2010年7月7日水曜日

カルヴァンからカントへ(4)

「カルヴァンとデカルト」あるいは「カルヴァンからデカルトへ」というテーマであれば、歴史的・文献的に明確に立証しうる道筋がありますので、カルヴァンとカントの関係よりも、はるかに論じやすいものがあります。



もちろんそれは、カルヴァン(Jean Calvin [1509-1564])自身とデカルト(René Descartes [1596-1650])自身との間に直接的な対面や交流の接点があったという意味ではありません。そういう事実はありません。しかし、16世紀後半に生まれ、17世紀の主にオランダで活躍した改革派神学者ヒスベルトゥス・フーティウス(ヴォエティウス)(Gisbertus Voetius [1589-1676])と彼の神学的同僚たちは、カルヴァンの予定論の解釈をめぐってアルミニウス主義者たちと対決する一方で、当時の西ヨーロッパの流行思想であったデカルト哲学とその追従者との対決を余儀なくされていたということが歴史的に知られています。17世紀の(とりわけオランダの)カルヴァン主義者たちがデカルト排斥のために尽力したことは歴史的に明白な事実です。そのことを今日のオランダのキリスト者たちは記憶しており、反省もしており、デカルトの名誉回復をはかったりもしています。今のヨーロッパは、いつまでも17世紀のままではないのです。



ですから、私の問いにも今まさに書いたことの応用編である面があります。今の問題意識の中に「カントと同時代に生きた18世紀のカルヴァン主義者たちが、カントをどう見ていたか」という点が含まれていないわけではありません。しかし、私の主たる関心はそちらのほうではなく、むしろそれとは正反対の問い、すなわち「カントが彼の同時代のカルヴァン主義者たちをどう見ていたか」です。



カントがカルヴァンとカルヴァン主義者の著作を全く読まなかったとか、少しも影響を受けなかったということは、状況的には考えにくいことです。当然読んだでしょう。知ってもいたでしょう。ポジティヴな意味でかネガティヴな意味でかはともかく、影響も当然受けたでしょう。しかし、そのことを我々はカント自身が書いたものに基づいて文献的に実証しないかぎり、憶測以上のことを語ることができません。



「カントがカルヴァンとカルヴァン主義者のことをどう見ていたか」。この問いの背後で私が抱いている思いや動機や目的については、まだはっきりとは書かないでおきますが、私にとっては今日的に非常に深刻なものと感じられることです。