2009年1月8日木曜日

「今週の説教」のブログとメールマガジンについて

ブログ「今週の説教」の説教は、現在245件です。今の松戸小金原教会に来て半年後の2004年9月から、説教のブログ掲載とメールマガジン配信を始めました(夕拝説教はあまり載せられていません)。



やり方は、東神大同級生の清弘剛生先生が大阪のぞみ教会時代にしておられたことを受け継いだというか、真似しました(ご本人の了解を得ました)。



清弘先生のメールマガジンはかなりの購読者数を得ておられたようですが、私のメールマガジンの購読者は礼拝出席者よりも少ないです。教会員の方々からは「耳で聞くだけでは分からなかったことがメールマガジンを読んで分かりました」と言っていただけることがあります。メールマガジンのほうはそれくらいの用途でしかありません。



でも、自分の説教をすべてブログにさらすこと(勝間和代氏の表現を借りれば「自分をグーグル化すること」)は、説教集を書店の本棚に並べて印税収入を得ているような人々とは違って一円の収入にもならないし、有料のブログシステム「ココログ」や独自ドメイン「reformed.jp」などを利用していますので持ち出すもののほうが多いのですが、「読みました」と言っていただける方々の数が多く、範囲が広いことを実感しています。



自慢するわけではありませんが、「今週の説教」という検索語でサーチしていただくとgoogleとyahooとMSNでは第1位から第3位くらいの間で私のブログに到達するようです。他の検索エンジンもそのうち調べてみたいです。



まあ、でも、うちの子どもたちも大きくなってきて、塾だの習い事だの出費が家計に重くのしかかるようになりましたので、持ち出しの多いことを続けていくのはそろそろ潮時かな、と感じています。ブログに「献金お願いします」の広告を出さねばならない日が来るかもしれません(わりと真剣な話です)。



ブログ掲載を始めようと思った理由は、いろいろありますが、いちばん単純な理由は、われわれの説教の「一回性」です。



我々の説教原稿は、どれだけ苦労して書いたものでもたった一回読むだけですべて用済みです。私は整理とか苦手なので、書類の山の中に埋もれ、そのうちゴミ箱行きです。そうなることが分かっているので、いっそ全部をブログに置いておけば、自分の整理にもなるし、誰かの役に立つものもあるかもしれないと思ったまでです。



これから牧師になる人たちに勧めたいことは、ぜひ私と同じようにしてほしいということです。人目にさらすつもりで原稿を書こうとすれば、「てにおは」レベルの言葉遣いにも真剣にならざるをえませんし、盗作・剽窃のたぐいなどもすぐにバレてしまいます。ただし、「多くの人に読んでもらおう」という思いでブログに書くと、閲覧者数の少なさにがっかりすることになるでしょうから、あくまでも自分の修行のためにする。



前にも書きましたが、「説教の塾」にお通いになって高名な大先生の指導を仰ぐ時間と元気があるくらいなら(そうなさることが悪いと言っているわけではありませんが)、自分の説教をブログでさらし、もっと多くの人々の講評(ないし審判)を仰いだらよいと本気で思っています。



説教のオーディエンスは、まさか「塾長」や「塾生」だけであるはずはなく、教会員だけでもなく、それよりもはるかに広い世界に生きている人々であるはずです。どんなことであれ、それに習熟することのためには、一度は狭いゲットーの中に閉じこもることも必要であることは認めますが、いつまでも(免許皆伝されてから何年たっても)同じところに閉じこもり続けるというのでは、基本姿勢としてどこか変です。



2009年1月6日火曜日

あけましておめでとうございます

あけましておめでとうございます!今年もよろしくお願いいたします。



多くの方々から年賀状をいただくことができました。返信まもなく届くと思いますのでご笑覧いただけますとうれしいです。



新年より、ヨハネによる福音書の連続講解説教を開始いたしました。さっそく昨日の説教をブログにアップしておきました。これもよろしければご一読くださいますようお願いいたします。



今週の説教
http://sermon.reformed.jp/



この謎に満ちた「第四福音書」の釈義に際して特に考慮していきたいと願っていることは、この書物における「グノーシス主義との対決」というモチーフです。この見方は聖書学に明るい方々にとっては御承知のとおり、C. K. バレット(英国ダラム大学名誉教授)著『ヨハネによる福音書注解』(C. K. Barrett, The Gospel according to St. John. An Introduction with Commentary and Notes on the Greek Text. The Westminster Press-Philadelphia, Second Edition, 1978.)から学びうることです。



「第四福音書」と「グノーシス主義」の関係についての現代神学における諸議論の流れの概略については、G. R. Beasley-Murray, John, Word Biblical Commentary 36, Word Books-Waco, Texas, 1987, p. lv-lviにまとめられています。



両者の密接な関係を前世紀において最も声を大にして語ったのは、ブルトマン学派です。彼らの見方には説得力があります。しかし、ブルトマン流の様式史的研究の線をおしすすめていくと、この福音書がまるでグノーシス主義のテキストであったかのようになってしまう。



それに対してバレットが主張したことは、両者のポジティヴな関係を認めつつも、「第四福音書」の著者ヨハネはグノーシス主義のヴォキャブラリを「キリスト教的に翻訳しなおして」用いただけであり、そうすることによってヨハネは「グノーシス主義が発した問いへの最も完全な答えを与えた」のであり、そのようにして「自分の武器を用いてグノーシス主義を打ち負かした」のだということです(C. K. Barrett, Idem, p. 134.)



「グノーシス主義との対決」、この件で私の念頭にあるのはファン・ルーラー神学の基本モチーフです!私にとってヨハネによる福音書との取り組みの意図は、神学的構造的にいえば、バレットとファン・ルーラーのコラボレーションから見えてくるパースペクティヴに立って「第四福音書」を読むときに現代社会に生きる人々に向かって語りうるメッセージは何かというあたりにあります。



まあしかし、ややこしく言えばこんな感じになりますが、説教そのものをことさらに難しくするつもりはなく、できるだけ平易にみんなが元気になれるような言葉を語っていきたいと願っています。



ファン・ルーラーの翻訳のほうもコツコツと続けております。そのうち公開できると思います。オランダ旅行記も続きを書かねばなりません。応援していただけますと幸いです。



2009年1月4日日曜日

初めに言(ことば)があった


ヨハネによる福音書1・1~5

「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。」

今日からヨハネによる福音書を学んでいくことにしました。この福音書は、全体で21章あります。全体を学ぶには、またかなりの時間がかかってしまうと思います。どうか最後まで(ひとりも欠けることなく!)お付き合いいただきたく願っております。

この書物を学びはじめることをお伝えしましたとき、教会のある方が「私にとって何度読んでも未だによく分からない福音書です」とメールでお知らせくださいました。だからこそこれからの学びを楽しみにしていますという旨、書き添えてくださいました。しかし、事実はその方のおっしゃるとおりです。なるほどたしかに、ヨハネによる福音書は、何度読んでもよく分からない書物です。学び続けていくためには、いくらか忍耐が求められるかもしれません。

ごく大雑把で常識的なことから申し上げておきます。新約聖書のなかに救い主イエス・キリストのご生涯を描きだす「福音書」と呼ばれる四つの書物があり、その四番目に位置づけられるのがヨハネによる福音書です(そのため「第四福音書」と呼ばれます)。時代的に見ても四つのうち最後に書かれたのがヨハネです。書かれた時期は西暦一世紀の終わり頃であるという見方が有力です。

他の三つはマタイによる福音書、マルコによる福音書、ルカによる福音書です。これらは性格的に似ているものです。似ていることには当然理由があります。今の聖書学者たちの見方によりますと、最初にマルコが書かれ、次にマタイ、三番目にルカが書かれました。しかも、最初のマルコはともかく、マタイはマルコを参考にしながら書き、さらにルカはマルコとマタイの両方を参考にしながら書いたのです。まるごと引き写しているところも少なくありません。このように互いに見比べ合いながら書かれたものが似ているのは当然です。この三つの福音書は、教会の長い歴史の中で「共観福音書」と呼ばれてきました。

それではヨハネによる福音書はどうでしょうか。四つのうちでいちばん最後に書かれたものが他の三つを参考にして書かれていることは当然というべきです。しかし、他の三つとは全く似ていないとは言えないにしても、かなり違いがあることは間違いありません。聖書学者が目をつけるところは、他の三つの福音書(共観福音書)とヨハネによる福音書(第四福音書)との違いの原因ないし理由は何かという点です。

これについてはいろんな人がいろんなことを言ってきました。それらを紹介することはできません。しかしその中で私にとっていちばん納得が行くというか腹にうまく納まるというか説明しやすいと感じてきましたのはヨハネによる福音書が書かれた時代の時代的な背景からの説明です。すなわち、西暦一世紀の終わり頃の教会が直面した厳しい現実とこの福音書との関係という点です。これについてもややこしいことはなるべく言わないでおきます。一つの点だけ。

ごく一般論的に考えていただきますとき、ある書物が書かれるとき、それを書く人にはその人自身の言いたいこと(著者自身の主張)があるということは、お分かりいただけるはずです。もちろん「福音書」とは、イエス・キリストの生涯を描きだす目的で書かれるものですので、著者の主張などは、本来はできるだけ後ろに引き下がったところにあるべきものなのです。実際たしかに、共観福音書の場合には著者自身の主張が出てくるようなところがあってもどこか遠慮がちであり、イエスさまの背中のうしろに隠れるような仕方で出てきます。しかしヨハネの場合はそれが前面に出てくる。遠慮なく出てくる。ここに違いがあると言えます。

そしてその違いの原因が、ヨハネによる福音書が書かれた時代的背景にあるという説明が私にとっては最も理解しやすいものです。西暦一世紀末、それはキリスト教会がまさに存亡の危機に直面していた時代です。この時期のキリスト教会はさまざまなグループに分かれ、その中に異端も発生して混乱の極みにあった。そのように考えていただいて間違いありません。その様相たるや、もしその時代の教会がさまざまな異端との戦いに敗北していたとしたら、その後の千九百年間のキリスト教の歴史は存在しなかったであろうと言われているほどです。

なかでも、この時代にはすでに流行の兆しを見せていた「グノーシス主義」との戦いは熾烈を極めたものでした。グノーシス主義については一度どこかできちんと説明しなければなりませんが、今日は簡単に済ませます。いちばん理解しやすいと思われるところだけ言いますと、それは要するに、この地上の人生を軽んじる立場です。グノーシス主義者は、「天国」だとか「天使」だとか、この地上の現実を超えた向こう側の事柄には強い関心や憧れを抱くのですが、地上の人生、世界の現実に対しては、ほとんど絶望に近いものを感じとったり、無関心を決め込んだり、それはもっぱら汚れたものであるゆえに憎むべきものでさえあると考えたりする。要するに、それ――地上の人生!――を軽んじていたのです。

もちろんある見方をすれば、「天国」や「天使」をもっぱら強調する人々こそが宗教的に熱心であったりしますので、そちらのほうが正しいのではないかと感じることがあるかもしれません。しかし、グノーシス主義はやはり、キリスト教会にとっては異端です。教会が重んじるべきことは、「天国」があり、「天使」がいるというようなことだけではありえないからです。「地上の世界」があり、そこに「人間」がいるということ、このことも教会は十分重んじなければならないのです。

もちろん、ヨハネによる福音書の歴史的な背景は、グノーシス主義との戦いということだけで説明できるものではありません。もっといろんな要素が複雑に絡み合っています。しかし、この要素――グノーシス主義との戦いという要素!――が確かにあったということは語りうることです。ややこしいことは分かりませんとお感じの方のために別の言葉を用意しておきます。それは、「この福音書の裏側には地上の人生を軽んじる人々との戦いという意図があります」ということです。

ただし、ここでもう一つだけややこしいことを申し上げなければ、この先に話を進めて行くことができません。今日明らかにされてきていることは、この福音書を書いたヨハネはグノーシス主義との戦いという意図ないし動機をもってこの書物を書きながら――実にややこしいことに!――そのことのためにグノーシス主義者たちが当時好んで用いていた言葉をあえて採用したのだということです。

どういうことかお分かりいただけますでしょうか。分かりにくい話を理解していただくためには譬えを用いるとよいのでしょうけれども、あまりうまい譬えが思いつきません。たとえば仏教の人々にわたしたちがキリスト教信仰を説明しようとする場合、わたしたちが普段用いているキリスト教用語を用いるのではなく、相手がいつも用いている仏教の言葉で説明するとどうなるかという問題を考えていただくとよいかもしれません。もちろん相手は仏教でなくても別の宗教でも構いません。あるいは「キリスト教」を名乗る異端(統一協会、エホバの証人、モルモン教など)の人々の場合を考えてもよいでしょう。

わたしたちが体験的に知っていることは、キリスト教信仰をキリスト教の用語で説明しようとしても相手が理解してくれない場合があるということです。相手の言葉を用いて語ること、わたしたちの教会の用語を異なる宗教や異なる立場の人々の用語へと“翻訳すること”によって初めて相手に伝わるものが生まれる場合があるのです。

ヨハネによる福音書を理解することの困難さの最も深い原因はおそらくそのあたりです。しかしそれは同時に、面白さでもあるはずです。共観福音書におけるイエス・キリストは、旧約聖書的な背景を持ちつつ、キリスト教会の言葉で描き出されたものです。しかしヨハネによる福音書は、まさにこの点が違うのです。この書物には、当時の異端の人々が好んで用いていた言葉が積極的に採用されているのです。しかし採用の意図はヨハネが異端に巻き込まれていたからではありません。事情は正反対です。ヨハネの意図は異端の人々を正しいキリスト教信仰へと招き入れるためでした。この点はものすごく力をこめて強調しておきたいことです。

今日は、うんと回りくどい話になりました。しかし、せめてこれくらいのことだけでもお話ししておかないかぎり、今日の個所を理解していただくことはできそうもないと思いました。今日の個所に記されているのは、共観福音書の場合にはイエス・キリストの御降誕の次第、つまり、わたしたちがクリスマスのたびに学ぶ、天使や博士や羊飼いが登場する、あの聖誕物語、あれと内容的に同じことです。ところがヨハネの場合は、全く異なる表現で書かれています。この違いは何なのかを理解していただくために今日のこれまでのすべての説明があったとお考えいただけると幸いです。

「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。」この「言」(ロゴス)とはイエス・キリストのことです!ヨハネの意図は次のように説明できます。「初め」とは天地創造よりも前です。3節に出てくる「万物は言によって成った」とあるのが天地創造の出来事です。それ(天地創造)より前の時点を指しているのが「初めに」です。天地創造より前にイエス・キリストがおられた。イエス・キリストは父なる神と共におられた。イエス・キリストは神御自身であった。


「万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。」ヨハネの意図をくみつつ大胆に言い換えますと、次のような感じになります。天地万物はイエス・キリストによって形づくられた。形あるものでイエス・キリストによらないものは何一つなかった。ヨハネが述べていることは、神の御子イエス・キリストは、父なる神と共に天地創造のみわざに関与しておられたということです。別の言い方をしておきます。この地上にあるすべてのもの、すべての人は天地創造に関与なさったイエス・キリストと無関係に存在しているわけではないということです!「わたしはイエス・キリストなど信じていませんので、そういうものとは一切関係ありません」と言っている人の人生にも、イエス・キリストは関わっておられるのです!「この国はキリスト教の国ではありません」と言っているような国や社会にも、イエス・キリストは関わっておられるのです!

「言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。」イエス・キリストのうちに人間を照らす光としての命があった。その光が暗闇の中に輝いている。しかしその暗闇は光を理解しなかった。この最後の「光と闇」の対比などは、これこそグノーシス主義者たちが好んで用いた言葉であると言われています。しかし、ヨハネの意図は、彼らとは全く異なります。ヨハネが語ろうとしていることは、天地万物の創造に関与してくださった神の御子イエス・キリストだけが光り輝いていて、地上の世界はひたすら暗黒であるということではありません。むしろ逆です。ヨハネはむしろ「暗闇の中で輝く光」としてのイエス・キリストの光がすでに世界を照らしはじめているのだと言っているのです。世界は全くの暗黒ではありえない。夜明けは来ている。希望のあさひは地上を照らしている。わたしたちの人生は輝いているのです!

(2008年1月4日、松戸小金原教会主日礼拝)

2009年1月1日木曜日

初めに神は天地を創造された


創世記1・1~5

「初めに、神は天地を創造された。地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。神は言われた。『光あれ。』こうして、光があった。神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け、光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第一の日である。」

あけましておめでとうございます!今日は新年礼拝です。昨年同様、日曜学校との合同礼拝として行っています。

今日開いていただきましたのは、旧約聖書のいちばん最初のページです。「初めに、神が天地を創造された」と書かれています。新しい年の初めにみんなで思い起こしたいことは、これです。この世界は神がお造りになったものであるということです。神がわたしたちのために最初に行ってくださったみわざは、この地上の世界をお造りになることであったということです。

この個所に書かれていますのは、この世界が神さまによって造られたときの最初の様子です。「地は混沌であった」とありますが、「混沌」という言葉を子どもたちは知らないと思います。説明するのがとても難しい言葉なのですが、ぐちゃぐちゃであるとか、乱れているとか、整っていないというような意味です。

しかしこれは、学校の教科書に書いてあるような、この地球ができたばかりの頃の様子を言っているのではありません。聖書に記されている、神が創造してくださった「天地」の意味は、この地球だけのことではないからです。ぐちゃぐちゃとか、乱れているとか、整っていないというのは神さまとの関係です。神さまがともかく最初に造ってくださったこの天地には、神さまがこの天地を支配してくださるために必要な、他の何もなかったということです。

そこに町や家などはもちろんありませんでした。テレビやゲームもありませんでした。だって人も住んでいなかったのですから。草も木も生えていませんでした。要するに何もなかったのです。あるのは空と土だけでした。そのような風景を想像してみてくださるとよいでしょう。

空と土しか見えない。そのような場所はこの地球上に今でもあります。私はそこに一度だけ行ったことがあります。それは砂漠です。この話は前にもしたことがありますので、覚えておられる方がおられるかもしれません。

しかし、残念なことに私はそこにバスで行きましたので、砂漠の真ん中にアスファルトの道路が見えました。ですから、完全な意味でそこに何もないと言える場所に行ったわけではありません。しかし、ほとんど何もない、そのような場所を見ることができました。文字どおり空と土だけ。まっすぐな地平線の上は鮮やかな青色の空、地平線の下は小麦色の砂。二色刷りの風景でした。

この日本に住んでいますと、そのような風景を見る機会がほとんどありません。地平線を見る機会さえめったにありません。あらゆるところに建物がたち、物があふれています。それらはみな、人間が作ったものです。ですから、この世界を神がお造りになったという話があまりピンと来ないと感じる人がおられても、無理もありません。

私自身がそうです。生まれたときから今に至るまで、そこに何もないという場所に立つことが、ほとんどありませんでした。今の子どもたちは、もっとそうでしょう。生まれたときからパソコンがあり、超高層ビルが立ち並び、スペースシャトルが飛んでいました。そのような時代に生まれた子どもたちに「何もない世界を想像してください」と言っても明らかに無理があります。

しかし、わたしたちは、それぞれの人生の中で、そこに何もない世界というものを全く想像することができないとは言い切れない、「あ、もしかしてこれがそうなのか」と感じることができる場面に遭遇することがあります。いくつか例を挙げてみたいと思います。

第一の例は、そこに立っていた家が無くなったというような場面を見るときです。

昨年末、牧師館の隣の家が取り壊されました。これから新しい家が建てられるようです。その家に以前住んでいた家族の中に、うちの長男の同級生の子どもがいました。その子は何年か前に、別の町に引っ越しました。長男にとってはこの町に引っ越してきたときに最初にできた友人でしたので、長男はずいぶん寂しい思いを味わいました。そしてついに家も壊されました。今は地面だけが見えています。

そこにあったもの、そこにいた人が、少しずつ少しずつ目の前から失われていく、そのような場面を見ました。大げさな言い方かもしれませんが、まるで時計が逆に回っているような感じさえしました。

第二の例は、子どもたちには難しいかもしれない話です。大人たちにも難しいかもしれません。しかし、今の70歳以上の方々にはピンと来るものがあるかもしれません。

それはたとえば戦争のようなことです。自分の住んでいた家や町が無くなってしまった。食べるもの飲むものにさえ困ってしまった。そのような経験をなさった方々がおられます。

また、勤めていた会社が倒産してしまったとか、一緒に暮らしていた大切な家族が亡くなってしまったというようなことです。

その日そのときまではそこに当たり前のようにあったもの、当然のように一緒に生きていた人が目の前から失われてしまう。そのようなことをわたしたちは実際に体験します。「子どもたちには難しいかもしれません」と言いましたが、子どもたちの中にもそのような体験をする子たちが現実にいます。

今日、私はなぜこのような話をしているのかと言いますと、もちろん理由があります。今の日本全体、世界全体を見渡すとき、会社が無くなったとか、お金や家が無くなったということで苦しんでいる人々、困っている人々が大勢いるということを思わずにはいられないからです。わたしたち自身も、決して楽な暮らしをしているわけではないでしょう。持っていたものが無くなってしまった。生活が行き詰ってしまった。すっかり絶望してしまった。生きる理由が無くなった。自分の命を絶ってしまった。そのような話を聞かない日はないほどです。

そういう話を聞くのも辛いことです。しかし、何もかも失って絶望した人々は、もっと辛い思いをしたことでしょう。もし何かわたしたちにできることがあるならば、どうにかしたいという思いがないわけではありませんが、何をどうしたらよいのか分からないでいます。そういうことを、まさに今、この話をしながら考えさせられています。

しかし、です。わたしたちが知っていることは、もう一つある。そう言いたい気持ちを抑えることができません。それが今日の御言葉であると言いたくなります。わたしたちは知っていること、それは、わたしたちの目の前にあるもの、形があって手で触れることができるもの、それらすべてのものが無くなってしまった、目の前から失われてしまった、そのときにも、それがわたしたちにとっての完全な絶望の理由ではないということです。

そこには空と砂しかない、まさに砂漠のようなところに立たざるをえなくなったときにも、わたしたちは絶望しないでいることができます。なぜなら、わたしたちは、その空と砂、天と地を、神というお方がお造りになったという“事実”を信じているからです!

わたしたちの神は、何もない世界の上にすべてのものを築き上げてくださった方です。まさにゼロからすべてを作り上げてくださった方です。その方がわたしたちと共に、今も、そして永遠に生きておられるのです。

「牧師さん、あなたはゼロからスタートしたことがないでしょう」と言われてしまうかもしれません。しかし、あまり説得力がない話かもしれませんが、私は私なりのゼロからのスタートを味わったことがあると思っています。

たとえば、今の私の書斎にはたくさんの本がありますが、25年前に高校を卒業して大学に入学したときには聖書一冊しか持っていませんでした。その頃のことを今でもはっきり覚えています。もちろん妻もいませんでしたし、子どもたちもいませんでした。

ついでに恥ずかしいことを言いますと、私の高校時代は成績が最悪の落ちこぼれでした。英語や数学のテストで0点をとったこともあります。先生たちから完全に見捨てられていました。

このように私は、まさに何も持っていない、また何も知らない、そのような者でした。しかし、今では多くのものを与えられています。もし私の持っているすべてが無くなってしまったらどうなってしまうのだろうかと時々考え込んでしまいます。とても寂しくなるでしょうし、絶望してしまいそうになるかもしれません。しかしまた、もしそのような日が来たら、私はもう一度、今日の聖書の御言葉を開いて、繰り返し噛みしめなければならないと思っています。

わたしたちの神は、たった一本の地平線を引くところから、この世界を始めてくださいました。そこに何もない世界を造ること。神さまが最初になさった仕事は、ただそれだけでした。神さまもゼロからスタートなさいました。しかし、その神がその何もない世界の上にすべてのものを生み出してくださったのです!

ゼロからの再スタートを余儀なくされた人々を、神さまは決してお見捨てになりません。すべてをお造りになった神御自身が、すべてを失った人にもう一度(いいえ何度でも!)豊かな恵みを与えてくださいます。そのことをぜひ信じていただきたいのです。

今日の話も子どもたちには難しかったかもしれないことをあやまります。ごめんなさい。

日曜学校の皆さんに覚えてほしいことは、「どんなことがあっても大丈夫だからね!神さまがみんなを守ってくださるからね!今年一年もがんばろう!」ということです。

(2009年1月1日、松戸小金原教会新年礼拝)


2008年12月28日日曜日

あなたがたの必要をキリストが満たしてくださる


フィリピの信徒への手紙4・15~23

「フィリピの人たち、あなたがたも知っているとおり、わたしが福音の宣教の初めにマケドニア州を出たとき、もののやり取りでわたしの働きに参加した教会はあなたがたのほかに一つもありませんでした。また、テサロニケにいたときにも、あなたがたはわたしの窮乏を救おうとして、何度も物を送ってくれました。贈り物を当てにして言うわけではありません。むしろ、あなたがたの益となる豊かな実を望んでいるのです。わたしはあらゆるものを受けており、豊かになっています。そちらからの贈り物をエパフロディトから受け取って満ち足りています。それは香ばしい香りであり、神が喜んで受けてくださるいけにえです。わたしの神は、御自分の栄光の富に応じて、キリスト・イエスによって、あなたがたに必要なものをすべて満たしてくださいます。わたしたちの父である神に、栄光が世々限りなくありますように、アーメン。キリスト・イエスによって結ばれているすべての聖なる者たちに、よろしく伝えてください。わたしと一緒にいる兄弟たちも、あなたがたによろしくと言っています。すべての聖なる者たちから、特に皇帝の家の人たちからよろしくとのことです。主イエス・キリストの恵みが、あなたがたの霊と共にあるように。」

フィリピの信徒への手紙を、今年9月初めから半年にわたって学んできました。今日は最後の個所を学びます。この個所にパウロが書いていることも、基本的には先週の個所と同じようなことです。フィリピの教会の人々がパウロの伝道活動を経済的ないし金銭的に支援してくれたことに対する感謝の言葉です。

この件に関してパウロは大きなスペースを割いています。新共同訳聖書の中でこの手紙は6ページとちょっとあります。そのうちほぼ1ページ分がこのことのために割かれています(4・10~20、2・25~30)。つまりこの手紙の6分の1が献金への感謝の言葉なのです。

フィリピの信徒への手紙は「喜びの手紙」と呼ばれてきました。喜びという言葉が繰り返し出てくるからです。しかし私は、この手紙の中には喜びについてだけではなく苦しみや悲しみや涙についても書かれているということに皆さんの注意を促してきたつもりです。キリスト教信仰の肯定的・積極的な要素だけではなく、否定的・消極的な要素についても多く書かれていました。この手紙には「苦しみの手紙」とか「涙の手紙」とも呼ばなければならない面もあると申し上げてきました。

そしてこの手紙にはパウロを助けてくれた教会への「感謝」の言葉もたくさん書かれています。しかも、その感謝はフィリピの教会の人々がパウロと苦しみを共にしてくれたことへの感謝です。それはまさしく苦しみへの感謝、涙への感謝です。

このことを見ながら私が考えさせられることは、やはりどうしてもわたしたちの教会の現実です。松戸小金原教会だけのことにはしたくありません。日本キリスト改革派教会のこと、そして日本のキリスト教会全体のことを考えさせられるのです。

松戸小金原教会は昨年と今年の二年間、「主の日の礼拝を楽しみ、日々、生き生きと過ごそう」という標語を掲げてきました。そして目標聖句は「主を喜び祝うことこそ、あなたたちの力の源である」(ネヘミヤ記8・10)というものでした。この標語と目標聖句を提案したのは私です。キリスト教信仰における喜びや楽しみの要素を強調したいと願ったからです。そのことは皆さんに十分に理解していただいたと感じています。

しかしまた、二年間の歩みの中で同時に感じてきたことを一言で表現するとしたら、教会の伝道が思うように進まないということでした。喜んでばかりはいられないと感じさせられてきたのです。

この点については何一つ開き直って言うべきことではないことはよく分かっています。しかし一つだけ申し上げておきたいのは、伝道が思うように進んでいないのはわたしたち松戸小金原教会だけのことではないということです。日本の教会全体が苦しんでいます。ある先生の言葉をお借りすると、今の日本の教会の伝道は「惨憺たる有様」です。それが日本の教会全体の共通認識です。

なぜそのような状態なのかについてはいろんな分析もなされています。しかし今日それをお話しすることは控えます。何となく言い訳がましくなってしまうからです。

そのことよりもむしろ今日お話ししたいのは、「惨憺たる有様」であると指摘されている今の日本の教会の現実を直視しつつ、これからなおしばらくの間、わたしたち自身が、一つの重大な覚悟ないし決意を持つことが必要であるということです。それは、わたしたち一人一人が伝道の困難なこの時代の中にあって、キリストのため、教会のため、伝道のために苦しむことを引き受けることへの覚悟ないし決意です。

ここでぜひ思い起こしていただきたいのは、次の言葉です。「あなたがたには、キリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむことも、恵みとして与えられているのです」(フィリピ1・29)。パウロはこの言葉を「一つの霊によってしっかり立ち、心を合わせて福音の信仰のために共に戦っており、どんなことがあっても、反対者たちに脅されてたじろぐことはない」と信じることができたフィリピ教会の人々への励ましの言葉として書いています。

パウロの時代の教会も、右肩上がりに成長していたわけではありません。伝道の伸び悩みに関してはわたしたちが感じているのと同じような、あるいはわたしたち以上の苦しみがパウロの時代の教会にありました。そしてパウロの認識のなかには、教会の伝道が思うように進まない原因の少なくとも一つとして、教会の外側には「反対者たち」がいるという点がありました。そのことを無視できないのです。

しかし、です。パウロは、教会の外側で伝道を妨げている人々のことを強く非難したりその人々の責任を問うたりするようなことには、ほとんど言及しません。むしろパウロは、どんなに反対されても妨げられても救い主イエス・キリストへの信仰を持ち続け、教会にとどまり続けている人々を励ますことにひたすら集中するのです。それがパウロの信仰の特質であると言えるかもしれません。伝道が思うように進まないことを教会の外側にいるどこかのだれかのせいにして問題を片づけるのではなく、「キリストのために苦しむことは神から与えられた恵みなのだ」という言葉をもって、教会の人々を力づけるのです。

日本の教会の場合、伝道が進まない理由を日本古来の宗教のせいにしたり、今の日本の政治のせいにしたり、今の時代風潮のせいにしたりすることは、ある意味でいとも簡単なことです。そうだと言ってしまえば誰も反対できないでしょう。しかしわたしたちの意識をそこに持って行くのではなく、別のところに持って行く。しかしまた、ただ自分自身を責め続けるだけでも意味がないでしょう。今こそわたしたちが考えるべきことは何なのかということを、私はこの手紙を読みながらいろいろと考えさせられてきました。

その中で注目させられたことがあります。それは、パウロが、キリスト者に与えられる恵みとしての苦しみの中に、教会とその伝道を支えることに伴う苦しみという点を加えていることです。もっとはっきり言っておきます。4・14に書かれているとおり、パウロは、このわたしのためにたくさんの贈り物や献金をしてくれているあなたがたは「よくわたしと苦しみを共にしてくれました」と言って、自分の生活を切り詰めてまで教会とその伝道を支援してくれている人々を激励しています。

もちろんパウロは「物欲しさにこう言っているのではありません」(4・11)とも書き、また今日の個所では「贈り物を当てにして言うわけではありません」(4・17)とも書いています。明らかに、変な詮索をされることを嫌がっています。しかしパウロは、この点では非常に現実主義者です。物やお金の問題で人がどれほど苦しみを味わうかを熟知しています。この問題についてパウロは無頓着ではありません。なぜなら、他ならぬパウロ自身が、伝道旅行の最中、そのようなことで苦しみ抜く経験をしたからです。

ここから痛烈に考えさせられることがあります。それは、教会の伝道が思うように進まないのは、教会の活動に参加することそのものに大きな苦しみが伴うからでもあるからではないかということです。不況の中で厳しい生活を強いられている人々がいます。その人々が「教会に参加することによって今以上の負担を負うことになるのは勘弁してほしい」と言いたくなる気持ちを持つことを誰が否定できるでしょうか。この点についてわたしたちがあまりにも無頓着であることはできないだろうと思っています。

今日の個所の最初のところでパウロは、フィリピの教会の人々への感謝の言葉を述べています。「わたしが福音の宣教の初めにマケドニア州を出たとき、もののやり取りでわたしの働きに参加した教会はあなたがたのほかに一つもありませんでした。」これが事実であるとしたら、パウロにとっては厳しいことであったに違いありません。はっきり分かることは、当時のキリスト教会の中にはパウロの伝道を助けようとする人々と、助けたくないと考える人々とがいたということです。

これはパウロのフィリピ伝道が第二回伝道旅行の中で行われたことと関係しているのではないかと思われます。第二回伝道旅行はエルサレムの使徒会議(使徒言行録15章)の直後に行われました。使徒会議では「人が救われるためにもはや割礼を受ける必要はない」と主張したパウロたちと「割礼を受ける必要がある」と主張した人々が激突しました。パウロの言葉や行いを信用しない。そう考えた人々は、彼のことを助けようとしなかったのです。

しかし、そこから先はパウロの性格にも関係していると思われます。パウロという人は、自分を支持してくれる人が少ないから、物やお金の面で助けてくれる教会が少ないから、伝道旅行自体を取りやめるというようなことは、おそらく考えもしなかったのです。何は無くとも出かけなければならない。イエス・キリストの福音によって救われるべき人々がこの世界にいるかぎり。そのような覚悟と決意とをもって出かけていったのです。無謀と言えば無謀、危険と言えばこれ以上の危険はないほどの旅行であったと言えるでしょう。

ところが、なんと幸いなことに、パウロにとっては旅先で出会っただけであるような人々が彼の伝道を支えてくれることになりました。それがフィリピの人々でした。

そのフィリピ教会の人々に対してパウロは、もしかしたら誤解を生むかもしれない言葉を書いています。「むしろ、あなたがたの益となる豊かな実を望んでいるのです」(17節)。何が「あなたがたの益となる豊かな実」なのでしょうか。はっきりしていると思います。あなたがたフィリピ教会の人々がささげてくれている献金そのものが、あなたがた自身にとっての利益であり、豊かな実りなのだと言っているのです。

ここで考えなければならないことは、伝道旅行中のパウロが伝道している相手は、どう考えてもフィリピの町に住んでいる人々ではなかったということです。その意味は、彼らが献金した分だけフィリピ教会の会員が増えるというような事情にあったわけではないということです。パウロが言っていることは、明らかにもっと広く大きなことです。世界に広がるキリストの体なる教会全体の成長と発展という大目標のために貢献することこそが、あなたがた自身の利益なのだということです。

急に身近な話をします。わたしたちの教会の会計報告をご覧いただきますと、かなりの部分が日本キリスト改革派教会の大会や中会、また神学校のためにささげるものであるとお分かりいただけるはずです。私は松戸小金原教会の牧師でもあると同時に大会や中会の議員でもある者として、その面からも皆さんに感謝を述べなければなりません。そして、パウロと共に、「わたしの神は、御自分の栄光の富に応じて、キリスト・イエスによって、あなたがたに必要なものをすべて満たしてくださいます」(19節)という言葉で、皆さんを激励しなければなりません。

今日この2009年の最初の礼拝において私が最後に申し上げたいことは、「どうかみんなで苦しみましょう」ということです。キリストのため、教会のため、伝道のために苦しみ抜いた人を、わたしたちの神は、決してお見捨てにならないからです!

(2008年12月28日、松戸小金原教会主日礼拝)








2008年12月24日水曜日

天に宝を積むために


ルカによる福音書18・18~30

「ある議員がイエスに、『善い先生、何をすれば永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか』と尋ねた。イエスは言われた。『なぜわたしを「善い」と言うのか。神おひとりのほかに、善い者はだれもいない。「姦淫するな、殺すな、盗むな、偽証するな、父母を敬え」という掟をあなたは知っているはずだ。』すると、議員は、『そういうことはみな、子供の時から守ってきました』と言った。これを聞いて、イエスは言われた。『あなたに欠けているものがまだ一つある。持っている物をすべて売り払い、貧しい人々に分けてやりなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。』しかし、その人はこれを聞いて非常に悲しんだ。大変な金持ちだったからである。イエスは、議員が非常に悲しむのを見て、言われた。『財産のある者が神の国に入るのは、なんと難しいことか。金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。』これを聞いた人々が、『それでは、だれが救われるのだろうか』と言うと、イエスは、『人間にはできないことも、神にはできる』と言われた。するとペトロが、『このとおり、わたしたちは自分の物を捨ててあなたに従って参りました』と言った。イエスは言われた。『はっきり言っておく。神の国のために、家、妻、兄弟、両親、子供を捨てた者はだれでも、この世ではその何倍もの報いを受け、後の世では永遠の命を受ける。』」

クリスマスおめでとうございます。今夜お話ししますことは、クリスマスとは直接的には関係ないことかもしれません。しかしこの機会に聴いておいていただきたいことです。それは、聖書の中で「永遠の命」と呼ばれているものをわたしたちが手に入れるためにはどうしたらよいのかという問題です。

「永遠の命」と聞いてもピンと来ない方もおられるかもしれません。聖書には、これと同じ意味の「天国に入る」とか「神の国に入る」という言葉もあります。こちらのほうが分かりやすい方は、同じことを言っているとお考えいただいて構いません。聖書において「永遠の命」とは、永遠に生きておられる神との関係が永遠に切れないで生きていくことができる天国の生活です。永遠に生きておられる神と共に、永遠に生きていくことです。

その「永遠の命」をどうしたら手に入れることができるのでしょうかと、イエスさまに質問した人がいました。名前は出てきませんが、若い男の人でした。この人は「議員」でした。簡単に言えば、子供の頃からいろんな勉強を一生懸命にがんばってみんなから尊敬されるようになり、この国を代表するにふさわしい人物と認められた、そういう人でした。

その人がなぜイエスさまにこんな質問をしたのかという理由については、何も記されていません。しかし、だいたい想像はつきます。わたしはこれまで一生懸命がんばってきた。社会的に尊敬される、道徳的に落ち度のない生き方を貫いてきた。だから最高法院の議員になることができた。しかしまだ一つ足りないものがある。それが「永遠の命」である。わたしはこの先どんなに頑張ってもいつか死ぬ。死んでしまったら、頑張ったことが全部無駄になる。そんなのは嫌だ。わたしは死にたくない。

おそらくこんな感じのことをこの人は考えたのです。そしてイエスさまに質問しました。「何をすれば永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか。」するとイエスさまは次のようにお答えになりました。「あなたに欠けているものがまだ一つある。持っている物をすべて売り払い、貧しい人々に分けてやりなさい。そうすれば、天に宝を積むことになる。」

イエスさまの答えを聞いたこの人は「非常に悲しんだ」と聖書に書かれています。非常に驚き、がっかりしました。なぜかと言えば、この人は「大変な金持ちだったから」です。皆さんの中にも悲しんだり驚いたりがっかりしたりした方がおられるかしれません。無理もないことです。なぜならこのときイエスさまが、この答えがこの人を悲しませ、驚かせ、がっかりさせるものであるということを初めから分かっておられながら、あえてこのようにおっしゃっているということは、どう考えても明らかだからです。

この人が何を感じたのかについてもだいたい想像がつきます。冗談じゃない。私の財産は、私が頑張ってきたことの証しではないか。それを売り払ってしまったら、「欠けているものが一つある」どころか何もない状態になってしまうではないか。人から軽んじられるばかりの惨めな生活を送らなければならなくなる。そんなのは嫌だし、理不尽だ。

ルカによる福音書には書かれていませんが、マタイによる福音書とマルコによる福音書には、この人は「悲しみながら立ち去った」と書かれています。この人がイエスさまの前から立ち去ったことの意味は、「持っている物をすべて売り払い、貧しい人々に分けてやりなさい」というイエスさまの勧めを受け入れず、事実上拒否したということです。貧しさの中で苦しんでいる人々がいることを知りながら、自分の財産を失うことによって自分の地位が維持できなくなることを恐れたのです。たとえ自分が貧しくなってでも困っている人を助けようというような気持ちまでは持つことができなかったのです。

イエスさまがこの人の嫌がるようなことを言っておられるのは明らかに試しておられるのです。テストの結果、彼は立ち去りました。これではっきりしました。この人のように自分のことしか考えない、貧しさに苦しんでいる人がどうなろうと関係ないと思っている人は「永遠の命」を受け継ぐことができないのです。天国に入ることができないのです。

誤解を避けるために別の言い方もしておきます。最初に申し上げましたとおり、聖書の中で「永遠の命を受け継ぐこと」と「天国に入ること」あるいは「神の国に入ること」とは同じ意味です。そこから考えてみていただきたいことは、「天国」とはどのような人々の集まるところであり、また「天国」とはどのような仕組みになっているところなのだろうかということです。

わたしたちもやがて天国に行くでしょう。そのとき、そこには自分のことしか考えない人ばかり集まっていると分かったらどうでしょうか。あるいはまた天国にも貧富の差がある。そして貧しい人の入るところと豊かな人が入るところとが違うようにできているとしたらどうでしょうか。天国にもVIPルームがある。そこに入れる特別な人と、入れない普通の人がいる。あるいは、エグゼクティヴクラスの座席とエコノミークラスの座席がある。そのようなところに行きたいと思うでしょうか。私は嫌です。

イエスさまが問題にしておられるのは、いわばそのようなことです。「そもそも天国とはどのようなところなのか」です。天国には貧富の差はないのです。全員同じなのです。

「一生懸命頑張って稼いだ人も、怠けた人も、天国では同じ待遇であるということか。それなら、怠けた人のほうが得ではないか。頑張った人のほうは馬鹿を見るではないか」と言われてしまうかもしれませんが、そういうのは問題のすり替えというのです。

イエスさまが問題にしておられることは、豊かな人々が貧しい人々を助けようとしないことです。強い人々が弱い人々を担おうとしないことです。わたしたちが生きているこの世界、社会全体が良くなっていくことを望まず、強い個人だけが生き残る。そのような状態を是認し、温存し続けることです。それは「天国」ではなく、むしろ「地獄」なのです。

今夜は日曜学校の子どもたちも大勢参加してくれています。ちょっと難しい話だったと思いますので最後は分かりやすい言葉で言います。

できれば皆さんは将来がんばってぜひお金持ちになってほしいと願っています。そうなることが悪いと言っているわけではありません。でも、そのお金は、ただ自分のためだけに使うのではないようにしてください。自分以外の人のため、とくに困っている人のために、せっせと使ってください。遠慮なく全部使い切ってください。自分のためには一円も残してはいけません。

でも、大丈夫です。困っている人を助けるために全部を使い果たした人のことを神さまは放っておかれません。神さまが必ず助けてくださいます。そのことをぜひ信じてください。

毎日のごはんやおやつを食べたり飲んだりしてはならないという意味ではありません。食べなければ飲まなければ死んでしまいます。そういう意味ではなく、自分の持っているものにしがみつくのではなく、自分の働きやお金が世のため・人のために役立っているということを喜び楽しんでくださいということです。それが「天に宝を積むこと」なのです。

父なる神さまは、独り子イエスさまをお与えくださったほどにこの世を愛してくださいました。それがクリスマスの出来事です。そして、イエスさまはわたしたちを救ってくださるために十字架の上で御自身の命をすべて使い切ってくださいました。そのイエスさまを父なる神さまがよみがえらせてくださいました。そのことをわたしたちはイースターのとき学びます。イエスさまのご生涯は、どうしたら「天に宝を積むこと」ができるのかをわたしたちに教えてくれる模範です。

イエスさまのように生きること、あるいは全く同じでなくてもイエスさまの真似をして生きること、それが「天に宝を積むこと」なのです。

(2008年12月24日、松戸小金原教会クリスマスイヴ礼拝)

2008年12月21日日曜日

苦しみを乗り越える力、それがキリスト


フィリピの信徒への手紙4・10~14、ルカによる福音書2・15~20

「さて、あなたがたがわたしへの心遣いを、ついにまた表わしてくれたことを、わたしは主において非常に喜びました。今までは思いはあっても、それを表す機会がなかったのでしょう。物欲しさにこう言っているのではありません。わたしは、自分の置かれた境遇に満足することを習い覚えたのです。貧しく暮らすすべも、豊かに暮らすすべも知っています。満腹していても、空腹であっても、物が有り余っていても不足していても、いついかなる場合にも対処する秘訣を授かっています。わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です。それにしても、あなたがたは、よくわたしと苦しみを共にしてくれました。」(フィリピ4・10~14)

「天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、『さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか』と話し合った。そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。」(ルカ2・15~20)

クリスマスおめでとうございます。先週の日曜学校クリスマス礼拝・祝会に引き続き、今日もクリスマス礼拝・祝会を行います。神の恵みを豊かに味わい、楽しく過ごしたいと願っております。

今年のアドベントは、フィリピの信徒への手紙とルカによる福音書を同時に学んできました。とくにフィリピの信徒への手紙については、パウロがそろそろこの手紙を終わりにしようとしている個所を学んできました。

今日の個所に書かれていることは、伝道旅行中のパウロを経済的ないし金銭的に支えてくれたフィリピ教会の人々への感謝の言葉です。以前学びましたとおり、フィリピ教会の人々は、旅先で物資が尽きてしまい苦しんでいたパウロの状況を知ったので、教会の中で献金を集め、また必要な物を集めて、それらすべてをエパフロディトという男性に託しました。エパフロディトはその大きな荷物を抱えて、パウロのもとまで長い旅をしたのです。ところが、エパフロディトはその旅の最中にひん死の病気にかかりました。彼自身も非常に大きな苦しみを味わったわけです。しかし彼はとにかく自分自身に託された使命を全うし、預かったものすべてをパウロに届けることができました。

このことをパウロはフィリピ教会の人々への感謝の言葉として今日の個所に書いているのです。いやそれどころか、客観的に眺めてみますと、実はこの手紙全体が、パウロからすれば自分の生活を支えてくれたフィリピ教会の人々への感謝を表すために書かれたものであると見ることも可能なほどです。実際にそのように主張する聖書学者もいます。その主張とは、パウロがこのフィリピの信徒への手紙を書いた目的は、教会の人々がささげてくれた「献金」に対する感謝を述べるためであったというものです。

私はなぜこのような話をしているかについては説明が必要でしょう。わたしたちが毎年行っているクリスマス礼拝がいつも一年の終わりの時期に行われることは意義深いことであると感じます。クリスマス礼拝においてわたしたちが思い巡らすべきことは、神の御子イエス・キリストが来てくださったことの意味であり、その恵みの豊かさです。神が独り子をお与えくださったほどに世を愛された、その愛の大きさです。クリスマスと言えば巷では「プレゼントをもらう日」ということになっていますが、そのすべてが悪いということはありません。しかし、ただもらうだけで終わるなら、ちょっと悪いかもしれません。プレゼントをもらった人は、くれた人に対して感謝しなければなりません。クリスマスは「プレゼントをもらったことへの感謝を述べる日」でもなくてはならないのです。

教会の牧師たちは、クリスマスだけではなく、まさに一年中、教会の皆さんから生活を支えていただいています。教会の皆さんのプレゼントによって牧師の生活が支えられています。そのことについて牧師がクリスマスのときだけ感謝を述べるというのでは足りないとは思いますが、こういうことはなかなか口にする機会がないものです。感謝が足りていないとしたら、どうかお許しください。この場をお借りしてお礼を申し上げます。いつも助けていただき、本当にありがとうございます!

この個所でパウロは自分の働きのために献金してくれたフィリピ教会の人々に対して、読み方によっては何となく奇妙な感じに響いてしまうような言葉を書いています。「今までは思いはあっても、それを表す機会がなかったのでしょう。物欲しさにこう言っているのではありません。わたしは、自分の置かれた境遇に満足することを習い覚えたのです」と。

何となく奇妙な感じと言いますのは、このように書いているパウロがまるで、わたしは別にあなたがたの献金を当てにしているわけではありませんとでも言っているかのようだという点です。献金が少なければ少ないなりに何とかしますので、どうぞご心配なくと。おやおやパウロ先生、教会の人々にしっかり助けてもらっていながらこのような言い方をするのは、教会の人々に対して失礼ではないかと感じなくもありません。

しかし、牧師の仕事をしている者たちからすれば(その中には私も含まれるわけですが)、パウロがこのように書いていることの意味はよく分かるものです。やや俗っぽい言い方かもしれませんが、「わたしたち(牧師たち)は、お金のためにこの仕事をしているわけではない」という自覚と自負を持っているからです。パウロは「物欲しさにこう言っているのではありません」と書いています。今の牧師たちなら「格好をつけてこう言っているのではありません」と書くかもしれません。無ければ無いなりに何とかする。このような考え方を全く持っていないような牧師には、この仕事を続けていくことは不可能です。

パウロは続けて「貧しく暮らすすべも、豊かに暮らすすべも知っています」と書いています。「満腹していても、空腹であっても、物が有り余っていても、不足していても、いついかなる場合にも対処する秘訣を知っています」と。もちろんこのことが今のわたしたち牧師たち全員に当てはまることかどうかは分かりません。しかし、私自身が本当に幸せであると感じてきたことは、牧師の仕事をするということは、まさにパウロが書いているとおり、実にさまざまな状況を体験することができるということであり、神から与えられた人生の中でいろんな変化やいろんな苦しみを味わうことができ、しかしまた同時に、その苦しみを乗り越える「すべ」もしくは「秘訣」を身につけ、強くなっていくことができるということです。

私の長男は、1994年のクリスマス礼拝の次の日に生れました。翌年のクリスマスは同じ場所で迎えましたが、その翌年のクリスマスは、私が次に働くことになった教会で迎えました。さらにその翌年のクリスマスは神戸改革派神学校で迎えました。その翌年は山梨県でクリスマスを祝いました。そのとき子どもは二人に増えていました。長男は4歳になるまで、ほぼ毎年違う場所でクリスマスと自分の誕生日を迎えました。親の都合で引きずり回されているという感覚を、幼心に抱いていたかもしれません。本人に聞きますと「何も覚えてないよ」と言ってくれますが、私自身は申し訳ないことをしたという気持ちを未だに持っています。

しかし、そのような大きな変化の中で子どもたちも妻も、そして私も非常に鍛えられてきたと感じています。とくに長男はその町に友達ができたと思ったらまた引っ越しという体験をまだ十分に物心がつかないうちに、何度も繰り返させてしまいました。そのことを本人は「覚えていない」と言うのですが、友達を大切にする人間になってくれたと思っています。長女のことも言わないと不公平なので言いますが、長女も同じです。妻のことは本人に聞いてください。

わたしたち牧師たちとその家族は、自分が仕えている教会に生活を支えてもらうことによって、まさにいろんな人生を体験することができます。今の日本の牧師たちが豊かさを体験するということはあまりないかもしれませんが、それでももっと大きな苦しさの中にある人々のことを考えるならば、わたしたちなりの豊かさを体験もし、しかしまた厳しい生活も体験する。体験できるのです。そしてそうしているうちに、実にさまざまな、ありとあらゆる状況のなかで生きていくことができる「すべ」または「秘訣」を身につけることができます。これらのことは、願ってもなかなか得ることができない貴重な体験であり、まさに神の恵みであると信じることができるものなのです。

そして、そこからさらに、パウロの言葉を借りれば「習い覚える」、つまり「レッスンを受ける」ことができるのは、次のようなことです。

すなわち、わたしたちは、まさにこの世界全体の中に生きている人々が体験しているいろんな苦しみを理解することができます。その人々の悩みや叫び、また愚痴のようなものに共感することができます。しかしまた、そのような人々がどうしたら喜びや幸せを見出すことができ、感謝の人生を始めることができるのかについて自分たち自身の体験に基づく言葉を語ることができます。「牧師たちは世間知らずである」とは言われたくありません。「苦しみも涙も知っているよ」と言いたいです。「それでもどっこい生きているよ」と言いたいです。わたしをも強めてくださる方、わたしたちの救い主イエス・キリストのお陰で、わたしにもすべてが可能ですとパウロと共に言いたいです。本当に、真実に、そのように語ることができるのです。

イエス・キリストがお生まれになった夜に天使がベツレヘムの羊飼いに語ったことは、「救い主」が「布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子」であることが「あなたがたへのしるし」であるということでした。この天使の言葉の趣旨はどう考えてもやはり「あなたがた貧しい人々へのしるし」であるということです。通常、豊かな人の子どもが飼い葉桶の中に寝かされることはありえないからです。貧しさの中で苦しんでいる人々のところに救い主が来てくださった。救い主は貧しい姿をしておられる。天使の言葉はそのように理解することが可能です。

逆に考えてみて、満ち満ちた豊かさを持った人が「わたしが救い主です」と言いながら登場するとしたらどんなふうだろうかと思わされます。たとえば、自分に与えられた権力を思いのままに振い、贅沢三昧の暮らしをしていたローマ皇帝が、あるいは当時のユダヤの王たちが「わたしが救い主です」と言っている姿は、彼らの暴力的支配のもとで苦しみを味わわされていた人々からすれば、何とも滑稽に見えたでしょうし、怒りや憎しみさえ覚えたでしょう。「わたしたちはあなたに救ってもらいたくはない。あなたから救われたい」と願ったことでしょう。ベツレヘムの羊飼いたちの前で起こった出来事を理解するために、今申し上げた点は重要であると思います。

クリスマスは贅沢三昧にふるまってよい日ではありません。正反対です!貧しさの中で苦しんでいる人々を助けてくださるために、救い主イエス・キリストが、御自身も貧しい姿をとって来てくださったことを感謝する日です。わたしたちの救いはお金に代えがたいものであることを知る日です。わたしたちがたとえどのような状況にあっても、救い主がそのような方であることを信じることができるときに絶望することがないと信じる日です。

今の世界的な経済不況の中で絶望している人は、どうか私の言葉に耳を傾けてください。

あなたの人生は、まだ終わっていません!

キリストがあなたを救ってくださる。そのことを信じていただきたいのです。

(2008年12月21日、松戸小金原教会クリスマス礼拝)

2008年12月14日日曜日

平和の神はあなたがたと共におられます


フィリピの信徒への手紙4・8~9、ルカによる福音書2・13~14

「終わりに、兄弟たち、すべて真実なこと、すべて気高いこと、すべて正しいこと、すべて清いこと、すべて愛すべきこと、すべて名誉なことを、また、徳や称賛に値することがあれば、それを心に留めなさい。わたしから学んだこと、受けたこと、わたしについて聞いたこと、見たことを実行しなさい。そうすれば、平和の神はあなたがたと共におられます。」(フィリピ4・8~9)

「すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。『いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。』」(ルカ2・13~14)

「終わりに」と書いてパウロは、今度こそ手紙を締めくくろうとしています。もちろん実際にはまだ終わりません。なお続きがあります。しかしそれでもパウロの気持ちの中では、とにかくこのあたりでそろそろ終わろうとしたのです。

手紙にせよ、論文のようなものにせよ、最後に書くのは、たいていの場合は、これまで書いてきたことのまとめであり、結論です。わたしは要するに何が言いたいのか、です。そのようなことをパウロは、ここにまとめているのです。

「すべて」の真実なこと、気高いこと、正しいこと、清いこと、愛すべきこと、名誉なことを心に留めなさいとパウロは書いています。また、「徳や称賛に値すること」もそうだと言っています。

ここにパウロが数え上げているのは、いわゆるギリシア的な美徳です。旧約聖書的な、ヘブライズム的な美徳ではありません。ヘレニズム的な美徳です。別の言い方をすれば、これらのことは、必ずしも聖書に書かれていない、聖書とは別の要素です。ユダヤ人が、イスラエルの民が、長年語り継いできたこと、信じてきたこととは別の要素です。もっと別の言い方をすれば、あるいは事柄をはっきりさせる言い方をするとしたら、異教的要素です。教会の伝統とは異なる要素です。教会の外にあるものです。

それらのこと「すべて」を心に留めなさいとパウロはフィリピ教会の人々に勧めているのです。もちろん心に留めるということには、それらを大事にすること、重んじることが含まれています。「はい分かりました、覚えておきます」というだけでは済みません。無視したり、軽んじたりすることの反対です。軽蔑したり、泥を塗ったりすることの反対です。

ですから、パウロが書いていることの趣旨をくみとりながら大胆に翻訳し直すとしたら、「教会の皆さん、あなたがたは教会の外側にあるすべてのものをきちんと重んじなさい」です。馬鹿にしてはいけません。「くだらない」と言って見くだしたり、「そんなのは異教的なものだからわたしたちとは関係ない」と言って切り捨てたりしてはいけませんということです。

このように言うことにおいて、パウロは、教会の人々に不信仰を勧めているとか、無理難題を吹っかけているわけでは、もちろんありません。彼は至極当たり前のことを言っているだけです。すべてのキリスト者は「教会の内側」だけで生きていないからです。言葉の正しい意味で「教会の外側」においても生きているからです。

牧師だってそうです。牧師の家族もそうです。もし牧師や牧師の家族が教会の内側だけで生きているとしたら、そして教会の内側だけでしか通用しない言葉ばかりを語っているとしたら、伝道は不可能です。伝道とは、教会の外側にいる人々に語りかけることだからです。それは教会の内側にいる者たちが固い砦に引きこもることの正反対です。外に出て行かなければ、外の人々と触れあわなければ、伝道は不可能なのです。

しかもその場合問題になることは、外に出て行き、外の人々と触れ合って、そのとき何をするかです。けんか腰で出て行き、啖呵を切って「あなたがたのしてきたこと、考えてきたことはすべて間違っている。わたしたちが持っているもの、教会の中にあるものだけが正しいものである。だから、ここに、教会にどうぞおいでなさい」と大声で叫び続けることが伝道でしょうか。そのように言われて教会に通い始める人が何人いるでしょうか。多くの人々は、ただ反発を感じるだけでしょう。「もう二度と教会には足を踏み入れません。決して近づきません」と、多くの人が心に誓うでしょう。

パウロが勧めているのは、そのような行き方の正反対です。もちろんパウロ自身も伝道者としての歩みの中で、何度となく失敗や挫折を繰り返してきました。けんか腰の態度や相手を傷つけるやり方もしました。しかしそれでは伝道が進まない。福音が前進しない。そのことにも気づかされてきたに違いないのです。

もちろん、次のような意見が必ず出てくることも私は知っています。「朱に交われば赤くなる。ミイラ取りはミイラになる。不信仰な人々の異教的なやり方に近づきすぎると、我々の確信が鈍り、教会の進むべき方向を間違ってしまう。守るべきものを守りぬくために、頑丈な砦が必要である。そのようなものがないかぎり、我々はあっという間にすべてのものを失ってしまう」。そうだと言われれば、そうなのかもしれません。全く間違っているとも言い切れません。しかし、それでもやはり私はそのあたりでとても慎重な気持ちにならざるをえません。

私は自分がとても弱い信仰の持ち主であると自覚しております。だからこそ、私のこの信仰をしっかりと守ってくれる頑丈な砦があればよいのにという強い憧れを持っています。それは喉から手が出るほど求めてきたことでもあります。しかしその願いは、少なくとも私にとっては未だに叶っていません。未だに叶っていないのですが、しかしまた、それが未だに叶っていないということ自体に意義を見出している面もあります。もし本当にそのような固くて頑丈な砦が手に入ってしまい、その中だけで生きて行くことができるようになり、その砦の外側には一歩も出ないで済むようになったとしたら、果して私はどのような人間になってしまうのだろうかということに不安を抱く面もあるからです。

かつてのヨーロッパはたしかにそのような時期を何世紀も過ごしました。国民のすべてが洗礼を受けている。キリスト教信仰が国民の常識である。そのような中に一度でいいから私も生きてみたいという憧れや願いが、私のなかに確かにあります。しかしまた、その憧れや願いは、私にとっては今の現実から逃げ出したくなる誘惑のようなもの、あるいは大きな落とし穴、危険な罠のようなものに近いと感じられるのです。

パウロがその中にいた現実は、どちらかというと、かつてのヨーロッパが体験した状況のほうではありません。むしろ今のわたしたち日本のキリスト者たちが置かれている状況のほうに近いものがありました。周りを見渡しても、キリスト者はきわめて少数である。文字どおり一握りの人しかいない。いつもさびしい思いを味わっている。理解してくれる人は少なく、むしろ危険視されたり異端視されたりするばかり。

しかし、そのような中であっても、あるいはそのような中であるからこそ、パウロは、教会の内側にあるものだけでなく、教会の外側にある「すべてのもの」も心に留めなさい。それらのものを十分に重んじなさいと勧めていることは、やはり特筆すべき点です。それは教会の中だけで自己完結してはならないという勧めでもあるでしょう。あるいは教会の外なる世界ないし社会との接点を持ち続けなければならないという命令でもあるでしょう。

自分たちの要塞の中にあるものだけが真実であり、気高く、正しく、清いものであり、愛すべきものであり、名誉なものであり、それ以外のすべてはそのようなものではありえないというような絶対的で排他的で独善的な確信を持つことを慎むべきであるという戒めでもあるでしょう。

もし我々がそのような確信を持ってしまうならば、なるほどたしかに、我々の存在は、外側から見ればとんでもなく鼻もちならないものに映るでしょう。また、もし我々がそのような要塞の中に立てこもってしまうならば、自分たち自身はこの上ない安心を得て満足できるかもしれませんが、外側から見ると我々の存在は、どこかしら自信のない、ひ弱な人間のように映るでしょう。

教会の外側の社会ないし世界の中にあるすべての善きものを心に留め、大切にすべきであるという教えには、この個所でパウロ自身がそのことに直接触れているわけではありませんが、間違いなく重要な信仰的・神学的な根拠があります。それは、わたしたちの神は全世界を創造された方であるという点です。

わたしたちの神は、教会だけを創造されたのではなく、世界を創造されました。信仰をもって生きている者たちだけを創造されたのではなく、いまだ信仰に至っていない人々も、神が創造されました。教会の中に生きている者たちは神によって創造されたが、それ以外の人々は悪魔によって創造されたというような事情には全くありません。そのような思想は異端的なものです。創造者なる神への信仰は、わたしたちが教会の外側にあるすべてのものに目を向けるべき明確な根拠を提供しているのです。

パウロは次のように続けています。「わたしから学んだこと、受けたこと、わたしについて聞いたこと、見たことを実行しなさい。そうすれば、平和の神はあなたがたと共におられます」。

ここで勧められていることは「教えられたことを実行すること」です。理解はできても行動に移せないことの反対です。自分の砦、自分の要塞の中に立てこもってしまい、外側には一歩も出ることができないことの反対です。

大切なことは、言われているとおりに実際にやってみることです。自分の砦の外に出て行くとき、まるで丸腰で戦場に出ていくかのような不安や恐怖心を感じるかもしれません。しかし、そのときわたしたちを神御自身が守ってくださる。そのことを確信し、またそのことに安心すべきなのです。「平和の神」とは「わたしたちを平安で満たしてくださる神」また「安心させていただける神」なのです。

今日はもう一個所の御言葉を読みました。ルカによる福音書です。わたしたちの救い主イエス・キリストがお生まれになった日に、ベツレヘムの羊飼いたちに主の御使が語った言葉です。「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ」。

ここにもまた「平和」という言葉が出てきます。神の御子イエス・キリストがこの地上に来てくださいました。それは、この地上の世界に平和をもたらすためでした。ただし、御使が語っているように、その平和は「御心」すなわち「神の御心」に適う人々のところにもたらされるのです。

今日私がお話ししたことは、次のように誤解されたくはありません。教会も社会も同じであるとか、社会の人々に嫌われないように教会は敷居を低くすべきであるとか、教会か社会かそのどちらかを選ばなければならないような場面がもしあるとしたら、迷わず社会のほうを選ぶべきであるとか、そのようなことを言おうとしているわけではありません。申し上げている重要な点は、ただ一つ、わたしたちが伝道する相手は教会の外側にいるということです。教会の外側に出て行かないかぎり神の救いを必要としている人々に出会うことはありえないということだけです。

パウロはこの手紙の中にすでに書いていました。「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました」。

このようにパウロが書いていることこそが、クリスマスの出来事の本質です。イエス・キリストもまた御自身の砦の中に引きこもられなかったのです。そこから出てきて、地上の人々を救う働きに就いてくださった!それがクリスマスの出来事なのです。

(2008年12月14日、松戸小金原教会主日礼拝)