2008年4月6日日曜日
試練に遭いながら
使徒言行録20・17~24
使徒言行録の今日の個所に紹介されていますのは、使徒パウロが行った演説です。これを「パウロの説教」と呼ぶことは難しいと思います。性格としてはきわめて個人的なものです。個人的な挨拶です。
事実、これはパウロから教会の人々に対する別れの挨拶でした。牧師たちは、ある教会から他の教会へと転任するとき、また自分の辞職や引退などの際に別れの挨拶をします。しかし、この演説は、ただ単なる転任や辞職や引退の挨拶ではありません。語られていることは、まさにお別れです。自分の死を予見し・自覚し・覚悟した、地上に生きるすべてのキリスト者に対する別れの挨拶。それがこの演説の趣旨です。
自分の死を覚悟している人の言葉は、とても重いものです。パウロも重い言葉を語っています。この演説は使徒言行録の中ではきわめて重要な意味を持つものであり、有名でもあり、多くの人々に愛されてきたものでもあります。そのため私はこれを、今日と来週の二回に分けて解説していくことにします。
「パウロはミレトスからエフェソに人をやって、教会の長老たちを呼び寄せた。長老たちが集まって来たとき、パウロはこう話した。」
この別れの挨拶をパウロは、エフェソの教会の長老たちに向かって語りました。パウロがエフェソで体験した出来事の概略は、使徒言行録19章に記されています。内容を詳しく繰り返すことはやめておきます。一つだけ申し上げておきたいことは、エフェソにおいてパウロは大胆に御言葉を語ることができ、それによって多くの人々が信仰の道に入ったことです。エフェソの多くの人々は、パウロの語る言葉に対して聞く耳を持たない人々ではなく、聞く耳を持った人々だったのです。
「『アジア州に来た最初の日以来、わたしがあなたがたと共にどのように過ごしてきたかは、よくご存じです。すなわち、自分を全く取るに足りない者と思い、涙を流しながら、また、ユダヤ人の数々の陰謀によってこの身にふりかかってきた試練に遭いながらも、主にお仕えしてきました。』」
エフェソのキリスト者たちは、パウロの言葉に対して聞く耳を持った人々であっただけではありませんでした。言葉だけではなくパウロの生きざまをよく知っていました。それを彼らは関心をもって見守って来ました。19節には三つの点がそれぞれ短い言葉で述べられています。
事実、伝道者たちに問われることは、彼らの語る言葉だけではありません。生きざまも必ず問われるのです。強いて言うならば、言葉と行いの一致、あるいは信仰と生活の一致という点が問われるのです。
この演説の最初に、パウロの伝道者としての生きざまがどのようなものであったかを、彼自身が語っています。
第一は「自分を取るに足りない者と思い」です。ただしこれは原典から説明される必要があるところです。「取るに足りない者」と訳されている言葉は、より原意に即して訳せば「温厚な者」とか「柔和な者」となります。しかし、わたしたちは通常、日本語で自分を指して「私は温厚な者です」とか「柔和な者です」とは言わないと思います。だから翻訳するのが難しいわけです。
ここで温厚ないし柔和という場合に問題になっていることは、神と人間との前での姿勢ないし態度です。それが温厚ないし柔和であるとは、ちょうど羊が飼い主に対して従順であるのと同じことです。つまり、重要な問題は神と人間に対する従順な態度です。そして従順であるとは、相手を自分よりも上に立つ者とみなし、かつ自分は相手の下に立つ者とみなすということです。
ですから、現在の訳を生かしながら言葉を補って訳すとしたら、「神と人間の前で自分を取るに足りない者と思い」です。そしてその意味は「神と人間の前で、自分を最も小さな者とみなし、相手に対して従順に生きるべき者と思い」ということです。
第二は「涙を流しながら」です。これは文字どおりの涙です。わたしたちの目から出てくるものです。涙とは、いずれにせよ感情的なものです。キリスト教信仰には、感情的な要素があふれています。わたしたちは涙を流してもよいのです。感情的要素を無理に抑え込み、理性的に冷静にふるまうことこそがキリスト教的な態度であるというような考えがあるとしたら、それは間違いなのです。
「パウロ先生はすぐ怒る」と、私はこれまで繰り返し語ってきました。パウロは感情の起伏が激しい人であったと思われてなりません。瞬間湯沸かし器のように腹をたて、感情をむき出しにして闘うようなところがありました。涙には、悔し涙もあれば嬉し涙もあります。心や体の痛みに耐えられなくて流す涙もあれば、この世の不条理や悪の暴力的支配に憤る涙もあります。救いの喜びをあらわす涙もあります。パウロは「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい」(ローマの信徒への手紙12・15)と教えています。パウロ自身がまさにそのような生きざまを示していたからに違いありません。
第三は「試練に遭いながらも主にお仕えしてきました」です。「試練」とはテストです。試されることです。何を試されるのでしょうか。パウロの場合はおもに、伝道者としての資格と自覚が試されたのだと思われます。果してわたしは本当に伝道者としてふさわしい者なのだろうかという点が試されたのだと思われます。
パウロは「試練」を「ユダヤ人の数々の陰謀」と結びつけています。激しいまでの抵抗勢力がパウロの行く手を執拗に阻んできたのです。こちらで築いた山をあちらで崩される。この正しい信仰をまさに命がけで宣べ伝え、それを受け入れた人々が信仰生活を始めることができた。ところがその信仰を奪い去り、信仰生活をやめさせようとする力が働いている。その中で実際に信仰を棄てる人々もあらわれる。
伝道とは、いたちごっこの一種です。その中で伝道者たちは、空しさや失望を必ず体験します。そして、もしかしたらわたしは伝道者にふさわしくないかもしれない、この仕事を今すぐ辞めなければならないのかもしれないという思いにさらされることがあるのです。
それこそがまさに「試練」です。試練の主語は「神」御自身です。そのテストは神御自身が企画され、計画されたものなのです。そして伝道者たちは、そのテストを受け、合格しなければなりません。また、狭い意味での伝道者だけではなく、すべての信仰者たちが、そのテストを受けなければならないのです。
「役に立つことは一つ残らず、公衆の面前でも方々の家でも、あなたがたに伝え、また教えてきました。神に対する悔い改めと、わたしたちの主イエスに対する信仰とを、ユダヤ人にもギリシア人にも力強く証ししてきたのです。」
20節において語られていることは一つのことです。パウロは「役に立つこと」を多くの人々に教えてきました。この場合の「役に立つこと」の意味は、わたしたちの“救い”にとって、あるいは、わたしたちの“信仰生活”にとって役に立つことです。そしてそれは同時に、わたしたちの“人生”にとって役に立つことでもあります。救いと信仰は、人生そのものと切り離すことができないものだからです。
その内容をパウロは二つに分けています。第一は「神に対する悔い改め」、そして第二は「わたしたちの主イエス(・キリスト)に対する信仰です。悔い改めと信仰の二つです。この順序も重要であると思います。
悔い改めとは“罪の”悔い改めです。悔い改めとは、このわたしは神の御前で罪深い人間であると自覚し、告白しつつ、その罪を二度と犯すまいと決心し、約束することです。しかし、実際の人間は、何度悔い改めてもまた罪を犯してしまいます。「しなければならないことをせず、してはならないことをする」、これこそがわたしたちの姿です。
このことを認めることは、開き直ることではありません。悔い改めによって「わたしはイエス・キリストにおける神の救いが必要な人間である」と強く自覚しつつ、真の信仰に至ることが重要なのです。救い主イエス・キリストを信じるとき、わたしたちのすべての罪は赦されます。キリスト者の人生は、神によって罪赦されて生きる人生なのです。
このことをパウロは「一つ残らず」教えました。この点は先週お話ししました「パウロの説教は長々としたものであった」という点と関連づけて理解できることかもしれません。キリスト教は10分や20分ですべてを語りつくせるようなものではないということです。24時間語り続けても、すべてを語りつくせるわけではありえません。神学校で学んでも、そこで教えることができるほどの知識を得ても、知っていることはほんのわずかです。
キリスト教信仰を「一つ残らず」学びつくすには、まさに文字どおりの“一生”かかるのです。本を2、3冊読んで「キリスト教が分かりました」と言える人はいないのです。
そしてパウロはこれを「公衆の面前でも方々の家でも」、また「ユダヤ人にもギリシア人にも」教えました。「公衆の面前でも」という点は誤解を生みやすい表現かもしれません。パウロが述べている意味は“街頭”ないし“路傍”で説教することではありません。当時でいえばユダヤ教の“会堂”で説教することが「公衆の面前で」教えることを意味していました。
この点は、今日のわたしたちにも本来当てはまることであり、また当てはめるべきことです。わたしたちの教会の“会堂”は、特定の人々が占有してもよいプライベートな空間ではありません。「ユダヤ人」であろうと「ギリシア人」であろうと、だれでも気兼ねなく立ち入ることができる、まさにすべての人が神の言葉を聞くことができる、その意味での公の(パブリックな)空間であり、かつそうあるべきなのです。
そして、それに対して、むしろできるだけプライベートな空間であるべき場所は「方々の家」のほうです。公(パブリック)にも私(プライベート)にも、すなわち、会堂でも各家庭でも、パウロは神の御言葉を大胆に宣べ伝えたのです。
「そして今、わたしは、“霊”に促されてエルサレムに行きます。そこでどんなことがこの身に起こるか、何も分かりません。ただ、投獄と苦難とがわたしを待ち受けているということだけは、聖霊がどこの町でもはっきり告げてくださっています。しかし、自分の決められた道を走りとおし、また、主イエスからいただいた、神の恵みの福音を力強く証しするという任務を果たすことができさえすれば、この命すら決して惜しいとは思いません。』」
パウロは、これからエルサレムに行きます。エルサレムはパウロがかつて熱心なユダヤ教徒として勉学に励んだ町であり、熱心なキリスト教迫害者として力をふるった町でした。しかしまた、イエス・キリストへの信仰を与えられてからはすべてが逆転し、ユダヤ教を棄てたパウロを執拗に追いかける迫害者たちの本拠地となった町です。
そこへとパウロは向かいます。「霊」すなわち聖霊なる神御自身が促すままに。神の御心を行うために。伝道者としての使命を全うするために。そしてそのために惜しみなく自分の命をささげるために。パウロの決意と覚悟は、重くて固いものです。
(2008年4月6日、松戸小金原教会主日礼拝)
2008年4月3日木曜日
出版物の「訂正表」はネットで公開しましょう
昨年9月よりオランダで刊行が開始されたファン・ルーラーの新しい著作集(Verzameld Werk)の第二巻(Deel 2)が今月中に出版される運びになりました。第二巻のタイトルは「啓示と聖書」(Openbaring en Heilige Schrift)です。予約注文は以下URLのサイト(↓)から可能です。
http://www.aavanruler.nl/index.php?cId=240
なお、このページ(↑)の「Corrigenda deel 1」の下の「Download」をクリックすると、著作集(Verzameld Werk)第一巻の「訂正表」(PDF文書)が出てきます。たとえ小さなパンフレットのようなものであっても、その編集や出版の責任を少しでも負ったことがある人には、それを出版し終わった後に、ありとあらゆる方面の識者たちから「ここが間違っている」だ「あそこが間違っている」だと突かれ・叩かれ、それらの意見を聴取・収集し、「訂正表」を作成して配布するときのイヤ~な気持ちが分かるものです。編者ディルク・ファン・ケーレンさん(Dr. Dirk van Keulen)も、きっと痛い思いをなさったことでしょう(先ほど励ましのメールを送っておきました。ファン・ケーレンさんはただの「メル友」ですが、たった一歳しか違わないんです。私のほうが年下ですが)。ところが、そのような“恥ずかしいもの”を堂々とネットで全世界に公開するとは、いやはや恐れ入りました。このやり方は我々もぜひ倣わなければ、と思いました。
2008年4月2日水曜日
「翻訳は簡単な仕事じゃないんだ」
一年くらい前に見つけた山岡洋一氏のインタビュー記事(以下URL)です。百パーセント納得しながら読むことができました。
http://www.kato.gr.jp/yamaoka.htm
私が山岡氏の存在を知ったのは、近くの古本市場でたまたま見かけ、タイトルに惹かれて購入した『翻訳とは何か 職業としての翻訳』(日外アソシエーツ、2001年)を読んだときです。衝撃と感動を覚え、一晩で読み切りました。「衝撃と感動」の中身は何か。相当口幅ったい言い方ですが、それまで10年近く(「たったの10年」ないし「わずか10年」というべきですが)ファン・ルーラーのオランダ語原典と格闘してきた者として、いろいろと抱き、それをめぐって悩んできた“疑問”や“謎”の正体が、山岡氏の著書によって暴き出され(こちらが「衝撃」)、その“疑問”や“謎”と対決し、克服し、そして“勝利”するための道を示された思いがした(こちらが「感動」)のです。
山岡洋一氏の『翻訳通信』(ネット版) ※私も毎月読んでいます。
http://homepage3.nifty.com/hon-yaku/tsushin/
2008年3月30日日曜日
教会の奉仕について(総論)
少し前のことになりましたが、3月16日(日)に松戸小金原教会で毎年恒例の「教会勉強会」の第一回目を行いました。発題は関口康、タイトルは「教会の奉仕について(総論)」でした。
レジュメ(修正版) http://ysekiguchi.reformed.jp/pdf/2008-03-16_Ecclesiologie.pdf
「教会の奉仕について(総論)」目次
1、「教会の奉仕」とは何のことか
2、教会の目的は「教会の外」にある
3、「教会の外」は悪魔の巣窟ではない
4、「キリスト者の社会奉仕の主体ないし母体としての教会の確立」という課題
5、具体的な奉仕の基準としての「律法」
※2007年度発題 「主の日と週日」
レジュメ(修正版) http://ysekiguchi.reformed.jp/pdf/2007-03-18_Ecclesiologie.pdf
礼拝と説教の楽しみ
使徒言行録20・1~16
今日は三つの段落を続けて読みました。使徒パウロの第三回伝道旅行の様子の続きです。しかし、何と言えばよいのでしょうか、この個所に取り立てて注目すべき内容を探すのは少し難しい気がしなくもありません。
主に記されていることは、パウロが実際にたどった道順です。また、パウロと共に旅をした人々の名前です。わたしたちの多くにとっては知る由もない外国の地名や人名が並べられるばかりの、実に坦々とした旅行記が残されているだけであるという印象を否むことができません。
しかし、私自身はこの個所をけっこう興味深く読むことができました。ただし、全部ではありません。二個所ほどです。その一つは2節に書かれていることです。マケドニア州でパウロが「言葉を尽くして人々を励ました」と記されている点です。
「この騒動が収まった後、パウロは弟子たちを呼び集めて励まし、別れを告げてからマケドニア州へと出発した。そして、この地方を巡り歩き、言葉を尽くして人々を励ましながら、ギリシアに来て、そこで三か月を過ごした。パウロは、シリア州に向かって船出しようとしていたとき、彼に対するユダヤ人の陰謀があったので、マケドニア州を通って帰ることにした。同行した者は、ピロの子でベレア出身のソパトロ、テサロニケのアリスタルコとセクンド、デルベのガイオ、テモテ、それにアジア州出身のティキコとトロフィモであった。この人たちは、先に出発してトロアスでわたしたちを待っていたが、わたしたちは、除酵祭の後フィリピから船出し、五日でトロアスに来て彼らと落ち合い、七日間そこに滞在した。」
パウロが「言葉を尽くして人々を励ました」と書いていることの、どの点が面白いのでしょうか。原文を見る必要があります。「言葉を尽くして」の原文を直訳すれば「たくさんの言葉(ロゴー・ポロー)を用いて」です。
当然のことですが、「たくさんの言葉」を用いて語るには、それだけの時間が必要です。しかもこの文脈で「言葉」(ロゴス)と呼ばれているのは、ただ単なるおしゃべりや立ち話のことではなく、明らかに説教のことです。それは信仰者たちを励ますことを目的とした説教のことです。説教とは、今ここで私が行っているこれです。聖書に記されていることを解釈し、説明すること。それによって集まっている方々を励ますことです。
これで分かること、それは、パウロが実際に行った説教の様子、ないしスタイルです。それは、ここに書かれていることを見るかぎり「言葉を尽くして」語られたものであり、すなわち、「たくさんの言葉を用いて」語られたものであって、言い方を換えれば、明らかに非常に長い時間をかけて語られたものであり、要するに“長々とした説教”であったということです。
今申し上げました点と関連づけて読むとよく分かるのが、私が面白いと感じたもう一つの点です。それは今日お読みしました二つめの段落に書かれていることです。その内容は実に衝撃的なものです。パウロの長々とした説教がついに“犠牲者”を生んでしまったのです!
「週の初めの日、わたしたちがパンを割くために集まっていると、パウロは翌日出発する予定で人々に話をしたが、その話は夜中まで続いた。わたしたちが集まっていた階上の部屋には、たくさんのともし火がついていた。エウティコという青年が、窓に腰を掛けていたが、パウロの話が長々と続いたので、ひどく眠気を催し、眠りこけて三階から下に落ちてしまった。起こしてみると、もう死んでいた。パウロは降りて行き、彼の上にかがみ込み、抱きかかえて言った。『騒ぐな。まだ生きている。』そして、また上に行って、パンを割いて食べ、夜明けまで長い間話し続けてから出発した。人々は生き返った青年を連れて帰り、大いに慰められた。」
「週の初めの日」に「パンを割くために」行われた集会は、今わたしたちが行っている日曜日の朝の礼拝と本質的に同じであると考えてよいものです。礼拝という字そのものは用いられていません。しかし、そのときの集会の目的として言及されている「パンを割く」という行為は、主イエス・キリストがお定めになった“聖餐”を指していると考えるべきでしょう。そして、その集会でパウロが行った「話」(ロゴス)とは、これもまた、礼拝の中で行われる“説教”のことを指していると考えるべきでしょう。わたしたちの信仰理解においては、説教と聖餐というこの二つの要素こそが“礼拝”を成り立たせるものです。
ところが、です。パウロの「話」、すなわち説教は「夜中まで続いた」と言われています。 そしてその話はなんと「夜明けまで」続いたというのです。つまり、考えてよさそうなことは、この日の“礼拝”は、ほとんど丸一日(24時間!)続けられたものであったということです。朝から始まった集会が次の日の明け方まで(!)続けられたというのですから。しかも驚くべきことは、ここに書かれていることを読むかぎり、その間パウロは、一睡もせずに、ずっとしゃべり続けていた(!?)ということです。
ここで第一の点と結びつくわけです。パウロは「言葉を尽くして」、すなわち「たくさんの言葉を用いて」語りました。というと、まだ聞こえが良いものがあるわけですが、実際には“非常に長々とした説教”を行っていたことが、分かってくるわけです。
そして、その歴史的な事実が記録として残されているのが今日読んだ個所の7節以下の記事であると理解することができるわけです。パウロという人は時として“24時間営業”ならぬ“24時間説教”(!?)を行うこともあったということです。しかし、驚くべきことは、それだけではなく、まだあります。
パウロの説教の最中に起こった“事件”とは、エウティコという一人の青年が、礼拝が行われていた三階の部屋の窓に腰かけていたところ、「ひどく眠気を催し、眠りこけて三階から下に落ちてしまった」というものでした。
はっきり言っておきますが、居眠りしたエウティコには罪はありません。罪があるとしたら、24時間も説教し続けたパウロのほうです。私にも他の牧師たちの説教を聴く機会がたくさんありますが、内容によっては30分、いえ、20分の説教でも居眠りすることがあります。24時間も語り続ける説教者がいるなら、部屋の扉を蹴飛ばして出て行ってもよいと私は思います。
そんな私ですから、居眠りしたエウティコには、深く心から同情いたします。そして、エウティコが三階の窓から落ちて死んでしまったという事件の“犯人”はパウロであると言いたくなります。
説教者は、どう考えても、24時間も語り続けてはなりません。それは、その説教を聴く人々への配慮が足りないと言われても仕方がない行為です。あるいは、それを聴く人々は生身の人間であるということを忘れているかのような行為です。手厳しく言えば、「自分のことしか考えていない」と言われても仕方がない、そして「説教者として失格である」と言われても仕方がない説教です。
ところが、です。先ほど「驚くべきことはまだある」と申しました。それは何でしょうか。この個所を読みながら私が驚くことは、エウティコ以外の全員について、すなわち、ほとんど24時間語り続けているパウロについても、またそのパウロの説教を聴いている人々についても、「居眠りした」とも「一時的に仮眠をとった」とも書かれていない点です。要するに、そこにいたほぼ全員が、24時間一睡もせずに(!?)礼拝を行い続け、パウロの説教を聴き続けたように描かれているのです。
私はどこに驚くのでしょうか。ほとんど丸一日、延々と語り続ける説教者パウロも相当なツワモノです。しかし、それを一睡もせずに聴き続ける人々のほうも、十分な意味での敬意に価するということです。
また、パウロのほうも、汲めど尽きせぬ話題というか、内容というか、知識というか、何とかして伝えたい「言葉」(ロゴス)を持っていたからこそ、そのような“24時間説教”ないし“24時間礼拝”(!?)を行うことができたのです。おそらくその説教は、眠らずにでも聴き続けていたいような、魅力的で面白い話だったのです。語るパウロも、聴く人々も、その礼拝とその説教を心から楽しんでいたに違いありません。パウロの“説教力”の凄まじさを感じます。
しかし今日の個所には、ある見方をすれば、ゾッとするようなことも書かれています。エウティコが三階の窓から落ちて死んでしまったとき、パウロは説教を一時的に中断し、階下に降りてエウティコを抱きかかえました。ところがパウロは、この青年の様子を見て「騒ぐな。まだ生きている」と言っただけで、すぐにまた元の部屋に戻り、自分の説教と礼拝を続行したというのです。
松戸小金原教会でも、先日(2008年2月17日)は、礼拝の途中に説教者自身が倒れてしまいましたので(私のことです)、それ以降は通常の礼拝を続行することができなくしてしまいましたことの責任を痛感し、まことに申し訳なく思っています。しかし、その後すぐに祈祷会の形式に切り替えてくださったことに心から感謝しています。礼拝が途中で中止されるということは、教会にとっては大きな出来事であると思います。
これから申し上げますことは、私自身、非常に難しい問題であると感じていることです。それは、もし礼拝中に何か大きな出来事が起こり、その礼拝を中断せざるをえなくなったとき、それ以降の時間をどのように用いるべきだろうかという問題です。特に問題になることは、わたしたちがその礼拝自体を途中でやめてしまうことができるのかという点です。この問題は、説教者自身や教会役員たちだけではなく、その礼拝に出席しているすべての人が悩むに違いないことです。
たとえば、礼拝中に大きな地震や災害が起こる。隣の家が倒れる。会堂まで倒壊する。火事が起こる。教会員や牧師の家族が亡くなる。わたしたちに襲いかかる不慮の事故は、他にもたくさんあるでしょう。あるいは戦争。
エウティコはその礼拝の出席者でした。その人が礼拝の最中に突然、死んでしまった。それは、たいへん大きな出来事です。ところが、そのような非常に大きな事件であったにもかかわらず、そのことをパウロは“その時点以降の礼拝を中止してもよい”とする理由にはせずに、説教と礼拝を続行したのです。もちろん、エウティコが息を吹き返すことを確信しつつ。しかし、生死の境目にいる人を“横に置きながら”、その礼拝は最後まで続けられたのです。
この問題はあまりにも大きすぎて短い時間では語りつくすことができそうもありません。しかし、このパウロの判断の中にはわたしたちに対する重要な問いかけがあると感じます。
礼拝の最中に不幸な出来事が起こった。あるいはもう少し範囲を広げて、わたしたちの信仰生活の途中に不幸な出来事が起こった。そのときに、です。
「もう礼拝どころではない。我々は今、こんなことをしている場合ではない」と考えるべきでしょうか。
それとも「だからこそ神を礼拝しようではないか!だからこそ神の御言葉を聴こうではないか!」と考えるべきでしょうか。
ここに、大きな分かれ道があると思われるのです。
(2008年3月30日、松戸小金原教会主日礼拝)
2008年3月28日金曜日
それにしても翻訳は難しい!(5/5)
再び翻訳の話に戻ります。私は後者(訳例 2)ですっかり満足しているというわけでもありません。前者(訳例 1)には利点もあります。ファン・ルーラーは明らかに、「聖餐式」と「家庭の食卓」、「教会の礼拝」と「芸術」、「魂の救い」と「日々の雑事」を対比的にとらえているからです。それは「教会の内(intra)と外(extra)」の対比であると言ってよいでしょう。ファン・ルーラーがこの対比を行っているということを明確に表現できるのは前者(訳例 1)のほうかもしれません。ああ、翻訳とはなんと難しいものなのでしょうか!しかし、「だからこそ」です。そう、翻訳は「難しいからこそ面白い」のです!「翻訳」にはそれに取り組む者たちの想像力を著しく刺激し、膨らませていくものがあります。日々の雑事に追われて翻訳に取り組めないでいると、私の頭は、一種の“脳死状態”に陥っているのではないかと感じるほどポケーとしてしまいます。
それにしても翻訳は難しい!(4/5)
この一文の中でファン・ルーラーが語ろうとしていることは、キリスト者の信仰的実践(praxis pietatis)にとって最も大きな意味がある「神のすべてのみわざを見つめる目」が向けられるべき対象は何かということです。その目は、教会の壁の内(intra muros ecclesiae)における神のみわざ(聖餐式、教会の礼拝、魂の救い)を見つめるだけで終わってよいものではなく、教会の壁の外(extra muros ecclesiae)における神のみわざ(家庭の食卓、芸術、日々の雑事)をも見つめるものでなければならないということです。言葉を換えて言うならば、ファン・ルーラーが勧めていることは、キリスト者である者ならばこそ、「教会」に対して《内向きな》態度をとることだけに終始してもよいようなものではありえず、むしろ常に《外向きな》態度をとり続けるべきであるということです。“世俗化”(ontkerkelijking=脱教会化=教会と国家の分離)の不可逆的プロセスの中にある現代社会においてキリスト者が陥りやすい「教会への引きこもり」を、ファン・ルーラーは警戒しました。世間の中へと堂々と出ていき、「政治的な」責任を負う勇気を持ちなさいと訴えました。キリスト者が「不信仰な世間の人々」をあまりにも邪悪なものとみなして嫌悪感や恐れを抱き、その人々から遠ざかり、教会の砦に立てこもり続け、外側へと一歩も出て行こうとしないこと、なかでも「政治的な事柄」に関わろうとしないことは、「この世界と人類を創造された神への冒涜である」とさえ語りました。ファン・ルーラーの「宣教(アポストラート)の神学」が示すベクトルは、「教会への引きこもり」とはちょうど正反対の方向を向いているのです。
2008年3月27日木曜日
それにしても翻訳は難しい!(3/5)
一例を挙げてみます。ファン・ルーラーの文章について、いくつかの訳例を作ってみました(いずれも私訳です)。
(原文)
Voor de praxis pietatis van de enkele christen is het van de grootste betekenis, dat hij in zijn omgang met God oog heeft voor alles, wat God doet: niet alleen voor het avondmaal, maar ook de maaltijd thuis; niet alleen voor de liturgie van de kerk, maar ook voor de kunst; niet alleen voor de redding van zijn ziel, maar ook voor de dingen van het dagelijkse leven. (A. A. van Ruler, De waardering van de rede [1958] , Verzameld Werk, deel 1, 78.)
(訳例 1)
神との交わりにおいて神のなされるすべてのみわざを見つめる目を持つことは、キリスト者個人の信仰的実践(または敬虔の修練 praxis pietatis)にとって最も重要なことである。その目は、「聖餐式」だけではなく「家庭の食卓」をも、「教会の礼拝」だけではなく「芸術」をも、「魂の救い」だけではなく「日々の雑事」をも、見つめるのである。
(訳例 2)
「聖餐式」や「教会の礼拝」や「魂の救い」などは重要ではないと言いたいわけではない。しかし、キリスト者の信仰的実践(または敬虔の修練 praxis pietatis)は、そのようなことだけに終始するものではないのである。キリスト者の信仰的実践にとって最も重要なことは、神との交わりにおいて神がなされるすべてのみわざを見つめる目を持つことである。その目は、「家庭の食卓」や「芸術」や「日々の雑事」をも見つめるのである。
前者(訳例 1)のほうが「原文に忠実な訳」であるつもりで書きました。原文の構文を守りつつ、原文の各単語と日本語の辞書的意味との「一対一」の“パッチワーク”を行ってみました。しかし、この文章は、日本語として理解できるものでしょうか。これを読んで「ファン・ルーラー先生の意図が分かりました!」とすぐに返事できる方がいるとしたら、その方はかなりの天才です。これに対して私自身は、許されるならば後者(訳例 2)の方向に進んでいきたいと願っています。これでもまだまだ日本語として理解しにくい文章であることは承知しています。しかし、「著者(ファン・ルーラー)の意図を明らかにする」という一点においては、前者よりも後者のほうがよいと信じています。
それにしても翻訳は難しい!(2/5)
しかし、「翻訳」は難しい!オランダ語が難しいのではありません。日本語が(!)難しいのです。私が心から尊敬する翻訳者であり・翻訳理論研究者である山岡洋一氏(『翻訳とは何か 職業としての翻訳』の著者、『翻訳通信』主筆)のおっしゃるとおり、「英文和訳は翻訳ではない」のです。「翻訳とは日本語」なのです。原文の各単語に日本語の辞書的な意味を「一対一で」当てていくだけの“パッチワーク”は「翻訳」ではないのです。山岡氏はヘーゲルの翻訳者を例に挙げて説明しておられます。金子武蔵氏のやり方は「独文和訳」ではあっても「翻訳」ではありません。日本語としては支離滅裂だからです。長谷川宏氏のやり方こそが「翻訳」なのです。長谷川氏の訳文は、まさに日本語だからです。私が常に悩んでいることはこの問題です。私の見方では、キリスト教出版界、特に「神学」の世界においては、今書いたような「翻訳」についての考え方がいまだに定着していません。新共同訳聖書に採用された動的等価訳(dynamic equivalence)という方法でさえ、いまだに「あれは意訳である」という言葉で批判する人が少なくありません。その場合の「意訳」とは「原典に忠実でない、いいかげんなもの」という意味です。殺し文句の一種です。「原典に忠実な訳」と謳われているものはたいていパッチワークのままです。金子武蔵型です。日本語としては支離滅裂です。「ファン・リューラー」名で教文館から出版されたもののうち特に『伝道と文化の神学』(長山道訳)に関しては、残念ながらこの点が全く当てはまります。『伝道と文化の神学』を買って読んだ人々に「ファン・リューラーの神学とはなんと支離滅裂なものであり、我々にとって理解不可能なものなのか」と思われ、関心を失ってしまわれることを非常に懸念しています。ファン・ルーラーを知りたい人は、どうかあの本は読まないでください。あのような支離滅裂なものが世に出ることは、著者ファン・ルーラーに対しても、世界のファン・ルーラー研究者たちに対しても、日本の「ファン・ルーラー研究会」に対しても、世界中のファン・ルーラーの愛読者たちに対しても、失礼なことであり、迷惑なことです。長山訳は「原典に忠実な訳」であるがゆえに、日本語としては支離滅裂なのです。つまり、山岡洋一氏が見れば「翻訳ではない」と判断されるものなのです(私は長山氏を個人的に知っており、尊敬しており、将来に期待を寄せているゆえに、あえて厳しい言葉を用いて氏の訳業を批判してきました。私怨等は皆無です)。
それにしても翻訳は難しい!(1/5)
断片化の日々は続いています(「拡散化」とも言いたいです。実態は「散逸化」ですが)。しかし、日記は書き続けることに意義がある。手書きの日記については字義どおりの三日坊主だった私が、このブログを三ヶ月も続けている。この手軽さというか気軽さはすごいと思います。ニフティの「ココログ」の使いやすさを宣伝しておきます。神戸改革派神学校の二年次に編入し、牧田吉和教授のもとでファン・ルーラーの著作を読みはじめたのは、1997年4月のことです。来月でちょうど11年になります。ただし私の場合、当然のことながら最初は英語版のテキストしか読むことができませんでした(当時は英語も苦手でしたが)。米国カルヴァン神学校のジョン・ボルト教授編訳の英語版論文集です。牧田教授はオランダ語版をもって、神学生たちはボルト訳の英語版をもって、ファン・ルーラーをテキストにしての組織神学セミナーが始まったのです。11年前は、オランダ語原典を読むことは私には永久に無理だと思っていました。しかし、英語版に多くの誤訳があることなどが分かってきますと、やはりオランダ語原典を読む必要がある、いや“読まざるをえない”と、強く迫られるものを感じるようになりました。それが私の蘭学事始となったのです。