2008年2月16日土曜日

私とオランダ語(付記)

ここから先は、ただの悪口です。カール・バルトは、九千頁もの(退屈な)大著『教会教義学』を書きました。その分量たるや、あの『ブリタニカ大百科事典』にも匹敵するほどです。そしてバルトは「私の著書を読まないで私の神学を批判する者たち」を批判しました。この神学者の言い分は、ごもっともなものです。しかし、その言い分を聞き入れた神学徒たちの多くが「彼の著書を読み切れないゆえに」彼の神学を批判できなくなりました。著書の分量の多さが、彼自身を守る盾になりました。そして、「この中にすべての答えがある」と信じてバルトの著書を“所有”していることだけで安心し、満足してしまっている神学徒のいかに多いことか!かたや、ファン・ルーラーは、いかにも言葉足らずの、隔靴掻痒の感が深い、実に謎めいた(しかし極めて刺激的な!)神学を提示しました。しかし、この“謎”こそが少なくともこの私を猛烈な勉学に駆り立てる力になりました。善い教師とは「答えを与える人」ではなく「問いを不断に投げかける人」ではないでしょうか。



私とオランダ語(5/5)

しかし、です。「ハズレくじ」という言葉を二回も繰り返して書きました。それは「ファン・ルーラー研究」というコンテキストの中でのハズレくじという意味です。つまり、ファン・ルーラーへの直接的な言及や関係があるのではと期待して購入してみたら、言及がなかったり全く無関係だったりしたという意味です。けれども、明記しておくべきことは、それらもまた学術的に優れた書物ばかりであるということです。別のコンテキストにおいては宝物のような書物ばかりです!それが私にとって大きな収穫となりました。私の眼前の思想世界がどんどんどんどん(広範かつ加速度的に)広がっていきました。それがむしろ「ハズレくじ」であればあるほど、私にとって全く未知であった領域、あるいはそれまで一度も考えたことがなかったような新しい問題が見えてきました。別の言い方をするなら、私にとって、日本基督教団でも日本キリスト改革派教会でも、東京神学大学でも神戸改革派神学校でも、いまだかつて見たことも聞いたこともなかったような全く新しい事柄に出会うことができました。手前味噌で負け惜しみ的な言い方かもしれませんが、私にとってそれは、オランダ現地に居なかったからこそ得ることができた収穫であったという気がしてならないのです。これまで私は「この本を読め、あの本を買え」というたぐいの指示を、(牧田先生を含めて)どなたからも受けたことはありません。すべてを自分で選び、しょっちゅう「ハズレくじ」を引きながらも、しかしまた、すべてを自分のものとしてきました。これが結果的に良いことであったと感じています。自負をこめて申し上げるなら、「自立して神学すること」(zelfstandige theologisering)とはこういうことではないかと思うのです。我が家の二人の子供たち(中一男、小四女)に常に言い聞かせていることは「分からないことがあったら辞書を引け」です。「幸か不幸か、我々人間はインプットしたことしかアウトプットできないのである。漢字にせよ、外国語にせよ、数式にせよ、自分独りで勉強したことしか覚えていないし、使えない。ピアノにせよ、トランペットにせよ、練習したことしか演奏できない。年齢を重ねれば(勉強せずとも)自動的に漢字が書けるようになるわけではないし、時間が経てば(練習せずとも)自動的にピアノを弾けるようになるわけではない。外国に行けば(レッスンを受けずとも)自動的に外国語を使えるようになるわけではないのだ。すべては血の滲むような努力の結果である。分からないことがあったら辞書を引け。辞書を引いた回数だけ、確信をもって言葉を語れるようになるはずだ」。こんなエラそうなことを我が子らに語れるようになったのも、11年間(いまだに!)“パッチワーク”を続けてきた自負(?)ゆえです。



私とオランダ語(4/5)

今日は「東関東中会女性の会総会」(会場 日本キリスト改革派勝田台教会)に行ってきました。もめるような議題は一つもなく、あっと言う間に終了しました。とても幸いで平和な会議でした。ところで。「私とオランダ語」にもう少し付け加えておきます。私の夢(というか妄想)は実現しませんでしたが、どなたかの参考になるかもしれません。ファン・ルーラーを読んでいるうちに、当然のことながら、彼の周りに多くの同時代人たちがいたことが分かりはじめました。そして、ファン・ルーラーもまた、その人々との対話や議論の中で自分自身の神学を形成していった人であることが少しずつながら見えてきました。またそれと同時に気づかされたことは、ファン・ルーラーという人の性格も関係しているのではないかと思われるのですが、自分が対話ないし議論している相手の実名を明示している個所は極めて少ないということです。この点で私はかなり苦労しました。明らかに、だれかの文章や思想を引き合いに出して批判しているように感じられる。しかし、だれのことを言っているのかが全く分からない。それがだれであり、どの書物ないしどの論文からの引用であるかを知るためには、「たぶんあの著者、あの書物、あの論文ではないか」と想像を巡らし、狙いを定めて購入してみるしかありません。具体的に言えば、インターネットの検索エンジンを利用して「たぶんこの著者、この書物、この論文ではないか」と思うものを手当たり次第にピックアップして購入してみるということです。しかし、このやり方だと「ハズレくじ」を引くことも少なくありません。現地に留学している人ならば、実際の古書店に通い、現物を手にし、ページをめくってみて、内容を確認した上で購入できます。あるいは、留学先の図書館で探して借りることができる。そういうことが、現地に居ない者には不可能なのです。そのため、ファン・ルーラーがだれかから引用しているらしきたった一行の文章の出典を調べることだけのためにも、何万円というお金をつぎこまざるをえませんでした。実際私は、それだけあれば単身ならば二、三年でも留学できるのではないかと思うほどの大金を、(ハズレくじを含む)古書の購入のために費やしてきました。これが、ファン・ルーラーを研究しはじめて約11年の間に、最も苦労してきた点です。



2008年2月15日金曜日

私とオランダ語(3/5)

しかし、そこでも威力を発揮しはじめたのはインターネットでした。いろいろ調べていくうちに、インターネット経由でオランダ語のラジオ放送を聞くことができることが分かりました。もちろん最初は全くちんぷんかんぷんでした。それでも何度も繰り返し聞いているうちに、ほんの少しくらいは聴き取れるようになりました。ところが、欲は深まるばかりでした。さらに感じはじめた限界は、「現地に行ったことのない人間に語りうる言葉は、『だそうです』以上ではありえない」ということでした。「オランダの教会では・・・だそうです」、「ファン・ルーラーの神学は・・・だそうです」。これでは何の説得力もありません。「です」と言い切れるようになりたい。そのためにはやはり現地に行かなければならない。そのような思いが募りはじめました。しかし、です。私に“留学”は無理だと悟るのに、それほど時間はかかりませんでした。お金と条件が整いません(私の頭の中身の問題は、この際、横に置いておきます)。二人の子供たちも大きくなってきました。自分の留学などに注ぎうるお金があるなら、それを子供たちの教育費に注ぐべきです。また何より日本キリスト改革派教会に加入させていただいて間もない人間が力を注ぐべきは、この教派の人々からの信頼を獲得することです。そのために、「この男は牧師の仕事をきちんとできる人間である」と認めていただくことです。中会(プレスビテリ)や大会(ジェネラル・アセンブリ)の仕事にも誠実に取り組まなくては、だれも信用してくれません。移籍して早々に海外などをウロチョロしている場合ではありません。それで現在42歳です。おそらくスタートが遅すぎたのです。今願っていることは(かなりおこがましい言い方ですが)私の代わりにオランダに留学してファン・ルーラーを研究してくださる方が起こされることです。その方を、心から応援させていただきます。私にできることなら何でもいたします。無謀にも“留学”の二文字を思い詰めていた時期のことは、「いい夢を見せていただきました」と感謝するばかりです。妄想も、ほどほどにしなければなりません。



私とオランダ語(2/5)

そのようにして始まった組織神学セミナーで、牧田先生はオランダ語テキストを、そして私や宮平先生、また他数名の神学生は英語版テキストを読みはじめました。まもなく講談社の『オランダ語辞典』を購入しました。そして私もオランダ語テキストを読んでみたくなり、牧田先生所有のファン・ルーラー『神学論文集』(Theologisch werk)の全六巻をコピーさせていただきました。当時の神戸改革派神学校図書館には、ファン・ルーラーの『神学論文集』が一冊もなかったのです。ファン・ルーラーを読みたい。ただそれだけの動機で、私はオランダ語を学びはじめました。最初はひたすら“パッチワーク”でした。in (英語のin)とかtussen (between)などをはじめすべての単語に『オランダ語辞典』に記されている訳語を当てていき、意味不明な日本語の文章をとにかくでっち上げ(まさに「でっち上げ」)、それをじっと睨んで意味を考えるという作業を、連日連夜、続けました。神学校卒業後も、しばらくの間はその状態でした。それでも、五年くらい経つと、少しは理解可能な日本語の文章に仕上げることができるようになりました。しかし、決定的に足りないと痛感しはじめた問題は、「私はオランダ語の音声を聞いたことがない」ということでした。どのように発音するのかも分からないオランダ語の各単語にただ辞書的な意味を当てはめていくだけの作業に、限界を感じました。“留学”の二文字を意識しはじめたのは、そのころです。



私とオランダ語(1/5)

先週、埼玉県在住の後輩牧師から電話をいただきました。「関口さんはどうやってオランダ語を勉強されたのでしょうか」。私は次のように答えました。「神戸改革派神学校在学中に牧田吉和先生から少し手ほどきを受けましたが、あとは独学です」。「へえ」と驚かれました。牧田先生のもとでオランダ語を学びはじめたのは1997年4月、神戸改革派神学校の二年次に編入学させていただくことになったときからです。卒業までのわずか一年三ヶ月の間に取り組むべき研究テーマを何にするかを、牧田先生と相談しました。「ファン・ルーラーに関心があるのですが」と言いましたところ、「でも、オランダ語だよ?」とのお返事をいただき、言葉に詰まりました。「じゃあ、英語版のあるヘルマン・バーフィンクにします」と小さな声で言いました。その日からバーフィンクの『改革派教義学』の予定論の部分を、英語版から翻訳しはじめました。それなりに興味深い内容があることが分かりました。が、物足りません。バーフィンクの予定論を支配しているのは、哲学的因果律でした。これではカール・バルトの「キリスト論的予定論」の問題性を克服できそうもないと分かりました。やはりファン・ルーラーに取り組む必要がある。そう確信し、再度牧田先生に「ファン・ルーラーを教えてください」と申し入れました。了解してくださいました。すると、予期せぬことが起こりました。関西学院大学などで経済学の講師をしておられた宮平光庸先生(のちに神戸改革派神学校に入学され、現在は信徒伝道者)がファン・ルーラーの英語版論文集(ジョン・ボルト訳)のコピーを抱えて牧田先生の研究室にやってこられ、「ぜひ、これの読書会を開いてください」と願い入れられました。「じゃあ、関口くんも一緒に」という話になり、神学校の正規の「組織神学セミナー」としてファン・ルーラーを取り上げていただけることになったのです。



2008年2月14日木曜日

私が説教をインターネットで公開している理由 続き

2月8日(金)の「私が説教をインターネットで公開している理由(1/2)」の中に書きました、第一の動機は「日曜日『にも』こういう仕事をしています」と知ってほしい人々に私の現実を伝えることでした、という点に補足しておきます。第一の動機は「ファン・ルーラー研究会を続けたかったから」でした。私自ら呼びかけ人となって結成した「ファン・ルーラー研究会」と称するメーリングリストに、連日連夜、大量のメールを送っていた頃、「あの関口という日本基督教団から移って来たばかりの男は、ファン・ルーラー、ファン・ルーラーと一事にのめり込んでいるようだが、教会の牧師としての仕事はちゃんとやっているのだろうか。あいつの説教は、牧会は、どうなっているんだ?」と心配(あるいは憤怒?)してくださる方々がおられました。私がファン・ルーラーの文章を読むこと、すなわち、この神学者の文章をオランダ語から日本語に翻訳することはマニア的趣味でも教養の涵養でもなく、まして新奇な知識のひけらかしなどではありえず、ここを通らなければ牧師の仕事を続けることはできないと感じられるほどの重要な事柄でした。そうでもなければ、私はオランダ語など何も無理して読みたいわけではないのです。私はオランダマニアになりたいわけではありません。日本で牧師をしたいだけです。神の言葉の説教によって日本のキリスト者を励ましつつ、日本に福音を告げ知らせたいだけです。ファン・ルーラー研究会にメンバーとして参加してくださっている方々も、この思いにおいては同じです。私自身は誰からどのように思われても構わないような人間なのですが、ファン・ルーラー研究会の存在やファン・ルーラーの神学思想そのものが、「ファン・ルーラー研究会代表」を名乗っている人間のせいで悪く思われることには、とても我慢ができません。また、私は神学校や神学大学といったものから地理的に遠い地域で働いてきましたので、そのような場所で教えたり関わったりしたことはありませんが、「神学研究と説教や牧会との両者は密接不可分の関係にある」と先輩たちから教えられてきたことは真実であると確信してきただけです(この確信そのものが間違っていたのでしょうか。もし間違っていたのであれば、それはそれで重大な問題として認識します)。ところが、人の目には、私の姿がどうも私の願っているのとは違ったように映っているらしいと分かりました。「関口は説教や牧会をサボって(←ここがカチンと来る)、ファン・ルーラーの翻訳なんぞにのめり込んでいるようだ」と見えているらしいと。「これは困った事態になってしまった。このままではファン・ルーラー研究(会)を続行することが不可能になるだろう」と気づき、どうしたらよいかと悩んだ挙げ句、「そうだ、すべての説教をインターネットで公開していこう。そうすれば、日曜日『にも』関口はちゃんと仕事をしているらしいと安心していただけるのではないか」と思いつくに至ったのです。つい最近のことですが、私も尊敬している非常に著名な組織神学者の方(東京在住)から、「学問には面倒な世事もつきものです」との重い一言をメールで頂戴し、たいへん恐縮・感謝したばかりです。



「今週の説教メールマガジン」の紹介文を更新しました

今週の説教メールマガジン 編集・発行/関口 康



http://groups.yahoo.co.jp/group/e-sermon/



日本キリスト改革派松戸小金原教会の礼拝で実際に語られた関口康牧師の説教を、メールマガジン形式で配信しています(メーリングリストではありません)。無料でどなたでも登録していただけます。どうぞお気軽にご登録ください。なお、配信者は、どなたがこのメールマガジンの購読登録をしてくださっているかを全く把握しておりません(配信作業はすべて関口康本人が行っています。第三者の手は一切介しておりません)。ご登録いただいたメールアドレスにはメールマガジン以外を配信することはありません。登録していただいた方々に、当方から私信をお送りすることもありません(私信のやりとりをご希望の方には、ご連絡に応じて別途お送りしております)。また、ご登録いただいたメールアドレスを別の目的に流用したり、第三者(松戸小金原教会の会員や役員を含んでいます)に公開したりするようなことは決してありません。どうかご安心くださいますようお願いいたします。



「今週の説教メールマガジン」第200号感謝号を発行しました

何事もコツコツと続けていると少しくらいは良いことがあるようです。2004年9月5日(日)以来、毎週の説教を「今週の説教メールマガジン」と銘打って、希望してくださる方々にメールで配信してきました。それがこのたび、ついに第200号を迎えました。ただの数字の問題にすぎないものの、とにかく一つの区切り目に達することができたことを、うれしく思っています。メールマガジンの内容はブログで公開しているのと同一の説教です。日曜日の説教は、一回につき30分程度。そのために用意する原稿の字数は約4,800字~5,000字(四百字詰原稿用紙で12枚程度)です。あれもこれも語りたいという気持ちを抑えるために、字数の総量制限を設けて、それを超えないように心がけています。とにかく時間を守りたいとの一心から、話の途中でも「今日はここまでにします」と言って説教を強制終了すること、しばしばです。それでよいと思っています。私の座右の銘の一つは「時は金なり」(Time is money)です(これは大真面目な話です)。18世紀アメリカの政治家ベンジャミン・フランクリンが語ったとされる言葉です。牧師といえども、説教といえども、他人の時間を不当に過度に束縛することは強盗行為に限りなく近いと、私は考えております。たとえどんなに美しい内容であっても、長大な説教は犯罪的です。それはともかく。考えてみれば、たったの三年半たらずで200号です。私は現在42歳。日本キリスト改革派教会の「牧師」の定年規定は70歳。あと28年ほど牧師を続けることができます。その間に私は何回の説教を行うのでしょうか。単純計算すると、日曜日の朝だけで28年間×52週=1,456回は、最低でも行うのではないでしょうか。メールマガジンは、定年後も続けることができるでしょう。私が死ぬか説教をやめるかするまでもし続けることができたら(「もし続けることができたら」です)、1700号くらいにはなるかもしれません(「関口よ、お前はいつまで生きるつもりなのだ?」という声が聞こえます)。ちなみに、私は25歳からほぼ毎週日曜日の説教を行ってきました(神戸改革派神学校在学中も、毎週ではありませんでしたが一ヶ月に二、三回のペースで礼拝説教を行っていました)。25歳から70歳までの45年間に私が行なうかもしれなかった日曜日の礼拝説教回数は(これも単純計算ですが)45年間×52週=2,340回になります。回数だけでしたら、現在までの放送回数が2,102回を数えている毎週日曜日の人気落語番組「笑点」に第一回目から出演しておられるあの桂歌丸さんと勝負できそうです。もちろん私だけではなく多くの牧師たちが一生の間にそれくらいの回数の説教を行うのだということを多くの人々に認識してもらいたいです。私には不可能でしたが(私がパソコンやインターネットを使いこなせるようになり、またプロバイダ会社が提供してくれるブログやメールマガジンのサービスが使用に耐えうるレベルになったのは、つい最近です)これから牧師になる方々にはぜひ、説教を開始した日からおやめになる日までの全説教をブログやメールマガジンで公開していただきたいです。公開作業そのものは、いとも簡単です。本日発行しました「第200号感謝号」には高瀬一夫先生(日本キリスト改革派千城台教会牧師)に記念巻頭言を執筆していただきました。いつもお世話になっている、尊敬すべき先輩牧師です。



2008年2月13日水曜日

説教の課題としての「パウロ批判」(2/2)

「伝道の益となるならば」という点からいえば、たとえば、葬式のときの「焼香」は行ってもよいと考えるキリスト者が日本の中で増えてきているようです。日本キリスト改革派教会では、まだごく少数ではないかと思われますが。私自身は「焼香」はしたことがありません。しかし、している人々を厳しく裁く気持ちには、今のところなれません。私自身は幼少の頃に両親と共に通っていた教会(日本基督教団所属)で「焼香はすべきでない」と教えられたので、それ以来、焼香をしたことがありません。しかし、もし行なうとしたら、「妥協」としてではなく「計画的・政治的・戦略的」に行なうでしょう。「伝道の益となるならば」という一点に集中して行なうでしょう。もちろん、パウロが関わった「テモテの割礼」や「ナジル人の誓願」などは旧約聖書的根拠を持っているものなので、「焼香」のような非聖書的・異教的なものなどと一緒くたに考えるべきではないということになるかもしれませんが、習俗的な要素の強さという一点において前者と後者には共通点があると思います。私が見るところ、パウロの「変幻自在・臨機応変」もまた、ある意味での「計画性・政治性・戦略性」を持っていたように思われます。そして、とくに第二回伝道旅行には「さあ、前に主の言葉を宣べ伝えたすべての町へもう一度行って兄弟たちを訪問し、どのようにしているかを見て来ようではないか」(使徒言行録15・36)と書かれているとおり、あらかじめの計画はあったのです。パウロには無計画で出かけるような愚かさや無謀さはありません。海賊だって出かける前に計画ぐらい立てるはずです。ところが、実際に旅行に出かけてみると、事柄は何一つ、計画的に進んでいきませんでした。逮捕され、投獄され、鞭打たれ、予定外の町を一人で彷徨い、生活上の困窮まで体験することになったのです。私が今年一月に行った一連の説教は、新年度の定期会員総会(年に一回開催)を意識していたものです。教会の会計は「会費」や「税金」で成り立っているものではなくすべて「献金」で成り立っているものであり、その中で立てる予算案は、いわば「夢の計画」のようなものであるということを、教会の皆さんに理解してもらいたいと意識していました。計画は「ある」のです。しかし、わたしたちの日常的な現実はどうか。目の前に起こる一瞬一瞬の出来事に対して、まさに一瞬一瞬、「変幻自在・臨機応変」に対応していくしかないようなものである。そういうことを「あの石のように固いパウロからも」学ぶことができるのではないかというのが、私の説教の趣旨でした。教会が悪い意味でのファンダメンタリズム的な原理・原則論に立ってしまいますと、「変幻自在・臨機応変」と評しうるような柔軟な切り回しをしていくことが難しくなると思っています。現在も活躍しているキリスト教ファンダメンタリストたちも、パウロが大好きなのです。彼らはパウロから原理・原則を読み取る仕事をします(「女性の牧師・長老への任職反対」や「異教徒との結婚反対」などを主張する人々も含まれます)。たしかにパウロには、彼らが好むような要素がたくさんあるのです。彼らは、聖書的・神学的・そしてパウロ的な確信をもっていますので、そう簡単に自説を曲げることはありえません。キリスト教ファンダメンタリストたちの目から見れば、パウロにも「柔らかい」面があったという点などを強調して語る日本キリスト改革派教会の関口康牧師の姿は、ほとんど異端のように見えているかもしれません。そのように見られることを覚悟しながら、説教を公開しております。