2025年3月25日火曜日

ホーケンダイクとファン・ルーラーの関係

『ユトレヒト大学神学部400年史』(2001年)

【ホーケンダイクとファン・ルーラーの関係】

最近入手したばかりの戸村政博訳・ホーケンダイク『明日の社会と明日の教会』(新教出版社、1966年)の本文にも脚注にもファン・ルーラーの名前は登場しない。ホーケンダイクの博士論文の指導教授がファン・ルーラーだったことは『ユトレヒト大学神学部400年史』(画像参照)のホーケンダイクの章に記されている。

ホーケンダイクは1912年5月3日生まれ、ファン・ルーラーは1908年12月10日生まれ。4歳差。ホーケンダイクは世界教会協議会(WCC)初代宣教部幹事。宣教(apostolaat)と神の宣教(missio Dei)はホーケンダイクが最初の発案者ではないけれども、WCCの宣教論の土台に両概念を据えた人であるとは言える。

残念ながら私は戸村政博牧師(1923-2003)にお会いできなかった。1962年から1974年まで日本基督教団宣教部幹事。ホーケンダイクの同書の日本語版(1966年)はその時期の戸村先生訳。ファン・ルーラーはその影すら見えない書物だが、日本基督教団はホーケンダイク経由で間接的な影響を受けたと言える。

今読んでいるファン・ルーラーの文章に、WCCへの距離感が表明されている。まだ正確な紹介ができるほど読めていないが、ローマ(カトリック)教会などと比べればオランダ改革派教会(NHK)の規模は小さいので、公平な対話や協力は難しいのではないかという意味のことをファン・ルーラーが書いている。

その一方でファン・ルーラーは「改革派教会」をecclesia catholica reformata、つまり「改革されたカトリック教会」であるととらえ、自分たちをまるでキリスト教の一形態であるかのように言うのは間違いで、そういう分派主義的な発想は「最良の堕落は最悪」(corruptio optimi pessima)だと批判する。

私見によれば教文館版ファン・リューラー『伝道の神学』(2003年)の表題は誤訳だが、「序」の中の「ホーケンダイク教授は教会の委託を受けた教授である」(13頁)も重要な言葉が脱落。原文"Prof. Hoekendijk is - mirable dictu - kerkelijk hoogleraar”。mirable dictuは「なんとびっくり」ぐらい。

kerkelijk hoogleraarは「教会の委託を受けた教授」で意味は合っているが、当時のユトレヒト大学やライデン大学などの神学部に配属された「オランダ改革派教会担当教授」の略称。改革派教会の大会で任命された教授だったので、やっかみの対象になって就任後しばらく他の教授全員から無視されたらしい。

ホーケンダイクについてファン・ルーラーがmirable dictuと書いた理由とニュアンスが今までよく分からずにいたが、この2人が指導教授と学生の関係だったことを知って、やっと腑に落ちた。教え子の活躍に対するうれしい気持ちと、元学生の「行き過ぎ」に苦笑いせざるをえない気持ちの両面あると思える。

とにかくはっきりしているのは、最初期の世界教会協議会(WCC)の宣教論を構築し、日本基督教団の初期の宣教論に影響を与えたクレーマーとホーケンダイクと同じ日本語で、ファン・ルーラーのapostolaat概念は訳されなくてはならないということ。そうでなければ何の議論をしているのか分からなくなる。