2月8日(金)の「私が説教をインターネットで公開している理由(1/2)」の中に書きました、第一の動機は「日曜日『にも』こういう仕事をしています」と知ってほしい人々に私の現実を伝えることでした、という点に補足しておきます。第一の動機は「ファン・ルーラー研究会を続けたかったから」でした。私自ら呼びかけ人となって結成した「ファン・ルーラー研究会」と称するメーリングリストに、連日連夜、大量のメールを送っていた頃、「あの関口という日本基督教団から移って来たばかりの男は、ファン・ルーラー、ファン・ルーラーと一事にのめり込んでいるようだが、教会の牧師としての仕事はちゃんとやっているのだろうか。あいつの説教は、牧会は、どうなっているんだ?」と心配(あるいは憤怒?)してくださる方々がおられました。私がファン・ルーラーの文章を読むこと、すなわち、この神学者の文章をオランダ語から日本語に翻訳することはマニア的趣味でも教養の涵養でもなく、まして新奇な知識のひけらかしなどではありえず、ここを通らなければ牧師の仕事を続けることはできないと感じられるほどの重要な事柄でした。そうでもなければ、私はオランダ語など何も無理して読みたいわけではないのです。私はオランダマニアになりたいわけではありません。日本で牧師をしたいだけです。神の言葉の説教によって日本のキリスト者を励ましつつ、日本に福音を告げ知らせたいだけです。ファン・ルーラー研究会にメンバーとして参加してくださっている方々も、この思いにおいては同じです。私自身は誰からどのように思われても構わないような人間なのですが、ファン・ルーラー研究会の存在やファン・ルーラーの神学思想そのものが、「ファン・ルーラー研究会代表」を名乗っている人間のせいで悪く思われることには、とても我慢ができません。また、私は神学校や神学大学といったものから地理的に遠い地域で働いてきましたので、そのような場所で教えたり関わったりしたことはありませんが、「神学研究と説教や牧会との両者は密接不可分の関係にある」と先輩たちから教えられてきたことは真実であると確信してきただけです(この確信そのものが間違っていたのでしょうか。もし間違っていたのであれば、それはそれで重大な問題として認識します)。ところが、人の目には、私の姿がどうも私の願っているのとは違ったように映っているらしいと分かりました。「関口は説教や牧会をサボって(←ここがカチンと来る)、ファン・ルーラーの翻訳なんぞにのめり込んでいるようだ」と見えているらしいと。「これは困った事態になってしまった。このままではファン・ルーラー研究(会)を続行することが不可能になるだろう」と気づき、どうしたらよいかと悩んだ挙げ句、「そうだ、すべての説教をインターネットで公開していこう。そうすれば、日曜日『にも』関口はちゃんと仕事をしているらしいと安心していただけるのではないか」と思いつくに至ったのです。つい最近のことですが、私も尊敬している非常に著名な組織神学者の方(東京在住)から、「学問には面倒な世事もつきものです」との重い一言をメールで頂戴し、たいへん恐縮・感謝したばかりです。
2008年2月14日木曜日
「今週の説教メールマガジン」の紹介文を更新しました
今週の説教メールマガジン 編集・発行/関口 康
http://groups.yahoo.co.jp/group/e-sermon/
日本キリスト改革派松戸小金原教会の礼拝で実際に語られた関口康牧師の説教を、メールマガジン形式で配信しています(メーリングリストではありません)。無料でどなたでも登録していただけます。どうぞお気軽にご登録ください。なお、配信者は、どなたがこのメールマガジンの購読登録をしてくださっているかを全く把握しておりません(配信作業はすべて関口康本人が行っています。第三者の手は一切介しておりません)。ご登録いただいたメールアドレスにはメールマガジン以外を配信することはありません。登録していただいた方々に、当方から私信をお送りすることもありません(私信のやりとりをご希望の方には、ご連絡に応じて別途お送りしております)。また、ご登録いただいたメールアドレスを別の目的に流用したり、第三者(松戸小金原教会の会員や役員を含んでいます)に公開したりするようなことは決してありません。どうかご安心くださいますようお願いいたします。
「今週の説教メールマガジン」第200号感謝号を発行しました
何事もコツコツと続けていると少しくらいは良いことがあるようです。2004年9月5日(日)以来、毎週の説教を「今週の説教メールマガジン」と銘打って、希望してくださる方々にメールで配信してきました。それがこのたび、ついに第200号を迎えました。ただの数字の問題にすぎないものの、とにかく一つの区切り目に達することができたことを、うれしく思っています。メールマガジンの内容はブログで公開しているのと同一の説教です。日曜日の説教は、一回につき30分程度。そのために用意する原稿の字数は約4,800字~5,000字(四百字詰原稿用紙で12枚程度)です。あれもこれも語りたいという気持ちを抑えるために、字数の総量制限を設けて、それを超えないように心がけています。とにかく時間を守りたいとの一心から、話の途中でも「今日はここまでにします」と言って説教を強制終了すること、しばしばです。それでよいと思っています。私の座右の銘の一つは「時は金なり」(Time is money)です(これは大真面目な話です)。18世紀アメリカの政治家ベンジャミン・フランクリンが語ったとされる言葉です。牧師といえども、説教といえども、他人の時間を不当に過度に束縛することは強盗行為に限りなく近いと、私は考えております。たとえどんなに美しい内容であっても、長大な説教は犯罪的です。それはともかく。考えてみれば、たったの三年半たらずで200号です。私は現在42歳。日本キリスト改革派教会の「牧師」の定年規定は70歳。あと28年ほど牧師を続けることができます。その間に私は何回の説教を行うのでしょうか。単純計算すると、日曜日の朝だけで28年間×52週=1,456回は、最低でも行うのではないでしょうか。メールマガジンは、定年後も続けることができるでしょう。私が死ぬか説教をやめるかするまでもし続けることができたら(「もし続けることができたら」です)、1700号くらいにはなるかもしれません(「関口よ、お前はいつまで生きるつもりなのだ?」という声が聞こえます)。ちなみに、私は25歳からほぼ毎週日曜日の説教を行ってきました(神戸改革派神学校在学中も、毎週ではありませんでしたが一ヶ月に二、三回のペースで礼拝説教を行っていました)。25歳から70歳までの45年間に私が行なうかもしれなかった日曜日の礼拝説教回数は(これも単純計算ですが)45年間×52週=2,340回になります。回数だけでしたら、現在までの放送回数が2,102回を数えている毎週日曜日の人気落語番組「笑点」に第一回目から出演しておられるあの桂歌丸さんと勝負できそうです。もちろん私だけではなく多くの牧師たちが一生の間にそれくらいの回数の説教を行うのだということを多くの人々に認識してもらいたいです。私には不可能でしたが(私がパソコンやインターネットを使いこなせるようになり、またプロバイダ会社が提供してくれるブログやメールマガジンのサービスが使用に耐えうるレベルになったのは、つい最近です)これから牧師になる方々にはぜひ、説教を開始した日からおやめになる日までの全説教をブログやメールマガジンで公開していただきたいです。公開作業そのものは、いとも簡単です。本日発行しました「第200号感謝号」には高瀬一夫先生(日本キリスト改革派千城台教会牧師)に記念巻頭言を執筆していただきました。いつもお世話になっている、尊敬すべき先輩牧師です。
2008年2月13日水曜日
説教の課題としての「パウロ批判」(2/2)
「伝道の益となるならば」という点からいえば、たとえば、葬式のときの「焼香」は行ってもよいと考えるキリスト者が日本の中で増えてきているようです。日本キリスト改革派教会では、まだごく少数ではないかと思われますが。私自身は「焼香」はしたことがありません。しかし、している人々を厳しく裁く気持ちには、今のところなれません。私自身は幼少の頃に両親と共に通っていた教会(日本基督教団所属)で「焼香はすべきでない」と教えられたので、それ以来、焼香をしたことがありません。しかし、もし行なうとしたら、「妥協」としてではなく「計画的・政治的・戦略的」に行なうでしょう。「伝道の益となるならば」という一点に集中して行なうでしょう。もちろん、パウロが関わった「テモテの割礼」や「ナジル人の誓願」などは旧約聖書的根拠を持っているものなので、「焼香」のような非聖書的・異教的なものなどと一緒くたに考えるべきではないということになるかもしれませんが、習俗的な要素の強さという一点において前者と後者には共通点があると思います。私が見るところ、パウロの「変幻自在・臨機応変」もまた、ある意味での「計画性・政治性・戦略性」を持っていたように思われます。そして、とくに第二回伝道旅行には「さあ、前に主の言葉を宣べ伝えたすべての町へもう一度行って兄弟たちを訪問し、どのようにしているかを見て来ようではないか」(使徒言行録15・36)と書かれているとおり、あらかじめの計画はあったのです。パウロには無計画で出かけるような愚かさや無謀さはありません。海賊だって出かける前に計画ぐらい立てるはずです。ところが、実際に旅行に出かけてみると、事柄は何一つ、計画的に進んでいきませんでした。逮捕され、投獄され、鞭打たれ、予定外の町を一人で彷徨い、生活上の困窮まで体験することになったのです。私が今年一月に行った一連の説教は、新年度の定期会員総会(年に一回開催)を意識していたものです。教会の会計は「会費」や「税金」で成り立っているものではなくすべて「献金」で成り立っているものであり、その中で立てる予算案は、いわば「夢の計画」のようなものであるということを、教会の皆さんに理解してもらいたいと意識していました。計画は「ある」のです。しかし、わたしたちの日常的な現実はどうか。目の前に起こる一瞬一瞬の出来事に対して、まさに一瞬一瞬、「変幻自在・臨機応変」に対応していくしかないようなものである。そういうことを「あの石のように固いパウロからも」学ぶことができるのではないかというのが、私の説教の趣旨でした。教会が悪い意味でのファンダメンタリズム的な原理・原則論に立ってしまいますと、「変幻自在・臨機応変」と評しうるような柔軟な切り回しをしていくことが難しくなると思っています。現在も活躍しているキリスト教ファンダメンタリストたちも、パウロが大好きなのです。彼らはパウロから原理・原則を読み取る仕事をします(「女性の牧師・長老への任職反対」や「異教徒との結婚反対」などを主張する人々も含まれます)。たしかにパウロには、彼らが好むような要素がたくさんあるのです。彼らは、聖書的・神学的・そしてパウロ的な確信をもっていますので、そう簡単に自説を曲げることはありえません。キリスト教ファンダメンタリストたちの目から見れば、パウロにも「柔らかい」面があったという点などを強調して語る日本キリスト改革派教会の関口康牧師の姿は、ほとんど異端のように見えているかもしれません。そのように見られることを覚悟しながら、説教を公開しております。
説教の課題としての「パウロ批判」(1/2)
ブログの力は小さくなさそうだと感じました。説教を公開しても意見をもらったことがないと書きましたら、さっそくご意見をいただくことができました。「これは批判ではありません」とのお断りがありましたが、仮に「説教批判」として書いてくださっていたとしても、大歓迎いたします。そもそもブログやメールマガジンなどで説教の全文を公開している目的は「伝道」ではなく、私の説教を批判していただきやすくするために「《言質》(げんち)を提供すること」だからです。このことを私は、説教者とその説教をお聴きになる方々との関係は「一方通行」であってはならず、常に「双方向的な関係」でなければならないという確信に基づいて行っています。日本キリスト改革派教会をもちろん含むすべてのプロテスタント教会の牧師の説教は、いかなる批判も許されない「神聖不可侵なもの」(サクトサンクト)、たとえばローマ教皇の回勅のような「無謬なもの」(これは皮肉です)ではありえません。さて以下は、いただいたご意見へのお返事の一部です(ただし実際に書いた文面から少し修正しているところがあります)。テモテの割礼をパウロが行ったことについて私が「変幻自在・臨機応変」と評したことに対して、いやむしろパウロという人は「一皮むくと、まことに一徹な、石のような人となり」を持っていたのではないかというご意見を、百パーセント同意しつつ拝読させていただきました。なるほどパウロは、確かに「石のような人」です。固すぎて困るくらいです。第一回伝道旅行の途中で脱落した助手ヨハネ・マルコに対する厳しい態度。恩師ともいうべき同僚バルナバとの対立と離別。エフェソで出会った占いの仕事をしていた女奴隷がパウロにつきまとい騒いだ時、イライラして大声で怒鳴りつけてしまうあの態度。アテネの偶像を見て「憤慨する」心中。「信心深いあなたたちが知らずに拝んでいる神をこのわたしが教えてあげましょう」という皮肉と嫌味とけんか腰。パウロがもともと属していたユダヤ教ファリサイ派は、言ってみればユダヤ教ファンダメンタリズムです。キリスト者になってからのパウロにもファンダメンタリスト特有のけんか腰が散見されます。真理の石を思い切り相手にぶつけて怪我をさせる。「痛い!」と悲鳴をあげて降参する人々を見て「やっと悔い改めてくれた」とみなす。私はパウロの姿を見ると「まるで日本の(保守的な系統の)プロテスタント教会のようだ」と感じます。よい意味でも、しかし悪い意味でもです。もちろん日本キリスト改革派教会も含まれます。そして私自身も含まれます。私がテモテの割礼を「パウロの変幻自在・臨機応変」と評したのは、皮肉やけんか腰のつもりはありませんが、日本の教会の現状に対するある種の挑戦(チャレンジ)の意味を込めていました。あの「石」のようなパウロにもこういう柔らかい面もあったのですよ(!)ということを、少し過剰と思われてもよいから、とにかくこの機会に強調しておきたいと願った結果です。
2008年2月10日日曜日
「恐れるな、語り続けよ」
http://sermon.reformed.jp/pdf/sermon2008-02-10.pdf (印刷用PDF)
「今週の説教メールマガジン 第200号感謝号」記念巻頭言 高瀬一夫先生
使徒言行録18・1~11(連続講解第45回)
日本キリスト改革派松戸小金原教会 牧師 関口 康
「その後、パウロはアテネを去ってコリントへ行った。ここで、ポントス州出身のアキラというユダヤ人とその妻プリスキラに出会った。クラウディウス帝が全ユダヤ人をローマから退却させるようにと命令したので、最近イタリアから来たのである。パウロはこの二人を訪ね、職業が同じであったので、彼らの家に住み込んで、一緒に仕事をした。その職業はテント造りであった。パウロは安息日ごとに会堂で論じ、ユダヤ人やギリシア人の説得に努めていた。シラスとテモテがマケドニア州からやって来ると、パウロは御言葉を語ることに専念し、ユダヤ人に対してメシアはイエスであると力強く証しした。しかし、彼らが反抗し、口汚くののしったので、パウロは服の塵を振り払って言った。『あなたたちの血は、あなたたちの頭に降りかかれ。わたしには責任がない。今後、わたしは異邦人の方へ行く。』パウロはそこを去り、神をあがめるティティオ・ユストという人の家に移った。彼の家は会堂の隣にあった。会堂長のクリスポは、一家をあげて主を信じるようになった。また、コリントの多くの人々も、パウロの言葉を聞いて信じ、洗礼を受けた。ある夜のこと、主は幻の中でパウロにこう言われた。『恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ。』パウロは一年六か月の間ここにとどまって、人々に神の言葉を教えた。」
パウロが「アテネを去った」と記されています。この「去った」という表現は、単なる移動の事実を示しているというよりも、もっと強い意味を持っています。「退却した」です。あるいは「引き上げた」とか「遠ざかった」です。「すごすごと」あるいは「しおしおと」あるいは「しょんぼりして」という言葉を付け加えたくなるような表現です。
どうしてパウロはしょんぼりしているのでしょうか。その事情は先週学んだとおりです。第二回伝道旅行の出発時にはパウロと共にシラスとテモテの二人がいました。しかし途中でパウロは一人になってしまいます。そしてパウロはたった一人でギリシアの首都アテネに行き、そこで説教しましたが、その結果はあまり思わしいものではありませんでした。
大都会のど真ん中に、一人で立つ。どれほど大きな声を張り上げて何を語ったとしても、まともに耳を傾けてくれる人がいない。何を言っても無駄。取りつく島がない。きっかけがつかめない。なすすべがない。そのことを深く痛感し、気落ちして元気なく、その場を後にする。そうしたパウロの心境が「去る」というこの一言に集約されているのです。
パウロの語り方のほうにも問題があったということを先週申し上げました。皮肉や嫌味がたくさん含まれている言葉を、けんか腰で語る。気負いがあったのではないでしょうか。「わたしは大都会アテネの異教主義を相手に一人で戦っているのだ」というような意味での気負いです。しかし、皮肉交じりのけんか腰の言葉は人の気持ちを逆なでするものです。素直に聞いてくれる人は少ないでしょう。
パウロという人は、よくも悪しくも強い人でした。彼の強さには「悪しくも」と言わなければならない面があったと思われるのです。
自分が信じていることを、どんな場所でもはっきりと語ることができました。それは良い面でしょう。しかし、場をわきまえるとか、相手の状況を配慮するというような面に少し欠けるものがありました。要するに、遠慮がないのです。デリカシーというようなものもちょっと足りない。配慮するとか遠慮するというようなことを考えたり実行したりすること自体が罪であると思っているようなところがありました。当たって砕けろ式のやり方で体当たりする。あるいは、真理の重くて固い石を、だれかれかまわず投げつけてしまうようなところがあったのです。そして、相手が間違っていたり、こちらの思い通りにならなかったりした場合は、すぐ怒る。腹を立てる。こういう人は、わたしたち日本人がいちばん苦手とするタイプかもしれません。
しかし、そのようなパウロの態度も、伝道旅行の中で遭遇する体験の中で、ほんの少しずつですが、変わっていったと感じられる面もあります。今日の個所からその変化を示すことはできませんが、今後の学びの中で見ていきたいと願っています。
パウロはコリントに移動しました。そしてコリントでも「安息日ごとに会堂で」御言葉を宣べ伝える仕事をしました。しかし、この町でパウロの活動に新しい要素が付け加わりました。コリントに住んでいたアキラとプリスキラというユダヤ人夫婦の家に住み込んで、彼らと一緒にテント造りの仕事に取り組んだというのです。
ただし、気になることがあります。それは、パウロとアキラの「職業」が同じであったという表現です。結論から言いますと、これは誤訳であると私は考えています。なぜなら、パウロの職業は「伝道」だからです。それは私の職業が「牧師」であることと同じです。伝道だの牧師だのは「職業」ではないという考えもあることを私は知っています。しかしそれは非常に大きな誤解です。パウロの場合も、彼の「職業」はテント造りのほうであり、伝道のほうは副業もしくは奉仕であるということではありませんでした。もしこの個所をそのように誤解する人が出てくるとしたら、これは明らかな誤訳なのです。
私がいつも拠り所にしている注解書を調べましたところ、私の理解を助けてくれる言葉が見つかりました。それによりますと、ここで「職業」と訳されている言葉(テクネー)の意味は、むしろ「技術」(テクニック)ないし「能力」(スキル)であるということです 。つまりここに書かれていることは「パウロの職業はテント造りであった」という意味ではなく、「パウロはテント造りの技術を持っていた」という意味であると理解すべきなのです。
ただ、しかしまた、「職業」という日本語がいわゆるお金を稼ぐ手段というようなことをもっぱら意味する言葉であると理解されているような場所や人々の中では、伝道が「職業」であるという話は、なかなか通じないというか、かえって非常に誤解される面があるかもしれません。「伝道」そのものは営利事業ではありえないからです。
パウロがなぜ、コリントの町でテント造りの仕事に取り組んだのか、その事情や動機についての詳しい説明はどこにもありません。しかし、思い当たることは、一つしかありません。要するに、食べるお金、あるいは宿を借りるお金にも窮する状況に陥ったのです。それ以外の理由は考えられません。
シラスとテモテから離れて一人でいたということがおそらく関係していたのでしょう。アキラとプリスキラの家に「住み込んだ」とは「居候(いそうろう)させてもらった」ということでしょう。居候も、何もしないでいると肩身が狭い。「仕事をさせていただきますので、どうか食べさせてください、しばらく住まわせてください」という話になったのだと思います。そこでパウロは、どこかで身に付けた「技術」ないし「能力」を活かすことを考えた。それがテント造りであったと見ることが可能です。
伝道の仕事に就いている者たち、牧師たちも、その種の苦労を味わうことがあります。笑いながらお話しできるようなことばかりではありません。心底つらい思いをすることがあります。しかしその体験には「人生の良い経験をさせていただきました」と感謝すべき面もあると思っています。そのような体験があるゆえに、お金のこと、生活のことで苦労している人々の気持ちを理解し、共感し、同情することができます。生活が完全に破たんすると、人はどのような思いになるのかということを、多くの伝道者は知っているのです。
シラスとテモテが、やっとコリントに来てくれました。それでパウロの状況が好転したようです。シラスとテモテがどこかで献金を集めてきてくれたのかもしれません。「パウロは御言葉を語ることに専念した」と記されていることの意味は明らかです。テント造りの仕事をやめたということです。そして安息日だけ御言葉を語るという生活をやめたということです。そのようにして毎日御言葉を語る者になったということです。つまりパウロの本来の「職業」としての伝道に専念できるようになったということです。この点を考えても、テント造りをパウロの「職業」と翻訳することは誤訳であると言わざるをえません。
しかし、です。パウロが力強く語れば語るほど、抵抗勢力のいきおいも増してきました。そこでパウロはどうしたか。腹を立てたり大きな声で怒鳴ったりしたでしょうか。どうもそうではなさそうです。もっとも「服の塵を振り払った」は「足の塵を払い落す」(12・51)と同じく、敵対する人々を呪う行為です。しかし、抵抗するユダヤ人たちを力づくで組み伏せようとするのではなく、「今後、わたしは異邦人の方へ行く」と宣言するに至りました。
ユダヤ人たちと向き合うのと比べると、異邦人に伝道するほうが容易かったでしょうか。まさかそんなことはありえません。たしかにユダヤ人たちは、聖書の神を信じていました。ユダヤ人たちが信じなかったのは、イエスがキリストであるという点です。それに対して異邦人たちはどうだったか。異邦人たちは聖書の神を信じていないから、白いキャンバスの上に新しい絵を描きはじめることができたかというと、そんなことはなかったわけです。異邦人たちは別の神を信じていました。別の思想、別の哲学に対して、確信を持っていました。ユダヤ人たちはパウロの宣べ伝える言葉を聞くと腹を立てました。しかし、異邦人たちは嘲笑ったのです。どちらの道も容易いものではなかったのです。
パウロは、お世話になったアキラとプリスキラの家に別れを告げ、次にコリントの会堂の隣にあったティティオ・ユストという人の家に住ませてもらうことになりました。会堂の隣に住むのはやはり都合がよいことです。会堂は「人が集まる」場所だからです。伝道とは「人に伝える」わざだからです。神の言葉の説教は、人のいない空中に向かって語られるものではありません。そこに大勢の人が集まっている場所で語られるものなのです。
コリントの町で、パウロは、おそらく、夜眠っているときに夢を見たのです。そして、その夢の中で救い主イエス・キリスト御自身の声を聞いたのです。「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。」おそらくこれは、すべて、そのときのパウロの心の中にあった思いに反対する言葉ではないかと思われます。おそらくパウロは恐れていました。語るのをやめよう、黙っていよう、こんなことを続けて何になるのかと、何度も思ったのです。繰り返し落胆と失望を味わっていたのです。多くの反対や抵抗、あからさまな攻撃、誤解や偏見、中傷誹謗、とくにアテネでの失敗やそこで受けた嘲笑、さらにコリントにおける生活上の苦労や行き詰まり。これらのことで、ほとんど心折れそうになっていたのです。
その中でパウロが見た夢、そしてその夢の中で聞いたイエス・キリストの励ましの声が、だれよりもパウロ自身を救う力になったことは、間違いありません。
わたしたちも同じです。伝道はわたしたちの熱意や勇気だけで続けられるものではありません。イエス・キリスト御自身の励ましの言葉だけが、わたしたちを支えているのです。
(2008年2月10日、松戸小金原教会主日礼拝)
「今週の説教メールマガジン 第200号感謝号」記念巻頭言
高瀬一夫 (日本キリスト改革派千城台教会牧師)
関口先生、そして松戸小金原教会の皆様、「今週の説教メールマガジン第200号」、おめでとうございます。
説教は語る者より、聞く者の聞き方のほうが大きな力となります。聞いてくださる方があって語る者は励みにもなり、支えられている感謝で毎週語ることが許されているのです。説教者は、説教を聴いてくださるお一人お一人のお顔を思い浮かべながら、みことばに聞き、用意をします。
ほとんどの牧師はその説教を公表していません。語り終えるとそれで全てが終わります。私も説教を文書化することをしておりません。しないのではなく、出来ないのです。真剣に学び、教えられ、また神様が語れと命じておられることを文書化しなければならないと、いつも思っています。しかし、なかなか出来ないでおります。私の知人・友人の方々は、語るだけでなく、それを文書化し、さらに多くの人々に公表すべきであると言われます。でも、できない自分を恥ずかしく思っています。
ところが、関口先生は教会内で公表なさるだけではなく、ホームページやブログで広く公表されておられます。このお働きはとても勇気のいることであり、また大変な努力を必要とする仕事です。毎週毎週欠かさずに説教を公表するということは至難の業であります。私は「文章を書くことは恥をかくこと」といわれたことがあります。確かに、文字にしてしまいますと、語った説教と違うイメージが勝手に読む人々によって抱かれ、誤解され、批判されることがあります。それでもなお書き続けられることを200回も続けられたことに敬服いたしております。
このお働きは常人には出来ないことです。強靭な意志と、人並みはずれた努力と、そして神様がその業を励ましてくださり、健康を祝福してくださることによって実現したと思っています。
関口先生はとても多忙なお方です。教会の牧師としてだけでなく、お子様たちの通っておられる学校のPTAのお働き、地域の方々と共に「九条の会」などにも積極的にかかわっておられます。また中会内の働きにも重責を担っておられます。そして何よりもファン・ルーラー研究者・翻訳者としての働きや、カルヴァン学会などの働きをしておられます。
時々、先生からメールをいただくことがあるのですが、夜中の2時、3時に発信しておられることがあります。いつ寝ておられるのだろうと思っています。こんなに忙しい先生なのに説教を毎週欠かさず公表されておられることは真に驚異的です。この「今週の説教 メールマガジン200号」は、先生の血のにじむような忍耐と努力の結晶であると思っています。
私は書斎で疲れたとき昼寝をしますが、以前、先生の説教を子守唄にしてきながら寝ていました。そのことを先生にお伝えしたのが今回のお祝いの言葉を書くように依頼された理由でしょうか。真に失礼とは思いますが、そんな不真面目な聞き方でも「聞いてくださることがありがたい」とおっしゃる先生の心の広さを感心しています。
先生の説教にはところどころ先生と親しく交わっているものにだけに分かる先生の癖がはっきりと現れています。それを感じるものとして説教を聞かせていただいておりますと、本当に楽しくなります。
そして先生の説教は、先生でなければ語れない大胆さ、福音の力強さ、説得力の豊かさを感じます。この様に先生を用いていてくださる神様の御名を心からほめたたえたいと思っています。
200号は単なる通過点です。300号500号1000号をと先生なら出来ると思います。がんばってください。先生の健康のため祈ります。そして先生を支えておられる松戸小金原教会の信徒のお一人お一人の上に神様の祝福がたくさんありますように祈ります。
最後にこのメールマガジンをいつも読んでおられる方々に心から感謝いたします。暖かいお励まし、お祈りが背後にありますこと、感謝です。今後も先生のこのお働きのためぜひお祈りをお願いいたします。
心からのお祝いの気持ちを文章にしました。本当におめでとうございました。そしてこれからもがんばってください。先生のために祈ります。御名をほめたたえつつ。
(2008年2月7日 記す)
2008年2月9日土曜日
エール
テサロニケの信徒への手紙一5・16~18
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。」
ご結婚おめでとうございます。心からお祝いを申し上げます。御両家の方々にもお慶びを申し上げます。お二人の結婚式の司式をさせていただくことができますことを嬉しく思っています。
多くの人々が認めてくださることは、結婚はゴールではない、スタートであるということです。人生には苦しいことも悲しいこともあります。そのときに一人ではなく二人、そしてこれから生まれてくる子どもたちと一緒に苦しみや悲しみの時を乗り越えていくことができるのは、本当に幸いなことです。
時には、わたしたち自身が周りの人を傷つけてしまったり、多くの人を悲しませてしまったりする、その原因になってしまうこともあります。しかし、そのようなときも一人ではなく二人。お互いに厳しいことを言い合わなければならないときもありますが、しかしまた、お互いの弱さを認め合い、赦し合うことができます。
何もかも自分一人で抱えこみ、自分一人で決着をつける。そのような人生には気楽な面もあるかもしれませんが、さびしいと感じる面も必ずあるはずです。一人でいることはわたしたちの成長の段階の中では必要なことでもあります。しかし、わたしたちはいつまでも一人で生きられるわけではない。助けを必要としている存在なのです。
新郎のお名前「信悟」の信は、信じるの信です。新婦のお名前「睦子」の睦は、仲睦まじいの睦です。とても良いお名前をそれぞれのご両親から授かったお二人です。それぞれのご両親が長い時間をかけてお二人を育ててくださいました。そのご家族の思いを、これからも大切にしなければなりません。そして、どうぞ、お二人がお互いを信じ合うことができ、いつまでも仲睦まじくありますように。
さて、お二人がこれから幸せな人生を送って行かれるためにお勧めしたいことを申し上げます。それが、先ほどお読みしました聖書のみことばです。
「いつも喜んでいなさい。」そんなことができてたまるかと言われることがあります。いつも喜んでいるだなんて人生を甘く見ている証拠ではないか、と。しかし、そこで少し立ち止まって考えてみてほしいことがあります。それは「もう一人ではない」ということです。いつまでも不機嫌な顔をしていると家族が迷惑しますということです。一人ならばいつまででも不機嫌な顔をしていてください。どうぞご自由に!しかし、せめて家族みんながいるところでは笑ってください。みんなを幸せにすることを考えてください。ぜひそのことを心がけてください。
私は教会の牧師ですからこういうことはよく分かるのです。教会の中で不機嫌な顔をしている牧師は迷惑な存在です。「何かあったんじゃないか?」と心配していただいたりご機嫌をとっていただいたり。周りの人々に気を使わせてしまいます。同じことがすべての人に当てはまるのだと思っています。自分一人でいるときにはどんなに不機嫌でも構いません。しかし、家族のみんなの前では笑っていてください。周りのみんなを幸せにしてください。ぜひお願いいたします。
「絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。」祈りというのはもちろん宗教の次元の話です。結婚生活というのは、とにかく二人で力を合わせて、両方の実家から独立して頑張って生きることです。しかし、私も経験してきたことですが、若い二人にはお金もありませんし、力もない。生きていくための十分な知恵もない。そのような中で子供を育て、家計を切り盛りしていかねばならない。すぐに行き詰ってしまいます。
それでも、そこですぐに実家に頼るのか、それとも、もう少し二人だけでがんばってみようと思うのかで、結果は大きく違ってくるでしょう。しかし、二人だけで頑張ると言っても、どうしたらよいのか頭を抱え、途方に暮れるときが来る。それが現実です。
しかし、そのようなときにぜひ考えてもらいたいことは、二人で一緒に天におられる神に祈ってみてくださいということです。途中の話を全部省略して結論だけ言いますが、神さまが必ず助けてくださいます。神さまに祈ってください。そうすれば、必要なものはすべて必ず与えられます。お二人は、祈りによって危機的な局面を乗り越えていけるでしょう。
実は「今日まで内緒にしておいてください」と言われていました。新婦の職場である歯科医院の方々が来てくださっています!職場のみんなに迷惑をかけたくないと遠慮しておられたようですね。「四年も頑張って働いてくれた大切な仲間の結婚式に行かないわけにはいかない」と一時休診して駆けつけてくださいました。
本当に素晴らしい方々がお二人の周りにおられます。今日集まってくださった皆さんがそうです。職場の皆さんも、もちろん御両家も、たくさんの友達も、そして教会も、お二人をお助けします。
安心して、勇気をもって、これからの新しい人生を歩み出してください!祝福をお祈りいたします。
(2008年2月9日、結婚式説教、於 松戸小金原教会)
インターネット時代における教義学研究の新しい可能性
今週は終始、心定まらず、脳内もクリアでなく、首や肩や腰に張りや痛みを感じながら過ごしました。理由ははっきりしています。先週中に一回、今週中も一回(昨夜)行った夜なべ仕事(脱稿が朝になる夜通しの書き物)が心身にダメージを与えているという、ただそれだけのことです。しかし今日は、教会で結婚式です。若い二人の晴れ舞台に、司式者が寝ぼけた顔をしているわけにはいきませんので、気合いを入れてがんばりたいと思います。
ところで。今週書いてきたことに強いてタイトルをつけるとしたら、大げさかもしれませんが「インターネット時代における教義学研究の新しい可能性」というようなことかなと思っています。最初からこういうことを書こうと決めて書いてきたわけではありません。なんとなくこういう方向に来てしまいました。しかし、インターネットの出現は、我々の教義学なり神学なりの研究のあり方を根本的に変えていかざるをえない、その意味で劇的ないし革命的な変化の可能性を示してくれるものであったと、私は感じています。
「感じています」と書くのは、変化後の実現形態をまだ見ていないからです。しかし、私自身がインターネットを約11年ほど利用してきて分かってきたことは、「これはかなり使える」ということです。とりあえず二点、教義学研究にとってのインターネットの利点を書きとめておきます。
第一は「これはとにかく《文字》(もじ)を伝えるツールである」ということです。換言すれば、これは《文字》を“言質”(げんち)として獲得しうるツールです。「言った・言わない」という不毛な論争を終結させうるツールです。この点が教義学研究に有効なのです。
私の長年の確信は「神学、とりわけ教義学というものは、それが学問(Wissenschaft)と呼ばれるものであるかぎり、《文字》のテキストをとにかく根拠にするものである」ということです。「立ち話や噂話、風説や流言飛語などをデータとみなす」、あるいは「行間を読む」とか「言外の意図を探る」というような仕方で、空中を漂う(文字化されていない)コトバを根拠にして学問としての教義学を営むことは、限りなく不可能に近いことであり、あるいは、たとえいくらか可能な部分が存するとしても、そのようなものはなるべく邪道とみなし、排除すべきであるという感覚を、私はずっと持ち続けてきました。この私の感覚に対して、インターネットというこのツールは、かなり大きな充足感を与えてくれるものでした。とにかく世界中の《文字》をかき集めて来てくれる。すなわち、「学問」(Wissenschaft)の根拠になりうるものをかき集めて来てくれる。これと同じことを期待できるインターネット以外のツールは、現時点では存在しません。
第二は、「インターネットを通しての買い物、とくに古書の購入は非常にスムーズで快適なものである」ということです。私はインターネットを利用しはじめてから約11年の間にオランダ語の神学書を中心に、非常に多くの古書を買い集めてきました。自慢するわけではありませんが、もしかしたら、今や私は、古書の情報を入手し、それをすみやかに購入するという一点においては、現地に留学中の人よりも上手かもしれません。
まだまだあると思いますが、また少し頭がぼうっとしてきましたので、ここまでにしておきます。
2008年2月8日金曜日
私が説教をインターネットで公開している理由(2/2)
すべての説教をインターネット上に公開しはじめてからは、「言った・言わない」のたぐいは一切無くなりました。私の説教を耳で聴いてくださる方々に対し、《文字》(もじ)による「言質」(げんち)を提供すること。もし何か問題を感じる言葉が私の口から発せられた場合には、私の書いた《文字》のテキストに基づいて、その問題点を具体的に指摘していただけるようにすること。それが「今週の説教メールマガジン」発行の第二の、しかしこれこそが本当の、心底からの動機でした。
つまり、二つの動機とも、いうならば自己防衛的な側面の強い発想から出たものであったということです。よくいえば危機管理です。すべての説教を《文字》として公開することが、自分自身を防御し、かつ教会を混乱に陥らせないための最も有効な方法でもあると知りました。それと似たようなことは、我が国の総理大臣でさえ今や熱心に行っていることです。
第三の動機として伝道目的という点を挙げるべきかもしれませんが、この点はあまり事実でも真実でもありません。あとから取って付けたような動機です。「ブログを読みました。メールマガジンを購読しています。それで教会に通ってみたくなりました。洗礼を受けたいと願うようになりました」と申し出てくださった方は、199回メールマガジンを発行してきて一人もおられません。当然だと思っています。一時期は音声まで公開していましたが、公開作業が面倒になって(すべて私一人で行っています)、やめてしまいました。「インターネットで関口牧師の説教を聞きました。それで心動くものがありましたので、教会に通いたくなりました」と来てくださった方もゼロです。
私はそういう現実の前で少しもがっかりしません。そもそも最初の動機ないし目的が伝道という点にあったわけではなかったからです。最初から期待していないことについては、落胆も失望もありません。問題をいくらか局限化してみるとしたら、「そもそも“信仰”は電気信号に変わりうるものか」、あるいは「“聖霊”とは光ファイバーを介して伝達されうるものか」というような(半分以上は冗談のような、しかし深く考えはじめると意外に難しい)《教義学的問い》として成り立つと思っています。私はこれらの問いに対して、今のところ、きわめて否定的な考えを持っています。
毎日毎日、とことんハードに利用しているからこそ思うことです。はっきり言えば、「インターネットは伝道目的には向いていない」と考えています。牧師にとっても教会にとっても、持ち出すものばかり多く、返ってくるものはほとんどありません。「お前の考えは間違っている」と、どなたかにこの私を説得してもらいたいくらいです。