2010年7月5日月曜日

カルヴァンからカントへ(1)

アマゾンはやはり便利です、改めて驚きました。思うところあってカントの批判書三部作と『たんなる理性の限界内の宗教』を英語版で読みたくなり、アマゾンに注文したら、すぐに「商品を発送しました」とメールが来ました。早いです。



しかも安い。ペーパーバックだからでしょうけど、『純粋理性批判』763円、『実践理性批判』598円、『判断力批判』772円、『たんなる理性の限界内の宗教』2,153円でした(もちろんすべて新本)。完全予約販売の岩波書店版『カント全集』なら『純粋理性批判』(上・中・下の三冊に分けられている)だけで二万円超えるわけですから。



いま考えていることは、「カルヴァンとカント」、より正確に言えば「カルヴァンからカントへ」というようなテーマです。両者の関係、そしてなるべくポジティヴな関係を考えていく作業です。



「カルヴィニストのカント批判」というようなネガティヴな関係については大昔から議論されてきました。しかしその内容は前向きというよりは後ろ向き。理論的にはパーフェクトかもしれないが実践的には無意味、というたぐいのものです。



まさかカルヴァンがカントを読んだはずはありませんが、カントはカルヴァンを読むことができたでしょうし、たぶん少しくらいは読んだはず。しかし「ルターとカント」というテーマはしょっちゅう目にしますが、「カルヴァンとカント」を論じているものを私は見たことがありません。



昨夜読んでいたW. ファント・スペイカー他編『ピューリタニズム』(Het puritanisme. Boekencentrum, 2001)という本に「ドイツ人は自国が他国から影響を受けたという話をされるのを嫌うが、オランダ人はそうではない」というくだりを見つけ、「あ、なるほどね」とピンと来るものがありました。ドイツ人やドイツ系のカント研究の視点からは「ルターとカント」であればいくらでも出てくるが(二人ともドイツ人だから)、ポジティヴな意味での「カルヴァンとカント」あるいは「カルヴァンからカントへ」という議論がおこされるのを期待するのは無理なことだったようだと分かりました。



しかし、今のところ手がかりが全くありませんので、カントに影響を与えた英国のヒュームの本にカルヴァンの名前が出てこないだろうかとか、いろいろ探ってみているところです。



ついでに書きとめておきますと、私はこのたび、ヒュームのAn Enquiry concerning Human Understandingという本のタイトルを日本人は長らく『人間悟性論』と訳してきたらしいと知りました。そういうことを知らなかった者としては(高校の社会科教科書あたりで見たことがあるかもしれませんが、何の記憶も残っていません)、「なんだなんだ、こんな訳で分かりっこないじゃん。Human Understandingが人間悟性だってさ。悟性って何なの」とひとりで苦笑しています。