2025年3月18日火曜日

クレーマー『信徒の神学』ドイツ語版が届く

ヘンドリク・クレーマー『信徒の神学』ドイツ語版(1959年)

【クレーマー『信徒の神学』ドイツ語版が届く】

2025年3月17日(月)クレーマー『信徒の神学』ドイツ語版(1959年)が届く。オリジナルは英語版。日本語版あり。クレーマーのapostolaat(宣教)概念の使い方を確認するため。確認できるかどうかは現物が届かないと分からない。それだけのために高い買い物。『宣教の神学』ドイツ語版もまもなく届く。

アポストラート(apostolaat)を「宣教」という意味で用いた最初の人はクレーマーではない。もっと前に造語されていた。イエスの弟子がアポストロス(ἀπόστολος)で「使徒」。ニケア・コンスタンチノープル信条(381年)に「聖なる、普遍の、使徒的(Ἀποστολικὴν)、唯一の教会」(カトリック訳)。

ナチスドイツからの解放の翌年の1946年2月18日オランダ改革派教会(NHK)に「教会規程委員会」設置。同年3月「教会規程解説書作成小委員会」設置。後者は8名。この中にミスコッテ、ファン・ルーラー、ヘンドリクス・ベルコフ(年齢順)がいた。彼らの神学的激闘を経て1951年版『教会規程』が生まれた。

オランダ改革派教会(NHK)の戦後再建の中心に教団書記フラーヴェメイヤー(Gravemeijer [1883-1970])、神学者バニング(Banning [1888-1971])、信徒宣教師クレーマー(Kraemer [1888-1965])がいた。3人は戦時中、抵抗運動に参加し投獄。牢内で意気投合。バニングは1946年労働党(PvdA)初代議長。

クレーマーは世界教会協議会(WCC)創立の1948年の前年1947年、WCCのシンクタンク「エキュメニカル研究所」初代所長に就任。WCC創立大会はアムステルダム(コンサートホールConcertgebouw)で開催。WCC初代総幹事ヴィサー・トーフト(Willem Visser 't Hooft)はオランダ改革派教会(NHK)の神学者。

1948年WCC創立総会に小崎道雄氏が出席。

小崎道雄氏:

1922-1924 日本基督教団霊南坂教会伝道師

1924-1931 同 副牧師

1931-1961 同 主任牧師

1946-1954 日本基督教団総会議長

1948-1961 世界教会協議会(WCC)中央委員

1948-1959 日本基督教協議会(NCC)初代議長

1960年(9-11月)、ヘンドリク・クレーマー来日講演。「それは...教団ならびに数教区一団となって、各所において、合計十数回も行われたが、その中心になったのは、10月11~14日、天城山荘で行われた協議会であり...各教区から80名をこえる人々が参集した」(『日本基督教団史』1967年、274頁)。

クレーマー来日(1960年)の前年の1959年11月1日から1週間、「日本宣教百周年記念大会」が、日本基督教団富士見町教会(記念礼拝、記念式典、記念講演会)や日比谷野外音楽堂(教会学校生徒大会、5千人)で開催。11月2日の記念講演の講演者は、WCCのヴィサー・トーフト(オランダ改革派教会(NHK))。

このように集まってくる情報に照らすかぎり、ファン・ルーラーが1953年5月にドイツで行ったドイツ語講演の題”Theologie des Apostolates"を日本語に訳す場合は、ヘンドリク・クレーマーのapostolaat概念に当てられてきた訳語「宣教」を当てるべきであることが明白である。別の話にされては困るのだ。

訳語自体はある意味どうにでもなる。「宣教」ではなく「伝道」であると言い張られたら阻止できない。この議論で大事な点は、クレーマーのapostolaat概念は教会自身が政治や社会の問題に取り組むことを必ず含んでいること。もし「伝道」という訳語でその事態を適切に表現できるなら、それでも問題ない。