second Reformation / Nadere Reformatie)と呼びます。



私が知りたいのは、たったいま記した意味での改革派敬虔主義の運動としての「第二次宗教改革」と、カントとその哲学との関係です。両者の関係があるか無いかという点を含めて知りたいと願っています。



この謎が解けると、非常に多くの問題が解けるようになります。



2010年7月6日火曜日

カルヴァンからカントへ(2)

アマゾンから荷物が届きました。このたび購入したのは、以下の五冊です。



(1) Kant, Immanuel, Critique of Pure Reason(『純粋理性批判』), Trans. by J. M. D. Meiklejohn, Dover, 2003
(2) Kant, Immanuel, Critique of Practical Reason(『実践理性批判』), Trans. by T. K. Abbott, Dover, 2004
(3) Kant, Immanuel, Critique of Judgment(『判断力批判』), Trans. by J. H. Bernard, Dover, 2005
(4) Kant, Immanuel, Religion within the Boundaries of Mere Reason And Other Writings(『たんなる理性の限界内の宗教、その他』), Trans. by A. Wood and G. D. Giovanni, Cambridge University Press, 1998
(5) ヒューム『政治論集』(Political Discourses)、田中秀夫訳、京都大学学術出版会、2010年



実際に手に取ってみて初めて分かったことが、いくつかあります。



第一に、五冊とも非常に近年の出版物であったということが分かりました。最も古いのは(4)ですが、今からわずか十二年前の1998年の出版物です。ヒュームの『政治論集』に至っては先月、いや先々週(2010年6月25日!)出版されたばかりです。このヒュームの著作は、岩波文庫では『市民の国について 上・下』(小松茂夫訳)というタイトルがつけられているものと同じです。



第二に、批判書三部作の英語版が非常に安価であった理由が分かりました。要するに、これらは「復刻版」でした。(1)の初版出版年は1900年、(2)は1909年、(3)は1914年と記されていました。つまり、いずれも百年前の翻訳であり、版権切れとなっているものでした。だから安かったのです。謎が解けました。検索してみましたら、これら英語版のテキストはネット上に無料で誰でも読める状態で公開されていました。しかし私はパソコンの画面上で長たらしい文章を読むのが苦手ですし、自分でプリントするとかさばるし、あまり美しくありませんので、ペーパーバックながらきちんと製本されているDoverの復刻版はとても有難いです。





2010年7月5日月曜日

カルヴァンからカントへ(1)

アマゾンはやはり便利です、改めて驚きました。思うところあってカントの批判書三部作と『たんなる理性の限界内の宗教』を英語版で読みたくなり、アマゾンに注文したら、すぐに「商品を発送しました」とメールが来ました。早いです。



しかも安い。ペーパーバックだからでしょうけど、『純粋理性批判』763円、『実践理性批判』598円、『判断力批判』772円、『たんなる理性の限界内の宗教』2,153円でした(もちろんすべて新本)。完全予約販売の岩波書店版『カント全集』なら『純粋理性批判』(上・中・下の三冊に分けられている)だけで二万円超えるわけですから。



いま考えていることは、「カルヴァンとカント」、より正確に言えば「カルヴァンからカントへ」というようなテーマです。両者の関係、そしてなるべくポジティヴな関係を考えていく作業です。



「カルヴィニストのカント批判」というようなネガティヴな関係については大昔から議論されてきました。しかしその内容は前向きというよりは後ろ向き。理論的にはパーフェクトかもしれないが実践的には無意味、というたぐいのものです。



まさかカルヴァンがカントを読んだはずはありませんが、カントはカルヴァンを読むことができたでしょうし、たぶん少しくらいは読んだはず。しかし「ルターとカント」というテーマはしょっちゅう目にしますが、「カルヴァンとカント」を論じているものを私は見たことがありません。



昨夜読んでいたW. ファント・スペイカー他編『ピューリタニズム』(Het puritanisme. Boekencentrum, 2001)という本に「ドイツ人は自国が他国から影響を受けたという話をされるのを嫌うが、オランダ人はそうではない」というくだりを見つけ、「あ、なるほどね」とピンと来るものがありました。ドイツ人やドイツ系のカント研究の視点からは「ルターとカント」であればいくらでも出てくるが(二人ともドイツ人だから)、ポジティヴな意味での「カルヴァンとカント」あるいは「カルヴァンからカントへ」という議論がおこされるのを期待するのは無理なことだったようだと分かりました。



しかし、今のところ手がかりが全くありませんので、カントに影響を与えた英国のヒュームの本にカルヴァンの名前が出てこないだろうかとか、いろいろ探ってみているところです。



ついでに書きとめておきますと、私はこのたび、ヒュームのAn Enquiry concerning Human Understandingという本のタイトルを日本人は長らく『人間悟性論』と訳してきたらしいと知りました。そういうことを知らなかった者としては(高校の社会科教科書あたりで見たことがあるかもしれませんが、何の記憶も残っていません)、「なんだなんだ、こんな訳で分かりっこないじゃん。Human Understandingが人間悟性だってさ。悟性って何なの」とひとりで苦笑しています。



2010年5月28日金曜日

拙訳の掲載誌が発売されました

ファン・ルーラーとカール・バルトの神学との関係についての論文の拙訳(ただし前半部分)が掲載された雑誌が発売されましたので、謹んでご案内いたします。



掲載誌は『季刊 教会』(日本基督教団改革長老教会協議会教会研究所発行)の最新号(第79号、2010年夏季号)。その58~64ページです。



論文のタイトルは「『主人の声』から敬意を込めた批判へ――A. A. ファン・ルーラーとカール・バルトの神学との関係――」。原著者は、ディルク・ファン・ケウレン氏(オランダプロテスタント神学大学研究員、『ファン・ルーラー著作集』編集主任)です。



ファン・ケウレン氏は、氏の論文を私が訳していること、雑誌に掲載したいと思っていることをお伝えしましたところ、快諾してくださいました。



翻訳に際しては、オランダの石原知弘先生に多くの部分を助けていただきました。周知のとおり石原先生は現在アペルドールン神学大学修士課程で学んでおられます。その石原先生とのコミュニケーションの方法は、拙訳のドラフトをメールで送り、それを叩き台にして、「スカイプ」を通じて顔を見合せながら討議する、というものです。



こんなやり方、少なくとも私にとっては、ほんの2、3年前までは「全く非現実的」と思われたものでしたが、今のパソコンの性能であれば、何のストレスも無くこのような芸当をやってのけることができます。



拙訳にはまだ後半部分が残っており、それも『季刊 教会』に掲載していただく予定です。石原先生への感謝の言葉は後半部分の解説の中にきちんと書かせていただきます。



ファン・ケウレン氏の論稿の内容は非常に優れたものですが、訳者の力不足のゆえに論旨を損ねているところがあるかもしれません。ご不明な点等ございましたら、遠慮なくご質問くださいますようお願いいたします。



『季刊 教会』第79号は、「特集 日本基督公会とは何であったか」をはじめとして非常に興味深い論文や随想や書評で溢れていますので、どなたもぜひお買い求めくださいますようお願いいたします。



最後になりましたが、拙訳を掲載してくださった『季刊 教会』編集部に感謝いたします。本当にありがとうございました。



2010年5月16日日曜日

あなたがたはわたしの友である


ヨハネによる福音書15・11~17

「『これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人が何をしているか知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼ぶ。父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである。あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである。互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である。』」

わたしたちは今日、3名の新入会員をお迎えすることができました。1名の方の加入式、また2名の方の洗礼式を行うことができました。本当にうれしいことです。

さて、まさか計算して決めたわけではないのですが、今日の聖書の個所は、読めば読むほど今日のこの日にふさわしい内容であると思いました。ここに記されていますことを一言でいえば、イエス・キリスト御自身とイエス・キリストを信じて生きる者たちとの関係は何かということです。ですから、この個所に記されていることを正しく理解することができれば、キリスト教の入門講座は卒業です。心から喜んで、確信をもって、教会生活を送ることができるようになります。

「これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである」(11節)とあります。「これらのこと」とはもちろん先週の個所に記されていた例え話のことでもあるでしょう。しかし同時に、イエスさまが弟子たちに話して来られたすべてのことが含まれていると考えることもできるでしょう。イエスさまは弟子たちに多くのことを話して来られました。そのイエスさまのみことばには一つの明確な目的があったのだと考えることができるのです。

その目的とは何でしょうか。それが「わたしの喜びがあなたがたの内にあること」であり、「あなたがたの喜びが満たされること」であるというわけです。それはどういうことでしょうか。それは結局のところ、イエスさまの心の中に満たされている喜びをあなたがた弟子たちの心の中に満たすためであるということに他なりません。別の言い方をすれば、イエス・キリストの心の中の喜びを弟子たちの心の中に移しかえる手段は、イエス・キリストのみことばであるということです。そしてそのことは同時に、イエスさまがこの地上に来られた目的そのものでもあります。イエスさまが御自身の言葉によってイエス・キリストを信じて生きている人々を「喜ばせること」、このことこそが、イエスさまがこの地上に来られた目的そのものなのです。

このように申し上げることによって私が皆さんにお伝えしたいことは、次のことです。「キリスト者」とは要するに「喜んでいる人」のことであるということです。悲しい顔をしている人はキリスト者ではないと、そんなことまで言うつもりはありません。しかし、いつまでも悲しい顔をし続けている人はキリスト者でしょうかとお尋ねしなければならなくなります。なぜなら、キリスト者の心の中にはイエス・キリストの喜びが確実に伝えられているからです。そういうわけですから、わたしたちは、たとえどんなことがあっても、いつまでも悲しみ続けることはありません。

「いや、そんなことはありません。わたしはいつも悲しくて悲しくて仕方がありません」と思われる方がおられるでしょうか。そのような方にお勧めしたいことは、キリストの言葉をたくさん学び、それを心の中に豊かに蓄えていただきたいということです。そのために教会があるのです。悲しくて悲しくて仕方がない人こそ、教会で聖書を学び、賛美歌をうたい、祈りをささげていただきたいのです。

使徒パウロのコロサイの信徒への手紙には、次のように記されています。「キリストの言葉があなたがたの内に豊かに宿るようにしなさい。知恵を尽くして互いに教え、諭し合い、詩編と賛歌と霊的な歌により、感謝して心から神をほめたたえなさい。そして、何を話すにせよ、行うにせよ、すべてを主イエスの名によって行い、イエスによって、父である神に感謝しなさい」(コロサイ3・16~17)。

「教会」と名のつくところであればどの教会も同じであると、そのように本当に言えるかどうかは分かりません。しかし、「松戸小金原教会は大丈夫です」と申し上げておきます。わたしたちは教会で何をしているのかといえば、聖書を学び、賛美歌をうたい、祈っているのです。このことをとにかく繰り返しているのです。「お前たちはそれだけしかやっていないじゃないか」と言われても仕方がないほどです。しかし、このことがわたしたちの心に喜びをもたらします。いつまでも悲しみ続けること、悲しみの悪連鎖の中から逃れることができます。落ち込んで落ち込んで、最悪の結果ばかりを考えてしまう、底なしの泥沼から抜け出せなくなってしまうことから解放されます。イエスさまはそのために来てくださったのです。そして、イエスさまはそのために地上に教会を建ててくださったのです。わたしたちの心に喜びが満たされるためです。このことをぜひ信じていただきたいのです。

「喜び」の次は「愛」です。次に記されていることは「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である」(12節)です。

とにかくこれだけははっきりしているということは、愛というものは、どう考えても一人では成り立たないものであるということです。そこには必ず複数の人が必要です。自分で自分を愛することも重要です。しかし、自分ひとりだけで完全に自己完結しているというだけでは正しい愛の形とは言えません。イエスさまが弟子たちを愛してくださいました。その愛に基づいて弟子たちは、そして教会は、互いに愛し合うのです。つまり、愛というものが成り立つために必要なのは、とにかくだれかと一緒にいることです。この点にも教会の役割と意味と使命があると言えます。教会に通わない、自分ひとりだけの信仰では、イエス・キリストの愛というものを正しくとらえることができないのです。

しかし、難しいことは、わたしたちはそれを教会でどのようにして実現するのかという点でしょう。たとえば私が教会の皆さん一人一人をつかまえて「わたしはあなたのことが大好きです」などと言いますと、ただ誤解されるだけでしょう。危ない人だと思われるだけでしょう。いつもお互いに気遣うこと、配慮すること、助け合うこと、励まし合うことならば、できますし、これまで実際にしてきたことでしょう。配慮とは微妙なものです、細心の注意と、デリカシーが必要です。ひどく落ち込んでいるときには、だれにも会いたくない、干渉されたくない、介入されたくないと考えるのも、わたしたちです。そういうときに、ずけずけ割り込んでいくことが愛ではないということを知っているのも、わたしたちです。そういう人を助けるにはどうするかということを慎重に配慮するのが教会の役割であり、とくに教会役員たちの責任でもあります。

幸いなことは、繰り返しになりますが、教会には聖書があり、賛美歌があり、祈りがあるということです。そして礼拝があります。いま皆さんは、前を向いておられます。そのことが問題解決の糸口になるかもしれません。今朝、教会に来られる前に夫婦喧嘩をされたばかりという方がおられるかもしれませんが、しかし、教会に来れば、お互いの顔を見るのではなく、前を見ることができるのです。お互いの顔を見るだけで、互いに対峙するだけで、にらみ合うだけでは、和解のときは訪れません。しかし礼拝では、お互いの顔を見るのではなく、神を見るのです。神という方が、対峙するお互いを仲裁してくださり、和解へと導いてくださるのです。ですから、今朝は激突した二人も、この礼拝が終わって家に帰られると、怒りが和らぎ、笑顔が取り戻されていることでしょう。

次に記されているみことばは、わたしたちの多くを驚かせるものであり、また恐れさせるものです。「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である」(13節)と言われています。

イエスさまはご自分の弟子たちを「友」とお呼びになりました。これは文字通りの「友人」という意味であり、その関係は「友情」です。弟子たちはイエスさまのフレンドです。その関係はフレンドシップです。これは驚くべき、また恐れ多いお言葉であることは間違いありません。しかし、イエスさまのほうからこのように言ってくださっているですから、恐縮する必要はありません。

とはいえ、イエスさまとわたしたちの関係を悪い意味でのお友達づきあいや馴れ合いの関係のようなものと考えることは、行き過ぎでしょう。イエス・キリストは「友のために御自分の命を捨てて」くださったのです。これこそがイエスさまの十字架の意味です。「これ以上に大きな愛はない」と言われています。イエスさまは、馴れ合いの関係のために命を捨てられたのでしょうか。わたしたちは、馴れ合いの関係のために命を捨てることができるでしょうか。そのようなことが「これ以上に大きな愛はない」とまで言われるようなことなのでしょうか。いくらなんでも、それはないと思います。

しかし、それでも、イエスさまは、この個所で「友」という言葉を「僕」という言葉と対比させて語っておられます。この点はイエスさまが「友」という言葉をどのような意味でおっしゃっているかを正しく理解するために重要です。「もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人が何をしているか知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼ぶ。父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである」(14節)と。どのような対比であるかということも、割合はっきりしています。「僕」が上下関係を表す言葉であるとしたら、「友」は対等の関係を表す言葉であると言えるでしょう。垂直関係か水平関係か、でもよいかもしれません。あなたがたとわたしの関係は、これまでのような上下関係ではない。これからは対等の関係であるとイエスさまが言われていると読むことも可能でしょう。

しかしこのように言いますと、皆さんの中には心理的な抵抗を感じる方々がおられることでしょう。実は私自身もかなり抵抗を感じています。イエスさまとわたしが全く一般的な意味での「対等の関係」であるとか「水平の関係」であるはずがないと言いたくなります。わたしたちが抱く心理的な抵抗は決して間違ったものではないと申し上げておきます。イエスさまが「あなたがたはわたしの友である」と言われていることの意味は、たとえば、戦前の権威主義的な日本人が戦後の民主主義的な日本人に変わったというような話と全く一緒くたにしてしまうことはできないものです。

それではそれは何なのかということについて詳しくお話しすることができる時間は、もう無くなりました。キーワードだけをお伝えしておきます。それは「和解」です。本来は罪人であり、神の罰を受けなければならない人間が、イエス・キリストの救いのみわざによって、その罪が赦されることによって、神と和解するのです。この「和解」こそ、イエスさまのおっしゃる「友情」なのです。

(2010年5月16日、松戸小金原教会主日礼拝)

2010年5月13日木曜日

「今週の説教 メールマガジン」を再開しました

最近の礼拝説教をもって、「今週の説教 メールマガジン」の発行を再開しました。長く休んでしまい、各方面にご心配をおかけし、申し訳ありませんでした。理由等は、そのうち明かします。



休んでいた間の説教は、時系列の順序をあまり考えずに今後の本誌に掲載させていただきます。ブログ版「今週の説教」のほうでは自動的に時系列順に並びますので、ブログ版もご利用ください。



ブログ版「今週の説教」
http://sermon.reformed.jp



本当にごめんなさい。これからも、どうかよろしくお願いいたします。



「今週の説教 メールマガジン」
http://groups.yahoo.co.jp/group/e-sermon/



2010年5月9日日曜日

わたしはまことのぶどうの木


ヨハネによる福音書15・1~10

「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。わたしにつながっていながら、実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる。しかし、実を結ぶものはみな、いよいよ豊かに実を結ぶように手入れをなさる。わたしの話した言葉によって、あなたがたは既に清くなっている。わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。わたしにつながっていない人がいれば、枝のように外に投げ捨てられて枯れる。そして、集められ、火に投げ入れられて焼かれてしまう。あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたの内にいつもあるならば、望むものを何でも願いなさい。そうすればかなえられる。あなたがたが豊かに実を結び、わたしの弟子となるなら、それによって、わたしの父は栄光をお受けになる。父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい。わたしが父の掟を守り、その愛にとどまっているように、あなたがたも、わたしの掟を守るなら、わたしの愛にとどまっていることになる。」

いまお読みしました個所に記されていますのは、もちろん一つの例え話です。わたしたちの救い主イエス・キリストが、まず最初に御自分を指さして「わたしはまことのぶどうの木である」と言われ、「わたしの父は農夫である」と言われています(1節)。そして、イエスさまは、御自分と弟子たちとを指さして「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である」(5節)と言われています。

これで分かることは、この例え話が明らかにしていることは、父なる神とイエス・キリスト御自身とキリストの弟子たちとの三者の関係であるということです。イエス・キリストはぶどうの木であり、キリストの弟子たちはぶどうの木の枝なのです。父なる神は、それを手入れする農夫なのです。

しかし、ここでよく考えてみなければならないと思いましたことは、今日この礼拝に集まっているわたしたちは何なのかということです。

おそらく誰でも最初に考えることは、わたしたちもキリストの弟子の仲間なのだから、この中では当然「ぶどうの木の枝」がわたしたちのことだろうということでしょう。しかし、もう一つの見方が成り立つと思いました。「あなたがたはぶどうの木の枝である」と言われているのは、イエスさまの目の前に集まっている最初の弟子たちだけのことかもしれないと考えられるではありませんか。もしこの読み方が正しいとすれば、わたしたちはむしろ「実」である、つまり、ぶどうの木の枝である最初の弟子たちが結んだ「実」のほうであると考えることができるでしょう。私自身はこのように読むほうがこの個所の意図を正しく理解できるだろうと考えています。

この点にこだわることには、もちろん理由があります。私にとって非常に気がかりなことは、この個所に記されているイエスさまの御言葉は、読み方を間違えますと非常に危険な結果を招くであろうということです。この中で目立つのは、たとえば、「わたしにつながっていながら、実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる」(2節)という御言葉です。あるいは、「ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分で実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない」(4節)という御言葉です。さらに「わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである」(5節)という御言葉です。そして、極めつけは「わたしにつながっていない人がいれば、枝のように外に投げ捨てられて枯れる。そして、集められ、火に投げ入れられて焼かれてしまう」(6節)という御言葉です。

これらの御言葉に一貫しているのは、ぶどうの木につながっていないぶどうの木の枝には恐ろしい裁きがなされるということです。しかし、わたしたちは、この個所をできるだけ丁寧に読むべきです。「わたしにつながっていながら、実を結ばない枝はみな父が取り除かれる」というわけです。つまり、この枝は、とにかく一度はぶどうの木につながっていたのです。しかし、それは実を結ばなかった。そのため、農夫である父がその枝を除かれたのです。これで分かることは、ここで例えられているのは、いまだかつて一度もぶどうの木につながったことがない枝、つまり、イエス・キリストの弟子になったことがない人々のことではないということです。この例えばなしの中の否定的な言葉が言おうとしていることは、とにかく一度はたしかにイエス・キリストの弟子仲間に加えられたが、その後でイエス・キリストから離れた人、のことを指しているということです。

しかしそうなりますと、かえってますますわたしたちが心配になるであろうことは、洗礼を受けたわたしたちはもう二度と逃げられないということなのか、もし逃げようとするとどこまでも追いかけられてきて捕まえられて、火あぶりの刑(?)に処せられるということなのか、というようなことかもしれません。もしわたしたちがこんなふうなことを少しでも考えているとしたら、そのわたしたちの様子を外側から意地悪な見方をする人々の目には「あそこに集まっている人々は、ただ逃げ遅れただけの人々なのだ」というふうに見えるかもしれないということになるわけですが、そのような目で見られることが本当によいことなのでしょうか。

あるいは、「実を結ばない枝は取り除かれる」という御言葉を読んで、おびえる。「実」というのは、たぶん伝道の成果のことだろう。つまり、何人を教会に誘い、何人を信者にしたかという、数字的な結果のことだろう。しかし、私は今まで一人も教会に誘ったことがない。あるいは、たくさん誘いはしたが、その人たちの誰も教会にとどまってくれなかった。ああ、私は「実を結ばない枝」である。私は枝のように外に投げ捨てられて枯れる。そして、火に投げ入れられて焼かれてしまうのだ、と。

このような読み方が正しいでしょうか。「いや、正しくない!」と私自身は考えていますし、信じています。この例えばなしの中で、わたしたちは「実」です。「ぶどうの木の枝」は、今このときこの話をなさっているイエスさまの目の前に集まっている弟子たちのことです。それでは、「実を結ばない枝」とは誰のことでしょうか。それは、とにかく一度は間違いなくイエス・キリストの弟子になったが、その後でイエス・キリストから離れていった弟子のことです。それは誰でしょうか。もうお分かりでしょう。イスカリオテのユダです。

もちろん、教会の中にはとても優しい人がいて、ユダの話を読むと「ああ、ユダは私だ」とすぐに共感できるし、すぐに同情できるという人がいることを、私は知っています。そのような優しさには大切な面もありますが、危険な面もあります。ユダとは違うと思われるかもしれませんが、たとえば、どこかで起こった凶悪犯罪の話を聞くと、その犯罪によって傷を受けた人々のほうに同情するのではなく、犯罪をおかした人のほうに共感したり同情したりする人がいますが、そういう感情には非常に危険な面があります。それと同じようなことを申し上げる必要があります。

少し前の説教で私は、ユダがしたことは「イエス・キリストに対する裏切り」という点ではペトロがしたことと本質的に同じであると申し上げました。しかし、内容的には全く違うことをしたということも明言しておく必要があります。ペトロはイエス・キリストが逮捕された後、イエスさまのことを「知らない」と三度否定しました。それも裏切りといえば裏切りです。しかし、ユダは違います。ユダはイエスさまをユダヤ人たちに文字通りお金で売り渡したのです。そしてユダはユダヤ人たちがイエスさまを殺そうとしていることを知っていました。そのことを知りながら、ユダはイエスさまを売り渡したわけですから、事実上ユダはイエスさまを殺すことに加担したのです。

もちろんユダ自身はイエスさまに向かってつばを吐きかけたり、槍で刺したり、イエスさまの体を十字架の板の上に釘ではりつけたりはしていません。しかし、彼のしたことは、事実上の殺人です。少なくとも殺人の協力をしました。この点ではユダがしたこととペトロがしたことを一緒くたに扱うことはできません。ペトロのしたことにはかなりの面で同情の余地がありますが、ユダのしたことには同情の余地はありません。ユダは、厳しい裁きを受けなければなりません。しかし、ユダのことと、わたしたち自身のことは、区別して考えるべきであると申し上げたいのです。

「わたしはまことのぶどうの木である」(1節)という御言葉の中で強調されているのは、「まことの」という点であると説明する人がいます。「まことの」とは「本物の」という意味ですが、この言葉には裏があるというのです。つまり、ここでイエスさまがおっしゃっていることを噛み砕いて訳すとしたら、「ある人々は『わたしたちこそがまことのぶどうの木である』と言っているが、彼らは嘘をついている。彼らは偽物のぶどうの木であり、わたしこそが本物のぶどうの木である」というのです。

誰が嘘をついているのでしょうか。すぐ分かることは、イエスさまは明らかにユダヤ人たちを意識しておられるということです。たしかに旧約聖書の中でユダヤ人たちは「ぶどうの木」に例えられています(イザヤ書5章など)。それはそのとおりです。しかし、イエスさまは、彼らではなく、わたしこそが「まことのぶどうの木」であると言われているのです。「豊かな実を結ぶ枝」がつながるべきは、彼らではなく、このわたしであると。つまりこのときイエスさまは、わたしの弟子であるあなたがたの依って立つべきところは、このわたしであると、彼らの信仰の根拠をお示しになることによって、ユダヤ教団からの決別をうながしておられるのです。

それでは、イエスさまの弟子たちが結ぶ「豊かな実」とは何でしょうか。これが教会です。現時点で二千年に及ぶ歴史と伝統を築いてきた、世界中に広がるわたしたちのキリスト教会です。イエス・キリストの十字架を前にしたときには怯えたり、逃げたり、イエスさまを否定したりした弟子たちではありましたが、イエスさまの復活後、イエスさまの愛にとどまり、再び一つところに集まり、教会の礎を築くことができたので、彼らは「豊かな実」を結ぶ枝になることができました。

しかし、ユダはそうではありませんでした。ユダは、偽物のぶどうの木につながろうとし、本物のぶどうの木を殺すことに加担しました。彼は、しなければならないことをせず、してはならないことをして、自分の身に正しい裁きを招きました。

ここまで申し上げてもなお「ユダは私だ」とおっしゃりたい方々を責めようとは思いません。ある意味でユダを反面教師としながら自分の罪を強く意識し、悔い改めの心を忘れないようにすることは大切なことかもしれません。しかし、その方々にぜひお願いしたいことは、今日私がお話ししたことを憶えておいてくださいということです。イエスさまがおっしゃっていることは「信者を何人集めたかのノルマを果たせない教会員は火あぶりだ」という話ではありません。教会とは、脅迫や恐怖心にかられて集まるところではないのです。

(2010年5月9日、松戸小金原教会主日礼拝)

2010年5月8日土曜日

海外と国内におけるカルヴァンと改革派神学に関する学会案内

今日は久しぶりに、海外と国内の動きをご紹介させていただきます(どれも松戸にいながらにして入手可能な情報です)。



(1) エディンバラ・バーフィンク国際学会



今秋、以下の日程で「エディンバラ・バーフィンク国際学会」(The Edinburgh Bavinck Conference)が開催されます。



日時 2010年9月1日(水)~2日(木)
会場 エディンバラ大学神学部



「エディンバラ・バーフィンク国際学会」は、19世紀末から20世紀初頭にかけて、アブラハム・カイパー(1837~1920年)と共に「新カルヴァン主義者」(Neo-Calvinist)と呼ばれ、オランダで活躍した改革派神学者ヘルマン・バーフィンク(1854~1921年)の生涯と神学についての討議の場です。エディンバラ大学とアムステルダム自由大学の共同企画として行われます。



バーフィンク自身の国際的影響力や彼の神学の永続的価値と魅力もさることながら、このたびエディンバラに集結する組織神学者たちの名前に大いに驚かされました。



デイヴィッド・ファーガソン (エディンバラ大学教授)
ジョン・ボルト        (カルヴァン神学校教授、オランダ改革派神学翻訳協会Dutch Reformed Translation Society顧問)
ジョージ・ハーリンク    (アムステルダム自由大学教授、同大学図書館オランダプロテスタンティズム歴史資料館長)
ディルク・ファン・ケウレン (プロテスタント神学大学研究員、『ファン・ルーラー著作集』編集主任)

といった方々が研究発表を行う予定です。



詳細は以下のサイトをご覧ください。私は「行きたいなあ」と“思って”いるだけです(思うだけならタダですから)。



エディンバラ・バーフィンク国際学会
http://bavinck.calvinseminary.edu/



(2) 第11回 アジア・カルヴァン学会 ソウル大会



昨年(2009年)開催を予定されていた「第11回 アジア・カルヴァン学会 ソウル大会」は、新型インフルエンザの影響で延期になっていましたが、2011年1月に開催されることになりました。前回(第10回)東京・代々木で開催したときは(私もスタッフの末席におりました)非常に大勢の日本人の出席者と協力者を得ることができました。ソウルと日本はずいぶん“近く”なりましたので、第11回もぜひ出席したいと願っている方は、多くおられるでしょうから、詳細が判明し次第、追ってお知らせいたします。



(3) 第20回 日本カルヴァン研究会



最後は、もう少し“近い”(距離的にも時間的にも)話です。今年も「日本カルヴァン研究会」が、以下の日程で行われます。私も研究会の末席に加えていただいている者ですので、講演と研究発表を行ってくださる三人の先生方を心から応援すると共に、皆様に謹んでご案内申し上げます。この会に私は「もちろん」出席いたします。



日時     2010年6月28日(月)午前10時~午後4時
会場     青山学院大学 総合研究所ビル3階 第11会議室
       渋谷区渋谷2-4-44 JR渋谷駅下車、徒歩15分
会費    一般1,500円、学生1,000円



講演   「聖書原典から説教へ」野村 信(東北学院大学教授)
         ※可能な方は『霊性の飢饉』と『命の登録台帳』をご持参ください。



研究発表「律法の第三用法についての一考察」
              西堀俊和(日本基督教団山梨教会牧師)
      「日本におけるカルヴァン遺産」
              斎藤美万子(日本キリスト教会古河伝道所牧師)



主催     日本カルヴァン研究会 野 村 信
        〒981-3622 宮城県黒川郡大和町もみじヶ丘3-33-1
        電話・FAX  022-358-0444 メール  Sno2999@aol.com



以上、よろしくお願いいたします。



ファン・ルーラーの神学は、決して偏狭な意味ではありませんが、広い意味で「カルヴァン」と「改革派教会」の神学的文脈の中に置いて理解することが、最も近道・早道です。