2009年3月13日金曜日

五つのお知らせ

以下、近況報告を兼ねて、五つのお知らせがあります。順序は、時間的に遠い順です。すべてに私も関わらせていただいています。なんだかとても忙しいです。



(1)カルヴァン生誕500年記念集会



2009年7月6日(月)、アジア・カルヴァン学会と日本カルヴァン研究会の共催による「カルヴァン生誕500年記念集会」を東京神学大学(東京都三鷹市)で行うことになりました。主題は「礼拝者カルヴァン」です。神学講演、ジュネーヴ詩編歌についての講演とパイプオルガン演奏、そして「ジュネーヴ礼拝式・聖餐式再現」など盛りだくさんの企画です。



詳しくは、「カルヴァン生誕500年記念集会ホームページ」をご覧ください。ポスターもダウンロードしていただけます。



カルヴァン生誕500年記念集会ホームページ
http://calvin09.protestant.jp/



また、このホームページで「カルヴァン生誕500年記念行事カレンダー」を近日公開予定です。このカレンダーには、日本全国ならびに海外で予定されているカルヴァン生誕500年祭の行事日程をまとめています。お楽しみに。



(2)アジア・カルヴァン学会 第7回講演会



2009年4月25日(土)、アジア・カルヴァン学会の第7回講演会を立教大学(池袋キャンパス)で行うことになりました。主題は「ヨハネス・アルトジウスの政治思想とその現代的意義~カルヴィニズムと政治をめぐる一側面~」です。第6回講演会が大いに盛り上がり、時間が足りなくなったので、攻守を交替して議論を続行することになり、今回の企画となりました。



詳しくは、「アジア・カルヴァン学会ホームページ」をご覧ください。有意義で白熱した議論を期待できます。ぜひご参加ください。



アジア・カルヴァン学会ホームページ
http://society.protestant.jp/



また、このホームページで近日中に「アジア・カルヴァン学会ニュースレター第5号」を発刊いたします。主な内容は、第6回講演会の報告(田上雅徳氏の講演要旨を中心に)です。お楽しみに。



(3)日本プロテスタント宣教150周年記念講演会



2009年4月21日(火)、日本キリスト教会と日本キリスト改革派教会の共催による「日本プロテスタント宣教150周年記念講演会」を、日本キリスト教会横浜海岸教会(神奈川県横浜市)で行うことになりました。両教会を代表する教師の講演を通して、日本宣教の幻を力強く受け継ぐ機会にしたいと願っています。



詳しくは、「日本プロテスタント宣教150周年記念講演会ポスター」をご覧ください。



日本プロテスタント宣教150周年記念講演会ポスター
http://www.rcj-net.org/images/150th_protestant_japan_poster.pdf



(4)牧師は説教をどのように準備しているか



2009年3月15日(日)、つまり明後日のことですが、松戸小金原教会の2009年度第一回教会勉強会を行う予定です。発題者は私・関口です。主題は「聖書をどう語るか」、副題は「牧師は説教をどのように準備しているか」です。教会のみんなに「伝道しましょう。伝道は牧師だけがするものではなく教会全体でするものです」と励ます立場にある者として、まずは自分の説教をどのように準備しているかを「公開」する機会をもちます。



詳しくは、「松戸小金原教会ホームページ」をご覧いただけますとうれしいです。このホームページは、現在80歳の引退長老が作成・管理してくださっています。



日本キリスト改革派松戸小金原教会ホームページ
http://www2u.biglobe.ne.jp/~matudo/



(5)改革派神学研修所 東関東教室



2009年3月14日(土)、つまり明日のことですが、改革派神学研修所東関東教室主催「信徒講座 生き生きクリスチャンライフ」で、私・関口が「ファン・ルーラーの喜びの神学」というお話をします。会場は日本キリスト改革派勝田台教会(千葉県八千代市)です。



詳しくは、「改革派神学研修所 東関東教室ホームページ」をご覧ください。



改革派神学研修所 東関東教室ホームページ
http://higashikanto.reformed.jp/



以上、宣伝ばかりとなりましたことをお詫びいたします。



私自身も過去にひどく痛感させられ続けたことですが、首都圏の教会と地方の教会の「情報格差」は、あまりにも歴然としています。ブログやメールのような(これ自体は安っぽい)ことが、ほんの少しでも何かのお役に立つのであれば(立つのであれば、です)、私の力の尽きるまで情報を発信させていただきます。



皆様、どうかお元気でお過ごしくださいませ。



2009年3月8日日曜日

新たに生まれなければ


ヨハネによる福音書3・1~8

「さて、ファリサイ派に属する、ニコデモという人がいた。ユダヤ人たちの議員であった。ある夜、イエスのもとに来て言った。『ラビ、わたしどもは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神が共におられるのでなければ、あなたのなさるようなしるしを、だれも行うことはできないからです。』イエスは答えて言われた。『はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。』ニコデモは言った。『年をとった者が、どうして生まれることができましょう。もう一度母親の胎内に入って生まれることができるでしょうか。』イエスはお答えになった。『はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。肉から生まれたものは肉である。霊から生まれたものは霊である。「あなたがたは新たに生まれなければならない」とあなたに言ったことに、驚いてはならない。風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである。』」

今日から三回に分けてじっくり見ていきたいと願っておりますのは、ユダヤの最高法院(サンヘドリン)の議員の一人とイエスさまとのやりとりです。その議員の名はニコデモ。ユダヤ教団の「ファリサイ派」というグループに属していました。

このファリサイ派に属していた人の中で間違いなく現在最も有名な人は使徒パウロです。ファリサイ派の特徴は、まさに「パウロのような熱心さ」をもった人々であったと評することができるでしょう。

たとえば、パウロはキリスト教徒を迫害することに熱心であった過去をもっています。迫害することにも熱心、でした。しかしその後、パウロはイエス・キリストを信じるようになり、キリスト教を宣べ伝える伝道者になりました。信じることにも熱心、宣べ伝えることにも熱心、でした。そこにはもちろんパウロの個人的な資質を勘案する必要があるでしょう。しかしまた同時に、パウロ自身が認め、はっきりと自覚していたことは、わたしはあの熱心なファリサイ派出身の人間であるということでした。それほどに、宗教がそれを信じる人々の人格全体に与える影響は大きいのです。

ニコデモの場合はどうだったでしょうか。はっきりしたことは分かりません。しかし、やや強引な結びつけ方かもしれませんが、ニコデモにもパウロと共通する熱心さの要素を見出すことができるように思われます。熱心な人ということで私が描くイメージは、物事を突き詰めて考える人であり、一つのことを思い立ったらすぐさま行動に移す人であり、自分がとことん納得するまで簡単には受け入れない人であり、しかしまた、一度決めたらその道を、これまたとことん貫き通し、その決めごとのために自分の全生命を投げ出し、激しく動き回る人です。ニコデモにもそのような面があったのではないかと思うのです。

ニコデモは「ある夜」イエスさまのもとに来ました。この点は彼の人となりを考える上で重要です。ニコデモは議員であり、すなわち、その国の中では「超」の字が付く有名人なのであって、どこを歩いていてもすぐに知られてしまうほどの人でした。有名人の行動は衆人の注目と環視のもとにあります。そのような人がなんとかしてイエスさまにお会いしたいと願ったのです。

当然、人目をはばかりながら、こっそり会う必要がありました。しかしどうしても会いたい。今すぐ会いたい。イエスさまに会って話をしさえすれば、自分が今考えていること、あるいは今悩んでいることが解決するかもしれない。その思いを果たすためにニコデモは「夜」行動したのです。

あるいは、考え事をしていると夜も眠れなくなるタイプだった(?)のかもしれません。あるいは、夜ひとりであれこれと想像を巡らしているうちに、いても立ってもいられなくなり、イエスさまのところに行って悩みを聞いてもらいたいと思った(?)のかもしれません。「夜」イエスさまに会いに来たという点から、ニコデモとはどんな人だったのだろうかと、こんなふうにいろいろと想像を巡らしてみることもできるでしょう。

このニコデモがイエスさまに最初に言ったことは、イエスさまに対する尊敬を示す言葉でした。「ラビ、わたしどもは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神が共におられるのでなければ、あなたのなさるようなしるしを、だれも行うことはできないからです。」彼はこのことをお世辞で言っているのではありません。本当にそのとおりであると信じていたに違いない。人々が口にしはじめたイエスさまのうわさを聞くにつけ、その確信を深めていったものと思われるのです。

ニコデモが聞きつけたイエスさまについてのうわさ話は、人間の力では絶対にできないようなことができる、まさに神のような手(ゴッドハンド?)のわざをもつ、そういう人が現れた、というようなことであったと考えられます。

ここでこそ重要なことは、ニコデモは「議員」であったという点です。議員であるとは、要するに政治家であるということです。政治家が手にするのは、要するに権力です。彼としても、「人間離れした力」というくらいの意味での神の力のようなものが与えられさえすれば今よりもっと強い人間になれるのに、という願いや欲求を抱いていたと考えることはできるでしょう。

「政治」とか「権力」とかいう言葉を聞くとすぐに悪いイメージを抱くのは間違いです。力がなければ、人を助けることもできません。悪い社会を変えることもできないのです。もしニコデモがイエスさまのもとを訪ねた目的が「あなたが持っておられる人間離れした、まさにカミワザのような力をわたしにも教えてください。私もぜひあなたと同じような力を手にして強くなりたいです」とイエスさまにお願いすることであったとしても、彼のことを責めたり悪く思ったりすべきではありません。政治家ならば当然考えることであり、また考えるべきことなのです。

ところがイエスさまは、そのニコデモに対して、明らかに、どこか痛いところを逆なでするようなことを言われました。ニコデモの考えていることをすべてお見通しのように。しかしまた、あなたが考えていることは根本的に方向を間違っているので、それを変える必要があることだとおっしゃりたいように。根本的に方向を変えなければならないのは、あなたの考え方だけではなく、頭の中身だけではなく、生き方そのもの、生活全体も全く新しいものへと造りかえられなければならないとおっしゃりたいかのように。

イエスさまがおっしゃったのは、「はっきり言っておく。人は新たに生まれなければ、神の国を見ることができない」ということでした。ここで語られていることは、要するに、新しく生まれる必要性です。「再び生まれる」と訳すこともできます。日本語的に表現すると、「生まれかわる」とか「生まれなおす」というふうになるかもしれませんが、かえって余計に分からなくなってしまうと感じる方もおられるかもしれません。

イエスさまがおっしゃっていることに最も近いかもしれない、わたしたちにとって比較的身近な表現は、「人生を一から出直す」ということです。そのように言えば、一応ぴんとは来るものになると思います。しかしそのこと(人生を一から出直すこと)とイエスさまがおっしゃったこととは「ある意味で近い」かもしれませんが、根本的に違います。

そもそも、「人生を一から出直す」とは、具体的に何をすることでしょうか。このような言葉を口にすることは、いとも簡単なことです。「わたしは出直します。一から、いやゼロから出直します」と。しかしそれは何をすることでしょうか。具体的なイメージに乏しいものがあります。今自分がしている仕事を辞めて、新しい仕事を始めることでしょうか。あるいは、現在の人間関係(結婚などを含む)を解消して、新しい人間関係を始めることでしょうか。もちろんそのとき大きな変化が起こるとは思います。しかし、それ(転職や再婚など)が「人生を一から出直すこと」でしょうか。それほどのことでしょうか。それによってわたしたちの人生が新しくなる面と、何も変わらない面の両方があるのではないでしょうか。

ニコデモはイエスさまがおっしゃったことの意味がよく分からなかったようです。または、分かっていてとぼけているかのどちらかです。彼はイエスさまに「年をとった者が、どうして生まれることができましょう。もう一度母親の胎内に入って生まれることができるでしょうか」と問いかけました。生まれかわるとか生まれなおすだなんて、そんなことできませんよ。え、それってお母さんのお腹の中に逆戻りして再び産んでもらうことなのか?そんなこと、できるはずがないだろうと。

ニコデモがイメージしたらしいことは、いわばタイムマシンです。味わってきた嫌なことや辛い過去の思い出は、すべて消えてしまう。あのとき付いた体や心の傷も、あのとき失った体の部分や人間関係も、みんな元通りになる。恥多き人生を送ってきたという自覚のある人が、恥をかく前の自分に戻ることができる。今度こそは、恥をかかないで、失敗しないで、うまくやれるかもしれない。もし生まれかわることができるなら、あのとき、あの選択肢ではなく、この選択肢を選んでいたら、今とは全く違う人生がありえたかもしれない。

わたしたちはそのように考えることはできます。また、今はさまざまな選択肢を選ぶことができるし、選択肢そのものがあふれていると言えるほどです。顔や形の作りを変えることができる。性別さえ変えることができる。情報は洪水のように押し寄せる。どんなことでも教えてくれるし、教えたがっている。そのような中で、いろんな選択肢を見比べてみること、今の生き方ではなく別の生き方をしてみたいと考えること自体が悪いなどと、誰が責めることができるでしょうか。人生をやり直したいという願望なら、だれにだってあります。ないでしょうか。私にももちろんあります。すべてをリセットしてしまいたいという衝動さえ感じたことがないというと嘘になります。

しかし、それはいったいどのようにして現実化するのでしょうか。「生まれかわる」とか「生まれなおす」というのは非現実的なことではないでしょうか。ニコデモの質問の意図はこのあたりにあると言えるでしょう。

あるいは、ニコデモは、イエスさまの言葉を聞いて、もしかしたら、ひどく腹を立てたかもしれません。「新しく生まれなければならない」と言われる。ということは、今までの人生はすべて駄目だったということなのか。わたしの人生を全否定するつもりなのかと。「母親のお腹の中から出直してこい」とでも言いたいのか。それは、人を馬鹿にしている発言ではないのかと。

イエスさまの意図はもちろん、そのようなことではありませんでした。それはもちろん、非現実主義ではなく、現実逃避でもなく、他人の人生を馬鹿にすることでもありません。しかし、それでは何なのかというところまでお話しする時間がなくなりました。この続きは来週お話しいたします。

来週お話しすることに、少しだけ触れておきます。イエスさまは「はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない」とおっしゃいました。「風は思いのままに吹く」とも。これがイエスさまのお答えでした。

「風」のイメージで描かれているのは「聖霊」です。聖なる霊であり、聖霊なる神です。この、風のように自由に行き交い、人に影響と作用を及ぼす「聖霊」が、その人のうちに注がれ、働き、その人と共に生き始めること。それが、イエスさまのおっしゃるところの「新しく生まれること」です。その変化の大きさは、先ほど取り上げたようなこと(転職や再婚など)をはるかに越えています。事実上、全く新しい人生を始めることです!

(2009年3月8日、松戸小金原教会主日礼拝)

2009年3月1日日曜日

神殿を三日で建て直す


ヨハネによる福音書2・13~25

「ユダヤ人の過越祭が近づいたので、イエスはエルサレムへ上って行かれた。そして、神殿の境内で牛や羊や鳩を売っている者たちと、座って両替をしている者たちを御覧になった。イエスは縄で鞭を作り、羊や牛をすべて境内から追い出し、両替人の金をまき散らし、その台を倒し、鳩を売る者たちに言われた。『このような物はここから運び出せ。わたしの父の家を商売の家としてはならない。』弟子たちは、『あなたの家を思う熱意がわたしを食い尽くす』と書いてあるのを思い出した。ユダヤ人たちはイエスに、『あなたは、こんなことをするからには、どんなしるしをわたしたちに見せるつもりか』と言った。イエスは答えて言われた。『この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる。』それでユダヤ人たちは、『この神殿は建てるのに四十六年もかかったのに、あなたは三日で建て直すのか』と言った。イエスの言われる神殿とは、御自分の体のことだったのである。イエスが死者の中から復活されたとき、弟子たちは、イエスがこう言われたのを思い出し、聖書とイエスの語られた言葉とを信じた。イエスは過越祭の間エルサレムにおられたが、そのなさったしるしを見て、多くの人がイエスの名を信じた。しかし、イエス御自身は彼らを信用されなかった。それは、すべての人のことを知っておられ、人間についてだれからも証ししてもらう必要がなかったからである。イエスは、何が人間の心の中にあるかをよく知っておられたのである。」

今日の個所に描かれているイエスさまのお姿は、どれほど贔屓目に見ても乱暴であると言わざるをえません。その手に鞭を持ってエルサレム神殿の中で暴れ回っておられます。唯一慰めを感じる点を探すとしたら、書かれていることを読むかぎりですが、イエスさまが振り回しておられる鞭が人の体に当たっていないことです。しかし羊や牛、両替人の金、その台には容赦なく鞭が振りおろされています。すべてがめちゃくちゃにされています。小さな子どもがいたら激しく泣いてしまうだろうと思われるほどです。

ですから、今日の個所のイエスさまのお姿はわたしたちにとっての模範的なものであると考えることはできません。「なるほど了解しました。わたしもこれから家に帰って自分の鞭を作ります」というようなことは、どうかお考えにならないでください。わたしたちには許されていることと許されていないことがあります。このときイエスさまがなさったことは、わたしたちが決して真似をしてはならないことです。わたしたちは、どんなことがあっても暴力を働くべきではありません。

しかし、です。今私が申し上げたようなことはイエスさまもよく分かっておられました。そのように信じることができます。イエスさまがエルサレム神殿の中で暴力を働かれたことについては、ヨハネによる福音書だけではなく、他の三つの福音書にも記されています。四つの福音書が証言していることは、イエスさまがこのようなことをなさったのは、後にも先にも、たった一回限りであるということです。

一回限りならば何をしてもよいと申し上げたいわけではありません。しかし、先ほども指摘しましたように、幸い、イエスさまの鞭は、人間をめがけて振りおろされたものではありませんでした。

そしてもう一つ指摘しうることは、これも四つの福音書に共通していることなのですが、イエスさまの鞭によって商品をめちゃくちゃにされた人々が逆上して、つかみあいの乱闘が始まったとは書かれていないということです。

そのため、私が感じることは、イエスさまのなさったことが暴力であることは認めざるをえませんが、しかし、どこかしら(「どこかしら」です)手心が加えられていたようでもあるということです。イエスさまのなさったことの目的は、人間に危害を加えることではなく、今の事態を変革し、打破することにあったと考えることができるのです。

神殿の中で商売をしていた人々が売っていたものは、まもなく始まろうとしていた過越祭で用いられるものでした。牛や羊や鳩は、犠牲の供え物として神にささげるためのものでした。つまり彼らが扱っていた商品は宗教用品でした。今とは違います。アクセサリーとかTシャツとか記念品というような、神殿の宗教とそれとの直接的な関係を見出すことが難しいようなものを売っていたわけではなかったのです。

この点から分かることは、イエスさまが問題にされたのは売られていた商品の内容ではなかったということです。もし彼らが牛や羊や鳩ではなく別のものを売っていたとしたら、イエスさまが暴力を働かれることもなかっただろうと考えることはできそうにありません。そのことはイエスさま御自身の言葉からもはっきりと分かります。「このようなものはここから運び出せ。わたしの父の家を商売の家としてはならない」(16節)。

これではっきり分かることは、イエスさまが問題にされたことは、売られていた商品の内容ではなく、その場所で商品が売られていたこと自体であったということです。商売が行われるべきではない場所で商売が行われている。そのことを問題になさったのです。

しかしまた、このことは、もう一段階掘り下げて考えてみるべきです。そこで売られていた商品が宗教用品であり、かつ、まもなく始まろうとしていた過越祭に直接必要となる道具であったということは、その収益金や出店のための場所代などが神殿そのものの収入にもなっていたであろうということです。これは確実に言えることです。おそらくは神殿側としても、その収入をかなりの面で期待していたところもあったのです。

しかし、だからこそイエスさまは、そのこと自体を否定なさったようでもある!神殿の運営は商売によって成り立つものであってはならない。そのことをイエスさまは、まさに力づくで主張なさったようでもあるのです。

わたしたちはどのようなことを思い描けばよいのでしょうか。目を閉じてあれやこれやを想像してみるとよいのです。古い歴史を持つ大きな建物がある。それは一種の芸術作品とも言うべき何ものかである。それを一目見たいと外国からもたくさんの人々が集まってくる。そこで行われている礼拝とか、その礼拝において崇められている神とか、そういうことには全く関心のない人々も集まってくる。

しかしその人々も、信仰とか何とかは全く持っていないのだけれども、その建物の中で伝統的に行われてきたことの真似事くらいはしてみたくなる。辺りをきょろきょろ見回すと、あつらえ向きな商品を売っている店が見つかる。これは良かったと買い求めて真似事を始めようとする。もちろんそこには真剣に礼拝している人々もいますので、きゃっきゃと騒ぐようなことはさすがに慎むとしても、照れくさそうににやにや笑いながら、あるいは真剣に礼拝している人々を興味本位の目で眺めながら、心にもないことを始める。

そのようなことはわたしたちの時代においては、ごく当たり前のことのように行われていることですので、問題にしにくいことではあります。しかし、あえて言えば、興味本位で傍観する人々が混ざっている礼拝は、真剣に礼拝をささげている人々にとっては不愉快なものでありえます。信仰者としての率直な感覚からすれば、自分の命に代えても惜しくないほど大切にしているものを汚されたような気持ちにさえなるものです。

今の日本の中で問題になっていることは大学のレジャーランド化というようなことです。私の中で思い当たるのは、まさにこれに近いことです。イエスさまが問題にされたことは、神殿のレジャーランド化、あるいは宗教施設のレジャーランド化です。

しかし、こういうことを言いっ放しにするだけでは意味不明ですし、誤解を招くだけでしょう。「大学のレジャーランド化」とは、大学が学生にとって楽しい場所になってきたという意味ではありません。大学本来の目的は学問であるという点が見失われ、別の目的が支配する場所になってしまったという意味です。あるいは、学生がまるで観光客のようであり、先生はひたすら純粋にサービス業に徹しなければ成り立たない場所になってきたということです。そして、学生たちの支払う料金のようなもので成り立つようになってきたということです。

このように言うことによって私は、観光業に携わる人々や観光客を軽んじているつもりはありません。しかし、そのことをご理解いただいた上でなお申し上げなければならないことは、大学とレジャーランドは違うものであるということです。きちんと線が引かれなければなりません。そして神殿とレジャーランド、さらに教会(!)とレジャーランドも違うものであるということです。

このように私自身が申し上げる場合の意味は「教会は楽しい場所であってはならない」ということではありません。正反対です!教会は楽しい場所でなければなりません。教会はレジャーランド以上に楽しい場所でなければならないのです。

しかし、だからといってわたしたちは、教会を商品販売のような要素がないかぎり成り立たないものにしてしまってはいけません。それは本末転倒です。教会を支えるのは信仰であり、祈りであり、奉仕です。それはまた、わたしたちの教会には料金表のようなものは一切ありませんということでもあります。これだけ支払いさえすれば大丈夫というような規準のようなもの何もありません。また逆に、これだけ支払わなければ仲間に加えてももらえないというようなものもありません。

もっとも、イエスさまの時代の神殿で動物が売られていたのは、真剣そのものの礼拝者たちの中で遠い町から来る人々が、重い荷物を運ばずに済むように便宜を図っていた面もあったと思われます。ですから彼らのしていたことのすべてが悪いと言い切ることは無理な面もあるのです。しかし、そのような善い面が大義名分となり、隠れ蓑になって、いつの間にか悪い面が忍び込んでくるというのが世の常です。神殿側も、彼らの収入を当てにし始める。いつの時代にも、この種のことが宗教を堕落させる原因になってきたのです。

ですから、イエスさまが退けられたのは商売人たちであったと考えることは不十分です。イエスさまがお持ちになったその手に鞭の象徴的な意味は、商売人たちの裏に隠れているもの、すなわち、神殿そのもの、そしてまた神殿の宗教そのものへの(やや物騒な言い方をもちだすなら)宣戦布告であったと言えるのです。だから一回限りで十分だったのです。

退けられた商人たちは、暴力をもってかかってくることはありませんでしたが、イエスさまに食ってかかりました。「あなたはこんなことをするからには、どんなしるしをわたしたちに見せるつもりか」。それに対するイエスさまのお答えが、「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる」ということでした。この答えについてヨハネが解説しています。「イエスの言われる神殿とは、御自分の体のことだったのである」(21節)。

事実イエス・キリストは三日で神殿を建て直されました。神殿とは神の栄光をあらわす器です。それはイエス・キリスト御自身の体である。すなわち、イエス・キリストが三日目に死人の中からよみがえられたこと、それによって、真の神殿が建て直されたのです。イエスさまの復活の体は、エルサレム神殿よりもはるかにまさって神の栄光をあらわすものでした。イエスさまを信じる者たちにとっては、エルサレム神殿はもはや不要になったのです。

聖地旅行などしてはならない、というようなことを申し上げているのではありません。しかし、何が何でもエルサレムに行かなければ真実の礼拝をささげたことにはならないというような考えはわたしたちには全くありません。わたしたちの礼拝は場所を問いません。突き詰めて言えば、教会は人であって、建物ではありません。そもそも、建物がなければ礼拝はできないという考え方自体がないのです。わたしたちはどんな場所でも・場所など無くても、今・ここで、霊とまこととをもって礼拝をおこなうことができ、それによって神の栄光をあらわすことができるのです。

(2009年3月1日、松戸小金原教会主日礼拝)

2009年2月25日水曜日

「改革派神学研修所 東関東教室メールマガジン」創刊

このたび「改革派神学研修所 東関東教室メールマガジン」を創刊させていただきました。



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2009年2月22日日曜日

喜びを絶やさぬために


ヨハネによる福音書2・1~12

「三日目に、ガリラヤのカナで婚礼があって、イエスの母がそこにいた。イエスも、その弟子たちも婚礼に招かれた。ぶどう酒が足りなくなったので、母がイエスに、『ぶどう酒がなくなりました』と言った。イエスは母に言われた。『婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません。』しかし、母は召し使いたちに、『この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください』と言った。そこには、ユダヤ人が清めに用いる石の水がめが六つ置いてあった。いずれも二ないし三メトテレス入りのものである。イエスが、『水がめに水をいっぱい入れなさい』と言われると、召し使いたちは、かめの縁まで水を満たした。イエスは、『さあ、それをくんで宴会の世話役のところへ持って行きなさい』と言われた。召し使いたちは運んで行った。世話役はぶどう酒に変わった水の味見をした。このぶどう酒がどこから来たのか、水をくんだ召し使いたちは知っていたが、世話役は知らなかったので、花婿を呼んで、言った。『だれでも初めに良いぶどう酒を出し、酔いがまわったころに劣ったものを出すものですが、あなたは良いぶどう酒を今まで取って置かれました。』イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行って、その栄光を現された。それで、弟子たちはイエスを信じた。この後、イエスは母、兄弟、弟子たちとカファルナウムに下って行き、そこに幾日か滞在された。」

今日の個所に紹介されていますのは、全く驚くべき奇跡物語です。わたしたちの救い主イエス・キリストが、ただの水をぶどう酒に変えてくださったという話です。

「このような話はとても信じることができません。このような話が出てくるから聖書は苦手です」とお感じになる方がおられるかもしれません。いえいえ、そのような気持ちはここにおられるどなたかのものであると言いたいわけではなく、他ならぬ私自身がかなりそれに近い思いを持っております。

このようなことをはっきり申しますと困ってしまわれる方がおられるかもしれません。しかしわたしたちは、どんなときでもなるべく正直であるべきです。聖書に出てくる話、とくに奇跡に関する話は全く驚くべきものであり、ほとんど信じがたい事柄なのであるということを率直に認めなければならないと私は考えております。

しかし、です。私は今、皆さんの前で「今日の個所に書いていることを私は全く信じることができません」と申し上げているわけではありませんし、「これは全くのでたらめです」と主張しているわけでもありません。ほとんど信じがたい事柄、簡単に信じることができない事柄を聖書の中に探していくとしたら、それは枚挙にいとまがありません。今わたしたちはヨハネによる福音書を読んでいるわけですが、最初のほうに書かれている「言は肉となった」という点は、どうでしょうか。ほとんど信じがたい内容を探せと言われるなら、このこと、すなわち「神が人間になられた」ということからしてそうであると言わなければならないでしょう。

比較の問題ではないかもしれません。しかし、よくよく考えてみなければならないことは、「神が人間になられた」という話と「水がぶどう酒に変わった」という話とのどちらのほうが信じやすいものかということです。事柄の重大さを思えば、前者、すなわち「神が人間になられた」という話と比べれば後者、すなわち「水がぶどう酒に変わった」という話などは、別にどうということはない、他愛のないことであるとも思われるのです。

「神が人間になられた」という話のほうが、はるかに深刻です!こちらのほうこそが、まさに前代未聞の出来事であり、ほとんど信じがたいことであり、ありえないことです。しかしまた同時に、これこそが、新約聖書が全力を挙げて主張している事柄なのです!

ですから、私は自分自身の持っている感覚に対して絶望しているつもりはありません。水がぶどう酒に変わったという話を聞くと困ってしまう自分がいることを否定はしません。しかし、この程度のことを信じることができないと言い出すならば、もっと重大な聖書の真理を信じることができなくなるではないかと、この点が心配になってくるのです。

そして、です。今日の個所を読みながら思い当たることは、ここに書かれていることは明らかに楽しいことであり、愉快なことであるということです。イエスさまがなさったことは、まさにそういうことです。宴会が盛り下がらないように、白けてしまわないように、集まっているみんながいつまでも楽しい雰囲気に包まれたままでいることができるようにしてくださった。そのことに尽きるのです。要するに、イエスさまが宴会の盛り上げ役を買って出てくださったのです。それはある見方をすれば、救い主ともあろうお方がそんなことのために御自身の大事な力をお使いになったのかと、あきれたり、腹を立てたりする人がいるかもしれないと思うほどです。

しかも、ここで問題になっているのはお酒です。イエスさまがお酒の瓶を小脇に抱えて走っておられる姿などはあまり想像したくありません。しかし、言うならば、そのようなことに限りなく近いことが行われたのです。ただし、それをイエスさまは「水をぶどう酒に変える」という奇跡的なみわざを通して行ってくださったのです。

ですから、イエスさまが行ってくださったこの奇跡には、非常に明確な目的があったというべきです。この場所は宴会の席でした。結婚式の披露宴が行われている最中でした。そのような喜びの席、楽しい席に集まっている人々を喜ばせ続けること、楽しませ続けることのために、イエスさまはご自分のお力をお用いになり、この奇跡を行ってくださったのです。つまり、ここで分かることは、イエスさまというお方は、まさに全力を尽くして人々を喜び楽しませてくださる、そのようなお方なのだということです。

内容の詳細についても若干ふれておきたいと思います。その場所にはイエスさまの母が同席していたということが分かるように書かれています。もちろん、これはマリアです。ところが、です。実を申しますと、私自身は今回調べておりまして初めて知ったことなのですが、ヨハネによる福音書にはマリアの名前が一度も出てこないのです。「イエスの母」と書かれているだけです。その理由は分かりませんが、他の福音書とヨハネによる福音書の違いという問題を考えていく際に重要な点ではないかと思わされます。しかし、これはもちろん間違いなくマリアです。

そのマリアがイエスさまに「ぶどう酒がなくなりました」と言いました。しかし、このマリアの言葉には当然含みがあるわけです。わたしたちも言うではありませんか。「コピー用紙がなくなりました」とか「灯油がなくなりました」とか。そう言われると「だから何なんですか?」と、ぶっきらぼうに答えたくなる!マリアも同じです。「なくなりました」と言っているだけですが、当然のように続きがあるのです。

おそらくイエスさまもマリアの言葉に対して明らかに不愉快な思いを抱かれたのです。イエスさまは「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません」とお答えになりました。ぶっきらぼうな調子に訳せば「だから何なんですか?」です。「わたしの出る幕でしょうか?」です。「このわたしに、酒屋まで行ってぶどう酒を買って来いとでも言いたいのですか?」です。

イエスさまのお気持ちは、こともあろうに、母親に対して「婦人よ」と言っておられるところに顕著に表れています。皆さんの子どもさんが皆さんに「婦人よ」だなんてことを言おうものなら、うんと腹が立つことでしょう。「あなたの口から、そんなことを言われる筋合いはない!」とか何とか。

しかし、です。もう少し真面目な説明をいたしますと、ここでイエスさまが強く退けておられることは、救い主であるこのわたしが何かを行う場合には、誰から依頼されたからそうするとか、誰から命令されたからそうするというのではないということです。イエスさまが何かをなさるときは、あくまでも御自分の意志と決断において行うのであるということを表明しておられるのだということです。たとえそれが母マリアであろうとも、です。

わたしたちが受け入れるべき端的な事実は、イエス・キリストは母マリアの救い主でもあられるということです。母だから特別扱いであるというわけではないのです。そのような特別扱いを他の誰よりもイエスさま御自身が退けられたのです。

しかしイエスさまは、だからといって何もなさらなかったのかというと、決してそうではありませんでした。この点も重要です。イエスさまは、御自分の意志と決断において、全力を尽くして人助けをしてくださる、そういうお方なのです。

イエスさまがなさったこと、それは「召し使い」と呼ばれている宴会の給仕役の人々に、そこに置いてあった石の水がめに水を入れてくるように依頼することでした。その水がめについて「ユダヤ人が清めに用いる石の水がめ」とわざわざ詳しく説明されている意図は、それは汚れていない、きれいなものだったということを示すためであると考えられます。このことによって、たとえば、「この水がめの中には実は少量のぶどう酒が入っていたのである」とか、「古いぶどう酒がこびりついていたのである」というような勝手な解釈は完全に禁じられます。ここに書かれていることは、使いきったシャンプーのボトルの中に水を入れて振ればあと一回使える、というような話ではありえないのです!

そのときくまれてきたのは、正真正銘の普通の水でした。水がめの中には種も仕掛けもありませんでした。ところが、宴会の世話役がそれの味見をしたときに、「これはぶどう酒である」ということ、しかも「良いぶどう酒」であるということに気づいたのです。

そして世話役は花婿を呼んで言いました。「だれでも初めに良いぶどう酒を出し、酔いがまわったころに劣ったものを出す」。しかし、あなたはそれの正反対のことをした。それは素晴らしいことだと、絶賛したのです。そしてこの奇跡(しるし)を行ってくださることによって、「イエスがその栄光を現された」とヨハネは結論づけています。

しかし、ここでわたしたちは、ひとつのことに気づく必要があります。それは、イエスさまがなさったことは、たしかにそれによって御自身の栄光を現されたのですが、同時にそれが花婿の栄光になったのだということです。結婚式の主人公は花婿であり花嫁です。新郎新婦です。イエスさまではありません。もしその場が白けてしまったら、彼らの名誉が傷つけられてしまいます。あとで何を言われるか分かりません。何十年もその落ち度を語り継がれることさえありえます。その事態に陥らないように、イエスさまが彼らのことをこっそり助けてくださったのです!

この点は重要です。おそらくこのとき、ぶどう酒がなくなったことを知っていたのは、ごく少人数の主催者とマリアだけでした。イエスさまは、その宴会が危機的事態に陥っていることをお知りになったとき、誰も知らないうちに事態を打開され、喜びがいつまでも絶えないように、祝宴が滞りなく続行できるように、助け船を出してくださったのです。

このことはわたしたち教会も大いに学ぶべきです。わたしたちが人助けをする場合には、「わたしたちがやってあげた」というような恩着せがましい態度は、おくびにも出すべきではありません。助けたことの形跡を消すべきです。こっそりと助けるべきです。助けた相手自身の名誉と尊厳を守るべきです。

イエスさまというお方は、御自分のもっておられる特別な力を誇示することによって、人を恐怖に陥れ、御自分の前に人々を屈服させ、御自分の言うことを聞かせるというようなことには、おそらく興味すらありませんでした。そのようなことはイエスさまの本質に反することです。イエスさまのすべてのみわざの目的は人々に喜びをもたらしてくださること、窮地に追い込まれた人を助けること、人間の名誉と尊厳を守ることにあるのです。

まさにそのために「言が肉になった」、すなわち、神の御子が人間になってくださったのです。今日の個所は、そのように理解することができるのです。

(2009年2月22日、松戸小金原教会主日礼拝)

ファン・ルーラー研究会結成10周年記念メッセージにかえて

昨日(2月20日)はファン・ルーラー研究会の「結成10周年記念日」でした。そのようなおめでたい日にもかかわらず、夜遅くまで外出しておりましたので(青山学院大学で「カルヴァン生誕500年記念集会実行委員会」を行っておりました)、毎年恒例の「記念メッセージ」を日付が変わるまでの間に書くことができませんでした。どうかお許しください。

さて、このたび結成10周年の記念として、ファン・ルーラーの文章をひとつ翻訳しましたので、謹んでご紹介いたします。予定論の講義です。おそらく本邦初訳です。訳文を石原知弘先生(アペルドールン神学大学修士課程)にチェックしていただきました。石原先生に心より感謝いたします。

ファン・ルーラー研究会、これからも続けていきます。皆さま、どうかよろしくお願いいたします!

2009年2月21日

関口 康

2009年2月20日金曜日

「国際ファン・ルーラー学会」のフォトアルバムが公開されました

Ocunywhej47scnbm3603ks3kskxl01このたびオランダの新しい『ファン・ルーラー著作集』の出版社の特設サイトに、昨年12月10日(水)アムステルダム自由大学で行われた「国際ファン・ルーラー学会」(Internationaal Van Ruler-congres 2008)の様子を知らせるフォトアルバムが公開されました。私のスピーチしている写真も紹介されています。たいへん光栄に思いました。正直言って嬉しいです。



特設サイト
フォトアルバム
スピーチ冒頭の動画(You Tube)
スピーチ全体の音声
スピーチ全文
オランダ日報Nederlands Dagbladの記事



○ フォトアルバムの見方
「Album bekijken」(アルバムを見る)をクリックすると開くページに縮小サイズの各写真があります。各写真をクリックすると拡大します。



最もエキサイティングな思いをもって拝見したのは、最後のモルトマン先生(独)とファン・アッセルト先生(蘭)とロムバルト先生(南ア)とファン・ケーレン先生(蘭)が楽しそうに映っておられる写真です。まさに「国際会議」です。私の名前は紹介されていませんが(ここだけちょっと残念)、「groet uit Japan」(日本からの挨拶)と書いていただいています。もちろん十分満足しています。たった5分くらいのスピーチだったのですから。



明日は「ファン・ルーラー研究会結成10周年記念日」です。ほんのささやかなサプライズを計画しています。お楽しみに。



2009年2月19日木曜日

説教訓練におけるブログ活用の可能性

最近気になっていることは、私の説教のブログ「今週の説教」の「人気記事ランキング」です(同ブログの画面右の真ん中あたりにあります)。残念ながらこのランキング表示の仕組みがよく分かっていないのですが、表示されているのは当然、アクセス数のランキングでしょう。たとえば、本日時点の順位は、以下のようなものです(このランキングは常に変動しています)。



1位:「世の罪を取り除く神の小羊」
2位:「初めに神は天地を創造された」
3位:「わたしはどうしたら救われるのか」
4位:「人生は礼拝のために、礼拝は人生のために」
5位:「苦しみを乗り越える力、それがキリスト」
6位:「あなたの涙がぬぐわれる日」
7位:「死と葬儀―あなたを独りで死なせない―」
8位:「来なさい、そうすれば分かる」
9位:「あなたの人生の目標は何ですか」
10位:「親身になってあなたを思ってくれる人は誰ですか」



「こういうことが分かって、だから何なのですか」と問われると言葉につまってしまう私がいます。しかし、いろいろ考えさせられることはあります。学校や事業の成績はもちろん、テレビ番組の視聴率、映画の入場者数、音楽のCD売り上げやダウンロード数。まさにありとあらゆるものが「順位」で計られ、競争している時代です。あるいは、大学の教師たちの講義やゼミの内容、さらに宿題やテストの出し方に至るまでを学生たちから厳しく評価され、その克明な評価結果がインターネット上に公開されている時代です。牧師たちも少しくらいは「競争」の中に身を置くべきかもしれません。



ただし、「甘いねえ」と言われそうなことは、この「人気記事ランキング」で分かるのは他の牧師の説教との比較ではないということです。すべてが自分の手で書いた説教原稿なのですから、ある説教が他の説教に「負けた」(?)からといって「悔しい」という思いは起こりません。


しかし、なんというか、ランキングというのは、実にシビアで面白いものだなあと思います。なるほどたしかに、私なりに思い入れのある説教が「生き残って」います。


このような様子を見るかぎりではありますが、かつて直感したことが今や確信に変わりつつあります。それは牧師たちが自分の説教をブログで公開すること、そして「人気説教ランキング」を公開することは、きわめて実質的かつ効果的な「説教訓練」になるに違いないということです。


「説教の塾」に通っていない私ですが、塾長先生からの手厚いご指導をいただくことよりもはるかにシビアな審判をインターネットの世界においては期待できると思うのです。


コメント欄やトラックバック欄は最初から意図的に閉じているのですが、だからこそ、この「人気説教ランキング」が物を言います。ランキングを見ながら説教者が真剣に考えるべきことは、「なぜこの説教は読まれるが、他の説教は読まれないか」です。


原稿の出来不出来は、書いた人が最もよく分かっているはずです。しかしまた、説教者自身は「良い」と思って書きかつ語ったことが、それを読むないし聴く人々にとっては「良くない」と判断されることもありえます。そのことを「人気説教ランキング」から非常にシビアな仕方で教えてもらえるのです。


このことが分かるだけで、本当にただそれだけで、改善されていく説教もあるのではないかと思わされます。しかしもちろん評価できる点だけではなく、問題点もあるでしょう(私はまだほとんど問題を感じていませんが)。21世紀の説教学の教科書には、ぜひとも「説教のブログ公開」に関する一章を設けていただき、学的に検証していただきたいものです。


ちなみに私は、この「人気記事(説教)ランキング」を別のことに生かすことができないものかと密かに考えています。たとえば、ベスト10までにランキングされているものをきちんと校正したうえで印刷所に印刷・製本してもらい、絵の上手な方にきれいな表紙イラストを書いていただいて、『関口康説教パンフレット』(仮称)として、一冊300円とか400円くらいの値段(高い?)をつけて、インターネットで販売するとか、まあそんな感じのことです。


私は自分が書いたものを一冊の本にして売ったことがまだありませんので、不安ばかりが募りますが、そういうこともいつの日かやってみたいという気持ちがあることを正直に書いておきます。


2009年2月18日水曜日

人生の目的

ブログを一年以上も書いてくると、前に何を書いたかを忘れてしまいます。繰り返しになっていることがあるかもしれません。でも、それはたぶん恥じることではなくて、私が結局最後に言いたいことは何かが、自分の中でよりクリアに言葉化されていくプロセスなのでしょう。



ここに何万字書いても原稿料をもらえるわけではありませんが、ここには字数制限もないし、編集長の方針に合わせる必要もない(私自身が編集長であるという意味です)。読まれる当てもありませんが、ただの暇つぶしで書いていることでもなく、ある方(それは「あなた」です)に読んでいただける日を待ち望みながら書いているものでもあります。



私は何を言いたいのか。それがはっきりと分かるくらいならブログなど書きはしないわけですが、私は何を言おうとしているのかとintend toという感じのニュアンスが加わってくるのであれば、ちょっとくらいは見えているものがあります。ただ単なる「自分探し」のようなことをしているわけではないつもりです。もう少し対社会性を有したいと思う。しかし、自分自身で大した実地調査や時間をかけた取材をしているわけでもないのに、政治や社会の問題に直接コメントするような評論家然とした書きっぷりも、なるべく避けてきたつもりです。私が直接かかわっている事柄は、狭くて小さいものです。



ずっと考えてきたこと、というか意識的に目指してきたこと、しかしそれは「ブログで」目指してきたことというのではなく、大学に入学してからの「人生で」目指してきたことについては、少なくとも一つだけははっきりしています。これを前にここ(ブログ)に書いたかどうかを忘れたなあと、さっきから苦にしているわけです。もし一度でも書いたことがあってそれを忘れて同じことを繰り返し書いてしまったら悔しいなあと。一年分のすべてを読み返す時間はないし(その気力もない)。



まあしかし、繰り返して書いて悪いわけでもないので、よし、書きましょう。今やっとそういう気になりました。



「人生で」目指してきたことは、我々キリスト者にとっての「日曜日」を苦痛なものにしないために、「今日も教会の礼拝に出席することに意味があった」と思ってもらえるような説教ができるようになりたいという、このことだけです。あ、ついに書いてしまった。


「日曜日を迎えるのがツライ(なぜなら、またあの教会に行かねばならないから)」と感じているキリスト者は、今はどれくらいいるのでしょうか。トレンドは、教会とは「ぼらんたりいあそしえいしょん」なのだそうですから、教会なんて「出入り自由」だと思っている人は多いはず。自主的・自発的に行きたい気分のときに、行きたい教会に行けばよい。行きたくない教会には当然(naturally)行かない。行きたい教会を選んで行くか、行きたくなければ「行かなければいい」と思っているかのキリスト者は多いのではないでしょうか。逆に、ツライケド、ツラクテモ、また「あの教会」に行かねばならないと思っているキリスト者は、今では少なくなっているのかもしれません。


しかし、です。「え?教会は『出入り自由』なのですか、はあ、そうですか」と、怒っているというよりも、笑っちゃうほど、ただただあきれる気持ちになること、しばしばです。教会は「ぼらんたりいあそしえいしょん」などでは決してありません。その種のガクセツを熱心に提唱する学者たちは何か勘違いしておられるようです。


とはいえ・・・いや「だからこそ」です、苦痛で苦痛でたまらないのに、イヤでもオウでも、目をつぶり、鼻をつまみ、耳をふさいででも、日曜日の朝の数時間を「教会の礼拝」というあの独特の時空の中で過ごさせられなければならないという(やや拷問めいた)目に遭わされている人々への同情が全く無いわけではありません。


私の関心は、昔から「その人々の救済」にあります。その人々に少しでもハッピーな日曜日を過ごせるようになってほしい。「今日は意味ある(「意味ある」です)日曜日を過ごすことができた」と思ってもらえるような説教ができるようになりたい。


私が取り組んできたいわばすべてのことは、その中心的関心事の周りをただひたすら、ぐるぐるぐるぐる回り続けてきたのです。神学も、オランダ語も、他のあらゆることも。


ですから、私にとっては「神学」そのものも、また「オランダ(語)」そのものも、あらゆる取り組みや関わりも、単なる手段(means)にすぎず、通過点にすぎません。それ自体が目的(purpose)であると考えたことは一度すらありません(私のことを身近に感じてくださっている方々は、私がそういう人間であることをよく知っています)。


その意味で私は「神学者」というような者になりたいと思ったことは一度もないのです(なれるとも思っていませんが)。「説教者」とも「伝道者」とも、実はあまり呼ばれたくありません。では何と呼ばれたいのか。これがまた難しいのですが、いろいろありすぎて難しいわけではなく、適切な表現が見当たらないので難しい。


強いて言えば「教義学者」(≠「神学者」)と呼ばれる者になれるものならなってみたいのかもしれませんが、そんな大袈裟な感じのでもなくて、もう少し手前のところでいい。うまく日本語に訳せませんが、「カテキズム教師」くらいかなと思わなくもない。


「日曜学校教師」でもいいのですが、それを職業的に最高度に極めた形のものになりたいのかもしれない。日曜日に教会に来る人々に、キリスト教信仰の核心部分を「その喜びに至るまで」精密かつ分かりやすく解説できるようになりたい。その働きを通して、(日曜日を苦痛に思ってきた!)多くのキリスト者たちに、「今日は意味のある日曜日を過ごせた」と思ってもらえるようになりたい。まあ、とりあえず、そんなところです。


2009年2月15日日曜日

あなたはもっと偉大なことを見る


ヨハネによる福音書1・43~51

「その翌日、イエスは、ガリラヤへ行こうとしたときに、フィリポに出会って、『わたしに従いなさい』と言われた。フィリポは、アンデレとペトロの町、ベトサイダの出身であった。フィリポはナタナエルに出会って言った。『わたしたちは、モーセが律法に記し、預言者たちも書いている方に出会った。それはナザレの人で、ヨセフの子イエスだ。』するとナタナエルが、『ナザレから何か良いものが出るだろうか』と言ったので、フィリポは、『来て、見なさい』と言った。イエスは、ナタナエルが御自分の方へ来るのを見て、彼のことをこう言われた。『見なさい。まことのイスラエル人だ。この人には偽りがない。』ナタナエルが、『どうしてわたしを知っておられるのですか』と言うと、イエスは答えて、『わたしは、あなたがフィリポから話しかけられる前に、いちじくの木の下にいるのを見た』と言われた。ナタナエルは答えた。『ラビ、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です。』イエスは答えて言われた。『いちじくの木の下にあなたがいるのを見たと言ったので、信じるのか。もっと偉大なことをあなたは見ることになる。』更に言われた。『はっきり言っておく。天が開け、神の天使たちが人の子の上に昇り下りするのを、あなたがたは見ることになる。』」

今日の個所に記されていることは先週の個所と内容的に同じです。わたしたちの救い主イエス・キリストが弟子をお集めになっている場面です。

先週の個所で弟子になったのは三人です。ただし、一人の名前は分かりません。名前が紹介されているのはアンデレとシモンだけです。シモンについては、先週は触れることができませんでした。シモンはアンデレの兄です。先週の個所にアンデレがシモンをイエスさまのところに連れて行ったと記されています(42節)。そしてイエスさまはシモンに「岩」という意味のケファという名前を与えられました。この「ケファ」はアラム語です。このケファのギリシア語訳が「ペトロ」です。

このペトロこそ他の福音書ではいちばん最初に弟子になった人(一番弟子)として紹介されている人です。ところが、ヨハネによる福音書でペトロは、まるで弟アンデレよりも後に弟子になったかのように記されています。ヨハネによる福音書と他の三つの福音書との食い違いは他にもたくさんあります。どちらが歴史的事実に近いかは、わたしたちには判断できません。

今日の個所で弟子になるのは二人です。この人々の名前は紹介されています。フィリポとナタナエルです。書かれていることによりますと、まずフィリポが弟子になりました。そして、弟子になったフィリポがナタナエルを誘いました。その結果としてナタナエルが弟子になったのです。

今申し上げたことを聞いて、あることにお気づきになった方がおられるかもしれません。それは、先ほど申し上げました、シモン・ペトロが弟子になる次第とナタナエルが弟子になる次第とが似ているということです。共通しているのは、二人とも誰かに誘われて弟子になったように紹介されている点です。おそらくそれが歴史的な事実だったのでしょう。しかしまた、このことが歴史的事実であるかどうかというようなことよりももっと大事なことが語られているようにも思えます。

それは要するに、イエスさまの弟子になった人は他の人にイエスさまの弟子になるように勧める役割を担うのだということです。イエスさまの弟子になった人には新しい弟子を探しに行く仕事を与えられるのだということです。そのことが二回も繰り返して語られているのです!

実は、これこそがまさに「伝道」です。伝道とは、イエスさまの弟子になる人を探しに行く仕事です。見つかったら弟子の仲間に加わってほしいと誘うこと、弟子になるように勧めることが、彼らの仕事なのです。

会社のなかで営業の仕事をしておられる方がおられます。お客さんになってくれる人を探しに行くこと、見つかったらその人に熱心に商売すること、それが営業です。この営業と「伝道」は、明らかに似ています。全く同じとは言えないかもしれませんが、似ているとは言えるでしょう。

「いいえ、それは違います。伝道は商売ではありません。伝道と営業を一緒くたにしてもらっては困ります」と文句を言われることが時々あります。しかし、そういう言い方は営業の仕事をしておられる方々に失礼です。今は大学の教師たちが入学してくれる学生を探しに行く時代です。病院の医師たちが患者になってくれる人を探しに行くという話は、さすがに聞いたことはありません。しかし、病院の中の案内表示などに「患者様」という字を見かけることは多くなりました。ほとんど「お客様」と言いたそうに見えます。

教会がしていることは、会社や大学や病院がしていることとは違うと言わなければならないのでしょうか。そのように言いたい気持ちがわたしたちの心の中のどこかにあるかもしれません。しかし、もし違いを言わなければならないのだとしたら、わたしたちは次のように言わなければなりません。それは「教会がすることは、会社や大学や病院がすること以上でなければならない」ということです。「伝道は営業ではない」というのなら、伝道は営業以上のものでなければならない。イエスさまの弟子たちは、会社の営業担当者以上に熱心に、弟子探しをしなければならないのです。

今日の個所に書かれていること、そのなかでもイエスさまとフィリポ、またフィリポとナタナエル、そしてイエスさまとナタナエルとの間でそれぞれ交わされている会話の内容は、必ずしも分かりやすいものではありません。はっきり言いますと、ちんぷんかんぷん全く分かりませんと言いたいほどです。

イエスさまは、フィリポに「わたしに従いなさい」と言われました。このイエスさまの呼びかけに対するフィリポの答えは記されていませんが、おそらくすぐに従いました。

そのフィリポが次にしたことはナタナエルを誘うことでした。フィリポがナタナエルに言ったのは「わたしたちは、モーセが律法に記し、預言者たちも書いている方に出会った」ということでした。律法と預言者とは(旧約)聖書のことです。(旧約)聖書に預言されている救い主メシアと出会ったのだと言ったのです。

ところが、ナタナエルは、フィリポが「それはナザレの人で、ヨセフの子イエスだ」と言うのを聞いて「ナザレから何か良いものが出るだろうか」と言いました。この「ナザレから何か良いものが出るだろうか」という言葉は、当時のことわざのようなものだったかもしれないと考える人がいますが、明確な根拠はありません。間違いなく言えることは、ナタナエルは「ナザレ」を軽く見ていたのだということです。

その意味では、なるほどたしかに、人間としてのイエスさまは、地方出身者であったと言わなければなりません。名もなき村の大工の子どもでした。人も羨むような町の出身者であるわけではない。特別に際立った仕事や立場にある親の子どもでもない。その意味でのただの人、普通の人が、真の救い主メシアであると言われても、おいそれと信じることはできないと、ナタナエルは感じたのです。彼の気持ちは、よく分かるものです。

しかし、このナタナエルに対してフィリポが言った言葉が「来て、見なさい」でした。ここですぐに思い出してくださる方がおられるでしょう。それは、先週の個所に出てくるイエスさまの言葉、「来なさい。そうすれば分かる」(39節)です。イエスさまは「来れば分かる」と言われました。フィリポは「来て見なさい」と言いました。共通しているのは「来ること」が重要であるという点です。つまりここで分かることは、フィリポが言っている言葉は、イエスさまがおっしゃったことに似ているということです。

ただし、ほんのちょっとではありますが、イエスさまのお言葉とフィリポの言葉の間にはニュアンスの違いもあるということを指摘しておきます。それは次の点です。

イエスさまが「来なさい」とおっしゃる場合に求められていることは明らかに「イエスさまのところに行くこと」です。この点には疑いの余地はありません。しかし、フィリポが「来なさい」と語っている場合は、論理的に言えば「フィリポのところに行くこと」を意味することになります。なぜならフィリポは「イエスさまのところへ行きなさい」とは語っていないからです。「来なさい」と語っているのです。

この読み方は決して間違っていません。フィリポがナタナエルに求めたことは、明らかに「このわたしフィリポのいるところに来なさい」ということです。そしてもちろん同時に「イエス・キリストと共にいるこのわたしフィリポのいるところに来なさい」ということです。

そして先週の個所に記されていたことは、イエスさまにはフィリポが弟子になるよりも前に三人の弟子がいたということです。フィリポは四人目でした。つまりナタナエルが弟子になるよりも前に、イエスさまと合わせて五人の集まりがあったということです。それをわたしたちはほとんど「教会」と呼びたいところです。「たった五人しかいなかった」なのか「なんと五人もいた」なのかはともかくです。ナタナエルはその集まり(教会!)の六人目のメンバーになることをフィリポから勧められたのです。

ここでやっとその意味が分かってくるのは、繰り返し出てくる、なんだか気になる言葉です。それは29節と35節と43節に出てくる「その翌日」です。この言葉を字義どおりにとるならば、興味深い結論が見えてきます。イエスさまの教会が誕生してからナタナエルを加えて「六人の教会」になるまでの期間は、わずか二日間であったということです!

このスピードは速いというべきです。わたしたちの教会は二日で五人増えるでしょうか。五人増えるのに、いったい何年かかるのでしょうか。私はこのことをまるで他人事のように言っているのではなく、痛みと苦しみを感じながら申し上げています。しかし、否定的な思いからではなく肯定的な思いから、そして大きな希望をもって申し上げています。

私はどのような希望を持っているのでしょうか。それは、人々を弟子にしてくださるのはイエス・キリスト御自身であるという希望です。教会にできることは、「来て、見なさい」と呼びかけることだけです。わたしたちにできることを続けていくこと、それが、そしてそれだけが「伝道」です。「伝道」を諦めず、中断せず、放棄しないで続けていくなかで、奇跡が起こるのです!

実際問題として、ナタナエルはフィリポの弟子になったのではなく、イエスさまの弟子になったのです。シモン・ペトロもそうです。アンデレに誘われたからといってアンデレの弟子になったわけではありません。イエスさまの弟子になったのです。

ナタナエルがイエスさまを信じた理由は、イエスさまが「いちじくの木の下にあなたがいるのを見た」と言われた言葉を聞いたからでした。これが何を意味しているのかは全く分かりません。おそらくナタナエルは、自分のしたことをぴたりと言い当てたイエスさまに、何らかの特殊な能力、予知能力のようなものがあると感じたのです。今ならば超能力者とか霊能者とか呼ばれるような存在に見えたのです。だからイエスさまを信じたのです。

しかし、イエスさまはナタナエルに「もっと偉大なことをあなたは見ることになる」と言われました。イエスさまがお見せになろうとしたことは、オカルト的な超能力のようなものではありませんでした。人がそのような理由でイエスさまを信じるようになることを、むしろ激しくお嫌いになりました。キリスト教信仰はカルトでもオカルトでもないのです。

「もっと偉大なこと」とは何でしょうか。それはこれから見ていくことです。イエス・キリストは、十字架の上で「神の小羊」になってくださり、それによってわたしたちを罪の闇の中から救いの光のもとへと救い出してくださいました。わたしたちが救われること、それこそが「もっと偉大なこと」、最も偉大なこと、世界最大の奇跡なのです!

(2009年2月15日、松戸小金原教会主日礼拝)