2008年3月30日日曜日

礼拝と説教の楽しみ


使徒言行録20・1~16

今日は三つの段落を続けて読みました。使徒パウロの第三回伝道旅行の様子の続きです。しかし、何と言えばよいのでしょうか、この個所に取り立てて注目すべき内容を探すのは少し難しい気がしなくもありません。

主に記されていることは、パウロが実際にたどった道順です。また、パウロと共に旅をした人々の名前です。わたしたちの多くにとっては知る由もない外国の地名や人名が並べられるばかりの、実に坦々とした旅行記が残されているだけであるという印象を否むことができません。

しかし、私自身はこの個所をけっこう興味深く読むことができました。ただし、全部ではありません。二個所ほどです。その一つは2節に書かれていることです。マケドニア州でパウロが「言葉を尽くして人々を励ました」と記されている点です。

「この騒動が収まった後、パウロは弟子たちを呼び集めて励まし、別れを告げてからマケドニア州へと出発した。そして、この地方を巡り歩き、言葉を尽くして人々を励ましながら、ギリシアに来て、そこで三か月を過ごした。パウロは、シリア州に向かって船出しようとしていたとき、彼に対するユダヤ人の陰謀があったので、マケドニア州を通って帰ることにした。同行した者は、ピロの子でベレア出身のソパトロ、テサロニケのアリスタルコとセクンド、デルベのガイオ、テモテ、それにアジア州出身のティキコとトロフィモであった。この人たちは、先に出発してトロアスでわたしたちを待っていたが、わたしたちは、除酵祭の後フィリピから船出し、五日でトロアスに来て彼らと落ち合い、七日間そこに滞在した。」

パウロが「言葉を尽くして人々を励ました」と書いていることの、どの点が面白いのでしょうか。原文を見る必要があります。「言葉を尽くして」の原文を直訳すれば「たくさんの言葉(ロゴー・ポロー)を用いて」です。

当然のことですが、「たくさんの言葉」を用いて語るには、それだけの時間が必要です。しかもこの文脈で「言葉」(ロゴス)と呼ばれているのは、ただ単なるおしゃべりや立ち話のことではなく、明らかに説教のことです。それは信仰者たちを励ますことを目的とした説教のことです。説教とは、今ここで私が行っているこれです。聖書に記されていることを解釈し、説明すること。それによって集まっている方々を励ますことです。

これで分かること、それは、パウロが実際に行った説教の様子、ないしスタイルです。それは、ここに書かれていることを見るかぎり「言葉を尽くして」語られたものであり、すなわち、「たくさんの言葉を用いて」語られたものであって、言い方を換えれば、明らかに非常に長い時間をかけて語られたものであり、要するに“長々とした説教”であったということです。

今申し上げました点と関連づけて読むとよく分かるのが、私が面白いと感じたもう一つの点です。それは今日お読みしました二つめの段落に書かれていることです。その内容は実に衝撃的なものです。パウロの長々とした説教がついに“犠牲者”を生んでしまったのです!

「週の初めの日、わたしたちがパンを割くために集まっていると、パウロは翌日出発する予定で人々に話をしたが、その話は夜中まで続いた。わたしたちが集まっていた階上の部屋には、たくさんのともし火がついていた。エウティコという青年が、窓に腰を掛けていたが、パウロの話が長々と続いたので、ひどく眠気を催し、眠りこけて三階から下に落ちてしまった。起こしてみると、もう死んでいた。パウロは降りて行き、彼の上にかがみ込み、抱きかかえて言った。『騒ぐな。まだ生きている。』そして、また上に行って、パンを割いて食べ、夜明けまで長い間話し続けてから出発した。人々は生き返った青年を連れて帰り、大いに慰められた。」

「週の初めの日」に「パンを割くために」行われた集会は、今わたしたちが行っている日曜日の朝の礼拝と本質的に同じであると考えてよいものです。礼拝という字そのものは用いられていません。しかし、そのときの集会の目的として言及されている「パンを割く」という行為は、主イエス・キリストがお定めになった“聖餐”を指していると考えるべきでしょう。そして、その集会でパウロが行った「話」(ロゴス)とは、これもまた、礼拝の中で行われる“説教”のことを指していると考えるべきでしょう。わたしたちの信仰理解においては、説教と聖餐というこの二つの要素こそが“礼拝”を成り立たせるものです。

ところが、です。パウロの「話」、すなわち説教は「夜中まで続いた」と言われています。 そしてその話はなんと「夜明けまで」続いたというのです。つまり、考えてよさそうなことは、この日の“礼拝”は、ほとんど丸一日(24時間!)続けられたものであったということです。朝から始まった集会が次の日の明け方まで(!)続けられたというのですから。しかも驚くべきことは、ここに書かれていることを読むかぎり、その間パウロは、一睡もせずに、ずっとしゃべり続けていた(!?)ということです。

ここで第一の点と結びつくわけです。パウロは「言葉を尽くして」、すなわち「たくさんの言葉を用いて」語りました。というと、まだ聞こえが良いものがあるわけですが、実際には“非常に長々とした説教”を行っていたことが、分かってくるわけです。

そして、その歴史的な事実が記録として残されているのが今日読んだ個所の7節以下の記事であると理解することができるわけです。パウロという人は時として“24時間営業”ならぬ“24時間説教”(!?)を行うこともあったということです。しかし、驚くべきことは、それだけではなく、まだあります。

パウロの説教の最中に起こった“事件”とは、エウティコという一人の青年が、礼拝が行われていた三階の部屋の窓に腰かけていたところ、「ひどく眠気を催し、眠りこけて三階から下に落ちてしまった」というものでした。

はっきり言っておきますが、居眠りしたエウティコには罪はありません。罪があるとしたら、24時間も説教し続けたパウロのほうです。私にも他の牧師たちの説教を聴く機会がたくさんありますが、内容によっては30分、いえ、20分の説教でも居眠りすることがあります。24時間も語り続ける説教者がいるなら、部屋の扉を蹴飛ばして出て行ってもよいと私は思います。

そんな私ですから、居眠りしたエウティコには、深く心から同情いたします。そして、エウティコが三階の窓から落ちて死んでしまったという事件の“犯人”はパウロであると言いたくなります。

説教者は、どう考えても、24時間も語り続けてはなりません。それは、その説教を聴く人々への配慮が足りないと言われても仕方がない行為です。あるいは、それを聴く人々は生身の人間であるということを忘れているかのような行為です。手厳しく言えば、「自分のことしか考えていない」と言われても仕方がない、そして「説教者として失格である」と言われても仕方がない説教です。

ところが、です。先ほど「驚くべきことはまだある」と申しました。それは何でしょうか。この個所を読みながら私が驚くことは、エウティコ以外の全員について、すなわち、ほとんど24時間語り続けているパウロについても、またそのパウロの説教を聴いている人々についても、「居眠りした」とも「一時的に仮眠をとった」とも書かれていない点です。要するに、そこにいたほぼ全員が、24時間一睡もせずに(!?)礼拝を行い続け、パウロの説教を聴き続けたように描かれているのです。

私はどこに驚くのでしょうか。ほとんど丸一日、延々と語り続ける説教者パウロも相当なツワモノです。しかし、それを一睡もせずに聴き続ける人々のほうも、十分な意味での敬意に価するということです。

また、パウロのほうも、汲めど尽きせぬ話題というか、内容というか、知識というか、何とかして伝えたい「言葉」(ロゴス)を持っていたからこそ、そのような“24時間説教”ないし“24時間礼拝”(!?)を行うことができたのです。おそらくその説教は、眠らずにでも聴き続けていたいような、魅力的で面白い話だったのです。語るパウロも、聴く人々も、その礼拝とその説教を心から楽しんでいたに違いありません。パウロの“説教力”の凄まじさを感じます。

しかし今日の個所には、ある見方をすれば、ゾッとするようなことも書かれています。エウティコが三階の窓から落ちて死んでしまったとき、パウロは説教を一時的に中断し、階下に降りてエウティコを抱きかかえました。ところがパウロは、この青年の様子を見て「騒ぐな。まだ生きている」と言っただけで、すぐにまた元の部屋に戻り、自分の説教と礼拝を続行したというのです。

松戸小金原教会でも、先日(2008年2月17日)は、礼拝の途中に説教者自身が倒れてしまいましたので(私のことです)、それ以降は通常の礼拝を続行することができなくしてしまいましたことの責任を痛感し、まことに申し訳なく思っています。しかし、その後すぐに祈祷会の形式に切り替えてくださったことに心から感謝しています。礼拝が途中で中止されるということは、教会にとっては大きな出来事であると思います。

これから申し上げますことは、私自身、非常に難しい問題であると感じていることです。それは、もし礼拝中に何か大きな出来事が起こり、その礼拝を中断せざるをえなくなったとき、それ以降の時間をどのように用いるべきだろうかという問題です。特に問題になることは、わたしたちがその礼拝自体を途中でやめてしまうことができるのかという点です。この問題は、説教者自身や教会役員たちだけではなく、その礼拝に出席しているすべての人が悩むに違いないことです。

たとえば、礼拝中に大きな地震や災害が起こる。隣の家が倒れる。会堂まで倒壊する。火事が起こる。教会員や牧師の家族が亡くなる。わたしたちに襲いかかる不慮の事故は、他にもたくさんあるでしょう。あるいは戦争。

エウティコはその礼拝の出席者でした。その人が礼拝の最中に突然、死んでしまった。それは、たいへん大きな出来事です。ところが、そのような非常に大きな事件であったにもかかわらず、そのことをパウロは“その時点以降の礼拝を中止してもよい”とする理由にはせずに、説教と礼拝を続行したのです。もちろん、エウティコが息を吹き返すことを確信しつつ。しかし、生死の境目にいる人を“横に置きながら”、その礼拝は最後まで続けられたのです。

この問題はあまりにも大きすぎて短い時間では語りつくすことができそうもありません。しかし、このパウロの判断の中にはわたしたちに対する重要な問いかけがあると感じます。

礼拝の最中に不幸な出来事が起こった。あるいはもう少し範囲を広げて、わたしたちの信仰生活の途中に不幸な出来事が起こった。そのときに、です。

「もう礼拝どころではない。我々は今、こんなことをしている場合ではない」と考えるべきでしょうか。

それとも「だからこそ神を礼拝しようではないか!だからこそ神の御言葉を聴こうではないか!」と考えるべきでしょうか。

ここに、大きな分かれ道があると思われるのです。

(2008年3月30日、松戸小金原教会主日礼拝)