2008年4月3日木曜日

出版物の「訂正表」はネットで公開しましょう

昨年9月よりオランダで刊行が開始されたファン・ルーラーの新しい著作集(Verzameld Werk)の第二巻(Deel 2)が今月中に出版される運びになりました。第二巻のタイトルは「啓示と聖書」(Openbaring en Heilige Schrift)です。予約注文は以下URLのサイト(↓)から可能です。



http://www.aavanruler.nl/index.php?cId=240



なお、このページ(↑)の「Corrigenda deel 1」の下の「Download」をクリックすると、著作集(Verzameld Werk)第一巻の「訂正表」(PDF文書)が出てきます。たとえ小さなパンフレットのようなものであっても、その編集や出版の責任を少しでも負ったことがある人には、それを出版し終わった後に、ありとあらゆる方面の識者たちから「ここが間違っている」だ「あそこが間違っている」だと突かれ・叩かれ、それらの意見を聴取・収集し、「訂正表」を作成して配布するときのイヤ~な気持ちが分かるものです。編者ディルク・ファン・ケーレンさん(Dr. Dirk van Keulen)も、きっと痛い思いをなさったことでしょう(先ほど励ましのメールを送っておきました。ファン・ケーレンさんはただの「メル友」ですが、たった一歳しか違わないんです。私のほうが年下ですが)。ところが、そのような“恥ずかしいもの”を堂々とネットで全世界に公開するとは、いやはや恐れ入りました。このやり方は我々もぜひ倣わなければ、と思いました。



2008年4月2日水曜日

「翻訳は簡単な仕事じゃないんだ」

一年くらい前に見つけた山岡洋一氏のインタビュー記事(以下URL)です。百パーセント納得しながら読むことができました。



http://www.kato.gr.jp/yamaoka.htm



私が山岡氏の存在を知ったのは、近くの古本市場でたまたま見かけ、タイトルに惹かれて購入した『翻訳とは何か 職業としての翻訳』(日外アソシエーツ、2001年)を読んだときです。衝撃と感動を覚え、一晩で読み切りました。「衝撃と感動」の中身は何か。相当口幅ったい言い方ですが、それまで10年近く(「たったの10年」ないし「わずか10年」というべきですが)ファン・ルーラーのオランダ語原典と格闘してきた者として、いろいろと抱き、それをめぐって悩んできた“疑問”や“謎”の正体が、山岡氏の著書によって暴き出され(こちらが「衝撃」)、その“疑問”や“謎”と対決し、克服し、そして“勝利”するための道を示された思いがした(こちらが「感動」)のです。



山岡洋一氏の『翻訳通信』(ネット版) ※私も毎月読んでいます。



http://homepage3.nifty.com/hon-yaku/tsushin/



2008年3月30日日曜日

教会の奉仕について(総論)

少し前のことになりましたが、3月16日(日)に松戸小金原教会で毎年恒例の「教会勉強会」の第一回目を行いました。発題は関口康、タイトルは「教会の奉仕について(総論)」でした。



レジュメ(修正版) http://ysekiguchi.reformed.jp/pdf/2008-03-16_Ecclesiologie.pdf



「教会の奉仕について(総論)」目次



 1、「教会の奉仕」とは何のことか



 2、教会の目的は「教会の外」にある



 3、「教会の外」は悪魔の巣窟ではない



 4、「キリスト者の社会奉仕の主体ないし母体としての教会の確立」という課題



 5、具体的な奉仕の基準としての「律法」



※2007年度発題 「主の日と週日」



レジュメ(修正版) http://ysekiguchi.reformed.jp/pdf/2007-03-18_Ecclesiologie.pdf





礼拝と説教の楽しみ


使徒言行録20・1~16

今日は三つの段落を続けて読みました。使徒パウロの第三回伝道旅行の様子の続きです。しかし、何と言えばよいのでしょうか、この個所に取り立てて注目すべき内容を探すのは少し難しい気がしなくもありません。

主に記されていることは、パウロが実際にたどった道順です。また、パウロと共に旅をした人々の名前です。わたしたちの多くにとっては知る由もない外国の地名や人名が並べられるばかりの、実に坦々とした旅行記が残されているだけであるという印象を否むことができません。

しかし、私自身はこの個所をけっこう興味深く読むことができました。ただし、全部ではありません。二個所ほどです。その一つは2節に書かれていることです。マケドニア州でパウロが「言葉を尽くして人々を励ました」と記されている点です。

「この騒動が収まった後、パウロは弟子たちを呼び集めて励まし、別れを告げてからマケドニア州へと出発した。そして、この地方を巡り歩き、言葉を尽くして人々を励ましながら、ギリシアに来て、そこで三か月を過ごした。パウロは、シリア州に向かって船出しようとしていたとき、彼に対するユダヤ人の陰謀があったので、マケドニア州を通って帰ることにした。同行した者は、ピロの子でベレア出身のソパトロ、テサロニケのアリスタルコとセクンド、デルベのガイオ、テモテ、それにアジア州出身のティキコとトロフィモであった。この人たちは、先に出発してトロアスでわたしたちを待っていたが、わたしたちは、除酵祭の後フィリピから船出し、五日でトロアスに来て彼らと落ち合い、七日間そこに滞在した。」

パウロが「言葉を尽くして人々を励ました」と書いていることの、どの点が面白いのでしょうか。原文を見る必要があります。「言葉を尽くして」の原文を直訳すれば「たくさんの言葉(ロゴー・ポロー)を用いて」です。

当然のことですが、「たくさんの言葉」を用いて語るには、それだけの時間が必要です。しかもこの文脈で「言葉」(ロゴス)と呼ばれているのは、ただ単なるおしゃべりや立ち話のことではなく、明らかに説教のことです。それは信仰者たちを励ますことを目的とした説教のことです。説教とは、今ここで私が行っているこれです。聖書に記されていることを解釈し、説明すること。それによって集まっている方々を励ますことです。

これで分かること、それは、パウロが実際に行った説教の様子、ないしスタイルです。それは、ここに書かれていることを見るかぎり「言葉を尽くして」語られたものであり、すなわち、「たくさんの言葉を用いて」語られたものであって、言い方を換えれば、明らかに非常に長い時間をかけて語られたものであり、要するに“長々とした説教”であったということです。

今申し上げました点と関連づけて読むとよく分かるのが、私が面白いと感じたもう一つの点です。それは今日お読みしました二つめの段落に書かれていることです。その内容は実に衝撃的なものです。パウロの長々とした説教がついに“犠牲者”を生んでしまったのです!

「週の初めの日、わたしたちがパンを割くために集まっていると、パウロは翌日出発する予定で人々に話をしたが、その話は夜中まで続いた。わたしたちが集まっていた階上の部屋には、たくさんのともし火がついていた。エウティコという青年が、窓に腰を掛けていたが、パウロの話が長々と続いたので、ひどく眠気を催し、眠りこけて三階から下に落ちてしまった。起こしてみると、もう死んでいた。パウロは降りて行き、彼の上にかがみ込み、抱きかかえて言った。『騒ぐな。まだ生きている。』そして、また上に行って、パンを割いて食べ、夜明けまで長い間話し続けてから出発した。人々は生き返った青年を連れて帰り、大いに慰められた。」

「週の初めの日」に「パンを割くために」行われた集会は、今わたしたちが行っている日曜日の朝の礼拝と本質的に同じであると考えてよいものです。礼拝という字そのものは用いられていません。しかし、そのときの集会の目的として言及されている「パンを割く」という行為は、主イエス・キリストがお定めになった“聖餐”を指していると考えるべきでしょう。そして、その集会でパウロが行った「話」(ロゴス)とは、これもまた、礼拝の中で行われる“説教”のことを指していると考えるべきでしょう。わたしたちの信仰理解においては、説教と聖餐というこの二つの要素こそが“礼拝”を成り立たせるものです。

ところが、です。パウロの「話」、すなわち説教は「夜中まで続いた」と言われています。 そしてその話はなんと「夜明けまで」続いたというのです。つまり、考えてよさそうなことは、この日の“礼拝”は、ほとんど丸一日(24時間!)続けられたものであったということです。朝から始まった集会が次の日の明け方まで(!)続けられたというのですから。しかも驚くべきことは、ここに書かれていることを読むかぎり、その間パウロは、一睡もせずに、ずっとしゃべり続けていた(!?)ということです。

ここで第一の点と結びつくわけです。パウロは「言葉を尽くして」、すなわち「たくさんの言葉を用いて」語りました。というと、まだ聞こえが良いものがあるわけですが、実際には“非常に長々とした説教”を行っていたことが、分かってくるわけです。

そして、その歴史的な事実が記録として残されているのが今日読んだ個所の7節以下の記事であると理解することができるわけです。パウロという人は時として“24時間営業”ならぬ“24時間説教”(!?)を行うこともあったということです。しかし、驚くべきことは、それだけではなく、まだあります。

パウロの説教の最中に起こった“事件”とは、エウティコという一人の青年が、礼拝が行われていた三階の部屋の窓に腰かけていたところ、「ひどく眠気を催し、眠りこけて三階から下に落ちてしまった」というものでした。

はっきり言っておきますが、居眠りしたエウティコには罪はありません。罪があるとしたら、24時間も説教し続けたパウロのほうです。私にも他の牧師たちの説教を聴く機会がたくさんありますが、内容によっては30分、いえ、20分の説教でも居眠りすることがあります。24時間も語り続ける説教者がいるなら、部屋の扉を蹴飛ばして出て行ってもよいと私は思います。

そんな私ですから、居眠りしたエウティコには、深く心から同情いたします。そして、エウティコが三階の窓から落ちて死んでしまったという事件の“犯人”はパウロであると言いたくなります。

説教者は、どう考えても、24時間も語り続けてはなりません。それは、その説教を聴く人々への配慮が足りないと言われても仕方がない行為です。あるいは、それを聴く人々は生身の人間であるということを忘れているかのような行為です。手厳しく言えば、「自分のことしか考えていない」と言われても仕方がない、そして「説教者として失格である」と言われても仕方がない説教です。

ところが、です。先ほど「驚くべきことはまだある」と申しました。それは何でしょうか。この個所を読みながら私が驚くことは、エウティコ以外の全員について、すなわち、ほとんど24時間語り続けているパウロについても、またそのパウロの説教を聴いている人々についても、「居眠りした」とも「一時的に仮眠をとった」とも書かれていない点です。要するに、そこにいたほぼ全員が、24時間一睡もせずに(!?)礼拝を行い続け、パウロの説教を聴き続けたように描かれているのです。

私はどこに驚くのでしょうか。ほとんど丸一日、延々と語り続ける説教者パウロも相当なツワモノです。しかし、それを一睡もせずに聴き続ける人々のほうも、十分な意味での敬意に価するということです。

また、パウロのほうも、汲めど尽きせぬ話題というか、内容というか、知識というか、何とかして伝えたい「言葉」(ロゴス)を持っていたからこそ、そのような“24時間説教”ないし“24時間礼拝”(!?)を行うことができたのです。おそらくその説教は、眠らずにでも聴き続けていたいような、魅力的で面白い話だったのです。語るパウロも、聴く人々も、その礼拝とその説教を心から楽しんでいたに違いありません。パウロの“説教力”の凄まじさを感じます。

しかし今日の個所には、ある見方をすれば、ゾッとするようなことも書かれています。エウティコが三階の窓から落ちて死んでしまったとき、パウロは説教を一時的に中断し、階下に降りてエウティコを抱きかかえました。ところがパウロは、この青年の様子を見て「騒ぐな。まだ生きている」と言っただけで、すぐにまた元の部屋に戻り、自分の説教と礼拝を続行したというのです。

松戸小金原教会でも、先日(2008年2月17日)は、礼拝の途中に説教者自身が倒れてしまいましたので(私のことです)、それ以降は通常の礼拝を続行することができなくしてしまいましたことの責任を痛感し、まことに申し訳なく思っています。しかし、その後すぐに祈祷会の形式に切り替えてくださったことに心から感謝しています。礼拝が途中で中止されるということは、教会にとっては大きな出来事であると思います。

これから申し上げますことは、私自身、非常に難しい問題であると感じていることです。それは、もし礼拝中に何か大きな出来事が起こり、その礼拝を中断せざるをえなくなったとき、それ以降の時間をどのように用いるべきだろうかという問題です。特に問題になることは、わたしたちがその礼拝自体を途中でやめてしまうことができるのかという点です。この問題は、説教者自身や教会役員たちだけではなく、その礼拝に出席しているすべての人が悩むに違いないことです。

たとえば、礼拝中に大きな地震や災害が起こる。隣の家が倒れる。会堂まで倒壊する。火事が起こる。教会員や牧師の家族が亡くなる。わたしたちに襲いかかる不慮の事故は、他にもたくさんあるでしょう。あるいは戦争。

エウティコはその礼拝の出席者でした。その人が礼拝の最中に突然、死んでしまった。それは、たいへん大きな出来事です。ところが、そのような非常に大きな事件であったにもかかわらず、そのことをパウロは“その時点以降の礼拝を中止してもよい”とする理由にはせずに、説教と礼拝を続行したのです。もちろん、エウティコが息を吹き返すことを確信しつつ。しかし、生死の境目にいる人を“横に置きながら”、その礼拝は最後まで続けられたのです。

この問題はあまりにも大きすぎて短い時間では語りつくすことができそうもありません。しかし、このパウロの判断の中にはわたしたちに対する重要な問いかけがあると感じます。

礼拝の最中に不幸な出来事が起こった。あるいはもう少し範囲を広げて、わたしたちの信仰生活の途中に不幸な出来事が起こった。そのときに、です。

「もう礼拝どころではない。我々は今、こんなことをしている場合ではない」と考えるべきでしょうか。

それとも「だからこそ神を礼拝しようではないか!だからこそ神の御言葉を聴こうではないか!」と考えるべきでしょうか。

ここに、大きな分かれ道があると思われるのです。

(2008年3月30日、松戸小金原教会主日礼拝)


2008年3月28日金曜日

それにしても翻訳は難しい!(5/5)

再び翻訳の話に戻ります。私は後者(訳例 2)ですっかり満足しているというわけでもありません。前者(訳例 1)には利点もあります。ファン・ルーラーは明らかに、「聖餐式」と「家庭の食卓」、「教会の礼拝」と「芸術」、「魂の救い」と「日々の雑事」を対比的にとらえているからです。それは「教会の内(intra)と外(extra)」の対比であると言ってよいでしょう。ファン・ルーラーがこの対比を行っているということを明確に表現できるのは前者(訳例 1)のほうかもしれません。ああ、翻訳とはなんと難しいものなのでしょうか!しかし、「だからこそ」です。そう、翻訳は「難しいからこそ面白い」のです!「翻訳」にはそれに取り組む者たちの想像力を著しく刺激し、膨らませていくものがあります。日々の雑事に追われて翻訳に取り組めないでいると、私の頭は、一種の“脳死状態”に陥っているのではないかと感じるほどポケーとしてしまいます。



それにしても翻訳は難しい!(4/5)

この一文の中でファン・ルーラーが語ろうとしていることは、キリスト者の信仰的実践(praxis pietatis)にとって最も大きな意味がある「神のすべてのみわざを見つめる目」が向けられるべき対象は何かということです。その目は、教会の壁の内(intra muros ecclesiae)における神のみわざ(聖餐式、教会の礼拝、魂の救い)を見つめるだけで終わってよいものではなく、教会の壁の外(extra muros ecclesiae)における神のみわざ(家庭の食卓、芸術、日々の雑事)をも見つめるものでなければならないということです。言葉を換えて言うならば、ファン・ルーラーが勧めていることは、キリスト者である者ならばこそ、「教会」に対して《内向きな》態度をとることだけに終始してもよいようなものではありえず、むしろ常に《外向きな》態度をとり続けるべきであるということです。“世俗化”(ontkerkelijking=脱教会化=教会と国家の分離)の不可逆的プロセスの中にある現代社会においてキリスト者が陥りやすい「教会への引きこもり」を、ファン・ルーラーは警戒しました。世間の中へと堂々と出ていき、「政治的な」責任を負う勇気を持ちなさいと訴えました。キリスト者が「不信仰な世間の人々」をあまりにも邪悪なものとみなして嫌悪感や恐れを抱き、その人々から遠ざかり、教会の砦に立てこもり続け、外側へと一歩も出て行こうとしないこと、なかでも「政治的な事柄」に関わろうとしないことは、「この世界と人類を創造された神への冒涜である」とさえ語りました。ファン・ルーラーの「宣教(アポストラート)の神学」が示すベクトルは、「教会への引きこもり」とはちょうど正反対の方向を向いているのです。



2008年3月27日木曜日

それにしても翻訳は難しい!(3/5)

一例を挙げてみます。ファン・ルーラーの文章について、いくつかの訳例を作ってみました(いずれも私訳です)。



(原文)



Voor de praxis pietatis van de enkele christen is het van de grootste betekenis, dat hij in zijn omgang met God oog heeft voor alles, wat God doet: niet alleen voor het avondmaal, maar ook de maaltijd thuis; niet alleen voor de liturgie van de kerk, maar ook voor de kunst; niet alleen voor de redding van zijn ziel, maar ook voor de dingen van het dagelijkse leven. (A. A. van Ruler, De waardering van de rede [1958] , Verzameld Werk, deel 1, 78.)



(訳例 1)



神との交わりにおいて神のなされるすべてのみわざを見つめる目を持つことは、キリスト者個人の信仰的実践(または敬虔の修練 praxis pietatis)にとって最も重要なことである。その目は、「聖餐式」だけではなく「家庭の食卓」をも、「教会の礼拝」だけではなく「芸術」をも、「魂の救い」だけではなく「日々の雑事」をも、見つめるのである。



(訳例 2)



「聖餐式」や「教会の礼拝」や「魂の救い」などは重要ではないと言いたいわけではない。しかし、キリスト者の信仰的実践(または敬虔の修練 praxis pietatis)は、そのようなことだけに終始するものではないのである。キリスト者の信仰的実践にとって最も重要なことは、神との交わりにおいて神がなされるすべてのみわざを見つめる目を持つことである。その目は、「家庭の食卓」や「芸術」や「日々の雑事」をも見つめるのである。



前者(訳例 1)のほうが「原文に忠実な訳」であるつもりで書きました。原文の構文を守りつつ、原文の各単語と日本語の辞書的意味との「一対一」の“パッチワーク”を行ってみました。しかし、この文章は、日本語として理解できるものでしょうか。これを読んで「ファン・ルーラー先生の意図が分かりました!」とすぐに返事できる方がいるとしたら、その方はかなりの天才です。これに対して私自身は、許されるならば後者(訳例 2)の方向に進んでいきたいと願っています。これでもまだまだ日本語として理解しにくい文章であることは承知しています。しかし、「著者(ファン・ルーラー)の意図を明らかにする」という一点においては、前者よりも後者のほうがよいと信じています。



それにしても翻訳は難しい!(2/5)

しかし、「翻訳」は難しい!オランダ語が難しいのではありません。日本語が(!)難しいのです。私が心から尊敬する翻訳者であり・翻訳理論研究者である山岡洋一(『翻訳とは何か 職業としての翻訳』の著者、『翻訳通信』主筆)のおっしゃるとおり、「英文和訳は翻訳ではない」のです。「翻訳とは日本語」なのです。原文の各単語に日本語の辞書的な意味を「一対一で」当てていくだけの“パッチワーク”は「翻訳」ではないのです。山岡氏はヘーゲルの翻訳者を例に挙げて説明しておられます。金子武蔵氏のやり方は「独文和訳」ではあっても「翻訳」ではありません。日本語としては支離滅裂だからです。長谷川宏氏のやり方こそが「翻訳」なのです。長谷川氏の訳文は、まさに日本語だからです。私が常に悩んでいることはこの問題です。私の見方では、キリスト教出版界、特に「神学」の世界においては、今書いたような「翻訳」についての考え方がいまだに定着していません。新共同訳聖書に採用された動的等価訳(dynamic equivalence)という方法でさえ、いまだに「あれは意訳である」という言葉で批判する人が少なくありません。その場合の「意訳」とは「原典に忠実でない、いいかげんなもの」という意味です。殺し文句の一種です。「原典に忠実な訳」と謳われているものはたいていパッチワークのままです。金子武蔵型です。日本語としては支離滅裂です。「ファン・リューラー」名で教文館から出版されたもののうち特に『伝道と文化の神学』(長山道訳)に関しては、残念ながらこの点が全く当てはまります。『伝道と文化の神学』を買って読んだ人々に「ファン・リューラーの神学とはなんと支離滅裂なものであり、我々にとって理解不可能なものなのか」と思われ、関心を失ってしまわれることを非常に懸念しています。ファン・ルーラーを知りたい人は、どうかあの本は読まないでください。あのような支離滅裂なものが世に出ることは、著者ファン・ルーラーに対しても、世界のファン・ルーラー研究者たちに対しても、日本の「ファン・ルーラー研究会」に対しても、世界中のファン・ルーラーの愛読者たちに対しても、失礼なことであり、迷惑なことです。長山訳は「原典に忠実な訳」であるがゆえに、日本語としては支離滅裂なのです。つまり、山岡洋一氏が見れば「翻訳ではない」と判断されるものなのです(私は長山氏を個人的に知っており、尊敬しており、将来に期待を寄せているゆえに、あえて厳しい言葉を用いて氏の訳業を批判してきました。私怨等は皆無です)。



それにしても翻訳は難しい!(1/5)

断片化の日々は続いています(「拡散化」とも言いたいです。実態は「散逸化」ですが)。しかし、日記は書き続けることに意義がある。手書きの日記については字義どおりの三日坊主だった私が、このブログを三ヶ月も続けている。この手軽さというか気軽さはすごいと思います。ニフティの「ココログ」の使いやすさを宣伝しておきます。神戸改革派神学校の二年次に編入し、牧田吉和教授のもとでファン・ルーラーの著作を読みはじめたのは、1997年4月のことです。来月でちょうど11年になります。ただし私の場合、当然のことながら最初は英語版のテキストしか読むことができませんでした(当時は英語も苦手でしたが)。米国カルヴァン神学校のジョン・ボルト教授編訳の英語版論文集です。牧田教授はオランダ語版をもって、神学生たちはボルト訳の英語版をもって、ファン・ルーラーをテキストにしての組織神学セミナーが始まったのです。11年前は、オランダ語原典を読むことは私には永久に無理だと思っていました。しかし、英語版に多くの誤訳があることなどが分かってきますと、やはりオランダ語原典を読む必要がある、いや“読まざるをえない”と、強く迫られるものを感じるようになりました。それが私の蘭学事始となったのです。



2008年3月23日日曜日

十字架につけられたイエスは墓におられない


マタイによる福音書28・1~10

今日はイースター礼拝です。わたしたちの救い主イエス・キリストの復活をお祝いする礼拝です。それを今日は昨年同様、召天者記念礼拝として行っています。ご遺族の方々が出席してくださっています。遠方からお集まりくださり、ありがとうございます。

また、先ほどは林昭子姉の洗礼式を執行することができました。林さんも二年半前に御主人・暁さんを亡くされました。林暁さんの洗礼式は、国立がんセンター東病院(千葉県柏市)の一室で行いました。葬儀は教会で行いました。それを機に昭子さんが教会に通うようになられ、そして今日、ついに洗礼をお受けになりました。林さん御夫妻を信仰へと導いてくださった神の大きな恵みを覚えて、心より感謝いたします。

イースター礼拝は、イエス・キリストの復活をお祝いする礼拝であると最初に申し上げました。しかし、イースター礼拝の目的はそれだけではありません。復活するのはイエス・キリストだけではありません。「キリストに属しているすべての人々」もまた、終わりの日に復活するのです!わたしたち自身も、イエス・キリストと共に復活するのです!

ですから、ここで重要なことは、イースター礼拝の目的は、イエス・キリストの復活をお祝いすることだけではないということです。今日わたしたちがお祝いしていることは、イエス・キリストが二千年前に死者の中から復活されたという歴史的事実だけではありません。わたしたちも復活するのだという約束と希望が、イエス・キリストの復活において与えられたことをも、お祝いしているのです。

キリスト教信仰によると、わたしたちよりも先に召された人々は、また戻ってきます。わたしたちもいつか、この地上の人生を終える日が来ます。しかし、また戻ってきます。この世界も、この地上も、終わりの日に回復されます。もう二度と会いたくないと思っていた人も、また戻ってきます。ですから、「ああ、あの人がいなくなってくれてホッとした」というような考え方は、わたしたちの信仰には合致しません。

なぜ合致しないのでしょうか。まさにイエス・キリストを十字架につけて殺した人々は、イエス・キリストがいなくなってくれてホッとしたのだと思います。彼らにとって都合の悪い話ばかりする人の口を何とかして封じ込めようとしたのですから。殺して死んで口を封じることができた。ああよかった。もう大丈夫。もう二度とあのイエスという男の顔を見ることもないし、あの男の声を聞くこともない。あのイエスはもう二度と会堂でも広場でも説教することができない。もう死んだのだから。いなくなったのだから。そのように考えて、彼らはまさにホッと胸をなでおろしたのだと思います。

しかし皆さん、本当にそのような結末で良いでしょうか。物陰でコソコソと悪いことをしたり、人前でいばり散らしたりしている人々が生き残る。多くの人々の前で、神の言葉に基づいて説教をしてきた救い主イエス・キリストが、死によって口を封じられる。そこに何か寂しいもの、物悲しいものがないでしょうか。

ところが、聖書の話は、そこで終わらないところに魅力があります。イエス・キリストは、死によって口を封じられてサヨウナラで終わりません。死人の中から復活して、再び説教をお始めになったのです。これこそが聖書の教えです。

「さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリアともう一人のマリアが、墓を見に行った。すると、大きな地震が起こった。主の天使が天から降って近寄り、石をわきへ転がし、その上に座ったのである。その姿は稲妻のように輝き、衣は雪のように白かった。番兵たちは、恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった。」

今日の聖書の個所に記されていることを「ここに書かれているとおりです。どうぞこのまま信じてください」と勧めても、おいそれとは行かないと感じる方は、おそらく多いだろうと思っています。婦人たちがイエスさまのお墓に行くと、タイミングよく「地震」が起こる。「天使」が登場する。その天使が墓の石を転がす。不思議の国のおとぎ話のようだと思われても仕方がないことばかり書かれています。

しかし、とにかく事実として起こったらしいことは、比較的はっきりしています。婦人たちがイエスさまの墓に行ったときには、墓の蓋の石が動いていたということです。墓の入り口は開いていたということです。その石を、とにかくだれかが動かしたのです。

また、それを動かしたのが誰かということも、明らかにされているわけです。「天使」が動かしたのです。しかも、その「天使」が、石を動かした後もその場に残っていて、婦人たちに言葉を語りかけてきたということも記されています。

「天使」の姿は婦人たちに見えたのでしょうか。稲妻のように輝く姿、雪のように白い衣を着ていたとあるわけですから、とにかくそこに何かが見えていなければ、このようなことが書かれることはなかったでしょう。

ですから、そこで起こった出来事は、「天使」が人間の目に見える存在として現われて、イエスさまの墓の前にあった重い石を物理的に動かしたということです。地震は、重い石を動かしたときの地響きだったかもしれません。

信じることができないという人は、どの部分を信じることができないでしょうか。「地震」でしょうか。「天使」でしょうか。これらの点が躓きの要素になるでしょうか。この個所に登場する「天使」は、人の目に見えているのですから。また「地震」は、人の体に感じられているのですから。超自然的な出来事は、何一つ起こっていないのです。

「天使は婦人たちに言った。『恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、あの方はここにはおられない。かねて言われたとおり、復活なさったのだ。』」

天使が、婦人たちに話しかけてきました。ここに至って、「この個所は絶対に信じることができない。天使が人間に話しかけてくるはずがない。そもそも天使など存在するはずがない」と、そのように思われるでしょうか。

そのようにお考えになる方がおられても構わないと私は思います。天使の存在を信じることができないというだけでしたら簡単に克服できる方法があります。目をつぶればよいのです。目をつぶって「天使」の語る言葉に耳を傾けてみてください。目をつぶりますと、だれが語っているかということが決定的な問題でなくなります。その代わりに、何が語られているかが問題になります。

ここで再び、林暁さんのことを思い起こします。目が全く見えない状態の中で私の語る言葉に耳を傾けてくださいました。林さんはまさか、私のことを「天使」であるとは思わなかったでしょう。しかし、私がどんな体つきをしているかとか、どんな服を着ているかというようなことは、林さんにとっては全く関係ないことだったに違いありません。

天使の存在を信じることができない人は、目をつぶってみてください。そして、そこで語られている言葉に耳を傾けてみてください。

「十字架につけられたイエスは墓におられない。復活なさったのだ!」

「さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい。それから、急いで行って弟子たちにこう告げなさい。「あの方は死者の中から復活された。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる。」確かに、あなたがたに伝えました。』婦人たちは、恐れながらも大いに喜び、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った。すると、イエスが行く手に立っていて、『おはよう』と言われたので、婦人たちは近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれ伏した。イエスは言われた。『恐れることはない。行って、わたしの兄弟たちにガリラヤへ行くように言いなさい。そこでわたしに会うことになる。』」

ここに記されていることは、次の四つに分けて考えることができるでしょう。

第一は、婦人たちが天使のお告げを聞いたこと。

第二は、婦人たちがそのお告げを他の弟子たちに伝えようとしたこと。

第三は、しかし、天使のお告げを他の弟子たちに伝える前に、婦人たち自身がまず復活されたイエスさまに直接出会ったこと。その際、イエスさまは彼女たちに「おはよう」とおっしゃったこと。

第四に、婦人たちは復活されたイエスさま御自身から天使が告げたのと同じ内容の言葉を聞いたことです。その内容は「ガリラヤに行くと、そこでイエスさまにお会いすることができる」ということでした。

この四つの内容の一つ一つについて丁寧に見て行くと、それぞれ興味深い内容を明らかにしていくことができると思います。しかし、その時間は残っていません。最後の第四の内容だけを見ておきます。大切な点は、復活されたイエスさまと弟子たちが出会う場所が「ガリラヤ」であると言われていることです。なぜ「ガリラヤ」なのでしょうか。

「ガリラヤ」とは、イエスさまがエルサレムでユダヤ教の指導者たちと直接対決なさる前に、神の国の福音を宣べ伝えておられた広い地域を指しています。イエスさまがいつも笑顔で、多くの人々を助け、励まし、愛しておられた場所、それが「ガリラヤ」です。

そこに行けば、イエスさまに出会うことができる。十字架の上で罪人の身代りに死んでくださり、救いのみわざを成し遂げてくださったお方に出会うことができる。そしてそこでこそ、イエスさまは神の御言葉を語り続けてくださる。ガリラヤでイエスさまに助けていただいた人々は、希望を見出し続けることができる。

イエス・キリストを十字架につけて殺すことによって口を封じようとした人々の策略と野望はイエス・キリストの復活によって打ち砕かれたのです。「ああ、あのイエスがやっと死んでくれた。もう二度とあの顔を見ることもないし、声を聞くこともない」と安心した人々は、再び不安の中に置かれることにもなりました。

正しい人・善い人が殺されることを、間違っている人・悪い人が悔い改めも反省もせぬまま喜んで生きている社会が住みやすいでしょうか。それは、正しい人が語る言葉が暴力をもって封じ込められ、間違っている人の語る言葉がのうのうと蔓延っている社会です。それこそが現実であると言って納得できるものでしょうか。そういうことに、わたしたちが納得してもよいでしょうか。

聖書が教えるイエス・キリストの復活の真実は、そのような社会にノーを突きつけます。間違っている人・悪い人が墓の中に閉じ込めた救い主は、復活され、墓の蓋を開けてその中から出てこられました。どんな権力にも、どんな暴力にも屈することなく。

復活を信じるとは、いわばそういうことです。イエス・キリストの説教は、わたしたち人間にとって、いつも耳触りのよい、都合のよい内容であるばかりではありませんでした。人間に罪があるからです。あなたの罪を悔い改めること、そして真の神を信じ、あなたの隣人を心から愛すること、そのことをイエス・キリストは語り続けられました。

イエス・キリストの御言葉は、復活の出来事を経て、今も語り続けられています。

永遠に生きておられるキリスト御自身によって、

キリストの体なるこの教会を通して、

キリストを信じるわたしたち一人一人によって。

どんな力も、それを妨げることはできません。

それこそが、今日のイースター礼拝において確認しておきたいことです。

(2008年3月23日、松戸小金原教会主日礼拝)