2022年3月13日日曜日

イエスの家族(2022年3月13日 聖日礼拝)


「イエスの家族」関口康牧師
日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13)


讃美歌21 459番 飼い主わが主よ(1、4節)

「イエスの家族」

マルコによる福音書3章31~35節
関口 康

「神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ」

今日の箇所は新約聖書のマルコによる福音書3章31節から35節までです。この箇所には大勢の人物が登場します。名前が記されているのはイエスさまだけです。あとは文字通り「大勢の人」(32節)がいます。そしてイエスさまのお母さんと兄弟姉妹たちが登場します。お母さんの名前がマリアであることはよく知られています。

「兄弟姉妹がた」(32節)はイエスさまと血のつながったマリアの子どもたちです。イエスさまは長男としてお生まれになりましたので、イエスさまに弟や妹がおられたことになります。お父さんはこの箇所に登場しません。お父さん以外のイエスさまのご家族が登場します。

イエスさまは「大勢の人」(32節)の中におられました。それがどういう状況だったかは、前の段落に「イエスが家に帰られると、群衆がまた集まって来て、一同は食事をする暇もないほどであった」(20節)と記されていることから考えていくしかありません。

イエスさまが帰られた「家」は、1章29節と2章1節に出てくるのと同じ家です。ガリラヤ湖畔の町カファルナウムにあったシモン・ペトロとその兄弟アンデレの実家です。そこにはシモンの姑(しゅうとめ)も同居していました。姑がいたということは、シモンが結婚していたことを意味しますし、シモン夫妻の子どもたちもいて、同居していたかもしれません。

ですから、そこがどれくらいの大きさの建物だったのかは分かりませんが、小さくはない気がします。2章に描かれていたのが、病人をベッドに乗せたまま運んできた4人の男たちがその家に来て屋根によじ登り、その屋根をはがして病人をイエスさまの近くに吊り降ろした話でした。相当頑丈な家でなければ、この話そのものが成立しないでしょう。病気の人を含めて5人の体重がかかったくらいでは壊れない程度の屋根がついていた家だったでしょう。

まとめていえば、シモン・ペトロの妻と子どもたち、姑、弟くらいは一緒に住んでいて、頑丈な屋根もついている家です。そこをイエスさまは宣教活動の最初の拠点とされました。居候状態で寝泊まりされていたと考えることができます。

しかも、そこは本来あくまでもシモン・ペトロとその家族のプライベートの家でした。ところが、その家が事実上の集会所、まるで公民館のような、だれでも出入りすることが許されているかのような公開された場所になってしまいました。それは、イエスさまがそこで寝泊まりされているといううわさが広まったからですが、それでよかったのでしょうか。

ペトロとアンデレはイエスさまの弟子になったので「どうぞ、どうぞ」と誰でも歓迎したかもしれませんが、他の家族は別の考えを持っていたかもしれません。ひとつ忘れてはならない重要なポイントがあります。それは、この「家」があったカファルナウムの中にユダヤ教の「会堂」(シナゴーグ)があった(1章21節)ことです。

そちらのほうが本来かつ正規の集会所です。人がわんさか集まっても大丈夫なように、集会を初めから目的として造られた建物が「会堂」(シナゴーグ)です。うちで集まられると、はっきり言えばプライバシーの侵害だし、近所迷惑なので、集会したいなら正規の集会所ですればいいではないかと、家族から叱られる可能性がないとも限りません。イエスさまをシモンの家族全員が快く受け入れていたかどうかは分かりません。そうだったとも言えそうですし、そうでなかったとも言えそうです。

ここまでお話ししたことは今日の本題ではありませんが、全く関係ない話をしているつもりはありません。わたしたちが考えるべきことは「家族とは何か」ということです。シモン・ペトロにも家族がありました。イエスさまが来られたことで、ペトロの家族の平和が壊れたかどうかは、真剣に考えなくてならないテーマかもしれません。家の屋根まではがされてしまうという物理的な実害まで被りましたので。

しかし、ペトロの家族の話はここまでにします。今日の本題は、イエスさまのご家族についてです。そのペトロの家におられたイエスさまのところに、母マリアと兄弟姉妹が来て「外に立ち、人をやってイエスを呼ばせた」(31節)と記されています。この翻訳が私は気に障って仕方がありません。身分制度はあったでしょうが、「人をやる」とか「呼ばせた」とか、マリアが尊大な態度をとり、威圧的な物言いをしているかのようです。

もう少し穏やかな様子を想像できるほうがいいでしょう。「集会の途中で申し訳ありませんが、家庭の事情で伝えなくてはならないことがありますので、うちの息子をこちらに呼んでいただけませんでしょうか。わたしたちが皆さんの中にずかずか入っていくと、集会のご迷惑になりますので、外で待たせていただきます」くらいのほうがいいでしょう。

しかし、この箇所を読むかぎり、その情報がイエスさまに伝わったのは、ひとりの人が大勢の人をかき分けてイエスさまのもとにたどり着いて伝えたのでなく、そこにいたみんなが騒ぐような言い方で「ご家族が先生のことを探してますよ」とイエスさまにお伝えしたように読めます。

そして、だからこそ、そこにいたみんなに呼びかけて騒ぎを鎮めるように、「わたしの母、わたしの兄弟とはだれか」(33節)と、周りに座っている人々を見回して(34節)おっしゃいました。つまりこれは、個人的なひそひそ話をされたうえで、みんなに聞こえる大きな声でおっしゃったのではなく、そこにいたみんなとイエスさまとの対話であるととらえることができます。

「ご家族が先生のことを探してますよ」
「わたしの家族ってだれだい。今ここにいるみんながわたしの家族だよ」

少しうるさめの、学校の授業のようです。あるいはロックコンサート。

「神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ」(35節)と続けておられます。これは排他的な意味でとらえないほうがよさそうです。

イエスさまのお母さんと兄弟姉妹が「外」に立っていた(31節)のは、その集会に対する悪意や反発を態度で示していたわけではなく、遠慮していただけです。そして、その「家」(20節)は「会堂」(シナゴーグ)ではなく、民家です。その建物の「内」にいるか「外」にいるかが、宗教的な態度決定を意味していません。

そうであるならば、「神の御心を行う人」(35節)の中に「イエスの母と兄弟たち」(31節)が含まれていると考えて構いません。血縁的なつながりと信仰的なつながりを対立的に考える必要はありません。どちらのつながりも「兄弟姉妹、母」であるとイエスさまがおっしゃっています。

この話はそのまま教会に当てはまります。必ずしもすべての人の喜びや慰めにならない可能性があります。血縁的なつながりから脱出するために教会へと"亡命"した人はがっかりする話かもしれません。しかし、がっかりしないでください。「家族とは何なのか」を共に学び合いましょう。

(2022年3月13日 聖日礼拝)