2010年4月7日水曜日

『超訳 ニーチェの言葉』について

長男の高校の入学式がいよいよ明日に迫りました。この期に及んで親として最後に(?)何かしてやれることはないかと考えた結果、一冊の国語辞典を買ってやることにしました。それで、つい先ほどまで近所の書店まで出かけていたのですが、いろんな種類があって迷ったものの、まずはオーソドックスなもののほうが良いだろうと、『岩波 国語辞典 第七版』(岩波書店)に決めました。辞書の数は多ければ多いだけ言葉の微妙なニュアンスを読み分けられる根拠を得られるに違いないということは私なりに理解しているつもりですが、他の出版社のものは彼自身が苦労して買えばよいわけで、親が何から何までお膳立てすべきではないだろうと、ぐっと我慢した次第です。



辞書が決まったことで当初の目的は果たしたのですが、ついでにもう一冊と(これが誘惑なんだ)何かを買おうと見回したところ、書店入口に近い位置の平積みコーナーに、勝間和代さんたちの自己啓発系の本の隣に、『超訳 ニーチェの言葉』というタイトルの、黒光りする装丁の本が積み上げられていました。「へえ、面白そうだ」と数秒立ち読みした後、あまり迷うことなく、これを買うことにしました。



帰宅後、1時間ほどで全部読みました。何か書きたくなりましたので、Amazonのカスタマーレビューに以下の一文を載せておきました。タイトルは「わが子に読ませます」です。



『超訳 ニーチェの言葉』フリードリヒ・ニーチェ著、白取春彦編訳、ディスカヴァー・トゥエンティワン、2010年



わが子に読ませます



By 関口 康



カバーフラップにも書いてあったが、ニーチェは「牧師の子」である。だからどうしたと、取り立てて何かを言いたいわけではないが、わたし評者が牧師なので、うちの息子はニーチェと立場的に同じということになる。本書を初めて手にとり数ページをめくったとき、「ああ、これを息子に読ませよう」と思った。ヘイセイ生まれの長男とニーチェは150歳も離れているし、日本人とドイツ人の違いもあるが、牧師館(Pastorat)の中で生まれ育った先輩の言葉を、後輩がどう読むかを知りたいと思う。たぶんかなり共感しながら読むだろう。いや何、わたし自身がすっかり魅了されてしまった。白取氏の「超訳」にすっかり幻惑されているだけかもしれないが、とにかく本書(白取超訳)は名著だと思った。聖書の隣に並べて置くのは(いろいろ言われそうで)マズいかもしれないが、せめてルターやカルヴァンの本よりも目立つ所に置いておきたい本ではある。



2010年4月1日木曜日

書評 渡辺信夫著『カルヴァンの教会論』増補改訂版(2010年)

関口 康

「これこそが神学だ。」読了直後そう思った。晒す必要もない恥ではあるが、評者は大した読書家でも蔵書家でもない。渡辺信夫氏については、カルヴァン『キリスト教綱要』とニーゼル『カルヴァンの神学』の各日本語版訳者であられる他、数点の「小さな」著訳書を物してこられた方であると思い込んできた。『カルヴァンの教会論』(改革社、初版1976年)が渡辺氏の「主著」であるということを、このたび「増補改訂版」の帯を見て初めて知った。これほど分厚い書物とは全く知らなかった。初版には触ったこともない(ある古書店ではかなり高額で取り引きされているようだ)。しかし開き直ったことを言わせていただけば、評者とよく似た思いを抱いた方々は少なくないのではないか。非礼をお詫びしつつあえて字にすれば「埋もれた名著」。それが本書だと思う。

翻訳ではなく初めから日本語で考え抜いて書かれたものゆえに読みやすく筋が通っている。評者などが断片的に学んできたような知識が見事なまでに美しく整理されている。硬質の語調には半可通な読者を寄せつけない凄味がないわけではないが、学術的には国際水準を保ちつつ日本の信徒に語りかける努力をしておられるところは絶賛に値する。「『カルヴァンの教会論』と題しているが、これは私の教会論でもある」(325ページ)と明言しておられるように、著者のスタンスには確固たるものがある。この価値ある一書を21世紀の日本の教会と神学の真ん中に復活させてくださった渡辺氏と一麦出版社に感謝する。

ところで、評者はどこに「これこそが神学だ」と感じたかを申し上げたい。この思いは(必要以上の)称賛ではなかったし批判でもなかった。「神学とはかくあるべし」ではなかったし、「神学とは所詮このようなものだ」でもなかった。この微妙なニュアンスには説明が必要である。

言いにくいことであるが、おそらく著者はこの「増補改訂版」をもってしても本書に満足しておられないはずだ。その思いが端々から伝わってくる。本論は全20章で構成されているが、第2章から第6章までと第8章はいずれも梗概のみで終わっている。もっと詳論なさりたかったのではないか。増補改訂版のあとがきに「初版を書き始める際の最も強い動機」として武藤一雄氏や久山康氏から学位論文を書くようにとの懇篤な勧めをお受けになったときの思い出が縷々つづられている。渡辺氏は「自分は牧師のつとめに召された者である。学位はこのつとめにとって無関係と思う」という意味の返事をなさったが、熱心な勧めは已まなかったため、「その勧めに従うことになった」とある。このような経緯で書き始められたのが本書であるというわけだ。ところが本書のどこにも「これは学位論文である」とは記されていない。口幅ったい言い方であるが、要するにこれは「未完成の学位論文」ではないか。そのように明言されてはいないが、「察して頂けると思う」(331ページ)とある。

この場面で「神学の途上性」とか「断片性」とか「旅人性」というような議論を持ち出すのは、かえって失礼だろう。再録された第一版あとがきに正直な思いが吐露されている。「牧師が研究をすることには社会的には何の評価も援助もないから、心ある牧師たちは自己の生活を切り詰めることによって辛うじて研究費を捻出する。私もそのような牧師の一人であった。このことを今では幸いであると思う。なぜなら、教会に密着して生きることによって、教会というものが深く理解できたし、民間の研究者として、権力や時流から自由な立場でものを考えることができたからである」(324ページ)。

「これこそが神学だ」と私は思った。牧師でなくても神学はできる。牧師でないほうが完成できそうな作品も確かにある。しかし「教会に密着して生きること」なしに「教会を神学的に論じること」が可能だろうか。答えは否である。「神学すること」自体が不可能である。この事実を教えていただける本書を多くの人々に推薦したい。渡辺氏が据えた土台の上にレンガを積み上げて巨大なゴシック建築を完成させるのは誰なのか。それを知りたくて、うずうずしている。

(一麦出版社)

(書評、『本のひろば』2010年4月号、財団法人キリスト教文書センター、28-29頁)

2010年3月21日日曜日

松戸小金原教会の新しい宣教方針について

教会設立30周年以後の展望と課題を踏まえて



関口 康



PDF版はここをクリックしてください



はじめに



わたしたちは、2002年1月に小会で採択した「松戸小金原教会 21世紀初頭の宣教方針」を毎年の定期会員総会のたびに確認してきました。しかし8年前と現在とでは教会内外の状況が変わってきており、方針のより現状に適った軌道への修正が求められてきていること、また何よりも21世紀になって既に10年が経過し、「21世紀初頭」と呼びうる時期が終わりを迎えようとしていることなどから、わたしたちは新しい宣教方針の必要性を感じるようになりました。



そこで今年度内に三回予定している教会勉強会の共通テーマを「松戸小金原教会の新しい宣教方針について」に決めさせていただきました。私が願っていることは、三回の教会勉強会での学びや協議を経たうえで来年1月に開催する定期会員総会までに新しい宣教方針の原案を確定したいということです。そのために皆様にご協力いただきたく願っております。



とはいえ、私は、8年前に採択された現行の宣教方針には何一つ誤りはなく、ほとんど修正の余地がないほどの完璧さをもっていると考えています。ですから、「新しい」宣教方針を考えましょうと言いましても、実際には言葉遣いが変わっただけで、ほとんど同じことを繰り返しているにすぎないものになるだろうと予想しています。革命的な変化などは全く考えていません。わたしたちの教派の名称に革命(revolution)ではなく改革(reformation)という字があることは重要です。変えていくべき点があるとしても、革命的に根こそぎ変えてしまうのではなくて、従来の慣習を重んじつつ、徐々に改革していきます。それがわたしたちの教会の基本姿勢なのです。



さて最初にお願いしたいことがあります。副題を「教会設立30周年以後の展望と課題を踏まえて」としましたとおり、今日の話は未来志向で進めていきたいと願っております。しかし皆さんの中には「自分の10年後のことなど考えることができません。元気でいられるかどうかさえ」とおっしゃる方がきっとおられるであろうということは、私にはよく分かっています。しかし今日だけはそのような(暗い)話は、どうかお控えいただき、松戸小金原教会の将来についての夢を共に描いていただきたいです。そして、逆の言い方をお許しいただくと、松戸小金原教会を10年後にも、20年後、30年後、100年後にも「のこす」ためにはどうしたらよいのかについて知恵をお借りしたいと願ってもいます。



1、「教会形成の理念」の見直しについて



現行の宣教方針の「1、教会形成の理念」には次のように書かれています。



「(1)聖書に基づく正統的な信仰告白に立ち、宗教改革の歴史を正しく継承する改革派教会の形成と進展を目指す。
(2)主として北千葉地域に宣教の使命を覚え、近隣改革派教会と密接な連携のもとに伝道の責任を果たす。
(3)時が良くても悪くても、一貫した宣教の姿勢をとり、改革派教会として旗幟を鮮明にする。
(4)カルビニズムの諸原理に則り、社会的・文化的分野にも正しく適応し、キリスト教的土壌を豊かにする。」



ほとんど完璧です。私にはこれ以上のことは書けそうもありません。強いて付け加えることがあるとしたら、これらの理念が持っている言葉の響きはやや抽象的であるということくらいでしょうか。具体性に乏しいとまでは申しませんが、具体性の度合いと抽象性の度合いとを比較してみると、後者のほうが若干強く出ているというくらいです。



しかしまた、改めて読み返してみますと意外なことにも気付かされます。それは(1)から(4)までに繰り返されている言葉があるということです。それは「改革派教会」です。(4)に「改革派教会」という字は出てきませんが、「カルビニズムの諸原理」は事実上同じ意味です。この同じ言葉の反復の意味内容は明らかです。現行の教会形成の理念は、最初から最後まで、結局のところ、「改革派教会になること」という一点をひたすら目指すものだったということです。



しかし、どうでしょうか、この点は現時点においては十分に達成されていると私は信じています。現在の松戸小金原教会は「改革派教会」以外の何かでありうるでしょうか。だれがどこから見ても、わたしたちは「改革派教会」ではないでしょうか。



実際、現行の宣教方針の「1、教会形成の理念」の(1)から(4)までは成就しています。項目ごとに見ていきますと、(1)については礼拝や祈祷会や諸集会における改革派信仰の学びや長老制度の実践等において、(2)については2006年7月の東関東中会設立において、(3)については毎年の特別伝道集会の実施等において、(4)については各自の日常的実践において、わたしたちが「改革派教会になること」は成就しています。その意味では、「改革派教会」以外の何ものでもないわたしたちがこれからも「改革派教会になること」という一点を繰り返して言うだけでは、物足りないでしょう。見直す余地はこのあたりにあると言えそうです。



2、「目標」の見直しについて



現行の宣教方針の「2、目標」には「100人教会を目指して」とあり、その説明は次のとおりです。



「教会が自立し、対外的にも貢献し得る教会として発展すること。そのための目途として現住陪餐会員100人程度の教会を目指し、礼拝・教育・伝道・奉仕の各分野で教会員の成長をはかり、新会堂を宣教の拠点として十分に活用する。」



ひょっとしたら、ここに掲げられた会員数についての具体的な数値目標こそが、わたしたちを大いに悩ませ、一喜一憂の原因になってきたかもしれません。志を高く持つことは決して間違ってはいませんが、目標を達成できないことにただ苦しみ、「なぜ達成できないのか」についての原因究明や責任追究ばかりを考え始めてしまうとしたら、数値目標を立てること自体を断念するか、あるいは数値の下方修正を行う必要があるかもしれません。



この件に関しては2007年11月定期小会・執事会で一度、検討したことがあります。そのとき申し上げたことは、「百名教会になること」と「アットホームな教会であること」とは反比例するところがあるということでした。しかし、そうなりますと松戸小金原教会がこれまで持っていた魅力を失ってしまう危険があるため、もし目指すとしたら「アットホームな百人教会」であるということでした。またもう一つ述べた点は、私の知るかぎり、日本キリスト改革派教会においても、他の教団・教派においても、「百人教会」を実現しているところはほとんどの場合、歴代牧師のうちどなたかの在任期間が長かった(20年または30年以上に及ぶ)ということであり、頻繁に牧師が交代する教会が100人を超えている例は皆無に等しいということでした。つまり、この目標の実現には(あまり使いたくない表現ですが)「牧師のカリスマ性」に頼るところが大きいと言わざるをえないということでした。



このことについて私は澤谷牧師とかつて個人的に語り合ったことがあります。そしてそのとき苦笑しながら一致した意見は「わたしたち(澤谷牧師と私)には、そういうもの(カリスマ性なるもの)はないよねえ」という点でした。もちろん、このことは「ないよねえ」で済ましてよいものなのか、これから努力して(?)その種のものを身につけていくべきなのかは、判断に迷うところです。



3、「目標達成の方策」の見直しについて



現行の宣教方針の「3、目標達成の方策」には次のように書かれています。



「(1)上記の理念・目標は中期計画(20世紀内)に引き続いてそのまま踏襲する。
(2)中期計画(20世紀内)の総括を入念に行い、達成できなかったものについて、その要因を検討し、今後の達成を目指す。
(3)教会形成理念の(2)は、東関東中会と連携を密にして、協力することを当面の目標とする。
(4)教会形成理念の(4)は、新会堂を活用して地域に開かれた活動、特に日曜学校や週日の利用(例:おはなしのへやや、各種サークル活動)を積極的に推進する。
(5)今までの会堂委員会は、教会運営組織に位置づけられた委員会(部)とし、その業務は教会施設全般を統括するものとする。
(6)教会の伝道の主要な窓口は日曜の礼拝である。伝道委員会は、特に主の日の活動に力を入れるようにする。
(7)教会運営組織は、とりあえず次の概念で実施し、今後更に改善を加えていく。(以下略)
(8)教会員の教会活動への積極的参加。(以下略)」



このうち(1)と(3)と(5)と(6)と(7)と(8)に関しては、すでに実施済みの項目であると思います。また(4)についても、「おはなしのへや」は休止中ながら、「チャペルコンサート」や「教会バザー」などを挙げることができます。つまり現時点で未着手の課題は(2)の「中期計画(20世紀内)の総括と未達成目標の要因検討」だけであるというのが私の見方です。



しかし、繰り返しますが、教会形成の理念としての「改革派教会になること」については、すでに十分に達成していると思います。そのため現時点で達成していないのは「(現住陪餐会員)100人教会になること」だけです。



とはいえ上記のとおり、私自身にも、また小会・執事会の内部にも、この数値目標を維持し続けるべきかどうかという点に、いくらか迷いや戸惑いがあります。未達成目標の要因を検討していくことは重要です。また「教会が自立し、対外的にも貢献し得る教会として発展すること」については全く異論の余地がありません。しかしどうしても考慮せざるをえないのは、日本社会全体の「少子高齢化」(いわゆる逆ピラミッド型社会)の傾向と、一昨年に起こった「百年に一度」と言われる世界不況が、わたしたちの教会にも確実に影響しているということです。そのことを勘案することなく、具体的な数値目標を掲げ続けることが、結果的に、未達成の犯人探しのようなことになってしまうとしたら、有害無益であるとさえ言わざるをえません。



しかしまた、わたしたちにとって譲ることができないのは「改革派教会になること」です。この点の大幅な路線変更をすることによって会員数を増やし、経済力をつけていくという道を選ぶことは、わたしたちにはできません。そういうことをしますと、わたしたちの教会本来の魅力を失うばかりか、教会存立の理由そのものを揺るがせにしてしまいかねません。



4、教会設立30周年以後の展望と課題



さて、そろそろ「新しい宣教方針」の具体像を描いていかなくてはなりません。その場合踏まえるべきことは「教会設立30周年以後の展望と課題」です。以下の諸点を挙げることができます。



いわゆる“うつわ”(建物)の問題としては、2000年に建設した現在の会堂を維持・管理すること、そして(私からは言いにくいことですが)築40年を超えている牧師館をどうするかが今後の課題です。



しかし、もっと重要な問題は、言うまでもなく“なかみ”(人間)の問題です。わたしたちは現在の「少子高齢化」と「世界不況」の中で「改革派教会になること」と「100人教会になること」を同時に実現していくという課題に、どのように取り組んでいくべきでしょうか。当然「世代交代」ということも視野に入ってくるでしょう。



前者(改革派教会になること)は譲ることができませんが、後者(100人教会になること)については再検討の余地がありそうです。「現在の牧師がカリスマ性を体得するか、それともカリスマ性をもつ牧師を新たに迎えさえすれば、すべて解決する問題である」ということであれば、この話は最初から考え直さなければなりません。



5、新しい宣教方針の骨子(試案)



最後に、私が思い描いている新しい宣教方針の骨子を提示しておきます。



Ⅰ 人が育つ教会
(主日礼拝を中心とする信徒教育の充実、年齢や性別を越えた交わりの確立)



Ⅱ 喜び歌う教会
(礼拝賛美を中心とする教会音楽の充実、聖歌隊、チャペルコンサートなど)



Ⅲ 助け合う教会
(少子高齢化と世界不況の中でお互いの弱さを理解し、担い合えるようになる)



Ⅳ 世にある教会
(会堂を用いての地域活動に加え、地域社会の中に積極的に入っていくこと)



(松戸小金原教会2010年第一回教会勉強会、2010年3月21日)



2010年3月7日日曜日

世界不況の中での高校受験を体験して思うこと

このところブログを全く更新できませんでした。



その理由は私だけが知っています。人生と仕事をサボっていたわけではなく、「すべて終わるまでは決して書くべきでないこと」に必死で取り組んでいました。



種明かしをすれば、長男が高校受験でした。同年齢の子どもさんをお持ちの方々にはご理解いただけると思いますが、今年は「激戦」の一言でした。長男自身からは終始鬱陶(うっとう)しそうな目で見られていましたが、まるでステージママ(パパですが)のごとく、舞台袖から固唾を呑んで見守るばかりでした。



「激戦」となった原因はいろんな人が分析中ですが、ともかく明白なことは一昨年に始まった世界不況の影響です。公立単願者が激増しました。「公立高校無料化」の政策が突然打ち立てられたことの影響も当然ありました。家庭の経済事情との関係で「ゼッタイ公立」と厳命された子どもたちは安全の上に安全を期する必要がありました。そのため多くの子どもたちが一つないし二つ以上ランクを下げて受験せざるをえませんでした。それでも長男の中学校などでは、進路指導の教師から保護者全員に「今年は公立単願は非常に危険なので、私立を必ず一校以上併願してください」と強く勧められる事態でした。ランクを下げての受験を潔しとしない子どもたちは、自分(や塾)の願いと親や学校の願いとの板挟みの中で激しく苦しんだはずです。何年も前から(「民主党政権」など影も形も見えていなかった頃から)高い目標をめざして努力してきた子どもたちの立場からすれば、状況の変化(オトナの都合)を理由にランクを下げ(させられ)ること自体に大きな挫折感が伴わないはずがないわけですから。



長男が受験した公立高校は、志願者数が昨年比でプラス216名(!?)という驚異的な数字となり、県内最大の上げ幅でした。受験倍率も、特色化選抜3.19倍(昨年2.60倍)、一般選抜1.97倍(昨年1.57倍)でした。六年前(2004年4月)に県外から松戸市に引っ越してきたばかりの者には知る由もないことでしたが、ここしばらく人気や進学実績等が低迷していた同校は昨年あたりから(「リーマン・ショック以後」と断定してよさそうです)「人気校」としての復活を遂げたと、もっぱらの噂です。もっとも、わが家の場合は「自転車で通える公立高校」という条件を言い渡していただけなのですが。



「不況によって復活した」などと直接的もしくは短絡的に関連づけますと、同校関係者の方々には失礼に当たるかもしれません。しかし、言うまでもないことですが、「志願者数や受験倍率が激増した」ということは裏返せば「不合格者数も激増した」ということでもあるわけで、つまり、合格した子どもたちのほうも必ずしも手放しで(自分の結果さえ良ければよいという調子で)喜んでいるわけではないということでもあるのです。多くの親友たちの痛みを知る機会にもなりました。



その意味では、同校が「不況によって復活した」ということが事実であるとするならば、「不況の痛みの中にいる人々の心を深く理解することができ、かつ現代日本の社会問題に真剣に取り組むことができる人材を輩出する学校」になってほしいと願っています。



教会も同じであると考えています。不況の只中で「どこ吹く風」と言わんばかりに超然とした態度をとり続けるような教会はたぶん「教会」ではないのです。少なくとも「改革派」教会ではないと私は思う。特に(私自身を含む)子育て中の若い牧師たちは、見るからに草臥(くたび)れ果てているくらいで、ちょうどよいのです。



2010年2月28日日曜日

希望なき人々のように嘆き悲しむな


テサロニケの信徒への手紙一4・13~14

「兄弟たち、既に眠りについた人たちについては、希望を持たないほかの人々のように嘆き悲しまないために、ぜひ次のことを知っておいてほしい。イエスが死んで復活されたと、わたしたちは信じています。神は同じように、イエスを信じて眠りについた人たちをも、イエスと一緒に導き出してくださいます。」

この個所にパウロが書いていることを一言でいいますと「人間は死んだらどうなるのか」ということです。わたしたちの死後の定めは何なのかということです。

そのことについてパウロが述べていることは、彼自身の信仰に基づく見解です。「信仰に過ぎない」という言い方も成り立つかもしれませんが、パウロにとって信仰とは彼自身の命そのものでしたので、パウロの全存在をかけた確信として述べていると言うほうがよいでしょう。

イエス・キリストは、十字架につけられて三日目に復活されました。そのイエス・キリストと同じように、神はイエスを信じて眠りについた人々をも復活させてくださるのです。そして、この場合の復活とは文字通りの「復活」です。地上の世界に再び戻ってくることです。

わたしたちは死んでも、どこかに消えてなくなるわけではありません。このわたしの存在が別のだれかの存在へと置き換えられるわけでもありません。このわたしは、このわたしとして地上に再び戻ってくるのです。

そのことが、我々にとっては二千年前に起こったイエス・キリストの復活と本質的に同一かつ同等の出来事として起こるのです。これがパウロの信仰であり、代々のキリスト教会の信仰なのです。

「人間は死んだらどうなるのか」という問いは、教会に通っているような人たちだけではなく、誰でも必ず抱くものです。その意味でこれは普遍的な問いであると言えます。小さな子どもであるうちに考え始め、大人になってからも考え続ける問いです。来る日も来る日も寝ても覚めてもそのことを悩み続けているというようなことは無いと思いますが、何らかのきっかけがあるとまた考え始めてしまう、そのような問いであると思います。

この問いに対する教会の答えは、今日の個所に書かれているパウロの言葉に尽きるのです。しかし私は、パウロの答えは質問者の意図にかなうものではないだろうと思っています。「わたしたちは死んだらどうなるか」という質問に対して「わたしたちは復活するのだ」と答えているわけですが、質問者が本当に聞きたいことはそのような答えではないはずだからです。

質問者が聞きたいことは、いわゆる「あの世」はどうなっているのかということでしょう。質問の前提にあるのは、死んだ人はもう二度と戻ってこない、決して戻ってこないという確信です。だからこそ「あちらの」世界の様子はどうなっているのかということばかりに関心があるのです。

しかし、パウロはその問いにきちんと答えていませんし、彼には答える気がありません。パウロはその意味での「あの世」の存在を否定しているわけではありませんが、そのようなことには実は全く関心を持っていません。パウロはこちらの世界に再び戻ってくることができる日が来るということしか考えていません。百歩譲って「あちらの世界」などというものがあるとしても、そこに行きっ放しなどということは考えもしない。早く帰ってくること、地上の人生を再獲得すること、そのことだけがパウロの願いであり、信仰でもあったのです。

そもそも「死後の定め」とは何でしょうか。誰かが、そこに行って見たことがあるのでしょうか。いわゆる「臨死体験」についての書物を、私は全く読んだことがありません。申し訳ありませんが、そういうことに全く関心がありません。

牧師がこういうことを言うと驚かれてしまうかもしれませんが、そもそも私は死後の定めとか死後の世界というようなものに全く興味がありません。そのようなものはどこにも存在しませんと言いたいわけではないのですが、関心を持つことができないのです。はっきり言って、どうでもいい。この点で私はパウロと同じであると信じています。

もちろん人は必ず死にます。私は牧師として何人もの方を看取ってきました。死の生々しい現実を知っています。そのような者ですので、死をオブラートで包んだり美辞麗句で飾ったりするつもりは全くありません。しかし、私は希望を捨てているわけではありません。キリスト教的な意味での希望の根拠とは何でしょうか。それは「復活」であるとパウロは述べているのです。それは、わたしたちが「イエス・キリストと同じように」復活することなのです。それ以外の意味はありえないのです。

聖書には、復活されたときのイエスさまの体がどういうものであったかが記されています。わきには槍で突かれた跡が残っていた。手足には十字架上にはりつけにされたときの釘の跡が残っていた。つまり、十字架にかけられたときのままの恥辱に満ちた姿で、イエスさまは復活されたのです。

この点も、わたしたちも同じなのです。ただし、この話をしはじめると嫌われることが多いので、ちょっと話しにくくなります。多くの人は、やはり、復活のときは前よりも美しくなりたいようです。しかし、私はそのようには信じていません。もし今私が死んだら、復活するときには太った関口牧師として復活するのだと信じています。先月の半ばからダイエットを再開しましたが、少し痩せたときに私が死んだら、復活するときは少し痩せた関口牧師として復活するのだと信じています。

何もわざわざそのような信じ方をしなくても、もう少し都合のよい信じ方をしてもよいのかもしれません。しかし、私は、自分にとっての最後の最後の姿のままで復活させていただけると信じることができるときに、深い意義と慰めを感じるのです。

なぜなら、そのように信じるとき、わたしたちは、自分自身の最後の最後の姿を本当の意味で受け入れることができるようになります。もしわたしたちが復活させていただけるときに、人生の最後の最後の姿とは別様のものへとに置き換えられてしまうのだとしたら、神御自身によって私の人生の最後の姿を否定されるのと同じであると私は思います。私は人生の中でどのようなことに悩んできたのかを否定されてしまう。あの苦しみぬいた日々を否定されてしまう。わたしがわたしであり、わたし以外の何ものでもなかったということの証しをすべて否定されてしまう。そのような気がしてならないのです。

聖書が教える復活とは、とても単純な話です。とにかく、このわたしが再び戻ってくるということ、ただそれだけです。しかしその内容は、考えれば考えるほど愉快な話なのです。

パウロはこのことを「希望を持たないほかの人々のように嘆き悲しまないために」書いたと言っています。このように言うことでパウロは異教徒を侮蔑しているわけではありません。しかし「希望をもたない人々」とは「“復活の”希望を持たない人々」のことを指しています。それは「復活など絶対にありえない」ということに揺るがぬ確信を持ってしまっている人々です。

しかし、わたしたちの死後の定めがどうなるかは、まだ誰にも分かりません。誰にも分からないことについて「復活しない」ということのほうに確信を持つくらいなら、「復活する」ということのほうに確信を持ってもよいではありませんか。どちらに確信を持つことができるかで、わたしたちの生き方が変わってくるのです。少なくとも「死後の世界」などということに関心を持つ必要が無くなります。そして、復活を信じることが、わたしたちの悲しみや寂しさを和らげ、心の傷をいやし、真に慰める力になるのです。

(2010年2月28日、松戸小金原教会主日夕拝)

2010年2月21日日曜日

天の故郷


ヘブライ人への手紙11・13~16

「この人たちは皆、信仰を抱いて死にました。約束されたものを手に入れませんでしたが、はるかにそれを見て喜びの声をあげ、自分たちが地上ではよそ者であり、仮住まいの者であることを公に言い表したのです。このように言う人たちは、自分が故郷を探し求めていることを明らかに表しているのです。もし出て来た土地のことを思っていたのなら、戻るのに良い機会もあったかもしれません。ところが、実際は、彼らは更にまさった故郷、すなわち天の故郷を熱望していたのです。だから、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいません。神は、彼らのために都を準備されていたからです。」

梅原知英子さんと私は、親子ほど歳が離れた関係でしたし、教会のメンバーと牧師との関係という以外の何ものでもありません。しかし、それでも何か本当に深い心のつながりを感じる方だったと、いま改めて思い返すことができます。

他の方とは違う、というようなことを申し上げたいのではありません。牧師はえこひいきしません。ただ、いつも心配していました。家が教会から遠かったので、通うのに苦労がおありではないかという思いが常にありました。毎週のように「遠くから通ってくださってありがとうございます」と言いたくなりました。しかし、梅原さんは「いいのよ」とおっしゃいました。「私は電車に乗り慣れているから気にしないでいいのよ。通い慣れている教会が一番いいのよ」と言ってくださいました。「そんなふうに言っていただいてありがとうございます」と、また言いたくなる。そんなにペコペコしなくてもいいのに、と思っておられる様子も伝わってくるのですが、私の気持ちはそういうものでした。

毎週日曜日に教会に通うということは実際には非常に苦労の多いことなのだということを、私は知っているつもりです。これは私が幼い頃から感じてきたことですし、牧師となった今でも分かります。私は今でも毎週教会に通っているのです。牧師は説教するためだけに教会に来ているわけではありません。みんなで一緒に賛美歌を歌いますし、みんなで祈りますし、みんなで奉仕しています。しかし、私の家(牧師館)は近いので、遠くから来てくださっている方々には申し訳ない気持ちになるのです。

ですから梅原さんとの思い出の中に一番多くあるのは、ペコペコ頭を下げる私に「いいのよ、いいのよ」と梅原さんが慰めてくださる場面です。お話しできたのは、せいぜい礼拝が終わってお帰りになるときの一言、二言でした。やっとゆっくり話せるようになったのは、入院先の病院へのお見舞いのときです。

入退院を始められてからの梅原さんは本当に尊敬すべき方でした。ご家族の方から教えていただくかぎり、御自分の病状をはっきりとご存じであった面と、必ずしもそうでなかった面とがあられたようですが、ほとんどすべての覚悟ができておられたと、私には見えました。自分の死という問題と、まさに真剣に向き合っておられました。

そして、私が最も重く受けとめたことは、梅原さんが最後の最後まで「日曜日の教会の礼拝に出席したい」という願いを持ち続けておられたことです。誤解がないようにしておきたいのですが、私は「牧師だから」こういうことを言うのではありません。クリスチャンたる者は、どんなに重い病気にかかっても、自分の体を引きずってでも日曜日は必ず教会に来るべきであると、そのような考え方が私にはできません。私は今年で伝道生活20周年になりますが、いまだかつて一度として教会の方々にそういう言い方をしたことがありません。「義務だ、責任だ」という点から教会の方々に何かを強いたいとは思いません。この点は、どうか勘弁してください。私にそういう言い方をさせようとしても無理であると諦めてください。

ですから、どうか、そのようなことを抜きにして聞いていただきたいのです。「毎週日曜日に教会に通う」というその願いは、梅原さん自身にとって最も大切なことなのだと理解できたので、それは素晴らしいことだと私は感じたのです。

「神は信じるが教会には通わないというのは、音楽は聴くがコンサートには行かないというのと同じである」と言った人がいます。私はこの言葉が好きで、ことあるごとに思い起こします。教会に通うということは、勉強をしに来ることとは違います。教会に何十年通っても、何かの資格や免状をもらえるわけではありません。教会でもらえるのは、日曜学校の皆勤賞くらいです。しかし、日曜学校にも卒業証書はありません。教会は誰も卒業しないのです。人生の最後も、卒業式ではありません。

もし、「教会に来ても何ももらえないし、ここで得られるものは何もない」という不満を感じている人がいるのだとしたら、その不満は、物やお金や賞状をもらえないことではないのだと思うのです。わたしたちが教会に期待するのはそのようなことではないと思うのです。

しかし、ここから先は、言葉でうまく説明することのできない次元に入っていきます。わたしたちは「教会に通う」とは何なのかを、うまく説明することができません。毎週教会に通いながらその意味を説明できないだなんて、おかしなことではあるのですが、そういうものだとしか言えません。

しかし、それでも、強いてたとえるとしたら、それは、わたしたちが「自分の家に帰ること」の意味を問われたときに、うまく答えられるだろうかという問題に似ているかもしれません。子どもたちが学校から家に帰ってきたとき、「どうして帰ってきたの?」と、そんな馬鹿なことを尋ねる親がいるでしょうか。そもそも「なぜ私は自分の家に帰らなければならないのか」と、そんなことを考える子どもがいるでしょうか。「自分の家に帰ること」に、理由が必要でしょうか。

梅原さんが最後まで抱き続けられた思いはそのようなものであったに違いありません。そして今、梅原さんは神が備えてくださった都としての「天の故郷」(16節)におられます。その場所は、わたしたちの信仰によりますと、教会とそっくりのところなのです。そこには、神さまがおられ、神の御言葉と賛美の歌が響きわたり、永遠の喜びと平安が豊かにあふれているのです!

(2010年2月21日、梅原知英子姉記念会、松戸小金原教会)

2010年1月21日木曜日

勝間和代・香山リカ(共著)『勝間さん、努力で幸せになれますか』を絶賛します

昨年(2009年)11月9日の日記に「私は香山さんと勝間さんを応援したいと思っています。けっこう似ているのではないかとか言うと、お二人ともお怒りになるでしょうか。共著が出るようでしたら買います」と、私は確かに書きました。

なんと、その共著がこのたび出ました。それが出ているということを一昨日知り、すぐにAmazonに注文しましたら、昨日届き、二時間で読み終えました。それが今、私の手元にあります。勝間和代・香山リカ(共著)『勝間さん、努力で幸せになれますか』(朝日新聞出版、2010年、定価1000円+税)です。

日本語としてはおかしい言い方ですが、「びっくりするほど面白い本」です。まだ読んでおられない方に心からお薦めいたします。今年はまだ始まったですが、2010年の「ベスト・ブック・オブ・ザ・イヤー」に推薦したいくらいです。

発行年月日が「2010年1月30日」となっている、まだ出ていないはずの(ちなみに今日は2010年1月20日です)、ともかく刷りたてホヤホヤの本ですので、ネタバレのようなことを書くのは控えますが、読後の第一声としては、「議論としては、ほとんど香山さんの勝ち。しかし、勝間さんの気持ちも痛いほど分かる」というものです。

あとは、香山さんの側に、ウソをついているとまでは言いませんが、故意に言わないでいるか、または明らかにトボケておられるところがあるのに、その点に勝間さんがちっとも突っ込もうとなさらないのは、勝間さんの優しさゆえなのか、無頓着ゆえなのか、むき出しの対抗意識ゆえなのかが分からないと感じました。

それは何のことかを具体的に書き始めるとネタバレの域に入ってしまいそうなので、詳しくは書けません。しかし、一言だけ。

香山さんは私などから見れば今でも(は余計ですが)相当美人に見えるし(私の妻ほどではありませんがとも書いておきます)、テレビや雑誌といったメディアへの露出はほとんど毎日という時期もありました。その香山さんが終始、精神科医としてのお立場から患者さんたちの立場を代弁して、本書のタイトルのとおり、「勝間さん、努力で幸せになれますか?(なれないのではありませんか?)」と問うておられるわけですが、そのようにお問いになる香山さん自身は、勝間さんと同じくらいか、あるいは勝間さんに勝るとも劣らないほどの「努力」を重ねてこられたに違いないと、遠目からは見えるのです。

これから先のことを書き始めると、書いている私自身がとても貧相な人間に思えてくるわけですが、香山さんのような方が「私は努力などしたことがない」とおっしゃると、「努力」の定義が違うんだなと改めて思い知らされます。全体重をかけても動かない石があると思っている私と、その同じ石を小指の先で動かすことができる方とがいる。ある人にとっての「努力」は、他の人にとっては「努力」と呼ぶに値しない。このことも厳然たる事実なのでしょう。

もし「努力なんかしなくても医者になれましたし、大学教授にもなれました」とかいう人がいるとしたら(香山さん自身がそんなふうにおっしゃっているわけではないのですが)、その人の言葉は話半分に聞いておくのが賢明だと、自分は凡人だと自覚している人ならば誰でも思います。苦しみ悩んでいる受験生たちや就活中の学生たちは、敵意をあらわにするか、底なしの絶望を味わうかのどちらかでしょう。香山さんは、まるで「勝間本」がご自分の患者の病気の原因であるかのように言ってしまっておられるところもないわけではありませんが、逆の面もあるのではないでしょうか。脱力系の(ふりをしている)「香山本」も、その点では同罪ではないか。

そういうことも、香山さん自身が「あとがきにかえて」の中に自嘲的に「上昇の勝間さん、下降のカヤマ」とお書きになっていますので、十分に自覚されているご様子です。「下降」とは、昇りつめたことがある方だけに語りうることですので。年齢が八つ離れていること(香山さんのほうが勝間さんよりも上)も関係あるかもしれません。10年くらい前の(売り出し中の)香山さんは十分な意味で「上昇の香山さん」だったのではありませんか。ご自覚がどうだったかはともかく、遠目にはそのように見えていましたけど。

そして「上昇の勝間さん」の場合、その上昇方法が、実にチープで(貧乏くさくて)、オタクで、みっともない(と最初は多くの人からそう見られていた)「インターネット」というこの手段であったということが、私にとっては称賛に値すると思っている点です。

ここから先に書くことはただの憶測ですが、勝間さんよりも八才年上の香山さんの売り出し中(一昔前ということになります)は、インターネットなしで戦うことを余儀なくされたので、いきなりテレビや雑誌などに(恐らくは嫌々ながら)露出せざるをえなかった。しかしそのような登場の仕方は、きわめて門戸が狭く、ラッキーや偶然の要素が少なくないので(テレビや雑誌に出たくても出られないと思っている人たちは山ほどいるわけでして)、「私が歩んできた道は自分の努力によって切り開いてきたものではない」と振り返ることができるし、そう言わざるをえない。

ところが、勝間さんの場合は、「(たぶん最初はファックス通信あたりから→)パソコン通信→メール→メーリングリスト→ブログ→単著→雑誌→(携帯とかツィッターとか)→テレビ」というステップを、すべて踏んでいくことができた。

そこで行われたことは、自分で文字を書き、自分で自分を宣伝し、多くの人々に自分を売り込むということです。すべては「自作自演」です。「はい、そのとおりです。私のしていることは自作自演ですが何か?」と臆面もなく明言できるのが、インターネットの強みでもあります。誰のプロデュースも要らない。お笑い芸人さんたちが苦労しているように見える面倒な師弟関係も一切ない。誰にも迷惑をかけてきた憶えはない代わりに、自分で文字を書くことに関しては誰からも助けてもらえない。自分の足で本を買いに行き、自分の手で辞書を引き、自分の目と心で読み、自分の字と言葉で書き、自分の口で語る。これを勝間さんは「自立」とか「努力」などと呼ばざるをえなかったのではないか。恥も外聞も捨てて(愛する配偶者や子どもたちに背中を向けて)「パソコンの前での自作自演」をとことんまでやり抜いてきた者たちには、勝間さんの気持ちが痛いほど分かります。

「世のカツマー(勝間さんの信奉者のこと)が、勝間さんのことをいくら真似しても、勝間さんのようになれない、成功しない、幸せになれないと悩んでいる。そういう人が私の患者の中にもいる」と香山さんは繰り返し言っておられますが、その人々が勝間さんほど徹底的な仕方でインターネット的「自作自演」を乗り越えてこられたのかどうかを知りたいところです。そこが足りないとしたら勝間さんを真似したことになりません。勝間さんは最初から最後まで(まだ終わっていませんが)「私の今あるはインターネットのおかげ」という一点を貫いておられますから。

これも11月9日の日記に書いたことの繰り返しですが、私の夢は、ファン・ルーラーについての翻訳と解説についての本を出版して、それの書評を香山リカ先生に書いていただき、朝日新聞で紹介していただくことです。最近の(と言ってよいのかな)香山先生のご関心が「ヒューマニズムの究極的根拠」というあたりにおありのようですので、それならファン・ルーラーの出番なんだけどなと、大いに意気込んでおります。

勝間さんと個人的にお知り合いになりたいとは思いませんが(キリスト教に関しては敬遠気味のご様子で、話題に共通点がなさそうですので)、「インターネットの活用方法」については、これからも大いに参考にさせていただきたいと願っています。


2009年12月22日火曜日

いわゆる教会用語について

「クリスチャン」と呼ぶべきか、それとも「キリスト者」と呼ぶべきかという議論は、私が学生だった二十年以上前にも繰り返し行われていたものです。記憶はかなり怪しくなってはいますが、その当時私のまわりで「クリスチャンではなくキリスト者と言うべきだ」と主張していた人々の多くは、旧日本基督教会系の人々(いわゆる改革派・長老派の流れをくむ人々)だったと憶えています。

なぜ彼らがそういうことを言っていたのか、その理由までは憶えていませんが、クリスチャン(Christian)がともかく英語であることだけは確かなことですから、アングロサクソン的な背景を感じさせる言葉であることは間違いないわけで、「鬼畜米英」(不快語、すみません)とか言っていた世代の人々が、軍部から禁止されていたカタカナを使わずに「基督者」と書いていたころの“伝統”を重んじたい人々がそういうことを言っていたのではないだろうかと、今となっては思います。ドイツ語の神学を重んじたい人々が「クリステン」と言いたかったので「クリスチャンと言うな」と主張していたのかどうかは分かりません(これは半分ジョークです)。

私自身は「どちらでもいい」という立場ですが、「クリスチャンとは言うな。キリスト者と言え」と強く言い渡す教師に囲まれて青春時代を過ごしましたので、もしクリスチャンと言う場合は「ク、クリスチャ」と、どもってしまいます。私には幼い頃から強度の吃音(いわゆる「どもり」)がありましたが、それとは関係なく、です。

ただ、「ノンクリスチャン」(「ノンクリ」と略すのも含む)とか「未信者」とかいう言葉を聞くと、激しく抵抗したくなる気持ちを抑えられなくなります。「ノン」(非)にせよ「未」にせよ、他人の存在にノー(No)を突き付けているわけですから。信仰を持って生きている人々とそうでない人々を区別することが間違っているわけではありませんが、「ノン」(非)とか「未」とかそういうことを言わないでも済む、もうちょっとましな言葉は無いのかと言いたくなります。

しかし、「求道者」という言葉は嫌いです。その方自身が「私はこの道を求めています」とおっしゃっているならともかく、何回か礼拝に出席した人を、統計上「求道者」というカテゴリーに分類するというのも、なんだか失礼な感じです。分類が失礼だと言いたいのではなく「求道者」という日本語が失礼だと言いたいのです。すでに多くの人が言っていることだと思いますが、日本の教会の日本語のセンスは、全くでたらめです。

「母教会」(ぼきょうかい)という言葉にも疑問を感じます。どうして「母」であって「父」でないのかも考えさせられますが(どうして「父教会」ではいけないのでしょうか)、それ以上に疑問を持つことは、人生で最初に通い始めた(というに過ぎない)教会を、どうして「母」扱いして、いつまでも重んじ続けなければならないのかという点です。自分の意思とは関係なく、生まれる前から親が通っていた教会だったので、そこで幼児洗礼を受けた(だけの)教会。あるいは、地理的・物理的にそこ以外の教会に通う可能性がなかったのでそこで洗礼を受けた(だけの)教会が、なぜ「母」なのか。

すでに用いられている表現でいえば「出身教会」で良いのではないでしょうか。この表現で私の良心のギリギリです。「母教会」という言葉は、私の幼い頃のトラウマに触れるものです。私にとっての「出身教会」は忘れたい過去です。同じような言葉を私が牧師をしてきた教会に向かって投げつける人がいると私はショックを受けますが(実際にそういう人がいますと言っているのではありません)、しかし、そのように言いたくなる人の気持ちはよく分かります。

転勤の多い親のもとに生まれた子どもたちの中には、自分自身は見たことも行ったこともない地の「出身者」だったりして、そのことが履歴書とかを書かなければならない頃になると、このたぐいのことはいつまでも付きまとい続けるものだと分かって悩みの種になる人もいます。ちなみに私は「岡山市出身」ですが、妻は「東京都出身」であり、長男は「高知県出身」であり、長女は「神戸市出身」です。傍目には「この一家はいったいナニジンなんだ?」と思われることでしょう。

「こいつは、どこの生まれだ?どんな家の出だ?出てきた学校はどこで、誰のどんな影響を受けてきたやつだ?」という目は教会の中でも(教会の中でこそ?)強く働く面があることを否定できません。しかし、どう考えてもあまり気持ちのよいものではありませんので、なるべく抑えるべきだと私は考えています。

加えて、「修養会」も圧倒的にダメな日本語です。初めて参加するような方々に「あのー、主催者様は私メに何をさせたがっておられるんですか?」と独特の恐怖心を与えてしまうものです。もちろん、だからといって「キャンプ」とか「リトリート」とかカタカナを使って言えばよいというわけでもありませんけれど。

また、どこか特定の教会を念頭に置いて書くわけではありませんが、「バイブルクラス」とか「プレイズワーシップ」などとカタカナで書いている教会の看板を見ると、昔ながらの「聖書研究会」とか「賛美礼拝」でどうしていけないのかと疑問を感じます。

クリスチャン(Christian)と言う人は、ジーザスとかポールとかメアリーとか、宗教改革者たちについてはルーサー(Luther)とかキャルヴィン(Calvin)などと発音しなくては筋が通りません。そういう喋り方をする日本人の説教者もいないわけではありませんが、聞いているうちにだんだん不愉快になってくるものがあります。

私自身はいわゆるエスペラント主義のようなものには懐疑的です。それぞれが自分の母語にしっかり立って語ることがいちばん良いと考えています。「しっかりと考えるときは誰でも母語で考える」という山岡洋一さんの言葉を引用しながら書いたことがあります。とくに「説教」は、きちんとしたものであろうとするならば、母語でしか語ることができないと、私には思えます。我々が母語以外の言葉、たとえば英語で無理に説教などすると、どんなに流暢な発音で、正確な文法に従って語りえたとしても、内容的な深みに乏しい、幼稚な説教にしかならないと思うからです。

逆も然り、かもしれない。とても親しくしていただいている宣教師も大勢いますので彼らの悪口を言うつもりはありませんが、彼らがどれほど一生懸命日本語を勉強しても、彼らの日本語の説教は、彼らが各人の母語(たとえば英語など)で行う説教よりも、かなりクオリティが落ちてしまう。これは仕方がないことです。

良い例ではないかもしれませんが、昨年2008年12月10日にオランダで行われた「国際ファン・ルーラー学会」には、私の知るかぎりオランダ人、ドイツ人、南アフリカ人、アメリカ人、そして日本人の我々が集まっていました。それ以外の国のことは分かりません。そのような場で、驚いたことに、通訳はおらず、レジュメの一枚も配られませんでした。そして、各人はそれぞれの母語で発言する。オランダ人はオランダ語で、ドイツ人はドイツ語で、南アフリカ人はアフリカーンス語で、アメリカ人は英語で。ところが、なんと、それで十分にディスカッションが成り立っていました。さすがに我々は日本語でしゃべる勇気はありませんでしたが。

とはいえ、この日のアムステルダム自由大学の講堂に集結した約二百名中かなりの人々はドクターレベルのプロフェッサーだったわけですし、もともとオランダはバイリンガル、トリリンガルくらいは当たり前の国だそうですから、あまり参考にはなりません。

私が考えていることは、日本の教会で長らく使われてきた教会用語の中には明らかに不適切なものがあり、また明らかに「翻訳に失敗しただけの言葉」があり、修正や変更が可能であり、あるいは速やかな修正や変更を迫られていると思われるにもかかわらず、それの修正や変更を行うことが、まるで“不信仰なこと”や“冒涜的なこと”であるかのように思われることがある、ということです。

大胆に手をつけていこうではありませんか。たとえば、我々は一体、いつまで1890年訳の「主の祈り」を使い続けていくつもりなのでしょうか。二世紀も前のものを。「常に改革し続ける教会」(エクレシア・センペル・レフォルマンダ)が二世紀前の主の祈りを祈り続けている姿は滑稽というしかありません。しかし、これはまだわたしたちの教会でも変更できていません。

何にせよ、言葉をめぐる状況は、すぐに変わっていくものではなく時間がかかりますが、根本的に見直さなくてはならないときが来ていると思っています。


2009年12月9日水曜日

わが心、いまだ折れず

自分の内心を何もかも明け透けに書いたりしゃべったりするのを控えねばならないときが、そろそろ来ていると思う。自分の年齢を考えれば、「そろそろ」どころか「とっくに」と言わねばならない気もする。

背丈で子どもたちに負けそうになっているのに(長男には追い越された)、いつまでも子どもじみた言動のままでは、格好がつかない。露出度を低め、神秘性を高めていくことも、作戦としてありうる(それが何の作戦なのだかは定かではない)。

まもなく年末であることが、そういうことを考えてしまう理由かもしれない。今気づいたことだが、今月末でこのブログの開設から満二年を迎える。鉛筆とノートで構成された「日記」というものが小学生の頃から三日坊主であり続けた人間がずっと抱き続けたコンプレックスは、自分の言動を字にして書き残すことができないことだった。

ブログも続くはずがないと思っていた。それが二年も続いてしまったこと、もとい、それ「を」二年も「続けて」しまったことに、いささかの後悔がないわけではない。

少し前までは自分のことを書くのがストレス発散になっていたが、最近は、書けば書くほどストレスを溜めこむ感じだ。近況としては、とりあえずこれまで掘り当ててきた財宝の真贋判定をしていくことで手一杯で、新しい財宝を探しに行く意欲は減退してきている。

しかし、いま感じているのは、単純な「否定的な」気持ちではない。数年前に亡くなった同世代の女性歌手自身が書いて歌った詞、「もう泣かないで やっと夢がかなった」(曲名はForever You)と言える段階に近づいてきた証拠ではないかと思うことにしている。

言い方は変かもしれないが、私は本当にただ「牧師になりたかった」だけなのだ。このことは、私を知っている人は皆知っている。なりたかったものになれた。これ以上の何も私にはない。

牧師には、出世だの昇進だのは一切ない。能力や経験年数の違いはあるが、その手のものは時間と労力を注いで手に入れていけばよいのであって、今それが自分の手のうちに無いことを卑屈に思うことは何もない。

こういうことを書くと、何か自分に言い聞かせようとしているのかと思われることがあるのだが、別にそういうことではない。本当にそうではない。そういうことではないのだ。

ただ、今年一年はつらいことが多かった。とても恥ずかしい話だが、日曜日(12月6日)、説教直前の賛美歌を歌っている最中に、どうしてだろう、説教壇を前にして、涙がにじむ。「ああ、今年も無事にアドベントを迎えることができた」と思った瞬間、体から力が抜けた。

「おいおい、ちょっと待て。涙するのはまだ早い」ともう一人の自分が叱り飛ばし、ようやく説教原稿を読み始めることができた。

ジャスト一年前の昨日(2008年12月8日)、生まれて初めてオランダの地を踏むことができた。もし一年前にオランダへ行っていなかったら、今年の私は踏ん張りがきかなかったと思う。心折れずに済んだ。その意味で、行ってよかったと感謝している。

2009年12月3日木曜日

最近、朝日新聞が面白いです

最近、朝日新聞が面白いです。「新聞」が面白いし「朝日」が面白い。早く朝が来ないかと待つことさえある。こんな感覚を持ったのは、44歳まで生きてきて初めてです。私の年齢が本格的に中年化してきたせいもあるでしょうけれど、それ以上に「政権交代」の影響があるような気がします。「やっと自分たちの時代が来た」。そのような勢いを感じます。

今朝の紙面には「今の日本には、かつての丸山眞男氏のようなグランドデザインを描くことができる人がいない」と嘆く宮崎哲弥氏が登場しました。宮崎氏単独ではなく、四者の対談でしたけど。

そうそう、これこれと膝を打ちました。「グランドデザイン」です。政治や経済、家庭や宗教、これらすべての共通土台となるもの。そのような土台を築き上げるための構想力。こういう適切な言葉がなかなか思い浮かばないので困っています。「さすが宮崎氏」と称賛すべきところですが、「また朝日新聞に教えられました」とも言っておきます。

この「グランドデザイン」なるものを、かつてなら、なるほどたしかに、丸山眞男氏なり大塚久雄氏なりが描いていたのでしょう。

そして改めて思い起こすことは、丸山氏と大塚氏の共通点がマックス・ヴェーバー研究者(好きでない表現で言えば「ヴェーバー学者」)であったということです。私は丸山氏の本はいまだに全く読んだことがなく、読む気もしないのですが、大塚氏の本なら、たしなみ程度に読んできました。お二人の共通点を短く言えば「現代社会とは要するに何なのであり、これから人類は要するにどこに向かっていくべきなのか」ということを端的に語りきることができる視座をもっていた人々。そう、まさしく「グランドデザインの描出ができた人々」です。

ところが、すでに広く知られているとおり、ヴェーバーの「犯罪」を暴いたのが羽生辰郎先生です。「ヴェーバー学者」からの有効な反論が聞こえてこない以上、羽生先生の議論は正しいと認めざるをえません(羽生辰郎著『マックス・ヴェーバーの犯罪』、『学問とは何か』参照)。

しかし他方、羽生氏登場以前の「ヴェーバー学」が有していた「グランドデザイン描出力」そのものは、今日ますます必要とされているのではないかということを、宮崎氏の発言を読みながら思わされました。

とすれば、新しい時代に求められている知的作業の一つは、「ヴェーバー学の継承」というよりも、ヴェーバー自身もそれの分析と解釈のために労苦したところの「プロテスタンティズム」ないし「カルヴィニズム」の全体像を、もう一度真剣に見直してみることではないでしょうか。「それは果たして本当に小沢一郎氏が言うほど排他的なものなのか」と問いながらでも構いません。

先日も書きましたように、オランダのキリスト教民主党(CDA)党首にしてオランダ国王首相であるヤン・ペーター・バルケネンデ氏が、慶應義塾大学名誉博士称号授与式で、「アブラハム・カイパーと福澤諭吉」というタイトルをつけても良さそうな内容のかなり長文の挨拶を行いました。バルケネンデ氏は、20世紀初頭のオランダで同国史上初めて結党されたキリスト教民主党(党名は「反革命党」)の党首としてオランダ国王首相になったプロテスタント神学者アブラハム・カイパーが果たした役割と、日本において福澤氏が果たした役割との共通点を熱心に語りました。

ちなみに、このバルケネンデ氏は、先日行われた欧州連合(EU)初代大統領選挙の際の候補者の一人でしたが、「米国寄り」と見られて落選しました。しかし、「米国寄り」であるという評価は、欧州では非難の対象かもしれませんが、日本では逆でしょう。

このように申し上げる私が今とにかく願っていることは、日本の政治家や思想家たちにはどうか、バルケネンデ氏が日本人向けに語った「アブラハム・カイパーの意義」という点に注目していただきたいということです。

カイパーがアメリカのプリンストンで行った有名な講演「カルヴィニズム」(1898年)こそが、ヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(1904年~1905年)の成立に決定的な影響を与えたのです。日本の「ヴェーバー学者」が受け継いだグランドデザイン描出力は、歴史を遡ればカイパーに由来するものだと分かります。

ただし、カイパー自身は「グランドデザイン」とは言わず「人生観・世界観」(levens- en wereldbeschouwingen)という古めかしい言葉を用いました。その前に「有神的」(theistisch)という形容詞を付して、「有神的人生観・世界観」と言ったのです。また、この「人生観・世界観」が、プリンストンでの講演においては「生活原理」(life-systems)と英訳されました。しかし「人生観・世界観」にせよ「生活原理」にせよ、「グランドデザイン」と言い換えても内容は全く同じです。

しかしだからといって私は「カイパー主義者になること」を多くの人に勧めたいのではありません。それどころかカイパーの描いたグランドデザインである「有神的人生観・世界観」というものの問題性を鋭く見抜き、徹底的に批判すべきであると考えています。

しかし、カイパーのそれを我々自身が徹底的に批判しつくしたうえで、その次に行うべきことは何なのかを考えて行った先に辿りつく結論は、「カイパーのカルヴィニズムに匹敵する巨大な規模をもつ新しいグランドデザイン」を描き出すこと以外にありえない、ということです。

そして、まさにこの意味での「新しいグランドデザイン」を描き出すためにこそ――再び論理を飛躍させますが――「組織神学」が必要である、と訴えたいのです。

あるいは別の言い方をすれば、新しいグランドデザインを描いてみせるとがんばっている人たちは、カイパーやウェーバーの議論を批判的に検証するというプロセスを通ることを絶対に避けて通ることができませんので、そのときにこそ「組織神学」を勉強しなければならない、ということです。

たとえば、カイパーの「カルヴィニズム講演」は、なんといっても彼自身の組織神学的考察によって生み出されたものです。この講演は組織神学における「弁証学」(Apologetiek)の側面が強く前面に出ているものですが、「教義学」(Dogmatiek)や「キリスト教倫理」(Christelijke ethiek)の側面も、当然のことながら深く組み合わされています。

この一例を挙げるだけでも、この一つの事実の背後にあるものは何なのかを深く考えていくならば、組織神学における「教義学」と「倫理学」と「弁証学」の相互関係はどうなっているのかというような問いや、「弁証学」というものは現代神学の中でどのような役割を果たし、あるいは批判されてきたのかという問いなどが、次々にわきおこってきます。これらすべてが「組織神学の問い」なのです。組織神学は「グランドデザイン」を描くために避けて通れない必須の課題なのです。

今の日本の政治家たちは「神学議論」という言葉を悪い意味でしか使いません。しかし、神学を全く学んだことがないような人が「神学議論」なるものに参戦できるはずがないわけですから、「神学議論」が良いものなのか悪いものなのかを知る由もないはずなのです。どんなことをおっしゃるのも自由ですが、そういうことはどうか、神学をとにかく一度徹底的に学んでから言ってくれ、と思わなくもありません。