2009年1月8日木曜日

「今週の説教」のブログとメールマガジンについて

ブログ「今週の説教」の説教は、現在245件です。今の松戸小金原教会に来て半年後の2004年9月から、説教のブログ掲載とメールマガジン配信を始めました(夕拝説教はあまり載せられていません)。



やり方は、東神大同級生の清弘剛生先生が大阪のぞみ教会時代にしておられたことを受け継いだというか、真似しました(ご本人の了解を得ました)。



清弘先生のメールマガジンはかなりの購読者数を得ておられたようですが、私のメールマガジンの購読者は礼拝出席者よりも少ないです。教会員の方々からは「耳で聞くだけでは分からなかったことがメールマガジンを読んで分かりました」と言っていただけることがあります。メールマガジンのほうはそれくらいの用途でしかありません。



でも、自分の説教をすべてブログにさらすこと(勝間和代氏の表現を借りれば「自分をグーグル化すること」)は、説教集を書店の本棚に並べて印税収入を得ているような人々とは違って一円の収入にもならないし、有料のブログシステム「ココログ」や独自ドメイン「reformed.jp」などを利用していますので持ち出すもののほうが多いのですが、「読みました」と言っていただける方々の数が多く、範囲が広いことを実感しています。



自慢するわけではありませんが、「今週の説教」という検索語でサーチしていただくとgoogleとyahooとMSNでは第1位から第3位くらいの間で私のブログに到達するようです。他の検索エンジンもそのうち調べてみたいです。



まあ、でも、うちの子どもたちも大きくなってきて、塾だの習い事だの出費が家計に重くのしかかるようになりましたので、持ち出しの多いことを続けていくのはそろそろ潮時かな、と感じています。ブログに「献金お願いします」の広告を出さねばならない日が来るかもしれません(わりと真剣な話です)。



ブログ掲載を始めようと思った理由は、いろいろありますが、いちばん単純な理由は、われわれの説教の「一回性」です。



我々の説教原稿は、どれだけ苦労して書いたものでもたった一回読むだけですべて用済みです。私は整理とか苦手なので、書類の山の中に埋もれ、そのうちゴミ箱行きです。そうなることが分かっているので、いっそ全部をブログに置いておけば、自分の整理にもなるし、誰かの役に立つものもあるかもしれないと思ったまでです。



これから牧師になる人たちに勧めたいことは、ぜひ私と同じようにしてほしいということです。人目にさらすつもりで原稿を書こうとすれば、「てにおは」レベルの言葉遣いにも真剣にならざるをえませんし、盗作・剽窃のたぐいなどもすぐにバレてしまいます。ただし、「多くの人に読んでもらおう」という思いでブログに書くと、閲覧者数の少なさにがっかりすることになるでしょうから、あくまでも自分の修行のためにする。



前にも書きましたが、「説教の塾」にお通いになって高名な大先生の指導を仰ぐ時間と元気があるくらいなら(そうなさることが悪いと言っているわけではありませんが)、自分の説教をブログでさらし、もっと多くの人々の講評(ないし審判)を仰いだらよいと本気で思っています。



説教のオーディエンスは、まさか「塾長」や「塾生」だけであるはずはなく、教会員だけでもなく、それよりもはるかに広い世界に生きている人々であるはずです。どんなことであれ、それに習熟することのためには、一度は狭いゲットーの中に閉じこもることも必要であることは認めますが、いつまでも(免許皆伝されてから何年たっても)同じところに閉じこもり続けるというのでは、基本姿勢としてどこか変です。